花芽なずなは、嘘がつけない
花芽なずなは、人気Vtuberグループ「Eclipse Palette」の清楚ピュアなアイドル。しかし彼女には誰にも言えない秘密があった。グループメイトである、派手なギャル系Vtuber、カナメ・グレースに、本気でどうしようもなく恋をしているのだ。
コラボ生配信中、なずなはうっかり本音を漏らしてしまう。冗談ではなく、真っ赤な顔で涙を流しながら、何千人もの視聴者の前で「カナメちゃんが好きです!」と告白してしまったのだ。チャット欄は大炎上。しかし、怒りの声ではなく、ファンたちは大興奮。「ガチ百合配信キター!」「清楚アイドル×ギャルは神ってる!」
本当の厄介事はファンではなかった。目ざとい事務所マネージャー、黒鉄エリナが激怒しているのだ。「契約違反だ! タレント同士の恋愛は厳禁だぞ!」と彼女は吠える。なずなは謝罪配信を命じられてしまう。
しかし、なずなの想いは間違いなんかじゃなかった。いじめられっ子だった幼い頃、近所に住む年上の女の子にいつも助けられていた。その女の子こそが、今のカナメ・グレースだったのだ。初めてのコラボ配信で、なずなはすぐに彼女だと気づいた——それは、ずっと探し続けて
花芽なずなは、嘘がつけない - 深夜のコランダムタワー潜入!エリナの極秘ロッカーに隠された真実
コーポ・ハナミズキの部屋に、夜の闇が溶けていた。
壁に貼られた防音パネルが、外の音をすべて吸い込んで、部屋の中はしんと静まり返っている。床に放り出されたスマホの画面が、もう一度、ぶぶぶ、と震えた。
花芽なずなは、畳の上で膝を抱えたまま、その画面を見つめていた。
涙でぐしゃぐしゃになった顔が、液晶の明かりに照らされている。さっきまで流していた涙は、もう枯れかけていた。濡れた頬が、ひりひりと痛い。
カナメからメッセージが来た。
『今からそっちに行く。話さなきゃいけないことがある』
その言葉を読んだ瞬間、なずなは玄関に飛び出していた。裸足のまま、冷たい廊下を走って、階段を駆け下りた。
でも。
外には、誰もいなかった。
街灯が、アパートの前の空き地をポツンと照らしているだけ。生ぬるい夜の風が、なずなの髪を揺らした。虫の声だけが、やけに大きく響いている。
(カナメさん……?)
いない。
どこにも、いなかった。
なずなは、もう一度スマホを見た。
間違いじゃない。確かに、カナメからメッセージが来ている。でも——今は、もう。
着信拒否。
電話をかけても、もう、繋がらない。
「……どうして」
声が震えた。
来るって言ったのに。話があるって言ったのに。それなのに、また、拒絶された。
(私、そんなに迷惑なのかな)
(カナメさんにとって、私の気持ちは、そんなに重たいものなのかな)
なずなは、アパートの壁に背中を預けて、ずるずるとしゃがみ込んだ。裸足の足の裏に、冷たいコンクリートの感触がしみる。
「……もう、何もかも終わりなんだ」
エクリプス・パレットを除名されて、カナメにも嫌われて。Vtuberとしての居場所は、完全に消えた。
この世界に、自分の場所は、もうどこにもない。
——その時。
ぶぶぶぶぶっ。
スマホが、また震えた。
なずなは、ぼんやりと画面を見た。
今度は、メッセージじゃない。着信。
画面に表示された名前は——
「氷川しずく」。
エクリプス・パレットのメンバー。清楚系Vtuberとしてデビューしたなずなの、先輩にあたるタレント。いつもはクールで、あまり自分から話しかけてくることのない人だった。
(なんで、しずくさんが……?)
