ぼくたちは運命を変えられない
「できない」気持ちが、いちばん痛い。
高校三年生の春、唯我成幸は夢から覚めた。冷たい水の中で、誰も救えなかった夢。手元に残っていたのは、ボロボロのノートに綴られた「未来の記録」だった。理珠は心を閉ざし、文乃は失踪し、うるかは水泳をやめ、真冬先生は教壇を去る。そして、自分は死んだ——五年後の未来が、そこに書かれていた。
目が覚めたら、四月。すべてが始まる前の教室に、彼女たちはいた。笑って、悩んで、まだ何も失っていない。だから成幸は決意する。誰にも言えない未来を一人抱えて、今度こそ全員を救うと。
教育係に任命された三人の天才少女たち。突出した得意科目の裏で、壊滅的な苦手科目を抱える彼女たち。努力型の秀才である成幸にしかできない指導が、止まりかけた運命を動かし始める。だが、未来は彼の知らない速さで歪み始めていた。うるかの交換留学推薦、祖母の遺した未完成のボードゲーム、教師を辞めようとする真冬先生。ノートに書かれた未来と、現実が少しずつずれていく。
これは、天才ではない少年が、知っている未来と戦いながら、大切な人たちの運命を変えようとする物語。彼が握りしめたのは、妹が作った色褪せたミサ
ぼくたちは運命を変えられない - 文学の森の夜明け ―― 三者面談再試行と新たな扉
朝の光が、廊下に落ちていた。
一ノ瀬学園の本館四階。学園長室の扉の前で、唯我成幸は立ち尽くしていた。
(ここだ)
(今日が、正念場だ)
深呼吸をする。胸の奥が、重い。
昨日、学園長から呼び出しを受けた。『明日、三者面談の再試行を行う。古橋零侍氏も同席する』。
つまり、あの男と、もう一度、向き合えということだ。
教育係を一時停止された身。推薦状も保留。
それでも、退くわけにはいかない。
成幸は、拳を握りしめた。
爪が、手のひらに食い込む。
「……よし」
声に出して、自分を奮い立たせる。
扉を、三回、ノックした。
「入れ」
低く、落ち着いた声。
成幸は、扉を開けた。
学園長室は、静かだった。
窓から、六月の強い陽射しが差し込んでいる。
部屋の中央に、重厚な木の机。
その向こうに、一ノ瀬学園長が座っていた。
白い髪。穏やかな目。しかし、その奥に、有無を言わせない威厳がある。
一ノ瀬学園を六十年にわたって支えてきた、この学園の絶対者。
「来たな、唯我くん」
学園長は、手で、向かいの椅子を示した。
「座りたまえ」
「……失礼します」
成幸は、椅子に座った。
背筋を伸ばす。
学園長は、成幸をじっと見つめた。
「古橋氏は、もうすぐ到着する。それまでに、一つだけ確認しておきたい」
「……はい」
「君は、教育係を続けたいと思っているのかね」
成幸は、一瞬、言葉に詰まった。
(続けたいに決まってる)
(でも、それだけじゃない)
(俺は、あいつらを救わなきゃいけない)
「……続けたいです」
成幸は、真っ直ぐに学園長の目を見た。
「理珠も、文乃も、うるかも、俺が教えます。誰にも、渡しません」
学園長は、少しだけ目を細めた。
「そうか。その言葉、忘れるなよ」
その時。
ノックもなしに、扉が開いた。
現れたのは、古橋零侍。
文乃の父。
教育評論家。大学教授。
黒いスーツを隙なく着こなし、銀縁の眼鏡をかけた、四十代半ばの男。
その目は、冷たかった。
「お待たせしました、学園長」
零侍は、成幸を一瞥した。
まるで、虫けらでも見るような目。
「……君が、唯我成幸か」
声には、明確な軽蔑が込められていた。
「はい」
成幸は、立ち上がり、軽く頭を下げた。
零侍は、成幸の向かいの席に座った。
学園長を挟んで、成幸と向き合う形だ。
「では、始めましょう」
学園長が、口を開いた。
「本日は、古橋文乃さんの進路について、改めて話し合いの場を設けました。古橋氏、ご意見を」
零侍は、背筋を伸ばした。
「意見など、最初から決まっております」
零侍の声は、冷たく、鋭かった。
「文乃は、医大に進む。それ以外の選択肢は、ありません」
「文乃さん本人の意思は、確認されましたか」
「本人の意思など、関係ありません。あの子は、まだ自分の将来を判断できる年齢ではありません。親が、正しい道を示す。それが教育というものです」
成幸の胸の奥で、何かが、じわりと熱くなった。
(正しい道?)
