デート・ア・ライブif 〜四糸乃と始める、やり直しのデート〜
五河士道は、同じ夢を繰り返し見ていた。幼い頃、駅の雑踏で母の手がすり抜け、背中が遠ざかっていく夢。見捨てられることへの恐怖が、胸の奥に小さなトゲのように刺さったまま取れない。そんなある朝、義妹でありラタトスクの司令官でもある琴里から、新たな任務を告げられる。ターゲットは第2の精霊〈ハーミット〉――氷芽川四糸乃。水色の髪に蒼玉の瞳を持つ、極度の人見知りの少女だった。しかも彼女は、左手にはめたウサギのパペット〈よしのん〉を通してしか、他人とコミュニケーションが取れないという。デートの相手は四糸乃、そしてそのパペットと仲良くならなければ作戦は失敗。さらに天宮市の空には、四糸乃の霊力によるものと思われる不気味な雨雲が留まり続け、七日間ずっと雨の予報が続いていた。失敗すれば街が氷漬けになる――プレッシャーの中、士道はパペットとの"デート"という前代未聞の作戦に挑む。精霊と、そのパペットと、そして自分自身の過去に向き合う、やり直しの物語が始まる。
デート・ア・ライブif 〜四糸乃と始める、やり直しのデート〜 - 雨の少女と、よしのん窃盗事件
天宮市立図書館の前は、朝からしとしとと雨が降っていた。
五河士道は傘を差し、スマホの時計を確認する。約束の時間まで、あと十五分。心臓のあたりが、落ち着かない。
(精霊とのデート、か)
何度経験しても、この緊張感は消えない。というか、今回の相手は今までと勝手が違う。パペットを通してしか会話できない少女。そのパペットと仲良くしろ、と司令官に言われている。
「ったく、無茶ぶりにもほどがあるだろ」
士道は誰に言うでもなく呟いた。
雨は、朝からずっと降り続けている。天気予報では今日から七日間、天宮市だけ雨が続くと言っていた。士道のスマホには、昨日からラタトスクの専用アプリが、局地的な雨雲が天宮市上空に留まり続けていると警告を出していた。
(これが、四糸乃の霊力ってやつか)
士道は空を見上げた。雲は厚く、重く、街全体を覆っている。まるで、この街ごと誰かに閉じ込められているみたいだ。
その時だった。
図書館の入口の柱の陰に、小さな影が動いた。
士道は息を止めた。
そこにいたのは、水色の髪をした少女だった。
年齢は十三、四歳くらい。身長は百四十四センチと、とても小さい。ふわふわしたセミロングの髪は、雨に濡れてしっとりと輝いている。蒼玉のような大きな瞳が、不安そうに揺れていた。
彼女は、黄色いレインコートを着ていた。フードを深く被っている。そして、左手には、ウサギのパペットをはめていた。
眼帯をつけた、コミカルなデザインのウサギのパペット。
士道はゆっくりと、彼女に近づいた。
「……四糸乃、だよな?」
士道が声をかけると、少女の肩がびくりと跳ねた。
「あ……」
声にならない声。蚊の鳴くような、かすかな吐息。四糸乃は士道の顔を見上げると、すぐに視線を落としてしまった。体が、小さく震えている。
(やっぱり、かなり緊張してるな)
士道はしゃがみ込み、目線を合わせた。
「俺は五河士道。今日は、よろしくな」
四糸乃は、こくりと小さく頷いた。でも、声は出ない。
その時。
四糸乃の左手のパペットが、突然、士道の方を向いた。
「あらあら、士道さんってば、ずいぶんと緊張してるのね。顔、真っ赤よ?」
士道は目を丸くした。
パペットが、喋った。いや、正確には、四糸乃がパペットを動かして、声を出している。でも、その声は、さっきまでか細い声しか出せなかった四糸乃のものとは思えないほど、明るくて、よく通る声だった。
「あはは、図星? かーわいい! ねえ四糸乃、この人、私たちに会うために、昨日からずっとそわそわしてたんだって」
「ち、ちが……」
四糸乃は真っ赤になって、パペットをぎゅっと抱きしめた。耳まで赤い。
(こ、これが、よしのんってやつか)
士道は戸惑った。パペットを通して会話する、とは聞いていたが、実際に目の当たりにすると、なかなかシュールだ。
「おいおい、人を観察してないで、何か言ったらどうなのよ。四糸乃が困ってるでしょ」
パペットが、士道をじろりと睨んだ。
「いや、その……なんだ、よしのん、だっけ。よろしくな」
