チ。 ―星を継ぐ者―
星を識ることは、禁忌とされていた。
十五世紀、動かない大地を中心に天が回る——それが教会の定めた真理。下働きの少女ヨレンタは、けれど知ってしまった。母の遺した星語辞典の余白に、公認星図と実際の空との、ほんの僅かな「ずれ」を。
夜ごと屋根裏に忍び、窓枠の傷に星を重ねて記録を続ける三年間。知りたいという渇望だけが、冷たい石造りの屋敷での孤独を支えていた。
転機は、星読みの塔に貼り出された難問だった。「惑星の逆行運動を説明せよ」——誰も解けなかったその問題に、ヨレンタはたった半日で答えを導き出す。天動説を揺るがす、あまりに単純で、あまりに美しい答えを。
だが、差し出した解答を見た司祭は言った。「女の下働きが、こんな計算をできるはずがない」と。
禁忌に触れた少女の小さな一歩は、やがて世界の常識を揺るがす渦へと繋がっていく。星と星を継ぐ者の、恋と渇望と革命の物語。
チ。 ―星を継ぐ者― - 暗号と祈り――雪の審問館へ、母の辞書が指す道
雪が、やんでいた。
空はまだ暗い。東の端が、ほんの少しだけ、青灰色に変わり始めている。観測小屋の屋根の上で、積もった雪が、ずるり、と音を立てて滑り落ちた。
ヨレンタは、小屋の床に座り込んだまま、膝の上の星語辞典を見つめていた。母の形見。古びた革の表紙は手垢で黒光りし、角が擦り切れている。開いたページには、母の筆跡で、数字の羅列が走り書きされていた。
(これは、ただの計算じゃない)
心臓が、どくん、と重く脈打つ。昨夜、オクジーと雪の上で見つけた足跡。ヴィルフリートが、ノートを裁縫箱に隠した、という確信。それらが、この数字の列と、頭の中で、ゆっくりと繋がっていく。
「オクジーさん」
ヨレンタは、小屋の隅で壁にもたれて目を閉じているオクジーに、声をかけた。
オクジーは、黒に近い焦げ茶の髪を揺らして、薄く目を開けた。琥珀色の瞳が、暗がりの中で、星の光を反射するように、ちらりと光る。
「……何だ」
「バデーニさんを、助けに行きます。今から」
ヨレンタの声は、低く、震えていなかった。
オクジーは、しばらくヨレンタの顔をじっと見ていた。それから、小さく息を吐いた。
「……俺に、何ができる。俺は、役立たずだ。あの時も、何もできなかった」
オクジーの声には、昨夜の雪の夜の、あの蹲ったままの無力感が、まだ色濃く残っていた。
「あんたの目が、必要なんです」
ヨレンタは、オクジーの目を、まっすぐに見返した。
「あんたの目は、私の計算より、ずっと正確に星を見ることができる。それに、雪の上の足跡を、あれだけはっきり見つけられた。あんたの目だけが、ヴィルフリートの嘘を、見破れるんです」
オクジーの喉が、こくり、と動いた。
「……あの男の足跡、まだ、雪に残ってる。深く、重い。外套が、重いんだ。それから、途中で、立ち止まってる。何かを、地面に置いた。隠した。……あの形は、箱だ。裁縫箱みたいな、小さい箱」
オクジーは、昨夜の雪の上で見たものを、ゆっくりと思い出しながら言った。
「それよ。ヴィルフリートは、ノートを、裁縫箱に隠した。オクジーさん、あなたの目は、もう、真実を見つけてる。だから、お願い。私に、あなたの目を、貸してください」
ヨレンタの言葉に、オクジーは、ぎゅっと拳を握った。
「……分かった。行こう。あんたを、一人では行かせられない」
オクジーは、立ち上がった。
二人は、観測小屋を出た。
雪は、一面を、音のない白で覆っていた。踏みしめるたびに、さく、さく、と、硬い雪の音がする。冷たい空気が、肺の奥まで、鋭く突き刺さる。
「足跡、まだ残ってる。あっちだ。巡礼宿、白銀の星の裏手の方へ向かってる」
オクジーは、雪の表面を、琥珀色の瞳でなぞるように見た。
ヨレンタは、オクジーの横顔を見た。
(この人は、本当に、夜の雪でも、足跡が見えるのね)
少し、心強かった。
二人は、足跡を追って、ピャストヴィレの南、街道沿いにある巡礼宿「白銀の星」の裏手に辿り着いた。宿の裏には、小さな薪置き場と、古い井戸がある。積もった雪の下に、何かが、埋まっている。
