セナ、もう一つの空 〜君が選ばなかった道で〜
大ヒット青春ドラマの主人公、白咲ハルト。彼は親友で空手部のエース、黒瀬レンのことが気になって仕方なかった。
ドラマでは、幼なじみの空澄セナと結ばれるハッピーエンド。でも、現実のハルトはもし、あの時レンと話していたら…って考えちゃう。ある日、撮影の合間にセナがこっそり教えてくれた。レンくんね、本当はハルトに助けてほしいことがあったんだってって。
それを聞いた瞬間、ハルトの頭の中にifの記憶が流れ込んでくる!中学の時、ケガで空手をあきらめかけてたレン。ハルトは大丈夫だって!お前ならできる!って毎日さけんで、ムリヤリ道場に引っぱっていく。感動の再起をとげたレンは、なぜかハルトにベタぼれ!お前だけは死んでも守るとか平気で言ってくる。
ちがいはそれだけじゃない。ドラマの悪役だった生徒会長の白石アキラまでもが、ハルトに俺はお前に興味があるって急接近。どうやらifの世界では、みんなハルトの行動で人生が変わっちゃったらしい。
ちょっと待って!俺はセナとラブラブのはずじゃ…でもレンもカッコいいし、アキラ先輩も気になるし!?
さらに大問題が。ハルトの目の前で、ドラマの世界(セナといる方)とifの
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セナ、もう一つの空 〜君が選ばなかった道で〜 - 待ってた、その言葉
控え室の静けさが、やけに重く感じられた。
ハルトはソファに座り込んだまま、動けなかった。さっきまでここにいたセナは、撮影があるからとスタジオCに戻っていった。
「キミ、顔色悪いのだ」
いつの間にか、白いもふもふがハルトの膝の上にいた。まるい黒目が、心配そうにハルトを見上げてくる。
「大丈夫だって……」
言いかけて、やめた。
大丈夫なわけがなかった。
二つの世界が重なって見える。セナがいる世界と、レンが俺を守ると言った世界と。そして、俺はどっちかを選ばなきゃいけない。選ばなかった方は、消える。
(そんなの、選べるわけないじゃん)
頭の中がぐちゃぐちゃだ。
「あの写真、覚えてる? ミナトザカ神社の」
カピ丸が小さな手で、ハルトのスマホをちょんとつついた。
「歪んでたやつ?」
「そう。世界線の境界が、どんどん薄くなってる証拠なのだ。キミが迷えば迷うほど、二つの世界は近づいて、ぶつかろうとする」
「……迷うなってことかよ」
「そうじゃないのだ。ボクはただ、事実を伝えてるだけ。選択するのはキミだ」
ふわふわの体が、ハルトの膝からひらりと降りた。
「言い忘れたけど」
振り返ったカピ丸の目が、いつもより少しだけ真剣に見えた。
「境界が薄くなると、特異点はどんどん不安定になる。キミの感情が、そのまま世界を揺らすようになるのだ」
そう言うと、カピ丸は空気に溶けるように消えていった。
ハルトはスマホを手に取った。ミナトザカ神社の写真。石段が、ありえない方向にねじれている。鳥居の向こうには、黒い影。
「……不安定、ね」
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翌日。
撮影スタジオ「ハコスタ」の三階、スタジオC。
「アオハルリフレイン」映画版の撮影は、佳境に入っていた。今日は屋上セットでのシーン。ハルト演じる主人公が、親友に自分の気持ちを打ち明ける——という場面だ。
「よーい、アクション!」
助監督の声が響く。
ハルトは深呼吸した。目の前には、親友役の俳優が立っている。
「あのさ、俺……」
セリフが出てこない。
頭の中に、ノイズが走る。
——教室の風景。
——レンの顔。
——「待ってた」という声。
「……ハルト?」
相手役が、心配そうに声をかけてくる。
「カット! 白咲、どうした?」
監督の怒鳴り声で、ハルトはハッとした。
「す、すみません! もう一回!」
「……いや、ちょっと休憩入れよう。顔色悪いぞ」
監督はため息をつくと、スタッフに休憩の指示を出した。
ハルトはうつむいた。
(ダメだ、集中できない)
胸の奥がざわざわする。昨日からずっとそうだ。カメラが回ると、決まってifの記憶がちらつく。レンの顔が、声が、頭から離れない。
「調子悪いなら、無理するな」
突然、後ろから声がした。
振り返ると、黒瀬レンが立っていた。
