チョコラビ日常帳 〜ゲームの外でもレベルは上がる!?〜
「山田くんも来るよ」——その一行から始まる、六月の週末。オンラインゲーム『アルカディア・クロニクル』のギルド「チョコレートラビット」、通称チョコラビのオフ会に参加するため、女子大生・木之下茜はアオバシティへ向かう。
ゲーム内で猫耳パラディンを操る茜には、人に言えない過去があった。元彼に「重い」と言われて振られたこと。それでもゲームをやめられなかったこと。そんな彼女を拾ってくれたのが、ゆるくてあたたかいチョコラビの仲間たちだった。
待ち合わせの農園に集まったのは、優しげなギルドマスター・瑛太、いちご農家のサブマスター・鴨田、そしてツンデレ女子大生の瑠奈。いちご狩り対決に爆笑トーク、顔を真っ赤にしながらも距離を縮めていく不器用な友情——ゲームの外でも、人間関係のレベルはちゃんと上がっていく。
でも、楽しい時間に突然現れたのは、瑛太の同級生だという鷲田という女性。にこやかな笑顔の裏に、どこか不穏な空気が漂っていて……?
これは、傷ついた心を抱えた少女が、ゲームの仲間たちとの日常を通じて、もう一度人を信じることを学んでいく物語。笑って、食べて、ときに胸がざわつく、チョコラビの日常帳。
チョコラビ日常帳 〜ゲームの外でもレベルは上がる!?〜 - いちご農園オフ会へようこそ!~電車と胸のざわつき~
「山田くんも来るよ」
スマホの画面に浮かぶその一行を、木之下茜はもう何度も見返したことだろう。
六月の週末。車窓から流れ込む風は、街の匂いとは違う、青い葉っぱと土の匂いがした。電車は都心を離れ、アオバシティへと向かっている。茜は白いニットにデニムのスカート、足元はスニーカーという、いつもより少しだけ気合を入れた格好で、窓際の席に座っていた。
肩までの黒髪が風に揺れる。毛先が少しだけ跳ねているのが、茜のトレードマークだ。大きくてよく動く茶色い瞳は、今、手の中のスマホに釘付けになっている。
「……山田くん、か」
口に出したら、なんだかむずがゆくなった。
木之下茜、二十歳。都心のセイリョウ大学文学部に通う、ごく普通の女子大生である。いや、普通かと言われると、ちょっとだけ普通じゃないかもしれない。何せ今、彼女はオンラインゲームの仲間たちに会うために、一人で電車に揺られているのだ。
ゲームの名前は『アルカディア・クロニクル』。剣と魔法の王道ファンタジーで、料理や農業、釣りといったのんびり遊べるコンテンツも充実している。国内の登録者は約百二十万人。茜はその中の一人で、ゲーム内では「Akane」という名前の猫耳少女のアバターを動かしている。職業はパラディン。盾を構えて仲間を守る役割だ。
所属しているギルドの名前は『チョコレートラビット』。通称チョコラビ。設立四年目、メンバーは六人。活動方針は「縛らない、急かさない、でも困った時は助ける」。週に二回、水曜と土曜の夜九時から二時間ほどの定期レイドと、あとは不定期に雑談をしたり、みんなでのんびり生産活動をしたりする。
今日はそのチョコラビのオフ会だ。場所はアオバシティ郊外にある、サブマスターの鴨田が営むイチゴファームかもだ。
「……オフ会、かあ」
茜はスマホを膝の上に置いて、窓の外に目をやった。田んぼと畑が交互に広がる、のどかな景色。遠くにアオバ丘陵の緑が見える。都心から電車で約九十分。アオバシティは人口約二十八万人の地方都市だ。
この街に来るのは初めてだ。
なのに、不思議と懐かしい感じがする。
たぶん、ゲームの中で何度も話してきた仲間たちが住んでいる街だからだろう。
——いや、正確に言うと、茜がゲームを始めたのは、もっと別の理由だった。
