反骨のグレイ~魔族の少女は奴隷から這い上がる~
魔族というだけで人間に狩られ、奴隷に堕とされた少女・グレイ。角を持つその身に刻まれたのは、焼き印と鎖、そして屈辱の記憶だけだった。
グランヴェルド――大陸最大の奴隷貿易都市。そこでは魔族は「動く財産」でしかなく、抵抗すれば踏みにじられ、黙れば喰い物にされる。オークションで売れ残ったグレイに目をつけたのは、闘技場の興行主ヴァルド。与えられたのは錆びついた短剣一本と、猛獣の待つ死の檻だった。
絶望の底で、彼女の暗い紫の瞳に宿るのは諦めではなく、燃えるような殺意。
――奪われたものは、全部奪い返す。
――私を踏みつけた奴らは、いつか必ずこの手で殺す。
生き延びるためではない。喰らい尽くすために、少女は牙を剥く。
鎖に繋がれた「角の奴隷」が、血と砂の闘技場で、人間たちの作った地獄そのものを喰い破っていく――。
これは、奪われた少女が、奪う側へと成り上がる、復讐と解放の物語。
「反骨のグレイ~魔族の少女は奴隷から這い上がる~」をオーディオドラマ(音声)で無料で聴く — キャラごとの声のフルボイス(AI読み上げ/AI声優/オーディオブック)。
反骨のグレイ~魔族の少女は奴隷から這い上がる~ - 師の背中と剣闘士の作法
夜明け前の闘技場は、地下牢のそれとは比べ物にならないほど、深い闇に沈んでいた。
剣闘士用の房が並ぶ石造りの通路には、松明の火もまだ灯されていない。壁に染みついた汗と血と、かびの匂いだけが、闇の中に濃く澱んでいる。
グレイは、薄い藁の敷かれた木の寝台の上で、小さく丸まって眠っていた。
支給された黒いサラシとふんどしだけを身につけ、長い灰色の髪を、ポニーテール用の紐で無造作にまとめている。その首には、黒鉄の首輪が、冷たく食い込んでいた。
眠りは浅い。
いつもそうだった。
灰の底のスラムで、雨漏りのする隠れ家で、パン屑を奪い合っていた頃から、彼女の眠りは一度も深くなったことがない。
眠るということは、隙を晒すということだ。
目を閉じている間も、彼女の耳は、周囲のあらゆる音を拾い続けていた。
遠くで、誰かが咳き込む音。
どこかの房の鉄格子が、かすかに軋む音。
石の上を、鼠が走り抜ける音。
そして、——。
カツン。
規則正しい、靴音。
グレイの瞼が、ゆっくりと開いた。
暗い紫の瞳に、ハイライトはない。
(……誰だ)
体を起こす気配は見せず、呼吸を殺し、音の主を探る。
靴音は、グレイの房の前で、ぴたりと止まった。
そして、暗闇の中から、聞き慣れた声が降ってきた。
「おはよう、グレイ。いい子にしてたかい?」
その声は、夜明け前の静寂を破るには、あまりにも明るく、軽やかだった。
グレイは、寝台の上で、眉をひそめた。
(……気に入らない)
心の中で、そう呟く。
この女の、何もかもが、気に入らない。
人を食ったような笑い方も、こちらの警戒をまるで意に介さない態度も、何より、この女が放つ、底の見えない強さの気配も。
「起きてるんだろ? 寝たふりはお見通しだよ」
セラフィナの声が、少しだけ近づいた。
「朝飯の時間だ。早くしないと、あたしが全部食っちまうよ」
グレイは、ゆっくりと体を起こした。
藁が、かさり、と音を立てる。
「……何しに来た」
低く、唸るような声。
「何しにって、言っただろ? 朝飯だよ。あんた、昨日の稽古の後、何も食ってないんだろ? 体ができあがらないよ」
「……私の食事は、あんたに関係ない」
「あるよ。あんたの師匠だもの。弟子の食事管理も、師匠の仕事さ」
セラフィナは、そう言うと、房の鍵を開けた。
ガチャリ。
鉄格子が開く音が、闇に響く。
グレイは、警戒を解かなかった。