黒くて短い髪。鋭い藍色の瞳。いつも通り、表情はあまり変わらない。でも、その声には、ほんの少しだけ心配の色が混じっていた。
「レン……お前、今日撮影じゃ……」
「通りかかっただけだ」
レンはそう言って、ハルトの隣に並んだ。長身のせいで、ハルトは少しだけ見上げる形になる。左利きのレンは、無意識に右手で自分の右ひざをさすっていた。
中学の時に怪我をした場所だ。
「最近、変だぞ。前はあんなヘマしなかった」
「……わかってるよ」
ハルトは苦笑いした。八重歯がちょこんと出る。
レンはしばらく黙ってハルトを見ていた。それから、おもむろに持っていた紙袋を差し出した。
「昼メシ、まだだろ。これでも食え」
紙袋の中には、コンビニ「ポプラート」の菓子パンがいくつか入っていた。メロンパンに、クリームパンに、焼きそばパン。
「何これ、めっちゃ買ってんじゃん! 食いきれないって!」
「好きなの選べ。残りは俺が食う」
レンはぶっきらぼうに言った。でも、耳の先がほんの少しだけ赤くなっている。
ハルトは思わず笑った。こういうところ、ifの記憶の中のレンとそっくりだ。不器用で、でも誰よりも優しい。
「サンキュ。じゃあ遠慮なく」
クリームパンを手に取る。
レンはハルトが食べ始めるのを確認すると、少しだけ口元をゆるめた。
「……昔、お前に助けられたことがあって」
ぽつりと、レンが言った。
「え?」
「……いや。なんでもない」
レンは言いかけて、口を閉ざした。何かを飲み込むように、唇をぎゅっと結ぶ。それから、
「話がある。今日の撮影の後、時間あるか」
「あるけど……」
「じゃあ、桜並木の公園で待ってる」
レンはそう言うと、足早にスタジオを出ていった。
ハルトはクリームパンをかじりながら、レンの背中を見送った。
(話ってなんだろ)
胸の奥が、また少しざわついた。
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撮影が終わったのは、夕方の四時を過ぎた頃だった。
ハルトは着替えもそこそこに、ハコスタから歩いて十五分の「桜並木の公園」へ向かった。ミナトワード地区の端っこにある、小ぢんまりとした公園だ。
桜の季節はとっくに過ぎていて、並木は青々と葉を茂らせている。
公園のベンチに、レンは座っていた。
深い藍色の瞳が、遠くの空を見つめている。風が吹いて、黒い前髪が揺れた。先端が銀色に光って、陽の光を反射する。
「待たせた?」
「いや」
ハルトはレンの隣に座った。ベンチは少しだけ冷たい。
二人の間に、沈黙が落ちた。
風が桜の葉を揺らす音だけが聞こえる。
「中学の時、俺が空手をやめたの、知ってるだろ」
突然、レンが口を開いた。
「……ああ」
知っている。
中学二年の夏。レンは練習中に右ひざの前十字靭帯を損傷した。全治六ヶ月。空手部のエースだったレンは、そのまま道場から姿を消した。
「あの時、毎日、家の前を通るやつがいた」
レンは遠くを見たまま、言葉を続ける。
「俺の家の前で、五分くらい立ち止まって、それで何もせずに帰っていく。そんなのが、一週間くらい続いた」
ハルトの胸が、ぎゅっと締め付けられた。
「……それ」
「お前だよ、ハルト」
レンが、初めてハルトの目を見た。
藍色の瞳が、夕日を受けて紫がかっている。
「お前、俺の家の前まで来て、でも声をかけなかった。……なんでだ?」
レンの声は、責めているようで、でもどこかさみしげだった。
ハルトは言葉に詰まった。
なんでだ——。
わかってる。
怖かったからだ。
怪我で落ち込んでいるレンに、なんて声をかけていいかわからなかった。「大丈夫か?」なんて、軽々しく言えなかった。「頑張れ」なんて、もっとひどい。何もできない自分が、ただただ情けなくて、だから、いつも逃げ出した。
「俺、あの時——」
言いかけた瞬間だった。
ズドン。
頭の中に、何かが流れ込んできた。
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——映像。
場所は、古い空手道場。壁にヒビが入っていて、裸電球が一本だけぶら下がっている。
そこに、中学二年のレンがいた。
右ひざに包帯を巻いて、道場の隅で膝を抱えている。目はうつろで、何も見ていない。
「……もう無理だ。空手なんてできねえ」
声が震えている。
その時だ。
ガラガラガラ!
