デート・ア・ライブif 〜四糸乃と始める、やり直しのデート〜
五河士道は、同じ夢を繰り返し見ていた。幼い頃、駅の雑踏で母の手がすり抜け、背中が遠ざかっていく夢。見捨てられることへの恐怖が、胸の奥に小さなトゲのように刺さったまま取れない。そんなある朝、義妹でありラタトスクの司令官でもある琴里から、新たな任務を告げられる。ターゲットは第2の精霊〈ハーミット〉――氷芽川四糸乃。水色の髪に蒼玉の瞳を持つ、極度の人見知りの少女だった。しかも彼女は、左手にはめたウサギのパペット〈よしのん〉を通してしか、他人とコミュニケーションが取れないという。デートの相手は四糸乃、そしてそのパペットと仲良くならなければ作戦は失敗。さらに天宮市の空には、四糸乃の霊力によるものと思われる不気味な雨雲が留まり続け、七日間ずっと雨の予報が続いていた。失敗すれば街が氷漬けになる――プレッシャーの中、士道はパペットとの"デート"という前代未聞の作戦に挑む。精霊と、そのパペットと、そして自分自身の過去に向き合う、やり直しの物語が始まる。
デート・ア・ライブif 〜四糸乃と始める、やり直しのデート〜 - 偽りの雪が溶けるとき、青空の約束
氷の迷宮の中心で、士道は四糸乃の手を握り続けていた。
指先の感覚はもうなかった。凍傷で皮膚が白く変色し、関節が曲がらない。それでも、士道の右手は四糸乃の小さな手を包んだまま、離れることを拒んでいた。
(……離さない。絶対に)
肺が凍りつくようだった。息を吸うたびに、氷の針が喉の奥まで刺さる。まつげに張り付いた霜が、視界の端で白く揺れていた。
「……よしのん」
士道は、四糸乃の左手に装着されたウサギのパペットに語りかけた。眼帯を付けた、コミカルなデザインのパペット。だが、その存在は、四糸乃の心の防壁そのものだった。
よしのんは、沈黙していた。
いつものおしゃべりな声は、どこにもない。
「お前が、四糸乃を守ってきたんだな」
士道の声は、氷の空気に白く溶けていった。
「誰かに傷つけられないように。誰かに、怖がらなくてもいいように。お前が、ずっと盾になってきた」
パペットの口が、微かに動いた。
「……違うわ」
よしのんの声が、氷の迷宮に響いた。いつもの明るい口調ではない。冷たく、静かで、それでいて、どこか震えている声。
「私は、四糸乃を守ってるんじゃない。四糸乃が、私を必要としてるの」
士道は、パペットの顔を見つめた。ボタンの目が、士道を映している。
「……ねえ、士道さん」
よしのんの声が、一段と低くなった。
「私は、偽りなのよ」
士道の指先に、パペットの綿越しの冷気が伝う。
「四糸乃が、怖がりすぎて。誰にも傷つけられないようにって、生み出した、偽りの人格。本当の私なんて、どこにもいないの」
士道は、黙って聞いていた。
「おしゃべりで、冗談好きで、強がりで。……全部、作り物。四糸乃を守るための、鎧みたいなものよ」
よしのんの声が、かすかに揺れた。
「だから、士道さん。あなたが受け止めようとしてる『よしのん』は、最初から存在しないの」
——沈黙。
氷の迷宮が、しんと静まり返った。
遠くで、折紙の呼吸音だけが、かすかに響いている。彼女はまだ、凍りついた装備の中で動けずにいた。
士道は、ゆっくりと口を開いた。
「……偽りでも、いい」
よしのんのボタンの目が、微かに見開かれた。
「お前が偽りでも、お前が四糸乃を守ってきたことは、本物だろ」
士道は、四糸乃の手を、さらに強く握った。
「四糸乃が、どれだけ怖がってたか。どれだけ、一人で震えてたか。……お前がいたから、四糸乃はここまで生きてこられたんだ」
士道の声は、震えていた。寒さのせいだけではなかった。
