花芽なずなは、嘘がつけない
花芽なずなは、人気Vtuberグループ「Eclipse Palette」の清楚ピュアなアイドル。しかし彼女には誰にも言えない秘密があった。グループメイトである、派手なギャル系Vtuber、カナメ・グレースに、本気でどうしようもなく恋をしているのだ。
コラボ生配信中、なずなはうっかり本音を漏らしてしまう。冗談ではなく、真っ赤な顔で涙を流しながら、何千人もの視聴者の前で「カナメちゃんが好きです!」と告白してしまったのだ。チャット欄は大炎上。しかし、怒りの声ではなく、ファンたちは大興奮。「ガチ百合配信キター!」「清楚アイドル×ギャルは神ってる!」
本当の厄介事はファンではなかった。目ざとい事務所マネージャー、黒鉄エリナが激怒しているのだ。「契約違反だ! タレント同士の恋愛は厳禁だぞ!」と彼女は吠える。なずなは謝罪配信を命じられてしまう。
しかし、なずなの想いは間違いなんかじゃなかった。いじめられっ子だった幼い頃、近所に住む年上の女の子にいつも助けられていた。その女の子こそが、今のカナメ・グレースだったのだ。初めてのコラボ配信で、なずなはすぐに彼女だと気づいた——それは、ずっと探し続けて
花芽なずなは、嘘がつけない - 最終配信!嘘ゼロの大告白が世界を変える
部屋の中は静かだった。壁に貼られた防音パネルが外の音をすべて吸い込んで、冷蔵庫の低い駆動音だけが響いている。
花芽なずなは配信機材の前に座り込んで、じっとモニターを見つめていた。まだ電源は入れていない。でも、指先はもう震えていなかった。
昨夜のことは夢みたいだ。コランダムタワーへの深夜の潜入。警備員に見つかりそうになった瞬間。極秘ファイルの中で見つけた、カナメの真実。全部、鮮明に覚えている。
「にゃあ」
白い猫のもちが、なずなの膝の上に乗ってきて、ふわふわの頭をぐりぐりと押し付けてきた。
「ありがと、もち。……大丈夫だよ」
なずなはもちの背中をそっと撫でた。猫の温かい体温が、指先からじんわりと伝わってくる。
(私は、もう怖くない)
昨夜、みどり公園に寄ってから家に帰った。あのブランコを見て、思い出したんだ。みどり公園でいじめられていた時に、お姉さんが助けてくれたあの日のことを。お姉さんの背中が、すごく大きくて、暖かくて、それで、ずっと憧れてた。
それが、カナメさんだったんだ。
初恋の人。
今も、変わらずに大好きな人。
(だから——逃げたくない)
なずなは、大きく息を吸い込んだ。
ふう。
吐き出す。
配信ソフトを起動する。カメラのランプが赤く点灯した。マイクのテスト、問題なし。配信タイトルを打ち込む。指がキーボードの上で一瞬だけ止まって、それから、一文字ずつ、ゆっくりと入力した。
『最後の配信です。全部、本当のことを話します』
エンターキーを押す。
画面が切り替わって、配信が始まった。
視聴者数のカウンターが、ぐんぐん回り始める。百、二百、千——息を吸って、吐く間に、もう一万を超えて、数字が目まぐるしく上がっていく。
三万。五万。八万。
コメント欄が、目にも止まらない速さで流れていく。
『まって、なずなちゃん!?』
『最後の配信ってどういうこと!?』
『活動休止になったってマジだったの!?』
『なずなちゃん、大丈夫!?』
心配する声。混乱する声。そして——
『炎上上等かよw』
『また謝罪配信かよ、お疲れさま』
『とりあえず見てやるわ』
悪意のあるコメントも、もちろんあった。
でも。
(それでいい)
なずなは、そっと唇を結んだ。
(これは、私がどうしても伝えたいことだから)
誰に何を言われても、もう、嘘はつかない。
視聴者数が、ついに十万人を突破した。同時接続数が、画面の隅で点滅している。
「……みなさん、こんにちは。花芽なずなです」
声は震えていなかった。自分でも驚くくらい、静かで、落ち着いた声だった。
「今日は、みなさんに、どうしても話さなければいけないことがあります」
コメント欄が一瞬、止まった。次の瞬間、さらに激しく流れ出す。
なずなは、ゆっくりと話し始めた。
「私は、五歳の時に、みどり公園っていう小さな公園で、いじめられていました。砂場で、他の子たちに石を投げられてて。『お前なんか、いなくなれ』って言われて、一人で泣いてました。その時——お姉さんが来てくれたんです」
あの日のことが、まぶたの裏にありありと浮かぶ。