道場の扉が勢いよく開いた。
「レン!」
立っていたのは、ハルト自身だった。
ちょっと茶色がかった髪の、寝ぐせが立った中学生のハルトが、肩で息をしながら立っている。
「……ハルト? なんで——」
「来るに決まってんだろ! お前が道場に来ないから、俺が来た!」
ハルトはずかずかと道場に上がり込むと、レンの腕を引っ張った。
「立て! レン!」
「やめろよ! 俺の脚は——」
「まだ治ってないだけだろ! 諦めるの早すぎんだよ!」
「何も知らないくせに!」
レンが初めて声を荒らげた。涙がにじんでいる。
「お前に、俺の何がわかるんだよ! 空手が全部だったんだ! それができなくなって——」
「わかるよ!」
ハルトは叫んだ。
「お前がどれだけ空手に賭けてたか、俺は知ってる! 毎日道場に残って練習してたの、見てた! 誰よりも努力してたの、知ってる! だから——」
ハルトはレンの肩を両手でつかんだ。
「大丈夫だって! お前ならできる! 俺がずっと見てるから! 毎日来るから! だから、諦めるな!」
レンは、呆然とハルトを見上げた。
涙が一筋、頬を伝う。
「……毎日?」
「毎日だ! 約束する!」
ハルトは真っ直ぐにレンの目を見ていた。
その瞳が、あまりにも真剣で、バカみたいに熱くて、レンは思わず小さく笑った。
「……わかったよ。そこまで言うなら」
————
映像が切り替わる。
次の日。また次の日。
ハルトは本当に毎日、レンの家に通った。
道場に引きずっていき、包帯を巻いた脚を見ながら、大丈夫だって! と叫び続ける。レンは最初、迷惑そうにしていた。でも、だんだんと道場に立つ時間が長くなって、そして——。
「見ろよ、ハルト!」
大会の決勝戦。
レンが相手を倒し、主審が勝ちを宣言する。
初めての優勝だった。
レンはそのまま、コートの外にいたハルトのところに走ってきて、抱きついた。
「ありがとう……ありがとう、ハルト!」
涙と汗でぐちゃぐちゃの顔で、レンが笑う。
ハルトも笑って、レンの背中を叩いた。
「だから言ったじゃん! 大丈夫だって!」
そして——
レンの心の奥底で、何かがはっきりと形になった瞬間。
(こいつだけは、何があっても俺が守る)
それは信頼で、友情で、そして——恋だった。
ハルトに向けるレンの瞳が、その日を境に、少しだけ熱を帯びるようになった。
———
映像が途切れた。
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「……ハルト?」
気がつくと、ハルトは涙をこぼしていた。
桜並木の公園のベンチで、ハルトは一人、震えていた。
「ごめん、レン……ごめん……」
声がうまく出せない。
(俺は、ifの世界では、レンのそばにいたのに)
(正史世界の俺は、怖がって、逃げた)
同じ自分なのに、全然違う。
ifの世界の自分の方が、ずっとずっと、まっすぐで、強い。
そんな自分が、今の自分と同じ人間だなんて、信じられなかった。
「……今のお前」
レンが、静かに口を開いた。
「俺の知ってる白咲ハルトじゃない」
「え——」
ハルトは顔を上げた。
レンの藍色の瞳が、まっすぐにハルトを貫く。その目は、冷たいわけじゃない。むしろ、心配と、少しの寂しさが混ざっていた。
