スーパーSの裏で恋を吸うふたり
45歳・独身・疲れ切ったサラリーマンの佐々木。唯一の癒しは、スーパーSのレジで見せる新人パート・山田さんの完璧な笑顔。空いてるレジを無視して毎日二番レジに並ぶ、ちょっと不器用な日々。
だがある夜、閉店後の従業員喫煙所で出会ったのは——髪を下ろし、ピアスを揺らし、メンソール煙草を器用に咥える、素の彼女「田山」だった。
「おじさん、なんで空いてるのに二番レジに並ぶの?」
見透かすような笑顔。からかうような口調。でも、耳が少し赤くて。
「山田」と「田山」。二つの顔を持つ彼女に、佐々木は気づかないふりを決める。それが一番いいと思ったから。
でも、心臓は正直で——。
閉店後の喫煙所から始まる、じれったくてほろ苦い、大人のラブコメ。四十五歳、恋の吸い方はまだ分からない。
スーパーSの裏で恋を吸うふたり - 視察の嵐と、こぼれた本音
元気商事郊外支店の給湯室。
古い蛍光灯が、白っぽい光を落としている。壁には「省エネにご協力ください」と書かれた色あせた張り紙。その下の流し台で、佐々木は自分のマグカップを洗っていた。
(今日は、視察の日だ)
頭の片隅から、そのことが離れない。
「おい、佐々木」
後ろから声がした。振り返るより先に、鈴木が隣に立つ。黒髪を七三分けにした、営業マンらしい髪型。人懐っこい茶色の瞳が、悪戯っぽく細められている。左手の結婚指輪が、蛍光灯の光を反射した。
「ああ、鈴木か」
佐々木はマグカップを水切り籠に置いた。
「なんだよ、またぼーっとして。どうせ、あのスーパーの店員さんのことでも考えてたんだろ」
鈴木が、にやにやしながら言った。
「な、なんで、そうなるんだよ」
佐々木の声が、裏返りそうになる。
「お前、最近、スーパーの話ばっかじゃん。この前だって、かきもちの新商品が出たとか、レジの人が替わったとか。こないだの飲み会でも、ずっとその話してたぞ」
鈴木は、佐々木の肩を軽く叩いた。
「まさか、店員さんに惚れてるんじゃないだろうな」
佐々木の顔に、じわっと熱が集まる。
「ち、違う! そういうのじゃないんだ! ただ、その、あの店は、仕事帰りに寄りやすくて……」
「へえ、そうかよ」
鈴木の笑みが、深くなる。
「顔に書いてあるぜ。お前、分かりやすすぎ」
鈴木の声は、給湯室の隅まで響いた。そこにいた他の同僚が、ちらりと佐々木を見る。一人が、小さく笑った。
(やめてくれ……)
佐々木は、逃げ出したい気持ちでいっぱいだった。
でも、鈴木の目を、まっすぐに見返す。
その瞳の奥に、ほんの少しだけ、本気の心配の色があることに、佐々木は気づいた。
(こいつは、いつもそうだ)
(からかうけど、本気で、俺のことを心配してる)
佐々木の胸の奥が、くすぐったくなる。
「……まあ、何でもいいけどよ。あんまり入れ込みすぎるなよ。お前、昔から、真面目すぎるところあるから」
鈴木は、そう言って、給湯室を出て行った。
佐々木は、一人、給湯室に残された。
水音が、静かに響く。
(真面目すぎる、か)
佐々木は、自分の手を見た。
(俺は、田山さんを守れるんだろうか)
給湯室の窓の外は、曇り空だった。
雨が降り出す前の、重い空気。
佐々木は、深く息を吐いた。
___
その日の夕方。
佐々木は、元気商事郊外支店を出た。
空は、朝よりも暗くなっていた。雨はまだ降っていない。風が、少し冷たい。
佐々木の足は、自然と、フレッシュマート加野店へ向かっていた。
(後藤店長からは、来るなと言われた)
(でも、俺は、田山さんを守りたい)
(嘘をついてでも、守る)
ポケットの中の携帯灰皿を、指先でそっと撫でる。
田山に渡したものと同じ型の、佐々木自身の携帯灰皿。
その硬い感触が、佐々木の決意を、静かに支えていた。
___
フレッシュマート加野店。
自動ドアを抜けると、店内の空気が、いつもと違った。
ピリピリと張り詰めた、独特の緊張感。
(視察員が、来てるのか)
佐々木は、カゴを手に取った。
店内を、ゆっくりと歩く。
視察員は、二人いた。
一人は、スーツを着た四十代くらいの男性。手に、クリップボードを持っている。
もう一人は、同じくスーツ姿の、若い女性。男性の後ろに控えて、店内を見回していた。