砂場の砂の冷たい感触。石が当たって切った膝の痛み。それから、急に空が暗くなったと思ったら——お姉さんが、私の前に立ってた。
『何してるの。いじめはダメでしょ。さ、もう行くよ』
小さくて、震えていた私の手を握ってくれた。手のひらが、ものすごく温かくて、私は、それだけで涙が止まった。
「そのお姉さんが——私の、初恋でした」
涙が、ひとつぶ、頬を伝った。
「それからずっと、お姉さんが忘れられなくて。どうしても、もう一度会いたくて。それで、私——Vtuberになりました」
視聴者数が、さらに増えていく。
十二万人。
コメント欄の勢いが少し変わった。さっきまでの悪意が、少しずつ減っていく。代わりに、
『なずなちゃん、泣かないで……』
『そういうことだったのかよ』
『お姉さんってまさか——』
そんなコメントが増え始めた。
なずなは、涙を拭って、もう一度話し始める。
「そのお姉さんが——エクリプス・パレットの、カナメ・グレースさんでした」
コメント欄が、どっと沸いた。
『やっぱりそうだったのか!!』
『ガチの初恋だったんかい!!』
『てぇてぇ……』
「私は、カナメさんのことが、ずっとずっと、大好きでした。配信で告白したのは、間違いじゃなかったんです」
なずなは、スマホを手に取った。
震えていない。
昨夜、エリナのロッカーから撮影した写真のフォルダを開く。
「でも——これからお見せするのは、私の恋の話じゃありません」
なずなは、スマホの画面を、カメラに向けた。
『セレスティア・ショック 内部調査報告書【極秘】』
そのタイトルが、画面に大写しになった。
コメント欄が一瞬で凍りつく。さっきまであんなに流れていたコメントが、ぴたりと止まった。
(——みんな、知ってるんだ)
(セレスティア・ショックが、どれだけ大きなスキャンダルだったか)
なずなは、一枚ずつ、写真をめくっていく。
「これは、プリズムゲート・プロダクションのマネージャー、黒鉄エリナさんの私物ロッカーに封印されていた資料です」
『被疑者A:カナメ・グレース(当時)からの聞き取り調査』
『真の情報漏洩者について』
ページをめくる。
『当社マネージャー・桐生真一郎の関与が強く疑われる。被疑者A(カナメ)は、元同僚の個人情報を守るため、身代わりとして虚偽の自白を行った可能性が極めて高い。』
その一文が、画面に映し出された。
コメント欄が、息を吹き返す。
『……は???』
『え、どういうこと???』
『カナメが身代わり……???』
『桐生って誰だよ!!!』
混乱。衝撃。怒り。
チャット欄が、感情の津波に飲み込まれていく。
「カナメさんは——悪くなかったんです」
なずなの声は、震えていなかった。
「カナメさんは、仲間を守るために、自分からスケープゴートになりました。『自分がやりました』って、嘘の謝罪をしたんです。それで——カナメさんは、この三年間、ずっと一人で、誰にも本当のことを言えずに、自分を責め続けてきました」
視聴者数が十五万人に達する。
チャンネル登録者の総数が、もうとっくに超えている。
「そして——エリナさんは、この真実を知っていました」
次の写真を映す。
エリナ自身の走り書きのメモ。
『カナメを守るため、桐生の関与を闇に葬る。彼女のキャリアは、私が絶対に守る。どんな犠牲を払っても。』
なずなは、涙を拭いて、顔を上げた。
「エリナさん——あなたは、カナメさんを守りたかったんですよね。私、わかります。あなたは、カナメさんのことを誰よりも大切に思ってるから、真実を隠したんですよね」
声が、涙で濡れた。
「でも——エリナさん!嘘で固めた檻が、本当にカナメさんを守ることになるんですか!?カナメさんは今も、自分は誰かを不幸にするだけだって、ずっと一人で苦しんでるんです!誰にも助けを求められなくて、ずっと、ずっと、一人で泣いてるんです!!」
涙が止まらなかった。
でも、叫ばずにはいられなかった。
「エリナさん——お願いです。カナメさんを、自由にしてあげてください!!」
コメント欄が、号泣の嵐で埋め尽くされた。
『なずなちゃん……もういいよ、すごいよ……』
『エリナ、お前は何やってたんだよ……』
『これが真実だったのか……』
スーパーチャットが流れ出す。赤。ピンク。黄色。画面の端から色とりどりのメッセージが、滝のように溢れ出て、コメント欄をさらに彩っていく。
——バンッ!!
