スーパーSの裏で恋を吸うふたり
45歳・独身・疲れ切ったサラリーマンの佐々木。唯一の癒しは、スーパーSのレジで見せる新人パート・山田さんの完璧な笑顔。空いてるレジを無視して毎日二番レジに並ぶ、ちょっと不器用な日々。
だがある夜、閉店後の従業員喫煙所で出会ったのは——髪を下ろし、ピアスを揺らし、メンソール煙草を器用に咥える、素の彼女「田山」だった。
「おじさん、なんで空いてるのに二番レジに並ぶの?」
見透かすような笑顔。からかうような口調。でも、耳が少し赤くて。
「山田」と「田山」。二つの顔を持つ彼女に、佐々木は気づかないふりを決める。それが一番いいと思ったから。
でも、心臓は正直で——。
閉店後の喫煙所から始まる、じれったくてほろ苦い、大人のラブコメ。四十五歳、恋の吸い方はまだ分からない。
スーパーSの裏で恋を吸うふたり - 店長の視線と、田山の戸惑い
店内の空気が、少しずつ夜の色に変わっていく。
佐々木は腕時計をちらりと見た。午後九時三十七分。閉店まであと二十三分。
葛西野市の住宅街にぽつんと建つ、フレッシュマート加野店。地元では「スーパーS」と呼ばれる、ごく普通の食品スーパーだ。営業時間は夜の十時まで。今の時間帯は、仕事帰りの客がまばらにいるだけだった。
佐々木はカゴを手に、惣菜コーナーの前で足を止めた。半額シールの貼られた弁当が、冷たい照明の下に並んでいる。今日は、チキン南蛮弁当。それと、いつものかきもち醤油味。缶ビールを二本。
(これで今日も、なんとか)
心の中でそうつぶやいて、レジへ向かう。
店内のレジは三台。一番奥の二番レジだけ、ほんの少し列ができていた。他のレジは空いている。
佐々木は、迷わず二番レジの列の最後尾に並んだ。
(今日も、いる)
胸の奥が、じわりと温かくなる。
列が一人分進む。佐々木の前には、白髪の男性が一人。その向こうで、レジを打つ店員の姿が見えた。
山田さん。
黒い髪を後ろで一つにまとめて、清潔感のある緑色のエプロンを着ている。胸元の名札は「山田」。身長は百六十センチくらい。華奢な体つきで、動きには無駄がない。
「お待たせいたしました。ポイントカードはお持ちですか?」
山田の声が、店内に軽やかに響く。白髪の男性客に、にこりと笑いかけた。
(今日も、完璧な笑顔だ)
佐々木は、胸の奥でつぶやいた。
山田の笑顔は、作り物なのに、作り物に見えない。接客マニュアル通りの「いらっしゃいませ」も、彼女が言うと本物の歓迎に聞こえる。目が合うと、ふわっと心が軽くなる。
でも、佐々木はもう知っている。
この笑顔の裏に、髪を下ろして、ピアスを光らせて、あたし、なんて言いながら煙草を吸う、田山という素顔があることを。
(山田さん、じゃなくて、田山さん)
佐々木は、こっそりと息を吐いた。
「次の方、どうぞ」
山田が顔を上げた。佐々木と目が合う。
「あ、どうも」
佐々木はカゴをレジ台に置いた。山田が素早くバーコードを読み取っていく。
「お疲れ様です。いつもありがとうございます」
山田が、にこりと笑った。
「お、お疲れ様です……」
佐々木は、声が裏返りそうになるのを必死でこらえた。
(落ち着け。俺はただの常連客だ)
山田の指先が、おかきの袋をスキャンする。小さな手。爪は短く切ってあって、清潔だ。
(この指で、煙草を挟むんだよな)
佐々木は、つい、その指を目で追ってしまった。
「お弁当、温めますか?」
「いや、大丈夫です」
「かしこまりました」
山田が商品を袋に詰める。その仕草は、相変わらず丁寧で、美しかった。
「千二百四十六円です」
