ペンドラゴン家の優雅なる食卓〜サトゥーの推理は今日も外れる〜
サトゥー・ペンドラゴンは元プログラマー。論理で世界を解き明かそうとする彼が、なぜか今日も推理を外し続ける。冷蔵庫から消えたササカマの謎、商店街から近づく正体不明の気配——すべての伏線は、にぎやかな食卓の前で心地よく裏切られる。童顔の策士が繰り出す仮説の数々を、仲間たちの容赦ない突っ込みが次々と粉砕。それでも彼はめげない。料理と同じくらい推理を愛するサトゥーの、ちょっとおかしな日常ミステリ&グルメコメディ。今日もペンドラゴン家の食卓は、笑い声と温かい湯気に包まれている。
ペンドラゴン家の優雅なる食卓〜サトゥーの推理は今日も外れる〜 - 窓の鍵と足跡の謎!?サトゥーの外部犯説がまたも粉砕される
朝の光が、古い屋敷の台所に差し込んでいた。
青いルミナイトの冷蔵庫が、静かに低く唸っている。晶導技術の結晶であるこの冷蔵庫は、ドワーフの技術者ゴルド・アンヴィルが約300年前に発明した仕組みだ。ルミナイトに晶力を通して庫内を冷やす。定期的に魔力を補充しないと魔法が切れるが、今はその心配もなさそうだった。
サトゥー・ペンドラゴンは、テーブルに広げたメモ帳をじっと見つめていた。黒髪のショートヘアは寝癖で少し跳ねている。身長160センチの華奢な体は、青いシャツに茶色のベストといういつもの格好だ。童顔のせいで15歳よりも幼く見えるが、その瞳は元プログラマーらしい理知的な光を宿していた。
「……なるほど。いや、待てよ」
サトゥーはつぶやいて、メモ帳に新しい線を書き足した。
メモ帳には、屋敷の間取り図がびっしりと描かれている。冷蔵庫の位置、窓の位置、廊下の曲がり角、地下室への階段。矢印がいくつも引かれ、ところどころに「仮説」「矛盾」「要検証」という文字が書き込まれていた。昨晩、ポチとタマが帰宅して調査が中断された後、サトゥーは一晩中このメモ帳と向き合っていたのだ。
「冷蔵庫はここ。俺が最後にササカマを見たのは、たしか三日前。動線はこうなる。つまり——」
「つまり、何もわかってないってことね」
声がして、サトゥーは顔を上げた。
アリサが台所の入り口に立っていた。銀色のロングヘアが、朝の光に透けて輝いている。エメラルドグリーンの瞳は、いつも通り鋭い。わずかに尖ったエルフ耳が、髪の間から覗いていた。手には、昨夜のうちに確認しておいたという屋敷の見取り図が握られている。
「おはよう。……寝てないの?」
「少しな。でも、これで大方の検討はついた」
サトゥーはメモ帳をアリサの前に差し出した。
「見てくれ。この動線だ。冷蔵庫から台所の窓まで、直線距離で約5メートル。犯人が窓から侵入したと仮定すると、足音を立てずに冷蔵庫へ到達するには、このルートが最短になる。しかし、ここに段差があって——」
「ちょっと待って。まだ誰も犯人だって決めてないでしょ」
アリサは見取り図をテーブルに置いて、冷蔵庫の扉を開けた。青いルミナイトの光が、庫内を静かに照らしている。
「ササカマ、やっぱりないわね」
「ああ。だからこそ、これはもう事件なんだ。昨日のポチとタマの帰宅で中断したが、今日こそ真実にたどり着く」
サトゥーは意気込んで言った。
「……あんた、本当に一晩中これ書いてたの?」
「書いてた。推理は、時間をかければかけるほど精度が上がるからな」
「ふーん。で、その精度の高い推理によると、犯人はどこから入ったの?」
「まだ断定はできない。だが、可能性が高いのは——」
サトゥーがメモ帳の一点を指さそうとした、その時だった。
「あ、二人とも、おはよう」
軽やかな声がして、ミーアが台所に顔を出した。
ボルエナン氏族出身のエルフの少女は、亜麻色の髪を背中で一つに束ねている。音楽の才能があり、ミューシア王国の大音楽堂で演奏を依頼されたこともあるという、チームの情報収集役だ。今日は薄い緑のワンピース姿で、朝の光の中でひときわ柔らかい雰囲気をまとっていた。
「おはよう。どうしたの、二人して難しい顔して」
「ササカマがまだ見つからないんだ。それで、今から本格的な調査を始めるところだ」
「ああ、あの川魚の干物ね。……そういえば、あれ、台所の窓が開いてたわよ」
ミーアが、台所の奥の窓を指さした。
サトゥーの動きが、止まった。
「……窓が、開いてた?」
「ええ。さっき通った時に、風でカーテンが揺れてたから」
サトゥーはゆっくりと窓に近づいた。
古い木枠の窓。鍵は——開いている。
「やはり外部犯だ!」
サトゥーは振り返って、声を張り上げた。
