ヴェイル共鳴—シリコンと星光が交差する場所
量子プロセッサが黒曜石のような摩天楼の下で音を立て、古代の歴史がデジタル・アーカイブへと封印されたネオン輝く大都市エロリア。十六歳の天才スクラップ・メカニック、カエランは破壊された町で本来存在しないはずのものを発見する。共鳴装置だ。魔法と技術が不可分だった時代の遺物。初めはただの技術的好奇心に駆られた彼だったが、その装置が彼の神経経路内に何かを目覚めさせた時、全てが変わった。彼は聞くようになったのだ—膜の向こう側からの囁きを。エロリアの決定論的な世界とルミナス・レルムを隔てる理論上の障壁、その彼方から。
その囁きはリラのものだった。共鳴の守護者。彼女の存在そのものがエロリアの科学的教義に矛盾する。彼女がもたらした知らせは緊急を要するものだ。ヴェイル—魔法も技術も適切に説明できない熵的な力—が両世界の障壁を崩壊させているというのだ。その起源は不明だが、その影響は否定の余地がない。両現実が互いに出血し始め、存在そのものの基盤を不安定にしている。
懐疑的でありながらも、紛れもなく変化したカエランは、ありそうもない同志を集める。十七歳の戦士僧ソーレンはエロリアの境界を超えた隠された聖域で育
ヴェイル共鳴—シリコンと星光が交差する場所 - Fault Lines — 壁の外の戦士
Obelisk Spireの地下から持ち帰った座標は、一枚だけ生き残っていた。
Kaelanはその画像を三日間、作業台の壁に貼り付けたままにしていた。三日間というのは正確には七十二時間で、そのうち実際に座標を眺めていた時間は少なくとも半分はある。残り半分は、どうやってそこに一人で行くかを考えていた。
場所はEloria西側の境界壁から四キロ先。量子格子の監視網が完全に途切れる地帯で、帳——the Veil、魔法でも量子技術でも定義できないエントロピー的な崩壊力——の影響で空間が物理的に歪み始めている区域だ。Ember Fringe、Eloriaの最外縁区から先の、人が普通は近づかない場所。
Liraが膜界越しに言った内容は明快だった。
「あの地帯は、一人では無理よ。帳の空間歪曲は予測不能。あなたが方向を見失った時、引き戻す物理的な支点が必要」
「俺の社交関係は大体三人で構成されてるんだけど。お前は体がないし、もう一人は十二Qbit貸してる修理依頼人で、これは頼める話じゃない」
「では三人目は?」
「三人目が問題だ」
Kaelanは深夜二時まで起きていた。座標の画像を眺めながら、フィールドログに書いた。
『一人で行く。最悪の場合、空間と一緒に折り畳まれる。ただし最悪を避けるために、光源を改造する』
Liraが帳の干渉を弱める周波数の理論を教えてくれていた。実装は自分でやるしかない。廃棄された補修ユニットから素子を引っこ抜いて、三時間かけて光源デバイスを組み直した。完成品がちゃんと機能するかどうかは正直わからない。でも何もないよりはマシだろう、という判断だ。
この判断が正しいかどうかも、わからない。
出発は夜明け前だった。Ember Fringeの電磁障壁には三ヶ月前に見つけた保守用の抜け道がある。Conduit Wardの修理仕事を追いかけていた時に偶然発見したもので、こういう発見が後で役に立つのがKaelanの生き方というか運の使い方だった。
障壁を抜けた瞬間、空気が変わった。
地面の質感がおかしい。石と土の境界が曖昧で、踏み込むたびに足の裏に届くフィードバックが少しずれている。空を見上げると、地平線が二本ある。一本は正常な位置に、もう一本は四十五度傾いた角度に、まるで誰かが空を折り曲げたみたいに。
(これが帳の歪曲か)
改造した光源デバイスがオレンジ色のパルスを刻み始めた。Liraが「オレンジは帳密度が中程度」と言っていた。中程度。中程度ならまだ歩けるはずだ。
Liraの誘導が届く。言葉じゃなくて圧力みたいなもので、肩を押す手の感覚に近い。右、まっすぐ、少し左。神経系に共鳴受容体が目覚めてから、こういうコミュニケーションができるようになっていた。
二十分、順調だった。
二十分と少しで、順調じゃなくなった。
空気に縫い目みたいなものが見えた。幅二メートルほどの、目には見えるのに触れられない境界線。それが扉を閉めるみたいに、音もなく収縮した。
重力が九十度回転した。
「——わっ」
横向きに投げ出された。地面だったものが壁になり、壁だったものが床になる。Kaelanは崩落した岩の斜面を転がり、工具袋が左腕に絡まったまま溝に落ちた。顎が泥に刺さる。
光源デバイスは奇跡的にまだ手の中にあった。
パルスが赤に変わっていた。
