ペンドラゴン家の優雅なる食卓〜サトゥーの推理は今日も外れる〜
サトゥー・ペンドラゴンは元プログラマー。論理で世界を解き明かそうとする彼が、なぜか今日も推理を外し続ける。冷蔵庫から消えたササカマの謎、商店街から近づく正体不明の気配——すべての伏線は、にぎやかな食卓の前で心地よく裏切られる。童顔の策士が繰り出す仮説の数々を、仲間たちの容赦ない突っ込みが次々と粉砕。それでも彼はめげない。料理と同じくらい推理を愛するサトゥーの、ちょっとおかしな日常ミステリ&グルメコメディ。今日もペンドラゴン家の食卓は、笑い声と温かい湯気に包まれている。
ペンドラゴン家の優雅なる食卓〜サトゥーの推理は今日も外れる〜 - ポチとタマ参上!四角四面の犯行と地下室のオリオン
地下室の扉の前。錆びた鉄の取っ手に手をかけたまま、サトゥー・ペンドラゴンは動けずにいた。
指先から伝わる冷たさが、背中まで這い上がってくる。
「……開けるぞ」
低く、自分に言い聞かせるような声だった。
アリサが一歩前に出る。銀色のロングヘアが、薄暗い廊下の空気に揺れた。エメラルドグリーンの瞳が、扉をじっと見据えている。
「待って。本当に何かいるの?」
「わからない。でも、気配がする」
リザの声は、いつも通り静かだった。深緑色のストレートヘアの奥で、琥珀色の瞳が細められる。蜥蜴の尻尾が、ゆっくりと左右に動いた。
「気配って、どんな?」
「……温かい。生きてる。でも、すごく小さい」
「小さい?」
「うん。ネズミより少し大きいくらい」
サトゥーは眉をひそめた。
「ネズミより大きい……なるほど。いや、待てよ。たぶん、あれだな」
「あれって何よ」
「この前、台所の隅で見かけた黒い影だ。あの時は暗くてよく見えなかったが、おそらく野良猫か何かが迷い込んだんだ。そう考えると、足跡の謎も説明がつく。猫が窓から入って、ササカマをくわえて地下室に運んだ——」
「猫が冷蔵庫を開けるわけないでしょ」
アリサの声は、ため息混じりだった。
「いや、だがな。猫の中には器用なやつもいる。特に、この屋敷の周りには——」
「はいはい、サトゥーの猫犯人説はまた今度ね」
アリサが、サトゥーの背中を軽く押した。
「とにかく、開けるわよ。みんな、何かあっても驚かないで」
「……わかった」
サトゥーが、再び取っ手に手をかけた。
ギィィィ……
錆びた蝶番が、低い音を立てる。
地下室の奥から、冷たく湿った空気が流れ出してきた。
暗闇。
何も見えない。
「……誰か、いるのか?」
返事はない。
静寂。
心臓の音だけが、やけに大きく聞こえる。
「明かり、つけるわよ」
アリサが、壁のランプに手を伸ばした。
——その時だった。
「大変なのです! ササカマが台無しなのです!」
けたたましい叫び声が、廊下の奥から響き渡った。
バタバタバタバタ!!
