BANANA FISH 逆行の光 — アッシュ・リンクス、運命を斬る
血の味とともに、二十三歳の死を見た——。目を覚ましたアッシュ・リンクスの枕元には、見知らぬ東洋人青年の古い写真が一枚。「お前はまだ間に合う。バナナフィッシュを止めろ」——裏に残された言葉が、運命を変える鍵となる。親友ショーターの失踪、黒いスーツの男たち、街に囁かれる禁断の薬の噂。ハーレムのストリートキッズのボスが、自らの死の未来を斬り開くために動き出す。逆行×サスペンス×アクション、運命に抗う物語が今、幕を開ける。
BANANA FISH 逆行の光 — アッシュ・リンクス、運命を斬る - 予知夢と写真、そして親友の失踪
血の味がした。
口の中いっぱいに広がる、鉄の味。体が動かない。仰向けに倒れたまま、目だけが天井を向いている。視界がぼやける。白い光がにじむ。
誰かが俺を呼んでいる。遠い。声が遠い。
腕の中に抱えられている。温かい。でも、その温かさが遠ざかっていく。指先から冷たくなっていく。心臓がゆっくりになっていく。
ああ、これが死ぬってことか。
二十三歳の俺は、静かに息を吐いた。
——その瞬間、アッシュ・リンクスは飛び起きた。
心臓が耳の奥で鳴っている。額に汗が張りつく。呼吸が浅い。空気を吸おうとして、うまく吸えない。
薄暗い部屋。窓は板で塞がれていて、月明かりがわずかに漏れているだけだ。湿った埃の匂い。遠くでサイレンが聞こえる。
ここはハーレムの廃墟ビル二階。自分のアジトだ。
アッシュは乱れた金髪をかき上げた。長めの前髪が汗で額に張りついている。深い緑色の瞳が、暗闇の中でゆっくりと焦点を結んだ。
「……夢か」
声が掠れている。喉が乾いていた。
夢にしては、やけにはっきりしていた。血の味。冷たくなる指先。誰かの腕の温かさ。全部、本物みたいだった。
アッシュは右手で顔を拭った。右手の甲には、古い切り傷の跡がある。幼い頃につけられた傷。今はもう、白く薄くなっている。
——二十三歳。
夢の中の自分は、二十三歳で死んだ。
なぜ、そんな夢を見たのか。
アッシュはベッドの上で膝を抱え、壁に貼ったニューヨーク市の地図をぼんやりと見た。赤いピンが数本刺さっている。縄張りの境界線。敵対グループの位置。情報屋の住所。全部、頭の中に入っている。
この街で十七年生きてきた。いや、十七年しか生きていない。
マンハッタン。ニューヨーク。
金と暴力がものを言う街。
地下鉄は二十四時間走っている。ネオンは朝まで消えない。排気ガスとホットドッグと小便の匂いが混ざった空気。路地には注射針が落ちていて、週末にはどこかで銃声が響く。
そんな街で、アッシュはストリートキッズのボスをやっていた。
年齢は十七。配下は三十人ほど。年齢は十二から十九まで。みんな、家がなかったり、家があっても帰れなかったりするガキどもだ。
アッシュは彼らをまとめている。スリ、情報収集、運び屋。危ない橋を渡りながら、日銭を稼いで食わせている。
誇りでも何でもない。ただ、そうするしかなかった。
ベッドの端に手をついて、体を起こす。黒のレザージャケットが椅子の背にかけてある。ダメージジーンズは床に脱ぎ捨てたまま。赤いシャツの裾が汗で湿っている。
着替えないと。
——その時だった。
枕元に、何かが落ちているのに気づいた。
写真だった。
手のひらより少し小さい。モノクロの古い写真。紙の端が黄ばんでいる。アッシュはそれを拾い上げた。
写っていたのは、東洋人の青年だった。
年は自分と同じくらいか、少し上か。大きな目。柔らかそうな黒い髪。真っ直ぐにカメラを見ている。笑っているわけではない。でも、優しい顔だった。
知らない顔だ。
会ったこともない。
アッシュは写真を裏返した。
そこには、手書きの文字があった。黒いインク。かすれて、何度もなぞったような跡がある。
