花芽なずなは、嘘がつけない
花芽なずなは、人気Vtuberグループ「Eclipse Palette」の清楚ピュアなアイドル。しかし彼女には誰にも言えない秘密があった。グループメイトである、派手なギャル系Vtuber、カナメ・グレースに、本気でどうしようもなく恋をしているのだ。
コラボ生配信中、なずなはうっかり本音を漏らしてしまう。冗談ではなく、真っ赤な顔で涙を流しながら、何千人もの視聴者の前で「カナメちゃんが好きです!」と告白してしまったのだ。チャット欄は大炎上。しかし、怒りの声ではなく、ファンたちは大興奮。「ガチ百合配信キター!」「清楚アイドル×ギャルは神ってる!」
本当の厄介事はファンではなかった。目ざとい事務所マネージャー、黒鉄エリナが激怒しているのだ。「契約違反だ! タレント同士の恋愛は厳禁だぞ!」と彼女は吠える。なずなは謝罪配信を命じられてしまう。
しかし、なずなの想いは間違いなんかじゃなかった。いじめられっ子だった幼い頃、近所に住む年上の女の子にいつも助けられていた。その女の子こそが、今のカナメ・グレースだったのだ。初めてのコラボ配信で、なずなはすぐに彼女だと気づいた——それは、ずっと探し続けて
花芽なずなは、嘘がつけない - 初恋は逃げても追いかける!深夜配信で見つけたギャルの素顔
会議室「スペクトル」でのあの日から、もう三日が経った。
カナメ・グレースは、ぱったりとなずなの前から姿を消した。事務所の廊下ですれ違うこともなければ、メッセージアプリの既読もつかない。まるで、最初からこの世界に存在しなかったみたいに。
なずなは自宅アパート「コーポ・ハナミズキ」の小さな部屋で、膝を抱えて座っていた。
部屋の主である白い猫のもちが、心配そうに彼女の足にすり寄ってくる。ふわふわの毛が、素足をくすぐった。
「もち……あたし、嫌われちゃったのかな」
「にゃあ」
もちは答えるみたいに鳴いた。
窓の外は、鉛色の雲が低く垂れ込めている。今にも泣き出しそうな空だ。築十八年の木造アパートは、湿気を含んでかび臭かった。
壁には防音パネルが貼ってある。配信用のマイクとモニターが、つけっぱなしで放置されていた。事務所からは「しばらく配信を自粛しろ」と命令が来ている。あの生配信ガチ告白の後処理がまだ決まっていないからだ。
(このまま、Vtuberもクビになったりして)
そんな考えが頭をよぎる。
でも、今はそれよりも。
カナメに会いたい。
その気持ちの方が、ずっと強かった。
なずなはノートパソコンを開いた。画面の明かりが、薄暗い部屋にぽっかりと浮かび上がる。彼女がここ三日間、ずっとやっていることだ。
カナメ・グレースの配信アーカイブを、片っ端から見返すこと。
「エクパレ・フライデー」のグループ配信。ホラーゲーム実況。人気Vtuberとのコラボ雑談。企業案件のPR配信。料理にチャレンジして大失敗した生放送。
どれもこれも、完璧だった。
明るくて、ノリがよくて、ちょっと下ネタも挟むけど後輩の面倒見は最高にいいギャル系Vtuber。コメント欄のノリも最高。スパチャの金額も半端ない。チャンネル登録者数は軽く八十万人を超えている。
「マジで?ウケるんだけど!」
画面の中で、カナメはいつも笑っていた。アッシュブロンドの髪を揺らして、切れ長の瞳を三日月のように細めて。
でも、見れば見るほど、なずなの胸はぎゅっと締め付けられる。
違う。
これ、全部、演技だ。
カナメが本当に笑ってる顔を、なずなは知ってる。あの事務所の会議室で一瞬だけ見せた、苦しそうな表情。自分には愛される資格がないって、泣きそうになってた、あの顔。
(カナメさん、今、どこで一人で泣いてるんだろう)
そう思うと、いてもたってもいられなかった。
なずなは、アーカイブをひたすらスクロールし続けた。三年前、二年前、一年前、半年前。日付をどんどん遡っていく。目がしょぼしょぼしてきた。画面の青い光が目に刺さる。
もう、ほとんどやけくそだった。
何か。
何か、ないの?
