時をかける猫 全10話 ―時間の隙間を、猫だけが知っている― - 忘れ物:それは、ベルだけじゃなかった
達也の家の前を、もう三回通っていた。表札のない家、伸びた庭木。誰も住んでいないのに、まだ取り壊されていない。
四回目に通ったとき、庭の隅に何か光るものがあった。涼太は自転車を止めて、柵の隙間から覗いた。
自転車のベルだった。錆びて、もう鳴らないだろう。柵の外からは届かない位置にある。
涼太は柵を回り込んで、庭の隙間から手を伸ばした。指先がベルに触れた瞬間、空気が変わった。
***
庭木が低い。今より、ずっと若い木だった。家の中から、テレビの音がする。
達也が、玄関先で自転車にベルを取り付けていた。今より若い達也だ。
「お前、また来たのか」
達也はベルを取り付けながら、涼太の方を見ずに言った。
「来たのかって、お前が呼んだわけじゃないだろ」
「呼んでないけど、なんか、お前がいる日って分かるんだよな」
達也はベルを軽く鳴らした。チリン、と小さな音がした。
「明日、家族会議があるんだ」
涼太は黙っていた。家族会議が何の話か、もう知っていた。
「親父の仕事、決まったら、すぐ引っ越すことになると思う」
「もう、決まってるみたいに言うな」
「決まってるよ。たぶん」
達也はベルから手を離して、立ち上がった。
「お前、最初に会ったときから、あんまり驚かないよな」
「何が」
「俺がいつ来るか分かってる、みたいな顔してる」
涼太は何も言えなかった。確かにそうだった。涼太には、達也がどの時間の達也なのか、いつも先に分かってしまう。
「お前にだけは、言っとこうと思って。誰にも言ってないんだ、これ」
「なんで俺に」
「分からん。なんとなく、お前には言ってもいい気がする」
達也は自転車に跨って、ベルを一度だけ鳴らした。
「俺、引っ越したくないんだよ。本当は」
「なら、言えよ。親父に」
「言ったよ。聞いてくれなかった」
達也はそう言って、自転車を押して、家の中に戻っていった。ベルだけが、玄関先に置かれたままだった。
風が吹いて、テレビの音が遠くなった。
***
涼太は柵の外に立っていた。庭は伸びた木のままで、家は誰も住んでいない。手には、錆びたベルが残っていた。
涼太はそのベルを、しばらく見ていた。柵を越えた覚えがないのに、ベルは手の中にあった。なぜ越えずに済んだのか、説明しようとして、うまくできなかった。
その夜、涼太はスマホを開いて、達也の名前を探した。連絡先は、まだ残っていた。一年間、一度も開いていなかった。
何を書くべきか、長い間決まらなかった。結局、こう送った。
「ハル坂の猫、まだいるよ」
返信は、すぐには来なかった。涼太はスマホを置いて、ベルを机の上に置いた。錆びていても、軽く振れば、まだ小さな音がした。Noveliaとは?
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