チョコラビ日常帳 〜ゲームの外でもレベルは上がる!?〜
「山田くんも来るよ」——その一行から始まる、六月の週末。オンラインゲーム『アルカディア・クロニクル』のギルド「チョコレートラビット」、通称チョコラビのオフ会に参加するため、女子大生・木之下茜はアオバシティへ向かう。
ゲーム内で猫耳パラディンを操る茜には、人に言えない過去があった。元彼に「重い」と言われて振られたこと。それでもゲームをやめられなかったこと。そんな彼女を拾ってくれたのが、ゆるくてあたたかいチョコラビの仲間たちだった。
待ち合わせの農園に集まったのは、優しげなギルドマスター・瑛太、いちご農家のサブマスター・鴨田、そしてツンデレ女子大生の瑠奈。いちご狩り対決に爆笑トーク、顔を真っ赤にしながらも距離を縮めていく不器用な友情——ゲームの外でも、人間関係のレベルはちゃんと上がっていく。
でも、楽しい時間に突然現れたのは、瑛太の同級生だという鷲田という女性。にこやかな笑顔の裏に、どこか不穏な空気が漂っていて……?
これは、傷ついた心を抱えた少女が、ゲームの仲間たちとの日常を通じて、もう一度人を信じることを学んでいく物語。笑って、食べて、ときに胸がざわつく、チョコラビの日常帳。
チョコラビ日常帳 〜ゲームの外でもレベルは上がる!?〜 - 駅でばったり山田くん!?~無自覚な優しさに胸が高鳴る月曜日~
コンビニの自動ドアが、茜の背中を追いかけるように閉まった。
「あー、疲れたぁ……」
思わず声が漏れる。バイトのシフトは夕方までだったのに、レジ締めの確認で三十分も長引いた。茜は両手に下げたレジ袋を持ち替え、駅へ向かう道を歩き出す。
六月の夕方。空はまだ明るいけど、風はひんやりしている。アオバシティ駅のホームに続く階段を、茜は重い足取りで上った。
——重い。
コンビニの廃棄シールが貼られたお弁当や、半額になったサンドイッチ。それから、一人暮らしには多すぎる量のミカン。今日はバイト先の店長が「これ持ってけ」と、売れ残りの野菜まで袋に詰めてくれたのだ。ありがたいけど、正直、腕がちぎれそうだった。
「……よいしょ、っと」
茜はホームのベンチに腰を下ろすと、レジ袋を足元に置いた。電車はまだ来ない。ホームには、学校帰りの高校生や、スーツ姿の会社員がちらほらと立っている。
茜はスマホを取り出して、時間を確認した。十八時四十二分。
(昨日の今頃は、まだ農園にいたんだっけ)
そう思ったら、昨日のことが一気に頭の中に広がった。
——いちご狩り。
——瑠奈ちゃんとの勝負。
——瑛太さんの優しい笑顔。
——そして、鷲田さん。
『山田くんって、ゲーム強いんだって?』
あの時の鷲田の笑顔が、まぶたの裏に浮かぶ。目を細めて、まるで獲物を見つけたみたいな、あの笑い方。
茜は自分の胸に手を当てた。
(なんでだろう。思い出すだけで、ちょっと嫌な気持ちになる)
理由はわかっている。鷲田が「山田くん」と言った時の、あの親しげな言い方。初めて会ったはずなのに、まるで昔から知っているみたいな。
(山田くんと、あの人、本当は知り合いなのかな)
茜は頭をぶんぶんと振った。
「……考えても仕方ないじゃん」
声に出して、自分に言い聞かせる。
その時だった。
反対側のホームに、一人の男の子が立っているのが目に入った。
黒い髪。長めの前髪が、目にかかっている。切れ長の黒い瞳。無表情で、スマホを見ている。
茜の体が、びくりと跳ねた。
(えっ……)
心臓が、変な跳ね方をする。
(山田くん……?)
