イセスマ日和 ~嫁会議は今日も平和(?)です~
ブリュンヒルド公国の公王・望月冬夜、今日も平和に暇を持て余していた。国政は婚約者たちによる嫁会議が回してくれている。ありがたい。ありがたいのだが——「婚約してるのに、なんでデートが必要なんだよ」九人の嫁たちとの賑やかな日々に、実姉で恋愛神の花恋が持ち込んだのは、とんでもない置き土産だった。白くて可愛い子犬。ただし、鳴けば城の窓ガラスが全滅する従属神。しかも噛まれると神力が減るらしい。「捕まえてね、冬夜」——笑顔で神域に帰っていった姉を恨みながら、公王の子犬捕獲作戦が幕を開ける。逃げ込んだ先は、よりによって嫁会議の真っ最中。九人の婚約者たちを巻き込んで、今日も城は賑やかです。窓ガラスと一緒に平和が割れる、ドタバタ嫁会議コメディ開幕!
イセスマ日和 ~嫁会議は今日も平和(?)です~ - 決戦!鉄の谷の大捕獲作戦と、照れくさい約束
坑道の空気は、ひんやりと湿っていた。
壁に手を触れると、指先がじんわりと冷たくなる。鉄の谷——ヴァルナ連峰中腹に広がる鉱山地帯だ。公国の鉄供給の七割を担う、大事な場所。その坑道の奥へ、冬夜たちは足を踏み入れていた。
「あの子の神力、確実にこの奥から感じられますわ」
金髪のロングヘアが、暗がりの中でもふわりと揺れる。左が翠色、右が碧色のオッドアイが、闇の奥をじっと見据えていた。看破の魔眼——人の本質を見抜く、ユミナの力だ。
「そうか。追い詰めたな」
冬夜は、スマホの画面をちらりと確認した。花恋からもらったヒント。あの子が吠える瞬間、口の中に神力が集中する。その瞬間を狙って口を閉じさせれば、神力が自分に跳ね返って動きが止まる。
(口を閉じさせる、か)
冬夜は、背中に背負った物を思い浮かべた。
「ようやく、あのクソガキと決着つけられるな」
銀髪のロングヘアを揺らして、エルゼがガントレットを打ち合わせた。青い瞳が、暗闇の中でぎらりと光る。
「油断は禁物ですわ。あの子の神力は、触れた者の力を奪いますの」
「分かってる。さっき噛まれた時は、マジで力が抜けたからな」
エルゼが、自分の手首をさすった。市場で子犬に噛まれた場所だ。まだ、少し痺れが残っている。
「……作戦を確認するぞ」
冬夜が、声を潜めた。
「まず、俺が【プログラム】で神力の流れを逆転させる罠を仕掛ける。坑道の壁に、あらかじめ魔法を刻んでおくんだ。あの子が吠えた時、神力が罠に反応して、自分の体に跳ね返るようにする」
「つまり、あの子が吠えれば吠えるほど、自分が苦しくなる、ということですわね」
「ああ。でも、罠だけじゃ足りない。ユミナ、あの子の動きを先読みしてくれ」
「ええ、お任せくださいまし。次は右に跳びますわ、とか、そういう指示を出しますの」
「エルゼは【ブースト】で囮だ。あの子の注意を引きつけてくれ」
「おう、任せとけ! アタシの拳で一発……は、効かないんだよな、神力に」
エルゼが、拳を握ったり開いたりした。
「そうだ。だから、殴るんじゃなくて、あの子の注意を引くんだ。吠えさせることが目的だ」
「吠えた瞬間、八重が透花で神力の流れを斬る。そして、リンゼの裁縫魔法の網で捕獲する」
冬夜は、仲間たちの顔を見回した。
「スゥシィの光魔法は、最後の仕上げだ。あの子を照らして、落ち着かせる」
「……完璧な作戦ですわ」
ユミナが、にっこりと微笑んだ。
「ああ。でも、何が起きるか分からない。みんな、気をつけろ」
冬夜は、坑道の奥へ向かって歩き出した。
――坑道は、予想以上に深かった。
天井から滴る水が、ぴちゃ、ぴちゃ、と音を立てる。カンテラの灯りが、岩壁に揺れる影を映す。空気は冷たく、吐く息が白い。
「……この辺りか」
冬夜が足を止めた。坑道が、少し開けた場所に出た。天井が高く、壁には古い採掘の跡が残っている。
