FAIRY TAIL もしもナツが幽鬼の支配者に奪われたルーシィを救わなかったら
星霊魔導士ルーシィ・ハートフィリアは、ある夜、謎の魔法陣によってギルドの裏手から姿を消した。同じ頃、修行の旅に出ていたナツとハッピーは、遠く離れた地でその報せを受ける。しかしナツは、ルーシィを救うために戻ることを選ばなかった——。「俺は強くなってから帰る」。その決断が、妖精の尻尾の運命を、そしてルーシィの運命を大きく変えていく。幽鬼の支配者に囚われた少女は、やがてこの世界の真実に触れることになる。異世界転生/転移が絡み合う、もうひとつのFAIRY TAIL。これは、救われなかった少女の物語。
FAIRY TAIL もしもナツが幽鬼の支配者に奪われたルーシィを救わなかったら - 星霊姫、囚われる——鍵はまだ、手の中に
冷たい。
頬に触れる石の感触が、まず最初に戻ってきた感覚だった。
ルーシィ・ハートフィリアは、ゆっくりと目を開けた。
視界に飛び込んできたのは、ぼんやりとした橙色の光。湿った空気。カビと、鉄錆と、何かが腐ったような匂いが混ざり合った、むせ返るような臭気。
「……ここ、どこ」
声が掠れていた。喉がひどく渇いている。体を起こそうとして、両手にずっしりとした重みがあることに気づく。
ガチャリ、と金属の擦れる音。
見下ろすと、両手首に分厚い鉄の枷が嵌められていた。鈍く黒光りするそれは、手首の皮膚に食い込むほどきつく締められている。枷から伸びた鎖が、壁に打ち込まれた金具に繋がれていた。
「なに、これ……」
混乱した頭で、必死に記憶を辿る。
ギルドの裏手。倉庫での片付け。魔物の素材を仕分けていた。ナツとハッピーを見送った後、一人で残って。
そして——。
足元に浮かび上がった、紫色の魔法陣。
あの不気味な光に包まれて、意識が遠のいた。
「そうだ……私、あの光に……」
ゾッとした。
慌てて周囲を見回す。
そこは、石造りの狭い部屋だった。四方を壁に囲まれ、正面には鉄格子。床も壁も天井も、すべてが黒ずんだ岩でできている。壁の高い位置に、小さな明かり窓のような穴が一つ。そこから、かすかな外の空気が流れ込んでくる。
牢屋だ。
間違いない。
「嘘……なんで私がこんなところに……」
声が震えた。
(落ち着いて。落ち着くのよ、ルーシィ)
心の中で自分に言い聞かせる。
(まずは状況を確認しなきゃ。私はどこにいて、どうして捕まってるの?)
腰のベルトに手を伸ばす。
「……あ」
星霊の鍵が入ったポーチは、そのまま残っていた。革の感触を確かめて、ほんの少しだけ安堵する。
でも。
(鍵はある。でも……)
手首の枷に意識を集中する。
魔導士なら誰でも持っている、体内のマナ——大気中のエネルギーを取り込んで、魔法として出力するための力——その流れが、手首のあたりでぷつりと途切れているのが分かった。
枷が、魔力を吸い上げている。
「そんな……」
ポーチから金色の鍵を一本取り出した。水瓶座の紋様が刻まれた、アクエリアスの鍵。
「アクエリアス……聞こえる? お願い、返事をして」
鍵を握りしめ、目を閉じる。魔力を込めようと意識する。
……何も起きない。
いつもなら、鍵を通じて星霊界と繋がる感覚がある。アクエリアスの不機嫌そうな声が聞こえてくる。でも、今は。
無音。
「どうして……お願いよ、アクエリアス……」
何度も呼びかける。鍵を強く握る。指先が白くなる。
でも、鍵は冷たいままだった。
(魔力が……枷に吸われて、鍵まで届かないんだわ)
