ネオポルテ・リグレット ―渋谷ハルは二度死ぬ―
ネオポルテ・リグレット ―渋谷ハルは二度死ぬ―
渋谷ハルはネオポルテのリーダーであり、仲間を守り続ける男だった。しかし、その優しさは少しずつ彼自身の命を削っていた。ある日、絶え間ない配信スケジュールと精神的な疲労に押しつぶされ、彼は倒れてしまった。目を覚ますと、そこは見知らぬ真っ白な空間。そこに、自称『運命の管理者』である少女クロエが現れた。彼女は言った。「あなたは三ヶ月後に死ぬはずだった。でも、やり直すチャンスをあげたい」ハルは笑い飛ばした。「なんだその冗談は?」しかしクロエは真剣な顔で続けた。「あなたの死はネオポルテの崩壊を招く。そして、大切な仲間たちが次々と後を追うことになる」ハルは言葉を失った。「もし、時間を戻せたら……」と呟く。クロエは頷いた。「ただし条件がある。あなたは一度死んだ者として扱われる。生前に受けた傷や疲労が、何度もあなたを襲う。そして、あなたの死はなかったことにはならない」「構わない」ハルは即答した。クロエは微笑んだ。「ならば、あなたを一ヶ月前に送る。そこで、あなたの死の原因を断ち切らなければならない」そして、ハルは一ヶ月前の過去へと投げ戻された。そこには、ま
ネオポルテ・リグレット ―渋谷ハルは二度死ぬ― - 最も信頼する男 ―笑顔の裏側―
朝の光が、渋谷の街を白く染めていた。
ネオポルテ本社ビル五階。代表室の窓から差し込む日差しが、デスクの上に散らばった書類を照らしている。
渋谷ハルは、その光を背に受けながら、パソコンの画面を見つめていた。明るい茶色の髪は、今朝も寝癖が少し跳ねている。琥珀色の瞳の下には、まだ消えない疲れの色。右手首の古いリストバンドが、朝日に照らされて、色褪せた布地を浮かび上がらせた。
(一週間、か)
ハルは、心の中で呟いた。
あの真っ白な空間で、クロエと名乗る少女に会ってから、一週間が経っていた。三ヶ月後に死ぬ、と告げられた。ネオポルテは崩壊し、仲間たちも死ぬ、と。
そして、自分は一ヶ月前の世界に戻ってきた。
誰にも、その秘密は言えない。言ったところで、誰も信じないだろう。クロエは、はっきりと言っていた。
『あなたの死の未来は、周囲に話しても信じてもらえない』
ハルは、右手首のリストバンドを、左手の指でそっと撫でた。三年前、ネオポルテを立ち上げた初期メンバー五人で、お揃いで買ったものだ。布地は擦り切れ、色は褪せている。それでも、ハルはこれを外したことがない。
(みんなを、守らなきゃ)
その言葉が、胸の奥で重く響く。
ハルは、パソコンの電源を落とした。
立ち上がる。スーツの上着を羽織り、ネクタイを締める。鏡の前で、自分の顔を見た。
(俺は、もう死んだ人間だ)
クロエの言葉が、頭の中で繰り返される。
『あなたは、一度死んだ者として扱われる』
鏡の中の自分は、いつもと変わらない顔をしている。少し疲れている、三十歳の男。それだけだ。
でも、その体の中には、死の運命が、黒い染みのように張り付いている。
ハルは、口元を上げた。笑顔を作る。えくぼが、わずかに浮かぶ。
「……大丈夫だ」
声に出して、自分に言い聞かせた。
誰にも気づかれてはいけない。みんなを不安にさせてはいけない。代表である自分が、笑顔でいなければ。
ハルは、代表室のドアを開けた。
廊下に出る。
一階のエントランスへと続く階段を降りていく。途中、二階の配信スタジオの前を通りかかった。
スタジオのドアには、ICカード認証の端末が設置されている。その横に、小さなプレートが貼られていた。
『ネオポルテ配信スタジオ 第一〜第五』
ハルは、そのプレートを一瞬、見つめた。
(先月分のアーカイブデータが、一部消えていた)
一週間前、タイムリープ直後に発見した、小さな違和感。原因不明のデータ消失。
クロエの言葉が、また蘇る。
『あなたの死の原因は、内部の裏切りにある』
ハルは、首を振った。
(考えすぎだ。今は、目の前の仕事だ)
足を進める。
一階に降りると、エントランスの受付に、佐藤美咲が座っていた。二十八歳の受付嬢だ。ハルが顔を出すと、彼女はぱっと明るい笑顔を見せた。
「おはようございます、代表!」
ハルは、手を上げて応えた。