小さな足音が、ものすごい勢いで近づいてくる。
サトゥーは、取っ手から手を離した。
「ポチ?」
振り返った瞬間、茶色のボブカットが視界いっぱいに飛び込んできた。
「サトゥー! ササカマが! ササカマが大変なのです!」
ポチ・キシュレシガルザが、涙目でサトゥーの胸に飛びついてきた。くりくりした黒い瞳が、今にもこぼれそうな涙でいっぱいだ。犬の耳がぺたんと倒れ、尻尾はだらりと下がっている。
「落ち着け。何があったんだ」
「ササカマが! 冷蔵庫のササカマが、誰かに食べられてるのです!」
「食べられてる?」
サトゥーの顔色が変わった。
「誰かが今、台所にいるのか!?」
「わからないのです! でも、袋が開いてて、中身が減ってたのです!」
「くっ……犯人はまだ屋敷の中にいたのか!」
サトゥーは、地下室の扉を背に、廊下の奥を睨みつけた。
「アリサ、リザ、ここで待ってろ。俺が様子を見てくる」
「待って、サトゥー。私も行くわ」
「いや、危険かもしれない。お前たちは——」
「危険なわけないでしょ。どうせまた、ポチの早とちりよ」
アリサは、呆れた顔で言った。
「早とちりじゃないのです! 本当に減ってたのです!」
「はいはい。とにかく、見に行きましょう」
四人は、足早に台所へ向かった。
地下室の扉は、開きかけたまま、静かに口を開けていた。
台所に着いた。
青いルミナイトの冷蔵庫が、相変わらず低く唸っている。晶導技術の結晶であるこの冷蔵庫は、ドワーフの技術者ゴルド・アンヴィルが約300年前に発明した仕組みだ。ルミナイトに晶力を通して庫内を冷やす。その冷蔵庫の扉が、少しだけ開いていた。
「ほら、見てくださいなのです!」
ポチが、冷蔵庫の前でぴょんぴょん跳ねながら指さした。
サトゥーは、冷蔵庫に近づいた。
扉を開ける。
青い光が、庫内を照らし出す。
野菜、卵、調味料。そして——
「……ササカマがあるじゃないか」
ササカマの包みが、冷蔵庫の奥にちゃんと置かれていた。
「え?」
ポチが、きょとんとした顔で首をかしげた。
「ほら、ここに」
サトゥーは、包みを手に取った。
「あれ? さっきはもっと減ってたのです……」
「減ってたって、お前、まさか」
サトゥーは、包みを開けて中を確認した。
ササカマが、五尾。
しかし、そのうちの一尾に、小さな歯形がついている。
「……ポチ」
「はいなのです!」
「これ、お前が食べたな」
ポチの耳が、ピンと立った。
「ち、違うのです! ポチは味見をしただけなのです!」
「味見?」
「毒味なのです! サトゥーの料理が美味しいかどうか、確かめただけなのです!」
ポチは、胸を張って言った。
「……それ、ただの食いしん坊でしょ」
アリサの冷たい声が、台所に響いた。
「食いしん坊じゃないのです! ポチは、みんなの安全のために毒味をしたのです!」
「毒味って、ササカマはもう調理済みの干物よ。毒なんて入ってないわ」
「でも、もしかしたら、悪い人が毒を入れたかもしれないのです! だから、ポチが確かめたのです!」
「悪い人って誰よ」
「それは……四角四面の犯行なのです!」
台所が、静まり返った。
サトゥーは、ポチの顔をじっと見た。
アリサは、額に手を当てた。
リザは、無表情のまま、尻尾を一回振った。
「……四角四面?」
「そうなのです! 四角四面の犯行なのです!」
「四角四面って、真面目すぎるって意味だぞ。犯行が真面目って、どういうことだ」
「え? 四角四面は、あっちこっちって意味じゃないのですか?」
「それは四方八方だ」
「そうなのです! 四方八方なのです!」
「いや、だから、お前が言いたかったのは四方八方ってことか?」
