ソウルイーター 逆行の共鳴 ―死神を継ぐ者―
三年前の入学式の朝に目覚めたソウル=イーターは、自分が未来の記憶を持ったまま過去へと逆行したことに気づく。鬼神・阿修羅との最終決戦でマカをかばって命を落とした――その記憶を胸に、十三歳の少年となった彼は、今度こそ仲間たちを守り抜くと誓う。だが、死神様の口から語られたのは、ソウルが知らない新たな脅威「アナムネシス教団」の存在だった。記憶を喰らう者を崇拝する謎の集団。自分の行動が未来を変えてしまったのか。それとも――。無邪気に笑うマカの隣で、ソウルは誰にも言えない決意を胸に、二度目の運命を歩き始める。未来を知る者が、未来を変えるために戦う冒険譚、ここに開幕。
ソウルイーター 逆行の共鳴 ―死神を継ぐ者― - 軋む共鳴 ―廃教会の紋章―
訓練場の床は冷たかった。
ひんやりとした石の感触が、素足の裏からじわじわと伝わってくる。ソウル=イーターは目を閉じた。呼吸を整える。空気が、少し湿っている。昨日の雨の名残が、まだ訓練場の隅に溜まっていた。
入学から一週間。
死武専の校舎は、朝の光に照らされて、白く浮かび上がっていた。廊下を歩けば、すれ違う生徒たちのざわめきが耳に入る。武器と職人。そのペアが、あちこちで会話を交わしている。
ソウルは、その光景を、少しだけ遠くから見ていた。
(一週間か)
時が戻ってから、まだ、たったの一週間。未来の記憶を持つ俺にとって、この一週間は、長いようで短い、変な時間だった。
「ソウルくん」
声がした。振り向くと、マカ=アルバーンが立っていた。暗いベージュの髪をツインテールに結んでいる。緑色の瞳が、真っ直ぐに俺を見ていた。死武専の制服を、きちんと着ている。襟元まで、ボタンが全部留まっていた。
「準備、できた?」
「ああ」
短く答える。口に咥えた爪楊枝みたいな棒を、軽く噛み直した。
今日は、初めての共鳴訓練だ。
職人と武器が、魂の波長を合わせる。そのための訓練。死武専の生徒にとって、これが、最初の関門だった。
未来では、俺とマカの共鳴は、自然にできていた。
いや、正確には、最初はやっぱり上手くいかなかった。でも、あの頃の俺は、何も考えていなかった。ただ、マカの魂の波長に、自分の波長を重ねる。それだけで、十分だった。
今の俺は、違う。
未来の記憶がある。マカの魂の波長が、どう成長していくのかを知っている。完成された共鳴の形を、知っている。
それが、逆に、邪魔をする。
「今日は、基本の波長合わせから始めるわ」
マカが、訓練場の中央に立った。姿勢が良い。背筋が、ぴんと伸びている。
「私、まだ上手くできるかわからないけど……頑張るね」
マカが、少しだけ、はにかんだ。
その笑顔を見て、ソウルの胸の奥が、ちくりと痛む。
(こいつは、何も知らない)
(未来で、自分がどれだけ強くなるのかも)
(どんなに辛い思いをするのかも)
「……おう」
ソウルは、目を逸らした。
訓練場の壁際には、他の新入生のペアが、数組、同じように訓練を始めていた。みんな、真剣な顔をしている。うまく共鳴できるペアもいれば、何度も失敗して、ため息をついているペアもいる。
「いくよ、ソウルくん」
マカが、両手を差し出した。
ソウルは、その手を取る。
――変身する。
体が、光に包まれる。骨が、形を変える。皮膚が、硬質な金属に変わる。一瞬の浮遊感。そして、ソウルの体は、一振りの大鎌になっていた。
マカの手の中に、その柄が、しっかりと握られている。
(これが、俺の本体)
(大鎌。死神の武器になるための、最初の形)
「……波長を、合わせる」
マカが、目を閉じた。
