デート・ア・ライブif 〜四糸乃と始める、やり直しのデート〜
五河士道は、同じ夢を繰り返し見ていた。幼い頃、駅の雑踏で母の手がすり抜け、背中が遠ざかっていく夢。見捨てられることへの恐怖が、胸の奥に小さなトゲのように刺さったまま取れない。そんなある朝、義妹でありラタトスクの司令官でもある琴里から、新たな任務を告げられる。ターゲットは第2の精霊〈ハーミット〉――氷芽川四糸乃。水色の髪に蒼玉の瞳を持つ、極度の人見知りの少女だった。しかも彼女は、左手にはめたウサギのパペット〈よしのん〉を通してしか、他人とコミュニケーションが取れないという。デートの相手は四糸乃、そしてそのパペットと仲良くならなければ作戦は失敗。さらに天宮市の空には、四糸乃の霊力によるものと思われる不気味な雨雲が留まり続け、七日間ずっと雨の予報が続いていた。失敗すれば街が氷漬けになる――プレッシャーの中、士道はパペットとの"デート"という前代未聞の作戦に挑む。精霊と、そのパペットと、そして自分自身の過去に向き合う、やり直しの物語が始まる。
デート・ア・ライブif 〜四糸乃と始める、やり直しのデート〜 - 氷の迷宮と、証明できない約束
天宮市の朝は、静寂に包まれていた。
いや、静寂という言葉は正しくない。街の一角、駅前商店街を中心に、世界は完全に凍りついていた。アーケードの屋根を支える柱は分厚い氷の膜に覆われ、看板からは無数のつららが垂れ下がっている。地面は鏡のように滑らかな氷床と化し、朝日を受けて青白く鈍い光を放っていた。
五河士道は、その氷の迷宮の入り口に立っていた。
黒髪のくせっ毛は、昨夜から降り続く冷たい雨で額に張り付いている。垂れ目の茶色い瞳が、異形と化した商店街を見つめていた。左耳の小さなピアスが、かすかに震えている。手の甲には、これまで封印してきた精霊たちとのキスの痕が、凍える空気の中でうっすらと白く浮かんでいた。
(四糸乃……)
昨夜の光景が、まぶたの裏に焼き付いている。
十香の霊力に刺激され、四糸乃の感情が暴走した。商店街が一瞬で氷漬けになり、人々が悲鳴を上げて逃げ惑った。士道は必死に叫んだ。俺はお前を傷つけない、俺は逃げない、と。
だが、四糸乃の意識は戻らなかった。
よしのんの冷たい笑みだけが、氷の結界の中心で士道を見下ろしていた。
「……行くしかない」
士道は、震える拳を握りしめた。
その時、スマホが震えた。ラタトスクの専用回線だ。
「士道。状況は最悪よ」
琴里の声は、司令官モードだった。赤いツインテールを揺らし、黒いリボンを結んだ義妹の顔が、士道の脳裏に浮かぶ。彼女は今、地下50メートルにあるラタトスク天宮基地の司令室で、モニター越しに士道を見ているはずだ。
「ああ。商店街は完全に凍結してる。四糸乃の姿は見えない。霊力反応はどうなってる?」
「四糸乃の霊力は、氷の結界の中心部で観測されているわ。幸い、周辺住民の避難は完了している。ラタトスクの観測網は、結界の拡大が止まっていると報告してる。でも、いつ再び動き出すか分からない」
士道は、凍てつく商店街を見渡した。
「……単独で行く。四糸乃の心を開けるのは、俺だけだ」
「ええ。あなたの判断は正しいわ。ただし——」
琴里の声が、一段と低くなった。
「DEM社の動きがある。時間がないのよ」
士道の表情が、引き締まった。
DEM社。精霊を武力で排除しようとする国際企業。精霊を資源として研究し、兵器化を目論む、ラタトスクの最大の敵対組織だ。その観測衛星が、昨夜の暴走を捕捉していた。
「……分かってる。必ず、四糸乃を守る」
「信じてるわよ。おにーちゃん」
通信が切れた。
士道は、スマホをポケットにしまった。
そして、一歩を踏み出した。
氷の迷宮へ。
靴底が氷床を踏むたびに、ミシリ、という音が響く。商店街のアーケードは、かつての賑わいが嘘のように静まり返っていた。たい焼き屋〈天宮屋〉の看板は氷に閉ざされ、古書店〈霧生堂〉のショーウィンドウは白く曇っている。喫茶〈碧流〉のドアは、氷の重みで開かない。
(四糸乃、どこにいるんだ)
士道は、結界の中心部へ向かって走り出した。
冷たい空気が、肺を焼く。吐く息が白く凍る。まつげに霜が張り付く。指先の感覚が、少しずつ鈍くなっていく。
それでも、士道は走った。
四糸乃を守らなければ。あの小さな、臆病な精霊を。
——その時だった。
ゴゴゴゴゴゴゴ……
空気が、重く震えた。
士道は、足を止めた。
見上げた空は、厚い雨雲に覆われている。その雲の切れ間から、黒い影が、ゆっくりと降下してくる。
「……嘘だろ」
武装ヘリだった。
軍用の、重武装のヘリコプター。その機体には、DEM社のエンブレムが描かれている。回転翼の風圧が、氷の破片を巻き上げる。轟音が、凍りついた商店街に響き渡った。
ヘリから、黒い戦闘服を着た兵士たちが、次々とロープで降下してくる。
精霊捕獲部隊。
「〈ハーミット〉の霊結晶反応を捕捉。目標地点まで、あと50メートル。特殊弾頭の使用許可を要請します」
兵士の一人が、無線で報告する。
士道は、歯を食いしばった。
「ふざけるな……!」
士道は、DEM兵たちの前に立ちはだかった。
「そこをどけ。邪魔をするな」
部隊長らしき男が、冷たい声で言った。顔の半分を覆う黒いバイザー。手には、特殊な形状の銃器が握られている。
「どくわけないだろ。四糸乃には、指一本触れさせない」
士道は、両腕を広げた。
「素人が。お前のような一般人に、精霊を守れるとでも?」
部隊長が、嘲笑うように言った。
「守れるかどうかじゃない。守るんだよ」
士道は、一歩も引かなかった。
その時——
ドォォォン!!!