「そうなのです! 犯人は、四方八方から来たのです!」
「犯人が四方八方から来たら、一人じゃないだろ。それに、そもそも犯人はいないんだ」
「いるのです! だって、ササカマが減ってたのです!」
「減らしたのはお前だろ」
「ポチは味見をしただけなのです! 犯人は別にいるのです!」
「もういい。とにかく、ササカマは無事なんだ。事件は解決だ」
サトゥーは、包みを冷蔵庫に戻そうとした。
「あ、お肉なら私がおやつに食べたよ」
のんびりした声が、台所の入り口から聞こえた。
振り返ると、黒髪のショートカットに金色の猫目。猫の耳と尻尾を揺らしながら、タマが立っていた。
「……今、なんて言った?」
「お肉なら、私がおやつに食べたよ。昨日の夜、お腹が空いてたから」
タマは、あっけらかんと言った。
「タマ……お前、あの肉は今日の夕食に使う予定だったんだぞ」
「そうだったの? 美味しかったよ」
「美味しかったよ、じゃない!」
サトゥーは、頭を抱えた。
「事件ですらないじゃないか!」
「事件なのです! ポチのササカマは無事だったけど、タマのお肉が消えたのです!」
「消えたんじゃない。タマが食べたんだ」
「でも、タマはおやつに食べたって言ってるのです! おやつに食べたなら、おやつの時間に食べたのです! でも、お肉は夕食の材料だったのです! これは、時間を超えた犯行なのです!」
「時間を超えた犯行ってなんだ。もう、わけがわからないぞ」
「ポチ、あんた、四字熟語を使うのやめなさい。話がややこしくなるだけよ」
「四字熟語じゃないのです! これは、ポチの推理なのです!」
「推理って、あんたの推理はいつも時間を超えたり、次元を超えたりするわね」
「次元は超えてないのです! 時間だけなのです!」
「どっちも同じよ」
「同じじゃないのです! 時間と次元は、全然違うのです!」
「はいはい。で、結局、お肉はタマが食べた。ササカマはポチが味見した。これで全部解決でしょ」
「解決してないのです! 犯人はまだ捕まってないのです!」
「犯人はあんたとタマよ」
「ポチは犯人じゃないのです! ポチは毒味係なのです!」
「毒味係って、いつからそんな役職ができたのよ」
「さっきからなのです!」
「さっきからって、あんたが勝手に名乗っただけでしょ」
「名乗ったら、それが役職なのです!」
「もう、なにこの理屈」
アリサが、ため息をついた。
サトゥーは、二人のやり取りを聞きながら、ゆっくりと深呼吸をした。
「……とにかく、ササカマは見つかったんだ。これで、夕食は作れる」
「でも、お肉がないのです! 夕食はどうするのですか?」
「お肉がなくても、ササカマがあれば何とかなる。ササカマの煮付けと、野菜の炒め物でいいだろ」
「えー、お肉が食べたいのです!」
「タマも、お肉が食べたい」
「お前たち、さっきまでお肉とササカマを勝手に食べてただろ。それでよく言うよ」
「でも、お腹は空くのです! 獣人の胃袋は、人間の三倍大きいのです!」
「三倍って、どこ情報だ」
「ポチの体で、ポチが一番よく知ってるのです!」
「……まあ、いい。とにかく、地下室の調査を再開するぞ」
「地下室?」
ポチの耳が、ぴくりと動いた。
「ああ。リザが、地下室に何かの気配を感じたんだ。それで、今から調べようとしてたところに、お前が飛び込んできた」
「気配! それは、きっとササカマ泥棒の気配なのです!」
「ササカマ泥棒って、ササカマはここにあるだろ」
「でも、犯人はまだ屋敷の中にいるかもしれないのです! ポチも一緒に調査するのです!」
「……わかった。来い。ただし、勝手に走り回るなよ」
「了解なのです!」
ポチが、元気よく敬礼した。
