パタ姉は転生してもサメが好きすぎる件について
春。エデン私立学園の入学式で、転入生のレイン・パターソンは一際注目を集めていた。銀髪に青い瞳、制服の上からでもわかる鍛えられた体躯。前の世界では、大切な仲間を守る凄腕のボディガードだった。でも今はただの高校一年生。そして不思議なことに、彼女の左胸のポーチには三本の煙草が入っている。彼女は吸わない。それは、もういない仲間たちのためのものだ。
レインの日常は、奇妙な出会いから始まる。明るいクラスメイトの陽菜は、なぜか彼女を「パタ姉」と呼んで懐いてくる。図書室で出会った物静かな少年カイは、傷だらけの彼女の手を見て言う。「誰かを守ってたんだろ?」そして水泳部のエース澪は、水を眺めるレインの姿に涙をこぼす。
「あなた……サメ、好きでしょ?」澪のその一言で、レインの中でスイッチが入る。そう、彼女はサメが好きすぎるのだ。前の世界で命を救われて以来、サメのぬいぐるみを集め、毎日サメ動画を観て、サメについて三時間は語れる。クールな外見とは裏腹に、サメの話題になると目を輝かせる。そのギャップに、陽菜もカイも澪も、気づけば惹かれていく。
しかし、学園の全員がレインを歓迎するわけではない。生徒会副会長の
パタ姉は転生してもサメが好きすぎる件について - サメ愛好会、設立 ―― 警告文と陽菜のポスター
「パタ姉、こっちこっち!」
放課後の教室に、陽菜の元気な声が響いた。オレンジ色のショートボブがぴょんぴょん跳ねる。机の上に大きな模造紙を広げて、彼女は満面の笑みでレインを手招きしていた。
「見て見て、あたし、サメの絵、描いてみたんだよ!」
レイン・パターソンは、銀色のロングヘアを揺らして陽菜の隣に立った。深い青い瞳が、机の上の絵をじっと見つめる。
「……これ、何?」
「サメに決まってるじゃん!」
陽菜は胸を張って言った。えくぼがくっきり浮かぶ。首元の手作りサメ型ストラップが揺れた。
レインは、もう一度絵を見た。
丸い頭。にょろにょろと伸びた八本の足。その先には吸盤らしき丸い模様。
「……どう見てもタコだ」
「えー! どこが!? ちゃんと背びれも描いたよ!」
陽菜が絵の一部を指さす。そこには、タコの頭の上に小さな三角形がちょこんと乗っていた。
「……背びれの位置が違う。サメの背びれはもっと後ろだ。それに、サメに足はない。あるのは胸びれと腹びれ、尾びれだ。それから、えらは五対から七対。目は頭の横にあって——」
「ちょ、ちょっと待ってパタ姉! あたし、まだ何も言ってないよ!?」
「……ああ、すまない」
レインは、はっと口を閉じた。
(またやってしまった)
サメの話になると、周りが見えなくなる。前世からずっとそうだ。ボディーガードとして戦場にいた頃も、仲間たちに呆れられながら、サメの生態を語り続けた。
(……今は、もう)
レインは、そっと息を吐いた。
「……私が描く」
「え?」
「絵を。サメの絵を、私が描く」
レインは、陽菜の持っていた色鉛筆を受け取った。真っ白な模造紙の前に座る。
「パタ姉、絵も描けるの?」
「……少しだけ」
レインは、黙々と描き始めた。
銀色の髪が、窓から差し込む午後の光にきらめく。深い青い瞳が、紙の上を細かく動く。長い指が、色鉛筆を迷いなく走らせた。
陽菜は、隣で息をひそめて見守っていた。
五分。十分。
レインの手は止まらない。
流線型の体。鋭い吻。正しい位置にある背びれ。五対のえら。力強い尾びれ。そして、サメ特有の、あの目——。
「……できた」
レインが顔を上げた。
「うそ……」
陽菜の琥珀色の瞳が、大きく見開かれた。
そこに描かれていたのは、今にも動き出しそうなほどリアルなホホジロザメだった。影の付け方、筋肉の流れ、皮膚の質感まで、図鑑のイラストを超えている。
「パタ姉、絵も描けるの!? すごいすごい! これ、もうプロだよ! サメの図鑑作れるじゃん!」
陽菜が、ぴょんぴょん跳ねながら叫んだ。
「……そうか?」
レインは、少しだけ照れたように視線を逸らした。
「うん! でも、なんでこんなに上手いの?」
「……前世で、よく描いていたから」
「前世?」
「……いや、なんでもない」
レインは、慌てて首を振った。