「あそこだ。雪の下に、箱の角が見える」
オクジーが、指さした。
ヨレンタは、雪の中に膝をつき、両手で、冷たい雪を、必死に掘り始めた。指先が、みるみる赤くなり、感覚がなくなっていく。それでも、手を止めなかった。
やがて、雪の下から、小さな木箱が現れた。
裁縫箱だった。
ヨレンタは、震える手で、蓋を開けた。
中には、バデーニの研究ノートがあった。焦げ茶色の革表紙。そして、その下に、折りたたまれた、古い紙の束。
「……これは」
ヨレンタは、紙の束を、そっと取り出した。
それは、星図の断片と、びっしりと数字が書き込まれた計算紙の束だった。そして、その筆跡は。
「……お母さんの、字だ」
ヨレンタの声が、かすれた。
母の形見の星語辞典に残された走り書きと、同じ筆跡。同じ、数字の癖。同じ、インクの色。
「これ、あんたの、母さんの……?」
「……はい。間違いありません。これは、母が、地動説の証明法を、書いたものだわ」
ヨレンタの目から、涙が、ぽろり、とこぼれた。
熱い涙が、冷えた頬を、伝って、雪の上に落ちた。
(お母さんも、星の真理を、追っていた)
(一人で、誰にも言えずに、ずっと)
ヨレンタは、母の計算紙を、胸に抱きしめた。
「……これで、分かった。母の辞典の、数字の羅列は、暗号だった。この、計算紙の数字と、辞書のページ数を、合わせるの。そうすると、文字になる。……母は、私に、メッセージを、残してくれていたのよ」
ヨレンタは、雪の上で、母の辞典を開いた。
ページの端に書かれた数字の列。それを、計算紙の数字と照らし合わせる。
「……『ノートは、裁縫箱』……『無実の証明は、数列の鍵』……」
ヨレンタは、暗号を、読み解いた。
母が、残してくれていた。
自分が、ここに来ることを、知っていたかのように。
いや、違う。
母は、自分が、星の真理を追うことを、信じていたのだ。
「……お母さん、ありがとう。私、ちゃんと、見つけたわ」
ヨレンタは、呟いた。
オクジーは、何も言わずに、ヨレンタの隣に、しゃがみ込んだ。
「……行こう。星読みの塔へ。フェルナンド司祭に、会いに行くんだろ」
「……ええ。お願いします」
二人は、雪道を、星読みの塔へと急いだ。
塔は、ピャストヴィレの北の丘の上に、黒い影のように、そびえていた。
フェルナンド司祭は、塔の一階の、小さな控え室にいた。
白髪交じりの灰色の髪を後ろに撫でつけ、長い白髭を蓄えた、小柄な老人。薄い青灰色の瞳が、ヨレンタとオクジーを、静かに見つめた。
「……夜明け前から、物々しいのう。二人とも、雪まみれではないか」
フェルナンド司祭の声は、ゆったりとしていて、低かった。
「フェルナンド司祭様。お願いが、あります。バデーニさんが、異端審問所に、連れて行かれました。無実の証明を、したいんです。どうか、お力を、貸してください」
ヨレンタは、深く、頭を下げた。
フェルナンド司祭は、長い沈黙の後、ゆっくりと、ため息をついた。
「……バデーニのことは、聞いておる。あの男は、わしの、教え子でな。星学院の頃から、ずば抜けた才能を持っておった。……だが、わしは、あの男が、異端の疑いをかけられた時、何もできなかった。いや、せんかったのじゃ。関わりを、断った。……恐ろしかったのじゃよ」
フェルナンド司祭の声が、震えた。
「わしは、若い頃、優秀な星読みだった。……じゃが、ある夜、気づいてしまった。星図と、実際の星の位置が、ほんの僅か、ずれておることに。……そのずれが、何を意味するのか、考えそうになって、……怖くなった。それ以上、考えることを、やめた。目を、閉じたのじゃ。……君たちは、違う。目を、開けたまま、戦っておる」
フェルナンド司祭は、ヨレンタの目を、まっすぐに見た。
「……君たちは、目を開けたままでいてくれ。わしには、もう、よう見えんがのう。……案内しよう。審問館への、裏道じゃ。誰にも、見つからん道を、わしが、知っておる」