ことの発端は、今から半年前。茜には付き合っていた彼氏がいた。名前はたくま。大学のサークルで知り合った、明るくてノリのいい人だった。たくまが『アルカディア・クロニクル』にハマっていて、「一緒にやろうよ」と茜を誘ってくれたのが、そもそもの始まりだ。
茜はゲームなんてほとんどやったことがなかった。でも、好きな人と同じ世界を共有できるのが嬉しくて、言われるままにアカウントを作った。キャラクターの見た目を選ぶのだって、たくまの好みを想像しながら、猫耳のついた可愛い少女にした。
ゲームは思ったより楽しかった。
でも、茜がゲームに慣れてきた頃、たくまの様子がおかしくなった。ログインしているのに、ギルドの仲間と遊ばない。いつも一人で、どこかにいる。茜が声をかけても、「今忙しいから」とそっけない返事ばかり。
そのうち、たくまはゲーム内で知り合った女性と親密な関係になっていることがわかった。
茜はたくまに問い詰めた。
「ねえ、あの女の人、誰?」
「……別に。ただのゲームの知り合いだよ」
「嘘。チャットの履歴、見たんだから」
「……あー、もう、めんどくさいなあ」
たくまはため息をついて、こう言った。
「茜、重いんだよ。ゲームくらい自由にやらせてよ」
——重い。
その一言は、茜の胸に深く刺さった。
結局、たくまはゲーム内のその女性と付き合うことになり、茜は振られた。予定は彼氏を優先するタイプだった茜にとって、それはもう、世界がひっくり返るような出来事だった。
泣いた。たくさん泣いた。
もうゲームなんてやめようと思った。
でも、アカウントを消すのはなんだか悔しくて、ログインだけは続けていた。誰とも話さず、一人でぼんやりとフィールドを歩く。そんな夜が何日も続いた。
そんな茜を拾ってくれたのが、チョコレートラビットのギルドマスター、瑠璃姫——今の瑛太だった。
「Akaneさん、よかったらウチのギルドに来ない?」
最初は断った。
「私、初心者だし、足手まといになります」
「大丈夫大丈夫。ウチはのんびりギルドだから。ね?」
その「ね?」が誰に向けられたものか、その時の茜にはわからなかった。でも、そのゆるい空気に惹かれて、茜はチョコラビに加入した。
ギルドのメンバーは、みんな優しかった。
ゲームの操作がおぼつかない茜に、丁寧にコツを教えてくれる。失敗しても笑って許してくれる。ログインするたびに、「あかねさん、こんばんはー」と声をかけてくれる。
それが、どれだけ茜の心を救ってくれたか。
人を信じるのが怖くなっていた茜にとって、チョコラビはまるで、雨宿りできる屋根みたいだった。
——だから、オフ会に参加すると決めたのだ。
「……それに」
茜はもう一度、スマホの画面を見た。
ギルドチャットのログが表示されている。
【瑠璃姫】明日のオフ会、山田も来るってさ
【Akane】えっ、山田くんも!?
【瑠璃姫】うん。バイトのシフトが空いたんだって
【Akane】そっか! 楽しみだね!
……いや、待って。このテンション、我ながらちょっとあからさますぎない?
茜はチャットのログを指でなぞりながら、小さくため息をついた。
山田くん。
ギルドメンバーの一人で、高校生プロゲーマー。ゲーム内のアバターは能面にアフロという、なんとも言えない見た目をしている。でも、その腕前は確かで、ギルドのレイドではいつも頼りになる。
現実の山田秋斗は、ゲームのアバターからは想像もできないほどの超イケメンだ。それを初めて知ったのは、二ヶ月前のオフラインイベントの時。
あの日の衝撃を、茜は今でもはっきり覚えている。
——え、待って、あの能面アフロが、こんなにカッコいい人だったの?
