セナ、もう一つの空 〜君が選ばなかった道で〜
大ヒット青春ドラマの主人公、白咲ハルト。彼は親友で空手部のエース、黒瀬レンのことが気になって仕方なかった。
ドラマでは、幼なじみの空澄セナと結ばれるハッピーエンド。でも、現実のハルトはもし、あの時レンと話していたら…って考えちゃう。ある日、撮影の合間にセナがこっそり教えてくれた。レンくんね、本当はハルトに助けてほしいことがあったんだってって。
それを聞いた瞬間、ハルトの頭の中にifの記憶が流れ込んでくる!中学の時、ケガで空手をあきらめかけてたレン。ハルトは大丈夫だって!お前ならできる!って毎日さけんで、ムリヤリ道場に引っぱっていく。感動の再起をとげたレンは、なぜかハルトにベタぼれ!お前だけは死んでも守るとか平気で言ってくる。
ちがいはそれだけじゃない。ドラマの悪役だった生徒会長の白石アキラまでもが、ハルトに俺はお前に興味があるって急接近。どうやらifの世界では、みんなハルトの行動で人生が変わっちゃったらしい。
ちょっと待って!俺はセナとラブラブのはずじゃ…でもレンもカッコいいし、アキラ先輩も気になるし!?
さらに大問題が。ハルトの目の前で、ドラマの世界(セナといる方)とifの
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セナ、もう一つの空 〜君が選ばなかった道で〜 - 引きこもりと光る写真 — もう消えてしまいたい
部屋は、ずっと暗かった。
カーテンは閉めきったままだ。
厚手の布が外の光を拒んで、昼も夜もわからない。
空気はよどみ、汗とカップ麺のにおいが混ざっている。
コウナンハイツ、七〇三号室。
白咲ハルトの六畳の部屋。
壁には中学時代の集合写真が貼ってある。
真ん中で笑う自分と、その隣で少し不機嫌そうなレン。
今はそれを見るのもつらくて、ハルトはずっと布団を頭からかぶっていた。
スマホが震える。
ブブブ、と枕の下でくぐもった音。
ハルトは手探りでスマホを掴むと、画面を一瞥した。
セナ。
『会いたい。話をしよう』
レン。
『返事しろ。待ってる』
アキラ。
『逃げるな。向き合え』
三つの名前が、画面の上で光っている。
未読のままのメッセージが、もう何十件も溜まっていた。
ハルトはスマホを伏せて、枕の下に押し込んだ。
「……うるせえんだよ」
声はかすれて、自分でも聞き取れないほどだった。
(いつからだっけ)
七日前――スタジオCで、世界が壊れ始めたあの日から。
セナもレンもアキラも、みんな俺の目の前で揺らいで、消えそうになって。
俺が選ばないから、みんなが消える。
そう言われた。
(俺が選ばないから)
(俺が、優柔不断だから)
だから撮影は中断。映画版も中止かもって。
スタッフがバタバタと撤収していく中、俺は一人でスタジオに座り込んで。
それから、ここに帰ってきて、ずっとこのまま。
ママは看護師で、夜勤ばかりだから、家にはほとんどいない。
(ひとりだ)
そう思うと、胸の奥がぎゅっと狭くなった。
冷蔵庫には、もう何もない。
最後のカップ麺は昨日食べた。ていうか、一昨日かも。
日付の感覚も、もうあやしい。