(あれが、本社の視察員か)
佐々木は、二人から少し離れた場所から、様子を窺った。
視察員の男性が、レジの前で足を止めた。
「接客態度のチェックを始めます」
男性の声は、店内に、やけに大きく響いた。
二番レジには、山田がいた。
黒い髪を後ろで一つにまとめ、緑色のエプロンをきちんと着ている。胸元の名札は「山田」。
「いらっしゃいませ」
山田の声が、店内に軽やかに響いた。
白髪の男性客に、にこりと笑いかける。
その笑顔は、いつも通り、完璧だった。
「ポイントカードはお持ちですか?」
「あ、はい」
山田が、カードを受け取り、素早く読み取る。
「ありがとうございます。本日は、こちらの商品がお買い得になっております」
山田が、レジ横のチラシを指さした。
視察員の男性が、クリップボードに何かを書き込む。
(すごい。完璧だ)
佐々木は、心の中で呟いた。
(山田さんは、本当に、すごい店員だ)
(あの笑顔は、作り物なのに、作り物に見えない)
佐々木は、胸の奥が、じわりと温かくなるのを感じた。
でも、その温かさは、すぐに冷たくなった。
視察員の男性が、後藤店長の方を向いた。
「店長、少しお聞きしたいことがあるのですが」
後藤は、店の奥から、無表情で歩いてきた。
黒い髪のショートボブ。切れ長の黒い瞳。口元のほくろ。手には、加熱式タバコのデバイス。
「何でしょう」
後藤の声は、相変わらず、感情の読めない、低い声だった。
「先日、閉店後に、ここの裏で、従業員らしき人物が喫煙していたと、本社に通報がありました。あれは、誰ですか」
視察員の男性の声が、店内に、冷たく響いた。
佐々木の背中を、冷たいものが走り抜けた。
(来た)
(やっぱり、来た)
佐々木は、二番レジの山田を見た。
山田の顔から、血の気が引いていくのが、はっきりと分かった。
山田は、手を止めた。
笑顔が、消えた。
(山田さん……)
佐々木の心臓が、早鐘を打つ。
後藤は、視察員の男性を、じっと見返した。
「確認しておりません」
後藤の声は、揺るがなかった。
「確認していない? 通報には、若い女性の従業員が、喫煙していたと、はっきり書かれていましたよ」
視察員の男性が、一歩、後藤に近づいた。
「店長、隠しても無駄ですよ。従業員の喫煙は、マナー違反どころか、コンプライアンス上の重大な問題です」
男性の声が、さらに大きくなる。
店内の客が、ちらちらと、後藤たちを見始めた。
山田は、唇を噛みしめている。
その目が、今にも泣き出しそうに、潤んでいた。
(ダメだ)
(このままじゃ、山田さんが、追い詰められる)
佐々木の体は、考えるより先に、動いていた。
「あ、あの!」
佐々木の声が、店内に響いた。
視察員の男性と、後藤が、同時に佐々木を見る。
山田も、佐々木を見た。
その目は、驚きに見開かれている。
「……君は?」
視察員の男性が、怪しむような目で、佐々木を見た。
「あ、あの、俺です。常連客の、佐々木と申します。その、裏で、吸わせてもらってたのは、俺です」
佐々木の声は、震えていた。
「俺が、店の裏で、煙草を吸わせてもらってたんです。従業員の人に、お願いして。だから、従業員の人は、悪くないんです」
佐々木は、一気に、そう言った。
心臓が、口から飛び出しそうだった。
視察員の男性は、じっと、佐々木の顔を見た。
「……本当ですか? 店の裏は、従業員専用の喫煙所ですよ。客が、入っていい場所ではありません」
「す、すみません。俺が、どうしても、煙草を吸いたくて。ここは、分煙がしっかりしてて、綺麗だから。従業員の人に、頼み込んで、入れてもらってたんです。本当に、申し訳ありませんでした」
佐々木は、頭を下げた。
視察員の男性は、しばらく、佐々木を見下ろしていた。
それから、クリップボードに、何かを書き込んだ。
「……分かりました。今回は、記録に留めるだけにしておきます。ただし、今後、このようなことがあれば、店全体の評価に影響しますからね」
男性は、そう言って、後藤に背を向けた。
「視察を続けます」
男性と女性の視察員は、青果コーナーの方へ歩いていった。
佐々木は、その場に、立ち尽くした。
(終わった……のか?)