フェルナンド司祭は、そう言って、立ち上がった。
三人は、塔の裏手から、雪に埋もれた、細い獣道へと、入っていった。
道は、暗く、狭く、両側から、雪をかぶった木の枝が、覆いかぶさっていた。
「……この道は、昔、星読みの見習いが、夜中に、こっそりと、街へ降りるために、使っておった道でな。……今は、わししか、知らん」
フェルナンド司祭は、ヨレンタの手を引きながら、ゆっくりと、しかし確実に、雪道を進んでいった。
やがて、木々の間から、異端審問所・ピャスト支部の、石造りの建物が見えてきた。
異端審問所は、ピャストヴィレの東外れ、街道から外れた林の中に、ひっそりと建っていた。石造り平屋建てで、窓は少なく、入り口には、黒い外套に銀の星章をつけた衛兵が、二人、立っている。
「……あそこじゃ。尋問室は、建物の奥にある。控えの間が、その手前にある。……わしが、衛兵の気を、逸らす。その隙に、二人で、控えの間へ、潜り込むのじゃ」
フェルナンド司祭は、そう言って、二人に、裏口の場所を教えた。
「……フェルナンド司祭様、本当に、ありがとうございます」
ヨレンタは、フェルナンド司祭の、皺だらけの手を、ぎゅっと握った。
「……よいのじゃ。わしも、ようやく、目を、開けることが、できそうじゃ」
フェルナンド司祭は、少しだけ、笑った。
フェルナンド司祭が、正面玄関の方へと、歩いていく。
衛兵たちが、フェルナンド司祭に、気づいて、声をかける。
その隙に、ヨレンタとオクジーは、裏口から、審問館の中へと、滑り込んだ。
控えの間は、薄暗く、湿った空気が、漂っていた。
壁には、銀の星章が、かかっている。
奥の、重い木の扉の向こうから、低い、男の声が、聞こえてきた。
「……バデーニ・オルブライト。お前は、星律禁令に背き、地動説を研究し、その証拠となる書物を、作成・所持していた。……間違いないな」
冷たい、感情のない声。
ヨレンタは、心臓が、ぎゅっと、握りつぶされるように、痛んだ。
(バデーニさんが、あの中に)
ヨレンタは、控えの間の、壁際に、身を隠した。
オクジーも、ヨレンタの隣に、息を潜めて、身を伏せた。
「……私が、何かを、知っていると、思うのか」
バデーニの声。
傲慢で、断定的な、あの声。
「お前の、研究ノートが、証拠として、提出されている。……これが、何を意味するか、分からぬほど、馬鹿ではあるまい」
「……そのノートが、本当に、私のものだという、証拠は?」
「筆跡鑑定は、済んでいる。……お前の、左遷前の、星学院の、筆跡と、一致している」
「……そうか。ならば、もう、何を言っても、無駄なのだろうな」
バデーニの声に、諦めの色が、混ざった。
(だめ。バデーニさん、諦めないで)
ヨレンタは、母の計算紙を、ぎゅっと、握りしめた。
その時、控えの間の、扉が、開いた。
入ってきたのは、黒い外套を着た、背の高い男だった。
異端審問官。
ノヴァク。
ノヴァクは、ゆっくりと、尋問室の方へと、歩いていく。
ヨレンタは、ノヴァクの、横顔を、見た。
呑気そうな、やる気のなさそうな、表情。
だが、その目は、獲物を探す獣のように、鋭く、冷たかった。
(この人が、ノヴァク)
ヨレンタの、背中を、冷たいものが、走った。
ノヴァクが、尋問室の扉を、開けようとした、その時。
ヨレンタは、飛び出した。
「待ってください!」
ヨレンタの声が、控えの間に、響き渡った。
ノヴァクの、手が、止まった。
ノヴァクは、ゆっくりと、振り返った。
「……何だ、お前は」
ノヴァクの声は、低く、抑揚がなかった。
「バデーニさんは、無実です。そのノートは、ヴィルフリートという男が、盗んで、偽の証拠として、差し出したものです。……私が、証明します。今、ここで」
ヨレンタは、震える手で、母の計算紙と、バデーニのノートを、ノヴァクの前に、差し出した。
