サイタマの休日〜戦慄のタツマキ、恋に落ちる〜
サイタマの休日〜戦慄のタツマキ、恋に落ちる〜
サイタマにとってヒーローランキングなどどうでもいい。今日はスーパーの特売を狙う、ただそれだけの日だった。しかし、静かな休日は玄関のチャイムによって打ち砕かれる。そこに立っていたのは、ほかならぬ戦慄のタツマキだった。普段は「ハゲ」と得意げに呼んでくる、あの小さなエスパーが、今は顔を真っ赤にして、もじもじとしている。
「あんたのせいで、あたしの頭がおかしくなったんだから!」
またもや彼女の超能力が暴走したおかげで、サイタマは突然、彼女の心を読めるようになってしまう。そして、その頭の中を覗いてみれば、自分に向けられた、病的で、支離滅裂で、そしてひどく淫らな感情の奔流があった。彼の平和で退屈な日常は、瞬く間に過去のものとなる。
しかし、面倒事はそれだけでは終わらなかった。妹である地獄のフブキが、姉の奇妙な行動に気づいたのだ。そして、タツマキの恋の相手が、自分が吹雪組に勧誘しようとしていたまさにその男だと知るや、フブキの長年の姉妹対抗心が激しく燃え上がる。彼女はサイタマの心、そしてそれ以上を狙い、自ら動き出すことを決意する。
一方、狡猾なシ
サイタマの休日〜戦慄のタツマキ、恋に落ちる〜 - 全部終わった夜——責任、取ってくれるんでしょ
地下の暗闇から、地上へ続く階段を上がる。
サイタマはタツマキの手を握ったままだった。彼女の指はまだ冷たくて、細かく震えている。でも、さっきより少しだけ、握り返す力が強くなった。
非常灯の青白い光が、階段の壁に二人の影を伸ばす。
「……離しなさいよ」
タツマキがぼそりと言った。声はまだ掠れている。
「別に」
サイタマは手を離さなかった。タツマキも、振りほどかなかった。
階段を上がりきる。厚い鉄扉を押し開けた瞬間——。
冷たい夜気が、一気に顔を叩いた。
A市のビル群が、月明かりの下に広がっている。深夜の街は静かだった。遠くでパトカーのサイレンがかすかに聞こえる。たぶん、さっきの揺れで通報が殺到したのだろう。
でも、それだけじゃなかった。
——ザッ。
無数の足音。
ビルの周囲を、黒い影が取り囲んでいた。
全身を覆う黒装甲。バイザーで顔を隠した、二十名以上の戦闘部隊が、銃口を二人に向けている。銃は特殊な形状をしていて、銃口に青白い光が灯っていた。
「[cold]対象二名を拘束。超能力者は装置で封じろ。男は——殺しても構わん」
リーダーらしき男の無機質な声。
タツマキが歯を食いしばった。エメラルドグリーンの髪が、かすかに逆立つ。体はまだ完全に回復していない。大規模な攻撃は無理だ。
サイタマは、タツマキの前に立った。
「[serious]俺がやる」
短く、それだけ言って。
部隊が一斉に発砲した。青白い光の弾丸が、夜の闇を切り裂いて押し寄せる——。
サイタマは、それを全部、見ていた。
一発一発の弾道が、スローモーションみたいに頭の中で線を描く。面倒くせえ。でも、後ろにはまだ立てない女がいる。
——ダンッ。
サイタマの姿が消えた。
次の瞬間、一番前にいた兵士が吹き飛んだ。地面にめり込む。黒装甲がひしゃげ、バイザーに亀裂が走る。二発目、三発目——拳を振るうたびに、兵士たちが壁に、地面に、ビルの外壁に叩きつけられていく。
「[angry]何だこいつは……!!」
悲鳴が上がる。
でも、サイタマだけでは追いつかない。部隊は数が多い。左右から回り込んでくる影がある。
その時——。
「[angry]……調子に乗るな!!」
タツマキが両手を突き出した。
残った超能力を絞り出す。全身が悲鳴を上げる。鼻の奥がツンと痛んで、一筋の血がこぼれた。でも、構わなかった。
——グワァン!!
空気が歪む。三体の兵士が、同時に宙に浮いた。手足をバタつかせる。そして、そのまま——。
「サイタマ!!」
タツマキが叫びながら腕を振る。兵士たちがサイタマの目の前に投げ飛ばされた。
サイタマは振り返らずに、拳を振り抜いた。
——ドゴッ、ドゴッ、ドゴッ!!