「偽りでも、何でもいい。俺は、四糸乃と、よしのん。二人まとめて、受け止める」
よしのんが、沈黙した。
長い、長い沈黙。
そして——。
「……っ」
パペットの中で、小さく、嗚咽が漏れた。
綿の奥から、かすかな震えが伝わってくる。よしのんの声が、泣いているように、震えていた。
「……ずるいわよ、士道さん」
よしのんの声は、涙で濡れていた。
「そんなこと、言われたら……私、どうすればいいのよ」
士道は、静かに微笑んだ。
凍りついた唇が、かすかに動く。
「何もしなくていい。ただ、そこにいてくれれば」
その瞬間だった。
四糸乃の指が、士道の手の中で、確かに動いた。
凍りついていた小さな指が、士道の手を、ぎゅっと握り返してくる。
「……し、どう……さん」
かすかな声。
四糸乃の蒼玉の瞳が、ゆっくりと開かれた。その瞳は、まだ虚ろだった。だが、確かに士道を映していた。
士道は、四糸乃の顔をまっすぐに見つめた。
水色の髪。白い肌。凍りついた涙の跡。
そして、士道は——。
四糸乃の唇に、自分の唇を重ねた。
冷たい。痛いほど冷たい。
だが、その冷たさの奥に、確かな温もりがあった。
——瞬間。
光が、溢れた。
四糸乃の体から、青白い光の粒子が、ふわりと舞い上がる。光は、士道の唇を通して、士道の体内へと流れ込んでいく。
封印。
精霊の霊力を、キスによって吸い取り、人間に近い存在へと変える技術。ラタトスクの精霊封印作戦の、核心。
光の粒子が、士道の全身を駆け巡る。冷たい霊力が、凍傷で死にかけていた士道の細胞を、ゆっくりと癒していく。
同時に——。
パキン。
小さな音がした。
氷の結界に、ひびが入った。
パキパキパキパキッ!
ひびは、蜘蛛の巣のように広がっていく。凍りついていた商店街のアーケード。ガラス。道路。すべての氷が、内側から、静かに溶け始めていた。
「……氷が」
折紙の呟きが、聞こえた。
彼女のCR-ユニットを覆っていた氷も、みるみるうちに解けていく。白い装甲が、再びその姿を現した。
四糸乃の髪に、温かな色が戻っていく。水色の髪が、ほんの少しだけ、柔らかな色合いを帯びた。蒼玉の瞳が、ゆっくりと、士道を見上げる。
「……士道、さん」
四糸乃の唇が、微かに動いた。
自分の声で。
パペット越しではなく。
「私……また、話しかけても、いい……?」
士道は、笑った。
「ああ。何度でも」
四糸乃の目に、涙が滲んだ。
大粒の涙が、凍りついた頬を伝って、落ちていく。
「……う、あ……ありがとう、ございます」
四糸乃は、左手のパペットを、そっと抱きしめた。
よしのんは、パペットの中で、眠るように静まり返っていた。
士道は、四糸乃の頭を、優しく撫でた。
「よく、頑張ったな」
四糸乃は、こくりと頷いた。
——氷の結界が、完全に消えた。
天宮市駅前商店街に、久しぶりの陽の光が降り注ぐ。凍りついていた看板から、水滴が滴り落ちる。アーケードの屋根から、雪解け水が、ぽたぽたと音を立てて落ちてきた。
街が、息を吹き返していく。
「……五河士道」
折紙が、立ち上がった。白いCR-ユニットは、まだところどころ凍りついているが、動けるようにはなっていた。
「精霊の霊力反応が、消えた。……封印したのか」
「ああ。四糸乃は、もう暴走しない」
折紙は、士道をじっと見つめた。無表情のまま。
「……そうか」
折紙は、それだけ言うと、背を向けた。
「私は、ASTに戻る。報告しなければならない」
「折紙」
士道が呼び止める。
「……ありがとうな」
折紙は、振り返らなかった。
「礼を言われる筋合いはない。私は、精霊を排除するために来ただけだ」
「それでも、お前が来てくれたから、俺は四糸乃を守れた」