時間はあるのに、何もできない。何もしたくない。
ハルトは目を閉じた。
――七歳の冬。
病院の廊下。
消毒液のにおい。
真っ白な蛍光灯の光が、チカチカと瞬いていた。
ママが泣いてた。
大人なのに、子どものみたいに、声をあげて泣いてた。
周りには親戚が何人もいて、みんな困った顔でママを見てた。
パパが死んだ日だった。
仕事の事故だった。帰ってこなかった。
白い布をかけられたパパの顔は、なんだかろう人形みたいで。
ハルトは七歳だった。
でも、なんとなくわかってた。
もうパパは帰ってこない。ママは一人になっちゃった。だから、自分がしっかりしなきゃって。
だから、ママのそばに走って行って、泣きじゃくる背中を叩いた。
「大丈夫だって!俺がいるじゃん!」
自分だって泣きたかったのに。
パパがいなくなって、寂しくて怖くて、でも。
(俺が笑わなきゃ)
(俺が、ママを元気にしなきゃ)
それが、無理して笑うようになった最初の記憶だった。
葬式の日、親戚のおばさんたちが言ってた。
『かわいそうに』
『お父さんがいなくて』
『これから大変ね』
その目が、ずっと嫌だった。
かわいそうって言われるたびに、パパを失ったことを思い出す。
だからハルトは、もっと笑った。
もっと明るく、もっと元気に。
そうすれば、みんな安心するから。
(もう、あんな思いはしたくない)
ハルトは、ぎゅっと布団を握り締めた。
セナ。レン。アキラ。
みんな大事だ。みんな好きだ。
でも、誰かを選べば、他の誰かを永遠に失う。
まるで、あの日パパを失ったみたいに。
「選べるわけ、ないじゃん……」
ハルトの声が、暗い部屋に吸い込まれていく。
(誰も選べない)
(なら、俺が)
「消えればいいのかな」
口に出した瞬間、すとん、と胸の奥に落ちた。
そうだ。俺が消えれば、誰も傷つかない。
誰も選ばなくていい。
セナもレンもアキラも、俺のせいで消えたりしない。
みんな、助かる。
「……そっか」
(なんだ、簡単じゃん)
そう思った時。
――ピカッ。
枕の下で、光が走った。
「え――」
ハルトはとっさに飛び起きた。
枕をどけると、スマホの画面が――ありえないほど強く、白く光っている。
手に取ることもできない。まぶしすぎて、目を開けていられない。
光はどんどん強くなって、部屋中を真っ白に染めた。
そして、壁に。
カーテンを閉めたままの、暗いはずの壁に。
鳥居が、浮かび上がった。
石段が百八段。
ミナトザカ神社の、あの歪んだ写真だ。
でも、今度は写真じゃない。
壁一面に実物大で、まるで生きてるみたいに、ぐにゃりぐにゃりと歪みながら投影されている。
鳥居の向こうの闇が、深く、深く、底なし沼みたいに口を開けて。
その奥で――人影が、動いた。
「うわあああっ!!」
ハルトはスマホをベッドに投げ捨てた。
ガツン、と壁に当たって床に落ちる。
それでも光は消えない。壁の鳥居は、むしろ大きく、ハッキリと形を成していく。
人影が、こっちを見ている。
鳥居の向こうから、こっちを。
パニックだった。
ハルトは後ずさって、背中を壁にぶつける。
(なんだこれなんだこれなんだこれ!!)
その時――。
ガラッ!!
