ダンベル何キロ持てる? IF 〜ジーナ・ボイドの帰還〜
桜ヶ丘の商店街に、今日もひびきの幸せな咀嚼音が響く。肉まんにコロッケ、プロテインにプリン——食欲と筋トレの狭間で揺れる女子高生・紗倉ひびきの日常は、しかしある日を境に大きく動き出す。ジムのトレーナー・街雄の破れたポロシャツから覗く規格外の筋肉にときめきを隠せない日々。そして、プロテインショップでひびきの試飲カップを奪い去った、銀髪の少女。鋭い瞳でひびきを射抜いた彼女の正体は——。「明日から家にお客さんが来る」。母からの突然の電話が、運命の歯車を静かに回し始める。これは、筋肉と食欲と、ほんの少しの恋が織りなす、ひと夏の物語。ジーナ・ボイド、帰還。
ダンベル何キロ持てる? IF 〜ジーナ・ボイドの帰還〜 - 金髪ギャル、筋肉とプロテインと銀髪の刺客
「あー、この肉まん、やっぱサイコー!」
桜ヶ丘駅前商店街の真ん中で、紗倉ひびきは片手に肉まん、もう片方の手にコロッケを握りしめて、幸せそうに顔をほころばせていた。
午後四時を回ったばかりの商店街は、買い物客でほどよく賑わっている。肉屋の前からは揚げたての匂いが漂ってきて、八百屋の店先には今日入ったばかりの柑橘類が鮮やかな色を並べていた。パン屋からは焼き上がったメロンパンの甘い香りが流れてくる。ひびきの胃袋は、それらの匂いを全部まとめて抱きしめたい気分だった。
金髪のゆるふわギャルヘアを揺らしながら、ひびきは八重歯を見せて笑う。左耳の小さなピアスが夕日にキラリと光った。ネイルは今日も派手なピンク。白いセーラー服の胸元には、皇桜女学院の桜の紋章が揺れている。
「はあ、しあわせ……」
食べることが、ひびきにとって唯一の楽しみだった。
両親は二人とも仕事で海外を飛び回っていて、東京郊外の一戸建てには今、実質ひびき一人しか住んでいない。帰っても誰もいない家。だからこうして学校帰りに商店街をぶらついて、食べ歩きする時間が一番好きだった。お腹が満たされている間は、寂しさを忘れられる。
もぐもぐと肉まんを頬張りながら、ひびきは商店街の先に見える三階建ての建物に目をやった。ガラス張りの外観に、銀色のロゴが輝いている。
「シルバーマンジム、かあ……」
全国に47店舗、海外に12店舗を展開する高級フィットネスクラブチェーン。桜ヶ丘店は駅から歩いて五分の好立地で、会員数は約八百人。マシンの充実度とトレーナーの質の高さで知られる、筋トレ好きにはたまらない場所だ。
ひびきがそこに通い始めて、もう八ヶ月になる。
きっかけは単純。体重計に乗って、自分の数字にびっくりしたからだ。身長162センチ。体重は当時、65キロを超えていた。さすがにまずいと思った。それで、親友に勧められるまま入会した。
だが。
現実は甘くなかった。
ジムの自動ドアをくぐり、受付の前を通り過ぎる。壁には「筋肉は裏切らない」という創業者・銀山健一の言葉が額縁に入って飾られていた。ひびきはその言葉を見るたび、ちょっとだけ胸がチクッとする。筋肉は裏切らないけど、食欲は毎日ひびきを裏切っている。
ロッカールームでピンクのタンクトップとレギンスに着替え、トレーニングフロアへ向かう。途中、体重計が置いてあるコーナーに差し掛かって、ひびきは足を止めた。
「……乗るか」
デジタルの表示が落ち着くまで、三秒。
62.0kg。
先週より2キロ増えている。
「うっそ……!」
ひびきは自分の目を疑った。八ヶ月通って、最初の三ヶ月で3キロ落ちた。でもそこからが全然減らない。むしろ、じわじわ戻ってきている。
「なんで……ちゃんと筋トレしてるのに……」
心の中で、自分でも答えは分かっていた。
筋トレはしてる。でも、それ以上に食べてる。
昨夜も、夕食後にコンビニのスイーツを三個食べた。おとといはラーメン大盛りにチャーシュー丼をつけた。昼に我慢した分、夜に倍返しする。そんな生活を八ヶ月続けている。痩せるわけがない。
体重計の上で、ひびきは深いため息をついた。
「また明日から本気出す……」
そう言って、自分を慰める。このセリフ、もう何回言ったか分からない。
