サイタマの休日〜戦慄のタツマキ、恋に落ちる〜
サイタマの休日〜戦慄のタツマキ、恋に落ちる〜
サイタマにとってヒーローランキングなどどうでもいい。今日はスーパーの特売を狙う、ただそれだけの日だった。しかし、静かな休日は玄関のチャイムによって打ち砕かれる。そこに立っていたのは、ほかならぬ戦慄のタツマキだった。普段は「ハゲ」と得意げに呼んでくる、あの小さなエスパーが、今は顔を真っ赤にして、もじもじとしている。
「あんたのせいで、あたしの頭がおかしくなったんだから!」
またもや彼女の超能力が暴走したおかげで、サイタマは突然、彼女の心を読めるようになってしまう。そして、その頭の中を覗いてみれば、自分に向けられた、病的で、支離滅裂で、そしてひどく淫らな感情の奔流があった。彼の平和で退屈な日常は、瞬く間に過去のものとなる。
しかし、面倒事はそれだけでは終わらなかった。妹である地獄のフブキが、姉の奇妙な行動に気づいたのだ。そして、タツマキの恋の相手が、自分が吹雪組に勧誘しようとしていたまさにその男だと知るや、フブキの長年の姉妹対抗心が激しく燃え上がる。彼女はサイタマの心、そしてそれ以上を狙い、自ら動き出すことを決意する。
一方、狡猾なシ
サイタマの休日〜戦慄のタツマキ、恋に落ちる〜 - ピンポーンと崩れる平和——最強エスパーの秘めた叫び
金曜の夕方。
Z市の郊外にあるグリーンハイツZの一室、203号室に住むサイタマは、ちゃぶ台にかじりついていた。
手には三枚のチラシ。マルゼンZ市店の特売情報だ。
「……豚こま百グラム、六十八ゼニーか。先週より三ゼニー安いな」
真剣な目つきでチラシをにらむ。無表情な顔に、深い茶色の瞳だけがわずかに輝いている。短く刈り込んだ黒髪、黄色いジャージに白いマント姿。一見するとどこにでもいる普通の男だ。
窓の外を見やる。
廃墟が広がっていた。崩れたビル、ひび割れた道路、打ち捨てられた車。かつては繁華街だった場所が、怪人災害で空洞化してゴーストタウンになった。ここに住んでいるのは俺と隣のキングくらいなものだ。
でも家賃が月一万二千ゼニー。
文句を言える立場じゃない。
俺はヒーロー協会に登録しているプロヒーローだ。ランクは今はB級。ランクはS、A、B、Cの四段階。S級は全部で十七人しかいないエリートで、超法規的な権限を持っているらしい。C級は週に一度の活動義務があるだけの薄給だ。
まあ、S級が偉いんだかどうだか知らないけど、俺は特売に間に合えばそれでいい。
怪人を一発で倒せる強さがあっても、心はまったく満たされない。でも、特売の豚こまをゲットした時の小さな達成感は、けっこう悪くない。
そう思いながらチラシをめくった。
ピンポーン。
間の抜けた電子音が部屋に響く。
「ん?」
来客なんてめったにない。隣のキングがたまにゲームのコントローラーを借りに来るくらいだ。
サイタマは立ち上がり、玄関へ向かった。
ドアを開ける。
「……え」
そこに立っていたのは、小柄な少女。
ふわふわとカールしたエメラルドグリーンのツートーンロングヘア。鋭い金色の瞳。身長は百四十五センチくらいだろうか。黒いボディラインがはっきり出るドレスを着て、白い手袋をはめている。
戦慄のタツマキ。S級三位。最強のエスパー。
有名人だ。俺だって知っている。
でも、どうしてこんなボロアパートに。
そして何より——。
顔が、真っ赤だった。
「あ、タツマキさん。また怪人?」
いつもの無気力な声で聞く。
タツマキはふるふると首を振った。
「[angry]ち、違う!ちょっと……そのっ……」
言葉に詰まっている。
いつもの「アンタなんか眼中にない」みたいな毒舌が、まったく出てこない。モジモジと手を握ったり開いたりしている。スカートの裾をぎゅっとつかんだ。
(なんだ?風邪か?)
サイタマは首をかしげた。
タツマキの精神状態と超能力は、深く結びついている。彼女は幼い頃から孤独で、強さだけがすべてだった。心を固く閉ざして生きてきた。でも、初めて抱いた激しい恋心が、その制御を少しずつ崩し始めていた。
そして——。
「[scared]あんた最近なんか変なのよ!私がちょっとおかしくなるのはあんたのせいなんだから!」
彼女が声を張り上げた瞬間だった。
ザザザ、というノイズのような感覚。
そして、サイタマの脳内に、澄んだ声が流れ込んでくる。
『もっと……こっちを見てよ……あんただけでいいから……』
(え?)