(師匠)
(この女は、私に、剣を教えると言った)
(私は、それを受け入れた)
いや、正確には、受け入れさせられた。
あの模擬試合の後、セラフィナは、グレイの顎を掴み、狂気と好奇心の混ざった瞳で、こう告げた。
——あたしが、あんたに、師事してやる。
あの時、グレイは、この女から、強さを奪い取ってやると、心に決めた。
強さも、技術も、何もかも。
そして、いつか、必ず、この女を超える。
そのためなら、どんな屈辱も、飲み込んでやる。
「……飯なら、食う」
グレイは、短く言った。
「素直でよろしい」
セラフィナは、笑った。
その笑顔は、暗闇の中でも、はっきりと分かるほど、華やかだった。
長く艶のある黒髪。褐色の肌。長く尖った耳。
頭には金の月桂冠を戴き、黒地に金糸のコルセットが、豊満な胸とくびれた腰を強調している。
腰には短い布を巻き、太腿がむき出しだ。
肩から背中にかけて、いくつもの細い金の鎖が、肌に沿って垂れていた。
そして、その背中には、いつものように、処刑用の大剣が背負われていた。
刃渡りは、グレイの身長ほどもある。
幅広で、分厚く、先端がわずかに曲がっている。
首を斬り落とすための、断頭台の刃のような剣。
凶刃の女王。
この闘技場で、最も強い剣闘士。
その女が、今、グレイの房の前に立っている。
「ほら、これ。あんたの分」
セラフィナは、手に持っていた木の皿を、グレイに差し出した。
皿の上には、固い黒パンと、薄いスープの入った椀、そして、塩漬けの干し肉が、いくつか乗っていた。
剣闘士用の房で出される食事よりも、ずっと、まともな量だった。
「あんた、体が小さいから、もっと食わないと。剣を振るには、体力がいるんだよ」
「……小さいのは、生まれつきだ」
グレイは、皿を受け取ると、寝台の上に置いた。
「文句はない。食う」
「よし。じゃあ、あたしも、ここで食おう」
セラフィナは、そう言うと、自分の分の皿を、グレイの隣に置いた。
「……なぜ、ここで食う」
「一人で食うより、二人で食った方が、美味いだろ?」
「そうは思わない」
「思えよ」
セラフィナは、あっけらかんと言った。
グレイは、それ以上、何も言わなかった。
言ったところで、この女は、自分の思い通りにしか動かない。
それに、今は、腹が減っている。
グレイは、黒パンを手に取り、かじりついた。
固い。
パサパサとしていて、喉を通りにくい。
だが、腹には、確かに、たまる。
「スープも飲みな。パンだけじゃ、喉に詰まるよ」
セラフィナが、椀を差し出してきた。
グレイは、無言で受け取り、スープを一口、啜った。
塩気のある、温かいスープだった。
「……まずくはない」
「だろ? あたしが作ったんだ」
セラフィナは、得意げに言った。
「あんたが、作ったのか」
「そうだよ。剣闘士の房の飯は、味気ないだろ? あたしの住戸には、簡単な調理場があるんだ。だから、たまに、こうして作ってやるよ」
「……余計なことを」
「余計なことじゃないよ。体は、剣闘士の資本だ。美味いものを食って、しっかり休んで、強い体を作る。それも、生き残るための技術のうちさ」
セラフィナは、そう言うと、自分の分の干し肉を、グレイの皿に移した。
「お前、食わないのか」
「あたしは、もう食ったよ。それに、あんた、干し肉、好きだろ?」
「……なぜ、分かる」
「昨日の稽古の後、あんたの房に、干し肉が残ってなかったからさ」
セラフィナは、にっこりと笑った。
グレイは、舌打ちをした。
(この女は、どこまで見ている)
「……食う」
グレイは、干し肉を、無言で口に運んだ。
塩気が、舌に染みる。
「よし、いい食べっぷりだ」
セラフィナは、満足そうに頷いた。
