聖杯大戦、はじまりの日常
聖杯大戦の裏側で、今日も平和に料理が始まる――。
記憶を失い、番号だけを与えられたホムンクルスのジーク。地下の暗闇で目覚めた彼の前に現れたのは、黒のライダー・アストルフォだった。「今日からお前は俺の親友だ!」——根拠ゼロ、勢いだけのその宣言が、使い捨ての存在として造られた少年の運命を、静かに、そして騒がしく変えていく。
戦の前の奇妙な通達に従い、サーヴァントたちが厨房に集結。錬金術で超巨大鍋を生み出すアヴィケブロン、山で猪を仕留めてきたケイローン、無言で猪を解体するフランケンシュタイン。そして初めて包丁を握り、盛大に指を切るジーク。
「血が出るってことは、生きてるってことだよ!」
ドタバタに満ちた料理騒動の合間に、少年は初めて「名前」で呼ばれ、初めて「おいしい」を知り、初めて自分の名前を口にする。
これは、壮絶な聖杯大戦の幕が上がる直前——ほんの少しだけ、優しくて、少しだけ騒がしい、日常の始まりの物語。
聖杯大戦、はじまりの日常 - 吸血鬼と悲鳴と、届かなかった声
朝の光が、トゥリファス城の石壁を白く染めていた。
ジークは厨房で、昨夜使った大鍋を拭いていた。アヴィケブロンが錬金術で作った巨大な鍋は、猪のシチューを煮込んだ後も、まだほのかに温かい。布巾で表面をなぞると、くすんだ銀色の肌が鈍く光った。
「ジーク!お皿、あっちに積んどいたよ!」
ピンク色のふわふわした髪が、視界の端でぴょこぴょこ跳ねる。アストルフォが両手に木の皿を抱えて、にこにこしながらこちらを見ていた。
「ありがとうございます」
「えへへ、どういたしまして!片付けってなんか楽しいよね!みんなでやると特に!」
ジークは皿を受け取ると、棚に戻した。
(楽しい、か)
確かに、そうかもしれない。昨日まで知らなかった感覚。誰かと一緒に何かをして、それが終わった後に片付けをする。ただそれだけのことが、胸の奥をほんのり温かくする。
厨房の隅では、黒のバーサーカーが無言で床を掃いていた。長い黒髪を揺らしながら、黙々と箒を動かしている。彼女の足元には、玉ねぎの皮が小さな山を作っていた。
「バーサーカーも、手伝ってくれてるんですね」
「あ、ほんとだ!いつの間に!?すごい、気づかなかった!」
アストルフォがぱたぱたと駆け寄っていく。バーサーカーは顔も上げずに、箒を動かし続けた。
「……ジーク、無理はしていないかしら」
振り返ると、金色の長い髪を三つ編みにしたジャンヌが、心配そうな青い瞳でこちらを見ていた。白い装束の裾が、朝の風にふわりと揺れる。
「大丈夫です。このくらい、平気です」
「そう。でも、昨日は包丁で指を切ったでしょう。今日は気をつけてね」
「……はい」
ジークは自分の左手を見た。包帯はもう外れている。傷口は、かさぶたになっていた。あの時、血が出た。痛かった。でも、アストルフォが包帯を巻いてくれた。
(血が出るなら、生きてる証拠)
あの言葉を思い出す。
「ねえねえ、片付け終わったら何する?中庭で走らない?それともまた料理?」
「アストルフォ、走るのは危ないよ」
カウレスが厨房の入り口から顔を出した。茶色の短髪をきっちり整えた青年。右手の甲に令呪の紋様が浮かんでいる。彼の後ろには、車椅子に座ったフィオレの姿もあった。
「カウレス、玉ねぎの皮がまだ床に落ちているわ。あとで掃いておいて」
「姉さん、さっき掃いたばかりなんだけど……」
「あら、そうだったかしら。でも、もう一度掃いても損はないわ」
カウレスが小さくため息をつく。ジークはそのやりとりを見て、少しだけ口元を緩めた。
(これが、家族というものなのか)
わからない。でも、見ていて嫌な気持ちにはならない。
その時だった。
ドォン、と。
城の奥深くから、何かが響いた。
床が、わずかに震えた。棚の上の皿が、かたかたと音を立てる。
「……え?」
アストルフォが動きを止めた。
ジークも、手を止めた。
(今の音は……)
心臓が、どくんと跳ねる。
ドォン。
もう一度。今度はさっきより大きく。