——お前はまだ間に合う。バナナフィッシュを止めろ。
背筋が冷えた。
バナナフィッシュ。
聞いたことがない言葉じゃない。街のどこかで、うわさを聞いたことがある。精神衛生センターで作られている薬。人を操る薬。使った人間は、知性が壊れる。
でも、それはあくまで噂だ。ストリートのガキどもが、怖い話として語る類の。
「誰が……置いた」
アッシュは部屋を見回した。
窓は板で塞がれている。ドアには鍵がかかっていたはずだ。ベッドは三つ。通信機器。壁の地図。武器の隠し場所。
誰かが入ってきた形跡は、ない。
写真の紙を指先でこする。紙質は古い。一九五〇年代のものだと、アッシュの知識が告げる。インクの色も、写真の質感も、最近のものじゃない。
なのに、文字だけが新しい。
「……バナナフィッシュ」
つぶやいて、アッシュは写真を握りしめた。
手が、わずかに震えている。
夢と、写真。
二つが同時に来るなんて、偶然なのか。
——お前はまだ間に合う。
何に、間に合う。
答えは出ない。
アッシュは写真をジャケットの内ポケットに押し込んだ。それから、ゆっくりと息を吐いた。
頭の奥で、夢の光景がちらつく。血。冷たい指先。誰かの腕。
あれは、未来の自分だ。
そう思うと、胸の奥がじわりと冷たくなった。
「……関係ない」
アッシュは小さく言い聞かせるように言った。
夢は夢だ。写真は、誰かの悪趣味か何かだ。
そう思わなければ、立っていられない。
ベッドから降りて、床のジーンズを拾う。ベルトを通して、赤いシャツのボタンを閉める。黒いレザージャケットを羽織る。左耳の小さなピアスが、薄暗い部屋の中でかすかに光った。
ドアを開ける。
外は、まだ夜だった。
ハーレムの夜は、深い。
街灯は半分以上が壊れている。道路にはゴミが散らばり、風が吹くたびにビニール袋が舞う。遠くでサイレンが鳴り、近くで犬が吠える。
アッシュは廃墟ビルの階段を下りた。
一階には、ボーンズとコングがいた。
ボーンズは痩せ型で背が低い。年は十四。目つきが悪くて、いつも何かに怯えているみたいに見える。でも、足が速い。スリの腕はグループでも一番だ。
コングは黒短髪の大男。年は十六。頭はあまり良くない。でも、力はある。腕っぷしなら、大人にだって負けない。
二人は古いソファに座って、トランプをしていた。
「あ、アッシュ」
ボーンズが顔を上げた。
「もう起きたのか? まだ暗いぜ」
「眠れねえだけだ」
アッシュは短く答えて、壁に立てかけてあった地図の前まで歩いた。
ニューヨーク市の地図。五つの区が色分けされている。マンハッタン、ブルックリン、クイーンズ、ブロンクス、スタテンアイランド。
この街には、いろんな人間がいる。
リトルイタリーにはコルシカ系のマフィアがいる。チャイナタウンには華僑のグループがいる。ハーレムにはアフリカ系のストリートギャング。ダウンタウンには、俺たちみたいなストリートキッズ。
縄張りと、金と、血の匂い。
「今日の予定、どうするんだ」
コングがトランプを置いて聞いた。
「ダウンタウン。情報屋のところだ。先週の分、まだ払ってない」
「あいつ、また渋るんじゃねえ?」
「渋らせない」
アッシュは振り返らずに言った。
声は落ち着いていた。冷たいくらいに。
ボーンズとコングが顔を見合わせる。
アッシュのこの声は、スイッチが入った時の声だ。逆らわない方がいい。
アッシュは壁際の木箱から、バタフライナイフを取り出した。
刃渡り十センチ。ステンレス製。二十五ドル。
安物だ。でも、よく手に馴染む。
くるり、と指先で回して、ポケットに滑り込ませる。
「行くぞ」
三人は廃墟ビルを出た。
外の空気は、湿っていた。
六月のニューヨークは蒸し暑い。昼間は三十度を超える。夜になっても、熱がコンクリートに残っている。
アッシュはポケットに手を突っ込んで歩いた。
地下鉄の駅まで、徒歩十分。