「おはよう、佐藤さん。今日もよろしくね」
声のトーンを、いつも通りに保つ。温かく、親しみやすく。
「はい! あ、代表、今日は午後から会議が入ってます。資料、机の上に置いてありますので」
「ありがとう。助かるよ」
ハルは、軽く会釈をして、エントランスを横切った。
ガラス張りの自動ドアが開く。外の空気が、ひんやりと肌に触れた。
渋谷の街が、動き始めている。
スクランブル交差点の方から、人々のざわめきが聞こえてくる。車のクラクション。ビルの外壁に反射する朝日。
ハルは、その光景を、しばらく眺めた。
(この街で、俺は、みんなと夢を追いかけてきた)
(その夢を、壊させはしない)
ハルは、歩き出した。
ネオポルテ本社ビルから、徒歩五分ほどの場所にある、小さなカフェ。ハルは、朝のコーヒーを買うために、そこへ向かうのが日課だった。
店の前に着くと、顔なじみの店員が、カウンター越しに声をかけてきた。
「あ、渋谷さん。おはようございます。今日もブレンドで?」
「うん、いつものやつ、お願い」
「かしこまりました。……あの、渋谷さん」
店員が、少し声を潜めた。
「最近、お疲れじゃないですか? 顔色、あんまり良くないような……」
ハルは、笑った。
「そう見える? 大丈夫だよ。ちょっと寝不足なだけ」
「無理しないでくださいね。ネオポルテのみんな、渋谷さんがいないと困っちゃいますから」
「ありがとう。気をつけるよ」
コーヒーを受け取り、店を出る。
カップの温かさが、手のひらに広がる。
(みんな、俺のことを心配してくれる)
(その期待に、応えなきゃ)
ハルは、コーヒーを一口、飲んだ。
苦味が、舌の上で広がる。
その時、ポケットのスマホが震えた。
取り出す。画面に、メッセージが表示される。
『おはよう、ハル。今日は何時に出社する?』
差出人は、御剣レイ。
ネオポルテの共同設立者であり、マネージャー。ハルが最も信頼している、右腕のような存在だ。
ハルは、すぐに返信を打った。
『今、外。もうすぐ戻る』
送信する。
(レイがいる。あいつがいるから、俺はここまでやってこれた)
ハルは、コーヒーカップを握り直した。
レイへの信頼が、胸の中で温かく揺れる。
その信頼が、今は、ハルにとって何よりも大きな支えだった。
——
ネオポルテ本社ビルに戻ると、ハルは四階のタレントラウンジへ向かった。
ラウンジには、ソファと自動販売機、それに小さなキッチンが備え付けられている。タレントたちが、配信の合間に休憩したり、雑談したりする場所だ。
ドアを開けると、中に人影があった。
「お、ハル。おはよう」
黒髪を七三分けに整え、眼鏡をかけた長身の男。御剣レイが、ソファに座って、タブレットを操作していた。
二十八歳。ネオポルテ共同設立者兼マネージャー。
スーツをきっちりと着こなし、左耳には小さなピアス。右手で眼鏡を押し上げる癖がある。その笑顔は、完璧に整っている。
ハルは、レイの隣に腰を下ろした。
「おはよう、レイ。今日も早いな」
「君ほどじゃないよ。……また、朝から外回り? 無理しすぎだよ、ハル」
レイは、タブレットを置いて、ハルの方を向いた。
冷たい灰色の瞳が、ハルを見つめる。その視線は、どこか値踏みするようにも見えた。
だが、ハルは気づかない。
「いや、ちょっとコーヒー買いに行ってただけだよ」
「そう。……君が倒れてから、本当に心配したんだ。一週間前、代表室で倒れてる君を見つけた時は、生きた心地がしなかったよ」
レイの声が、わずかに震えたように聞こえた。
ハルは、胸の奥が、ぎゅっとなった。
(レイに、心配をかけてしまった)
「悪かったな。もう大丈夫だよ。心配かけて」
「謝らないでくれ。僕は君のマネージャーなんだ。君の体調管理も、僕の仕事のうちだよ。……ほら、これ、飲む?」
レイは、立ち上がって、キッチンの方へ歩いていった。
コーヒーメーカーの前に立つ。慣れた手つきで、カップを取り出し、コーヒーを注ぐ。
ハルは、レイの背中を見つめていた。
(あいつは、いつもそうだ)
(俺が無理をすると、必ず気づいて、手を差し伸べてくれる)
レイが、コーヒーの入ったカップを二つ持って戻ってきた。