ベランダの窓が、勢いよく開いた。
「ハルト! やっと見つけた! もう勝手に消えようとしないでよ!!」
白くてふわふわの、手のひらサイズの生き物が飛び込んできた。
そのまま一直線に、ハルトの頭に飛びつく。
ぽすん。
黒くて丸い大きな目が、涙でうるんでいる。
「カピ、丸……?」
「そうだよ! 一週間も姿消しちゃって、どれだけ心配したと思ってるんだ!」
カピ丸はハルトの頭の上で、ぷんぷんと怒っていた。
片方の小さな手には、なぜかメロンパンが握られている。
ハルトがポカンとしていると、カピ丸はハルトの肩に飛び移り、枕元にお行儀よく座った。
「ボクね、キミを探してスタジオ中飛び回ったんだよ。それから、マリーナ通りも、神社も、街中も。時計係が特異点を見失うなんて、本来あっちゃいけない失態なんだからね」
カピ丸はそう言って、メロンパンを一口かじった。
「お前、そのメロンパンどこで……」
「コンビニのメロンパン自販機の前で、優しそうな女の子が落としたやつを拝借した」
「それ、完全に拾っただけじゃん」
「細かいことはいいのだ。それよりも、これ、やばい」
カピ丸が短い手で指さす先――壁に投影された鳥居の歪み。
人影は、さっきよりもはっきりしていた。
「写真が光ったでしょ。これは、境界の閾値が決定的に超えちゃったってこと。あと二日、満月の夜には、これが部屋全体を飲み込む」
「飲み込むって……」
「文字通り、世界の融合が始まるってこと。もう、キミの選択を待ってる時間はない。選ばなければ、セナの世界も、レンやアキラのいるif世界も、ぐちゃぐちゃに混ざって消滅する」
まただ。
選べ、選べって、みんな俺に――
「……俺が、消えればいいんだろ」
「ハルト?」
「選べないよ。誰かを失うくらいなら、俺がいなくなる方がいい。誰も傷つかない。それで全部、丸くおさまるじゃん」
ハルトは自嘲気味に笑った。
八重歯が、乾いた唇の端で引っかかる。
部屋が静かになった。
壁の歪みが、ぐにゃり、と蠢く音だけが聞こえる。
カピ丸は、しばらく黙っていた。
それから、小さな手に持ったメロンパンを、もう一口かじった。
「キミはさ、ボクが宇宙に3匹しかいない時計係だってこと、覚えてる?」
「……覚えてるよ」
「時計係はね、世界線の時間を監視して、管理するのが仕事なんだ。だから、一つの世界線に一匹しかいなくて。接触できるのも、特異点だけ」
カピ丸は、大きな黒い目をハルトに向けた。
光を受けて、目の中で星がキラキラ瞬いているみたいだった。
「ボクは三百年、ずっと一人だったんだよ」
「……三百、年」
「うん。他の時計係は、別の次元の、別の世界線にいる。会うことも話すこともできない。世界線は干渉しちゃいけない決まりだからね。だから、ずっと一人。誰かと話すことも、誰かに触れることも、誰かに名前を呼ばれることもなかった」
カピ丸は口の周りをメロンパンのカスだらけにして、飄々とした口調で続ける。
「でもね、ボクはサボりがちなダメな時計係でね。本当は特異点に近づいちゃいけないんだ。選択に干渉しちゃいけない。なのに、キミの控え室にあったメロンパンを見つけちゃってさ。それで、つい」
「メロンパンがきっかけだったのかよ」
「うん。ボク、あれが大好きで。でもそれ以上にね、ハルトと話がしたかったのかもしれない」
カピ丸の声が、少しだけ寂しそうに響く。
「三百年前、前任の時計係から仕事を引き継いだ時、言われたんだ。『誰かを想うことは、自分を大事にすることの裏返しだ』って。当時は意味がわからなかった。でも、キミを見てて、わかった気がする」
「……どういうこと?」
「キミは誰も傷つけたくない。セナもレンもアキラも、みんな幸せになってほしい。でもね、自分が消えることを選ぶってことは、そのみんなを永遠に悲しませることなんだよ。自分を大事にできない人は、誰かを本当に大事にすることはできない。だから、誰かを想うなら、まず自分を大事にしなきゃいけないんだ」
ハルトは、息を呑んだ。
(自分を大事に)
(俺は、自分を大事にしてたか?)