そして——
「グゥオオオオオオオオオオオオッッッ!!!」
地下から、獣の咆哮が響き渡った。
耳をつんざくような、低く、異様な叫び。人の声ではない。獣でもない。もっと、おぞましい何かの声。
「な、なに今の!?」
「わ、わかんない!でも、なんかすごく嫌な感じがする!」
アストルフォが、自分の肩を抱いた。
「……地下から、ですわ」
ジャンヌが、青い瞳を細めた。
「この魔力の乱れ……まさか」
彼女の顔から、血の気が引いていく。
「ジャンヌ、何か知ってるの?」
「……ダーニック・プレストーン・ユグドミレニア。彼が、禁断の儀式を進めていたことは知っていたわ。でも、まさか、本当に……」
「禁断の儀式?」
「魂の融合よ。複数の魂を一つに統合して、強大な力を得る禁術。成功すればいいけど、失敗したら……」
「失敗したら?」
ジャンヌは、ぎゅっと聖旗を握りしめた。
「……人間ではなくなる。魂が壊れて、理性を失うの」
厨房の中が、静まり返った。
ドォン。ドォン。ドォン。
地下からの衝撃が、どんどん近づいてくる。
——その時。
「ぎゃああああああああ!!!」
悲鳴が聞こえた。
城の廊下から。それも、一つや二つではない。何人もの声が、重なって、途切れて、また響く。
「な、なに!?悲鳴!?」
「や、やだ……何が起きてるの……」
フィオレが車椅子の上で震えている。カウレスが、姉の前に立った。
「姉さん、僕の後ろに」
「カウレス……」
ジークは、廊下の方を見た。
血の匂いがした。
鉄のような、生温かい、粘り気のある匂い。それが、開いた扉から流れ込んでくる。
「……血」
ジークの喉が、ひくりと鳴った。
(この匂い、知ってる)
昨日、玉ねぎを切って、自分の指を切った時の血とは違う。もっと濃い。もっと、たくさんの。
「助けて……!」
「逃げろ!逃げ——ぎゃあっ!」
「ひっ、ひいっ……ああああああっ!」
廊下から、悲鳴が、絶叫が、断末魔が、次々と聞こえてくる。
ジークの脳裏に、あの夢が蘇った。
暗い水槽。緑色の液体。管に繋がれた、自分と同じ顔。
何十人ものホムンクルスが、浮かんでいる。
そして、一人、また一人と、消えていく。
水槽から引き上げられ、運ばれ、二度と戻ってこない。
(待って)
(行かないで)
(置いていかないで)
声にならない声。動かない体。
同胞が、次々と消えていく。
あの時、僕は何もできなかった。
ただ、見ていることしか。
——でも、今は。
今の僕には、体がある。足がある。声がある。
「……行かなきゃ」
ジークは、厨房の入り口に向かって走り出した。
「え!?ジーク!?ちょっと待って!危ないよ!」
アストルフォが、ジークの腕を掴んだ。
「離してください」
「ダメだよ!君、昨日まで包丁も持てなかったんだよ!?そんな君が行ってどうするの!」
「……でも」
「でもじゃない!絶対ダメ!僕が行くから、君はここに——」
「アストルフォ」
ジークは、アストルフォの手を、そっと、でも確かに、外した。
「僕は、聞こえるんです」
「……え?」
「助けを求める声が。あの悲鳴の中に、僕と同じ、ホムンクルスの声が混じってる」
ジークは、まっすぐにアストルフォの目を見た。
「僕は、見殺しにできない。あの夢を、もう繰り返したくない」
「ジーク……」
「行きます。止めないでください」
ジークは、走り出した。
「もう!なんでそうなの!?ジークのばかーっ!」
アストルフォの叫びが、後ろから追いかけてくる。
——すぐに、足音が二つになった。
「待ちなさいよ!親友が行くなら、僕も行くに決まってるでしょ!」
「アストルフォ……」
「文句は後!ほら、走るよ!」
二人は、並んで廊下を駆けた。
「みんな!地下から離れて!城の外へ避難して!」
黒のキャスター、アヴィケブロンの叫びが、城内に響き渡る。彼は仮面の奥から、必死に声を張り上げていた。
「キャスター!どっちに逃げれば!?」
「西の回廊がまだ安全だ!急げ!」
その時。
ドゴォォォォン!!!