ソウルは、自分の魂の波長を、マカの波長に、ゆっくりと近づけていく。
――キィィン。
耳障りな音が、頭の中に響いた。
(……っ)
ソウルは、内心で顔を歪めた。
波長が、合わない。
マカの波長は、まだ、か細い。まるで、生まれたての小鳥みたいに、震えている。俺の波長は、未来の記憶のせいか、無意識に、完成された共鳴の形を求めてしまう。
マカの未熟な波長に、俺の波長が、うまく重ならない。
ギチギチと、歯車が噛み合わないような、不快な感覚。
「……あれ?」
マカが、戸惑った声を出した。
「うまく、いかない……なんで……?」
マカの手に、力が入る。鎌の柄を握る指が、白くなる。
「もう一度、やってみる」
マカが、深呼吸をした。
ソウルも、意識を集中させる。
(俺が、合わせるんだ)
(未来の俺じゃない。今のマカに、今の俺が)
ソウルは、自分の波長を、意識的に、弱めた。未来の記憶が呼び起こす、完成された共鳴のイメージを、頭の隅に追いやる。
今のマカの波長。
弱くて、震えていて、でも、真っ直ぐで。
その波長に、寄り添うように、自分の波長を重ねる。
――ジリジリ。
まだ、軋む。
でも、さっきよりは、少しだけ、マシだ。
「……ううん、まだダメ」
マカが、悔しそうに、唇を噛んだ。
「私、ソウルくんの足を引っ張ってばかりだね」
俯く。ツインテールが、重力に従って、垂れ下がった。
その声は、小さくて、消え入りそうだった。
ソウルは、鎌の形のまま、マカの声を聞いていた。
(違う)
(お前は、足を引っ張ってなんかない)
(未来のお前は、俺を、何度も救ってくれた)
(あの最終決戦で、俺がお前をかばったのは、お前が弱いからじゃない)
(お前が、俺にとって、一番大切な存在だったからだ)
心の中で、そう叫んだ。
でも、言葉にはできない。
未来のことを、マカに話すわけにはいかない。
ソウルは、鎌から、人の姿に戻った。
「マカ」
マカが、顔を上げた。緑色の瞳が、潤んでいる。
「お前は、絶対に強くなる」
ソウルは、マカの目を、真っ直ぐに見た。
「俺が保証する」
マカの目が、少しだけ、見開かれた。
「……なんで、そんなこと言えるの?」
「知るか。勘だ」
ソウルは、口元を、ほんの少しだけ、歪めた。
「でも、俺の勘は、よく当たるんだぜ」
マカが、じっと、ソウルを見つめた。
それから、小さく、笑った。
「……うん。ありがとう、ソウルくん」
マカの笑顔は、まだ、少しだけ、影があった。
でも、さっきよりは、ずっと、マシだった。
(これでいい)
(今は、これで)
(焦るな。時間は、まだ、ある)
ソウルは、心の中で、自分に言い聞かせた。
――訓練が終わった。
二人が訓練場を出ようとした時、声をかけられた。
「ちょっと、いいか」
低い、落ち着いた声。
振り向くと、そこに、男が立っていた。
死武専の教官。シュタイン。
白い白衣を着ている。首には、大きなネジが、ぐるぐると巻きついていた。顔には、無精髭。手には、いつものように、メスを持っている。
ソウルは、この男を、よく知っている。
死武専史上最強の卒業生。風変わりだが、非常に才能のある医者であり、職人。
未来では、この男に、何度も助けられた。
「共鳴の波形、見せてもらった」
シュタインが、手に持った端末を、軽く振った。
「二人とも、波長が、異様に歪んでいる」
ソウルの心臓が、跳ねた。
「特に、ソウル」
シュタインの目が、ソウルを、じっと見た。
「お前の魂の内側に、普通の新入生にはない、異常な干渉がある」
冷や汗が、背中を伝う。
(やばい)
(未来の記憶のことが、バレたのか?)