士道はパペットに向かって、ぎこちなく頭を下げた。
「あら、ご挨拶ができるのね。感心感心。でも、四糸乃に失礼があったら、私が許さないわよ」
「わ、わかってるよ」
士道は冷や汗をかいた。
(これは……思ったより手強いぞ)
士道は心の中で毒づいた。パペットと仲良くしろ、という琴里の指示の意味が、ようやく身に染みてわかってきた。
四糸乃は、パペットを抱きしめたまま、ちらりと士道を見上げた。目が合うと、また慌てて視線を逸らす。
「……あの、ごめんなさい。よしのん、ちょっと、おしゃべりで」
四糸乃が、小さな声で言った。パペット越しではない、地の声。その声は、雨音に溶けてしまいそうなほど、か細かった。
「気にすんな。俺も、妹にいつも怒られてるから、慣れてる」
士道は笑って見せた。四糸乃の表情が、ほんの少しだけ、柔らかくなった気がした。
「さて、と。今日は、図書館で静かに過ごそうと思うんだが……大丈夫か?」
士道が尋ねると、四糸乃はこくりと頷いた。
「あら、図書館? 四糸乃、絵本が大好きなのよ。よかったわね、四糸乃」
「……うん」
四糸乃は、パペットを抱きしめたまま、小さく笑った。
士道は、その笑顔を見て、胸の奥が、じわりと温かくなるのを感じた。
(やっぱり、普通の女の子なんだ)
精霊だとか、霊力だとか、そんなものは関係ない。目の前にいるのは、人見知りで、絵本が好きな、小さな女の子だ。
士道は、四糸乃のペースに合わせようと、心に決めた。
「じゃあ、行こうか。雨、強くなってきたし」
士道は傘を差し出した。四糸乃は、少し迷ってから、士道の傘の下に入った。二人分の距離は、思ったより近い。四糸乃の濡れた髪から、雨の匂いがした。
(近い……!)
士道は心の中で慌てた。でも、顔には出さない。精霊交渉役として、これくらいのことで動揺していてはダメだ。
図書館の自動ドアが開くと、ひんやりとした空気が流れ出てきた。
天宮市立図書館は、三階建ての大きな建物だ。一階は一般書、二階は児童書、三階は学習スペースと郷土資料。平日の午前中ということもあり、館内は静かで、人影はまばらだった。
「絵本コーナーは、二階だ」
士道は声を潜めて言った。四糸乃はこくりと頷く。
二人は静かに階段を上がった。
二階の児童書コーナーは、カラフルな本棚が並び、床には柔らかいマットが敷かれていた。窓から差し込む光は、雨のせいで薄暗い。でも、それがかえって、秘密基地みたいで落ち着く。
四糸乃は、絵本の棚の前に立つと、じっと本の背表紙を見つめた。
「好きなのを、ゆっくり選んでいいからな」
士道が言うと、四糸乃は小さく頷いて、一冊の絵本を手に取った。
表紙には、氷の国に迷い込んだ少女の絵が描かれていた。青と白の、静かな色彩。
「それ、いいな」
士道は四糸乃の隣に座った。四糸乃は、絵本を膝の上に置き、ゆっくりとページを開いた。
士道は、四糸乃の横顔を見つめた。
長いまつげ。白い肌。水色の髪が、頬にかかっている。絵本を見つめる蒼玉の瞳は、真剣で、でもどこか寂しそうだった。
(この子は、何を考えているんだろう)
士道は、そんなことを思った。
四糸乃は、無言でページをめくる。士道も、黙ってそれを見守る。雨の音が、窓を叩く。静かな時間が流れた。
やがて、四糸乃は絵本を読み終えた。
「……どうだった?」
士道が尋ねると、四糸乃はパペットを抱きしめて、少し考えてから、口を開いた。
「……寒くて、寂しいけど、最後は、暖かくなるの」
パペット越しではない、地の声。でも、その声は、さっきより少しだけ、はっきりしていた。
「最後は、暖かくなるのか」
士道は、その言葉を繰り返した。
(この子は、寒くて寂しい世界にいるんだ。でも、いつか、暖かくなりたいって、願ってる)
士道の胸の奥に、じんわりと熱いものが広がった。
「……いい話だな」
士道は、心からそう思った。
その時。
「あら、士道さん。あなた、本当に四糸乃のこと、好きなの?」
突然の爆弾発言。
士道は、思わずむせた。
「な、なに言って——」
「だって、さっきからずーっと、四糸乃のことばかり見てるじゃない。そんなに四糸乃の横顔が好きなの? 変態さん?」