佐々木は財布から小銭を取り出した。五百円玉が一枚、百円玉が二枚、十円玉が四枚、一円玉が六枚。指先が、ほんの少し震える。
(毎回、毎回、何を緊張してるんだ)
小銭をトレーに置く。カチャカチャと音がした。
「ちょうど、お預かりします」
「あ、はい」
山田が袋を差し出した。
「ありがとうございました。またお越しくださいませ」
佐々木は袋を受け取った。
「どうも」
そう言って、レジを離れる。
(俺は、何をしてるんだ)
空いているレジが二台もあるのに、わざわざ山田のレジに並ぶ。四十五歳のいい大人が、二十四歳のパート店員の笑顔を見るためだけに。
佐々木は、苦笑いを浮かべた。
(でも、やめられないんだよな)
自動ドアを出ると、九月の終わりの夜風が、汗ばんだ首筋を冷やした。空には薄い雲がかかっていて、月がぼんやりと滲んでいる。
佐々木は、店の裏手へ回った。
駐車場の北西の角。灰皿スタンドが二つと、ベンチが一台。フェンス越しに住宅街の明かりが見える。街灯は弱くて、あたりは薄暗い。
ここが、二人の喫煙所だった。
佐々木はベンチに座って、ポケットから煙草の箱を取り出した。メビウス・プレミアム。残り四本。一本を口にくわえて、百円ライターで火をつける。
「……はあ」
煙を肺に吸い込んで、ゆっくりと吐き出す。
(今日も、来るかな)
心臓が、少しだけ速くなる。
でも、その日は、いつもと違った。
店の裏口から現れたのは、田山ではなかった。
黒い髪をショートボブにした、さっぱりした髪型の女性。切れ長の黒い瞳。口元にほくろ。無表情で、手には加熱式タバコのデバイスを持っている。
後藤。フレッシュマート加野店の店長だった。
佐々木は、ベンチから腰を浮かせかけた。
「あ、どうも……」
後藤は、佐々木を一瞥した。
「ああ、君か」
後藤は、佐々木の隣に腰を下ろした。ベンチが、ぎしりと音を立てる。
(店長が、ここに?)
佐々木は、煙草を吸う手を止めた。
後藤は、加熱式タバコの電源を入れて、ゆっくりと煙を吸い込んだ。
沈黙。
佐々木は、何を話していいのか分からず、ただ煙草の煙を吐き出すことしかできなかった。
後藤は、無表情のまま、フェンスの向こうの住宅街を眺めている。
(気まずい)
佐々木は、心の中でつぶやいた。
そのとき。
「佐々木君」
後藤が、静かに口を開いた。
「えっ、あ、はい」
佐々木は、背筋を伸ばした。
(なんで、俺の名前を?)
後藤は、煙を吐き出しながら、言った。
「うちの山田が、世話になってるね」
佐々木の心臓が、跳ね上がった。
(え?)
(今、なんて?)
(うちの山田が、世話になってる?)
佐々木は、煙草を落としそうになった。
「い、いや、その、世話になってるって、何の話ですか」
佐々木の声が、裏返る。
後藤は、佐々木の方を向いた。無表情のまま、じっと見つめてくる。
「何の話って、君、いつも二番レジに並んでるだろ」
「え、あ、それは……」
佐々木は、言葉に詰まった。
(見られてた)
(店長に、見られてた)
後藤は、加熱式タバコをもう一口吸って、煙を吐き出した。
「別に、責めてるわけじゃない」
「は、はあ……」
「ただ、うちの店員が、常連客に気に入られてるってのは、店長として悪い気はしない」
「あ、ありがとうございます……」
佐々木は、何に対して礼を言っているのか分からなかった。
後藤は、それ以上、何も言わなかった。
沈黙が、また訪れる。
佐々木は、煙草の煙を吸い込みながら、必死に考えた。
(山田の秘密を、どこまで知ってるんだ?)
(田山のことを、知ってるのか?)
(それとも、ただの常連客として、俺のことを見てるだけか?)