(いや、そんなはずは……)
「……緊張しただけだ」
ソウルは、平静を装って、そう答えた。
「初めての共鳴訓練で、力が入ったんだろ」
シュタインは、しばらく、ソウルの顔を、無表情で見つめていた。
「……そうか」
シュタインが、ゆっくりと、頷いた。
「だが、一つだけ、忠告しておく」
シュタインの声が、少しだけ、低くなった。
「隠し事は、狂気を呼ぶぞ」
ソウルの体が、硬直した。
「魂の波長は、正直だ。隠していることがあれば、必ず、歪みとして現れる」
シュタインが、メスを、くるくると回した。
「お前の波長の歪みは、ただの緊張にしては、深すぎる」
「……何が言いたいんだよ」
ソウルは、声が、少しだけ、掠れた。
「別に。教官としての、ただの忠告だ」
シュタインは、肩をすくめた。
「気をつけろよ。狂気は、最初は、ほんの小さな歪みから始まる」
それだけ言うと、シュタインは、背を向けて、去っていった。
白衣の裾が、ひらりと翻る。
ソウルは、その後ろ姿を、じっと見つめていた。
「ソウルくん……大丈夫?」
マカが、心配そうに、ソウルの顔を覗き込んだ。
「……ああ。別に」
ソウルは、短く答えた。
(シュタイン先生には、何か感じ取られてる)
(でも、確信は、まだ、持たれていない)
(気をつけなければ)
ソウルは、拳を、ぎゅっと握りしめた。
――夜。
寮の自室。
ソウルは、ベッドに仰向けに寝転がっていた。
天井を見つめる。
(シュタイン先生の言葉が、頭から離れない)
(隠し事は、狂気を呼ぶ)
(俺の隠し事は、狂気どころか、世界の運命を変えるような、大きな秘密だ)
ソウルは、ため息をついた。
窓の外を見る。
月が出ている。細い、三日月。
(……あそこに行かなければ)
ソウルは、体を起こした。
未来の記憶では、街の外れに、何もなかった。
でも、今の世界では、違う。
入学式の日に、死神様が言っていた。
アナムネシス教団。
記憶を喰らう者を崇拝する、危険な集団。
未来には、存在しなかった名前。
そして、あの夜、寮の窓の外に、黒い影が、一瞬、よぎった。
気のせいかもしれない。
でも、気になって、仕方がない。
(確かめなければ)
(未来が変わっているなら、何が変わっているのか)
ソウルは、静かに、部屋を出た。
寮の廊下は、しんと静まり返っていた。
他の生徒たちは、もう、眠っている。
ソウルは、足音を殺して、寮の裏口から外に出た。
夜風が、冷たい。
死武専の街は、夜になると、人通りが途絶える。街灯が、ぽつぽつと、道を照らしているだけだ。
ソウルは、街の外れに向かって、歩き出した。
――街の外れ。
住宅街が途切れ、雑草が生い茂る空き地が広がる。
その先に、あった。
廃教会の跡。
崩れかけた石造りの建物。屋根は半分以上が落ちて、壁には、蔦が絡みついている。
(……ここだ)
ソウルは、足を止めた。
未来の記憶では、ここには、何もなかった。
ただの空き地だったはずだ。
でも、今は、確かに、廃教会が建っている。
(未来が、変わっている)
(俺が戻ってきたせいで? それとも、別の理由で?)
ソウルは、唾を飲み込んだ。
心臓が、早鐘を打つ。
(入るんだ)
(確かめなければ)
ソウルは、崩れかけた入口を、慎重にくぐった。
中は、真っ暗だった。
月明かりが、壊れた屋根の隙間から、細く差し込んでいる。
埃っぽい匂い。カビの匂い。何かが腐ったような、甘ったるい匂い。
ソウルは、足元に気をつけながら、奥へと進んだ。
礼拝堂だったらしい場所に出た。
正面に、古い祭壇がある。
石でできた、簡素な祭壇。その上には、何も置かれていない。
そして、床。
祭壇の前の床に、何かが刻まれていた。
紋章。
見慣れない、奇妙な模様。
円の中に、いくつもの線が交差している。目玉のような形。歯車のような形。文字のような形。
(なんだ、これは……?)
ソウルは、しゃがみ込んで、紋章を、じっと見つめた。
未来の記憶を探っても、こんな紋章は、見たことがない。
アナムネシス教団の紋章だろうか。
ソウルは、恐る恐る、指を伸ばした。
紋章に、触れる。
――瞬間。
『お前の記憶、いただく』
低い、囁き声が、頭の中に、直接、響いた。
男の声でも、女の声でもない。
人間の声ではない。
粘着質で、這い回るような、不快な声。
「……っ!!」
ソウルは、咄嗟に、後ずさった。
尻餅をつく。
心臓が、破裂しそうだ。
呼吸が、荒い。
(今のは……なんだ?)