「ち、違う! そうじゃなくて!」
士道は真っ赤になって否定した。恋愛経験ゼロの士道には、この手のからかいは、心臓に悪すぎる。
「あらあら、顔、真っ赤よ。四糸乃、見てごらんなさい。この人、耳まで赤くしてるわ」
四糸乃は、パペットをぎゅっと抱きしめた。顔は、士道以上に真っ赤だ。耳どころか、首まで赤い。
「よ、よしのん、やめて……」
四糸乃は、消え入りそうな声で抗議した。
「なんでよ。四糸乃だって、士道さんに、もっと色々聞きたいことあるでしょ? ねえ、士道さん、好きな食べ物は? 好きなタイプは? 彼女はいるの?」
「お、おい、やめろって!」
士道は慌てて止めようとしたが、よしのんは止まらない。
「あら、照れなくてもいいじゃない。四糸乃も、士道さんと仲良くなりたいって思ってるのよ。ね、四糸乃?」
「……っ!」
四糸乃は、真っ赤な顔のまま、突然立ち上がった。
「あ、おい、四糸乃?」
四糸乃は、絵本を抱えたまま、走り出した。
「ご、ごめんなさい……!」
小さな背中が、階段を駆け下りていく。
「四糸乃! 待てって!」
士道は慌てて追いかけた。
図書館の外は、さっきより雨が強くなっていた。
「四糸乃!」
士道は、雨の中を走る四糸乃の背中を追った。レインコートの黄色が、雨に霞んで見える。
(くそ、よしのんのやつ、余計なことを……!)
士道は心の中で毒づいた。でも、四糸乃が恥ずかしがって逃げ出した気持ちも、わからないではない。
四糸乃は、図書館から駅前商店街の方へと走っていく。
天宮市駅前商店街は、全長八百メートル、店舗数約二百の大きな商店街だ。雨の日でも、買い物客で賑わっている。
四糸乃は、人混みを縫うように走り、商店街の裏路地に入っていった。
士道も、必死に追いかける。
「はあ、はあ……四糸乃、待ってくれ!」
裏路地は、雨で濡れて、薄暗かった。
その時。
士道の耳に、小さな泣き声が聞こえた。
「……う、うぅ……」
士道は足を止めた。
路地の奥に、小さな男の子が座り込んでいた。五、六歳くらいだろうか。雨に濡れて、ずぶ濡れになっている。
「おい、どうしたんだ?」
士道が声をかけると、男の子はびくりと肩を震わせた。
「……お、おかあさん、どこ……?」
迷子だ。
士道は、四糸乃を追うのを一旦やめて、男の子に近づいた。
「大丈夫か? 迷子になったのか?」
男の子は、涙でぐしゃぐしゃの顔で、こくりと頷いた。
その時。
「……あの」
か細い声が聞こえた。
振り返ると、四糸乃が、路地の入り口に立っていた。
「四糸乃……」
四糸乃は、男の子を見つめていた。蒼玉の瞳が、揺れている。
「……この子、迷子なの?」
四糸乃は、おそるおそる男の子に近づいた。そして、しゃがみ込むと、男の子の目線に合わせた。
「……大丈夫? お姉ちゃんが、お母さんを探してあげる」
四糸乃が、男の子に手を差し伸べた。
その時。
「四糸乃、やめなさい」
よしのんの声が、冷たく響いた。
「人間なんて、助ける価値ないわ。あなたを傷つけるだけよ」
四糸乃の手が、ぴたりと止まった。
「よ、よしのん……」
四糸乃の顔から、血の気が引いていく。
「この子も、きっとそうよ。四糸乃が優しくしたって、どうせ、あなたのことを怖がって、逃げるだけ。人間はみんな、そうなんだから」
よしのんの言葉は、冷たく、鋭かった。
四糸乃の手が、震えている。
「さあ、行きましょう。こんな子、放っておけばいいのよ」
士道は、その言葉を聞いて、カッとなった。
「おい、よしのん」
士道は、よしのんを真っ直ぐに見た。
「お前が四糸乃を守ってきたのは、わかる。四糸乃が、どれだけ怖い思いをしてきたかも、想像できる」
士道の声は、低く、落ち着いていた。
「でもな、その子を傷つけるのは、違うだろ」
よしのんは、黙った。
「四糸乃は、この子を助けたいと思ってる。その気持ちを、お前が否定するな」
雨音だけが、路地に響いた。
「四糸乃は、優しい子なんだ。お前が守らなくても、四糸乃は、誰かを傷つけたりしない」
士道は、四糸乃の震える手を、そっと包み込んだ。
「……士道、さん」
四糸乃の瞳が、士道を見上げる。
「大丈夫だ。俺がついてる」
士道は、四糸乃に笑いかけた。