後藤の無表情からは、何も読み取れない。
(怖い)
佐々木は、心の中でつぶやいた。
(この人、何を考えてるんだ)
そのとき。
「ま」
後藤が、ぽつりと呟いた。
「無味乾燥な夜勤には、持ってこいのエンタメだ」
佐々木は、後藤の顔を見た。
(エンタメ?)
(何が?)
(俺と山田のことが?)
後藤の口元が、ほんの少しだけ、緩んだように見えた。
「……ほう」
後藤は、加熱式タバコを灰皿に押し付けた。
「じゃあな、佐々木君」
後藤は、立ち上がった。
「あ、お疲れ様です」
佐々木は、慌てて頭を下げた。
後藤は、振り返らずに、店の裏口へ消えていった。
佐々木は、ベンチに座ったまま、しばらく動けなかった。
(エンタメ、か)
(俺と山田の関係が、店長にとっては、エンタメ?)
(つまり、静観してるってことか?)
(それとも、何か企んでるのか?)
佐々木は、煙草の煙を深く吸い込んだ。
(分からん)
(でも、敵意はなかった)
(あの口元の緩みは、笑いだった)
(店長は、俺と山田のことを、面白がってる)
佐々木は、空を見上げた。
(山田の秘密を、守るつもりなのか?)
(それとも、ただの傍観者か?)
答えは、出なかった。
佐々木は、煙草を吸い終えて、立ち上がった。
(とにかく、山田の笑顔を守るには、俺が余計なことをしないのが一番だ)
(そうだ。俺は、ただの常連客。それでいい)
佐々木は、自分に言い聞かせるように、心の中でつぶやいた。
袋を提げ直して、駐車場を後にする。
帰り道、住宅街の窓から、家族団らんの明かりが漏れていた。どこかの家から、夕食の匂いがする。
(俺の家には、誰もいないけど)
佐々木は、空を見上げた。月が、薄い雲に隠れていた。
(でも、今日は、ちょっとだけ)
(心臓が、うるさかった)
アパートに着いたのは、十時を少し回った頃だった。
佐々木の部屋は二階の角部屋。六畳一間の、古いアパートだ。家賃は五万二千円。築三十年で、風呂は狭いし、壁は薄い。でも、一人で暮らすには十分だった。
「ただいま」
誰もいない部屋に、声が吸い込まれていく。
佐々木は電気をつけた。蛍光灯が、しんとした部屋を照らし出す。テーブルの上には、今朝出しっぱなしにしたコーヒーカップ。洗濯物は、カゴに積んだまま。
(明日、やろう)
毎日そう思って、毎日やらない。
佐々木は背広を脱いで、ワイシャツのボタンを外した。買ってきた弁当をテーブルに置く。缶ビールを開けて、一口飲んだ。
「うまい」
チキン南蛮弁当とビール。それから、おかき。
(これが、俺の幸せ)
そう思うと、ちょっと悲しくなった。
佐々木は、スマホを取り出した。
田山からのLINEは、来ていなかった。
(今日は、店長が来たから、田山は来なかったのか)
(それとも、時間がずれただけか)
佐々木は、スマホをテーブルに置いた。
(店長の言ってたこと)
(「うちの山田が、世話になってるね」)
(「無味乾燥な夜勤には、持ってこいのエンタメだ」)
佐々木は、天井を見上げた。
(山田の笑顔を、守りたい)
その気持ちが、胸の奥で、はっきりと形を持ち始めていた。
(俺は、山田の笑顔を守りたい)
(田山の素顔も、守りたい)
(でも、店長は、どこまで知ってるんだ?)
(店長は、敵か? 味方か?)