「タマも行くよ。なんか、嫌な予感がするから」
タマが、のそりと立ち上がった。
「嫌な予感って、お前の直感はよく当たるからな。……頼りにしてるぞ」
「うん。任せて」
五人で、地下室へ向かった。
地下室の扉は、さっきと同じように、少しだけ開いていた。
「……開けたままだったな」
「ごめんなさい。私が閉め忘れたわ」
「いや、いい。誰かが出入りした形跡はないか」
サトゥーは、扉の周りを調べた。
床に、小さな足跡がいくつか。
「これは……ポチとタマの足跡だな。さっき、ここで走り回ったから」
「ポチは走り回ってないのです! 全力で駆け込んだだけなのです!」
「それが走り回ってるって言うんだよ」
「違うのです! 走り回るのは、あっち行ったりこっち行ったりするのです! ポチは、一直線にサトゥーのところへ行ったのです!」
「はいはい。とにかく、中に入るぞ」
サトゥーは、扉を押し開けた。
ギィィィ……
暗闇。
冷たい空気。
カビと埃の匂い。
「明かりをつける」
サトゥーは、壁に手を伸ばした。
ランプのスイッチを探す。
カチッ。
青白い光が、地下室を照らし出した。
ルミナイトのランプだ。
「……誰もいないな」
地下室は、がらんとしていた。
古い棚、使われなくなった家具、積み上げられた木箱。
そして——
「あれ」
タマが、部屋の奥を指さした。
「何かいる」
「何かって?」
「わからない。でも、あそこ」
タマの金色の猫目が、暗闇の一点をじっと見つめている。
サトゥーは、ランプを手に、ゆっくりと部屋の奥へ進んだ。
一歩。
また一歩。
足音が、やけに大きく響く。
「……誰かいるのか?」
返事はない。
だが、確かに気配があった。
木箱の影。
その奥に、何かが動いた。
「——!」
サトゥーは、ランプを高く掲げた。
光が、影を照らし出す。
そこにいたのは——
「オリオン?」
薄暗い地下室の奥で、ササカマの包みを抱きしめたオリオン・ムーノが、壁に背を向けて立っていた。
15歳の少年は、反抗的な目つきでサトゥーを睨み返す。
「……なんだよ」
「なんだよ、じゃない。お前、なんでここにいるんだ?」
「姉さんに頼まれて、届けに来たんだ。文句あるのか?」
オリオンは、抱えていた包みをサトゥーの方に突き出した。
「届けるって、なんで地下室に?」
アリサが、サトゥーの隣に立って、オリオンをじっと見た。
「ちゃんと指定された場所に置いたんだ。文句はないだろ」
「指定された場所って、誰が地下室に置けって言ったのよ」
「姉さんが……いや、姉さんは、冷たい場所に置けって言ったんだ。だから、ここに置いた」
「冷たい場所って、冷蔵庫のことでしょ」
「冷蔵庫も冷たいだろ。地下室も冷たいだろ。どっちも冷たい場所だ。何が違うんだ」
「全然違うわよ。冷蔵庫は、食べ物を保存するための場所。地下室は、物置でしょ」
「でも、冷たい場所って言われたら、地下室も冷たい場所に入るだろ」
「入らないわよ。普通、食べ物を届けられたら、冷蔵庫に入れるでしょ」
「普通って何だよ。俺は、ちゃんと冷たい場所に置いたんだ。それのどこが悪い」
「悪いわよ。ササカマは、鮮度が落ちやすいの。冷蔵庫に入れないと、すぐに傷んじゃうのよ」
「じゃあ、なんで地下室は冷たいんだよ。冷たいなら、保存できるだろ」
「地下室の冷たさは、冷蔵庫の冷たさとは違うの。冷蔵庫は、青いルミナイトで、もっとずっと冷えてるの」
「同じ冷たいだろ。温度の違いなんて、大したことない」
「大したことあるわよ。ササカマは、温度にすごく敏感なんだから」
「へえ、そうなのか。ササカマって、意外と神経質なんだな」