前世——剣と魔法の世界で、仲間たちにサメの絵を描いて見せたことがある。カイルは笑い、ソフィアは感心し、グレンは「またか」と呆れた顔をした。
(……みんな)
レインは、左胸のポーチに手を当てた。三本のタバコの感触。仲間たちの形見。
「パタ姉?」
「……なんでもない。それより、ポスターの文字はどうする?」
「あ、それね! 『サメ愛好会、部員募集中! サメが好きな人、集まれ!』って感じでどう?」
「……普通だな」
「えー、じゃあパタ姉が考えてよ!」
レインは、少し考えてから、色鉛筆を手に取った。
「……『サメはいいぞ』」
「それだけ!?」
陽菜が、ずっこけるような仕草をした。
「……あと、『サメの魅力を伝えます。入部希望者は一年A組、レイン・パターソンまで』」
「うーん、まあ、シンプルでいいかもね! あたし、色塗り手伝う!」
二人は、肩を並べてポスター作りを続けた。
レインが描いたホホジロザメのイラストの周りに、陽菜がカラフルな飾りを描いていく。波の模様、泡、小さな魚。
「ねえパタ姉、サメの背びれって、なんであんな形してるの?」
「……水流を切るためだ。背びれがあることで、体が左右にぶれずに泳げる。それから——」
レインの声が、少しずつ早くなる。
「サメの皮膚は、プラコイド鱗っていう小さな鱗で覆われていて、これが水の抵抗を減らすんだ。しかも、この鱗は歯と同じ構造でできている。つまり、サメは全身が歯で覆われているようなものなんだよ。すごいでしょ! それから、サメの歯は何列にも並んでいて、使ってると前から順番に抜け落ちて、後ろから新しい歯が生えてくる。一生で何万本も生え変わるんだ。種類によっては一週間で一列分が入れ替わるものもいる。それから、サメの嗅覚は——」
「パ、パタ姉! あたし、まだ質問一個しかしてないよ!?」
陽菜が、笑いながらレインの腕を揺らした。
「……ああ、すまない」
レインは、また口を噤んだ。
でも、陽菜は笑っていた。
「ううん、いいの。パタ姉って、本当にサメのこと好きなんだね」
陽菜の声が、しみじみとしたものに変わった。
「……好き、なのか?」
「うん。だって、そんなに楽しそうに話すの、初めて見たよ。入学式の時は、すっごくクールで近寄りがたい感じだったのに。サメの話になると、目がキラキラして、声が弾んで——」
「……やめろ」
レインは、顔を背けた。
耳の先が、ほんのり赤い。
「あ、照れてる! パタ姉、照れてる!」
「……照れてない」
「照れてるよ! えへへ、かわいい!」
陽菜は、レインの背中に抱きついた。
「……離れろ」
「やだ! パタ姉、あったかい!」
レインは、ため息をついた。
でも、振りほどかなかった。
(……悪くない)
前世では、誰かにこんな風に触れられることなど、ほとんどなかった。
(これが、友達というものか)
レインは、そっと陽菜の手に触れた。
「……ありがとう、陽菜」
小さな声だった。
「え? なんか言った?」
「……なんでもない。それより、ポスターを仕上げるぞ」
「うん! あ、そうだ! あたし、パタ姉のサメ愛が爆発してる姿、もっと見たいな。今度、サメのぬいぐるみ作ろうよ! それで、部室にいっぱい飾るの!」
「……部室か。まだ決まってないが」
「じゃあ、一緒に探そうよ! あたし、いい場所知ってるかも!」
陽菜の琥珀色の瞳が、いたずらっぽく輝いた。
「……どこだ?」
「図書館の地下! 特別資料室ってところ、ほとんど使われてないんだって。司書の先生に聞いたら、空いてるって言うから!」
「……図書館の地下」
レインは、少し考えた。
「……行ってみるか」
「やったー! じゃあ、ポスター貼ってから行こう!」
二人は、完成したポスターを抱えて、教室を出た。
掲示板は、一階の昇降口の横にある。生徒たちが毎日通る場所だ。
「ここが一番目立つよね!」
陽菜が、掲示板の真ん中にポスターを貼った。
「……よし」
レインは、貼られたポスターをじっと見つめた。
『サメはいいぞ』
自分で書いた文字が、夕日に照らされている。
(これで、本当に始まるのか)
前世の自分には、考えられなかったことだ。
「パタ姉、行こ!」
「……ああ」
二人は、図書館へ向かった。
図書館は、学園の敷地内でも特に古い建物だった。
蔵書十二万冊。市内でも一番の規模を誇る。天井が高く、本の匂いが漂う静かな空間。