突然、部屋のドアが、ものすごい勢いで開いた。
なずなは、びくっと肩を震わせて、振り返る。
玄関のドアが開け放たれている。外の蛍光灯の明かりが、細長く部屋の中に差し込んで——その光の中に、立っている人がいた。
カナメ・グレース。
アッシュブロンドの髪が、ひどく乱れている。耳の上のカラフルなヘアピンが、今にも落ちそうだ。切れ長の薄茶色の瞳は見開かれている。頬には、涙の跡が何筋も光っていて、手首のごついリストバンドが、細かく震えていた。
「——なずなっ……!!」
カナメの声は、すでに泣き声だった。ギャルの仮面は、欠片も残っていない。ただの、傷ついて、震えて、それでも必死に立っている一人の女性が、そこにいた。
「もうやめてくれ!そこまでして私を——お前、自分が何をしてるのかわかってるのかよ……!こんなことしたら、お前、本当にVtuber続けられなくなるんだぞ……!!」
カナメは、玄関から一歩も動けずに、ただ拳を震わせて叫んだ。
なずなは立ち上がった。
膝の上から、もちがぴょんと飛び降りる。
なずなは——床を蹴った。
駆け寄って——カナメの胸に、思いきり飛び込んだ。
「カナメちゃん!!」
両腕を、カナメの背中にぎゅうっと回す。カナメの体は、なずなより少し高い。肩に顔を埋めると、汗と、柔軟剤の、少し甘いような匂いがした。カナメの心臓の鼓動が、自分の胸に伝わってきて、それがものすごく早くて、苦しくて——だから、うれしかった。
「カナメちゃん……!来てくれたんですね……!」
「〜〜〜っ、ばか……!お前、ばかやろう……!!」
カナメは、なずなの肩に顔を埋めた。背中に回された手が、なずなの服をぎゅっと握りしめる。カナメの長いアッシュブロンドの髪が、なずなの頬をくすぐった。
「……なんで、こんな……お前、私のせいで、全部、なくしたのに……なんで、まだ……」
声が、涙で途切れ途切れになる。
なずなは、もっと強く、ぎゅっと抱きしめた。
「——だって、私は、カナメちゃんが好きだから!!」
画面の向こうで、十五万人が、固唾を飲んで見守っている。
コメント欄が、今までにない速度で流れていった。
『号泣不可避だろこれ……』
『もう結婚しろ!!!!』
『世界が変わった瞬間を見た』
『スパチャが止まらん、どうなってるんだ』
スーパーチャットが、画面の右半分を完全に埋め尽くしていた。赤。赤。赤。一万円。二万円。五万円。投げ銭が意味をなさなくなるほど、色とりどりの光が画面を埋めていった。
なずなは、カナメの体を離さなかった。
「何があっても、これだけは嘘じゃないんです。カナメさんは、私の初恋で、ずっとずっと憧れてて——それで、今も、これからも、誰よりも大好きです」
「……う、ぐす……ばか……お前、ほんと、ばかばか……!!」
カナメの全身から力が抜けて、なずなの肩に全体重を預けてきた。そのまま、なずなの肩口で、声を殺して泣き続けている。
(ああ——やっと、抱きしめられた)
(カナメさんのこと、ずっと一人にさせて、ごめんなさい)
なずなは、カナメの髪を、そっと撫でた。
——その頃。
渋谷、コランダムタワー十二階。
黒鉄エリナは、自分のオフィスのデスクに座っていた。三面の大型モニターは、すべて同じ配信を映し出している。なずながカナメを抱きしめて、二人で泣いている、その光景を。
エリナの顔は、彫像のように動かなかった。
でも——彼女の膝の上に置かれたタブレットには、『解雇通知書 花芽なずな』のPDFが表示されていた。一番下の「送信」ボタンに、指がかかっている。
「……これで、よかったのか」
いつもの冷たい命令口調ではなかった。
震えていた。
かすかに、本当にかすかに、声が震えていた。
彼女の左胸には、小さなブローチがついている。昔、自分が世話になったタレントがくれたものだ。それを、誰にも気づかれないように、エリナはそっと指でなぞった。
画面の中では、なずなが泣きながら、それでもしっかりと顔を上げている。
「エリナさん!!あなたは間違ってた。でも——カナメさんを守ろうとした、その気持ちだけは、私、わかります。だから——もう、終わりにしましょう!!」
その言葉を聞いた瞬間——エリナの目から、はじめて、涙がこぼれた。
一筋だけ。
すうっ、と白い頬を伝って、顎から落ちた。
彼女は、タブレットの「送信」ボタンから、ゆっくりと指を離した。
「……ええ。終わりにしましょう」
誰に言うでもなく、呟いた。
——そして、港区、ブラックプリズム・スタジオ。
黒曜星アリアもまた、同じ配信を見ていた。