気を取り直して、フリーウェイトエリアへ向かう。すると、爽やかな声が飛んできた。
「お、ひびきちゃん。今日も元気そうだね」
振り返ると、シルバーマンジムのトレーナー・街雄鳴造が立っていた。
街雄は、ひびきがこのジムに入会する決め手になった男だ。一見すると、細身の爽やかイケメン。柔らかい笑顔に、優しい目元。白いポロシャツがよく似合っている。声も落ち着いていて、話し方も丁寧。
「あ、街雄さん。こんにちは」
ひびきは無意識に髪をいじった。なんだか急に、自分の金髪ギャルヘアが場違いに思えてくる。街雄の前だと、いつもそうだ。
「今日はどうする? 胸? 脚?」
「えっと……脚、で」
「いいね。じゃあ、スクワットから始めようか」
街雄が微笑む。ひびきの胸の奥が、またきゅっとした。
なんでこの人、こんなに爽やかなんだろう。
トレーニングの説明をしてくれる声も、姿勢も、指先の動きまで綺麗で、ひびきはつい見とれてしまう。
「じゃあ、まずは俺がお手本を見せるね」
街雄はバーベルを肩に担ぎ、スクワットの姿勢に入った。
「こうやって、ゆっくり下ろして……」
その瞬間。
バリバリバリッ!
街雄のポロシャツが、肩のあたりから派手に裂けた。
「えっ」
ひびきは目を疑った。
裂けた布の下から現れたのは、ありえないほど隆起した筋肉の塊だった。肩は丸太のように盛り上がり、腕はひびきの太ももより太い。首から下が、まるで別人だった。さっきまでの細身の爽やかイケメンはどこへ行ったのか。
「あちゃー、また破れちゃった。これ、新しかったんだけどな」
街雄は困ったように頭をかく。その仕草は相変わらず爽やかで、顔だけ見れば普通のイケメンなのに、体はもうボディビルダーを通り越して何かの生物みたいだった。
「……街雄さん、それ、直したほうがいいですよ」
「あはは、よく言われるよ。でもね、筋肉は正直だから、服が追いつかないんだ」
街雄は笑いながら、その場でボディビルのポーズをとり始めた。胸を張り、腕を曲げ、背中を広げる。そのたびに、残っていた布がさらにビリビリと音を立てて裂けていく。
ひびきは言葉を失った。
いや、正確には、笑いをこらえるのに必死だった。だって、顔は爽やかイケメンなのに、体は常識を超えた筋肉の塊で、しかも本人は至って真面目にポージングしている。おかしい。おかしいけど、目が離せない。
そして、ふと気づく。
心臓が、ドキドキしている。
笑ってるのに、目が街雄の筋肉を追っている。破れた服の下から見える腹筋の割れ目とか、腕の血管とか、そういうのを、ついじっと見てしまう。
「……私、何見てるんだろ」
ひびきは小さく呟いて、首を振った。
これはときめきなのか、それとも単に驚いているだけなのか。自分でもよく分からない。ただ、街雄の前だと胸がざわざわする。その感覚が、心地いいような、くすぐったいような、変な感じだった。
「ひびきちゃん、どうかした?」
「な、なんでもないです! スクワットやります!」
ひびきは慌ててバーベルの前に立った。顔が熱い。絶対、赤くなってる。
そんな自分をごまかすように、ひびきはバーベルを担いでしゃがみ込んだ。
「お、フォームいいね。そのまま、ゆっくり」
街雄の声が近い。背中に視線を感じる。ドキドキしながらスクワットをこなすひびきの頭の中は、もはや筋肉のことより街雄のことでいっぱいだった。
トレーニングを終えて、ひびきはジムの外に出た。
外はもう夕暮れで、空がオレンジ色に染まっている。風が少し涼しい。汗で濡れたタンクトップの上にパーカーを羽織り、ひびきは駅前のプロテインショップ「マッスル・マート」へ向かった。
ここは桜ヶ丘駅前にあるプロテイン専門店で、オーナーの藤堂さんが元コンテスト出場者というだけあって、品揃えが半端じゃない。ホエイプロテイン、BCAA、EAAなど、二百種類以上が所狭しと並んでいる。新商品の試飲会があると聞けば、ひびきは必ず足を運ぶようにしていた。
「今日の新商品、何だろ」
店内に入ると、試飲コーナーに列ができていた。筋肉質な男性客や、スポーツウェア姿の女性客が、小さな紙コップを手に談笑している。