「はい、どうぞ。ブラックで良かった?」
「ああ、ありがとう」
ハルは、カップを受け取った。
レイが、ハルの隣に座る。二人の間に、穏やかな空気が流れた。
「……なあ、レイ」
ハルは、コーヒーを見つめながら、静かに口を開いた。
「お前には、本当に助けられてるよ。俺一人じゃ、何もできなかった」
レイは、少し驚いたような顔をした。
「急にどうしたの、改まって」
「いや、たまには言っておこうと思ってさ。……ありがとうな、レイ」
ハルは、レイの目を見て、笑った。
えくぼが、浮かぶ。
レイは、一瞬だけ、その笑顔を見つめ返した。
そして、口元をほころばせる。
「……こちらこそ、ありがとう。君がいてくれて、良かったよ」
その時だった。
レイが、ハルの首元に視線をやった。
左の首筋。小さな星形のほくろがある場所。
ほんの一瞬。
レイの灰色の瞳に、何か冷たい光が宿った。
氷の粒を思わせる、鋭い光。
だが、それは、本当に一瞬のことだった。
ハルが気づくはずもない。
レイは、すぐにいつもの温厚な表情に戻った。
「今日も一日、頑張ろう。午後からの会議、資料は僕がまとめておくよ」
「助かる。よろしく頼む」
ハルは、コーヒーを飲み干した。
温かい液体が、喉を通っていく。
(レイがいれば、大丈夫だ)
ハルは、心の中で、そう繰り返した。
——
午後。
ハルは、二階の配信スタジオにいた。
第一スタジオのドアを、ICカードで解錠する。
中に入ると、ひんやりとした空気が、肌を包んだ。
防音壁に囲まれた、約十五平方メートルの空間。高性能PC、マイク、カメラ、照明機材が、整然と並んでいる。
ハルは、PCの前に座った。
電源を入れる。
(先月分のアーカイブデータ。もう一度、確認してみるか)
ハルは、サーバーにアクセスし、データの一覧を表示させた。
画面に、ずらりとファイル名が並ぶ。
先月の配信アーカイブ。日付ごとに整理されたデータ。
ハルは、一週間前に見つけた欠損部分を、もう一度、詳細に検証し始めた。
「……やっぱり、消えてる」
ハルは、呟いた。
先月の第三週。大型コラボ配信があった三日間。そのアーカイブデータが、きれいに消えている。
しかも、ただ消えているだけではない。
ハルは、ファイルの更新履歴を開いた。
(削除された日時が、記録されてる)
履歴には、はっきりと残っていた。
先週。深夜二時。
アクセス権を持つ者が、手動でデータを削除した痕跡。
(ランダムな消失じゃない。意図的に、特定の期間だけを狙って消してる)
ハルの胸に、冷たいものが広がる。
「……誰が、何のために」
その時、スタジオのドアが開いた。
「あれ、代表。こんなところにいたんですか」
声の主は、田中義明。四十五歳。機材管理責任者だ。
元音響技師で、白髪交じりの短髪と、無精ひげが特徴の男。ネオポルテの配信機材を一手に管理している。
「田中さん。ちょうど良かった。ちょっと聞きたいことがあるんだ」
ハルは、田中を手招きした。
田中は、小走りで近づいてくる。
「どうしました?」
「先月のアーカイブデータ、消えてるの、知ってるか?」
ハルは、PCの画面を指さした。
田中は、画面を覗き込んだ。
「え……ああ、これですか。先週、気づいたんですよ。バックアップからも消えてて、おかしいなって」
「消えたのは、先月の第三週。大型コラボの三日間だ。心当たりは?」
田中は、腕を組んで、首をかしげた。
「うーん……心当たり、と言いますか。……実は、先週、レイさんが、深夜にスタジオの鍵を借りていったんですよ」
ハルの心臓が、ドキリと跳ねた。
「レイが? 深夜に?」
「ええ。先週の水曜日……いや、木曜日だったかな。深夜二時ごろです。『機材のチェックをしたい』って言って、第一スタジオのICカードを借りていかれました」
「……レイが、機材チェックを」
ハルは、声が震えないように、必死に平静を装った。
「ああ、そういえば、レイさん、最近、夜遅くまで残ってることが多いですよね。何か、大きなプロジェクトでも進めてるんですか?」
「……さあ、どうかな。俺は、詳しく聞いてないんだ」
ハルは、PCの画面から目を離した。
頭の中が、ぐるぐると回る。
(レイが、深夜に、スタジオの鍵を借りた?)