「犯人は窓から侵入してササカマを盗み、その後逃走したんだ! これで仮説その2が確定した!」
「待って、サトゥー」
アリサが、窓枠に手を置いた。
「この窓の鍵、内側からかかってたわよ。昨日、私が確認した時は」
「……え?」
「だから、犯人が窓から入ったなら、どうやって内側から鍵をかけたのよ。窓から出たなら、外から鍵はかけられないでしょ」
サトゥーは言葉に詰まった。
「……じゃあ、犯人が閉めたんだ。逃走する時に、窓を閉めて鍵をかけた。犯人は、自分が侵入した痕跡を消そうとしたんだ」
「開けっ放しで逃げる方が自然でしょ。わざわざ鍵をかける理由がないわ」
「いや、しかし、犯人は計画的犯行だ。計画的犯行なら、痕跡を消すのも計画のうちだ」
「ササカマ一尾のために? そこまでする?」
「ササカマは一尾あたり銅貨5枚。つまり約500円相当だ。だが、これは単なる窃盗ではない。もしかすると、俺たちへの何らかのメッセージかもしれない」
「500円の魚でメッセージ? 安いメッセージね」
ミーアが、くすっと笑った。
「相変わらずね、二人とも」
「笑い事じゃない。これは、チームの食卓を揺るがす重大な事件だ」
「大げさよ」
アリサはため息をついた。
「まあいいわ。ミーア、窓が開いてたのは、今朝のこと?」
「ええ。昨日の夜、私が閉めた時は、ちゃんと鍵もかかってたの。でも、今朝通ったら、開いてた」
「昨日の夜は閉まってた。今朝開いてた。……サトゥー、これ、どういうことだと思う?」
サトゥーは腕を組んだ。
「つまり、犯人は夜のうちに窓から侵入し、ササカマを盗み、窓を閉めて逃走した。だが、窓の鍵が甘くて、完全には閉まらなかった。今朝、風で開いた。これで説明がつく」
「説明がつく? どこが?」
「だから——」
「足音は?」
静かな声がして、三人は振り返った。
ルルが、台所の入り口に立っていた。
チームの観察役である少女は、栗色の髪を短く切りそろえている。大きな瞳は落ち着いた光をたたえ、いつも静かに周囲を観察している。今日は薄い茶色のチュニック姿で、手には小さな手帳を持っていた。
「足音?」
「うん。廊下の床に、足跡があったの。それで、方向を確かめた」
ルルは手帳を開いて、簡単な図を見せた。
「足跡は、台所の窓の下から始まって、廊下を通って、玄関の外へ向かってる」
「外へ向かってる……?」
「そう。内側から外へ向かってる」
ルルは淡々と言った。
「つまり、誰かが屋敷の中から外へ出て行ったってこと。外から入ってきたんじゃない」
サトゥーの顔から、血の気が引いていくのがわかった。
「……内側から、外へ?」
「うん。それと、この足跡、小さめなの。子供か、女性のものだと思う」
ルルの言葉に、台所の空気が変わった。
ミーアが、そっと自分の足元を見る。アリサが、じっとルルの顔を見つめた。
「……それって」
ミーアが、小さな声で言った。
「屋敷の中の、誰かってこと?」
「ちょっと待って。身内を疑うってこと?」
アリサの声が、少し強くなった。
「いや、まだそうとは限らない。足跡が小さめだからといって、屋敷の人間だとは——」
「サトゥー。あんた、今、自分で何を言おうとしてるかわかってる?」
アリサが、じっとサトゥーを見据えた。
「外部犯だって言い張ってたのに、足跡が内側から外へ向かってるってわかった途端、今度は内部の人間だって言い出すつもり? しかも、足跡の主は子供か女性——つまり、私たちの誰かってことになるでしょ」
「そ、それは……まだ断定はできない。足跡の大きさだけで判断するのは早計だ。たぶん——」
「たぶん?」
サトゥーは口をパクパクさせた。
「……いや、待てよ。これは重要な手がかりだ。足跡が内側から外へ向かっているということは、犯人は最初から屋敷の中にいたことになる。つまり、犯人は屋敷の構造を熟知している。これは、外部犯説を否定すると同時に、内部犯説を補強するものだ」
「だから、それ、身内を疑ってるってことですよね」
「そうじゃない。俺はただ、可能性を一つずつ潰しているだけで——」
「可能性を潰す? あんたの推理、いつもそうよね。最初に思いついた説に飛びついて、それがダメになると、今度は正反対の説に飛びつく。結局、何も見えてないんじゃないの?」
「それは……返す言葉もない」
サトゥーは肩を落とした。
ミーアとルルが、微妙な表情で顔を見合わせた。
「……まあ、いいわ。とにかく、足跡が外へ向かってるなら、犯人はもう屋敷にはいない可能性が高い。でも、ササカマが消えた理由は、まだわからない」