「神経質なのはあんたでしょ。素直に、間違えましたって言えばいいのよ」
「間違えてない。俺は、ちゃんと冷たい場所に置いた。それだけだ」
オリオンは、頑なに言い張った。
サトゥーは、二人のやり取りを聞きながら、深いため息をついた。
「……なるほど。いや、待てよ。たぶん、全部わかった」
「何がわかったの?」
「ソルナが、オリオンにササカマを届けさせた。その時、『冷たい場所に置いておいて』とだけ言った。オリオンは、冷たい場所=地下室だと思って、ここに置いた。だが、ソルナの言う冷たい場所は、冷蔵庫のことだった。つまり、これは単なる伝達ミスだ。事件性はない」
「……まあ、そういうことね」
「そうなのです! だから、四角四面の犯行だったのです!」
「四角四面じゃなくて、四方八方でしょ。しかも、犯行じゃなくて、ただの行き違いよ」
「行き違いなのです! だから、犯人は、行き違いをしたオリオンなのです!」
「オリオンは犯人じゃないわよ。ただ、ちょっと勘違いしただけよ」
「勘違いをしたら、それは犯人なのです! ポチは、そう思うのです!」
「ポチの理屈、相変わらずめちゃくちゃね」
「めちゃくちゃじゃないのです! ポチの理屈は、いつも正しいのです!」
「正しいわけないでしょ。四角四面を四方八方って言い間違えた時点で、正しくないわよ」
「それは、ポチの舌が滑っただけなのです! 頭の中では、ちゃんと四方八方って思ってたのです!」
「舌が滑ったら、四角四面にはならないわよ。あんたの頭の中、どうなってるの」
「ポチの頭の中は、いつもササカマとお肉のことでいっぱいなのです!」
「食いしん坊なのは、よくわかったわ」
アリサが、またため息をついた。
サトゥーは、オリオンに近づいた。
「とにかく、ササカマを渡してくれ。それは、俺たちが夕食に使う予定だったものだ」
「……わかったよ」
オリオンは、しぶしぶ包みを差し出した。
「でも、俺は悪くないからな。姉さんが、ちゃんと説明しなかったのが悪いんだ」
「はいはい。とりあえず、ササカマはもらっておく。ありがとうな、届けてくれて」
「……別に。頼まれたからやっただけだ」
オリオンは、そっぽを向いた。
「でも、今度からは、食べ物は冷蔵庫に入れてくれ。地下室は、食べ物を置く場所じゃないからな」
「……わかってるよ。今度からは、ちゃんと冷蔵庫に入れる」
オリオンの声が、少しだけ小さくなった。
「それなら、いいんだ」
サトゥーは、オリオンの頭に手を置いた。
「触るなよ」
オリオンが、サトゥーの手を振り払った。
「悪い悪い。でも、ちゃんと届けてくれて助かった。ありがとうな」
「……だから、別に。頼まれたからやっただけだって」
オリオンは、顔を赤くして、地下鉄の階段を駆け上がっていった。
「……あいつ、素直じゃないわね」
「まあ、あの年頃は、ああいうもんだろ」
「サトゥーは、ああいうのを『可愛い』とか思ってるんでしょ」
「思ってないよ。ただ、真面目なやつだなとは思った」
「ふーん」
アリサは、何か言いたそうな顔をしたが、何も言わなかった。
「とにかく、ササカマは手に入った。これで、夕食が作れるぞ」
サトゥーは、包みを抱えて、地下室を出た。
台所に戻った。
サトゥーは、包みを冷蔵庫に運び、扉を開けた。
「さて、と。ササカマは無事に冷蔵庫に入れた。今度こそ、夕食の支度を始めるぞ」
サトゥーは、冷蔵庫の中を確認した。
野菜、卵、調味料、そしてササカマ。
「……あれ?」
サトゥーの手が、止まった。
「どうしたの?」
「お肉がない」
「ああ、それはタマが食べたんでしょ」
「いや、そうじゃなくて、お肉がないんだ。昨日、買い物に行った時に、確かに買ってきたはずなんだが」