星霊魔法は、使い手の魔力と鍵を媒体にして、星霊界の精霊を召喚する古代魔法。魔力を封じられてしまえば、鍵があっても何の意味もない。
「そん、な……」
目の奥が熱くなった。
(私、どうなっちゃうの)
その時だった。
コツ、コツ、と、廊下の向こうから足音が聞こえてきた。
複数人。ゆっくりと、こちらに近づいてくる。
ルーシィは慌てて鍵をポーチにしまい、壁際に体を寄せた。鎖がガチャリと音を立てる。
鉄格子の向こうに、男たちの姿が現れた。
二人。どちらも薄汚れた外套を羽織り、腰に剣を下げている。一人は痩せ型で、もう一人は熊のように大柄だった。
「お、起きてたか。お嬢ちゃん」
痩せ型の男が、鉄格子越しにニヤニヤと笑いながら話しかけてきた。歯が黄色い。吐く息が酒臭い。
「……あなたたち、何者? ここはどこなの?」
声を震わせながらも、ルーシィは男たちを睨みつけた。
「おいおい、怖がらなくていいんだぜ。俺たちはな、お前を雇い主のところまで届ける、ただの運び屋だよ」
「雇い主って……誰よ! 私は、妖精の尻尾の魔導士よ! こんなことして、ただで済むと思ってるの!?」
精一杯の虚勢だった。
でも、男たちは顔を見合わせて、下品に笑い出した。
「妖精の尻尾だってよ! 聞いたか、今の!」
「ああ、聞いた聞いた。こえーこえー」
二人は腹を抱えて笑っている。ルーシィの言葉を、本気で相手にしていない。
「お前、自分が誰に捕まったか分かってねえだろ。ここはな、グラン・ノワール。幽鬼の支配者の本拠地だよ」
「……幽鬼の、支配者」
聞いたことがある。
マグノリアから北東に百八十キロ。ヴェルミリオン山脈の麓にある廃鉱山都市。王国騎士団も手が出せない無法地帯。そこを根城にする、非合法活動で金を稼ぐ闇ギルド。
(そんなところに……私、攫われたの?)
血の気が引いていく。
「で、お前の雇い主だがな。お前、心当たりあるだろ?」
男が、ルーシィの顔を覗き込むようにして言った。
「……なに、を」
「とぼけんなよ。お前の父親だよ。ジュード・ハートフィリア。あの金持ちの旦那がよ、俺たちに依頼したんだ。『家出した娘を連れ戻してくれ』ってな」
ルーシィの頭が、真っ白になった。
「……え?」
「聞こえなかったか? お前のパパが、娘を攫ってでも連れ戻せって、金払って依頼してきたんだよ。まあ、依頼料の一部は前金で貰ってる。残りはお前を届けたら、たっぷりとな」
「嘘よ……だって、お父様が、そんな……」
「嘘なもんか。ほら、これが契約書だ。見るか?」
男が懐から取り出した羊皮紙を、ひらひらと揺らす。そこには確かに、ハートフィリア家の紋章と、父の署名らしきものが見えた。
「……どうして」
声が、かすれた。
(お父様が、私を、こんな……)
家出したことは、悪かったと思っている。でも、私は自分の人生を生きたいだけだった。あの政略結婚から逃げたかっただけだった。
(だからって、闇ギルドに私を攫わせるなんて……)
胸の奥が、冷たくなっていく。
「まあ、そう落ち込むなよ。お前はただ、お家に帰ればいいんだ。そうすりゃ、俺たちも報酬が貰える。みんなハッピーだ」
「……冗談じゃないわ! 私は帰らない! 私には、自分の道があるの!」
ルーシィは叫んだ。
鎖がガチャガチャと鳴る。枷を外そうと、必死に手首を引っ張る。
「おいおい、暴れんなよ。その枷はな、お前みたいなひよっこ魔導士の魔力なんか、一瞬で吸い尽くす代物なんだ。無駄な抵抗はやめとけ」
「うるさい! 離しなさいよ!」
「……うるせえな」
大柄な男が、鉄格子を蹴った。
ガァン!!