黒のバーサーカーが、厨房の壁を素手でぶち破った。
石の壁が粉々に砕け、外の光が差し込む。
「……!」
バーサーカーは、無言で、壁の穴を指差した。
「すごい!壁に穴!これで逃げられる!」
「ありがとう、バーサーカー!」
カウレスが、フィオレの車椅子を押して、壁の穴へ向かう。
「カウレス、私、怖い……」
「大丈夫、姉さん。僕が守るから」
カウレスの声は震えていた。でも、車椅子を押す手は、しっかりしていた。
ジークは、彼らが逃げるのを確認してから、再び走り出した。
「ジーク、どっち!?」
「悲鳴がする方です」
「つまり、一番危ない方じゃん!」
「はい」
「もー!なんでそんなに落ち着いてるの!?」
「落ち着いてません。足が震えてます」
「え、ほんとだ!めっちゃ震えてる!」
「でも、行きます」
「……よし!そうこなくっちゃ!親友の度胸、見せてもらうよ!」
二人は、地下へと続く階段を駆け下りた。
血の匂いが、濃くなる。
石段が、ぬるぬると滑る。赤黒い液体が、段を伝って流れていた。
「うわっ……なにこれ……血……?」
「……ひどい」
ジークは、息を呑んだ。
廊下の壁に、床に、天井に、赤い飛沫が散っている。
そして、倒れている。
ホムンクルス兵士たちが。
白い制服を真っ赤に染めて、折り重なるように倒れている。
「あ……ああ……」
ジークの膝が、笑った。
(僕と同じ、ホムンクルス)
(僕と同じ、造られた命)
(彼らは、何を守ろうとした?)
(何のために、戦った?)
「ジーク、しっかりして!」
アストルフォが、ジークの背中を叩いた。
「……はい」
ジークは、倒れている兵士の一人に近づいた。
まだ息がある。胸が、かすかに上下している。
「大丈夫ですか」
「……に、逃げ……ろ……」
その兵士は、ジークの顔を見て、かすかに微笑んだ。
「お前も……ホムンクルス……か」
「はい」
「……早く……逃げろ……あれは……もう、ダメだ……」
「あなたは」
「俺は……もう……いい。お前は……生きろ」
その兵士の手が、だらりと落ちた。
「……っ」
ジークは、その手を握った。
まだ温かい。
でも、指先から、冷たくなっていく。
「ジーク……」
「……行きましょう」
ジークは立ち上がった。
目が、熱い。
でも、泣いている場合じゃない。
(僕が守る。みんなで、生きるんだ)
ジークは、血の海を踏みしめて、廊下の奥へ進んだ。
——そして、見た。
地下魔術工房の扉が、内側から吹き飛ばされている。
分厚い鉄の扉が、まるで紙のようにひしゃげて、壁にめり込んでいた。
その向こうに、立っていた。
「グ……グゥ……ゥゥ……」
男が。
いや、かつて男だったもの。
ダーニック・プレストーン・ユグドミレニア。
黒の陣営の総帥。ユグドミレニア家の当主。
その姿は、もはや人間ではなかった。
肌は青白く、血管が黒く浮き上がっている。目は真っ赤に充血し、口元からは鋭い牙が覗いていた。指先の爪は、獣のように伸びて、血に濡れている。
「ダーニック……!」
「ひぃっ!あれ、ダーニックなの!?ぜんぜん違うじゃん!」
ダーニックは、ゆっくりと首を回した。
ぎぎぎ、と、関節が軋む音。
「……血……もっと……血を……」
その声は、かすれていて、低く、複数の声が重なっているようだった。
「魂の融合に失敗したんだ。あれはもう、ダーニックじゃない」
いつの間にか、ジャンヌが隣に立っていた。
「ジャンヌ!?」
「ルーラーとして、あれを止めなければ。あなたたちは下がって」
「でも——」
「下がりなさい!」
ジャンヌの声が、鋭く響いた。
その時。
「——待て、ルーラー」
黒い影が、ジークたちの前に降り立った。
黒のランサー。
長身の男。鋭い眼光。手には、血のように赤い槍を携えている。
「ランサー……」
「あれは我が主だ。我が主の始末は、この俺がつける」
ランサーは、槍を構えて、ダーニックの前に立った。
「ダーニック卿。正気に戻れ。これは、あなたらしくない」
「……ラン……サー……」
ダーニックが、ランサーを見た。
「血を……寄越せ……」
「——そうか。もう、言葉も通じぬか」
ランサーは、槍を突き出した。
ズドンッ!