「え? タマが食べたんじゃないの?」
「タマが食べたのは、一昨日の残りのお肉だ。昨日買ってきたお肉は、冷蔵庫の奥に入れておいたはずなんだ」
「じゃあ、そのお肉はどこに消えたのよ」
「わからない。だから、今、冷蔵庫の中を確認してるんだ」
サトゥーは、冷蔵庫の中を隅々まで調べた。
しかし、お肉は見つからない。
「お肉がないのです! 大変なのです!」
ポチが、冷蔵庫の前で叫んだ。
「またお前か。ポチ、今度はお前が食べたのか?」
「ポチは食べてないのです! ポチは、ササカマの味見をしただけなのです!」
「じゃあ、誰が食べたんだ」
「甘いものもない」
タマが、冷蔵庫を覗き込んで言った。
「甘いもの? ああ、昨日、市場で買った焼き菓子か。それもないのか?」
「ないよ。昨日の夜、私が食べたから」
「お前か!」
サトゥーは、声を張り上げた。
「だって、お腹が空いてたんだもん」
「だからって、勝手に食べるなよ。あれは、みんなで分けて食べようと思ってたんだぞ」
「でも、美味しかったよ」
「美味しかったよ、じゃない! もう、なんでお前たちは、冷蔵庫の中身を勝手に食べるんだ!」
「だって、お腹が空くんだもん」
「ポチも、お腹が空くのです! だから、味見をしたのです!」
「味見って、お前、ササカマを味見したんだろ。それで、お肉はタマが食べた。甘いものもタマが食べた。じゃあ、昨日買ったお肉は、誰が食べたんだ?」
「それは……四角四面の犯行なのです!」
「また四角四面か!」
「だから、それは四方八方でしょ。しかも、犯行じゃなくて、ただの食いしん坊の仕業よ」
「でも、ポチもタマも、お肉は食べてないのです! じゃあ、誰が食べたのですか?」
「……リザ、お前は知らないか?」
リザは、首を横に振った。
「知らない。私は、肉はあまり食べない」
「じゃあ、誰が……」
サトゥーは、頭を抱えた。
「もう、今日の夕食どうするんですか」
アリサが、ため息をついた。
「ササカマはある。それと、野菜と卵。あとは……缶詰の豆が少し。これで、何とかするしかないな」
「ササカマの煮付けと、野菜炒めと、豆のスープね。まあ、悪くないんじゃない?」
「でも、お肉がないのは、ポチ、悲しいのです……」
ポチが、耳を垂らした。
「タマも、お肉が食べたい」
タマも、尻尾をだらりと下げた。
「お前たちが勝手に食べたのが悪いんだろ。今日は、肉なしだ。文句を言うな」
「えー……」
「えー、じゃない。反省しろ」
「……反省してるのです。でも、お腹は空くのです」
「それは、お前の胃袋が悪いんだ」
「ポチの胃袋は、悪くないのです! ポチの胃袋は、いつも元気なのです!」
「元気すぎるんだよ。もうちょっと、遠慮ってものを覚えろ」
「遠慮って、美味しいのですか?」
「食べ物じゃない!」
サトゥーは、叫んだ。
夕方。
台所には、ササカマの煮付けの匂いが漂っていた。
醤油と砂糖と酒。それに、生姜の香り。
グツグツと、鍋が静かに煮えている。
サトゥーは、鍋の中をじっと見つめながら、木べらでかき混ぜた。
「……まあ、これでいいか」
サトゥーは、火を弱めた。
「サトゥー、食器並べたわよ」
アリサが、テーブルに食器を並べながら言った。
「ああ、ありがとう。もう少しでできる」
「いい匂いなのです! お腹が空いたのです!」
ポチが、テーブルの周りをぐるぐる回っている。
「ポチ、あんた、さっきササカマの味見したでしょ。まだお腹空くの?」
「味見は味見なのです! 食事は別腹なのです!」
「別腹って、あんたの胃袋、どうなってるのよ」
「ポチの胃袋は、宇宙なのです! 無限に食べられるのです!」