三発。全員、ビルの壁に埋まった。
「[angry]次!!」
今度は四体。サイタマがそれを空中で叩き落とす。また二体。壁にめり込む。
息が合っていた。
考えなくても、体が動く。タツマキが浮かせた敵を、サイタマがワンパンで沈める。その繰り返しが、流れるように続く。二人だけの、戦場のダンスみたいなものだった。
その時——サイタマの頭に、タツマキの思念波が流れ込んだ。
『……あんた……かっこいいとか思ってないから……絶対思ってないから……』
声は震えている。
サイタマは、無言で口元を少しだけ緩めた。
「[serious]うん」
一言だけ、空に向かってこぼす。
タツマキが、耳まで真っ赤になった。
「[angry]な、何がうんなの!!」
叫びながら、最後の二人をまとめて宙に放り投げる。サイタマはそれを、ジャンプして両方同時に殴り飛ばした。
——ドゴォン!!
戦闘機みたいな音がして、二人は空の彼方に消えていった。
部隊は、全滅だった。
地面には、ひしゃげた黒装甲の残骸と、気絶した兵士たちが転がっている。冷たい夜風だけが、ビルの谷間を吹き抜けていった。
タツマキはふらついた。
サイタマが、さっと腕を伸ばして、彼女の腰を支える。
「……離して」
「無理すんな」
「[angry]べ、別に無理なんか……」
その時だった。
——バタバタバタバタ……!!
ヘリコプターのローター音が、上空から降ってきた。
顔を上げる。ヒーロー協会本部ビルの最上階——50階のヘリポートから、一機の脱出用ヘリが離陸しようとしている。機体には、ヒーロー協会のマーク。
そして、コックピットに座っているのは——。
白髪交じりの銀髪。鋭い銀色の瞳。口元に薄い傷痕。
シルバーファングだ。
「[cold]……逃がすかよ」
サイタマが踏み出そうとした、その時。
「[angry]私がやる」
タツマキの声が、低く響いた。
両手を、空に向かってかざす。
全身に、青白い光が走った。さっきまでとは比べ物にならない、濃密な力の奔流。髪が逆立ち、金色の瞳が光を帯びる。
——グワァァァァァン……!!
周囲の空気が震えた。地面が揺れる。
そして——。
ヒーロー協会本部ビルが、根元から引き剥がされた。
五十階建ての巨大な建物が、まるで玩具のブロックみたいに、地面から浮き上がる。窓ガラスが一斉に砕け、内部の書類が雪のように夜空に舞った。土台のコンクリートが崩れ、地下の配管が千切れて水しぶきを上げる。
「[angry]お姉様、何を……!!」
ビルの中から、まだ残っていた協会職員たちが悲鳴を上げて逃げ出していく。
でも、タツマキは止まらない。
「[angry]ざっけんな……!!」
超能力の全力開放。鼻からの血が、顎を伝って滴り落ちる。足が震える。視界がぼやける。
でも——絶対に離さない。
ヘリが逃げようと、機体を傾ける。でも、すでに遅かった。ビルごと空中に持ち上げられたヘリポートからは、もう離陸できない。
シルバーファングが、コックピットから飛び降りた。
五十階の高さから、落下する。
「[cold]行くぞ」
サイタマはタツマキの腰を、ぎゅっと抱き寄せた。片腕で。
「……っ!!」
タツマキの体が、びくん、と跳ねる。
サイタマはもう片方の拳を、天空に向かって構えた。
——ドッ。
地面を蹴った。
二人の体が、空へ跳ぶ。五十階の高さへ、一瞬で到達する。落下するシルバーファングの銀色の瞳が、一瞬だけ驚愕に見開かれた。
サイタマの拳が、その腹部にめり込む。
——ズドォォォォォン!!!
衝撃波が、空気を裂いた。
シルバーファングの体が、砲弾のように地面に叩きつけられる。そして——空中に浮かんでいたビルが、制御を失って崩壊した。五十階分の鉄骨とコンクリートが、巨大な廃材の山となって落下する。
轟音。
土煙。
全てが、終わった。
◇
朝が来た。
土煙が晴れた廃墟の上で、サイタマはタツマキを抱えたまま立っていた。タツマキは意識を失っている。鼻血で汚れた顔を、サイタマの肩に預けて、静かな寝息を立てていた。
サイタマは、空を見上げた。
東の空が白み始めている。
ヒーロー協会の正義派とかいう連中が、瓦礫の下から書類やら映像記録やらを持ち出して、慌ただしく動き回っていた。シルバーファングは重傷で捕縛されたらしい。もう、終わったことだ。
「[gentle]帰るか」
つぶやいて、タツマキを抱え直した。
サイタマは、そのままZ市に向かって歩き出した。
◇
月曜日の夜。
グリーンハイツZの203号室。
ちゃぶ台の上に、インスタントの味噌汁が二つ並んでいた。湯気がゆらゆらと立ちのぼっている。部屋の電気はつけていなかった。窓から差し込む月明かりだけが、和室を青白く照らしている。
サイタマは、少し離れて座っていた。