「この、ノートの、最後のページに、隠された、数列があります。これは、星語の暗号です。……この暗号を、解くと、ノートの、本当の持ち主は、ヴィルフリートではない、という、証明になります。……そして、この、私の母が、残した計算紙。この、数列の鍵が、ここに、書かれています。……見てください。この、計算の、速さを。正確さを。……これは、一夜で、偽造できるものでは、ありません」
ヨレンタは、ノートと計算紙を、床に、広げた。
そして、母の辞典を、開いた。
指先が、空中に、数式を、なぞる。
「……この、数字の、並び。……ここを、こう、動かすと、……星の、逆行運動の、周期と、一致します。……そして、この、答えは、……『無実』。……星語で、『無実』と、読みます」
ヨレンタは、一気に、そこまで、言った。
ノヴァクは、床に広げられた、計算紙と、ノートを、じっと、見下ろした。
沈黙。
長い、沈黙。
ノヴァクの、眉が、ほんの少し、動いた。
「……これは、誰が、書いた」
ノヴァクの声が、初めて、興味を含んだ。
「……私です。私が、解きました」
ヨレンタは、ノヴァクの目を、まっすぐに見上げた。
「……女が、これを?」
ノヴァクは、呟いた。
その声には、軽蔑と、驚愕が、同時に、含まれていた。
その時、尋問室の、扉が、勢いよく、開いた。
「はっ! 女が、何を、分かったような口を、聞いている!」
ヴィルフリートが、立っていた。
かつてバデーニの、研究成果を奪った男。
今は、教会に取り入り、この告発を、画策している男。
「おい、ノヴァク審問官。こんな、小娘の、たわごとに、耳を貸す必要は、ない。証拠は、揃っている。さあ、さっさと、この異端者を、処刑してしまえ」
ヴィルフリートは、そう言って、自分の、外套の、内側に、手を入れた。
その瞬間、オクジーが、ヨレンタの、耳元で、囁いた。
「あいつ、今、懐から、別の紙を、出そうとしてる。……偽の証拠だ。あれを、差し替える気だ」
オクジーの、琥珀色の瞳が、暗がりの中で、ヴィルフリートの、手元を、正確に、捉えていた。
ヨレンタは、フェルナンド司祭の、方に、目配せをした。
フェルナンド司祭は、静かに、頷いた。
「……ヴィルフリート殿。その、懐の紙は、何かな」
フェルナンド司祭が、一歩、前に出た。
「……な、何だ、老いぼれ。お前には、関係ない」
ヴィルフリートの、顔色が、変わった。
「……関係、あるのじゃよ。わしは、その、紙を、お前さんが、昨夜、巡礼宿の、裏手で、雪の中から、掘り出して、懐に、入れるのを、見た。……この、老いぼれの、目で、な」
フェルナンド司祭の、声は、ゆっくりと、しかし、はっきりと、響いた。
「……なっ! 何を、言ってる! この、老いぼれが! でたらめを!」
ヴィルフリートの、声が、裏返った。
「でたらめでは、ない。……わしは、見たのじゃ。お前さんが、あの、裁縫箱を、雪の中に、埋めるのを。……そして、今、その、偽の紙を、懐から、出そうとしているのを。……なあ、ノヴァク審問官。……この、わしの、証言と、あの、娘さんの、暗号の、どちらが、真実か。……審問官の、目で、確かめては、くれんか」
フェルナンド司祭の、言葉に、ノヴァクは、ヴィルフリートの、懐を、じっと、見た。
ヴィルフリートの、手が、外套の、内側で、ぴくり、と、止まった。
「……出してみろ」
ノヴァクの、短い、命令。
「……な、何を……」
「その、懐の紙を、出してみろ、と、言っている」
ノヴァクの、声には、有無を言わせない、冷たさがあった。
ヴィルフリートの、顔から、血の気が、引いていく。
「……これは、その……、違う、これは……」
ヴィルフリートは、懐から、一枚の、紙を、取り出した。
その手は、震えていた。
ノヴァクは、その紙を、ひったくるように、受け取ると、目を、走らせた。
「……これは、バデーニの、筆跡を、真似た、偽の、自白書だな。……しかも、インクが、新しい。昨夜、書いたものだ」
ノヴァクは、そう言って、紙を、床に、落とした。
「……ち、違う! これは、その、女が、でっち上げた……」
「黙れ」
ノヴァクの、一声で、ヴィルフリートは、言葉を、失った。
ノヴァクは、ゆっくりと、ヨレンタの、方に、向き直った。