佐々木は、目を閉じた。
(分からない)
(でも、一つだけ、分かることがある)
(俺は、明日も、二番レジに並ぶ)
(そして、閉店後の喫煙所で、煙草を吸う)
(田山が来るかどうかは、分からないけど)
佐々木は、ゆっくりと息を吐いた。
部屋の外では、秋の虫が鳴いていた。
その音が、やけに遠く聞こえた。
翌日。
山田は、フレッシュマート加野店のバックヤードで、エプロンの紐を結んでいた。
午前九時。開店前の、静かな時間。
休憩室には、山田の他に、青果部門のパートの女性が一人、お茶を飲んでいるだけだった。
山田は、ロッカーから名札を取り出して、胸元に付けた。
「山田」
その文字を見て、小さく息を吐く。
(今日も、山田をやる)
山田は、鏡の前で、髪を整えた。黒い髪を後ろで一つにまとめて、ピアスの穴を絆創膏で隠す。首もとのほくろは、チョーカーで覆う。
(よし)
完璧な、山田の完成だった。
山田は、売り場に出た。
開店前の店内は、静かで、冷たい空気が満ちている。商品棚はきれいに整えられ、床は磨かれていた。
山田は、レジの前に立って、深呼吸した。
(今日も、笑顔で)
(誰に対しても、平等に)
(完璧な接客を)
それが、山田の仕事だった。
開店と同時に、客がぽつぽつと入ってくる。
山田は、笑顔で「いらっしゃいませ」と声をかけた。
午前中は、主婦層の客が多い。山田は、手際よくレジを打ち、丁寧に商品を袋に詰めていく。
「ありがとうございました」
その繰り返し。
でも、山田は、その仕事が嫌いではなかった。
(笑顔でいると、自分も少し、明るくなれる気がする)
(まあ、全部、演じてるんだけど)
山田は、心の中で、こっそりと舌を出した。
午後二時。
山田は、休憩室で、持参したおにぎりを食べていた。
「山田さん、お疲れ様」
青果部門のパートの女性が、声をかけてきた。
「お疲れ様です」
山田は、にこりと笑った。
「山田さんって、いつも笑顔だよね。疲れないの?」
「いえ、全然。接客は好きなので」
山田は、さらりと答えた。
(疲れないわけ、ないじゃん)
(でも、そう言っとけば、角が立たない)
山田は、おにぎりを頬張りながら、心の中でつぶやいた。
午後五時。
夕方の混雑時間。レジには、長い列ができていた。
山田は、笑顔を絶やさず、テキパキとレジを打ち続ける。
「お待たせいたしました」
「ポイントカードはお持ちですか?」
「ありがとうございました」
その繰り返し。
(今日も、一日、終わる)
(あと数時間で、田山に戻れる)
山田は、心の中で、そう思った。
そのとき。
「あ、どうも」
聞き覚えのある声。
山田は、顔を上げた。
佐々木が、レジの前に立っていた。
(あ、佐々木さん)
山田の心臓が、ほんの少し、跳ねた。
「お疲れ様です。いつもありがとうございます」
山田は、笑顔で言った。
(昨日は、店長に何か言われたのかな)
(大丈夫だったかな)
山田は、佐々木の顔を、ちらりと見た。
佐々木は、いつも通り、少し緊張した顔で、カゴをレジ台に置いた。
「お弁当、温めますか?」
「いや、大丈夫です」
「かしこまりました」
山田は、商品をスキャンしながら、考えた。
(この人、私が山田でも田山でも、態度が変わらない)
(他のお客さんは、山田の私にしか会わない)
(でも、佐々木さんは、田山の私にも会ってる)
(なのに、山田の私にも、田山の私にも、同じように接してくる)
(それが、なんだか、くすぐったい)
山田は、袋に商品を詰めながら、心の中で、そう感じていた。
「千二百四十六円です」
「あ、はい」
佐々木が、小銭をトレーに置く。
山田は、その小銭を受け取りながら、思った。
(この人、私のことを、別人として扱わない)
(山田も田山も、同じ私だって、分かってるみたいに)
(でも、気づいてる素振りは、見せない)
(それが、なんだか、不思議で)