道の両側には、廃品回収業者の倉庫が並んでいる。昼間はうるさいくらいに機械の音がするが、今は静かだ。鉄くずの匂いがする。
遠くで、サイレンがまた鳴った。
ボーンズが、小さくあくびをした。
「眠い……」
「お前、昨日も夜更かししてたろ」
「だって、ラジオで野球聞いてたらさ」
「またジャイアンツか」
「負けたんだよ、延長で」
二人が後ろで話している。
アッシュはそれを聞きながら、頭の半分で別のことを考えていた。
写真。
東洋人の青年。
——お前はまだ間に合う。
あの顔を、俺は知らない。
でも、なぜだろう。
写真を見た瞬間、胸の奥がざわついた。
会ったことがないはずの、誰か。
なのに、懐かしいような気がした。
——馬鹿馬鹿しい。
アッシュは心の中で打ち消した。
地下鉄の駅に着いた。
ハーレムの駅は、昼間でも薄暗い。蛍光灯は半分が切れていて、残りも点滅している。壁にはスプレーの落書き。床には新聞紙と、何かの液体の跡。
運賃は九十セント。
改札を抜けて、ホームに下りる。
電車はすぐに来た。
車両は空いていた。乗っているのは、夜勤帰りの男と、眠っている酔っ払いと、俺たち三人だけ。
アッシュはドアの近くに立って、窓の外を見た。
トンネルの壁が流れていく。
——ダウンタウン。
マンハッタン南部。リトルイタリーやチャイナタウンに近い。俺たちの縄張りでもある。
情報屋の男は、キャナル・ストリートの裏通りにいる。
電車が揺れる。
アッシュは吊り革を掴みながら、窓に映る自分の顔を見た。
金髪。緑の瞳。
街の人間は、俺のことを「天使みたいな顔」と言う。
でも、中身は天使でも何でもない。
物心ついた頃には、もうこの街にいた。
親の顔は覚えていない。覚えているのは、寒さと飢えと、大人の手の感触。
——思い出すな。
アッシュは目を閉じた。
電車が減速する。
キャナル・ストリートに着いた。
三人は電車を降りた。
地上に出ると、空気が変わった。
ハーレムより、ネオンが多い。中華系の看板。イタリア系のレストラン。観光客向けの土産物屋。
でも、一歩裏通りに入ると、別の顔になる。
ゴミが積まれた路地。ネズミが走る。壁には血のような赤いスプレー。
アッシュは迷いなく歩いた。
やがて、古いアパートの一室。
ドアをノックする。
「誰だ」
中から低い声。
「開けろ。アッシュだ」
沈黙。
やがて、鍵が外れる音がして、ドアが細く開いた。
情報屋の男は、四十代。痩せていて、目がぎょろりとしている。部屋の中は煙草の匂いでいっぱいだった。
「アッシュ……今日は、まだ金は……」
男が言い終わらないうちに、アッシュはドアを押し開けた。
男が後ずさる。
アッシュは部屋に入り、ソファに座った。足を組む。
「先週の分。いくらだ」
「い、五百……いや、三百ドル……」
「八百だ」
「そ、そんな、先週は情報が少なくて……」
「お前の情報で、俺のガキが一人捕まりかけた。八百で安いくらいだ」
アッシュの声は、静かだった。
静かで、冷たかった。
男の顔から血の気が引いていく。
ボーンズとコングは、ドアの両脇に立っている。逃げ道はない。
「……わ、わかった。払う。払うから」
男は震える手で、床の隠し場所から札束を取り出した。
アッシュはそれを受け取ると、数えもせずにポケットに入れた。
「次、ヘマしたら、指を一本もらう」
男が、ひっと息を呑んだ。
アッシュは立ち上がった。
「行くぞ」
三人は部屋を出た。
廊下を歩きながら、ボーンズが小声で言った。
「アッシュ、あの男、八百って」
「ああ。五百で良かった」
「じゃあ、なんで」
「ああいう奴は、足元を見るとつけ上がる。少し多めに取っておくのがちょうどいい」
ボーンズが、へえ、と息を漏らした。
アパートを出て、通りに出る。
空が、うっすら明るくなり始めていた。