間違いない。昨日のオフ会には来られなかったけど、ゲーム内のアバターの能面アフロとは似ても似つかない、あの端正な顔立ち。一度見たら忘れられない。
(どうしてここに……あ、そっか。学校帰りか)
山田が通うセイリョウ学園高等部は、茜の通うセイリョウ大学のすぐ近くにある。アオバシティ駅は、その両方から一番近い大きな駅だ。
(声、かけようかな)
茜は迷った。
(でも、向こうはこっちに気づいてないみたいだし)
山田はスマホの画面から目を離さない。あの様子だと、茜の存在にまったく気づいていない。
(気づいてないなら、このまま……)
茜は視線を落とした。
——と、その瞬間。
山田の視線が、こちらを向いた。
茜の体が、今度は完全に固まった。
(うそ、目が合った!?)
山田は一瞬だけ茜を見ると、小さく首をかしげた。それから、スマホをポケットにしまって、改札の方を指さす。
「あっち」
声は聞こえない。でも、口の動きでわかった。
(あっちって……改札?)
茜は慌てて荷物を持ち上げ、階段へ向かった。反対側のホームからも、山田が階段を下りていくのが見える。
改札の手前で、二人は合流した。
「き、奇遇だね、山田くん! オフ会ぶり!」
茜は精一杯の明るい声を出した。
「あ、どうも」
山田はそれだけ言うと、またスマホを取り出した。
(……うん、相変わらずだなあ)
茜は心の中で苦笑いした。昨日のオフ会には来られなかった山田。ゲーム内ではいつも通りのそっけない態度。でも、こうして現実で会うと、その無表情さがやっぱりちょっとだけ寂しい。
「学校帰り?」
「……まあ、そんなとこです」
「そっか。私は今から帰るとこ。コンビニのバイト終わりでさ、店長がいろいろ持たせてくれて」
茜はレジ袋を持ち上げて見せた。
山田はちらりと袋を見た。
「……大変すね」
「そ、そうなの! これが意外と重くてさあ」
「興味ないすね」
「……ですよね」
茜は肩を落とした。
(わかってた。わかってたけどさ……)
気まずい空気が流れる。茜はどうしていいかわからず、足元のレジ袋を見つめた。
「じゃ、じゃあね。私、こっちの電車だから」
茜は改札を抜けようと、一歩踏み出した。
——その時。
ビリッ。
嫌な音がした。
「え?」
次の瞬間、茜の手からレジ袋の底が抜けた。
——どさどさどさっ!
ミカンが、ペットボトルが、お弁当の容器が、ホームの床に派手に散らばる。
「うっそだろ!?」
茜は素で叫んだ。
オレンジ色のミカンが、ホームの端まで転がっていく。ペットボトルはカランカランと音を立てて、ベンチの下に転がり込んだ。
「あああ、ごめん、ちょっと待って!」
茜はしゃがみ込んで、必死に荷物をかき集め始めた。周りの乗客が、ちらちらとこちらを見ている。
(最悪……! 山田くんの前で、こんな……)
茜は顔から火が出そうだった。
その時。
茜の隣に、誰かがしゃがみ込んだ。
「……ミカン、転がってます」
山田だった。
「え、あ、自分で拾うから大丈夫だよ!」
茜が慌てて言うと、山田は無言で立ち上がり、ホームの端まで転がっていったミカンを追いかけて拾い始めた。
「ちょ、山田くん!? 悪いよ!」
「いいすよ、これくらい」
山田は素っ気なく言って、拾ったミカンを抱えて戻ってくる。それから、自分の通学用のリュックから、折りたたまれたエコバッグを取り出した。
「……これ、使ってください」
「え?」
「破れた袋じゃ、また底抜けます」
山田は茜の返事を待たずに、散らばった荷物をエコバッグに手際よく詰め替え始めた。
「ちょ、ちょっと待って! ほんとに自分でやるから!」
茜は慌てて山田の手を止めようとした。
「いいすよ。手を出すと、逆に遅くなるんで」
「……え」
(今、さらっとひどいこと言われた?)