よしのんは、しばらく沈黙していた。
「……ふん」
そして、小さく、そう呟いた。
士道は、男の子を抱き上げた。
「よし、交番に連れて行こう。四糸乃も、一緒に来てくれるか?」
四糸乃は、こくりと頷いた。
交番は、商店街の入り口の近くにあった。
士道は、男の子を警察官に引き渡した。男の子は、士道の服の裾を握りしめて離さなかったが、警察官が「お母さん、すぐに来てくれるからね」と優しく声をかけると、ようやく手を離した。
「ありがとうございました。お二人のおかげで、助かりました」
警察官が、士道と四糸乃に頭を下げた。
「いえ、当然のことをしたまでです」
士道は、照れくさそうに頭をかいた。
四糸乃は、士道の後ろに隠れて、小さく会釈をした。
交番を出ると、雨は、少し弱くなっていた。
「……四糸乃、さっきは、ごめんな。よしのんに、きつい言い方をして」
士道が謝ると、四糸乃は、首を横に振った。
「……ううん。士道さんは、悪くない」
四糸乃は、パペットを抱きしめたまま、小さく言った。
「……よしのんも、私を守ろうとしてくれただけ。だから、士道さんは、悪くない」
四糸乃の声は、震えていた。でも、その瞳は、真っ直ぐに士道を見ていた。
(この子は、本当に、優しいんだな)
士道は、四糸乃の頭を、そっと撫でた。
「四糸乃は、強いな」
四糸乃は、驚いたように目を丸くした。
「……私が、強い?」
「ああ。あの子に、手を差し伸べようとした。それは、すごく勇気がいることだ」
士道は、四糸乃の目を真っ直ぐに見て言った。
四糸乃の頬が、ほんのり赤くなった。
「……ありがとう」
その声は、雨音に溶けてしまいそうなほど、小さかった。
でも、士道には、はっきりと聞こえた。
士道は、四糸乃に、明日のことを話そうと決めた。
「なあ、四糸乃」
「……はい」
「明日、水族館に行かないか? 天宮水族館。大きな水槽があって、魚がいっぱいいるんだ」
四糸乃は、士道の顔を見上げた。
「……水族館」
四糸乃は、パペットをぎゅっと抱きしめた。
「……行きたい」
パペット越しではない、地の声。でも、その声には、確かな意思が込められていた。
「よし、決まりだな」
士道は、笑った。
その時。
「ふん、どうせ雨だけどね」
よしのんが、ぼそりと呟いた。
士道は、その言葉に、ふと違和感を覚えた。
(どうせ雨、か)
天気予報では、明日も雨。でも、よしのんの言い方は、まるで、雨が降ることを知っているような、そんな口ぶりだった。
「……どういう意味だ?」
士道が聞き返すと、よしのんは、口をつぐんだ。
その時。
士道のスマホが、けたたましく鳴り響いた。
「なんだ……?」
画面を見ると、ラタトスクの緊急通信だった。
士道は、四糸乃から少し離れて、通話ボタンを押した。
「士道、聞こえる?」
琴里の声は、司令官モードだった。
「琴里、どうした?」
「DEM社の観測衛星が、四糸乃の霊力を探知したわ。まだ正確な位置までは特定されていないけど、時間の問題よ」
士道の表情が、引き締まった。
「DEM社が……四糸乃を狙ってるのか?」
「ええ。四糸乃の霊結晶は、彼らにとって喉から手が出るほど欲しい代物よ。明日のデート、敵が介入してくる可能性がある。気をつけて」
「……わかった」
士道は、静かに頷いた。
「それと、四糸乃の霊力が、さっきから少し不安定になってるわ。何かあった?」
士道は、ちらりと四糸乃を見た。四糸乃は、士道の方を心配そうに見つめている。
「……いや、大丈夫だ。今は、落ち着いてる」
「そう。ならいいけど。明日は、私もフラクシナスから監視してる。何かあれば、すぐに連絡して」
「ああ、頼む」
通話が切れた。
士道は、スマホをポケットにしまい、四糸乃の元に戻った。
「……士道さん、大丈夫?」
四糸乃が、心配そうに尋ねた。
「ああ、大丈夫だ。妹から、明日の天気のこととか、色々な」
士道は、笑ってごまかした。
(DEM社、か)
士道は、空を見上げた。雨雲は、依然として天宮市の上空に留まり続けている。
(四糸乃を、絶対に守る)
士道は、心の中で、強く誓った。
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