アッシュは歩きながら、ポケットの中の札束を指先で触った。
八百ドル。
これで、何人分の飯が食える。何人分の靴が買える。何人分の、寝る場所が確保できる。
——でも。
アッシュは、ふと立ち止まった。
路地の向こうに、朝焼けが見えた。
オレンジ色の光が、ビルの隙間から差し込んでいる。ゴミの山を照らしている。ネズミの死骸を照らしている。
この街では、朝日さえも汚れて見える。
「……俺は、何をやってるんだろうな」
声には出さなかった。
心の中でだけ、つぶやいた。
ストリートキッズのボス。
十七歳。
金を巻き上げて、ガキどもに分け与えて。
それで、何になる。
この街から出られるわけじゃない。
俺も、あのガキどもも。
——死ぬまで、このままか。
夢の光景が、また浮かんだ。
二十三歳の自分。血まみれで倒れて。誰かの腕に抱かれて。
あの腕は、誰だったんだろう。
アッシュは首を振った。
考えても、仕方ない。
アジトに戻る。
その途中、ボーンズが言った。
「アッシュ、今日はこのまま寝る?」
「ああ。お前らも寝ろ。夕方から動く」
「飯、どうする? 帰りに何か買う?」
「好きにしろ」
コングが嬉しそうに、近くのベーグル屋に走っていった。
アッシュは、その背中をぼんやりと見ていた。
コングは、馬鹿だ。
でも、悪い奴じゃない。
ボーンズも、スリは上手いが、根は臆病で優しい。
みんな、俺がいなければ生きていけない。
——いや、違う。
俺が、みんなを離さないんだ。
アッシュは、自嘲するように口元を歪めた。
アジトに戻ったのは、朝の六時を過ぎた頃だった。
ベーグルを三人で分けて食べる。
コングが、ベーグルのクリームチーズを鼻の頭につけていた。ボーンズが指摘して、二人で言い合いになる。
アッシュはそれを聞きながら、壁の地図を見ていた。
チャイナタウン。
ショーターの縄張り。
——ショーター・ウォン。
少年刑務所で知り合った。
あの頃、俺は十二歳。ショーターは十三だった。
サングラスにスキンヘッド。
気さくで、仲間想いで、料理が恐ろしく下手な男。
実家は中華料理店。姉のマーディアが切り盛りしている。
俺がダウンタウンのストリートキッズをまとめるようになってからも、ショーターとは定期的に会っていた。
敵でもなく、味方でもなく。
——親友。
そう呼べる相手は、あいつくらいだ。
アッシュは、目を閉じた。
眠気が来ていた。
「……先に寝る」
「おう、おやすみ」
アッシュはベッドに倒れ込んだ。
眠りは、すぐに来た。
——深い、深い眠り。
そして、また夢を見た。
今度は、はっきりしていた。
自分が、誰かに撃たれている。
胸が熱い。血が溢れる。
倒れる。
誰かが駆け寄ってくる。
顔は見えない。逆光で、シルエットだけ。
でも、声は聞こえた。
——アッシュ。
——アッシュ、しっかりして。
——お願い、目を開けて。
日本語だった。
アッシュは、その声を聞いた瞬間、胸が潰れそうになった。
知らない声。
なのに、泣きたくなるほど、優しい声。
——俺は、この声を知っている。
そう思った。
——いや、知らない。
でも、知っている。
矛盾が、頭の中で渦を巻く。
そして、夢の中の自分が、最後の息を吐いた。
——瞬間。
アッシュは飛び起きた。
心臓が、喉から出そうだった。
汗で、シャツがびしょ濡れだ。
呼吸が、うまくできない。
「……また、か」
アッシュは、震える手で顔を覆った。
——二十三歳。
——血まみれで、倒れて。
——誰かの腕に抱かれて。
——日本語で、名前を呼ばれて。
あの声。
アッシュは、ゆっくりと手を下ろした。
そして、枕元を見た。
——写真。
東洋人の青年。
アッシュは、写真を手に取った。
写真の中の青年は、真っ直ぐにこちらを見ている。
大きな目。柔らかそうな黒い髪。
——この男が、あの声の主なのか。
根拠はない。
でも、アッシュは、そう感じた。
