聖杯大戦、はじまりの日常
聖杯大戦の裏側で、今日も平和に料理が始まる――。
記憶を失い、番号だけを与えられたホムンクルスのジーク。地下の暗闇で目覚めた彼の前に現れたのは、黒のライダー・アストルフォだった。「今日からお前は俺の親友だ!」——根拠ゼロ、勢いだけのその宣言が、使い捨ての存在として造られた少年の運命を、静かに、そして騒がしく変えていく。
戦の前の奇妙な通達に従い、サーヴァントたちが厨房に集結。錬金術で超巨大鍋を生み出すアヴィケブロン、山で猪を仕留めてきたケイローン、無言で猪を解体するフランケンシュタイン。そして初めて包丁を握り、盛大に指を切るジーク。
「血が出るってことは、生きてるってことだよ!」
ドタバタに満ちた料理騒動の合間に、少年は初めて「名前」で呼ばれ、初めて「おいしい」を知り、初めて自分の名前を口にする。
これは、壮絶な聖杯大戦の幕が上がる直前——ほんの少しだけ、優しくて、少しだけ騒がしい、日常の始まりの物語。
聖杯大戦、はじまりの日常 - 竜告令呪と、折れた肋骨と、それでも守りたいもの
「やめてくれ!」
ジークの叫びは、燃え盛る廊下の音にかき消された。
天井から火の粉が降る。壁が崩れ、梁が悲鳴を上げる。トゥリファス城は、赤い炎に食い尽くされようとしていた。
ジークは瓦礫の下で、指一本動かせなかった。左腕は折れ、腹は裂けるように痛む。折れた肋骨が、呼吸のたびに内側を刺した。
「グフフ……」
目の前に、影が立った。
吸血鬼と化したダーニック・プレストーン・ユグドミレニア。かつて黒の陣営の総帥だった男は、今や血に飢えた獣だ。口元からは涎が滴り、爪は黒く伸びている。
「血……若い血……いい匂いだ」
ジークは歯を食いしばった。
(動け。動け、僕の体)
動かない。
瓦礫が重い。体が冷たい。指先の感覚が、もうない。
「ジーク!」
遠くから、ジャンヌの声が聞こえた。
炎の向こうで、金色の髪が揺れる。白い装束が煤で汚れ、聖旗を支えに必死に走ってくる。
「ダーニック!その者から離れなさい!」
ジャンヌが叫んだ。
ダーニックは、ゆっくりと首を回した。
「……ルーラー」
「聖杯大戦のルールに則り、あなたの暴走を止めます。これ以上の犠牲は——」
「うるさい」
ダーニックの爪が、空を裂いた。
ジャンヌは聖旗を掲げて防いだが、その衝撃で後方に弾き飛ばされた。
「ジャンヌさん!」
「黙れ、人形」
ダーニックの赤い瞳が、ジークを見下ろした。
「お前のような使い捨てのホムンクルスが、なぜここにいる。なぜ、まだ生きている」
ジークは答えなかった。
いや、答えられなかった。
「お前は道具だ。聖杯大戦の燃料に過ぎない。役目を終えた道具は、壊れるしかないんだよ」
ダーニックが、爪を振り上げた。
——その時。
「ジーク!」
アストルフォが、壁に叩きつけられたままの体を引きずって、叫んだ。
「逃げて!ジーク!逃げてよ!」
「……逃げられないよ、アストルフォ」
ジークは、かすれた声で言った。
「僕は……逃げないって、決めたから」
ダーニックが、嗤った。
「そうか。なら、ここで死ね」
爪が、振り下ろされる。
——ガキィン!!
火花が散った。
「……なに?」
ジークの目の前に、銀色の剣が割り込んでいた。
「ぐ……う……」
黒のセイバー、ジークフリート。
銀色の髪を炎の熱風に揺らしながら、その英雄は、深手を負った体でダーニックの爪を受け止めていた。
「セイバー……さん……」
「ジーク。君は、まだ死ぬな」
ジークフリートは、血を流しながら微笑んだ。
「君には、生きる理由がある。違うか」
「……でも、僕は」
「いいから。君は、自分の信じる道を——」
——ザシュッ。
ダーニックのもう一方の爪が、ジークフリートの胸を貫いた。
「セイバーさん!!」
「が……は……」
ジークフリートの体が、崩れ落ちる。
「邪魔だ、英雄。お前も、所詮は使い魔だろう」
ダーニックは、爪を引き抜いた。
血が、炎の中に飛び散る。
「やめて……やめてくれ!」
ジークは叫んだ。
「もう、誰も傷つけないでくれ!」
「泣き叫べ。それが、お前の最後の仕事だ」
ダーニックの足が、ジークの腹を蹴り上げた。
——ゴキッ。
折れた肋骨が、さらに折れる音。
「ぐああああっ!!」
ジークの体が、瓦礫ごと吹き飛んだ。
「脆い。本当に脆い。こんなものが、よく今まで生きていられたな」
ダーニックが、ゆっくりと近づいてくる。
ジークは、口から血を流しながら、それでも目を開けていた。
(痛い)
(苦しい)
(でも——)
ジークは、瓦礫の隙間から、倒れたジークフリートを見た。
壁に叩きつけられて動かないアストルフォを見た。
聖旗を支えに立ち上がろうとするジャンヌを見た。
——その時。
「カウレス!カウレス!」
廊下の奥から、フィオレの悲鳴が聞こえた。
車椅子が倒れ、フィオレが床に投げ出されている。
「姉さん!」
カウレスが駆け寄り、フィオレの体を抱き起こした。
「大丈夫ですか、姉さん!怪我は!」
「わ、私より……あの、あれを……!」