アリサは、メモ帳を手に取った。
「サトゥー。あんた、昨日、地下室の床に変な跡があるって言ってたわよね」
「ああ。何かを引きずったような跡があった。あれも、まだ確認できていない」
「じゃあ、まずは地下室から調べましょう。足跡は外へ向かってるけど、ササカマがどこに消えたのか、屋敷の中をもう一度きちんと探すべきよ」
「そうだな。よし、地下室だ」
サトゥーは気を取り直して、廊下へ出た。
アリサ、ミーア、ルルが後に続く。
古い屋敷の廊下は、朝の光が差し込んで、ほこりがきらきらと舞っていた。床板は歩くたびにギシギシと鳴る。セーリュー市の東地区にあるこの屋敷は、元は貴族の別荘だった建物だ。チームペンドラゴンの拠点として使っているが、広いだけでけっこう古い。
「地下室への階段は、こっちよ」
アリサが先導して、廊下の奥へ進む。
地下室へ続く階段は、台所の裏手の物置の奥にあった。重い木の扉を開けると、ひんやりとした空気が流れてくる。
「暗いわね。ランプ、持ってくる?」
「いや、このくらいなら大丈夫だ。目が慣れる」
サトゥーは一段目に足をかけた。
ギシ、と階段が鳴った。
「……この跡」
ルルが、階段の中ほどで立ち止まった。
「何かが、擦れた跡がある」
サトゥーはしゃがみ込んで、階段の板をじっと見た。
「これは……何か重いものを引きずったような跡だな。幅が広い。ササカマの入った袋を引きずったら、こんな跡がつくかもしれない」
「ササカマの入った袋、引きずったらこんな跡つきますよね」
アリサが、現実的な指摘をした。
「つまり、犯人はササカマを引きずって、地下へ……」
サトゥーは途中で言葉を切った。
「……いや、待てよ。そもそも、なんで地下室に?」
「何が?」
「犯人が、ササカマを盗んで、わざわざ地下室に運ぶ理由がわからない。足跡は外へ向かってたんだろ? なら、犯人はササカマを持って外へ出て行ったはずだ。なのに、地下室に引きずり跡がある。これは矛盾してる」
「……確かに、変ね」
「変だ。何かがおかしい。俺の推理に、重大な見落としがある」
サトゥーは頭を抱えた。
「たぶん、犯人は一人じゃない。複数犯だ。一人がササカマを盗んで外へ逃げ、もう一人が地下室に何かを運んだ。そう考えれば、足跡と引きずり跡の矛盾が説明できる」
「また、たぶんが出たわね」
「たぶん、じゃない。これは消去法だ。消去法で残った可能性が、最も正しい」
「消去法って、消去した結果が複数犯なの? 余計ややこしくなってるわよ」
「いや、これは——」
「あの、二人とも」
ミーアが、階段の下を指さした。
「地下室の扉、見えてきたわ。……なんだか、嫌な感じがしない?」
四人は、地下室の扉の前に立った。
古い鉄の扉。所々に錆が浮いている。取っ手は冷たく、触れるとひやりとした。
「……確かに、空気が違うな」
サトゥーは、扉の前で足を止めた。
「何か、いるのか?」
その時だった。
背後から、静かな足音が近づいてくる。
四人は一斉に振り返った。
階段の上に、リザが立っていた。
深緑色のストレートヘアが、薄暗い光の中で静かに揺れる。琥珀色の縦長の瞳は、じっと地下室の扉を見つめていた。蜥蜴の尻尾が、ゆっくりと左右に動く。鱗の肌が、ランプの光を反射して、かすかに光った。
「リザ? どうした?」
リザは答えず、扉をじっと見つめている。
「……気配がする」
短く、淡々とした声だった。
「え? 何が?」
「わからない。でも、気配がする」
リザは、扉から目を離さない。
「ちょっと、まさか本当に誰かいるの?」
アリサの声が、強ばった。
「……わからない。でも、何かが、いる」
ミーアとルルが、身構えた。
ミーアは口元を押さえ、ルルは手帳を胸に抱きしめている。
サトゥーは、ごくりと唾を飲み込んだ。
地下室の扉の向こうから、かすかに、何かが動く気配がした。
「……みんな、下がってろ」
サトゥーは、扉の取っ手に手をかけた。
冷たい鉄の感触が、手のひらに広がる。
「開けるぞ」
サトゥーの声は、自分でも驚くほど低く、静かだった。
アリサが、サトゥーの背中に手を置いた。
「……気をつけて」
「ああ」
サトゥーは、ゆっくりと扉を押し開けた。
ギィィィ……
錆びた蝶番が、悲鳴のような音を立てる。
地下室の奥から、冷たく湿った空気が流れ出してきた。
暗闇の向こうに、何かが——。
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