身長も高くて、目が鋭くて、声が低くて。
でも、口を開けば「興味ないすね」の一点張り。
……なのに、重い荷物を持っていると、黙ってさっと代わりに持ってくれる。
ああいうの、反則だと思う。
茜は窓に額をくっつけて、熱くなった頬を冷ました。
「……あー、もう」
なんで山田くんのことを考えると、こんなに胸がざわざわするんだろう。
電車がガタン、と揺れた。
車内アナウンスが、次の駅名を告げる。
「まもなく、アオバ駅に到着します」
茜は顔を上げた。
——着いた。
アオバシティ。
茜はスマホをカバンにしまい、立ち上がった。
よし、行こう。
駅の改札を抜けると、アオバシティの街並みが広がっていた。駅ビルの「アオバテラス」にはスーパーや書店、カフェが入っていて、休日ということもあってか、家族連れや学生で賑わっている。
茜は待ち合わせ場所を確認するために、もう一度スマホを取り出した。
鴨田さんが車で駅まで迎えに来てくれることになっている。
「えーと、改札出て、ロータリーのところ……」
きょろきょろとあたりを見回していると、一台の軽トラックが茜の前に停まった。
運転席の窓が開く。
「木之下さん?」
「あ、はい!」
「よかった、すぐわかった。俺、鴨田です。今日はわざわざ遠いところを」
そう言って笑ったのは、日焼けした肌がまぶしい、がっしりとした体格の男性だった。二十七歳には見えない落ち着きがあって、でも笑うと少年みたいな親しみやすさがある。
「鴨田さん! こちらこそ、今日はありがとうございます!」
茜がぺこりと頭を下げると、鴨田は「いいからいいから」と手を振った。
「さ、乗って。農園まで二十五分くらいかな」
「はい!」
茜は軽トラックの助手席に乗り込んだ。車内には、ほんのりといちごの甘い香りが漂っている。
「鴨田さんって、ほんとにいちご農家さんなんですね」
「そうそう。三代続いてるんだよ。今は俺と親父と、ばあちゃんの三人でやってる」
「へえー! すごい!」
「いやあ、大変なことも多いけどね。でも、好きでやってるから」
鴨田はハンドルを切りながら、楽しそうに話す。
「今日はさ、遠慮なく食べていってよ。ウチのいちごは甘いぞ」
「いいんですか!?」
「もちろん。そのために来たんだろ?」
「やったー!」
茜は思わずガッツポーズをした。
軽トラックは市街地を抜け、田園地帯へと入っていく。窓から入ってくる風が、さっきよりもっと土と草の匂いを強くした。
やがて、ビニールハウスが並ぶ農園が見えてきた。
「あれがウチの農園。イチゴファームかもだ」
「わあ……大きい!」
十二棟のビニールハウスが、整然と並んでいる。直売所の看板には「かもだのいちご小屋」の文字。駐車場には県外ナンバーの車も何台か停まっていた。
「ここ、人気なんですね」
「ありがたいことにね。今の時期は『アオバホイップ』っていう品種が旬でさ。大粒で甘いんだよ」
「アオバホイップ……名前からしてもう美味しそう」
茜がゴクリと唾を飲み込むと、鴨田は笑った。
「はは、期待してていいよ」
車が農園の奥へ進むと、母屋の前に着いた。
「さ、着いた。みんなもう来てるはずだよ」
茜は軽トラックを降りて、あたりを見回した。
六月の日差しが、ビニールハウスの屋根に反射してきらきら光っている。空気はあたたかくて、いちごの甘い香りが風に乗って運ばれてくる。
——これが、チョコラビのオフ会。
茜が深呼吸していると、ハウスの方から声が聞こえた。
「あ、茜さん!」
振り返ると、そこに立っていたのは——。
「瑛太さん!」
ギルドマスターの瑛太が、手を振りながら歩いてくる。長身で、優しげな顔立ちの二十四歳。実家はアオバシティ中央商店街で老舗の米穀店「コメダ屋」を営んでいる。今日はラフなTシャツにジーンズ姿だ。
「遠かったでしょ、お疲れさま」
「いえ、全然! 電車の景色がきれいで、あっという間でした」
「それはよかった。ほら、こっち来て。瑠奈も来てるよ」
瑛太に案内されて、茜はビニールハウスの入り口へ向かった。
ハウスの扉を開けた瞬間、むわっとしたあたたかい空気と、強烈ないちごの甘い香りが茜を包んだ。
「うわあ……!」
目の前に広がっていたのは、真っ赤ないちごの海だった。