爆発音が、士道の背後で炸裂した。
振り返る。
氷の結界の中心部。四糸乃がいるはずの場所に、特殊弾頭が撃ち込まれていた。白い煙が上がり、氷の破片が飛び散る。
「四糸乃!!」
士道は、叫んだ。
DEM兵たちが、士道の脇をすり抜けて、結界の中心部へ向かって走っていく。
「くそっ……待てよ!!」
士道は、DEM兵を追いかけた。
氷の床で足を滑らせ、膝を打つ。痛みが走る。だが、立ち止まるわけにはいかない。
結界の中心部に、四糸乃はいた。
水色の髪が、氷の結晶に覆われている。黄色いレインコートは、ところどころ凍りついていた。蒼玉の瞳は、虚ろに開かれている。左手には、眼帯をつけたウサギのパペット——よしのん。
その周囲には、無数の氷の柱が乱立していた。特殊弾頭は、四糸乃の目の前で、氷の壁に阻まれて爆発したようだ。
「やっぱり、来たのね」
よしのんが、パペットの口を動かしながら言った。
「四糸乃!無事か!?」
士道は、四糸乃に駆け寄ろうとした。
「来ないで。これ以上、近づかないで」
よしのんの声が、冷たく士道を突き放した。
「何を言ってるんだ!俺は、お前を助けに来たんだぞ!」
「助ける?あなたが?どうやって?あの人たちと同じように、四糸乃を傷つけるだけじゃないの?」
よしのんが、DEM兵たちを指した。
DEM兵たちは、四糸乃を取り囲み、特殊弾頭を構えていた。
「ほら、やっぱり。あなたを傷つけるものしかいないじゃない」
よしのんが、四糸乃の耳元で囁いた。
四糸乃の体が、びくりと震えた。
「四糸乃!俺は違う!俺は、お前を傷つけない!」
士道は、叫んだ。
だが、四糸乃の虚ろな瞳は、士道を見ていない。
「さあ、もう終わりにしましょう。この子は、人間なんて信じない。私だけが、この子を守れるの」
よしのんが、冷たく言い放った。
その時、DEM部隊長が、銃を構えた。
「目標を確認。霊結晶の回収を開始する。邪魔者は排除しろ」
兵士たちが、一斉に士道に銃口を向けた。
「させるか……!」
士道は、地面を蹴った。
氷の床を滑り込み、DEM兵の一人に体当たりする。兵士がよろめく。士道は、その銃を奪い取ろうとした。
「うおおおおお!!」
士道は、暴れた。
殴られ、蹴られ、氷の床に叩きつけられても、士道は立ち上がった。口の中に血の味が広がる。視界が揺れる。それでも、四糸乃の前に立ちはだかった。
「四糸乃に……近づくな……!!」
士道は、四糸乃を庇うように、両腕を広げた。
その瞬間、四糸乃の体が、微かに動いた。
「……し、どう……さん?」
か細い、震える声。
士道は、振り返った。
四糸乃の蒼玉の瞳が、ほんの少しだけ、士道を見ていた。
「四糸乃……!」
士道は、四糸乃の小さな体を、抱きしめた。
冷たい。氷のように冷たい。それでも、確かに、四糸乃の命が、そこにあった。
「俺は逃げない。お前の全部を受け止める」
士道は、四糸乃の耳元で、はっきりと言った。
「だったら、証明してみせて」
よしのんが、冷たく言い放った。
「アナタに、何ができるの?この子を守れると、どうやって証明するの?」
よしのんの声は、氷の結晶のように鋭かった。
士道は、言葉に詰まった。
証明しろと言われて、どうすればいい?