「じゃあ、食い終わったら、稽古だ。行くよ」
「……まだ、夜が明けてない」
「夜明け前だからいいんだよ。誰にも邪魔されずに、みっちり稽古できる」
セラフィナは、立ち上がった。
「ほら、さっさと食いな」
グレイは、残りのパンとスープを、急いで胃に流し込んだ。
「食った」
「よし。行こう」
セラフィナは、グレイの手を掴むと、房の外へと引きずり出した。
「……放せ。自分で歩く」
「やだよ。放したら、逃げるだろ?」
「逃げない」
「嘘だ。あんたの目は、隙あらば逃げ出そうって言ってる」
セラフィナは、笑いながら、グレイの手を引いて、石造りの通路を歩いていく。
グレイは、抵抗を諦めた。
この女の手は、鉄の輪のように、びくともしない。
無駄な抵抗は、体力の無駄だ。
(気に入らない)
グレイは、心の中で、何度目かの呪詛を吐いた。
訓練場に着くと、セラフィナは、グレイの手を離した。
「さて、と。今日は、何から教えようかねぇ」
セラフィナは、訓練場の中央に立つと、ぐるりと周囲を見渡した。
地下の訓練場は、昼間よりも、ずっと静かだった。
壁に並ぶ燭台の火も、まだ半分も灯されていない。
土の床は、冷たく、湿っていた。
「あんた、剣の握り方、知ってる?」
「……知ってる」
「じゃあ、やってみせて」
グレイは、傍らに立てかけてあった木剣を手に取った。
「……こうだろ」
グレイは、木剣を、両手で握り、構えた。
「うん、悪くない。力の入れ方は、まあ、合格点だ。でも、あんたの構えは、殺すことしか考えてない」
セラフィナは、グレイの周りを、ゆっくりと歩きながら、言った。
「それが、悪いのか」
「悪くはないよ。でも、剣闘士として、長く生き残るには、足りない」
セラフィナは、グレイの背後に回り込んだ。
「剣闘士の仕事は、殺し合いだけじゃない。観客を楽しませる。それも、仕事のうちだ」
その言葉は、あの隻眼の教官が、以前、口にした言葉と、同じだった。
グレイの奥歯が、ぎり、と鳴る。
「……弱者の理屈だ」
グレイは、吐き捨てるように言った。
「そうかもね。でも、あんたは、その弱者の理屈を、これから覚えるんだよ」
セラフィナは、グレイの後ろから、そっと手を伸ばした。
「まずは、その殺気。むき出しの殺気は、相手に読まれやすい。あんた、昨日の試合で、あたしに、初撃を完全に見切られただろ?」
「……ああ」
「あれは、あんたの殺気が、真っ直ぐすぎたからだ。どこを狙ってるか、手に取るように分かった」
セラフィナの指が、グレイの肩に、触れた。
「だから、まずは、殺気を消す。あるいは、殺気を、意図的に散らす。相手に、次の一撃を読ませない。それが、剣闘士として、最初に覚えるべき技術だ」
「……殺気を、消す」
「そう。難しいだろ? でも、できないと、あんたは、あたしには、永遠に勝てないよ」
セラフィナの声が、耳元で、甘く囁いた。
グレイの首筋に、ぞわり、と何かが走った。
「……やってみせる」
グレイは、セラフィナの手を振り払い、距離を取った。
「おっと、いいね。その目。やる気が出てきた」
セラフィナは、笑った。
「じゃあ、組み手だ。あたしに、一発でも当ててみな。当てられたら、今日の朝飯は、あたしが倍にしてやる」
「……いらない」
「遠慮するなよ。食える時に食っておかないと、いつ食えなくなるか分からないんだから」
セラフィナは、木剣を、だらりと下げたまま、グレイに向き直った。
「さあ、来な。ただし、さっきみたいに、殺気をむき出しにしたら、また転ばすよ」
グレイは、木剣を構えた。
(殺気を消す)
(相手に、次の一撃を読ませない)
グレイは、ゆっくりと、息を吐いた。