折紙の足が、一瞬止まった。
「……勘違いするな。私は、お前のためではない」
そう言い残し、折紙はブースターを起動させた。白い影が、空へと舞い上がる。
士道は、折紙が消えていく空を見上げた。
「……素直じゃねぇな、相変わらず」
士道は、小さく笑った。
その時、スマホが震えた。
「士道! やったわね! 四糸乃の霊力反応が、完全に安定したわ!」
琴里の声が、スピーカーから飛び出してきた。司令官モードの声だったが、その声には、明らかな安堵と興奮が混ざっていた。
「ああ。封印は完了した。四糸乃は、無事だ」
「ええ、モニターで見てたわ。……よくやったわね、士道」
琴里の声が、少しだけ柔らかくなった。
「……本当に、よくやった」
士道は、四糸乃の手を握ったまま、空を見上げた。
雨雲が、消えていた。
久しぶりの青空が、天宮市の上に広がっている。
「ああ。……ただいま、琴里」
「おかえりなさい、おにーちゃん」
通信が切れた。
士道は、四糸乃を見た。
四糸乃は、士道の手を握り返したまま、小さく微笑んでいた。
その笑顔は、氷の迷宮の中で見たどんな光よりも、温かかった。
——。
翌朝。
五河家のリビングに、朝日が差し込んでいた。
カーテンの隙間から漏れる光が、床に柔らかな模様を描いている。
士道は、台所に立っていた。
味噌汁の匂いが、家中に広がる。だしを取るところから始める、いつもの朝のルーティン。
「四糸乃、朝飯できたぞ」
士道が声をかけると、リビングのソファに座っていた四糸乃が、ゆっくりと立ち上がった。
水色の髪が、朝日に透けて輝いている。蒼玉の瞳が、士道を見つめた。
四糸乃は、左手のパペットを、そっと胸に抱きしめた。
そして——。
「……おはよう、士道さん」
自分の声で。
パペット越しではなく。
士道の胸が、じわりと温かくなった。
「……おはよう、四糸乃」
士道は、精一杯の優しい声で、返した。
四糸乃の頬が、ほんの少しだけ、赤く染まった。
「あ、あの……私、自分で言えた……」
四糸乃は、嬉しそうに、でも恥ずかしそうに、小さく笑った。
「ああ。ちゃんと、聞こえたよ」
士道は、四糸乃の頭を、軽く撫でた。
四糸乃は、くすぐったそうに目を細めた。
「おはよー! おにーちゃん! 四糸乃ちゃん!」
元気な声が、二階から降りてきた。
白いリボンを付けた、妹モードの琴里が、階段を駆け下りてくる。赤いツインテールが、ぴょんぴょんと跳ねていた。
「わあ! 今日はいい天気だね! 雨、やんだんだ!」
琴里は、リビングの窓を開け放った。
青空が、目に飛び込んでくる。
「ああ。久しぶりの青空だ」
士道も、窓の外を見た。
天宮市の空から、雨雲が完全に消えていた。どこまでも続く青空。街のあちこちから、雪解け水が滴り落ちる音が聞こえる。
「四糸乃ちゃん、昨日は大変だったんだってね! でも、もう大丈夫だよ! おにーちゃんが守ってくれるから!」
琴里は、四糸乃の手を握った。
四糸乃は、驚いたように琴里を見たが、すぐに小さく頷いた。
「……はい。士道さんが、守ってくれました」
四糸乃の声は、まだ小さかった。でも、確かに、自分の言葉だった。
「あらあら、四糸乃ったら、もうおにーちゃんにメロメロね!」
琴里が、からかうように笑った。
「ち、違います……!」
四糸乃の顔が、真っ赤になった。
「おい琴里、変なこと言うな」
士道は、照れ隠しに琴里の頭を軽く叩いた。
「だって、事実でしょ? 四糸乃ちゃん、昨日からずっとおにーちゃんのこと見てるもん」
「そ、そんなこと……!」
四糸乃は、パペットをぎゅっと抱きしめて、顔を隠した。
士道は、ため息をついた。
「ったく……朝から騒がしいな」
でも、その口元は、笑っていた。