なずなは、震える指で通話ボタンをタップした。
「……もしもし?」
『——なずなちゃん!? よかった、繋がった……!』
しずくの声は、いつもの冷静さとはかけ離れていた。息を切らせている。まるで、誰かに追われているような、切迫した声だった。
『私、今、事務所の裏口にいるの。時間がないから、手短に言うね』
「え、しずくさん、何を——」
『エリナさんが隠してる真実を、あなたに伝えなきゃいけないと思ったの。カナメさんの——セレスティア・ショックの、本当の加害者について』
なずなの心臓が、ドクンと跳ねた。
「どういう……こと、ですか?」
『私は、カナメさんの唯一の同期だった。セレスティア・ショックが起きた時、一番近くにいたの。カナメさんは、悪くない。あの人は、自分を犠牲にして、他のメンバーを守っただけなんだ』
しずくの声が、早口にまくしたてる。
『本当の情報漏洩者は——桐生っていう、事務所の男性マネージャー。彼が、私的な恨みで、ルナティック・サークルの内部情報を曝したの。でも、その事実は揉み消された。エリナさんが、すべてを隠蔽したのよ』
「……そんな」
なずなは、言葉を失った。
カナメは、悪くなかった。
カナメは、自分を犠牲にして、みんなを守っていた。
『エリナさんのオフィスにある、私物ロッカーに、当時の内部調査資料が封印されてる。パスワードは——私、前に偶然見ちゃったんだけど、カナメさんの誕生日だったはず。四月十七日。0417。エリナさんは、カナメさんを守るために、真実を隠したの。歪んでるけど、あの人なりに、カナメさんのことを……』
——プツッ。
通話が、突然切れた。
「しずくさん!?」
なずなは、スマホに叫んだ。でも、もう、応答はない。
カナメは、悪くなかった。
エリナは、真実を隠していた。
すべてを裏付ける証拠が、コランダムタワーの、エリナのロッカーの中にある。
(私——)
なずなは、スマホを握りしめた。指先が震えている。さっきまでは絶望で冷たくなっていた指先に、今は、熱い血が通っている。
(行かなきゃ)
なずなは、裸足のまま立ち上がった。部屋に戻ると、クローゼットを開けて、黒いパーカーを引っ張り出す。フードを深くかぶって、顔を隠した。まるで、泥棒みたいな格好だった。
「にゃあ」
もちが、心配そうに鳴いた。
「もち、ちょっと出かけてくる。いい子にしててね」
なずなは、もちの頭をそっと撫でた。そして、スマホだけを握りしめて、夜の闇の中に飛び出した。
——
午前一時。
渋谷の街は、スクランブル交差点ですら、人通りがまばらになっていた。深夜の静けさが、街を包んでいる。
コランダムタワーは、巨大な黒い影のように、夜空にそびえ立っていた。十八階建ての窓は、ほとんどが暗く、月の光を鈍く反射している。正面玄関の自動ドアは閉ざされ、中からは微かなセキュリティライトの明かりが漏れるだけだった。
なずなは、タワーの周囲をぐるりと回った。
心臓が、口から飛び出しそうなくらい、バクバクと鳴っている。
(裏口……清掃業者用の入り口……どこ?)
しずくは言っていた。『清掃業者用の裏口が、時々開いてる』と。
なずなは、ビルの裏側に回った。
そこには、小さな鉄製のドアがあった。正面の豪華なエントランスとは違い、無機質で、目立たないドア。そのドアノブに、そっと手をかける。
——ガチャリ。
(開いてる……)
心臓が、もっと大きく跳ねた。
なずなは、周りに誰もいないことを確認してから、その隙間に体を滑り込ませた。ドアを閉めると、外の世界の音が、ぷっつりと途切れる。
完全な静寂。
ビルの中は、ひんやりとした空気で満たされていて、消毒液のような、かすかな匂いがした。長い廊下の先に、非常灯の緑色の明かりが、ぼんやりと浮かんでいる。
(十二階……エリナさんのオフィス)
なずなは、息を潜めて、階段に向かった。一歩踏み出すたびに、スニーカーのゴム底が、床にきゅっ、と小さく鳴る。その音さえも、やけに大きく感じられて、背中に冷や汗が伝った。
階段を上る。
一段、一段、まるで死刑台に上るような気分だった。
三階に着いた時。
——ドス、ドス、ドス。
上から、規則正しい足音が聞こえてきた。
警備員。
なずなは、とっさに三階の廊下に飛び出し、一番近くのドアを開けた。
「トイレ」。
個室に駆け込み、ドアを閉めて、鍵をかける。息を殺して、便座の上にうずくまった。
ドス、ドス、ドス。
足音が、近づいてくる。
三階の廊下を通り過ぎ——そして、再び、遠ざかっていった。
(……はぁーーーー)
なずなは、肺の中の空気を、全部、吐き出した。足が震えている。手も震えている。
(私、今、とんでもないことしてる……)
犯罪。
立派な犯罪だ。
でも。
(カナメさんのために、捕まるわけにはいかない!)