「宇宙って、もう、なに言ってるの」
「だって、ポチのお腹は、いつもぺこぺこなのです! ぺこぺこは、宇宙と同じくらい大きいのです!」
「ぺこぺこは、お腹が空いてる音でしょ。宇宙と関係ないわよ」
「関係あるのです! ぺこぺこが大きいほど、宇宙も大きいのです!」
「もう、わけがわからないわ」
アリサが、額に手を当てた。
「タマは、ポチの言ってること、わかる?」
「うん。ポチは、お腹が空いてるって言いたいんだよ」
「それだけ?」
「それだけ」
「……タマは、ポチの通訳ができるのね」
「ポチのことは、タマが一番わかってるから」
タマが、得意げに言った。
「そうなのです! タマは、ポチの親友なのです!」
ポチが、タマに抱きついた。
「ポチ、苦しいよ」
「でも、嬉しいのです! タマと一緒だと、ご飯が百倍美味しいのです!」
「百倍は言い過ぎだよ。でも、タマも、ポチと一緒だと楽しい」
「本当なのですか!? 嬉しいのです!」
ポチの尻尾が、ぶんぶん振れた。
サトゥーは、二人の様子を見ながら、小さく笑った。
「はい、できたぞ。今日は、ササカマの煮付けと、野菜炒めと、豆のスープだ」
サトゥーが、料理をテーブルに並べた。
「わあ、美味しそうなのです!」
「ササカマ、いい匂い」
「いただきます」
「いただきますなのです!」
「いただきます」
四人は、食卓を囲んだ。
窓の外では、夕日が沈みかけていた。
橙色の光が、台所を優しく照らしている。
「……今日は、本当に騒がしい一日だったな」
サトゥーが、ササカマの煮付けを口に運びながら言った。
「そうね。ササカマは見つからないし、ポチは味見するし、タマはお肉食べるし、オリオンは地下室にササカマ置いてるし」
「でも、全部解決しただろ。ササカマも見つかったし、オリオンの勘違いもわかったし」
「お肉は見つかってないわよ」
「……それは、まあ、そのうち見つかるだろ。たぶん」
「たぶん、って、また適当なこと言ってる」
「適当じゃない。俺の推理では、お肉は冷蔵庫の奥に隠れてるはずなんだ」
「隠れてるって、お肉が自分で隠れるわけないでしょ」
「いや、だがな。冷蔵庫の中は、意外と広い。もしかしたら、お肉が他の食材の影に隠れてるかもしれない」
「あんた、さっき冷蔵庫の中、隅々まで確認したでしょ」
「確認した。だが、もしかしたら、見落としがあったかもしれない。たぶん」
「たぶん、じゃないわよ。もう、お肉のことは諦めなさい」
「諦めるのは、まだ早い。明日、もう一度、冷蔵庫を徹底的に調査する」
「また調査するの? あんた、本当に懲りないわね」
「懲りないのが、俺の長所だ」
「長所なの? それ、短所じゃないの?」
「長所だ。諦めない心は、何よりも大切だ」
「……まあ、サトゥーらしいけど」
アリサが、小さく笑った。
「アリサ、笑った」
タマが、アリサの顔をじっと見た。
「笑ってないわよ」
「笑ってた。口が、ちょっと上がってた」
「気のせいよ」
「気のせいじゃない。タマの目は、よく見えるから」
「……はいはい。よく見えるのは、いいことね」
アリサが、照れたようにそっぽを向いた。
「アリサ、照れてるのです!」
「照れてないわよ!」
「照れてるのです! 顔が赤いのです!」
「赤くないわよ!」
「赤いのです! サトゥー、アリサの顔、赤いと思いませんか?」
「……まあ、夕日が当たってるからな。そのせいだろ」
「夕日のせいなのですか?」
「そうだ。夕日のせいだ」
「でも、夕日は窓の向こうなのです。アリサの顔には、夕日は当たってないのです」
「……細かいことを気にするな」
「細かくないのです! ポチは、真実を知りたいだけなのです!」