すさまじい音がして、ルーシィはビクッと体をすくめた。
「お前、自分の立場が分かってねえのか? ここでお前をどう扱おうが、誰も助けに来やしねえんだよ。お前の仲間は、お前がここにいることすら知らねえんだからな」
「……」
「まあまあ、そう怖がらせるなよ。せっかくの上玉なんだ。傷物にしたら、雇い主に申し訳が立たねえ」
男が、バケツを一つ、牢の前に置いた。中には濁った水が入っている。
「喉、乾いてるだろ? 飲みな。これが今日の飯代わりだ」
ルーシィは答えなかった。
男たちは、また下品に笑いながら、廊下の向こうへと去っていった。
足音が遠ざかり、完全に聞こえなくなる。
ルーシィは、壁にもたれかかって、ゆっくりと座り込んだ。
「……ひどい」
涙が、一筋、頬を伝った。
悔しい。怖い。寂しい。
いろんな感情が、ぐちゃぐちゃになって、涙になって溢れてくる。
(ナツ……ハッピー……)
助けを呼びたい。でも、声は届かない。
二人は修行に出ていて、ギルドにはいない。
(グレイもエルザも、遠方の任務だって言ってた)
頼れる仲間は、誰もいない。
(私、一人なんだ)
その事実が、何よりも怖かった。
---
その頃。
ヴェルミリオン山脈の、南西に伸びる未整備の山道。
「ちくしょう……また急な坂かよ」
桜色の髪を逆立てた少年——ナツ・ドラグニルは、額の汗を拭いながら、獣道のような急坂を登っていた。
背中には、青い毛並みの小さな猫——ハッピーが、器用にしがみついている。
「ナツ、まだ着かないの? 僕、お腹すいたよ」
「うるせえ。お前、さっき干し肉食ったばかりだろ」
「あれは三時間前です。もう消化しました」
「消化早すぎだろ!」
軽口を叩き合いながらも、足は止めない。
ナツは、ちょっと強くなるための修行の旅に出ていた。行き先は、山脈の奥にあると噂される、火の精霊が棲む洞窟。
「にしても、この山道、思ったよりキツいな。雨でぬかるんでやがる」
昨日から降り続いた雨のせいで、足元はひどく悪い。一歩踏み出すたびに、泥が靴に絡みつく。
「ナツ、無理しないで。滑ったら大変なのだ」
「心配すんな。俺を誰だと思ってる。妖精の尻尾の、炎の滅竜魔導士だぜ?」
そう言って笑うナツの顔は、相変わらず自信に満ちている。
その時だった。
「……ん? あれ、人か?」
山道の少し先に、一人の旅人が座り込んでいるのが見えた。年配の男で、荷物を背負ったまま、疲れ切った様子で休んでいる。
「おっさん、大丈夫か?」
ナツが声をかけると、旅人は顔を上げた。
「ああ……すまないな、若いの。わしはこれからマグノリアに帰るところでな。この雨で道が崩れちまって、難儀しておるんだ」
「マグノリアから来たのか? 俺もマグノリアのギルドの者なんだ」
「おお、そうか! 妖精の尻尾の魔導士さんか! いやあ、心強いわい」
旅人は、ほっとしたように笑った。
「なあ、おっさん。道中で何か変わったことなかったか? 魔物が多かったとか」
「魔物は……おったな。じゃが、それより恐ろしい噂を聞いたわい」
旅人の表情が、急に曇った。
「噂?」
「幽鬼の支配者……あの闇ギルドの連中がな、女の子を一人、攫ったらしいんじゃ」
ナツの心臓が、ドキリと跳ねた。
「女の子を……攫った?」
「うむ。詳しいことは分からんが、マグノリアの近くで、若い娘さんが一人、連れ去られたとか。人攫いはあのギルドの十八番じゃからな」
「……マグノリアの、近くで」
嫌な予感が、胸の中に広がっていく。
(まさか……ルーシィ、なわけないよな)
「ナツ、どうしたの?」
ハッピーが、ナツの顔を覗き込む。
「……いや、なんでもねえ。でも、ちょっと気になるな」
その時、ナツの腰に下げた小さな袋が、急に震え始めた。
「ん? なんだこれ」
袋の中から取り出したのは、手のひらサイズの透明な水晶だった。魔導具の一種で、離れた場所にいる相手と会話ができる「通話水晶」だ。
水晶が、淡い光を放つ。
「ギルドからだ」
ナツは水晶を手に取り、魔力を流し込んだ。
『ナツ!? ナツか!?』
水晶から聞こえてきたのは、ギルドの仲間の切羽詰まった声だった。
「おう、どうした? 何かあったのか?」
『大変だ! ルーシィが……ルーシィが、消えたんだ!』
「……は?」
一瞬、言葉の意味が分からなかった。
『昨日の夜から姿が見えない。ギルドの裏手に、何かの魔法陣の痕があった。おそらく、転移系の魔法だ。ルーシィは……攫われた可能性が高い』
「攫われた……だと!? 誰に!? 誰がルーシィを!?」
『まだ分からない。でも、現場の魔力の残り香から……幽鬼の支配者の仕業だと思われる』