茜が呆然としている間に、山田はすべての荷物をエコバッグに詰め終えていた。
「……はい」
山田はエコバッグを茜に差し出した。
「あ、ありがとう……」
茜が受け取ろうとすると、山田はエコバッグを持ったまま、改札の方を向いた。
「……行くすよ」
「え?」
「改札、出るんでしょ」
「あ、うん。そうだけど……」
茜がうなずくと、山田は無言で歩き出した。
(……え、荷物、持ってくれてる?)
茜は慌てて山田の後を追った。
改札を抜けて、駅の外に出る。空は茜色に染まり始めていた。山田は茜のエコバッグを片手に、スタスタと歩いていく。
「あの、山田くん! 荷物、自分で持つから!」
茜は小走りで追いかけた。
「別にいいすよ」
「よくないよ! 山田くんの家、この駅から逆方向でしょ?」
茜は知っていた。ゲーム内の雑談で、山田の家が駅の北側にあるという話を聞いたことがある。茜のアパートは南側だ。
「……これ、俺の家と逆なんで」
「え?」
茜は一瞬、山田が何を言っているのか理解できなかった。
「だから、これ持ってくと、俺の家と逆方向なんで」
「……え? じゃあなんで持ってるの?」
「……なんとなくす」
「なんとなく!?」
茜は思わず声を上げた。
山田は茜の方を向かずに、そのまま歩き続ける。
(な、なにこの状況……!?)
茜は混乱しながらも、山田の隣に並んだ。
「べ、別にいいのに! 私、一人で帰れるし!」
茜は照れ隠しに強がった。
「……そうすか」
山田はそれだけ言って、また黙った。
(……やっぱり会話が続かない)
茜は心の中でため息をついた。
でも、不思議と嫌な気分ではなかった。山田が無言で荷物を持って、茜の歩く速さに合わせてくれている。そのことが、なんだかくすぐったくて、嬉しかった。
(山田くんって、ほんとに無自覚だよなあ)
茜は山田の横顔をちらりと見た。
夕日に照らされた山田の顔は、相変わらず無表情で、何を考えているのかわからない。
でも、荷物を持つ手は、ちゃんと茜のエコバッグを支えていた。
茜は少しだけ、勇気を出して尋ねてみた。
「……ねえ、山田くん」
「……なんすか」
「昨日のオフ会、来られなかったじゃない? あの日、瑛太さんの同級生だっていう人が来たんだよ。鷲田さんって言うんだけど」
茜は、昨日の鷲田のことを思い出しながら話した。
「……はあ」
山田は興味なさそうに返事をした。
「その人がね、山田くんのことを知ってるみたいで。『山田くんって、ゲーム強いんだって?』って言ってたの」
「……そうすか」
「それで、その……山田くんって、あの人と知り合いなの?」
茜は恐る恐る尋ねた。
山田は少しだけ間を置いた。
「……昨日のあの人、知り合いじゃないすよ。俺は会ったことないすね」
「そ、そうなんだ」
茜の胸から、ふっと力が抜けた。
(よかった……)
そう思った自分に、茜はすぐに気づいた。
(……え、なんで私が安心してるの?)