足が、震えていた。
手のひらに、じっとりと汗をかいていた。
「……君」
後藤が、佐々木に、小さく声をかけた。
「店長……」
「後で、話がある」
後藤は、それだけ言って、店の奥へ消えた。
佐々木は、二番レジの山田を見た。
山田は、レジに手をついて、うつむいていた。
肩が、小さく震えている。
(山田さん……)
佐々木は、声をかけようとした。
でも、声が出なかった。
___
視察員が、店を出て行ったのは、それから一時間ほど後のことだった。
店内に、ほっとした空気が流れた。
佐々木は、買い物を済ませて、店の外に出た。
空は、すっかり暗くなっていた。
雨は、まだ降っていなかった。
佐々木は、店の裏手へ回った。
駐車場の北西の角。
灰皿スタンドが二つと、ベンチが一台。
フェンス越しに、住宅街の明かりが、ぽつぽつと見える。
佐々木は、ベンチに座った。
ポケットから、煙草の箱を取り出す。
メビウス・プレミアム。
一本を口にくわえて、百円ライターで火をつける。
「……はあ」
煙を、肺に吸い込んで、ゆっくりと吐き出す。
(俺は、嘘をついた)
(山田さんを守るために、嘘をついた)
(これで、良かったのか?)
佐々木は、煙草の煙が、夜風に流されていくのを見た。
そのとき。
店の裏口のドアが、開く音がした。
佐々木が振り返ると、そこには、田山が立っていた。
髪を下ろし、耳に小さなシルバーピアス。
勤務中の山田とは、まるで別人の姿。
田山は、無言で、佐々木の隣に座った。
「……煙草、もらってもいい?」
田山の声は、かすれていた。
「あ、ああ、どうぞ」
佐々木は、煙草の箱を差し出した。
田山は、一本取り出して、自分のライターで火をつけた。
ピアニッシモ・メンソールの、甘い香りが、夜の空気に溶けていく。
二人の間に、沈黙が流れた。
田山が、煙を、深く吸い込む。
それから、ゆっくりと、吐き出した。
「……なんで」
田山が、ぽつりと言った。
「え?」
「なんで、そこまでしてくれるんですか」
田山が、佐々木の方を向いた。
その目は、真剣だった。
「佐々木さんは、ただの、お客さんです。なのに、なんで、あんな嘘までついて、私を、かばってくれるんですか」
田山の声が、震えていた。
「なんで、私の、笑顔なんかを、守ろうとしてくれるんですか」
田山の瞳に、涙が、浮かんでいた。
佐々木は、田山の目を、まっすぐに見た。
(言わなきゃ)
(今、ちゃんと、言わなきゃ)
佐々木は、煙草を、灰皿に押し付けた。
「……君の、笑顔を、なくしたくないんだ」
佐々木の声は、自分でも驚くほど、はっきりとしていた。
「山田さんの、あの、完璧な笑顔も。田山さんの、ここで見せる、素の笑顔も。俺は、どっちも、なくしたくない。だから、あんな嘘を、ついたんだ」
田山は、目を見開いた。
「……私の、笑顔を?」
田山の声が、小さく震えた。
「ああ。君の笑顔は、俺の、心の支えなんだ。あの笑顔があるから、俺は、毎日、仕事を頑張れる。そう、思ってる」
佐々木は、自分の言葉に、自分で、恥ずかしくなった。
(何を、言ってるんだ、俺は)
(四十五歳の、おっさんが)
(二十四歳の、女の子に)
佐々木は、うつむいた。
田山は、何も言わなかった。
ただ、じっと、佐々木の横顔を見ていた。
「……帰ります」
田山が、立ち上がった。
「あ、ああ……」
佐々木が、顔を上げる。
田山は、背を向けていた。
「おじさん」
田山が、振り返らずに、言った。
「……ありがとう」
その声は、泣いているようにも、聞こえた。
田山は、そのまま、夜の闇の中へ、歩き去っていった。
佐々木は、ベンチに座ったまま、田山の背中が見えなくなるまで、見送った。
(ありがとう、か)
佐々木は、空を見上げた。
厚い雲が、月を、隠していた。
___
その夜。
田山は、一人、喫煙所に戻ってきていた。