そして、セラフィナの目を、真っ直ぐに見据えた。
(この女の、動きを、見る)
(立ち方、重心、呼吸)
(全部、盗む)
グレイは、床を蹴った。
——ドン。
次の瞬間、グレイの体は、土の上に転がっていた。
「……っ!」
背中から、地面に叩きつけられる。
肺の中の空気が、強制的に押し出される。
「だから、殺気が丸出しだって言っただろ? あんたが動く前に、あんたの肩が、どこを狙ってるか、教えてくれてるんだよ」
セラフィナは、倒れたグレイを見下ろして、言った。
「……もう一度」
グレイは、立ち上がった。
「いいよ。何度でも、来な」
グレイは、再び、セラフィナに向かっていった。
——ドン。
また、転ばされた。
「今度は、足音が大きすぎた。地面を蹴る音で、動き出すタイミングが分かる」
「……もう一度」
——ドン。
「視線が、まっすぐに狙いを教えてる。あんたの目は、嘘がつけないね」
「……もう一度」
——ドン。
「呼吸が、浅い。息を吸う音で、突っ込むタイミングが分かる」
「……もう一度」
グレイは、何度も、何度も、セラフィナに挑んだ。
そして、その度に、土の上に転がされた。
体が、痛い。
泥と汗で、全身が汚れている。
だが、グレイは、立ち上がるのをやめなかった。
(この女は、強い)
(だが、だからこそ、学べる)
(転ばされる度に、この女の動きが、少しずつ、分かってくる)
グレイは、セラフィナの動きを、目で追いながら、考えていた。
(この女は、私が動く前に、私の重心を見ている)
(肩の入り方で、次の一撃の方向を読んでいる)
(そして、私の剣が届く、その寸前で、最小の動きで、外している)
(無駄がない。一ミリの無駄もない)
(だから、私は、この女の、無駄のない動きを、盗む)
グレイは、セラフィナの立ち方を、じっと観察した。
(この女は、常に、半身で立っている)
(重心は、常に、後ろ足の拇指球に乗っている)
(だから、前にも後ろにも、即座に動ける)
(剣の握りは、強く握りすぎていない)
(常に、手首が柔らかい)
(だから、あんなに、自由に剣を操れる)
グレイは、セラフィナの動きを、一つ残らず、目に焼き付けた。
「……へえ」
セラフィナが、突然、声を上げた。
「あんた、今、あたしの立ち方を、じっと見てたね」
「……ああ」
「あたしの真似をしようとしてるんだろ? あんた、学習能力が高いんだね」
セラフィナは、嬉しそうに笑った。
「いいよ。どんどん盗みな。あんたが、あたしの技術を、どれだけ盗めるか、見せてもらおうじゃないか」
セラフィナは、木剣を構え直した。
「さあ、続きだ。朝飯を倍にするチャンスは、まだ残ってるよ」
グレイは、無言で、セラフィナに向かっていった。
——ドン。
訓練場に、グレイの体が、土に叩きつけられる音が、何度も、何度も、響いた。
やがて、訓練場の天井近くにある、小さな窓から、朝の光が差し込み始めた。
薄暗かった訓練場が、少しずつ、明るくなっていく。
グレイは、土の上に、大の字になって倒れていた。
肩で、息をしている。
体中が、悲鳴を上げている。
「……はぁ……はぁ……」
「お疲れさん。今日の稽古は、ここまでだ」
セラフィナは、汗一つかいていない。
「あんた、結局、一発も当てられなかったね」
「……ああ」
「でも、最後の方は、だいぶ良くなってたよ。あと少しで、あたしの頬に、かすり傷くらいは、つけられたかもね」
セラフィナは、グレイの隣に、しゃがみ込んだ。
「あんた、ほんとに、面白い子だよ」
セラフィナの手が、グレイの胸元に、そっと触れた。
「……何を、する」
グレイは、息を切らしながら、セラフィナを睨みつけた。
「鼓動を、確かめてるんだよ」