なずなは、震える自分の両手を、ぎゅっと握りしめた。
(私は、カナメさんが、間違ってなかったって証明するんだ。みんなに、本当のことを知ってもらうんだ)
決意が、怖さを少しだけ上回った。
なずなはトイレを出ると、再び、階段を上り始めた。
九階、十階、十一階——そして、十二階。
プリズムゲート・プロダクションのフロア。
昼間はあんなに騒がしいオフィスが、今は、墓場のように静まり返っている。デスクの上に置かれたモニターの待機電源が、無数の小さな赤い目みたいに、闇の中で光っていた。
エリナのオフィスは、フロアの一番奥だった。
なずなは、足音を立てないように、慎重に歩く。
オフィスのドアは、開いていた。
エリナのデスクの上には、三面のモニターが鎮座している。今は、すべて黒く沈んでいた。その横に——背の高い、グレーのスチール製のロッカーが、ポツンと置かれている。
私物ロッカー。
なずなは、ロッカーの前に立った。
鍵は、かかっていなかった。
(ここに……真実が)
震える指先で、ロッカーのハンドルに触れる。ひんやりとした金属の感触が、指先から伝わってきた。
ダイヤル式の小さな鍵。
なずなは、ダイヤルに指をかけた。
カナメの誕生日は、四月十七日。
「……0、4、1、7……」
カチリ。
鍵が、開いた。
ロッカーの扉を開ける。蝶番が、かすかに軋んだ。
中には、整然と並べられたファイルが何冊かと、タブレット端末。そして、その一番上に——
『セレスティア・ショック 内部調査報告書【極秘】』
と印字された、厚いファイルが置かれていた。
なずなは、そのファイルを手に取った。
ずしりと重い。
まるで、ここに封印されてきたカナメの三年間分の苦しみが、そのまま重さになったみたいだった。
ページを開く。
『情報漏洩経路の特定について』
『被疑者A:カナメ・グレース(当時)からの聞き取り調査』
報告書には、カナメが何度も何度も「自分がやりました」と証言した記録が、事務的に綴られていた。でも、その証言には矛盾が多すぎて、調査担当者も疑問を呈している。
ページを進める。
『真の情報漏洩者について』
そこに、書かれていた。
『当社マネージャー・桐生真一郎の関与が強く疑われる。被疑者A(カナメ)は、元同僚(ルナティック・サークル所属タレント)の個人情報を守るため、身代わりとして虚偽の自白を行った可能性が極めて高い。』
なずなの目から、涙がこぼれた。
「……カナメ、ちゃん……やっぱり、あなたは……」
悪くなかった。
一人で、すべてを背負って、みんなを守っていたんだ。
さらに、ページをめくると——そこには、エリナ自身の走り書きのメモが挟まれていた。
『カナメを守るため、桐生の関与を闇に葬る。彼女のキャリアは、私が絶対に守る。どんな犠牲を払っても。』
エリナの、几帳面な、でも、どこか震えているような字だった。
彼女は、真実を知っていた。
それなのに、カナメを「加害者」に仕立て上げて、でも、それは、彼女なりの「保護」だった。
(なんて、歪んでるの……)
なずなは、吐き気がこみ上げてくるのを感じた。
でも、同時に——エリナの心の奥底にある、痛みも感じた。
エリナは、タレントを守るために、私情を殺して、悪者になったんだ。
(でも、そんなの……そんなの、間違ってる)
なずなは、涙でにじむ目をこすりながら、スマホを取り出した。
カメラを起動する。
震える手で、ファイルのページを、一枚、一枚、撮影していく。
『真の情報漏洩者について』。
『エリナの手書きメモ』。
全部が、証拠だった。
(カナメちゃん……私、絶対に、この真実をみんなに伝えるから)
(明日の最終配信で、全部、ぶちまけるから)
(そしたら、もう……エリナさんにも、アリアさんにも、カナメちゃんを悪く言わせない)
——その時だった。
ドス、ドス、ドス。
廊下の向こうから、足音が聞こえてきた。
警備員。
今度は、どんどん近づいてくる。
なずなは、心臓が凍りついた。
ファイルをロッカーに戻し、スマホを握りしめて、オフィスのドアの方を振り返る。
(もう、ダメだ。間に合わない——)
足音が、オフィスのすぐ外まで来ている。懐中電灯の光が、ドアの隙間から廊下を這っている。
なずなは、とっさにエリナの大きなデスクの下に、身を滑り込ませた。
ぎゅっと体を丸めて、両手で口を押さえる。自分の心臓の音がうるさすぎて、それだけで見つかってしまいそうだった。
ガチャリ。
ドアが開く音。
懐中電灯の光が、部屋の中をゆっくりと舐める。壁を這い、モニターを照らし、ロッカーを撫で——そして。
机のすぐ横で、止まった。
(見つかった——)
なずなは、ぎゅっと目を閉じた。
「……誰もいないな」
低い男の声が、部屋に響いた。
「気のせいか」
光が、机の下から離れていく。
ドアが閉まる音。
ドス、ドス、ドス……
足音が、ゆっくりと、遠ざかっていく。
それでも、なずなはしばらく動けなかった。机の下で、体がガタガタと震えている。口を押さえていた手のひらに、歯形がつくほど強く噛みしめていた。
しばらくして、完全に静かになったのを確認してから、なずなは机の下から這い出た。
全身が、汗で冷たい。
でも——
スマホを握る手は、もう震えていなかった。
画面の中には、確かに、真実が保存されている。
なずなは、静かにオフィスを出た。
階段を下り、裏口から外に出る。
夜明け前の空気が、火照った頬を冷やした。空は、まだ深い藍色で、星がいくつか瞬いている。
なずなは、スマホを見つめた。
(明日——これで、全部終わる)
Vtuberとしての自分も、エリナとの関係も、アリアの憎しみも。
(でも、これで——カナメさんが、自由になる)
なずなの足は、自然と、アパートとは違う方向へ向かっていた。
みどり公園。
二人が初めて出会った、小さな公園。
ブランコが、風もないのに、小さく、きしみ、揺れていた。Noveliaとは?
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