「真実って、アリサの顔が赤いかどうかの真実か?」
「そうなのです! 真実は、いつも一つなのです!」
「それ、どこかで聞いたセリフだな」
「ポチのオリジナルなのです!」
「嘘つけ。絶対、誰かの真似だろ」
「真似じゃないのです! ポチは、自分で考えたのです!」
「はいはい。とにかく、アリサの顔は、夕日のせいで赤いんだ。そういうことにしておけ」
「……サトゥー、あんた、それ、フォローのつもり?」
「フォロー? いや、事実を述べただけだ」
「事実って、夕日は当たってないってポチが言ってたでしょ」
「ポチの観察が間違ってるんだ。夕日は、窓から斜めに入って、アリサの顔に当たってる。たぶん」
「たぶん、って」
「たぶん、じゃない。絶対だ。夕日は、アリサの顔に当たってる」
「もう、なに言ってるのよ」
アリサが、吹き出した。
「あはは、サトゥー、変なの」
「変じゃない。俺は、いつも真剣だ」
「真剣に、夕日の角度を分析してる時点で、変よ」
「分析は、俺の仕事だ。元プログラマーとして、あらゆる事象をロジックで説明するのが、俺の使命なんだ」
「使命って、大げさね」
「大げさじゃない。これが、俺の生き方だ」
「はいはい。サトゥーの生き方は、よくわかったわ」
アリサが、笑いながら言った。
「アリサ、やっと笑った」
「笑ってないわよ」
「笑ってる。今度は、ちゃんと笑ってる」
「……もう、タマは、そういうのよく見てるわね」
「タマは、みんなのことをよく見てるから」
「そうなの?」
「うん。サトゥーは、料理の時、すごく真剣な顔をする。ポチは、嬉しい時、尻尾がぶんぶん振れる。アリサは、照れると、耳が赤くなる」
「耳!? 耳が赤くなるの!?」
アリサが、自分の耳を押さえた。
「うん。特に、右の耳の先が赤くなる」
「……もう、なんでそんなことまで見てるのよ」
「だって、タマは、みんなのことが好きだから」
タマが、にっこり笑った。
「タマ……あんた、たまにすごくいいこと言うわね」
「そう? 普通だよ」
「普通じゃないわよ。あんたのその、ストレートなところ、本当にすごいと思うわ」
「アリサも、すごいよ。サトゥーの推理に、いつもちゃんと突っ込んでる。タマには、できない」
「突っ込みは、私の役目だから」
「うん。アリサの突っ込みは、いつも面白い。タマ、聞いてて楽しい」
「……ありがとう」
アリサが、少し照れたように言った。
「ポチも、アリサの突っ込み、大好きなのです! アリサに突っ込まれると、ポチ、嬉しいのです!」
「嬉しいの? 突っ込まれて嬉しいの?」
「嬉しいのです! だって、アリサがポチのことを見てくれてるってことだからなのです!」
「……あんたたち、ほんと、いい子ね」
アリサが、ポチとタマの頭を撫でた。
「えへへなのです」
「くすぐったい」
サトゥーは、三人の様子を見ながら、静かに笑った。
「……みんな、今日は本当にお疲れさま。ゆっくり食べよう」
「はいなのです!」
「うん」
「そうね」
四人は、夕食を続けた。
窓の外では、夕日が完全に沈み、夜の闇が広がっていた。
ルミナイトのランプが、台所を静かに照らしている。
ササカマの煮付けの甘い香りが、いつまでも部屋の中に漂っていた。
食事が終わり、片付けを始めた。
サトゥーが食器を洗い、アリサが拭いて棚に戻す。
ポチとタマは、満腹になったのか、テーブルに突っ伏して眠そうにしている。
「……そういえば、お肉、結局見つからなかったな」
サトゥーが、食器を洗いながら言った。
Noveliaとは?
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