(文乃の気持ちを無視して、自分の考えを押し付けるのが、教育なのか?)
「唯我くん」
学園長が、成幸を見た。
「君は、教育係として、古橋文乃さんの進路について、どう考える」
成幸は、深く息を吸った。
心臓が、早くなる。
指先が、冷たい。
でも、逃げない。
「文乃さんは、文学を学びたいと言っています」
成幸の声は、震えていなかった。
「彼女は、文系科目で全国模試上位〇・五パーセントの成績を取っています。その才能を、医大で潰すべきではありません」
「才能?」
零侍が、鼻で笑った。
「文学の才能など、何の役にも立たない。食っていけるのか? 現実を見ろ。医者になれば、安定した収入と社会的地位が約束される。文学部など、道楽だ」
「道楽ではありません」
成幸は、零侍の目を、真っ直ぐに見た。
「文乃さんにとって、文学は、命と同じくらい大切なものです。彼女は、亡くなったお母さんの影響で、文学を志しました。お母さんのように、誰かの心を動かす言葉を書きたい。そう言っていました」
零侍の眉が、ぴくりと動いた。
「……妻のことを、持ち出すな」
零侍の声が、低くなった。
「お前のような凡人に、何がわかる」
零侍が、成幸を睨みつける。
「お前は、ただの高校生だ。社会の厳しさも、人生の重みも、何も知らない。そんなお前が、文乃の将来を語るなど、おこがましいにも程がある」
成幸は、拳を握りしめた。
爪が、手のひらに食い込む。
痛い。
でも、その痛みが、逆に、心を冷やす。
「……ええ、俺は凡人です」
成幸は、静かに言った。
「生まれつき才能があったわけでもない。要領も悪い。人の何倍も努力して、ようやく人並みの成績を取ってきた。そんな凡人です」
零侍が、ふん、と鼻を鳴らした。
「だからこそ、わかるんです」
成幸は、続けた。
「文乃さんが、どれだけの覚悟で、文学を志しているか。どれだけの想いを、その言葉に込めているか。俺は凡人だから、彼女の才能の凄さがわかる。そして、その才能を、自分の意思と違う道で潰される苦しみも、想像できる」
成幸は、零侍の目を、逸らさなかった。
「文乃さんの人生は、文乃さんのものです。親だからといって、勝手に決めていいものじゃない」
沈黙が、落ちた。
重い、沈黙。
零侍の顔が、ゆっくりと、怒りに歪んでいく。
「……貴様」
零侍が、立ち上がりかけた。
その時。
「お父さん」
扉の向こうから、声がした。
全員が、一斉に、扉を見た。
そこに、立っていたのは、古橋文乃。
紺色のロングヘアー。カチューシャ。左目の下のホクロ。
一ノ瀬学園の制服を着た、文乃。
その顔は、青ざめていた。
でも、目は、真っ直ぐに、父を見ていた。
「文乃……」
零侍が、呆然とした声を出す。
「なぜ、ここに」
「……学園長先生が、呼んでくださいました」
文乃は、震える声で言った。
「私の進路の話なら、私がいないと、意味がないから」
学園長が、静かに頷いた。
「古橋文乃さん。こちらへ」
文乃は、一歩、部屋の中へ踏み出した。
成幸の隣に、立つ。
文乃の手が、小さく震えている。
成幸は、思わず、その手に触れそうになった。
でも、やめた。
今は、文乃が、自分で戦う時だ。
「文乃、帰りなさい。これは、大人の話だ」
零侍が、低い声で言った。
「……いいえ」
文乃は、首を振った。
「私の話です。私が、話します」
文乃は、父の目を、真っ直ぐに見た。
「お父さん。私は、文学を続けたい」
零侍の顔が、硬直する。
「母さんのように、言葉で、誰かの心を動かせる人になりたい。それが、私の夢です」
文乃の声は、震えていた。
でも、はっきりと、言葉を紡ぐ。
「医大に行くのは、お父さんの夢であって、私の夢じゃない。私は、私の人生を、私の意思で、生きます」
零侍は、しばらく、文乃を見つめていた。
その顔から、血の気が引いていく。
「……文乃」
零侍の声が、かすれた。
「お前は、私の言うことが、聞けないのか」
「聞けません」
文乃は、きっぱりと言った。
「お父さんの言う通りに生きて、後悔するのは、私です。お父さんじゃない。だから、私は、私の道を、行きます」
沈黙。
長い、沈黙。
零侍の肩が、小刻みに震えている。
怒りか。
それとも、別の感情か。
成幸には、わからなかった。
やがて、零侍は、ゆっくりと立ち上がった。
「……学園長。本日は、これで失礼します」
零侍の声は、感情のない、平坦なものだった。
「文乃の進路については、また、後日、話し合いましょう」
零侍は、文乃を見なかった。
成幸も、見なかった。
ただ、扉に向かって歩き出す。
「古橋氏」
学園長が、背中に声をかけた。
「一つだけ、申し上げておきます。本学園の教育方針は、『自主自立』です。生徒の意思を尊重するのが、我々の役目です」
零侍は、足を止めた。
でも、振り返らなかった。
「……承知しました」
それだけ言って、零侍は、部屋を出て行った。