「幽鬼の支配者……!!」
さっき旅人が言っていた噂が、現実のものとして、ナツの頭に押し寄せてくる。
(あの女の子は……ルーシィだったのか)
「すぐ戻る! 今から戻って、ルーシィを助けに行く!」
ナツは叫んだ。体が、怒りで燃えるように熱い。
『待て、ナツ! お前の今いる場所は、マグノリアから遠すぎる! それに、この雨で山道が崩れている。今すぐ戻ろうとしても、何日もかかるぞ!』
「それでもだ! このまま黙ってられるかよ!」
『落ち着け! ギルドでも対応を協議している。まずはお前が無事に戻ることだ。ルーシィのことは、俺たちがなんとかする!』
「……ちくしょう!」
ナツは、拳を地面に叩きつけた。
ドゴッ、と鈍い音がして、泥が飛び散る。
「ナツ……」
ハッピーが、そっとナツの肩に手を置いた。
「ナツ、落ち着いて。今は、まず状況を集めるんだよ。ここで慌てても、ルーシィの助けにはなれないのだ」
「……分かってる。分かってるんだ。でも……」
ナツは、歯を食いしばった。
(ルーシィ。無事でいてくれ)
頼れる相棒が、今は遠すぎる。
それが、たまらなく悔しかった。
---
牢屋の中。
ルーシィは、どれくらいの時間が経ったのか分からなかった。
明かり窓から差し込む光が、橙色から、やがて深い藍色に変わっていく。夜が来たのだと、それで分かった。
(一日が、終わろうとしてる)
涙は、いつの間にか乾いていた。
泣いているだけでは、何も変わらない。
(そうよ。泣いてる場合じゃないわ)
ルーシィは、ゆっくりと顔を上げた。
そして、自分の両手首に嵌められた枷を、じっと見つめた。
黒い金属。冷たい感触。手首の皮膚に食い込む重さ。
(この枷が、私の魔力を吸い上げてる)
魔力の流れを、意識して感じ取る。
体内のマナが、ゆっくりと、しかし確実に、手首の枷へと吸い込まれていく。まるで、水が低い場所へ流れていくように。
(吸い込むなら……どこかに、溜まる場所があるはずよ)
枷の表面を、指先でそっと撫でる。
継ぎ目はない。完全に一体化した金属の輪。
でも。
(魔力っていうのは、ただ吸い込まれて消えるわけじゃない。必ず、どこかに流れていく)
ルーシィは、目を閉じた。
枷に触れた指先から、かすかな振動を感じる。
(……ここ)
枷の内側。手首に触れている部分。そこに、ごく小さな、髪の毛ほどの細さの溝がある。
(この溝が、魔力を吸い上げる回路……)
そして、その溝は、枷の外側へと続いている。
「……吸い上げた魔力を、外に逃がしてるんだわ」
つまり、この枷は、吸い上げた魔力を大気中に放出することで、装着者の魔力を枯渇させる仕組みなのだ。
(魔力を吸う仕組みには、必ず綻びがあるはず)
ルーシィの頭の中で、一つの考えが形を成し始めた。
(吸い上げる力が働いているなら、逆に……)
「私の魔力を、一気に流し込んだら、どうなるのかしら」
枷が魔力を吸い上げる速度には、限界があるはずだ。
ならば、その限界を超える量の魔力を、一気に叩き込む。
そうすれば、枷は耐えきれずに、壊れるかもしれない。
(でも、今の私には、そんな大量の魔力を生み出す力はない)
枷に吸われ続けて、体内のマナはほとんど空っぽだ。
(でも……)
ルーシィは、ポーチから星霊の鍵を取り出した。
金色の鍵。水瓶座の紋様。
(アクエリアスの力は、水。水は、流れを操る。ならば、枷が吸い上げる魔力の流れを、逆流させることだって……)
そこまで考えて、ルーシィは首を振った。
(だめよ。今の私に、そんな高度な魔法制御ができるわけない)
でも。
(諦めるのは、まだ早い)
ルーシィは、鍵を握りしめた。
「私は……誰かに助けてもらうのを、待ってるだけじゃない」
小さな声で、自分に言い聞かせるように呟いた。
「私の道は、私が選んだ。だから、私が自分で、切り開くの」
ナツもハッピーも、ここにはいない。
グレイもエルザも、助けには来られない。
だから。
(自分でやるしかない)
ルーシィは、枷の構造を、もう一度、じっくりと観察し始めた。
魔力の流れを感じ取り、枷の弱点を探す。
まだ、何も解決していない。
でも、ルーシィの心には、確かな決意が生まれていた。
(絶対に、ここから出てみせる)
牢の外では、夜の闇が、音もなく深まっていく。
その闇の向こうで、何かが、ゆっくりと動き始めていた。
ルーシィの運命を、さらに残酷な方向へと捻じ曲げるための、暗い計画が。Noveliaとは?
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