ベンチに座り、煙草に火をつける。
ピアニッシモ・メンソール。
甘い煙を、肺に、深く吸い込む。
「……なんで、泣いてるんだろ」
田山は、自分の頬を、涙が伝っていることに、気づいた。
「佐々木さんは、私の笑顔が、心の支えだって、言った」
田山は、煙を吐き出した。
「あれは、客としての、言葉なの?」
「それとも、私自身に、向けられた、言葉なの?」
田山は、携帯灰皿を、ポケットから取り出した。
佐々木から、もらった、携帯灰皿。
銀色の、小さな箱。
「分かんないよ……」
田山の声が、夜の静けさに、溶けていった。
涙が、止まらなかった。
___
喫煙所の入り口に、人影が、現れた。
後藤だった。
無表情で、手には、加熱式タバコのデバイス。
後藤は、何も言わずに、田山の隣に、座った。
加熱式タバコのスイッチを入れ、深く吸い込む。
薄い煙が、夜風に、流れた。
「……店長」
田山が、小さく、呟いた。
「私、迷惑、かけちゃったかな」
田山の声は、涙で、くぐもっていた。
後藤は、田山の方を、ちらりと見た。
「あんたは、何も悪くない」
後藤の声は、相変わらず、無表情だった。
「ただ、あの常連さんがついた嘘は、あんたを守るための嘘だ。それだけは、忘れないでやりな」
後藤は、そう言って、また、加熱式タバコを吸った。
田山は、後藤の言葉を、胸の中で、繰り返した。
(あの嘘は、私を守るための嘘)
(分かってる。分かってるけど)
(だから、余計に、苦しい)
田山は、煙草を、灰皿に押し付けた。
___
翌日。
佐々木は、元気商事郊外支店に出勤した。
自分のデスクに座ると、隣の席の同僚が、話しかけてきた。
「佐々木さん、昨日の話、聞きましたよ」
「え? 昨日の話?」
「ほら、佐々木さんが、スーパーの店員さんを、かばったって話。かっこいいじゃないですか」
同僚は、にこにこしながら、言った。
「え、なんで、それを……」
佐々木は、驚いた。
「鈴木さんが、話してましたよ。『佐々木の奴、ついにやったぜ』って」
(鈴木……あいつ……)
佐々木は、頭を抱えた。
そのとき。
「おいおい、佐々木。お前、朝から、店員さんとのラブストーリーを、部署中に広めてるらしいじゃないか」
鈴木が、佐々木のデスクに、やってきた。
「お前、何を、吹聴してるんだよ!」
佐々木は、声を潜めて、怒った。
「いやあ、だって、お前の、あの勇姿を、みんなに教えてあげようと思ってさ。お前、普段、ああいうこと、絶対しないだろ? だから、よっぽど、あの店員さんのことが、好きなんだなって」
鈴木は、悪びれもせずに、笑った。
「違う! そういうんじゃない!」
「はいはい、分かってるって。でも、お前の、あの嘘、かっこよかったって、皆、言ってるぞ。『佐々木さん、意外とやるじゃん』って」
鈴木は、佐々木の肩を、ぽんぽんと叩いた。
佐々木は、ため息をついた。
(違うんだ)
(俺は、ただ、田山さんを、守りたかっただけなんだ)
(でも、俺の嘘が、こんな風に、噂になって)
(もしかしたら、田山さんを、もっと、追い詰めてしまったんじゃないか)
佐々木の胸に、暗い不安が、広がっていった。
___
その日の夜。
佐々木は、フレッシュマート加野店の、裏口喫煙所にいた。
ベンチに座り、煙草に火をつける。
メビウス・プレミアム。
(田山さん、来るかな)
佐々木は、店の裏口を、ちらりと見た。
ドアは、閉まったままだった。
佐々木は、煙を、深く吸い込んだ。
(昨日の、俺の言葉)
(田山さんを、傷つけてしまったんじゃないか)
(『君の笑顔を、なくしたくない』なんて)
(あんなの、ただの、客の、わがままだ)
佐々木は、煙草を、灰皿に押し付けた。
そのとき。
店の裏口のドアが、開いた。
佐々木は、心臓が、跳ねるのを感じた。
(田山さん……!)