槍の穂先が、ダーニックの胸を貫く。
「やった!?」
——だが。
ダーニックは、笑った。
「グ……グフフ……フフフ……」
胸に槍が突き刺さったまま、ダーニックは一歩、前に踏み出した。
「なに……!?」
「血……お前の血……美味そうだ……」
ダーニックの手が、ランサーの腕を掴んだ。
「ぐっ!?」
「ランサー!」
ダーニックは、ランサーを壁に叩きつけた。
ドゴォッ!
石壁が砕け、ランサーの体がめり込む。
「この……!」
ランサーは槍を抜き、体勢を立て直した。
「ランサー、大丈夫!?」
「問題ない。だが、普通の攻撃は効かぬようだ」
「吸血鬼化してる。心臓を潰すか、首を落とすかしないと」
「心得た」
ランサーが、再び槍を構える。
——しかし、その時。
ダーニックの姿が、消えた。
「!?」
次の瞬間、ダーニックは、ジークの目の前に立っていた。
「……血」
「——ッ!」
ジークは、動けなかった。
あまりにも速い。あまりにも近い。
ダーニックの爪が、ジークの顔を掴もうと伸びてくる。
「ジーク!」
アストルフォが、ジークを突き飛ばした。
「ぐあっ!」
代わりに、アストルフォがダーニックの爪に捕まった。
「アストルフォ!」
「来るな!ジークは下がって——」
ダーニックが、アストルフォを投げ飛ばした。
ドゴォッ!
アストルフォの体が、廊下の壁に激突する。
「がはっ……!」
「アストルフォ!!」
ジークは、アストルフォに駆け寄ろうとした。
——だが。
「……血」
ダーニックが、ジークの前に立ちはだかった。
「お前……ホムンクルス……血は……薄いが……喰える」
ダーニックの口が、大きく開いた。
鋭い牙が、ジークの首筋に迫る。
(死ぬ)
ジークは、そう思った。
(僕は、ここで死ぬ)
(何も守れないまま)
(また、何もできないまま)
——その時。
「——やめろ」
低く、重い声が響いた。
銀色の光が、ダーニックを斬り裂いた。
「グギャアアアアアッ!!」
ダーニックが、後方に吹き飛ぶ。
ジークの前に、一人の男が立っていた。
銀色の髪。深い緑の瞳。背中に背負った大剣を、片手で握っている。
黒のセイバー。
ジークフリート。
「……下がっていろ。お前は、死ぬべきではない」
「セイバー……」
ジークフリートは、ジークを背中に庇って、ダーニックと対峙した。
「グ……グゥ……ジャマ……ジャマダ……!」
ダーニックが、四つん這いになって、ジークフリートに飛びかかる。
「遅い」
ジークフリートの大剣が、空を裂く。
ガキィンッ!
ダーニックの爪と、大剣が激突した。
火花が散る。
「グギャアアア!」
「この程度か。吸血鬼化しても、大したことはないな」
ジークフリートは、冷静に剣を振るう。
だが、ダーニックも、ただではやられない。
「血……血……血血血血血!!」
ダーニックの体が、膨張した。
筋肉が盛り上がり、血管が浮き上がり、体全体が一回り大きくなる。
「!?」
「グォオオオオオオッ!!」
巨大化したダーニックの爪が、ジークフリートを襲った。
「くっ……!」
ジークフリートは剣で受け止めるが、その衝撃で後方に押される。
「セイバー!」
「……強い。だが、まだ倒せる」
ジークフリートは、剣を構え直した。
「ジーク、下がれ。巻き込まれるぞ」
「でも——」
「お前は、生きろ。それが、お前の役目だ」
ジークフリートは、そう言って、ダーニックに斬りかかった。
——戦いは、激しさを増した。
剣と爪が交錯する。石壁が砕け、天井が崩れ、廊下が戦場と化す。
ジークは、ただ見ていることしかできなかった。
(まただ)
(また、僕は、何もできない)
(守られて、逃げることしか)
「ジーク!」
アストルフォが、壁に背を預けながら、ジークを呼んだ。
「アストルフォ!大丈夫ですか!?」
「いたたた……背中、めっちゃ痛い……でも、まだ動けるよ」
ジークは、アストルフォの元へ駆け寄った。
「立てますか」
「うん……って、ジーク、血!顔に血が!」
「これは、倒れていた兵士の血です」
「そ、そうなんだ……って、それ、大丈夫なの!?」
「大丈夫です。僕は、傷ついてません」
「よかった……ほんとに、よかった……」
アストルフォが、泣き笑いの顔をした。
——その時。
「グォオオオオオオッ!!」