フィオレの指差す先には、炎が迫っていた。
「姉さん、掴まってください。俺が運びます」
「でも、あなたも逃げないと——」
「姉さんを置いて逃げるくらいなら、俺はここで焼け死にますよ」
カウレスは、フィオレを背負った。
「掴まっててください。絶対に、離さないで」
「……カウレス」
フィオレの目に、涙が浮かんだ。
「ありがとう。……ありがとう、カウレス」
カウレスは答えず、炎の中を走り出した。
ジークは、その光景を、瓦礫の下から見ていた。
(カウレスさん……)
(フィオレさんを、守ってる)
(僕も——)
ジークの心に、熱いものが込み上げた。
(僕も、守りたい)
(守りたいんだ)
「何を見ている。もうすぐ、お前も死ぬぞ」
ダーニックが、ジークの目の前に立った。
「最後に何か言い残すことはあるか。聞いてやる」
ジークは、血の混じった息を吐いた。
「……あります」
「言え」
「僕は……あなたには負けません」
ダーニックが、嗤った。
「笑わせる。この状況で、よくそんなことが言えるな」
「僕は、諦めません。僕が守りたいものを、あなたに奪わせはしません」
ジークの声は、震えていなかった。
「なら、死んでから後悔しろ」
ダーニックの爪が、ジークの喉元に迫る。
——その瞬間。
ジークの左手が、光った。
「……なに?」
赤い光。
灼熱の紋様。
瓦礫に挟まれた左手の甲に、竜告令呪が浮かび上がっていた。
「これは……」
ジーク自身も、何が起きたのかわからなかった。
ただ、左手が熱い。
燃えるように、熱い。
「令呪……?いや、これは……」
ダーニックが、一歩後ずさった。
「何をした!ホムンクルスごときが!」
ジークは、瓦礫の下で、左手を握りしめた。
力が、みなぎる。
(これが、僕の——)
(僕が、まだ諦めていない証拠だ)
——遠く、赤の陣営の野営地。
シロウ・コトミネは、トゥリファス城の炎を、静かに眺めていた。
「……始まりましたね」
彼の背後で、赤のキャスター、シェイクスピアが、目を輝かせた。
「ああ、なんと素晴らしい!炎に包まれる城!悲鳴!血!これこそ悲劇!これこそドラマ!」
「あなたは相変わらずですね」
「当然!私は物語のためなら、この世界が燃えようと歓喜しますとも!」
シロウは、微笑んだ。
「ルーラーが、あの混乱に巻き込まれている。これは、好機です」
「ほう?あの聖女が、ですか?」
「審判役が、どちらの陣営にも肩入れし、混乱を拡大させた。そう報告すれば、ルーラーの資格を問えます」
「ああ、なんて冷徹!なんて狡猾!あなたという男は、本当に、最高の悪役だ!」
「私は、悪役ではありませんよ。私は、人類を救うために、必要なことをしているだけです」
シロウの目は、炎を映しながら、氷のように冷たかった。
——トゥリファス城。
ジークの左手が、赤く燃えていた。
「な、なんだ、その力は……!」
ダーニックが、初めて恐怖の色を見せた。
ジークは、瓦礫を押しのけようとした。
まだ、体は動かない。
でも、左手だけは、確かに動いた。
「僕は、あなたに勝つ」
ジークは、ダーニックを見上げた。
「僕は、あなたに勝つ。僕は、僕の守りたいものを、守る」
「黙れ!黙れ黙れ黙れ!」
ダーニックが、叫んだ。
「お前は道具だ!使い捨てのホムンクルスだ!お前に何ができる!お前が守れるものなど、何もない!」
「あります」
ジークの声は、静かだった。
「僕には、守りたいものがあります。ここで、確かに、生まれました」
ジークの左手の紋様が、一層強く輝いた。
「やめろ……やめろ……!」
ダーニックが、後ずさる。
ジークは、瓦礫の中から、左手を突き出した。
「僕が守る。みんなで——」
——その時。
ドォン!!
天井が、崩れ落ちた。
「ぐあっ!?」
ダーニックの上に、燃え盛る梁が降り注いだ。
「ジーク!」
ジャンヌが、ジークの元に駆け寄ってきた。
「ジーク、しっかりして!今、助けるから!」
ジャンヌの手が、瓦礫をどかしていく。
「……ジャンヌ、さん……」
「喋らないで!今、助けるから!絶対に、助けるから!」
ジャンヌの涙が、ジークの頬に落ちた。
「……ありがとう、ございます」
ジークは、微笑もうとした。
うまく笑えなかった。
でも、心は、温かかった。
「ジーク!ジーク!」
アストルフォも、這いずって近づいてくる。
「僕も手伝う!ジークを、絶対に助けるんだ!」
アストルフォの小さな手が、瓦礫を掴んだ。
「親友を、死なせない!」
ジャンヌとアストルフォが、必死に瓦礫をどかしていく。
ジークは、二人の姿を、ぼんやりと見ていた。
(僕は、一人じゃない)
(僕には、仲間がいる)
(僕が守りたいものは、確かに、ここにある)
ジークの左手の紋様は、静かに、しかし確かに、輝き続けていた。
——城は、燃え続けていた。
だが、その炎の中に、確かな光があった。
ジークは、意識を失いながら、その光を、しっかりと見つめていた。Noveliaとは?
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