ゴシック調の黒い衣装のまま、配信チェアに深く腰掛けて、画面を食い入るように見つめている。手に持ったコーヒーカップが、かたかたと小さく震えていた。
『真の情報漏洩者は——桐生真一郎』
『被疑者Aは、元同僚の個人情報を守るため、虚偽の自白を行った可能性が極めて高い』
その証拠写真が、画面に大写しになるたびに——アリアの顔から、血の気が引いていった。
「……嘘、でしょ」
あの、高飛車で芝居がかったお嬢様口調は、完全に消えていた。
深紅と暗紫のオッドアイが見開かれて、細かく震えている。銀色の長い髪が、小刻みに揺れた。
「そんなの、嘘よ……だって、あの時、カナメは——自分がやりましたって、そう言ったのよ……!私は、あの時、確かに——」
言葉が、途中で消えた。
顔を、両手で覆う。指抜きグローブに包まれた細い指が、震えながら髪に絡まった。
「……違う、私が憎かったんじゃない……ただ、信じたかっただけなのに。カナメに、裏切られたって思いたくなかっただけなのに……」
指の隙間から、涙がぽたり、ぽたりと床に落ちる。
カップが、彼女の手から滑り落ちた。
——ガシャン。
黒いコーヒーが床に飛び散って、破片がキラキラと光った。でも、アリアはもう、拾おうともしなかった。
「……っ、う……」
体を丸めて、チェアの上で、声を殺して泣き始めた。
それでも配信は、まだ続いている。
なずなは、カナメの手を握ったまま、二人でカメラの前に立った。カナメはまだ鼻をぐずぐず言わせていて、涙でぐしゃぐしゃの顔を隠そうともしなかった。
「——これで、全部です」
なずなは、はっきりとした声で言った。
「そして最後に——ご報告があります!」
なずなは、カナメの手をぎゅっと握った。
カナメが、驚いてなずなを見る。
「私、花芽なずなは——今日から、カナメ・グレースさんと二人で、新しいユニットを組みます!!」
コメント欄が再び爆発した。
『はあああああああ!?』
『マジかよ!!!!』
『神展開キターーーー!!!!』
「ユニット名は——『日蝕の双星』!エクリプス・ジェミニです!!」
カナメが、目を真ん丸にした。
「おま……なずなっ、それ、どういうことだよ!!聞いてないし!!」
「今決めました!」
なずなは、涙がまだ残っているのに、にぱっと笑った。
「事務所が認めなくても、私はもう、嘘のない配信をしていきます。カナメちゃんのことも、私の気持ちも——本当のことを、世界中に届けます!」
カナメは一瞬、呆然として——それから、ぐしゃぐしゃの顔のまま、破顔した。
「……ばか。お前、ほんっとうに、ばかだな!!」
笑っているのか、泣いているのか、もはや自分でもわからないって顔だった。
「じゃあ——みなさん、これからも『日蝕の双星』を、よろしくお願いします!!」
画面の向こうで、視聴者数が二十万人を突破する。祝福のコメントとスパチャが、とめどなく溢れてくる。
画面の向こうで、誰かが拍手している。それに、もう一人、また一人と加わっていく。
祝福の嵐が、画面を完全に包み込んだ。
——しかし。
チャット欄の一番端を、たったひとつのコメントが、流れていった。
スパチャでも投げ銭でもない。
灰色のアカウント。デフォルトのアイコン。
『これはただの始まりに過ぎない』
ユーザー名は——桐生。
その言葉は、祝福の洪水の中ですぐに流されて、誰の目にも留まらなかった。
画面が、暗転する。
配信が終わった。
なずなの部屋に、静けさが戻ってくる。
「……終わった」
なずなは、どっと力が抜けて、畳の上にぺたんと座り込んだ。
「お前なあ、最後の最後で爆弾投下しすぎなんだよ……マジで心臓に悪いんだけど」
カナメも隣に座り込んで、涙の跡だらけの顔で、それでも苦笑いした。
「よかった。逃げないで、本当のことを言えて」
「……ああ。お前のおかげで、全部、終わった。悪かったな、今まで、ひとりで逃げてて」
カナメは、自分の手首のリストバンドを、そっと撫でた。
「……ありがとな、なずな。私を見つけてくれて」
カナメの目から、もう一度だけ、涙がこぼれた。
なずなは、その手を、もう一度、ぎゅっと握った。
二人の影が、部屋の隅で一つに重なっていた。
壁の時計が、カチ、カチ、と静かに時を刻んでいる。
これで、アークは幕を閉じた。
——でも、画面の向こうで、静かに動き出した影がいることを、この部屋の誰も、まだ知らなかった。Noveliaとは?
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