「こんにちはー! 特別資料室の鍵、借りたいんですけど!」
陽菜が、カウンターにいる司書に声をかけた。
「あら、陽菜さん。特別資料室? あそこ、ずっと使ってないから、埃っぽいわよ」
「大丈夫です! あたし、掃除得意だし!」
「そう? じゃあ、これ。返すの忘れないでね」
司書から鍵を受け取った陽菜は、レインに鍵を見せて笑った。
「地下に降りる階段は、あっちだよ!」
図書館の奥。普段は生徒が立ち入らない場所に、地下へ続く階段があった。
二人は、古い木の階段を降りていった。
ギシギシと音がする。
空気がひんやりとしている。本の匂いと、埃の匂いが混ざっていた。
「ここだよ!」
陽菜が、重い扉の前に立った。
『特別資料室』
古びた真鍮のプレートがかかっている。
レインが鍵を差し込んで回す。
カチャリ。
扉が、ゆっくりと開いた。
「わあ……」
陽菜が、感嘆の声を上げた。
薄暗い部屋だった。
窓はなく、天井の蛍光灯が一本だけ、かすかに明滅している。
壁一面に、古い本棚。床には、積み上げられた段ボール箱。空気は埃っぽく、時間が止まったような静けさがあった。
「……広いな」
三十畳ほどの広さだ。
「ここ、部室にぴったりだね! サメのポスター貼って、ぬいぐるみ並べて、映画上映会もできるよ!」
陽菜が、くるくる回りながら部屋の中を見て回る。
レインは、ゆっくりと部屋の奥へ歩いた。
古い本棚が並ぶ。背表紙には、見たことのないタイトルの本が並んでいた。
『ミラーレイク水文調査報告書』
『エデン学園創立資料集』
『レイクサイド・シティ郷土史』
(……古い資料ばかりだ)
レインは、一冊の古いファイルを手に取った。
中には、黄ばんだ紙が挟まっている。
「……これは」
レインの指が、止まった。
棚の奥。
埃をかぶった木箱の中に、白いものが見えた。
レインは、そっとそれを取り出した。
「……サメの歯」
三角形の、鋭い歯の化石だった。
手のひらに収まる大きさ。縁は鋸歯状になっていて、触れると指が切れそうだ。
(ホホジロザメの歯……いや、もっと古い。これはメガロドンの——)
レインの胸が、ドキドキと音を立てた。
「パタ姉、どうしたの?」
陽菜が、レインの隣に来た。
「……サメの歯の化石だ。それも、かなり古い。メガロドン——絶滅した巨大なサメのものかもしれない」
「メガロドン!? あの、映画にもなった! すごい!」
「……なぜ、こんなものがここに」
レインは、木箱の中をもう一度覗いた。
中には、もう一つ、丸められた紙が入っていた。
レインは、それを広げた。
「……航海図?」
古い、手書きの地図だった。
ミラーレイクの周辺が描かれている。湖の形、川の流れ、山の位置。そして——。
「……×印」
湖の中央部分に、赤い×印が付けられていた。
その横に、小さな文字で、何かが書いてある。
レインは、目を凝らした。
『セイクリッド・リーフ』
「——っ」
レインの呼吸が、止まった。
セイクリッド・リーフ。
自分の左胸のポーチにある、三本のタバコの銘柄。
前世で、カイルとソフィアとグレンが吸っていた、あのタバコ。
(なぜ、この世界に——)
レインは、航海図を握りしめた。
指先が、わずかに震える。
「パタ姉?」
陽菜が、心配そうにレインの顔を覗き込んだ。
「……いや、なんでもない」
レインは、航海図をそっと元の場所に戻した。
(……気のせいだ。ただの偶然だ)
でも、心臓はまだドキドキと鳴っている。
「ねえねえ、ここ、本当に部室にぴったりだよね! あたし、明日から掃除始めようかな!」
陽菜は、無邪気に笑っている。
レインは、左胸のポーチに手を当てた。
三本のタバコの感触。
(この湖と、私の過去と、仲間のタバコが、何かで繋がっている——)
レインは、静かに目を閉じた。
(……考えすぎか)
「パタ姉、帰ろ! もう遅いよ!」
「……ああ」
二人は、特別資料室を後にした。
翌朝。
レインは、いつもより早く登校した。
昇降口の前を通ると、掲示板の前に、一人の生徒が立っていた。
水色のロングヘア。
朝の光に透けて、髪が湖の水のように揺れている。
(……あれは)
レインは、足を止めた。
水無瀬澪。
一年生。水泳部のエース。
彼女は、掲示板に貼られたポスターを、じっと見つめていた。