ダーニックの咆哮が、至近距離で響いた。
「しまっ——」
ダーニックの一撃が、ジークフリートの脇腹をえぐった。
「ぐあっ!?」
ジークフリートの体が、宙を舞い、地面に叩きつけられる。
血が、飛び散った。
「セイバー!!」
ジークは、ジークフリートに駆け寄った。
「セイバー!しっかりしてください!」
ジークフリートの脇腹から、大量の血が流れている。銀色の髪が、赤く染まっていく。
「……すまない……ジーク」
「なんで謝るんですか!?まだ、まだ死なないでください!」
「……お前は……生きろ……俺の……分まで……」
「やめてください!そんなこと言わないでください!」
ジークの目から、涙が溢れた。
「やめて……やめて……!」
「グ……グフフ……血……血……!」
ダーニックが、ゆっくりと近づいてくる。
その口元には、ジークフリートの血がついていた。
「……お前が……お前がセイバーを……!」
ジークは、立ち上がった。
「ジーク!ダメだ!君じゃ勝てない!」
「それでも!」
ジークは、叫んだ。
「それでも、僕は!目の前で誰かが死ぬのを、黙って見ているだけなんて、もう嫌だ!」
ジークは、ダーニックに殴りかかった。
「グ……?」
ジークの拳が、ダーニックの顔に当たる。
——だが。
「……かゆい」
ダーニックは、ぴくりともしなかった。
「え……」
「ホムンクルスごときが……調子に……乗るな」
ダーニックの足が、ジークの腹を蹴り上げた。
「がっ……!?」
——ゴキッ。
骨が折れる音が、ジークの体の中から聞こえた。
「ぐあああああっ!!」
ジークの体が、廊下の壁に叩きつけられる。
肋骨が、折れた。
息が、できない。
「ジーク!!」
「ジーク!ジーク!しっかりして!」
アストルフォが、ジークに駆け寄る。
「……あ、あす……とる……ふぉ……」
「喋らないで!今、助けるから!」
「グフフ……血……血……もっと……血を……」
ダーニックが、再び近づいてくる。
「来るな!この化け物!」
アストルフォが、剣を抜いて、ダーニックに斬りかかった。
「アストルフォ!やめて!」
「やめない!僕だって、親友を守るんだ!」
アストルフォの剣が、ダーニックの腕を斬る。
——だが。
「……かゆい」
ダーニックの爪が、アストルフォを薙ぎ払った。
「きゃあっ!」
アストルフォの体が、吹き飛ばされ、壁に激突した。
ドゴォッ!
「がっ……!」
アストルフォは、壁に叩きつけられ、そのまま動かなくなった。
「アストルフォ……!」
ジークは、這いずって、アストルフォに近づこうとした。
——だが。
天井が、崩れた。
ドゴゴゴゴゴ……!
ダーニックの咆哮で、地下の天井に亀裂が入っていたのだ。
「うわああああっ!」
瓦礫が、ジークの上に降り注いだ。
「ジーク!」
ジャンヌの声が、遠くで聞こえる。
——ジークの視界が、暗くなった。
瓦礫の下敷きになった。
体が、動かない。
左腕が、瓦礫に挟まれて、折れている。
(痛い)
(苦しい)
(でも、まだ、意識はある)
(まだ、死んでない)
ジークは、瓦礫の隙間から、かすかに光を見た。
城が、燃えている。
炎の光が、地下まで届いている。
「ジーク!ジーク!どこ!?」
ジャンヌの声。
「返事をして!ジーク!」
(ジャンヌ……)
声を出したい。でも、出ない。
(僕は、ここだ)
(ここにいる)
(まだ、生きてる)
ジークは、瓦礫の下で、必死に左手を動かそうとした。
——その時。
左手の甲に、熱い感覚が走った。
「……っ!?」
痛い。
熱い。
何かが、左手に浮かび上がる。
赤い光。
紋様。
——竜告令呪。
ジークの左手に、新たな令呪が発現した。
それは、まだ、彼が諦めていないことの証明。
彼が、生きようとしていることの証明。
(これは……)
ジークは、瓦礫の下で、その紋様をじっと見つめた。
(僕は、まだ)
(終わってない)
(終わらせない)
ジークの意識は、ゆっくりと、しかし確かに、闇の奥へと沈んでいった。
——城は、燃え続けていた。
赤い炎が、トゥリファス城を包み込み、夜空を焦がしていく。
悲鳴と咆哮が、ルーマニアの山々に響き渡っていた。Noveliaとは?
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