茜は自分の感情に戸惑った。
山田が鷲田と知り合いでも知り合いじゃなくても、茜には関係ないはずなのに。
(……関係、ないはずなのに)
茜は自分の心の中を、うまく整理できなかった。
山田が、ぽつりと言った。
「……あの人、なんか変だったすね」
「え?」
茜は顔を上げた。
「気をつけた方がいいっすよ」
山田が、自分から長い言葉を口にしたのは、これが初めてだった。
「……変って、どういうこと?」
「……わかんないすけど」
山田はそれ以上、何も言わなかった。
茜のアパートの前に着いた。
二階建ての小さなアパート。茜の部屋は二階の角部屋だ。
「ここで大丈夫すか」
山田が立ち止まった。
「うん。ここ。ほんとにありがとう、助かったよ」
茜は山田からエコバッグを受け取った。
「……別に。興味ないすね」
山田はそっぽを向いた。
(……またそれ)
茜は笑ってしまいそうになった。
「……あのさ」
山田が、去り際に振り返った。
「……ゲーム、あんまり無理しない方がいいすよ」
「え?」
茜が聞き返すと、山田はもう歩き出していた。
「……どういう意味?」
茜の問いかけは、夕暮れの空気に溶けていった。
部屋に戻った茜は、エコバッグを机の上に置いて、ベッドに倒れ込んだ。
「……疲れた」
天井を見つめる。
頭の中では、山田の言葉がぐるぐる回っている。
『あの人、なんか変だったすね』
『気をつけた方がいいっすよ』
『ゲーム、あんまり無理しない方がいいすよ』
(……全部、意味がわからない)
茜は枕に顔をうずめた。
(でも、山田くんがあんなに長く話すの、初めて見た)
そう思ったら、なんだか胸の奥がむずむずした。
「……あー、もう!」
茜は起き上がって、パソコンの電源を入れた。
(ゲームでもして、気を紛らわせよう)
『アルカディア・クロニクル』にログインする。
猫耳の少女アバター、Akaneが、ギルドハウスに現れた。
「……あれ?」
茜は画面を見て、首をかしげた。
ギルドの掲示板に、見慣れない通知が表示されている。
【新メンバー加入申請】
【申請者:WASHIDA】
【メッセージ:はじめまして! 以前、オフ会でご一緒させていただいた鷲田です。ぜひ、こちらのギルドに加入させていただきたいです!】
茜は、マウスを持つ手が止まった。
「……うそ」
画面の中の文字が、ゆっくりと、茜の頭の中に染み込んでいく。
鷲田。
昨日の、あの鷲田だ。
『山田くんって、ゲーム強いんだって?』
あの笑顔。
『気をつけた方がいいっすよ』
山田の忠告。
二つの言葉が、茜の頭の中で交差する。
「……なんで」
茜は震える手で、ギルドチャットを開いた。
【瑠璃姫】えーと、みんな、掲示板見た?
【Runa】見た。知らない人入れたくない!
【瑠璃姫】まあまあ、瑠奈。落ち着いて
【Runa】だって! オフ会に来ただけで、いきなりギルドに入りたいとか、おかしいよ!
【瑠璃姫】すぐには決められないな。みんなの意見を聞きたい
【Runa】私は反対! 絶対にイヤ!
【Akane】……あの、私も、ちょっとびっくりしてます
【Runa】茜! あんた、あの人と何かあったでしょ!
【Akane】え!? な、なんで!?
【Runa】だって、昨日のオフ会で、あの人、茜のことじっと見てたもん!
【Akane】ええっ!?
茜は画面の前で、思わず声を上げた。
(瑠奈ちゃん、そんなとこまで見てたの!?)
【瑠璃姫】まあ、とにかく、今日は遅いし、明日また話そう。な?
【Runa】……わかった。でも、私は絶対に反対だからね!
【Akane】……はい
茜はチャットを閉じた。
画面の向こうには、まだ、あの加入申請の通知が表示されている。
【申請者:WASHIDA】
茜は、その文字をじっと見つめた。
山田の言葉が、もう一度、頭の中で響く。
『あの人、なんか変だったすね』
『気をつけた方がいいっすよ』
「……山田くんは、何か知ってるの?」
茜のつぶやきは、静かな部屋に消えていった。
スマホの画面を、茜は握りしめた。
(明日、瑠奈ちゃんに、ちゃんと話を聞いてみよう)
茜はそう決意して、深く息を吐いた。
窓の外では、もうすっかり暗くなった空に、月が浮かんでいた。Noveliaとは?
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