カナメさんの、本当の姿がわかるような、何か。
その時だった。
視聴履歴の一番奥、ページの隅っこに埋もれるようにして、一本の動画が表示された。
タイトルは「深夜の雑談」。
サムネイルには、いつもよりずっと暗い照明の部屋で、うつむき加減に座っているカナメのアバターが映っている。
再生時間。
18分。
公開日付は、一年前の冬。そして何より、なずなの目を引いたのはそのステータス表示だった。
「非公開」
事務所の公式チャンネルには載っていない。検索にも引っかからない。誰かの外部アーカイブサイトにだけ、ひっそりと残っていたゴーストデータだ。
なずなは、震える指で動画をクリックした。
ザーッ、と低いノイズが流れる。
画面の中で、カナメはじっと黙っていた。いつものギャル口調ではない。無言。ただ、アバターの目だけが、どこか遠くを見ていた。
「……あー、やっぱ消そっかな」
カナメの声がした。
小さくて、弱々しくて、まるで独り言みたいな声。
「私、誰かにとっての一番になれる資格なんて、きっとないんだよね」
なずなの心臓が、ドクンと跳ねた。
これだ。
これが、カナメさんの、本当の声だ。
「誰かを好きになるたびに、その人を傷つけてばかりでさ。だから、もういっそ自分から消えちゃおうかなって、何度も思うんだよね」
カナメは、小さく笑った。
でも、それは絶対に、笑ってなんかいなかった。顔のパーツは笑顔のモーションをトレースしているのに、声は今にも消え入りそうで。
「ああ、やばい、何言ってんのか分かんないね。今のナシ! 消すから! 絶対消すから!」
突然、いつものギャル口調に戻るカナメ。でもその声は息切れしていて、無理して大声を出してるのが痛いほど伝わってきた。
プツン。
動画はそこで終わった。
なずなは、ヘッドホンを外した。耳の奥で、カナメの「資格なんてない」という声がぐるぐる回っている。
「にゃー」
もちが、また足にすり寄った。
なずなは、目の奥がツーンと熱くなるのを感じた。
違う。
そんなの、絶対に違う。
あなたは、私の一番だった。十五年前のあの日、みどり公園で泣いてる私を助けてくれた、世界で一番優しいお姉さんだったんだから。
なずなは、椅子から立ち上がった。勢いよく。その拍子に膝の上にいたもちが「にゃっ!?」と驚いて飛び降りる。
「ごめん、もち! あたし、ちょっと出かける!」
なずなはパーカーをひっつかみ、スマホと家の鍵だけを握りしめた。財布はポケットにねじ込む。外は小雨がぱらつき始めている。傘を持っていく余裕もなかった。
行き先は決まっている。
世田谷区。
カナメ・グレースの自宅がある場所だ。
――もっとも、マンションの名前までは知らなかった。知っているのは最寄り駅と、「グランフォートなんとか」といううろ覚えのマンション名だけ。
それでも、じっとしてなんかいられなかった。
今すぐ、カナメに会わなきゃ。
あの人に、伝えなきゃ。
「あなたには、ちゃんと資格があるんだ」って。
電車に飛び乗った。
隣の車両からは楽しそうな若者の笑い声が聞こえてくる。夕方の帰宅ラッシュに少しだけ引っかかり、車内はそこそこ混んでいた。吊り革につかまりながら、なずなは窓の外を見つめた。
雨脚が、だんだん強くなっていく。窓ガラスを伝う水滴が、外の街灯をぼやけさせてにじませた。
(今度は、私がカナメさんを助ける番なんだ)
十五年前の光景が、まぶたの裏によみがえる。
春の日差しの中で、膝を擦りむいて泣いている自分。周りの子たちに「バイキン」って言われて、砂をかけられて。
その時、影がさした。
「何やってんの! やめなよ!」
怖いくらい大きな声だった。でも、泣いているなずなに向けた顔は、すごく優しくて。
「もう大丈夫だよ」
あの時の手は、温かかった。
あれから十五年。
今度は、私が。
そう心の中で繰り返しながら、なずなは世田谷の街に降り立った。
雨はもう、本降りになっていた。
とりあえず「グランフォート」という名前のつくマンションを、地図アプリで検索する。三件ヒットした。一件目は駅の近く。二件目は桜並木の近く。三件目は、住宅街の真ん中。