「……お前の、その、暗号とやら。……もう一度、最初から、見せてみろ」
ノヴァクの、目が、ヨレンタを、射抜くように、見つめた。
ヨレンタは、震える手で、もう一度、母の辞典と、計算紙を、ノヴァクの、前に、差し出した。
(お母さん。私に、力を)
ヨレンタは、心の中で、呟いた。
「……ここに、書かれている、数列。……これは、木星の、逆行運動の、周期を、表しています。……そして、この、辞書の、ページ数と、この、計算紙の、数字を、組み合わせると、……『無実』という、星語が、浮かび上がります。……これは、私の母が、私に、残してくれた、暗号です。……母もまた、星の真理を、追っていた。……そして、この、ノートは、バデーニさんの、ものです。……ヴィルフリートが、盗んだ、ものです。……これが、私の、証明です」
ヨレンタの、声は、震えていたが、その、言葉は、はっきりと、していた。
ノヴァクは、長い、沈黙の後、ゆっくりと、口を開いた。
「……面白い」
ノヴァクの、口元が、ほんの少し、歪んだ。
それは、笑みだった。
「……この、暗号の、解き方。……一晩で、思いつくものでは、ない。……お前、名前は」
「……ヨレンタ、です」
「……ヨレンタ。……覚えておこう。……今日の、尋問は、中止だ。……ヴィルフリート、お前は、後で、じっくり、話を、聞かせてもらう」
ノヴァクは、そう言って、ヴィルフリートを、一瞥した。
ヴィルフリートは、顔を、真っ青にして、その場に、へたり込んだ。
「そんな……、待ってくれ! 私は、教会の、ために……」
「黙れと言っている」
ノヴァクの、声は、氷のように、冷たかった。
「……バデーニは、釈放する。……だが、これは、終わりでは、ない。……地動説の、疑いが、晴れたわけでは、ない。……ヨレンタ。……お前も、覚悟しておけ」
ノヴァクは、そう言って、尋問室の、奥へと、消えていった。
ヨレンタは、その場に、力なく、座り込んだ。
全身の、力が、抜けた。
涙が、後から、後から、溢れてきた。
「……ヨレンタ」
尋問室の、奥から、バデーニが、杖を、突きながら、出てきた。
白濁した、両目。
左頬から、顎にかけての、古い傷跡。
「……バデーニさん!」
ヨレンタは、立ち上がって、バデーニに、駆け寄った。
「……すまない。……君に、また、迷惑を、かけた」
バデーニの、声は、疲れ切っていた。
「……いいえ。……私、バデーニさんを、失いたく、なかった。……それだけ、です」
ヨレンタは、バデーニの、手を、握った。
バデーニの、手は、冷たく、骨張っていた。
「……ありがとう。……それから、オクジー。……君の、目が、なければ、どうなっていたか」
「……別に。……俺は、あんたたちの、役に立てたなら、それでいい」
オクジーは、ぶっきらぼうに、言った。
「……フェルナンド司祭。……あなたにも、借りが、できたな」
「……よいのじゃ。……わしも、ようやく、自分の、罪を、少しだけ、償えた気がする。……星はのう、正直なんじゃよ。……わしは、長いこと、目を、背けて、おった。……じゃが、もう、背けん。……君たちの、星を、見守らせてくれ」
フェルナンド司祭は、そう言って、白い、息を、吐いた。
四人は、異端審問所を、後にした。
雪は、また、ちらちらと、降り始めていた。
空は、もう、白み始めている。
長い、長い、夜が、終わろうとしていた。
だが、ヨレンタの、心の中には、ノヴァクの、最後の、言葉が、重く、残っていた。
(これは、終わりじゃない)
(地動説の、疑いは、晴れていない)
(ノヴァクは、きっと、また、来る)
ヨレンタは、バデーニの、手を、ぎゅっと、握りしめた。
(でも、今は、生きている)
(私たちは、まだ、星を、見ることが、できる)
雪の上に、四人の、足跡が、並んで、続いていく。
その、足跡の、先に、朝日が、昇ろうとしていた。Noveliaとは?
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