「この抹茶味、溶けやすいし後味スッキリしてるよ」「いや、俺はキャラメルラテ推しだな」
そんな会話が飛び交う。プロテインの味比べは、この店の常連たちにとって立派な趣味であり、情報交換の場だった。ひびきも列に並び、新商品の説明が書かれた小さな看板を読む。
『新発売! 桜もち風味プロテイン 春限定フレーバー』
「桜もち……!」
ひびきの目が輝いた。和スイーツ系のプロテインは珍しい。しかも春限定。これは飲むしかない。
列が少しずつ進む。試飲カップが、残りわずかになってきた。
「あと一個……!」
ひびきの前に並んでいた男性客がカップを取って去る。試飲台の上には、最後の一杯だけが残っていた。
ひびきは手を伸ばした。
その瞬間。
ひゅっ、と風が横を抜けた。
気づいたときには、試飲台の上のカップは消えていた。
「え?」
ひびきの隣に、いつの間にか一人の少女が立っていた。
銀色のボブヘアー。白い肌。すらりとした体。
彼女はひびきの取ろうとした桜もち風味プロテインの試飲カップを、当然のように手にしていた。
「ちょっと、それ私が……」
ひびきが声をかけようとした瞬間、少女はこちらを向いた。
鋭い目だった。
青みがかった瞳が、ひびきを真っ直ぐに射抜く。まるで獲物を見つけた獣のように、目が吊り上がっている。
「……あなた」
低い声で、少女は呟いた。
ひびきは息を飲んだ。
知らない子だ。会ったことなんてない。なのに、なんでこんなに睨まれなきゃいけないの。
少女は試飲カップを一気に飲み干すと、空のカップをゴミ箱に放り込んだ。それから、もう一度だけひびきを振り返る。
何かを言いたそうに、唇が動いた。
でも、言葉にはならなかった。
彼女はそのまま、店の外へ出て行った。銀色の髪が夕日にきらめいて、すぐに人混みの中へ消える。
「……なんだったの、今の」
ひびきは試飲台の前に立ち尽くした。
あの視線。宣戦布告みたいな、鋭い目。
意味が分からない。分からないけど、あの瞳の強さだけが、やけに頭に残った。
「私、なんかしたっけ……」
ひびきは首をかしげながら、試飲をあきらめて店を出た。
空には一番星が出ている。
夜の商店街は昼間より静かで、ひびきの足音だけがコツコツと響いていた。
家に帰ると、誰もいないリビングがひびきを待っていた。電気をつけて、ソファに倒れ込む。今日も疲れた。スクワットで脚がパンパンだ。
天井を見つめながら、ぼんやりと銀髪の少女のことを考える。
あの子、どこかで見たことあるような気もする。でも、思い出せない。あんなに綺麗な銀髪なら、忘れるはずがないんだけど。
ピピピ、とスマホが鳴った。
画面を見ると、母からの着信だった。
「もしもし?」
「あ、ひびき? 元気にしてる?」
電話の向こうから、母の声が聞こえる。時差のせいか、少し疲れているような声だった。
「うん、まあ。そっちは?」
「こっちは大丈夫。それより、明日から家にお客さんが来るから」
「お客さん?」
「うん。詳しいことはまた連絡するけど、ちゃんと迎えてあげてね。女の子だから」
「女の子? 誰? 親戚?」
「まあ、そういう感じ。じゃあ、よろしくね。切るわよ」
「え、ちょっと待って、詳しく——」
プツッ。
通話が切れた。
「……何それ」
ひびきはスマホを見つめたまま、しばらく動けなかった。
明日から、お客さん。女の子。
うちに、人が来る。
それも、詳しい説明なしで。
「まあ、母さんが言うなら大丈夫か……」
ひびきはスマホを置いて、冷蔵庫へ向かった。
今日の反省は、明日から。
冷蔵庫の奥に隠しておいたプリンを取り出して、スプーンを突き刺す。
「ダイエットは、明日から……」
そう言いながら、ひびきはプリンを一口食べた。
甘くて、冷たくて、やっぱり美味しい。
でも、その味よりも。
銀色の髪の少女の、あの鋭い視線が、なぜかずっと頭から離れなかった。Noveliaとは?
Noveliaは、AIでライトノベルや二次創作を「読んで・数タップで作って・キャラクターと会話できる」プラットフォームです。挿絵つきの新作が毎日届き、無料で始められます。