『触れてほしい……あんたの手で……抱きしめて……』
サイタマは目を丸くした。
思念波だ。タツマキの超能力が、感情の動揺で暴走している。心の声が、そのまま俺だけに聞こえている。
でも、タツマキ本人は気づいていない。
「[angry]あんたなんか大嫌い!あんたみたいなハゲ、どこがいいのよ!」
『嫌い嫌い嫌い……でも……好き……』
「[angry]なんであんたなんだか、自分でもわからないし!」
『あんたの指が……私の頰に触れたら……どんな感じか……』
タツマキの口から出る罵倒と、心の奥底から漏れる甘いささやき。
そのギャップに、サイタマは思わず一歩、後ずさった。
(え、これ聞こえてんの俺だけ?マジか……)
サイタマの心の中は、ちょっとしたパニックだ。
無敵の拳で倒せない壁——他者の心。そんなものが、今、目の前に現れた。
「[surprised]あ、そっすか」
棒読みで返す。どうしていいか、まったくわからない。
『なんでこんなにドキドキするの……あんたのせいよ……全部あんたのせい……』
思念波は止まらない。
タツマキは顔を真っ赤にしたまま、キッとサイタマをにらみつける。
「[angry]何よ!なんかおかしい顔してる!別に来たくて来たわけじゃないし!」
『入る!絶対入る!あんたの部屋にいたい!』
心の声があまりにもストレートだ。
「……入ります?」
サイタマが聞くと、思念波が歓喜の声を上げる。
『入りたい!今すぐ!』
でも、口では——。
「[tsundere]べ、別にそういうわけじゃ……まあ、少しだけ」
タツマキはそっぽを向きながら、小さくつぶやいた。
部屋に上がったタツマキは、まじまじと室内を見回す。
チラシだらけのちゃぶ台。古いジャージが壁にかかっている。簡素を通り越して、何もない部屋だ。
「[surprised]ちょっと……あんた、ちゃんと生活してるの?」
『でも……あんたの匂いがする……落ち着く……』
思念波が甘く響く。
「してますけど」
サイタマは短く答えた。
(どうしろってんだこれ)
特売チラシを持ったまま、固まっている。
恋愛に鈍感で、面倒くさがりなサイタマにとって、これは未知の状況だ。無関心を装いたい。でも、こんなにストレートに想いをぶつけられて、無視できるものじゃない。
タツマキはちゃぶ台の前に座り込む。
「[gentle]……あんた、いつもこんなの読んでるの」
『豚こま……今夜はこれで何か作るのかな……私にも……いやいやいや、何考えてるの私!』
心の声がくるくると回る。
「[sad]……あのさ」
タツマキの声が少しだけ小さくなる。
「[serious]あんたって、なんでそんなに強いの?私、今まで誰にも負ける気がしなかったのに」
『あんただけは特別……だから、もっと……近くに……』
サイタマは少し考えた。
「……筋トレ」
「[angry]はぁ!?そんなわけないでしょ!どういう意味よそれ!」
『もう……ほんとバカ……でも、そういうとこが……』
思念波がかすかに震えている。
この拳では解決できない。
でも、この困惑も、ちょっとした刺激かもしれない。
無敵ゆえの退屈が、ほんの少しだけ揺らいでいるのを、サイタマは感じていた。
——
アパートの外の路地。
黒いコートで身を隠した地獄のフブキが、双眼鏡を構えていた。
黒髪に薄い青のグラデーションが入ったセミロング。クリアな水色の瞳が、冷たく細められる。身長は百六十センチ。姉よりもずっと大人びた雰囲気を持つ少女だ。
彼女はB級一位で、フブキグループのリーダー。サイタマの底知れない強さに目をつけ、スカウトしようと彼の生活圏を調査していた。
でも、まさか——。
「[surprised]なんで……お姉ちゃんが……?」
呟きが、かすかに震える。
双眼鏡のレンズ越しに見えるのは、顔を真っ赤にしてモジモジする姉の姿。
いつもよりも幼く見える仕草。
自分に向けられたことのない、柔らかな表情。
(サイタマをスカウトしようとしてたのに……よりによってお姉ちゃんの……?)
彼女自身、サイタマの誰にも媚びない態度に、密かに惹かれていた。
でも、姉がそこにいる。
昔から、超えてきたつもりだった。
でも、まだ届かないのかもしれない。
フブキは唇をかみしめた。
「[sad]……やってらんない」
双眼鏡を下ろし、路地の闇に姿を消す。
姉への劣等感と対抗心が、静かに燃え始めている。
◇
部屋の中では、まだ奇妙な応酬が続いていた。
「[angry]もう帰る!あんたの顔なんか見たくない!」
『いやもっといたい帰りたくないずっと一緒に——』
思念波がバグったように繰り返す。
「……気をつけて」
サイタマは短く言った。
タツマキはドアのところで立ち止まる。
「[whispers]……また、来るから」
口にしたのは一言だけ。
でも、思念波は最後までうるさかった。
『また来る。絶対来る。次はもっと長くいる。あんたの部屋にいたい。あんたの隣にいたい——』
ドアが閉まる。
部屋に静けさが戻る。
ちゃぶ台の上には、豚こまの特売チラシが、そのままだった。
サイタマは大きくため息をついた。
「……明日、スーパー、行けるかな」
窓の外を眺める。夕日が廃墟をオレンジ色に染めていた。
無敵の男の、ちょっとだけ騒がしい日常が、幕を開けようとしていた。