でも、出てきたのは、田山ではなかった。
後藤だった。
「……店長」
佐々木の声が、落胆で、沈んだ。
「山田は、今日は休みだ」
後藤は、無表情で、そう言った。
「……休み、ですか」
「ああ。体調不良で、休むと、連絡があった」
後藤は、加熱式タバコを取り出し、火をつけた。
「そう、ですか……」
佐々木は、うつむいた。
(体調不良)
(やっぱり、俺のせいだ)
(俺の言葉が、田山さんを、追い詰めたんだ)
佐々木の胸が、ぎゅっと、締め付けられた。
「……あんた、何か、余計なことを、考えてるんじゃないだろうな」
後藤が、佐々木を見た。
「え……」
「あんたの、あの嘘は、間違ってなかった。私は、そう思う」
後藤の声は、静かだった。
「でも、山田が、どう受け止めたかは、私にも、分からない。それは、あんたと、山田の問題だ」
後藤は、それだけ言うと、加熱式タバコを、灰皿に捨てた。
「おやすみ」
後藤は、店の中へ、戻っていった。
佐々木は、一人、喫煙所に残された。
(俺と、田山さんの、問題)
佐々木は、ポケットから、スマホを取り出した。
田山との、LINEのトーク画面を、開く。
最後のやり取りは、視察の前日のものだった。
佐々木は、指で、文字を打ち始めた。
『やまださん、きのうは、ごめんなさい。おれの、へんな、はなしの、せいで、きぶんを、わるく、させて、しまったんじゃ、ないかと、おもって』
(違う)
(何だ、この、誤字だらけの、文章は)
佐々木は、打った文字を、全部、消した。
『田山さん、昨日は、勝手なことを言って、すみませんでした。もし、気分を悪くしたなら、謝ります』
(これも、なんか、違う)
(事務的すぎる)
佐々木は、また、文字を消した。
『田山さん、体調は、大丈夫ですか。無理しないで、ゆっくり休んでください』
(いや、そうじゃない)
(俺が、言いたいのは、そういうことじゃない)
佐々木は、スマホの画面を、じっと見つめた。
指先が、震える。
(俺は、田山さんに、何を、伝えたいんだ?)
(謝りたいのか?)
(それとも、あの言葉の、本当の意味を、伝えたいのか?)
佐々木は、何度も、文字を打っては、消した。
打っては、消した。
結局、佐々木は、メッセージを、送ることができなかった。
スマホの画面が、暗くなる。
佐々木は、スマホを、ポケットにしまった。
(俺は、やっぱり、不器用だ)
(何も、伝えられない)
佐々木は、新しい煙草に、火をつけた。
メビウス・プレミアム。
煙を、肺に、深く吸い込む。
(田山さん、今、どうしてるかな)
(一人で、泣いてるんじゃないか)
佐々木は、空を見上げた。
厚い雲が、空を、覆っていた。
月は、見えなかった。
佐々木は、煙草を、灰皿に押し付けた。
そして、もう一度、スマホを取り出した。
画面を、タップする。
(……送れない)
(でも、送らなきゃ)
(田山さんに、伝えなきゃ)
佐々木は、震える指で、文字を打ち始めた。
『田山さん』
そこまで打って、指が、止まった。
(何を、書けばいいんだ)
(俺は、田山さんに、何を、伝えたいんだ)
佐々木は、スマホの画面を、じっと見つめた。
夜風が、佐々木の髪を、揺らした。
冷たい風だった。
佐々木は、スマホの画面を、消した。
そして、立ち上がった。
(今日は、もう、帰ろう)
佐々木は、駐車場を、後にした。
ポケットの中の、スマホが、重かった。
田山に、何も、伝えられなかった。
そのことが、佐々木の胸に、重く、のしかかっていた。
___
佐々木は、アパートに、帰り着いた。
部屋の電気をつける。
何もする気になれず、ベッドに、倒れ込んだ。
天井を、見つめる。
(田山さんは、今、何を、考えてるんだろう)
(俺の言葉を、どう、受け止めたんだろう)
佐々木は、目を閉じた。
田山の、泣きそうな顔が、浮かんだ。
(俺は、田山さんを、守りたかった)
(でも、俺のせいで、田山さんを、傷つけてしまった)
(俺は、どうすれば、良かったんだ)
佐々木は、眠れない夜を、過ごした。
窓の外では、雨が、降り始めていた。
静かな、雨音だった。
佐々木は、その雨音を、聞きながら、朝まで、ずっと、田山のことを、考えていた。Noveliaとは?
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