セラフィナは、グレイの胸に、手のひらを、ぴったりと当てた。
「……っ」
グレイの体が、びくり、と強張った。
「ああ、すごい。荒々しく脈打ってる。まだ、全然、疲れてないんだね。あんたの心臓は、もっと戦いたいって、叫んでるよ」
セラフィナの金色の瞳が、妖しく輝いた。
「……放せ」
グレイは、セラフィナの手を振り払おうとした。
だが、セラフィナの手は、びくともしない。
「やだよ。もっと、あんたの心臓の音を、聞いていたい」
セラフィナは、グレイの胸に当てた手に、ほんの少し、力を込めた。
「あんたの心臓は、いい音をしてる。殺気に満ちて、怒りに満ちて、それでいて、折れない。……あたし、この音、好きだよ」
セラフィナの顔が、ゆっくりと、近づいてきた。
息が、触れ合う距離。
グレイは、セラフィナの金色の瞳を、真っ直ぐに見つめ返した。
(この女の目は、いつも、何かを見ている)
(私の、もっと奥の、何かを)
(気に入らない)
(この女の、この目が、気に入らない)
「……放せって、言ってる」
グレイは、低い声で、もう一度言った。
「あんたが、あたしの手を、本気で振り払おうとしないから、放さないんだよ」
セラフィナは、微笑んだ。
「あんた、あたしの手を、本気で振り払おうと思えば、振り払える。でも、あんたは、それをしない。なぜだか分かる?」
「……分からない」
「あんたは、あたしの手の温かさを、少しだけ、気に入ってるんだよ」
「……違う」
「違わない。あんたの鼓動が、さっきより、少しだけ、速くなった。あんたの体は、正直だね」
セラフィナは、そう言うと、グレイの胸から、ゆっくりと手を離した。
「……気持ち悪い」
グレイは、体を起こし、セラフィナから距離を取った。
「そう言うと思った」
セラフィナは、立ち上がった。
「さて、昼からは、あたしの試合があるんだ。あんた、見に来るだろ?」
「……なぜ、私が」
「師匠の戦いぶりを、間近で見られるんだよ。行かない手はないだろ?」
セラフィナは、グレイの手を取った。
「ほら、行くよ。客席から、あたしの試合を見せてやる」
「……客席?」
「そう。奴隷のあんたが、客席に入れるのは、あたしの特権だよ。感謝しな」
セラフィナは、グレイの手を引いて、訓練場を後にした。
闘技場の客席は、昼の興行を待つ観客たちで、すでに賑わい始めていた。
石造りの階段状の座席は、太陽の光を浴びて、白く輝いている。
「ほら、あそこ。一番前の席だ。あたしの指定席さ」
セラフィナは、グレイを、闘技場の最前列に連れて行った。
「ここに座って、あたしの試合を、しっかり見てな」
「……分かった」
グレイは、言われた通り、石の座席に腰を下ろした。
「じゃあ、行ってくるよ」
セラフィナは、笑って、闘技場の地下へと消えていった。
グレイは、一人、客席に座って、闘技場の中央を見つめた。
(この女の試合)
(凶刃の女王の、戦い)
(目に焼き付ける)
(全部、盗む)
やがて、闘技場の中央に、セラフィナが現れた。
その姿に、観客席から、大きな歓声が上がった。
「セラフィナだ!」
「凶刃の女王だ!」
「今日は、何を見せてくれるんだ!?」
観客たちの熱狂が、闘技場全体を揺らす。
セラフィナは、その歓声に応えるように、片手を上げた。
その背中には、処刑用の大剣が、鈍く光っていた。
「本日の興行は、特別興行! 凶刃の女王セラフィナ、対、四十人の戦士と、戦車二騎!」
司会の声が、闘技場に響き渡る。
「おおおおお!!」
観客たちの歓声が、さらに大きくなった。
グレイは、目を凝らして、闘技場の中央を見つめた。
(四十人と、戦車二騎)
(あの女は、一人で、それを相手にするのか)