緑の葉っぱの間から、つやつやと光る赤い実が顔を出している。それがずらっと、ハウスの奥まで続いている。
「すごい! すごいです! いちごがいっぱい!」
茜がはしゃいでいると、ハウスの奥からひょこっと顔を出した人物がいた。
「……あんた、ほんとに来たんだ」
佐々木瑠奈、十九歳。瑛太の妹で、アオバシティ短期大学幼児教育科の一年生だ。
量の多いふわふわの黒髪をツインテールに結んで、くりくりとした大きな黒目で茜のことをじっと見ている。身長は一五二センチと小柄で、今日は動きやすいようにと、オーバーオール姿だった。
「瑠奈ちゃん! 久しぶり!」
茜が手を振ると、瑠奈はふいっと視線を逸らした。
「……ゲームだけじゃなくてリアルでも会うなんて、度胸あるね」
「え? なんで?」
「だって、私がどんな人間かわかんないのに、よく来れるなって」
「えー、だって瑠奈ちゃん、ゲームの中ではいっつも助けてくれるじゃん。会いたいって思うよ、普通に」
「……ふーん」
瑠奈はツインテールを揺らして、茜から距離を取るように一歩下がった。
でも、その口元がほんの少しだけ緩んでいるのを、茜は見逃さなかった。
瑠奈は負けず嫌いで、何かと茜に突っかかってくる。最初は「なんでこの人、私にだけ当たり強いんだろう」と思っていたけど、今はもう慣れた。
というか、あれは瑠奈なりの距離の取り方なのだ。人付き合いが苦手で、学校でもあまり目立たない瑠奈にとって、茜みたいにずけずけと距離を詰めてくるタイプは、きっと扱いにくいのだろう。
「まあまあ。せっかく来たんだから、いちご狩りしようよ」
瑛太が間に入って、茜に小さな籠を手渡した。
「はい、茜さん。これ使って」
「ありがとうございます!」
「瑠奈も、ほら」
「……わかってるよ」
瑠奈は自分の籠を受け取ると、茜の方をちらりと見た。
「……ねえ」
「ん?」
「勝負しない?」
「勝負?」
「どっちがたくさんいちごを摘めるか。時間は十分間。負けた方が、勝った方の言うことを一つ聞く」
茜は目をぱちくりさせた。
「え、なんでまた急に」
「いいから。やるの? やらないの?」
瑠奈の黒い瞳が、挑戦的に茜を見上げている。
茜はふっと笑った。
「いいよ、やろう!」
「……へ?」
瑠奈が面食らった顔をする。
「勝負、受けて立つ! 私、こう見えて負けず嫌いなんだからね!」
「……あんた、ほんとバカだね」
「バカって言う方がバカなんだから!」
「はいはい、二人とも。ケガしない程度にね」
瑛太が苦笑いしながら、スマホのタイマーをセットする。
「じゃあ、位置について……よーい、スタート!」
茜と瑠奈は、同時に駆け出した。
「絶対負けないから!」
「こっちの台詞!」
二人はそれぞれの畝に分かれて、夢中でいちごを摘み始めた。
茜は目に入るいちごを片っ端から摘んでいく。大粒で真っ赤ないちごは、手に取るだけでずっしりと重い。ヘタの部分を指でつまんで、くるっとひねると、ぷちん、と小気味いい音がして実が取れる。
「おお、この子大きい……! あ、こっちも! うわ、すごい、無限にある!」
「ちょっと、隣の畝は私の縄張りだからね!」
「縄張りって……瑠奈ちゃん、キャラが野生化してるよ!」
「うるさい! あんたこそ、よそ見してる余裕あるの!?」
「余裕ありありだもんね!」
茜は調子に乗って、籠を片手にどんどん進んでいく。
——が。
「あっ」
夢中になりすぎて、足元のビニールシートに引っかかった。
バランスを崩して、籠が傾く。
摘んだばかりのいちごが、ぽろぽろと地面にこぼれ落ちた。
「わわわっ!?」
拾おうとして前かがみになった瞬間、ずるっと足を滑らせて、思いきり尻もちをついた。
「いった……!」
「……あんた、何やってんの」
瑠奈が呆れた顔で見下ろしている。
茜はへらっと笑った。
「てへへ。やっちゃった」
「てへへ、じゃない。ほら、立てる?」
瑠奈が手を差し出す。
茜はその手を取って、よいしょと立ち上がった。
「ありがとう、瑠奈ちゃん」
「……別に。あんたが転んだら、勝負になんないし」
瑠奈はそう言って、地面に落ちたいちごを拾い始めた。
「ほら、これ。あんたの分」
「え、いいの?」