Kaelanはしばらくそのままうつ伏せで寝転がっていた。全身の状態を確認する。骨は折れていない。工具袋のせいで左腕がちょっと変な方向に引っ張られたが、動く。問題は顎の泥だ。ここの土は普通の土と微妙に味が違う気がする。前収斂時代の鉱物成分でも混じっているのかもしれない。これはまったく役に立たない観察だ。
顔を上げた。
手が差し伸べられていた。
大きな手だった。体格に見合った、鍛え込まれた手。Kaelanは視線を上げた。白銀の長髪を後ろで一つに束ねた男が立っていた。百八十五センチはあるだろう。氷のように澄んだ青い瞳が、Kaelanを見下ろしている。ただ見下ろしているだけなのに、三秒で三つくらいの判断を終えた顔をしている。
Kaelanを見て。状況を見て。何かを決めた目。
男は言った。
「Soren。Quietholdから来た。行くぞ」
四語。それだけ言って、岩の斜面を歩き始めた。Kaelanが手をつかむより先に。
Quiethold——Therric Ridge、エロリア北方十八キロの山岳に隠れた修道院の名だ。前収斂時代の戦士修道会の末裔が運営している場所で、外界との接触を最小限にしていると聞いていた。
Kaelanは泥だらけのまま立ち上がって、ついていった。なぜなら、溝に残るという選択肢が現実的に見えなかったから。
Sorenの歩き方を観察しながら、Kaelanは色々なことを考えた。この男は空間の歪みを当然のものとして扱っている。迷っていない。止まっていない。帳の圧力変化を皮膚で読んでいるみたいに、特定の場所で足を止めてKaelanの胸に腕を横断させた。
一秒後、前方の空気が歪んだ。
二回目も同じだった。三回目も。
「どうやって空間の折れ目がわかるんだ」
Sorenは前を向いたまま答えた。
「気圧が変わる。帳が薄くなる前に、ここは重くなる」
「同じ原理で、お前の装置のことも気づいたか」
短い間があった。
「Quietholdは四十年、帳の拡大を追っている。その装置は前収斂時代のものだ。知らないほうがおかしい」
Kaelanは足を止めなかったが、頭の中で計算した。四十年。Quietholdは四十年この地帯を監視していた。ということはSorenは、この場所を監視していたか、あるいはKaelanを監視していたか、あるいは両方だ。
「俺を見てたのか」
「この座標に近い場所を見ていた」
それ以上は言わなかった。Kaelanも追及しなかった。今は情報を整理する時間より、岩場を歩く時間のほうが重要だったし、Sorenが嘘をついている気配はなかった。嘘じゃないが全部話してもいないというのが、正直な空気感だった。
観測塔の廃墟が稜線に見えてきた。
二十メートルほどの高さの残骸で、上半分が崩落して内側に折り重なっている。壁面にはKaelanがFundament Ruinsで見たのと同じ文様が走っていた。量子回路と魔法刻印が同じ素材に融合した前収斂時代の建造物。膜界図師——Membrane Cartographer、Membraneの状態を地図化した前収斂時代の専門職——が記録を残した場所。
Sorenが塔の入口で止まった。
「俺は外で圧力を読む。作業に集中しろ」
Kaelanは共鳴装置を取り出した。その動きを見て、Sorenの左手がわずかに動いた。装置に向かって、無意識に。掴もうとしたわけじゃない。安全な場所に確保しようとした反射、みたいな動き。
Sorenは手を止めた。
Kaelanはそれを見た。Sorenはそれを見られたとわかった。どちらも何も言わなかった。ただ空気が少し変わった。
「先に言っておく。これは渡さない」
「……わかった」
返事は予想より早かった。Kaelanは少し驚いたが、顔には出さなかった。
内部は暗く、空気がひんやりしている。壁の文様が、共鳴装置のパルスに反応して微弱に光り始めた。Liraの声が届く。
「正面の壁、左から三分の一のあたり。共鳴の周波数が違う場所がある」
Kaelanは手を壁に当てた。感じる。密度の違い。ここだけ、薄い。
共鳴を流し込んだ。ゆっくり、丁寧に。錠前に鍵を合わせるように、神経系で周波数を調整する。Liraが途中で補正を入れてくれる——少し右、もう少し。
六分かかった。
石の一片が、パズルのピースみたいに押し出された。薄い板状の媒体。膜界図師の地図断片。EP3で写真に収めた断片の続き。座標と地形キー。
Kaelanの手のひらに、ずっしりとした重みが乗った。
「あった——」
直後、圧力波が来た。
音じゃない。Veilの圧力だ。鼓膜じゃなくて、皮膚全体に当たる圧力。塔の共鳴ロックが外れたことで、この場所のMembraneのバランスが崩れた。壁が鳴り始めた。文様に沿ってひびが走る。
「出ろ!!」
塔の外から声が飛んだ。
Kaelanは走った。走りながら断片を胸に抱える。頭の上で石が鳴っている。天井から胴体くらいの石ブロックが一個、二個、落下し始める。不規則に、どこに当たるかわからない角度で。