扉が、閉まる。
パタン、という音が、静かな部屋に響いた。
文乃の体から、力が抜けた。
その場に、崩れ落ちそうになる。
成幸は、とっさに、文乃の腕を支えた。
「古橋!」
「……だいじょうぶ」
文乃は、弱々しく笑った。
「わたし、言っちゃった。お父さんに、逆らっちゃった」
「ああ」
成幸は、文乃の腕を支えながら、小さく頷いた。
「よく、言った」
文乃の目から、涙が溢れた。
「……わたし、初めて、お父さんに、自分の気持ちを言えた」
文乃は、涙を拭いながら、笑った。
「唯我くんが、いたから、言えたんだよ。ありがとう」
成幸は、何も言えなかった。
胸の奥が、熱い。
(よかった)
(未来と、違う)
(文乃が、自分の意思を、貫いた)
「唯我くん」
学園長が、成幸を呼んだ。
「教育係の件だが、継続を認める」
成幸は、顔を上げた。
「ただし、推薦状は、夏の成績次第だ。三人の成績を、しっかり上げてみせなさい」
「……はい!」
成幸は、深く頭を下げた。
「ありがとうございます!」
学園長は、少しだけ、口元を緩めた。
「期待しているよ」
午後の陽射しが、廊下に長い影を落としていた。
成幸は、文乃と並んで、廊下を歩いていた。
「……唯我くん」
文乃が、小さく言った。
「わたし、本当に、医大に行かなくて、いいのかな」
「いいんだよ」
成幸は、即答した。
「お前は、文学の天才だ。その才能を、信じろ」
「……うん」
文乃は、涙で濡れた顔で、笑った。
「ありがとう。唯我くんが、わたしの教育係で、よかった」
その笑顔は、未来で失われたはずの、文乃の笑顔だった。
成幸の胸の奥が、じわりと温かくなる。
(守れた)
(今回は、守れた)
(でも、まだ、終わってない)
成幸は、文乃と別れ、中庭へ向かった。
ベンチに、座る。
深く、息を吐いた。
体中の力が、抜けていく。
(疲れた……)
でも、悪い気分ではなかった。
「唯我さん」
声がした。
顔を上げると、緒方理珠が立っていた。
杏色のショートヘアー。眼鏡。群青色の瞳。
小さな体を、一ノ瀬学園の制服に包んだ、数学の天才。
「……緒方」
成幸は、ベンチから腰を浮かせた。
「どうしたんだ」
「話が、あります」
理珠は、成幸の隣に、座った。
距離は、少し近い。
成幸の心臓が、ほんの少し、跳ねる。
(近い……)
(いや、そういうことじゃない)
「……あのね」
理珠は、俯きながら、口を開いた。
「私、星渡りの盤を、もう一度、ちゃんと完成させたいの」
成幸は、理珠の顔を見た。
理珠の横顔は、真剣だった。
「お母さんにも、ちゃんと、自分の気持ちを話す。ゲーム作りが、私の夢だって。祖母の盤を、完成させたいんだって」
「……本気か」
「本気です」
理珠は、顔を上げた。
群青色の瞳が、成幸を、真っ直ぐに見る。
「この前までは、一人で、どうにかしようと思ってた。でも……唯我さんが、いてくれたから、一人じゃないって、思えたの」
理珠の声が、少しだけ、柔らかくなる。
「それで、決めたんです。私、一人で決めようとしてた。でも……唯我さんがいてくれて、よかった」
理珠は、小さく、笑った。
その笑顔は、ほんの少し、ぎこちなかった。
でも、確かに、笑顔だった。
成幸の胸の奥が、きゅっとなる。
「……ああ」
成幸は、頷いた。
「俺も、手伝う。絶対に、完成させよう」
「はい」
理珠は、嬉しそうに、頷いた。
「あと、唯我さんに、伝えたいことがあります」
「なんだ?」
「星渡りの盤には、欠落したルールブックがあるんです。その欠落ページに、祖母の、家族へのメッセージが隠されているらしいんです」
成幸は、息を呑んだ。
(欠落ページ……)
(宇佐美さんが言ってた、あの噂)
「そのページを、一緒に、探してほしいんです」
理珠の目は、真剣だった。
「……わかった」
成幸は、力強く頷いた。
「一緒に、探そう」
夕方。
成幸は、中庭で、理珠と別れた。
理珠の背中が、校舎の影に消えていく。
成幸は、ベンチに、もう一度座った。
空は、茜色に染まっていた。
「成幸!」
元気な声が、中庭に響いた。
振り向くと、武元うるかが、駆けてくる。
褐色の肌。赤紫色のミディアムヘアー。アホ毛が、ぴょこんと跳ねている。
水泳部のエース。
「うるか」
成幸は、立ち上がった。
「どうしたんだ、こんな時間に」
「成幸に、話があって!」
うるかは、成幸の前に立つと、少し息を切らせながら言った。
「留学の話、正式に決まったんだ」
成幸の心臓が、ドクリと跳ねた。
(来た)
(未来で、うるかの人生を狂わせた、留学)
「……そうか」
成幸は、平静を装って、頷いた。
「で、いつ行くんだ」
「九月。夏休みが終わったら」
うるかは、笑顔で言った。
成幸の胸の奥が、冷たくなる。
(九月……)
(未来では、留学直前に、うるかは水泳をやめて、消えた)
(今回も、同じ道を、たどるのか?)