闘技場の反対側の門が、ゆっくりと開いた。
中から、武装した男たちが、次々と現れる。
槍を握る者、剣を構える者、盾を持つ者。
四十人の戦士たちは、全員、屈強な男たちだった。
そして、その背後から、二台の戦車が、轟音を立てて、姿を現した。
戦車は、馬に引かせた、木製の車体に、鋭い刃がいくつも取り付けられている。
車輪には、長い鎌のような刃が、回転しながら、光っていた。
「始め!」
司会の声が、闘技場に響いた。
次の瞬間、四十人の戦士たちが、一斉に、セラフィナに向かって、殺到した。
「うおおおお!!」
「殺せ!」
「女王の首を取れ!」
戦士たちの怒号が、闘技場に響き渡る。
セラフィナは、ゆっくりと、大剣を抜いた。
「さあ、楽しもうか」
その声は、闘技場の熱狂の中でも、はっきりと、グレイの耳に届いた。
セラフィナは、大剣を、水平に構えた。
そして、——。
一閃。
先頭を走っていた戦士の一人が、真っ二つに斬り裂かれた。
血しぶきが、砂の上に、赤い花を咲かせる。
「ぎゃああああ!!」
断末魔の悲鳴が、闘技場に響く。
セラフィナは、止まらない。
大剣を、まるで、自分の体の一部のように、自由自在に振り回す。
斬る。
薙ぐ。
突く。
その一撃一撃が、確実に、戦士たちの命を奪っていく。
「おおおお!!」
「すげえ! やっぱり、凶刃の女王は、格が違う!」
「四十人相手に、まるで、草を刈るみたいだ!」
観客たちの歓声が、闘技場を揺らす。
グレイは、息をするのも忘れて、セラフィナの戦いを見つめていた。
(すごい)
(あの女は、本当に、強い)
(私が、今、相手にしているのは、この女なのか)
グレイの心臓が、ドクン、と鳴った。
(……いや、違う)
(私は、この女から、強さを盗む)
(この女の、この戦い方を、全部、盗む)
グレイは、セラフィナの動きを、一つ残らず、目に焼き付けた。
(あの女は、常に、動き続けている)
(止まった瞬間が、死ぬ瞬間だと、分かっている)
(大剣の重さを、遠心力に変えて、振り回している)
(あの大剣は、あの女にとって、重りじゃない)
(あの女の、体の一部だ)
(そして、あの女は、観客を、見ている)
(観客が、どこで、どんな風に、沸くのかを、知っている)
(だから、あの女は、わざと、危ない場面を作る)
(観客が、息を呑む瞬間を、演出している)
グレイは、セラフィナの戦い方を、頭の中に、叩き込んだ。
(これが、剣闘士の作法)
(観客を楽しませながら、生き残る)
(この女は、それを、体現している)
やがて、四十人の戦士たちは、全員、砂の上に倒れ伏した。
生き残っているのは、セラフィナだけだった。
「残るは、戦車二騎!」
司会の声が、闘技場に響く。
二台の戦車が、セラフィナに向かって、突進してきた。
轟音。
砂埃。
回転する刃が、太陽の光を反射して、ぎらぎらと輝く。
セラフィナは、笑っていた。
「あはは! いいね、いいね! これくらい、派手じゃないと!」
セラフィナは、戦車に向かって、走り出した。
「おおおお!!」
観客たちの歓声が、最高潮に達する。
セラフィナは、一台目の戦車の正面に、飛び込んだ。
そして、——。
大剣を、地面に突き立てた。
「はあああああ!!」
セラフィナは、大剣を、てこのように使って、自分の体を、空中に舞い上げた。
戦車の回転する刃が、セラフィナの足元を、かすめる。
セラフィナは、空中で、体をひねり、戦車の上に、着地した。
「うおおお!?」
戦車を操る兵士が、驚愕の声を上げる。
セラフィナは、大剣を、戦車の車体に、突き刺した。
「これで、一台目」
セラフィナは、大剣を、力任せに、横に薙いだ。
——ガギャアアアン!!