三人で朝食を囲む。
味噌汁、卵焼き、焼き魚。士道が作った、いつもの朝食。
四糸乃は、おそるおそる卵焼きを口に運んだ。
「……おいしい」
四糸乃の目が、輝いた。
「そりゃよかった。遠慮せず食えよ」
士道は、四糸乃の茶碗に、味噌汁を注いだ。
「四糸乃ちゃん、おにーちゃんの料理、すっごくおいしいでしょ! 私も大好きなの!」
琴里は、嬉しそうに卵焼きを頬張った。
四糸乃は、こくりと頷いた。
「……士道さんは、なんでもできるんですね」
四糸乃が、ぽつりと言った。
「え? いや、そんなこと……」
士道は、照れて言葉に詰まった。
「あらあら、士道さん、照れてるわよ?」
琴里が、よしのんの口調を真似て言った。
「うるせぇ! お前が言うな!」
士道は、顔を赤くして怒鳴った。
四糸乃は、そんな士道を見て、小さく笑った。
「ふふ……」
その笑い声は、パペット越しではなく、四糸乃自身の声だった。
士道は、その笑い声を聞いて、胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じた。
(……よかった)
四糸乃が、笑っている。
自分の声で。
それだけで、これまでの全てが報われた気がした。
——その夜。
天宮市郊外。
DEM社極東支部。
表向きは民間研究所。だが、その地下深くには、精霊捕獲部隊の司令室が存在した。
無機質なモニター群が、青白い光を放っている。
一人の男が、モニターの前に立っていた。
銀髪。切れ長の目。病的なまでに白い肌。
ウェストコット。DEM社業務執行取締役。精霊を兵器化することを目論む、ラタトスクの最大の敵対者。
「……〈ハーミット〉の霊結晶捕獲に失敗したか」
ウェストコットは、報告書を手に取った。
「ラタトスクの精霊交渉役、五河士道。……面白い男だ」
ウェストコットの唇が、薄く笑った。
「だが、〈ハーミット〉の霊力データは、価値が計り知れない。氷結霊力の解析データは、我々の研究を大きく前進させるだろう」
ウェストコットは、モニターに映るデータを見つめた。
「次の標的は……〈プリンセス〉だ」
モニターに、一人の少女の画像が表示された。
夜色の髪。水晶の瞳。
夜刀神十香。
「精霊の中でも最強クラスの攻撃力を持つ〈プリンセス〉。その霊結晶を手に入れれば、我々の計画は大きく前進する」
ウェストコットは、冷たい笑みを浮かべた。
「捕獲作戦の準備を開始しろ。今回は、失敗は許されない」
「了解しました」
部下が、敬礼して部屋を出ていく。
ウェストコットは、一人、モニターを見つめ続けた。
「……五河士道。お前が、どこまで精霊を守れるか。見せてもらおう」
——。
五河家。
四糸乃に貸し与えられた客間。
柔らかな月明かりが、カーテンの隙間から差し込んでいた。
四糸乃は、ベッドの上で、静かな寝息を立てていた。
左手には、パペットのよしのんが、いつものように装着されている。
四糸乃の夢の中。
深い、深い、氷の底。
そこに、よしのんはいた。
眠っている。
パペットの姿のまま、氷の棺に閉じ込められたように、静かに眠っている。
だが——。
その口元が、微かに動いた。
「……まだ、終わってないわよ」
よしのんの声が、夢の底に響いた。
「四糸乃。……私の、本当の気持ち。まだ、全部は話してないんだから」
よしのんのボタンの目が、ゆっくりと開かれた。
「……士道さん。あなたは、本当に、四糸乃を守れるのかしら」
その声は、氷の底に溶けて消えた。
四糸乃の寝顔は、月明かりの中で、安らかだった。Noveliaとは?
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