『サメはいいぞ』
澪の深い藍色の瞳が、ホホジロザメのイラストを追っている。
「……サメ、好きなんだ」
澪の唇が、小さく動いた。
「ミオ!」
突然、陽菜の声が響いた。
澪が、びくっと肩を震わせる。
「あ、ひな……」
澪は、水泳部の仲間である陽菜に、おずおずと振り返った。
「ミオ! あんたもサメ好き? このポスター見てたんでしょ!」
陽菜が、澪の腕を取って、レインの前に連れてきた。
「この人が、サメ愛好会の会長になる予定の、レイン・パターソンさん! あたしはパタ姉って呼んでるの!」
「……どうも」
レインは、澪に軽く会釈した。
澪は、レインの顔を見上げた。
深い藍色の瞳。透き通るように白い肌。
「……あなたが、レインさん」
澪の声は、水の音のように静かだった。
「……ああ」
レインは、澪の目を見た。
その瞬間。
澪の瞳が、大きく揺れた。
「——え?」
澪の目から、突然、涙がこぼれ落ちた。
一筋、二筋。
透明な雫が、白い頬を伝って、床に落ちる。
「……澪?」
レインは、戸惑った。
「ミオ!? どうしたの!?」
陽菜も、慌てて澪の顔を覗き込む。
「……あ、あれ?」
澪は、自分の涙に気づいて、慌てて手の甲で拭った。
「ごめんなさい……なんでもないの……」
澪は、レインから目を逸らした。
でも、涙は止まらない。
「待って」
レインが、澪の腕に手を伸ばした。
澪は、びくっと体を震わせた。
「……ごめんなさい。あなたの横顔、どこかで……ごめん、忘れて」
澪は、それだけ言うと、走り去ってしまった。
水色の髪が、朝の光の中に消えていく。
「ミオ……」
陽菜が、心配そうに澪の背中を見送った。
「……ミオ、昔から繊細なんだよね。水泳のタイムが落ちただけでも、一人で泣いちゃうくらい」
「……そうか」
レインは、澪が消えた方向を、じっと見つめていた。
(私の横顔が、何か……?)
澪の涙の理由は、分からない。
でも、あの涙は、悲しみだけではなかった。
(……懐かしさ?)
レインの胸の奥に、小さな引っかかりが残った。
放課後。
レインと陽菜は、教室で今日の予定を話し合っていた。
「部室の掃除、明日から始めようよ! あたし、バケツと雑巾持ってくる!」
「……ああ。私も手伝う」
「やった! あ、それと、ポスターの反応、どうかな? 誰か見てくれたかな?」
「……さっき、澪が見ていた」
「ミオ、サメに興味あるのかな? 水泳部だし、水の中の生き物は好きかもね!」
「……そうだな」
その時。
教室のドアが、静かに開いた。
「レイン・パターソンさん、それから日向陽菜さん」
凛とした声が、教室に響いた。
レインと陽菜は、同時に振り返った。
そこに立っていたのは、綾女菖蒲。
生徒会副会長。
黒髪ストレートのロングヘアが、完璧に手入れされている。紫色の瞳が、レインを真っ直ぐに見据えていた。
「……綾女副会長」
レインは、静かに言った。
菖蒲は、手に持っていた一枚の紙を、レインに差し出した。
「非公認団体の活動は禁止です」
菖蒲の声は、冷たかった。
「サメ愛好会の設立は認められません。即刻、ポスターを撤去してください」
「どうしてですか! まだ何も始めてないのに!」
陽菜が、食い下がった。
「規則です。非公認団体がポスターを掲示することは、校則で禁じられています」
「でも、そんなの——」
「陽菜」
レインが、陽菜を制した。
「……分かりました。ポスターは撤去します」
「パタ姉!?」
陽菜が、驚いてレインを見た。
「……あなたと話がしたい。少し、いいですか」
レインは、菖蒲の目を見て言った。
菖蒲は、一瞬だけ瞳を細めた。
「……いいでしょう」
菖蒲は、廊下の隅へ歩いていった。
「陽菜、ここで待っていてくれ」
「でも、パタ姉……」
「大丈夫だ」
レインは、陽菜に小さく頷いてから、菖蒲の後を追った。
廊下の隅。
窓から、ミラーレイクが見える。
夕日に染まった湖面が、鏡のように光っていた。
菖蒲は、窓の外を見ながら、静かに口を開いた。
「……あなたの前世の戦歴、見せてもらったわ」
「……因果視か」
レインは、低く言った。
「ええ。誓約守護者として、何人もの仲間を失った過去。カイル、ソフィア、グレン——」
「……やめろ」
レインの声が、鋭くなった。