戦車の車体が、真っ二つに、砕け散った。
木片と鉄片が、空中に飛び散る。
「ぎゃああああ!!」
戦車兵たちが、悲鳴を上げながら、砂の上に投げ出される。
セラフィナは、砕け散った戦車の残骸を蹴って、二台目の戦車へと、跳躍した。
「二台目!」
セラフィナは、二台目の戦車の、馬の首を、大剣で、斬り飛ばした。
馬が、断末魔の嘶きを上げて、倒れる。
戦車は、制御を失い、横転した。
——ドゴォォォン!!
戦車が、砂の上に、激しく転がる。
「うわああああ!!」
戦車兵たちが、車体の下敷きになり、悲鳴を上げる。
セラフィナは、砂の上に、静かに着地した。
「……終わりだ」
セラフィナは、大剣を、肩に担いだ。
「おおおおおおおお!!!」
闘技場が、割れんばかりの歓声に包まれた。
「すげえ! すげえぞ、セラフィナ!」
「凶刃の女王! 最強だ!」
「あの女に、勝てる奴なんて、いるのか!?」
観客たちの熱狂が、闘技場全体を、揺らし続ける。
グレイは、客席で、一人、静かに、セラフィナを見つめていた。
(……あの女は、強い)
(認める)
(あの女は、今の私より、ずっと、強い)
(だが)
グレイの暗い紫の瞳に、静かな炎が、燃え上がった。
(私は、必ず、あの女を、超える)
(あの女の、全てを、奪って)
(あの女の、上に、立つ)
グレイは、セラフィナの戦いを、目に焼き付けながら、心の中で、そう誓った。
夕暮れ。
闘技場の地下は、昼間の熱狂が嘘のように、静まり返っていた。
グレイは、房の前に、一人、立っていた。
「よう、グレイ」
聞き慣れた、底意地の悪い声が、通路の向こうから聞こえてきた。
グレイは、顔を上げた。
興行主ヴァルドが、恰幅の良い体を揺らしながら、ゆっくりと歩いてくる。
短く整えた黒髪に白髪が混じり、後退気味の生え際。
利益を測るような冷たい灰緑の瞳。
指には、宝石の指輪が、いくつも光っている。
「今日の、セラフィナの試合は、見たかい?」
ヴァルドは、グレイの前で立ち止まった。
「……ああ」
「いい興行だった。お前さんのおかげで、あの女も、張り切ってくれてね。観客の入りも、賭け金も、上々だったよ」
ヴァルドは、口元を歪ませた。
「……私の、おかげ?」
「そうだよ。あの女は、お前さんと出会ってから、明らかに、戦いが、生き生きとしてきた。いい傾向だ。金になる」
ヴァルドは、懐から、何枚かの木の札を取り出した。
「それで、だ。次の興行の話だ」
ヴァルドは、木の札を、グレイの足元に、投げた。
カラン、と音を立てて、札が、石の床に落ちる。
「拾いな」
グレイは、無言で、札を拾い上げた。
札には、こう書かれていた。
『模擬海戦 十人一組 五艘の船 最後まで残った船のチームが勝ち』
「模擬海戦?」
「そう。闘技場の地面を、真っ二つに割って、水を張る。そこに、五艘の船を浮かべて、沈め合う。最後まで浮かんでいた船のチームが、勝ちだ」
ヴァルドは、指輪の光る指を、札に向かって、突きつけた。
「お前さんには、この模擬海戦に、出てもらう」
「……仲間は」
「仲間の顔ぶれは、明日、見せてやるよ。今日は、もう遅いからね」
ヴァルドは、そう言うと、背を向けた。
「楽しみにしておきな。お前さんにとって、面白い顔ぶれになると思うよ」
ヴァルドは、そう言い残して、通路の向こうへと、消えていった。
グレイは、手に持った札を、じっと見つめた。