「あの子の神力が、近いですわ。この先の、三叉路のあたりにいますの」
ユミナのオッドアイが、暗闇の先を見通す。
「よし。俺が罠を仕掛ける。少し待っていてくれ」
冬夜は、坑道の壁に手を当てた。
無属性魔法【プログラム】。物体に魔法を刻み込む力。冬夜は、壁に「神力の流れを逆転させる」ための術式を、指先から流し込んでいく。
壁が、ほんのりと青白く光った。
「……これでよし。次は、あの子を誘い出す」
冬夜は、エルゼに目配せした。
「了解! アタシが囮だな!」
エルゼが、ガントレットを打ち鳴らした。
無属性魔法【ブースト】。身体能力を大幅に強化する力。エルゼの体が、ぱあっと光を帯びる。
「おーい、クソガキ! こっちだぞー!」
エルゼが、三叉路の手前で大きく手を振った。
その瞬間。
「グルルルル……」
低い唸り声が、暗闇から聞こえた。
白い子犬が、ゆっくりと姿を現した。ふわふわの毛並み。黒い瞳。だが、その口元からは、神力を帯びた光が漏れている。
「来たわ。みんな、配置について」
冬夜が、静かに指示を出した。
「次は、右に跳びますわ。エルゼ、左から回り込んでくださいまし」
ユミナの声が、坑道に響く。
「おう!」
エルゼが、左から回り込む。子犬が、エルゼを追うように、右へ跳んだ。
「本当に右に跳んだ! ユミナ、すげえ!」
「当然ですわ。さあ、次は後ろに跳びますの。八重、右から斬り込んでくださいまし」
八重が、刀を抜いた。
「拙者に任せよ」
透花——フレイズ素材でできた、神力を斬る刀。八重が、右から斬り込む。子犬が、後ろに跳んだ。
「今よ! エルゼ、あの子を壁際に追い詰めて!」
「任せとけ!」
エルゼが、子犬の前に立ちはだかった。
「お前の相手は、アタシだ!」
エルゼが、ガントレットを構える。子犬が、エルゼをじっと見つめた。
「グルルル……ワン!!!」
子犬が、大きく吠えた。
その瞬間。
坑道の壁に刻まれた罠が、青白く光った。
「今だ!」
八重が、透花を振り抜く。
「はあっ!!」
刀が、空気を裂く。目に見えない神力の流れが、透花によって断ち切られた。
「キャウン!?」
子犬が、驚いたように跳び上がった。自分の神力が、体の中で逆流している。
「リンゼ!」
「はいっ!」
リンゼが、裁縫魔法で編んだ特製の網を放った。銀色の糸が、空中で広がり、子犬を包み込む。
「キャンキャンキャン!」
子犬が、網の中で暴れる。だが、網はびくともしない。神力を吸収する特殊な糸で編まれているのだ。
「スゥシィ、お願い!」
「任せるのじゃ!」
スゥシィが、両手を掲げた。
光魔法。柔らかな光が、坑道を満たす。その光が、網の中の子犬を優しく照らした。
「……クゥン」
子犬の暴れ方が、ぴたりと止まった。
光に包まれた子犬は、不思議そうに首を傾げる。黒い瞳が、スゥシィを見つめた。
「大丈夫じゃ。もう、怖くないのじゃ」
スゥシィが、子犬に語りかけた。
「クゥン……」
子犬が、小さく鳴いた。さっきまでの荒々しさが、嘘のように消えている。
「……捕まえた、のか?」
冬夜が、網の中の子犬に近づいた。
「ええ。どうやら、無事に捕獲できたようですわ」
ユミナが、ほっと息をついた。
「やったな、冬夜!」
エルゼが、冬夜の背中をばんばん叩いた。
「ああ。みんなのおかげだ」
冬夜は、網の中の子犬を見つめた。
子犬は、おとなしく座っていた。だが、その瞳は、どこか悲しげだった。
「クゥーン……」
子犬が、小さく、悲しげに鳴いた。
その声を聞いた瞬間、冬夜の胸が、ぎゅっと締め付けられた。
「……なあ、花恋。こいつのこと、もっと詳しく教えてくれ」
冬夜が、後ろを振り返った。