なずなは、その三件をすべて回った。
学校帰りの学生たちとすれ違い、傘もささずに走る。跳ねる水たまりの水が、ジーンズの裾を汚した。
一件目。違った。
二件目。違った。
三件目も、違った。
どの「グランフォート」も、そこにカナメの影はなかった。オートロックの扉を見上げたまま、たちんぼになる。
「はあ、はあ……」
息が上がる。雨で前髪が顔に張り付いて、視界が悪い。もう一時間半以上、あてもなく歩き回っている。夏前の生暖かい雨が、体温を容赦なく奪っていった。
住宅街の中に、誰もいない小さな公園を見つけた。
なずなは、ふらふらとその公園に吸い寄せられるように入っていった。ベンチに座り込もうとした、その時。
ギィ、ギィ……
雨音に混じって、規則正しい金属音が聞こえた。
振り返る。
公園の隅っこ。大きな桜の木の下にある、古びたブランコ。
そこに、誰かが座っていた。
雨に濡れた長い髪が、だらりと肩に張り付いている。うつむいた顔は見えない。でも、左耳の上にキラリと光るもの。カラフルなヘアピンが、何本かクロスして留めてある。
心臓が、口から飛び出しそうだった。
「……カナメ、さん」
声が震えた。
ブランコの人が、びくっと顔を上げる。
カナメ・グレースだった。
いつもの配信のアバターじゃない。化粧もしてない、すっぴんだ。アッシュブロンドの髪も、雨に濡れて色が暗く変わっている。切れ長の瞳は、まるで幽霊でも見たかのように大きく見開かれていた。
「な、なずなっち……!? 何してんのあんた、こんなとこで……」
カナメは明らかに動揺していた。ブランコから立ち上がろうとして、滑ってよろける。
「やっば、びっくりした! 偶然だねー! 世田谷に何か用事?」
まただ。
また、ギャルの仮面をかぶる。明るい声、軽い口調。でも、その声はさっき聞いた「深夜の雑談」の弱々しい独り言の方が、ずっと本物だった。
なずなは、カナメの前に立ちはだかった。
両手を広げて、逃げ道をふさぐ。自分より十センチも背の高いカナメを見上げる姿勢になった。
「知ってます」
「え? 何を」
「昨日の夜、見つけたんです。カナメさんが一年前に、すぐ消しちゃった配信。『自分には一番になる資格なんてない』って言ってた」
カナメの顔から、血の気が引いた。
見る見るうちに、唇が震え始める。
「……見たの、あれ」
「見ました」
「消したはずだし! なんで! つか、そんなの嘘だから! 配信を盛り上げるためのネタっていうか、そういうやつで、あたし、いつものテンションでやってただけで——」
「違います」
なずなは、きっぱりと言った。
「嘘つくの、向いてなさすぎですよ、カナメさん。あれは本音です」
「うっさいな! あんたに何が分かんの!?」
カナメの声が裏返った。もうギャルのノリも何もない。一人の、傷ついた二十二歳の女の子がそこにいた。
「私は、ずっと、見てきたんです。カナメさんのこと」
なずなの目から、涙がこぼれ落ちた。雨と混ざって、どっちが涙か分からない。
「十五年前、みどり公園で。あたしがいじめられてた時、助けてくれたお姉さん。あれ、カナメさんだった。覚えてますか」
カナメの目が、大きく見開かれた。
「……みどり、公園」
「あの日からずっと、あたしの一番は、カナメさんだけだった。資格とか、そんなの、私が決めます!」
なずなは、声の限りに叫んだ。雨音に負けないように、精一杯。
「私は、カナメさんのことが好きなんです! 誰かにとっての一番になる資格、あるに決まってる! だって、とっくに私の一番なんだから!」
叫び終えた後、公園に、静寂が訪れた。
雨の音だけが、ザーザーと二人の間に降り続ける。
カナメは、立ち尽くしていた。顔をくしゃくしゃにして、今にも泣き出しそうで、でも必死にこらえてる。ギャルの仮面はもう、どこにもなかった。
「……あんた、バカじゃないの」
絞り出すような声だった。
「バカで結構です」
「……私のどこがいいんだよ。私なんて、親友も裏切ったし、いっぱい嘘ついてきたし。人を傷つけるだけの、最低な女なんだよ」