(何のために?)
(まさか、データを消すため?)
ハルは、自分の考えを、すぐに打ち消した。
(馬鹿な。レイが、そんなことするわけがない)
「……田中さん、この件、他の人には言わないでくれるか? まだ、何か分かったわけじゃないから」
「え、あ、はい。分かりました」
田中は、少し戸惑いながらも、頷いた。
「ありがとう。助かったよ」
ハルは、田中に背を向けた。
心臓の鼓動が、速くなる。
(落ち着け。レイは、機材チェックだって言ってたんだろ)
(データが消えたのと、レイが鍵を借りたのは、偶然かもしれない)
ハルは、何度も、自分に言い聞かせた。
でも、胸の奥に、小さな棘が刺さったまま、取れなかった。
——
ハルは、五階の代表室に戻った。
ドアを閉めると、どっと疲れが押し寄せてくる。
デスクの前に立つ。
机の上には、午後の会議資料が積まれている。
ハルは、椅子に座らず、窓の外を見た。
渋谷の街が、午後の光に照らされている。
(レイが、裏切る?)
(ありえない)
ハルは、頭を振った。
デスクの引き出しを開ける。
中から、一冊のファイルを取り出した。
ネオポルテ設立時の資料。
ハルは、ファイルを開いた。
最初のページに、資本金出資比率の表が載っている。
ハルは、その欄を、初めて、じっくりと見た。
「……レイの名前が、筆頭だ」
呟いた。
出資比率の一番上に、御剣レイの名前があった。
ハルは、自分の名前を探した。
二番目に、渋谷ハル。
(そうか。レイは、一番多くの資金を出してくれていたのか)
ハルは、ファイルを閉じた。
胸の中に、申し訳なさと、感謝の気持ちが混ざり合う。
(あいつは、裏方に徹して、俺を表に立たせてくれた)
(なのに、俺は、あいつを疑おうとしている)
ハルは、唇を噛んだ。
(レイだけは、違う)
(あいつだけは、絶対に、裏切らない)
クロエの言葉が、頭の隅で、小さく響いた。
『あなたの死の原因は、内部の裏切りにある』
ハルは、その声を、振り払うように、ファイルを引き出しに戻した。
「……違う。レイは、違う」
声に出して、言い聞かせた。
——
夜。
道玄坂の居酒屋。
ハルは、レイを誘って、二人で酒を飲んでいた。
個室の座敷。テーブルの上には、刺身や焼き鳥、枝豆などが並んでいる。
ハルは、ビールジョッキを手に取った。
「今日は、付き合ってくれてありがとうな、レイ」
「いいよ、別に。君と飲むのは、久しぶりだしね」
レイは、眼鏡を押し上げて、微笑んだ。
「最近、どう? 体調は。無理してない?」
「ああ、おかげさまでな。お前がサポートしてくれるから、助かってるよ」
ハルは、ビールを一口、飲んだ。
冷たい液体が、喉を潤す。
「……なあ、レイ。覚えてるか? 三年前、俺たちがネオポルテを立ち上げた日のこと」
「もちろん。忘れるわけないよ。レンタルオフィスの一室で、五人で朝まで語り明かしたよね」
「そうだ。中古の機材をかき集めて、夢だけはでっかくてさ。『次世代のVTuber文化を作る』って、本気で信じてた」
ハルは、遠くを見るように、目を細めた。
「あの頃は、何もなかった。でも、希望だけは、無限にあった」
「……そうだね。あの頃の君は、本当に輝いてた。みんな、君のその情熱に、ついていったんだよ」
レイの声が、少しだけ、感情を帯びた。
ハルは、レイの顔を見た。
「お前がいてくれたから、俺は、ここまでやってこれた。……レイ、本当に、ありがとう」
ハルの声が、震えた。
「お前がいてくれてよかった。俺、一人じゃ、何もできなかった」
ハルは、目頭が熱くなるのを感じた。
レイは、静かに、ハルの目を見つめ返した。
「……俺こそ、君がいてくれてよかったよ。ハル」
レイは、微笑んだ。
その笑顔は、いつもの完璧な笑顔だった。
でも、その奥に、何か別の感情が隠れているようにも見えた。