(聞こえた。確かに、聞こえた)
(お前の記憶、いただく……?)
ソウルは、震える手で、ポケットからスマホを取り出した。
カメラを起動する。
紋章を、写真に撮る。
カシャッ。
フラッシュが、暗い廃教会を、一瞬、白く照らした。
ソウルは、すぐに、立ち上がった。
(ここにいてはいけない)
(早く、離れなければ)
ソウルは、廃教会を飛び出した。
――帰り道。
夜の街を、早足で歩く。
心臓が、まだ、バクバクと脈打っている。
(あの声は、何だったんだ)
(アナムネシス教団……記憶喰い……)
(俺の未来の記憶が、狙われている?)
ソウルは、考えながら、寮に向かって歩いていた。
その時。
視界の端に、何かが、映った。
ソウルは、足を止めた。
ゆっくりと、視線を上げる。
寮の屋根。
その上に、黒い影が、立っていた。
人の形をしている。
でも、顔が、見えない。
黒い霧のようなものが、全身を覆っている。
影は、ソウルを、見下ろしていた。
「……おい」
ソウルは、声を絞り出した。
「誰だ、お前」
影は、答えない。
ただ、じっと、ソウルを見下ろしている。
ソウルは、一歩、後ろに下がった。
――その瞬間。
影が、煙のように、消えた。
跡形もなく。
まるで、最初から、何もいなかったかのように。
ソウルは、その場に、立ち尽くした。
足が、動かない。
(見られていた)
(確実に、俺は、見られている)
(未来の記憶を、誰かに、狙われている)
恐怖が、足元から、這い上がってくる。
冷たい汗が、額を伝った。
ソウルは、しばらく、その場から、動けなかった。
――翌朝。
教室。
ソウルは、自分の席に座って、ぼんやりと窓の外を見ていた。
昨夜のことは、まだ、頭の中に、こびりついている。
あの囁き声。
あの黒い影。
(俺の逆行は、確実に、誰かに知られている)
(アナムネシス教団……記憶喰い……)
(未来にはなかった敵が、俺を狙っている)
「ソウルくん」
声がして、ソウルは、現実に引き戻された。
マカが、隣の席から、ソウルの顔を覗き込んでいた。
「昨日の夜、誰かと話してた?」
ソウルの心臓が、ドキリと跳ねた。
「……は?」
「声が聞こえた気がしたんだ。夜中に」
マカが、首をかしげた。
「寮の外で、誰かと話してるような……」
(聞こえていたのか?)
(俺が、あの影に声をかけたのが)
ソウルは、内心で、冷や汗をかいた。
「気のせいだろ」
ソウルは、できるだけ、普段通りの声で、そう言った。
「俺は、ずっと部屋で寝てたぜ」
「……そう?」
マカが、じっと、ソウルの目を見た。
その緑色の瞳は、真剣で、少しだけ、心配そうだった。
「うん。でも、何かあったら、言ってね」
マカが、そう言って、微笑んだ。
「私、ソウルくんのパートナーなんだから」
その言葉に、ソウルの胸が、ぎゅっと締めつけられる。
(パートナー)
(そうだ。こいつは、俺のパートナーだ)
(でも、だからこそ、言えない)
(未来の記憶のことは、絶対に、誰にも言えない)
(マカを、危険に巻き込むわけにはいかない)
「……おう。覚えてる」
ソウルは、短く答えた。
マカの優しさが、痛い。
でも、この痛みは、俺が一人で抱えるべきものだ。
(俺が、全部、一人で背負う)
(マカは、何も知らなくていい)
(マカには、笑っていてほしい)
ソウルは、窓の外に目をやった。
青い空。白い雲。
平和な、朝の光景。
でも、ソウルの心の中は、暗い雲で覆われていた。
(アナムネシス教団)
(記憶喰い)
(あの廃教会の紋章)
(そして、あの黒い影)
(全部、俺が、一人で、どうにかしなければならない)
(誰にも、頼れない)
(誰にも、話せない)
ソウルは、爪楊枝みたいな棒を、きつく噛みしめた。
歯が、ギリリと鳴る。
(それでも、俺は)
(絶対に、諦めない)
(マカを、仲間を、未来を)
(俺が、守るんだ)
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