「……成幸?」
うるかが、成幸の顔を覗き込んだ。
「なんか、顔、暗いよ? 留学、嫌なの?」
「いや、そうじゃない」
成幸は、首を振った。
「……それで、水泳は、どうするんだ」
成幸は、聞いた。
未来で、うるかが、水泳をやめた理由。
それを、知りたかった。
うるかは、一瞬、きょとんとした顔をした。
それから、にっ、と笑った。
「続けるよ!」
うるかの声は、明るく、力強かった。
「留学、行くよ。でもね、向こうでも水泳は続ける。あたし、逃げるんじゃなくて、もっと強くなるために行くんだ」
成幸は、言葉を失った。
(続ける……?)
(未来では、やめたのに)
(水泳を、続ける?)
「成幸?」
うるかが、首を傾げる。
「どうしたの? なんか、変だよ」
「……いや」
成幸は、首を振った。
「お前が、水泳を続けるって聞いて、嬉しかっただけだ」
「えへへ」
うるかは、照れくさそうに笑った。
「あたし、向こうでも、いっぱい泳ぐんだ。で、強くなって、帰ってくる。そしたら、成幸に、一番に報告するね」
「……ああ」
成幸は、頷いた。
胸の奥が、熱い。
(未来と、違う)
(うるかが、逃げない)
(水泳を、続ける)
(変わってる。運命が、変わってる)
「あとね」
うるかは、真剣な顔で、成幸を見た。
「成幸も、一人で抱え込まないでよ」
成幸の心臓が、跳ねた。
「あたし、成幸が、いつも、何か隠してるような顔してるの、知ってるから」
うるかの紫色の瞳が、成幸を、じっと見つめる。
「あたしが帰ってくるまでに、ちゃんと笑えてるか、確認するからね。約束だよ」
成幸は、何も言えなかった。
うるかの言葉が、胸に、深く、突き刺さる。
「……わかった」
成幸は、ようやく、それだけ言った。
「約束する」
「うん!」
うるかは、満面の笑みを浮かべた。
夕日が、うるかの笑顔を、金色に染める。
成幸は、その笑顔を、目に焼き付けた。
(絶対に、守る)
(うるかの笑顔も、理珠の夢も、文乃の未来も)
(全部、俺が、守る)
夜。
職員室。
窓の外は、もう暗い。
桐須真冬は、一人、机に向かっていた。
菖蒲色の長い髪が、蛍光灯の光に、冷たく輝く。
水色の瞳が、手元の紙切れを、じっと見つめていた。
破れたノートの切れ端。
そこに、走り書きが、ある。
『五年後 理珠 心の閉鎖 文乃 失踪 うるか 消失 真冬 退職』
真冬は、その文字を、何度も、何度も、読み返していた。
「五年後の……未来?」
真冬の声は、静かだった。
「これは、唯我くんの字。間違いないわ」
真冬は、紙切れを、机の上に置いた。
「五年後、理珠が心を閉ざし、文乃が失踪し、うるかが消え、私が退職する」
真冬は、目を閉じた。
「……何が、書いてあるの。これは、予言? それとも、ただの、落書き?」
その時。
ノックの音。
真冬は、はっとして、顔を上げた。
「入れ」
扉が開く。
入ってきたのは、唯我成幸。
「失礼します。書類を、提出に来ました」
成幸は、真冬の机に近づいた。
その瞬間。
成幸の足が、止まった。
真冬の机の上。
そこに、置かれた、紙切れ。
見覚えのある、破れ方。
見覚えのある、文字。
(あれは——)
成幸の顔から、血の気が引いた。
「……どうしたの」
真冬が、冷たい声で、言った。
「顔色が、悪いわよ」
「……いえ」
成幸は、書類を、真冬の机に置いた。
「それでは、失礼します」
「待ちなさい」
真冬の声が、成幸を、引き止めた。
成幸の体が、硬直する。
真冬は、ゆっくりと、紙切れを手に取った。
「これ、あなたのでしょ」
真冬は、紙切れを、成幸の前に差し出した。