「当たり前でしょ。落としたの、あんたの分なんだから」
瑠奈は茜の籠に、拾ったいちごを入れていく。
その手つきは、意外なほど丁寧だった。
茜は瑠奈の横顔を見た。
——この子、ほんとはすごく優しいんだよなあ。
「……何見てんの」
「え? あ、いや、瑠奈ちゃんって、やっぱり優しいなあって」
「はあ!? なにそれ、気持ち悪いんだけど!」
瑠奈の顔が、ぼっと赤くなった。
「いや、だって、拾ってくれたし……」
「だから、それは勝負のためだって言ってるでしょ! もう、いいから続きやるよ!」
瑠奈は茜から離れて、自分の畝に戻っていった。
その後ろ姿を見ながら、茜は小さく笑った。
——瑠奈ちゃんの不器用な優しさ、私、けっこう好きだな。
それから十分後。
勝負の結果は、瑠奈の勝利だった。
「やった! 私の勝ち!」
瑠奈が両手を上げて跳びはねる。
「くうー! 悔しい! でも、楽しかった!」
茜は負けたのに、なんだか清々しい気分だった。
「じゃあ、あんた、私の言うこと一つ聞いてよ」
「う……何でも聞くって言っちゃったもんね。いいよ、何?」
「……今度、ゲームでパラディンのコツ教えて」
「へ?」
茜は目を丸くした。
「だってあんた、同じパラディンなのに、いつもすぐ死ぬじゃん。見ててイライラするの」
「……うう、耳が痛い」
「だから、教えてあげる。あんたがもうちょっとマシになったら、私もレイドで楽できるし」
茜はぱっと顔を輝かせた。
「瑠奈ちゃん、それって——」
「違うから! あんたのためじゃないから! 私のためだから!」
瑠奈は顔を真っ赤にして、ぶんぶんと手を振った。
「はいはい、わかってるって」
茜が笑うと、瑠奈は「わかってないし!」とさらに赤くなった。
そのやり取りを、瑛太は少し離れたところからコーヒーを飲みながら眺めていた。
「あの二人、いつの間にか仲良くなったなあ」
「だなあ」
鴨田も隣で笑っている。
「最初はどうなるかと思ったけど、茜さんが来てから、瑠奈もずいぶん変わったよ」
「そうか?」
「ああ。前はもっと、こう、とげとげしてたから」
瑛太はコーヒーカップを傾けながら、妹の笑顔を目を細めて見つめた。
——その後、茜と瑠奈は二人でいちごを食べまくった。
「このアオバホイップってやつ、めちゃくちゃ甘いんですけど!」
「でしょ? 鴨田さんのとこのいちごは、他と全然違うんだから」
「私、いちごってちょっと酸っぱいイメージだったのに、これはもうデザートだよ。いちごの形したデザート!」
「……あんた、感想が子供っぽいね」
「だって、ほんとのことだもん!」
茜は次から次へといちごを頬張った。
気がつけば、二人とも顔や服をいちごの汁で真っ赤にしていた。
「あはは、瑠奈ちゃん、ほっぺに種ついてる!」
「あんただって、鼻の頭に汁ついてるし!」
「え、うそ、どこどこ?」
「ほら、ここ」
瑠奈が茜の鼻を指でつつく。
「ひゃっ」
「……あんた、ほんとバカだね」
「だから、バカって言う方がバカなんだってば!」
二人は顔を見合わせて、同時に吹き出した。
「「あははははは!」」
笑い声が、ハウスの中に響き渡る。
茜は思った。
——来てよかった。
ゲームの中だけじゃなくて、現実で会っても、チョコラビの仲間はやっぱり優しくて、あたたかくて。
茜の胸の中にあった、人を信じるのが怖いという気持ちが、少しだけ溶けていくような気がした。
その時だった。
「瑛太くん、いる?」
ハウスの入り口から、女の人の声がした。
茜が振り返ると、そこに立っていたのは、長い黒髪の女性だった。
年は瑛太と同じくらいだろうか。すらりと背が高くて、薄いカーディガンを羽織っている。顔立ちは整っているのに、笑顔がどこか作り物めいて見えるのは、気のせいだろうか。
「あれ、お前、どうしたんだ」
瑛太が驚いた顔で女性に近づいていく。
「やっほー。近くまで来たから、寄ってみた」
女性は軽い調子で手を振った。
「瑛太くんの同級生の、鷲田っていいます。よろしくね」
そう言って、茜たちの方を向いてにっこり笑った。
「あ、どうも。木之下茜です」
茜はとっさに頭を下げた。
「佐々木瑠奈」
瑠奈は短く名乗ると、茜の後ろに半歩下がった。