菖蒲は、ゆっくりとレインの方を向いた。
紫色の瞳が、夕日を受けて、一瞬金色に光る。
「あなたがこの学園にいるだけで、必ず争いが起きる。私はそれを防ぐために動いている」
「……私は、もう戦わない。ただ、サメのことを——」
「サメ愛好会? 笑わせないで。あなたの存在そのものが、この学園の平穏を壊すの。転生者——ドリフターが集まるこの街で、あなたのような強い残響を持つ者が動けば、何が起きるか分からない」
菖蒲の言葉は、冷たく、鋭かった。
「……私に、どうしろと?」
「ミラーレイクのサメ観察ポイントにも近づかないこと。あなたには、この学園の平穏を壊す権利はない」
菖蒲は、そう言い残すと、背を向けて歩き出した。
「……待ってくれ」
菖蒲は、足を止めた。
「……陽菜は、関係ない。あの子は、ただ私を助けようとしてくれているだけだ」
「分かっています。だから、警告したのです。あなたが彼女を守りたいなら、彼女を巻き込まないことです」
菖蒲は、振り返らずに言った。
「……あなたも、前世の記憶に苦しんでいるのか?」
レインの問いに、菖蒲の肩が、ほんの少しだけ震えた。
「……私のことは、関係ありません」
菖蒲は、それだけ言って、廊下の向こうへ消えていった。
「パタ姉!」
陽菜が、廊下の隅から飛び出してきた。
「大丈夫だった? 副会長、何て言ってた?」
「……なんでもない。ただ、ポスターは撤去しろと」
「えー! そんな……せっかく描いたのに……」
陽菜が、しょんぼりと肩を落とした。
「……陽菜」
「なに?」
「……明日、生徒会室に行く。私一人で」
「なんで!? あたしも行くよ!」
「ダメだ。これは、私の問題だ」
レインは、陽菜の目を真っ直ぐに見た。
「……陽菜を、危険な目に合わせたくない」
「パタ姉……」
陽菜の琥珀色の瞳が、揺れた。
「……あたし、パタ姉の友達だよ。友達は、助け合うものじゃないの?」
「……ああ。だからこそ、守りたいんだ」
レインは、静かに言った。
陽菜は、しばらくレインを見つめていた。
「……分かった。でも、約束して。一人で無理しないって」
「……ああ」
レインは、小さく頷いた。
その夜。
レインは、寮の自室で、菖蒲から渡された警告文を机の上に置いた。
『非公認団体の活動は禁止します』
規則正しい文字。菖蒲の筆跡だ。
レインは、警告文を裏返した。
「……これは」
紙の裏に、小さな走り書きがあった。
『セイクリッド・リーフ』
レインの指が、強張った。
(……菖蒲の字じゃない)
あの規則正しい筆跡とは、明らかに違う。
もっと乱暴で、急いで書いたような文字。
(誰かが、この警告文に、この言葉を書いた)
セイクリッド・リーフ。
自分のポーチにあるタバコの銘柄。
そして、図書館地下の航海図にも記されていた言葉。
(二つの偶然が、重なった)
レインは、左胸のポーチから三本のタバコを取り出した。
カイル。ソフィア。グレン。
三人の形見。
「……誰かが、私のタバコの存在を知っている」
レインは、タバコを強く握りしめた。
「そして、その人物は、私に近づいている」
窓の外では、ミラーレイクが月明かりに照らされていた。
湖面が、静かに揺れている。
「……今度こそ、守る」
レインは、深い青い瞳で、夜の湖を見つめた。
「絶対に、失わない」
その声は、静かだった。
でも、その奥に、前世の戦士の覚悟が、確かに宿っていた。
翌朝。
「パタ姉! おはよう!」
昇降口で、陽菜がレインに飛びついてきた。
「……おはよう」
「ねえ、今日も放課後、一緒にまたポスター貼ろうよ! 今度は、生徒会にバレない場所に貼るの!」
陽菜は、いたずらっぽく笑った。
「……陽菜」
「なに?」
「……いや、そうだな。また、貼ろう」
レインは、迷いながらも、小さく頷いた。
(……でも、その前に)
レインの視線が、校舎の三階、生徒会室の窓に向けられた。
(一人で、行く)
陽菜を危険に巻き込まないために。
そして、あの警告文の裏に書かれた文字の意味を確かめるために。
レインは、拳を握りしめた。
朝の光が、銀色の髪に反射して、きらめいていた。Noveliaとは?
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