(模擬海戦)
(十人一組)
(仲間の顔ぶれは、明日)
グレイの胸に、冷たいものが、流れ込んだ。
(この男は、私と、あの女を、同じ船に乗せる気だ)
(師弟を、同じ組にして、何をさせる気だ)
(……気に入らない)
グレイは、札を、握りつぶした。
「あら、グレイ。どうしたの?」
突然、背後から、声がした。
振り返ると、セラフィナが、立っていた。
「……ヴァルドが、来た」
「ああ、模擬海戦の話だろ? あたしも、さっき、聞いたよ」
セラフィナは、グレイの手から、握りつぶされた札を、そっと取り上げた。
「十人一組の、模擬海戦。楽しそうだね」
セラフィナは、札を見て、嬉しそうに笑った。
「……あんたは、嬉しいのか」
「嬉しいよ。あんたと、一緒に戦えるんだろ? あたし、あんたと、背中を預けて戦うの、夢だったんだ」
セラフィナは、札を、胸に抱いた。
「……あんたは、何も、分かってない」
グレイは、低い声で言った。
「何が?」
「あの男は、あんたと私を、同じ船に乗せて、何か、企んでる」
「企んでる? ヴァルドが?」
「ああ。あの男は、私とあんたを、戦わせようとしてる。師弟を、同じ組にして、観客を、喜ばせようとしてる」
「へえ。そうかもね」
セラフィナは、あっけらかんと言った。
「でも、それの、何が、問題なの?」
「……問題だろ。あんたは、私の師匠だ。なのに、同じ船で、戦えと?」
「師弟だから、いいんじゃないか。あんたのことを、一番、よく知ってるのは、あたしだよ。背中を預けるなら、あんたがいい」
セラフィナは、グレイの頭に、ぽん、と手を置いた。
「……やめろ」
グレイは、セラフィナの手を、振り払った。
「あんたは、何も、分かってない」
グレイは、セラフィナに背を向けた。
「……グレイ」
セラフィナが、グレイの背中に、声をかけた。
「あんたは、なぜ、戦うんだい?」
グレイの足が、止まった。
「……なぜ、戦う」
「そう。あんたは、何のために、剣を振るう? 何のために、強くなりたい? 何のために、生き残りたい?」
セラフィナの声は、静かだった。
「……そんなこと、考えたことがない」
グレイは、答えに詰まった。
(なぜ、戦う)
(何のために、強くなる)
(何のために、生き残る)
グレイの頭の中に、いくつもの顔が、浮かんでは、消えた。
猛獣の顔。
犯罪奴隷たちの顔。
憲兵の顔。
ヴァルドの顔。
そして、——。
「……自由に、なるためだ」
グレイは、絞り出すように言った。
「自由に、なって、何をするんだい?」
「……分からない」
グレイは、首を振った。
「分からない。でも、自由にならなきゃ、いけない。そう、約束した」
「約束? 誰と?」
「……お前には、関係ない」
グレイは、再び、歩き出した。
セラフィナは、それ以上、何も聞かなかった。
ただ、グレイの背中を、じっと見つめていた。
その金色の瞳の奥に、何が浮かんでいるのか、グレイには、分からなかった。
夜。
グレイは、房の中で、一人、膝を抱えていた。
(なぜ、戦う)
セラフィナの問いが、頭の中を、ぐるぐると回っている。
(自由になるためだ)
(そう、答えた)
(でも、自由になって、何をする?)
(分からない)
(私には、何もない)
(自由になって、Noveliaとは?
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