「いやあ、それにしても、楽しそうだったね。私も混ぜてよ」
鷲田はそう言って、ずかずかとハウスの中に入ってきた。
「お前、瑛太に用があって来たんじゃないのかよ」
鴨田が苦笑いしながら声をかける。
「用はあるよ。でも、せっかく来たんだから、いちごも食べたいじゃない?」
鷲田は茜の隣に立つと、茜の籠を覗き込んだ。
「わあ、たくさん摘んだね。木之下さんって、いちご狩り上手なんだ?」
「え、あ、いや、そんなことないです。瑠奈ちゃんに負けちゃいましたし」
「ふーん。瑠奈ちゃん、ね」
鷲田の視線が、茜の後ろにいる瑠奈に向く。
瑠奈はむすっとした顔で、鷲田を見返した。
「……なに」
「ううん、別に。可愛いなあと思って」
鷲田は笑った。
その笑顔を見た瞬間、茜の胸の奥が、ざわっとした。
——なんだろう、この感じ。
初対面なのに、妙な圧迫感がある。
鷲田はそれから、やたらと茜に話しかけてきた。
「木之下さんって、ゲームの中だとどんな感じなの?」
「え、えーと、猫耳のアバターで、パラディンやってます」
「へえ、パラディンなんだ。私、ゲームあんまり詳しくないんだけど、盾持って守る役だっけ?」
「そうです、そうです。まだ初心者で、あんまり上手くないんですけど」
「ふーん。……ねえ、ギルドって何人いるの?」
「今は六人です」
「六人かあ。多いんだね。どんな人がいるの?」
茜は答えながら、なんだか尋問されているみたいだなあ、と思った。
「マスターの瑛太さんと、サブマスターの鴨田さんと、瑠奈ちゃんと、あと……」
「あと?」
鷲田が身を乗り出す。
「……山田くんと、椿ちゃんです」
「山田くん」
鷲田の目が、一瞬だけ光ったように見えた。
「山田くんって、プロゲーマーなんだって?」
「あ、はい。そうです」
「へえー、すごいね。今度会ってみたいなあ」
鷲田は茜の目をじっと見つめながら、ゆっくりと笑った。
「……どうしたの、木之下さん。顔、赤いよ?」
「えっ!? そ、そうですか!? いちご食べすぎて、その、暑くて!」
茜は慌てて手で顔を扇いだ。
——違う。赤いのは、いちごのせいじゃない。
山田くんの名前を出されたからだ。
……なんで?
なんで、この人が山田くんの名前を出すと、こんなに胸がざわつくの?
「茜さん、大丈夫?」
瑛太が心配そうに声をかけてくれた。
「は、はい! 大丈夫です! ちょっと、暑くて!」
茜は無理やり笑顔を作った。
その後も、鷲田は茜のそばを離れなかった。
いちごを摘む茜の隣で、ぺらぺらとよく喋る。
「このいちご、ほんとに甘いね。やっぱり農家直送は違うなあ」
「そうですね」
「あ、木之下さん、そっちの畝のいちご、大きいよ」
「あ、ほんとだ」
「ね、私、けっこう目がいいの」
「……そうなんですね」
茜は相槌を打ちながら、心の中で何度も首をかしげた。
——瑛太さんに用があるって言ってたのに、なんで私にばっかり話しかけるんだろう。
しかも、話の内容が、やたらとギルドのことばかり。
メンバーのこと、ゲームの腕前のこと、普段どんなことをしているのか。
まるで、何かを探っているみたいだ。
……考えすぎ、かな。
茜は首を振って、いちごを摘むことに集中しようとした。
でも、鷲田の笑顔が、どうしても頭から離れない。
あの笑顔、どこかで見たことがある気がする。
——ああ、そうだ。
たくまだ。
たくまが、ゲーム内の女の人と話している時、いつもあんな笑い方をしていた。
相手を値踏みするような、探るような、それでいて親しげな笑顔。
茜の胸が、きゅっと締め付けられた。
「……茜さん?」
瑠奈が、茜の袖を引っ張った。
「あの人、なんかヤバくない?」
瑠奈が、茜にだけ聞こえる小さな声で囁いた。
「……瑠奈ちゃんも、そう思う?」
「うん。なんか、笑ってるのに、目が笑ってないっていうか」
瑠奈は鷲田の方をちらりと見て、すぐに視線を戻した。
「お兄ちゃんの友達なら、なんで山田くんにばっかり話しかけるの? おかしくない?」
「……たしかに」
茜は瑠奈の言葉に、うまく返せなかった。
瑠奈の言う通りだ。
鷲田は瑛太に用があると言って来たのに、瑛太とはほとんど話していない。
話題の中心は、いつも山田くん。
——なんで?