「理珠 心の閉鎖。文乃 失踪。真冬 退職……説明しなさい」
真冬の水色の瞳が、成幸を、射抜く。
成幸は、言葉に詰まった。
喉が、ひりつく。
声が、出ない。
「……それは」
「これは、あなたが書いたものね。屋上で、拾ったのよ」
真冬は、静かに、言った。
「五年後の未来。そこに、私の退職が書かれている。……あなたは、未来のことを、知っているの?」
成幸は、拳を握りしめた。
(話せない)
(話したら、運命が歪む)
(もっと、悪くなる)
「……話せません」
成幸は、絞り出すように言った。
真冬は、しばらく、成幸を見つめていた。
「……そう」
真冬は、紙切れを、机の上に置いた。
「私は、あなたを責めてるんじゃないの」
真冬の声が、少しだけ、柔らかくなった。
「一人で背負うな、と言ったはずよ。……覚えてる?」
成幸の胸が、きゅっと痛む。
(覚えてる)
(あの夜、屋上で、先生が、言ってくれた)
「……はい」
成幸は、小さく頷いた。
「なら、話しなさい。全部じゃなくていい。あなたが、今、何と戦っているのか。それだけでも」
真冬の目は、真剣だった。
「あなたは、生徒よ。生徒は、大人に、頼っていいの」
成幸は、真冬の目を、見た。
氷のように冷たいはずの、その瞳。
でも、今は、ほんの少しだけ、温かい。
(話したい)
(先生に、全部、話したい)
(でも——)
成幸は、唇を噛んだ。
「……話せば、運命が、歪むんです」
成幸は、それだけ言った。
「だから、話せない」
真冬は、しばらく、成幸を見つめていた。
やがて、小さく、息を吐いた。
「……わかったわ」
真冬は、紙切れを、自分のスーツのポケットにしまった。
「これは、私が預かる。誰にも、見せない」
「……先生」
「でも、いつか、話して。あなたが、一人で壊れてしまう前に」
真冬の声は、静かだった。
でも、その言葉には、確かな重みがあった。
成幸は、深く、頭を下げた。
「……ありがとうございます」
職員室を出た。
廊下は、静かだった。
蛍光灯の白い光が、床に落ちている。
成幸は、壁にもたれかかった。
(真冬先生に、知られた)
(未来のことを、疑われてる)
(でも、先生は、責めなかった)
(一人で背負うなって、また、言ってくれた)
成幸は、天井を見上げた。
(俺は、一人じゃない)
(理珠も、文乃も、うるかも、真冬先生も)
(みんな、いる)
(だから、俺は、戦える)
その時。
スマートフォンが、震えた。
成幸は、画面を見た。
メッセージ。
差出人は、宇佐美。
ボードゲームカフェ「ダイスロール」の店主。
理珠の祖母・瑞穂の知人。
成幸は、メッセージを開いた。
「星渡りの盤の欠落ページ、実は緒方家の金庫に保管されてるらしい。瑞穂さんが亡くなる前に、ご主人に預けたって話を聞いたよ」
成幸の目が、見開かれた。
(欠落ページが……緒方家の金庫に?)
(理珠の父が、握ってる?)
成幸は、スマートフォンを、強く握りしめた。
(新たな障害)
(でも、同時に、これは、チャンスだ)
(欠落ページを、手に入れれば、盤を完成させられる)
(理珠の夢に、一歩、近づける)
成幸は、顔を上げた。
廊下の先。
窓の外に、星が、瞬いていた。
「……やるしかない」
成幸は、静かに、呟いた。
「理珠の夢も、文乃の未来も、うるかの笑顔も、真冬先生の信頼も。全部、俺が、守る」
星が、静かに、成幸を見下ろしていた。
夜風が、廊下を、吹き抜けていく。
成幸の新たな戦いが、始まろうとしていた。Noveliaとは?
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