写真を裏返す。
——お前はまだ間に合う。バナナフィッシュを止めろ。
「……間に合う、って」
何に。
誰に。
アッシュは、写真を握りしめた。
その時だった。
ドアが、乱暴に開いた。
「アッシュ!」
スキップだった。
小柄な黒人の少年。年は十三。グループの中でも一番若い。
スキップは、息を切らしていた。
顔色が、真っ青だ。
「アッシュ、大変だ!」
「どうした」
アッシュは、写真を内ポケットに押し込んだ。
スキップが、震える声で言った。
「ショーターが……ショーターが、連れて行かれたんだ!」
アッシュの表情が、変わった。
冷徹な笑みが、消えた。
「……何だって」
声が、低くなった。
スキップは、涙目で続けた。
「昨夜、チャイナタウンで……黒いスーツの男たちに、車に押し込まれたって。店の人が見てたんだ。それから、ずっと連絡が取れないって……」
黒いスーツ。
アッシュの脳裏に、ある組織の名前が浮かんだ。
——ゴルツィネ・ファミリー。
コルシカ系マフィア。
リトルイタリーに本拠を置く、この街で一番危険な組織。
アッシュは、ゆっくりと立ち上がった。
「ボーンズ、コング、起きろ」
二人は、すでに起きていた。
スキップの声で、目が覚めたのだ。
「アッシュ、まさか、ショーターが……」
「まだ、拉致と決まったわけじゃない。でも、黒いスーツの男たち、だ」
アッシュは、壁の地図に目を向けた。
チャイナタウン。
リトルイタリー。
二つの地区は、隣り合っている。
「俺は、チャイナタウンに行く。お前らは、情報を集めろ。黒いスーツの男たちの目撃情報。昨日、チャイナタウンの周りで何があったか。全部だ」
「わかった」
「任せろ」
二人が、すぐに動き出す。
スキップが、不安そうにアッシュを見上げた。
「アッシュ、ショーターは、大丈夫かな」
アッシュは、スキップの頭に手を置いた。
「大丈夫だ。俺が、必ず見つける」
声は、落ち着いていた。
でも、心の中は、嵐だった。
——ショーター。
——お前は、俺の、たった一人の親友だ。
——絶対に、失わない。
アッシュは、ジャケットの内ポケットに手を当てた。
写真の感触。
——お前はまだ間に合う。
この写真は、警告だ。
ショーターの失踪と、この写真。
二つが、偶然のはずがない。
アッシュは、バタフライナイフをポケットから取り出した。
くるり、と回す。
刃が、朝の光を反射した。
——バナナフィッシュ。
——ショーター。
——二十三歳の、俺の死。
全部、繋がっている。
まだ、何も見えていない。
でも、分かることが一つだけある。
俺は、動かなければならない。
アッシュは、ナイフを仕舞い、ドアに向かった。
「行ってくる」
振り返らずに言った。
ドアを開ける。
外は、もう朝だった。
ハーレムの空は、灰色だった。
雲が低く垂れ込めている。
雨が降るかもしれない。
アッシュは、廃墟ビルの階段を下りた。
路地に出る。
廃品回収業者の倉庫の前を通り過ぎる。
——その時。
視線を感じた。
誰かが、俺を見ている。
アッシュは、立ち止まった。
振り返る。
誰もいない。
路地の奥に、黒い影が揺れた気がした。
——気のせいか。
アッシュは、数秒だけ、その闇を見つめた。
写真の青年の顔が、脳裏をよぎる。
あの、大きな目。
柔らかい、黒い髪。
「……気のせいだ」
アッシュは、そうつぶやいて、歩き出した。
地下鉄の駅へ。
チャイナタウンへ。
その後ろ姿を、路地の闇から、静かに見つめる影があった。
影は、何も言わなかった。
ただ、アッシュの背中が、地下鉄の階段に消えるまで、じっと見つめていた。
——まるで、再会を待つように。
——まるで、別れを惜しむように。Noveliaとは?
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