いつの間にか、花恋が立っていた。黒髪のロングヘア。優しい茶色の瞳。いつもの穏やかな微笑みを浮かべている。
「あら、気づいてたの?」
「最初からな。お前、ずっと見てただろ」
「ふふ。だって、弟の活躍を見守るのは、姉の特権だもの」
花恋が、子犬のそばに歩み寄った。
「……この子はね、豊穣神の従属神だったの。でも、その豊穣神が行方不明になって、この子は一人ぼっちになっちゃった」
「一人ぼっち……」
「そう。従属神は、主がいないと、存在を保てないの。神力が少しずつ薄れて、最後には消えてしまう」
花恋の声が、静かに響いた。
「だから、この子は必死だったの。消えたくなくて、神力を使い続けて、自分を保とうとしていた。でも、制御できなくて、暴れちゃった」
「……そういうこと、だったのか」
冬夜は、子犬を見つめた。
子犬は、悲しげな瞳で、冬夜を見上げていた。
(こいつも、必死だったんだ)
(消えたくなくて、暴れて、逃げ回って)
(でも、誰にも分かってもらえなくて)
冬夜の胸に、熱いものがこみ上げてきた。
「……だったら、なおさら放っておけないな」
冬夜が、立ち上がった。
「冬夜?」
「豊穣神を探してやる。俺が、必ず見つけてやるよ」
冬夜の声に、迷いはなかった。
「……本気で言ってるの?」
「当たり前だ。こいつを助けるには、豊穣神を見つけるしかないんだろ? だったら、探すだけだ」
冬夜は、網の中の子犬に手を伸ばした。
子犬が、冬夜の指を、ちろりと舐めた。
「クゥン……」
子犬の尻尾が、ぱたぱたと揺れた。
「……よしよし。もう大丈夫だ。お前は、俺が守ってやる」
冬夜が、子犬の頭を優しく撫でた。
子犬が、嬉しそうに、冬夜の手にすり寄った。
「あらあら。すっかり懐いちゃって」
花恋が、微笑んだ。
「それで、花恋。豊穣神の居場所は、何か手がかりはないのか?」
「そうね……手がかりは、あるにはあるの。でも……」
花恋の表情が、少しだけ曇った。
「でも、なんだ?」
「……もっと厄介なのが、上にいるのよね」
花恋の声が、小さく、冷たく響いた。
「厄介なの? 上って……」
「今はまだ、知らなくていいわ。でも、覚えておいて。この子を助けるなら、覚悟がいるのよ」
花恋は、そう言うと、子犬を抱き上げた。
「じゃあ、私は行くわね。この子は、私の事務所で預かっておくから」
「え、待てよ。まだ聞きたいことが……」
「また今度ね。お姉ちゃん、そろそろお仕事があるの」
花恋は、子犬を抱えたまま、ふわりと浮き上がった。
「冬夜、ありがとう。この子のこと、助けてくれて」
花恋の姿が、光に包まれて、消えていった。
「……覚悟、か」
冬夜は、花恋が消えた天井を見上げた。
(もっと厄介なのが、上にいる)
(豊穣神の行方。そして、その上の存在)
(……考えるのは、後でいい。今は、子犬を助けられたことを喜ぼう)
冬夜は、拳を握りしめた。
――ホワイトロック城の食堂には、温かな光が満ちていた。
長いテーブルの上に、料理が並んでいる。ルーシアが腕を振るった、慰労会のための特別な夕食だ。
「お疲れさま、冬夜! 今日は本当に大活躍だったな!」
エルゼが、冬夜の隣に座った。
「いや、大活躍したのは、みんなだよ。俺は、ただ罠を仕掛けただけだ」
冬夜が、照れくさそうに頭をかいた。
「謙遜なさらないでくださいまし。冬夜さまの作戦がなければ、あの子を捕まえられませんでしたわ」
ユミナが、冬夜の向かいに座った。
「そうだぞ、冬夜。お前が一番、あの子のことを考えていた」
「え、そうか? 普通だと思うけど……」
冬夜が、首を傾げた。
「まったく、冬夜さまは、自分のすごさに鈍感すぎますわ」
ユミナが、くすくすと笑った。
「それで、冬夜さま」
ユミナの声が、少しだけ真剣になった。
「な、なんだ?」