タツマキはちゃぶ台の前に正座して、じっと湯気を見つめている。まだ少し顔色が悪い。髪はボサボサのままで、サイタマの家にあった予備のTシャツを借りていた。ブカブカで、肩がずり落ちそうになっている。
しばらく、沈黙が続いた。
湯気だけが、静かに立ちのぼる。
「……責任、取ってくれるんでしょ」
タツマキが、顔を伏せたまま言った。
声が震えている。
「[surprised]何の責任?」
サイタマが、味噌汁をすすりながら返した。
タツマキはゆっくりと顔を上げた。金色の大きな瞳に、涙がたまっている。月明かりを受けて、それがキラキラと光った。
「[crying]あんたのせいで……私、何回おかしくなったと思ってんの」
声が、だんだん大きくなる。
「[crying]頭も超能力も、全部あんたのせいなんだから」
「[crying]あんたが……あんたが全然こっち向いてくれないから……!!」
最後は、泣き声だった。
思念波は、もう漏れていない。口で、直接、言葉として、言っている。
サイタマは味噌汁を一口飲んでから、器を置いた。
「[serious]わかった。取る」
短く答える。
その瞬間——。
タツマキの涙が、ぽたぽたと畳に落ちた。体が崩れて、サイタマの胸に額を押しつける。小さな手が、サイタマのジャージの袖をぎゅっと掴んだ。
「[crying]……ばか……」
声が、くぐもって聞こえる。
「[crying]……遅いのよ……ばか……」
サイタマは、しばらく迷ってから——そっと、タツマキの背中に腕を回した。
彼女の背中は、思ったよりずっと小さくて、細かった。
夜が、更けていく。
窓の外で、風が静かに吹いていた。
◇
火曜日の朝。
Z市総合病院のICU。
白い天井。点滴のチューブ。心電図のモニターが、ピッ、ピッ、と規則正しい電子音を奏でている。窓から差し込む朝の光が、清潔なリノリウムの床に長い影を落としていた。
フブキは、ゆっくりと目を開けた。
視界がぼやけている。何度か瞬きをして、焦点が合う。
(……ここは)
消毒液の匂い。薬品の混ざった冷たい空気。記憶の中の最後の場面が、頭の中に蘇る——怪人の爪が自分の脇腹を切り裂く感覚。倒れる瞬間。姉を庇って。
(お姉様は……)
思い出した瞬間、体を起こそうとした。でも、左肩から脇腹にかけての激痛が走って、顔をしかめる。包帯が分厚く巻かれている。動けない。
その時——。
ベッドの横に、人影があることに気づいた。
椅子に座って、眠っている。
エメラルドグリーンの髪。いつもは鋭く吊り上がっている目尻が、今はすっかり緩んでいた。子供みたいに無防備な顔で、小さな寝息を立てている。
「……お姉様」
フブキは、小さく呟いた。
タツマキの顔を見つめる。
いつもと違う。
何かが、違う。
あの鋭さがない。鎧みたいに纏っていた棘が、全部取れてしまったみたいだ。眠ったままの表情が、どこか柔らかい。
——ああ。
フブキの中で、全てが繋がった。
サイタマが、助けたのだ。そして——。
フブキは、そっと目を閉じた。
目尻から、一粒だけ涙がこぼれる。それが枕に吸い込まれていくのを、ただ感じていた。安堵なのか。報われない想いの痛みなのか。自分でもわからない。
多分、両方だった。
その時、病室のドアが開いた。
サイタマが立っていた。いつもの黄色いジャージ。手には、コンビニの袋をぶら下げている。
「[gentle]起きたか」
短い一言。でも、その声には確かな安堵が含まれていた。
タツマキが、物音で目を覚ます。
「……フブキ?」
寝ぼけた声で、妹の顔を見る。そして、フブキが目を開けていることに気づいて——。
「[scared]フブキ!!」
タツマキが椅子から飛び上がった。
「[crying]ばか……心配かけんじゃないわよ……!!」
泣きながら、妹の手を握る。
フブキは、静かに微笑んだ。
そして——サイタマとタツマキを、交互に見る。
二人の間にある空気が、以前とは全く違っていることに、すぐ気づいた。距離が近い。視線の交わし方。何より、タツマキの表情が、姉として見たことのないものになっていた。
(……そういうことか)
フブキは、心の中でそっと呟いた。
目の奥が、ほんの少しだけ熱くなる。
でも——彼女は、それを押し隠して、もう一度微笑んだ。
「[gentle]よかった……お姉様が無事で」
タツマキは泣きじゃくっている。サイタマは黙って、窓の外を見ていた。
数日後。
フブキは退院の準備をしていた。
病室の窓から、Z市の街並みが見える。遠くにはゴーストタウンの廃墟群。サイタマが住んでいる、あのアパートもあるのだろう。
フブキは、窓ガラスに映った自分の顔を見つめた。
(私は……)
少しだけ、考えて。
それから——小さく、呟いた。
「[serious]私は……別のやり方で、前に進む」
声は、誰に聞かせるでもなく、自分自身に向けられていた。
その言葉だけを、静かな病室に残して。
窓の外では、雲がゆっくりと流れていった。