出口が見えた。でも横倒しになった梁が半分をふさいでいる。
通れない。
(神経系が叫んだ。)
制御じゃなかった。Obelisk Spireの警備ノードを飛ばした時と同じ、意志より先に体が動く種類の共鳴スパイクだ。今度は圧力波に向かってそれが発火した。押し返した。三秒だけ、崩落のテンポが落ちた。
Sorenが外から梁に手をかけた。動かない。もう一度、今度は体全体の重みで押した。梁がずれた。すき間が広がる。Sorenがそのまま押し続けながら、
「今!!」
Kaelanは体を横にして通り抜けた。地面に転がった直後、塔の残った壁が内側に崩れ込んだ。山が咳払いをするみたいな音が、しばらく続いた。
砂埃が落ち着いた。
Kaelanは空を見上げた。Eloriaの西、地平線は二本のままだ。世界の歪みは直っていない。当然だ。でも自分はまだここにいる。断片も手の中にある。
Sorenの手のひらが切れていた。梁を押さえた時に。血が出ている。
Sorenはその手を眺めて、致命傷じゃないという計算を一秒でした顔をした。そしてKaelanの方を向いた。顎が少し固い。怪我のためじゃなくて、別の何かのために、固い。
「怪我はないか」
「ない。お前の手——」
「問題ない」
短い返事。Kaelanはそれを受け取って、断片の確認に戻った。
——それが来たのは九十秒後だった。
左耳が、ザーッというノイズに変わった。
そのまま静寂になった。右耳は正常だ。左耳だけ、音が半分消えた。Liraの声が頭の中に届いた。共鳴リンク越しだから、耳じゃなくて神経に直接来る。だからLiraの声は聞こえる。でも周囲の音が、左側だけ大幅に減っていた。
「さっきの共鳴スパイク。あの出力を持続させたことで、左耳の蝸牛神経インターフェイスに負荷がかかった。回復する可能性はある」
「『可能性』か」
「……ええ」
'可能性'という言葉は、確定じゃないという意味だ。Kaelanはそれを聞いて、あとで怖がることに決めた。今じゃない。
「左耳が半分聞こえない」
Sorenは何も言わなかった。一秒。二秒。それから、自分の立ち位置をずらした。Kaelanの右側に来た。
それだけだ。言葉もなく、大げさな反応もなく。ただKaelanの右側に立って、そこにいる。聞こえる方向から話しかけられるように。
Kaelanはその動きを見て、何か言おうとして、やめた。
断片を広げた。
地形キーは読めた。
座標が示す場所——次の膜界図師の記録がある場所——の記述は、明確だった。
Kaelanはしばらく黙って、その記述を読んだ。もう一回読んだ。三回目を読む前に、声に出した。
「……Obelisk Spireの地下三層。量子格子保守フロアの北側基礎壁の下」
Sorenが断片を覗き込んだ。
「Obelisk Spireとはなんだ」
Kaelanは説明した。地上三百二十メートル。Pellucid Mandate——Eloriaの技術至上主義の政策執行機関——の本部。Vitreous Guard、八百名の武装治安部隊。市内最高の監視密度。そして三日前に潜入して、幽霊シグネチャを衛兵に記録されて脱出したばかりの場所。
Sorenは聞いていた。表情は変わらなかった。でも目の奥で何かが動いた。計算している顔だ。
「では前回より難しくなる」
「十倍どころじゃない」
Eloria境界に向かって歩き始めた。Sorenが隣を歩く。自然に、最初からそうだったみたいに、Kaelanの右側を。
しばらく無言で歩いて、Sorenが口を開いた。
「一つ聞く。あの圧力波、帳の自然な揺らぎじゃなかった」
「……そうなのか」
「Quietholdの記録にある。圧力波のパターンが、Pellucid Mandateの東方施設——海上の研究施設——が収容実験を行う時のものと一致する。誰かが意図的に起こした可能性がある」
Kaelanは足を止めなかった。でも思考が止まった。
「……断片を埋めるため? それとも——」
「誰が来るか確認するため。かもしれない」
西の空に、帳の影響で二本の地平線が揺れている。崩れた観測塔の残骸が、遠くで煙を上げていた。
Kaelanは断片を胸ポケットに入れた。次の目的地はもう決まっていて、それはどう考えても今回より厄介だ。片耳は半分機能していない。新しい同行者は謎が多い。
そして今自分たちは、塔から脱出したのか——それとも脱出するところを見られていたのか、そのどちらかわからない状況にいる。
「……右側にいてくれると助かる。しばらく」
Sorenは答えなかった。でも位置を変えなかった。
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