カナメの目から、ついに涙がこぼれた。
ブランコの鎖が、風で揺れてギィと鳴いた。
「逃げても逃げても、結局、あんたは追いかけてくるんだな。あのガキの頃と、全然変わってない」
カナメは、自分で自分の涙を手の甲で乱暴にぬぐいながら、小さく笑った。今度こそ、本当の笑顔だった。
「……無駄なんだな。もう、逃げるの」
カナメの震える手が、そっと、なずなの手を握り返した。
雨で冷え切った指と、同じくらい冷えた指が、ゆっくりと重なる。
なずなは、握り返した。絶対に離さない、と決めて。
二人は、しばらくそのまま、雨の中で立ち尽くしていた。
言葉は、もう必要なかった。
ただ、触れ合った手のひらの温度だけが、すべてを物語っていた。
――だが。
二人は気づいていなかった。公園の入り口にある街灯の影から、一台のスマートフォンが、じっと二人の姿を写真に収めていることを。
黒い、指抜きグローブをはめた指が、シャッターボタンを押す。何枚も、何枚も。
黒曜星アリアのオッドアイが、冷たく光った。右目は深紅、左目は紫。銀色の長い髪が、雨に濡れて闇に溶ける。
彼女は、唇の端をほんの少しだけ釣り上げた。
それは笑顔なんかじゃない。もっとずっと、暗いものだ。
アリアは、無言でその場を離れた。
黒いブーツが水たまりを踏む音さえも、雨音がかき消してしまう。
やがて、日が完全に落ちて、雨が小降りになった。
なずなとカナメは、並んでブランコに座っていた。二人とも、ずぶ濡れだ。公園の水銀灯が、ぼんやりと濡れた地面を照らしている。
「……ねえ、なずなっち」
カナメの声は、随分と落ち着いていた。まだ少し鼻声だったけど、もう無理して明るく振る舞ってはいなかった。
「はい」
「もう少しだけ、ここにいて」
カナメは、なずなの手を握ったまま、自分の太ももの上に置いた。
「……昔ね、あんたと会った公園で、実はすごい後悔してたんだ。もっとちゃんと話せばよかったって。でも、勇気が出なかった。自分は最低な奴だから、あんたみたいな純粋な子と関わったらダメだって思ってた」
カナメは、そこまで言うと、照れたように小さく笑った。
「でも、こうやって隣にいられると……なんか、思ってたより悪くないなって」
なずなは、胸がいっぱいで、何も言えなかった。ただ、うなずくことしかできなかった。
しばらくの沈黙の後、カナメが立ち上がった。
「……そろそろ帰ろう。風邪ひく」
なずなも立ち上がる。握った手は、まだ離さない。
「なずなっち。明日、事務所に行く時は気をつけて」
カナメの声は、急に真剣になっていた。
「多分、エリナさんが本気で動くから。あんたを、Vtuberとして抹消しにかかるかもしれない」
「……わかってます」
「だから、無理すんなよ」
「無理なんてしません。私は、カナメさんと一緒にいたいだけですから」
カナメは、困ったように苦笑いすると、名残惜しそうに手を離した。
「……じゃあね」
「はい。おやすみなさい」
カナメは、足早に公園を出ていった。その後ろ姿が見えなくなるまで、なずなは手を振り続けた。
帰りの電車の中で、なずなはスマホを取り出した。
さっきまで全く気づかなかったが、通知欄にメッセージが溜まっている。
黒鉄エリナ。
メッセージは、九件。
最新の一件を開く。
『明日、午前十時をもって、花芽なずなの全配信チャンネルを無期限凍結します。理由は、度重なる契約第十四条違反、及び、マネージャーである私への反抗的行為のため。凍結解除の予定は、現時点では未定です』
なずなは、スマホを握りしめた。
指が、小刻みに震える。
でも、もう後悔はなかった。
今日、カナメの本音に触れた。本当の手を、握れた。だから、どんなに怖くても、これが正しかったんだって思える。
「……絶対に、負けない」
電車の窓の外では、いつの間にか雨がやんでいた。雲の切れ間から、かすかな月明かりがのぞいている。
なずなは、カナメからもらった勇気を胸に、明日への戦いを覚悟したのだった。Noveliaとは?
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