「俺の知ってる白咲ハルトは、あの時、俺の家の前で立ち止まって、それでも声をかけられなかったバカだ。でも、ずっと迷ってたのも知ってる。お前は来たんだ。声をかけられなくても、あの場所まで来た。お前なりに、精一杯」
「レン……」
「今のお前は、何かに押しつぶされて、自分を見失ってる。……俺にはわかる」
レンは立ち上がった。
「撮影に戻るぞ。監督がうるさい」
「待てよ! 今の、どういう意味——」
「言葉通りの意味だ」
レンは振り返らずに歩き出した。
ハルトも立ち上がり、その背中を追う。
二人で歩く、マリーナ通り。
東京湾に沈む夕日が、海を真っ赤に染めていた。
波の音が遠くで聞こえて、潮の匂いが風に混ざる。
「……俺が知ってる白咲ハルトは」
前を歩くレンが、ぽつりと言った。
「落ち込んでるやつがいたら、放っておけないバカだ。自分がどう思われるかとか、ぜんぜん考えないで、大丈夫だって! って叫び出す。それが、俺の知ってるお前だ」
「それって褒めてるの?」
「わからん」
レンが少しだけ振り返った。口元が、ほんの少しゆるんでいる。
その瞬間——
ぐにゃり。
世界が、歪んだ。
「……え」
レンの隣に、もう一人のレンが立っている。
同じ顔。同じ黒い髪。同じ藍色の瞳。
でも、少しだけ違う。
もう一人のレンは、こっちをまっすぐに見つめて、はっきりとした声で言った。
「お前だけは、死んでも守る」
ifの世界のレンだ。
その瞳には、正史世界のレンが隠している熱い想いが、あふれそうなほどに満ちていた。
ハルトは立ち止まった。
夕日を背に、二人のレンが立っている。
正史世界の、不器用で無口なレン。
if世界の、真っ直ぐで熱いレン。
二人が、同時にハルトを見つめて——
「待ってたんだ」
どちらの声か、わからなかった。
二人の声が、ぴったり重なって聞こえた。
「お前が、俺に声をかけてくれるのを」
その瞬間、二重写しのレンがすっと消えた。
残ったのは、いつものクールなレンだけ。
「……行くぞ」
レンは何事もなかったかのように、また歩き出す。
ハルトは、心臓がドキドキと脈打つのを感じていた。さっきまで流れていた涙は乾いていたけど、胸の奥のざわつきは、むしろもっと大きくなっている。
(今の……どっちのレンの言葉だ?)
ふと、スマホが震えた。
ポケットから取り出すと、いつの間にかカピ丸が画面の中にいた。
「ハルト! 神社の写真、また変なのだ! 歪みが、前の三倍になってる——」
カピ丸の声は震えていた。
「歪みが大きくなってる? それって——」
「境界が、もっと薄くなってる。このままだと、十八日も待たずに、二つの世界がぶつかるかもしれないのだ」
「ちょ、ちょっと待てよ! 満月まであと十七日だろ!?」
「キミが迷えば迷うほど、世界は不安定になる。さっきも言ったはずなのだ!」
ハルトはスマホを握りしめた。
目の前を歩くレンの背中。
さっきまで一緒にいたセナの笑顔。
二人の顔が、頭の中でぐるぐる回る。
(選べって、そんなの——)
「キミの心が、世界を揺らす。忘れちゃダメなのだ」
カピ丸の声が、やけに遠くに聞こえた。
夕日が、海の向こうに沈もうとしている。
マリーナ通りを、海からの風が吹き抜けていった。
ハルトは、一歩も動けなかった。Noveliaとは?
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