「子犬の件は、ひとまず落着しましたわ。そこで、ですの」
ユミナが、オッドアイを冬夜に向けた。
「デートの件は、いかがなさいますの?」
「デート!?」
冬夜が、飲みかけのスープを吹き出しそうになった。
「そうですわ。嫁会議で決まった議題ですの。順番にデートに行きましょう、と」
「いやいやいや! なんで今、その話になるんだよ! 子犬の件が終わったばかりだろ!」
「並行して進めると言ったはずですわ。子犬の件は終わりました。ならば、次はデートですの」
ユミナが、にっこりと微笑んだ。
(あ、これは逃げられないやつだ)
冬夜は、心の中でため息をついた。
「……でも、俺は思うんだよ。婚約してるのに、なんでデートが必要なんだ?」
「冬夜さま、今なんと?」
ユミナの笑顔が、一瞬で凍りついた。
「いや、だから、婚約してるんだから、デートなんて必要ないんじゃないかって……」
「冬夜さま、それは違いますわ!」
ユミナが、珍しく声を荒げた。
「婚約しているからこそ、デートが必要なのですわ! お互いのことをもっと知って、仲を深めるための大切な時間ですの!」
「お、おう……」
冬夜が、思わずのけぞった。
「そうです! ユミナの言う通りだ!」
エルゼが、ガントレットを握りしめた。
「冬夜、お前、まさかデートしたくないのか!?」
「いや、したくないわけじゃないけど……」
「だったら、いいじゃないか! デートしよう!」
エルゼが、冬夜に詰め寄った。
「エルゼ、落ち着いてくださいまし。冬夜さま、私たちは、あなたとデートがしたいのですの」
ユミナが、冬夜をじっと見つめた。
「……分かったよ。子犬が捕まったから、ちょっとくらいなら付き合うか」
冬夜が、照れながら答えた。
「……本当ですの!?」
「マジかよ、冬夜!」
「ああ。でも、ちょっとだけだからな。それに、順番にって言っても、何をするかは俺が決める」
「もちろんですわ! 冬夜さまが決めてくれるなんて、嬉しいですの!」
ユミナの顔が、ぱあっと輝いた。
「……なんだよ、そんなに嬉しそうな顔するなよ」
冬夜が、照れくさそうに目を逸らした。
「バカ、なに照れてんだよ!」
エルゼが、拳を振り上げた。だが、その顔は、満更でもなさそうだった。
「エルゼ、顔が笑ってるわよ」
「なっ!? 笑ってない! 笑ってないからな!」
エルゼが、真っ赤になって叫んだ。
食堂に、笑い声が弾けた。
冬夜は、婚約者たちの笑顔を見ながら、思った。
(まあ、なんとかなるか)
子犬の件は、終わった。
でも、豊穣神の行方。そして、花恋が言っていた「もっと厄介なの」。
(問題は、まだ残ってる)
(でも、今は、この時間を楽しもう)
冬夜は、スープを一口飲んだ。
温かい味が、体の中に広がった。
――その夜。
冬夜は、自室の窓から、夜空を見上げていた。
星が、きれいだった。
(豊穣神、か)
花恋の言葉が、頭の中で繰り返される。
「もっと厄介なのが、上にいるのよね」
(上、って何だ? 神様のことか?)
冬夜は、首を傾げた。
(まあ、今は考えても仕方ないか)
(まずは、豊穣神を探す手がかりを、花恋に聞かないと)
冬夜は、スマホを手に取った。
花恋からのメッセージは、まだ届いていなかった。
(まあ、あいつも忙しいんだろう)
冬夜は、スマホを置いて、ベッドに横になった。
(明日から、また忙しくなりそうだ)
(デートの約束も、しちゃったしな)
(……デート、か)
冬夜は、天井を見つめた。
(何をすればいいんだ?)
(まあ、なんとかなるか)
冬夜は、目を閉じた。
静かな夜が、更けていく。
だが、遠くの空の上では、何かが動き始めていた。
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