ハルには、それが何か、分からなかった。
「乾杯しよう。俺たちの、これからに」
レイが、グラスを差し出した。
ハルも、グラスを合わせる。
カチン、と、小さな音が響いた。
「……乾杯」
ハルは、グラスの中の酒を、一気に飲み干した。
喉の奥が、焼けるように熱い。
(レイがいてくれて、本当に良かった)
(俺は、この男を信じている)
ハルは、心の中で、強く、そう思った。
——
会計を済ませ、店を出る。
道玄坂の通りは、夜のネオンで、赤や青に染まっていた。
人混みが、二人の間を流れていく。
「今日は、本当に楽しかったよ。ハル」
レイが、ハルの隣を歩きながら言った。
「ああ、俺もだ。また、行こうな」
ハルは、笑顔で応えた。
その時だった。
人混みが、一瞬、二人の間を分断した。
ハルは、レイの姿を見失いかけて、視線を走らせる。
そして、見つけた。
数メートル先。ネオンの光の下。
レイの横顔。
その口元に、浮かんでいたのは——
嘲笑。
冷たい、氷のような、嘲りの笑み。
ハルの胸が、凍りついた。
(今、レイは、笑ったのか?)
(あんな風に、嘲るように?)
ハルは、人混みをかき分けて、レイに追いついた。
「……レイ」
声をかける。
レイが、振り返った。
その顔は、いつもの温厚な笑顔に戻っていた。
「どうした、ハル? そんな顔して」
レイは、首をかしげた。
「いや……今、笑ったか?」
「笑った? そりゃ、笑うこともあるよ。楽しかったからね」
レイは、穏やかに笑った。
「……そうだよな。俺の見間違いだよな」
ハルは、自分に言い聞かせるように、呟いた。
「疲れてるんだよ、君は。今日は、早く帰って休みな」
レイは、ハルの肩を、ポンと叩いた。
「ああ……そうする。お前も、気をつけて帰れよ」
「うん。おやすみ、ハル」
「おやすみ」
二人は、雑踏の中で、別れた。
ハルは、レイの背中を、しばらく見つめていた。
黒いスーツの背中が、人混みに溶けていく。
(見間違いだ)
(あれは、ネオンの光のせいだ)
ハルは、心の中で、何度も繰り返した。
でも、胸の奥底に、冷たい疑念が、小さく、芽生え始めていた。
——
翌朝。
ハルは、自宅マンションのベッドで、目を覚ました。
カーテンの隙間から、朝の光が、細く差し込んでいる。
ハルは、天井を見上げた。
昨夜の、レイの表情が、頭の中で、鮮明に蘇る。
ネオンの光の下。
人混みの向こう。
レイの口元に浮かんだ、冷たい嘲笑。
(あれは、何だったんだ)
ハルは、体を起こした。
(見間違いだ。疲れてたんだ)
ハルは、自分に言い聞かせた。
ベッドから降り、洗面所へ向かう。
鏡に映る自分の顔。
クマが、昨日よりも濃くなっている。
(俺は、レイを疑っているのか?)
(あいつを? 一番信頼してる、あいつを?)
ハルは、冷水で顔を洗った。
冷たい水が、肌を刺す。
(違う。疑ってなんかない。ただ、ちょっと、混乱してるだけだ)
ハルは、タオルで顔を拭いた。
スマホを取り出す。
画面に、通知が表示されていた。
『昨日は楽しかったな。また行こう』
レイからのメッセージだった。
ハルは、しばらく、その文字を見つめた。
そして、返信を打つ。
『ああ、また行こう』
送信する。
スマホを持つ手が、わずかに、震えていた。
ハルは、スマホを握りしめた。
(大丈夫だ。レイは、俺の仲間だ)
(信じてる。俺は、あいつを信じてる)
でも、心の奥底の冷たい棘は、まだ、消えていなかった。
ハルは、窓の外を見た。
渋谷の街が、今日も、動き始めている。
その街のどこかに、自分の死の原因が、潜んでいる。
そして、その原因は、内部の裏切り。
ハルは、拳を握りしめた。
右手首のリストバンドが、きつく、手首に食い込んだ。Noveliaとは?
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