パパが死んでから――七歳から、ずっと。
ママのため。誰かのため。
自分が笑えばみんなが安心するから、ずっと笑ってた。
自分の気持ちは、ずっと後回しにしてきた。
「……俺」
何かが、胸の奥で熱くなった。
じわりと、熱いものがこみ上げてくる。
そして、ハルトは気づく。
父の葬儀の日、自分が言った言葉。
『大丈夫だって!俺がいるじゃん!』
あれはママに言ったんじゃない。
あれは――自分自身に言ってたんだ。
(大丈夫だって)
(俺が、大丈夫だって)
怖くて、寂しくて、泣きそうで。
だから、自分に言い聞かせてた。
あの日からずっと、自分を励まし続けてたんだ。
「俺……俺、消えたいなんて言って、ごめん……」
涙が、ハルトの頬を伝った。
ぽろぽろと、布団に落ちて、染みを作る。
自分のことを大事にできてなかったのは、俺だった。
誰かを想う前に、自分のことを嫌いになってた。
カピ丸は、ふわりと飛んで、ハルトの膝の上に乗った。
「うん。ボクもね、誰かに選ばれたかった。三百年、ずっと一人で、キミみたいな特異点に会うのを何百年も待ってたんだ。だからキミが消えるって言った時、すごく悲しかった。ボクは、キミにいてほしい」
「カピ丸……」
その時。
――キィィィン……。
高い金属音が、部屋に響いた。
壁の鳥居の歪みから、一条の光が漏れ出したのだ。
光はまっすぐに伸びて、床に落ちたスマホの画面を指している。
画面が、勝手に明るくなって――写真が、自動でスクロールしていく。
ミナトザカ神社の写真。
歪んだ鳥居。
人影。
そして、その写真の奥。
今まで気づかなかった、小さな光の点。
それが、画面いっぱいに広がって。
――並列固定の座標が浮かび上がった。
数字と記号の羅列。
世界線の境界領域への入り口を示す、地図。
「え、なにこれ――」
「これは……時計係の禁断の記述だ!」
カピ丸が素っ頓狂な声を上げた。
「禁断の記述?」
「そう! 二つの世界線を、完全に分離するんじゃなくて、安定した並列状態で固定する方法だ! そんなの、伝説だと思ってた! 先代の時計係から聞いたことあるけど、実際に成功した事例は一度もないって――」
「ってことは、選ばなくてもいいってこと!? セナの世界も、レンやアキラの世界も、両方残せるってこと!?」
ハルトは前のめりになった。
「……わからない。でも、理論上は可能なはず。ただ、境界領域に行くには、特異点が自分の選択を超えて、本当に『両方を守りたい』と決意しないと入れない場所だ。それを選べるのは、キミだけだ」
壁の鳥居の歪みは、ゆっくりと形を変え始めている。
まるで、何かに誘うように。
「満月まで、あと二日」
ハルトは立ち上がった。
足はまだ震えている。
髪はボサボサで、寝癖がぴんと立っている。
顔は涙と脂でぐちゃぐちゃで、とても主演俳優の顔じゃない。
でも。
目に、光が戻っていた。
「カピ丸。俺、行くよ。どっちも選ばない。どっちも守る。選べなんて言われる筋合いはない。俺が、どっちも大事なんだから」
それは、七日前の俺には言えなかった言葉。
誰も傷つけたくなくて、でも何もできなくて、布団をかぶって耳を塞いでた。
でも今は。
(大丈夫だって)
自分のために、そう思えた。
カピ丸は、ハルトの肩に飛び乗って、声を弾ませた。
「よし! それじゃあ決まりだ! 急がないと、満月の夜に間に合わないよ。ミナトザカ神社に行こう。鳥居の向こうが、境界領域への入り口だ」
「ちょっと待って! まだ準備が――」
「時間がないのだ! あ、でもその前に、道中のメロンパンだけ確保してからにしよう」
「そういうとこだぞ、お前!」
ハルトは、久しぶりに声を出して笑った。
スマホには、まだ三つの名前が光っている。
今はまだ、返事はできない。
でも。
(待ってろよ、みんな)
(俺が、必ずどうにかする)
ハルトはカーテンを開けた。
部屋に、久しぶりの朝日が差し込む。
遠くに見えるミナトザカ神社の森が、金色の光に包まれていた。
壁の鳥居の歪みは、もう消えている。
でも、スマホの画面には、境界領域への座標がはっきりと残っていた。
そして、床に転がったメロンパンの最後のひとかけらを、カピ丸が幸せそうに頬張っている。
白咲ハルトは、小さく深呼吸をした。
満月まで、あと二日。
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