その時——
士道の指先が、凍り始めた。
四糸乃の霊力が、士道の体に流れ込んでくる。冷気が、指先から手首へ、手首から腕へと、ゆっくりと這い上がってくる。
「くっ……!」
士道は、痛みに顔を歪めた。
それでも、四糸乃を離さなかった。
「ほら、やっぱり。あなたも、この子に傷つけられる。逃げなさい。まだ、間に合うわ」
よしのんが、囁いた。
「逃げるか……!俺は、絶対に逃げない……!」
士道は、叫んだ。
その時、士道のスマホが、けたたましく鳴り響いた。
「士道!DEM社の第二波が接近してる!しかも——」
琴里の声が、ノイズに混じって聞こえる。
「……通信が……妨害されて……士道、聞こえる!?……おにー……ちゃ……」
プツン、という音。
通信が、途絶えた。
「琴里!?琴里!!」
士道は、スマホに向かって叫んだ。
返事はない。
孤立無援。
DEM社の第二波が迫っている。指は凍り始めている。琴里との通信も途絶えた。
絶望的な状況だった。
士道は、それでも、四糸乃を抱きしめ続けた。
(どうすればいい。どうすれば、四糸乃を守れる)
答えは、出ない。
士道の心臓が、冷たい氷に覆われていくようだった。
——その時、士道の脳裏に、幼い頃の記憶が蘇った。
駅の雑踏。人の波。小さな手を引く、温かい手。
(お母さん……)
その手が、突然、離れた。
振り返る。母の背中が、人混みの中に消えていく。
(待って……お母さん……!)
必死に追いかけた。だが、小さな足では追いつけない。
人波に押し流され、転んだ。
立ち上がった時には、もう、母の姿はどこにもなかった。
——見捨てられた。
その記憶が、士道の心を、深く深く、えぐる。
(俺は、見捨てられるのが怖い。誰かに手を離されるのが、何よりも怖い)
士道は、自覚していた。
だからこそ、士道は、誰よりも強く、誰かの手を握る。
「……俺も、見捨てられたことがある」
士道は、震える声で、言った。
「幼い頃、母親に、手を離された。人混みの中で、置き去りにされた。あの時の恐怖は、今でも覚えてる。心臓が凍りつくような、あの感覚を」
士道の声は、氷の迷宮に吸い込まれていく。
「だから、分かるんだ。お前が、どれだけ怖がってるか。誰かに見捨てられるのが、どれだけ辛いか。俺には、痛いほど分かる」
士道は、四糸乃の手を、強く握った。
凍り始めた指先に、四糸乃の冷たい手の感触が、痛いほど伝わってくる。
「だから——見捨てない。俺は、お前を、絶対に見捨てない」
その言葉が、四糸乃の心に、届いたのか。
四糸乃の指が、微かに動いた。
「……し、どう……さん」
かすかな、本当にかすかな声。
だが、四糸乃の意識は、まだ戻らない。
よしのんは、黙り込んだ。
氷の結界は、さらに厚みを増していく。
バキバキバキ……
氷の柱が、士道と四糸乃を取り囲むように、せり上がってくる。
「……それでも、無駄よ」
よしのんが、ぽつりと言った。
「あなたの言葉は、この子には届かない。この子は、もう、誰も信じない。私だけが、この子を守るの」
よしのんの声は、悲しげで、それでいて、決意に満ちていた。
「……そうかもしれない」
士道は、静かに言った。
「でも、俺は、信じ続ける。四糸乃が、いつか、俺を信じてくれるって。何年かかっても、何十年かかっても。俺は、ここにいる」
士道は、凍てつく地面に、膝をついた。
凍傷が、足の感覚を奪っていく。視界が、白く霞み始める。
それでも、士道は、四糸乃の手を握り続けた。
「なぜ、そこまでするの?」
よしのんが、問いかけた。
「アナタも、怖いんでしょ。私が——四糸乃が、アナタを傷つけるかもしれないのに」
士道は、震える声で、答えた。
「怖いさ。……怖いに決まってる」
士道の声は、涙で濡れていた。
「でも、それ以上に——お前たちを、一人にしたくない」
その瞬間だった。
四糸乃のまぶたが、微かに震えた。
長いまつげが、霜を落とすように、ゆっくりと持ち上がる。
「……あ」
四糸乃の蒼玉の瞳が、士道を見た。
その瞳は、まだ虚ろだった。だが、確かに、士道を映していた。
「四糸乃……!」
士道は、叫んだ。
よしのんの声が、初めて、揺らいだ。
「……四糸乃?」
よしのんの声は、震えていた。
「……よしのん……私……」
四糸乃が、かすかに、言った。
——だが。
士道の意識が、限界に近づいていた。
視界が、白く霞む。
音が、遠ざかる。
体の感覚が、消えていく。
「四糸乃……よしのん……」
士道は、四糸乃の手を握ったまま、意識を手放した。
——遠くで、DEM社の武装ヘリの轟音が、氷の迷宮に響き渡っていた。Noveliaとは?
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