茜の胸のざわつきは、どんどん大きくなっていく。
夕方になって、オフ会はお開きになった。
「茜さん、駅まで送るよ」
鴨田が軽トラックの鍵を手に取る。
「あ、ありがとうございます。お願いします」
茜が軽トラックに乗り込もうとした時、鷲田が近づいてきた。
「木之下さん」
「……はい」
茜は振り返った。
夕日に照らされた鷲田の顔は、やっぱり笑っていた。
「今日はありがとう。楽しかったよ」
「……こちらこそ」
「あのさ」
鷲田は一歩、茜に近づいた。
「山田くんって、ゲーム強いんだって?」
「……はい、強いです」
「そっかあ」
鷲田は目を細めた。
「今度、会ってみたいな」
その笑顔を見た瞬間、茜の足が止まった。
胸の奥が、ぎゅっと締め付けられる。
——やめて。
——その笑顔で、山田くんのことを、言わないで。
茜は自分の心の中で、誰かに向かって叫んでいた。
「……それじゃあね、木之下さん」
鷲田はひらひらと手を振って、去っていった。
茜はその場に立ち尽くしたまま、鷲田の背中を見送った。
「……茜さん」
瑠奈が、茜の手を握った。
「……行こ」
「……うん」
茜は瑠奈の手を握り返した。
瑠奈の手は、小さくて、あたたかかった。
軽トラックの助手席で、茜はぼんやりと窓の外を眺めていた。
夕焼けが、田んぼの水面に反射して、きらきら光っている。
「……茜さん、大丈夫か?」
鴨田が、優しい声で聞いてくれた。
「……はい。大丈夫です」
茜は小さく笑った。
「今日は、ほんとに楽しかったです。いちご、めちゃくちゃ美味しかったし」
「ならよかった。またいつでも来いよ」
「はい! 絶対また来ます!」
茜は元気よく返事をした。
でも、心の中のざわつきは、まだ消えない。
鷲田の笑顔が、頭の片隅にこびりついている。
——あの人は、何者なんだろう。
——なんで、山田くんのことを?
茜はスマホを取り出した。
ギルドチャットを開く。
【瑠璃姫】今日はみんなお疲れさま! 楽しかったなあ
【Akane】お疲れさまでした! 私もめちゃくちゃ楽しかったです!
【瑠璃姫】茜さん、帰り気をつけてね
【Akane】はい! 鴨田さんに駅まで送ってもらってます!
【瑠璃姫】よかった。またゲームで会おう
【Akane】はい!
茜はそこで、もう一人のメンバーの名前を探した。
——山田くんは、今日は来なかった。
バイトのシフトが入っちゃったって、瑛太さんが言ってた。
会えなくて、ちょっと残念だった。
でも、ちょっとだけ、ほっとした自分もいる。
今のこのざわざわした気持ちのまま、山田くんに会いたくなかった。
……なんて。
茜はスマホをカバンにしまった。
電車に乗って、都心へ戻る。
車窓の外は、もうすっかり暗くなっていた。
茜は窓に映る自分の顔を見た。
「……疲れたなあ」
小さくつぶやいた声は、電車の音にかき消されていった。
でも、不思議と、心は軽かった。
瑠奈ちゃんと笑い合って、鴨田さんのいちごを食べて、瑛太さんの優しさに触れて。
チョコラビの仲間は、やっぱり最高だ。
——だから。
茜は窓の外の闇を見つめながら、心の中でそっと決意した。
山田くんのこと、もっと知りたい。
鷲田さんのことも、気になる。
でも、それ以上に。
私は、チョコラビの仲間を、信じたい。
電車は闇の中を、都心へ向かって走っていく。
茜の胸には、いちごの甘い香りと、ほんの少しのざわつきが、まだ残っていた。
——次にみんなと会えるのは、いつだろう。
茜は目を閉じた。
電車の揺れが、眠気を誘う。
まどろみの中で、茜は山田くんの声を思い出していた。
『興味ないすね』
あの低い声で、そう言われると、なぜか胸がきゅっとする。
……なんでだろう。
茜は答えの出ない問いを抱えたまま、ゆっくりと眠りに落ちていった。Noveliaとは?
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