(嬉しいような、怖いような)
山田は、レジを打ちながら、小さく息を吐いた。
「ありがとうございました。またお越しくださいませ」
「どうも」
佐々木が、袋を受け取って、去っていく。
山田は、その背中を、少しだけ見送った。
(佐々木さんは、私の秘密を、知ってるのかな)
(知ってて、気づかないふりをしてるのかな)
(それとも、本当に気づいてないのかな)
山田には、分からなかった。
でも、一つだけ、確かなことがあった。
(佐々木さんに、山田の私を見られるのは、嫌じゃない)
(田山の私を見られるのも、嫌じゃない)
(それが、なんだか、変な感じ)
山田は、次の客に笑顔を向けた。
「いらっしゃいませ」
(私、どうしちゃったんだろ)
山田は、心の中で、そうつぶやいた。
午後十時。
閉店後のフレッシュマート加野店。
山田は、バックヤードで、エプロンを外した。
髪を下ろす。ピアスの絆創膏を剥がす。チョーカーを外す。
(ふう)
田山に戻る瞬間。
山田は、ロッカーから、黒いカーディガンを取り出して、羽織った。
(今日も、佐々木さん、来るかな)
田山は、心の中で、そう思った。
でも、今日は、店長の後藤が、事務所に残っている。
(店長、まだいる)
田山は、事務所の前を通りかかって、ちらりと中を見た。
後藤が、デスクに向かって、書類を眺めていた。
「お疲れ様です」
田山は、声をかけた。
後藤が、顔を上げた。
「ああ、お疲れ。帰るのか?」
「はい。……あの、店長」
田山は、少し迷ってから、口を開いた。
「昨日、佐々木さんと、何か話しましたか?」
後藤は、無表情のまま、田山を見た。
「何かって?」
「いえ、その、別に……」
田山は、言葉を濁した。
後藤は、加熱式タバコを取り出して、電源を入れた。
「あの男は、悪い客じゃない」
「え?」
「だから、安心しろ。私は、別に、お前たちの邪魔をするつもりはない」
後藤は、煙を吸い込んで、吐き出した。
田山は、後藤の顔を見つめた。
(店長は、やっぱり、気づいてる)
(私と佐々木さんのことを、知ってる)
(でも、邪魔はしないって、言ってくれてる)
田山は、ほっとしたような、でも、恥ずかしいような、複雑な気持ちになった。
「……ありがとうございます」
田山は、小さく頭を下げた。
後藤は、何も言わず、加熱式タバコをふかし続けた。
田山は、店の裏口から外に出た。
夜風が、髪を揺らす。
駐車場の北西の角。灰皿スタンドと、ベンチ。
佐々木が、いた。
ベンチに座って、煙草を吸っている。
田山の心臓が、跳ねた。
(来てた)
田山は、ゆっくりと、佐々木の隣に歩いていった。
「おじさん、今日も来たんだ」
佐々木が、顔を上げた。
「あ、田山さん」
佐々木は、少し慌てたように、煙草を灰皿に押し付けた。
「何、慌ててるの?」
田山は、佐々木の隣に座った。
「別に、慌ててないですよ」
「嘘。顔、赤いよ」
田山は、にやりと笑った。
「……赤くないです」
佐々木は、顔を背けた。
田山は、ピアニッシモ・メンソールを取り出して、火をつけた。
「ねえ、おじさん」
「なんですか」
「昨日、店長に何か言われた?」
田山は、煙を吐き出しながら、聞いた。
佐々木は、少し黙ってから、答えた。
「……いや、別に、大したことは」
「嘘。店長、私に言ったもん。佐々木君は悪い客じゃないって」
「えっ」
佐々木が、田山の顔を見た。
「店長、そう言ってたんですか?」
「うん。だから、安心しろって」
田山は、煙草の灰を、灰皿に落とした。
「店長は、私のことも、おじさんのことも、見てるんだよ。でも、邪魔はしないって」
「……そうですか」
佐々木は、ほっとしたように、息を吐いた。
「よかった」
「何が?」
「いや、その、何というか」
佐々木は、言葉を探した。
「田山さんに、迷惑がかかってないか、心配だったんで」
田山は、佐々木の顔を見た。
(この人、私の心配をしてくれてる)
(山田の私のことも、田山の私のことも)
田山の胸の奥が、じわりと温かくなった。
「……おじさんって、ほんと、お人好しだよね」
田山は、笑った。
「お人好しって、褒めてないでしょ、それ」
「褒めてるよ。すごく」
田山は、煙草を吸い込んだ。
(この人と話してると、素の私でいられる)
(山田の私も、田山の私も、どっちも私だって、分かってくれてる)
(それが、すごく、心地いい)
田山は、空を見上げた。
月が、雲の間から、顔を出していた。
「ねえ、おじさん」
「はい?」
「私、明日も、夜勤なんだ」
「あ、そうなんですか」
「うん。だから、また、ここで会えるかもね」
田山は、佐々木に、にこりと笑いかけた。
佐々木は、その笑顔に、一瞬、見とれた。
「……そうですね」
佐々木は、照れたように、うつむいた。
田山は、そんな佐々木を見て、くすりと笑った。
(やっぱり、おじさんは、面白い)
(でも、嫌いじゃない)
(ううん、むしろ)
田山は、心の中で、そうつぶやいた。
(好き、かも)
その言葉が、心に浮かんで、田山は、自分で驚いた。
(え?)
(今、私、好きって思った?)
田山は、煙草を吸う手を止めた。
(佐々木さんのことを?)
(四十五歳のおじさんのことを?)
田山は、自分の心臓が、ドキドキと音を立てているのに気づいた。
(嘘でしょ)
(私、佐々木さんのこと、好きなの?)
田山は、煙草を灰皿に押し付けた。
「……帰るね」
田山は、立ち上がった。
「え、あ、お疲れ様です」
佐々木が、慌てて言った。
「おじさんも、お疲れ様」
田山は、背を向けて、歩き出した。
(やばい)
(心臓が、うるさい)
(佐々木さんの顔、まともに見られない)
田山は、足早に、駐車場を後にした。
振り返らなかった。
振り返ったら、何かが、変わってしまいそうな気がした。
佐々木は、ベンチに座ったまま、田山の背中が消えていくのを見ていた。
(田山さん、どうしたんだ?)
(急に帰っちゃった)
佐々木は、煙草の箱を取り出した。
残り一本。
(まあ、いいか)
佐々木は、最後の一本に火をつけた。
(今日は、店長のことも、田山さんのことも、色々あったな)
(でも、悪い日じゃなかった)
佐々木は、煙を吐き出しながら、空を見上げた。
月が、雲の間から、ぼんやりと光っていた。
(山田の笑顔を、守りたい)
(田山の素顔も、守りたい)
(そのために、俺は、何ができるんだろう)
佐々木は、煙草を吸い終えて、立ち上がった。
(とりあえず、明日も、二番レジに並ぼう)
(そして、閉店後の喫煙所で、煙草を吸おう)
(田山さんが、来るかどうかは、分からないけど)
佐々木は、袋を提げて、駐車場を後にした。
帰り道、秋の虫が、あちこちで鳴いていた。
その音が、今日は、少しだけ、優しく聞こえた。
佐々木は、アパートに着いて、部屋の電気をつけた。
スマホをチェックする。
田山からのLINEは、来ていなかった。
(まあ、そうだよな)
佐々木は、スマホをテーブルに置いた。
(でも、明日、会えるかもしれない)
(店長は、邪魔しないって言ってたし)
佐々木は、天井を見上げた。
(山田の笑顔を、守りたい)
その気持ちは、もう、はっきりと、佐々木の胸の中にあった。
(でも、それは、俺のわがままなのかもしれない)
(俺が、山田の笑顔に、癒されてるだけなのかもしれない)
佐々木は、目を閉じた。
(それでも、守りたい)
(あの笑顔を、なくしたくない)
佐々木は、ゆっくりと、息を吐いた。
部屋の外では、秋の虫が、まだ鳴いていた。
その音が、佐々木の心臓の音と、重なって聞こえた。Noveliaとは?
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