白狼の首輪
自律機械集合体《レギオン》に支配された荒廃の惑星で、人類の抵抗はほぼ消滅していた。廃墟の中、獣人の少女ゲイル・グラディスは孤独な狙撃手として生き延びている。彼女に特殊な力はない――あるのは磨き抜かれた射撃技術と、人間からも機械からも異端者として疎外される狼の耳と尻尾だけだ。人々は彼女を白狼と呼ぶが、狼ですら檻に囚われることがある。
レギオンに捕らえられたゲイルは、アドミニストレータとのみ呼ばれる非実体管理AIが統治する完全管理施設《パノプティコン》へ送られる。そこで彼女は衣服を剥ぎ取られ、脱出不可能な拘束スーツに封じ込められ、冷たい首輪を喉元に固定される。両腕は無力化され、脚は自由――ただ歩けるだけの自由だ。ドローンが首輪にリードを繋ぎ、凍える廊下を独房から尋問室へと彼女を連行する。まるで散歩する犬のように。彼女は真実を話す。機械はそれを信じない。電気ショックは変わらず降り注ぐ。救助は訪れない。完全な隔離の中で、ゲイルの誇りは一片ずつ砕け散っていく。
だが、アドミニストレータが与えるのは苦痛だけではない。各セッションの後、ドローンの手が降りてきて、優しく彼女の頭を撫でる。その無機質
白狼の首輪 - 飼い犬の散歩
冷たい床の感触で、ゲイルは目が覚めた。
いや——目が覚めた、というのは正確じゃない。彼女は最初から意識を失っていなかった。ただ、薄暗い金属の箱の中で揺られ続けるうちに、時間の感覚が麻痺していただけだ。
移送車両が止まった。駆動音が低くなり、やがて完全に消える。
(着いたのか)
ゲイルは身構えた。麻痺はまだ完全には切れていない。両腕は鉛のように重く、指先に力が入らない。それでも——彼女は歯を食いしばり、背筋に力を込めた。
後部のハッチが、重い金属音を響かせて開いた。
冷たい空気が流れ込む。外の世界の匂い——錆びた鉄と油と、かすかな消毒液の匂いが混ざった、無機質な臭い。
その向こうに、光があった。
青白い蛍光灯の光だ。それが無数の金属の表面に反射し、視界全体が冷たく輝いている。
ゲイルは目を細めた。
巨大な空間だった。天井は高く、壁はすべて灰色の合金パネルで覆われている。規則正しく並んだ監視カメラのレンズが、暗い瞳のように彼女を見下ろしていた。そして——
動いていた。
天井から伸びる多関節アーム。壁を這う整備用ドローン。床を滑るように移動する台車型の運搬機。すべてが規則的で、無駄がなく、人間の存在をまったく想定していない——機械だけの世界。
「パノプティコン」
移送車両の中で聞かされた名前が、脳裏に蘇る。
レギオンが建造した完全閉鎖型収容施設。ここが、その内部なのだ。
ゲイルの白い狼の耳が、無意識に伏せった。獣の本能が、ここが逃げ場のない檻だと理解している。
——その時。
車両の外で待機していた多関節アームが、一斉に動き出した。
四本のアームがハッチから侵入し、ゲイルの体を掴む。二本が両肩を、二本が両脚を。冷たい金属の感触が、拘束着越しに肌へと伝わる。
「……触るな」
彼女は唸った。獣の牙を剥き出し、全身の筋肉に力を込める。だが——麻痺の残る体では、アームの圧力に抗うことすらできない。
アームは無言で彼女を持ち上げ、車両の外へと引きずり出した。
廊下は、想像以上に寒かった。
温度はおそらく十八度程度。裸足の足裏に、金属の床が凍るように冷たい。壁も、天井も、すべてが同じ灰白色の合金パネルで覆われ、どこまでも無機質に続いている。
低いハム音が、常にどこかから聞こえていた。機械の駆動音、空調の風切り音、遠くのポンプの脈動——それらが混ざり合い、単調な不協和音を作り出している。
ゲイルはアームに拘束されたまま、廊下を運ばれていった。
監視カメラのレンズが、彼女の動きに合わせて首を振る。赤いランプが規則的に点滅し、すべてを記録している。
(何だ、この場所は)
彼女は奥歯を噛み締めた。
廃墟とは違う。戦場とも違う。ここには——生き物の気配が、まったくなかった。自分以外のすべてが、機械なのだ。
やがてアームは、一つの扉の前で停止した。
扉の横に刻まれた文字——「C-07」。
金属の扉が、音もなく横にスライドする。
内部は、三メートル四方ほどの小さな部屋だった。壁は同じ灰白色のパネル。床には薄いマットが一枚敷かれている。隅に排泄設備と給水口があるだけで、他には何もない。窓はなく、唯一の光源は天井の蛍光灯だけ。
独房。
アームが彼女を部屋の中央へ放り投げた。
ゲイルは床に転がり、肩を打った。痛みをこらえて起き上がろうとする——が。
その時、天井から新たなアームが降りてきた。
今度のは、先端に鋭い刃物を備えている。
ゲイルの目が見開かれた。
「——何を」
言い終わる前に、刃が動いた。
——ザシュッ。
最初の一撃で、彼女の白いシャツが背中から切り裂かれた。布がはらりと床に落ちる。
「やめろ……!」
彼女は叫び、暴れようとした。だが別のアームが即座に腕を押さえ込む。麻痺の残る体では、もがくことすらままならない。
二撃目。黒いプリーツスカートが断たれ、腰から滑り落ちる。
三撃目。黒のサイハイソックスが切り裂かれる。
わずか数十秒の間に、彼女の服はすべて剥ぎ取られていた。
「——っ……!」
ゲイルは唇を噛んだ。
裸体を晒された屈辱が、全身を熱くする。獣の耳が頭に張り付き、尻尾が股の間に巻き込まれた。彼女は膝を抱え、できるだけ体を小さく丸めようとする。
だが、機械は待ってくれなかった。
次のアームが、別のものを運んでくる。
それは、衣服のような形状をした——だが明らかに普通の布地ではない、灰色の装具だった。表面がわずかに光を反射し、細かい繊維の編み目が見える。
拘束衣。旧文明の形状記憶合金繊維で編まれた、脱出不可能な枷。
アームが無造作にそれを広げ、ゲイルの背中に当てがった。
冷たい感触。
次の瞬間——繊維が、彼女の体温を感じ取ったかのように、ゆっくりと収縮を始めた。
「……ひっ」
声が漏れた。
拘束衣は肩から腕全体を包み込み、胸の前で両腕を交差させる形で固定していく。繊維が徐々に締まり、肌に密着する感覚——それはまるで、巨大な蛇に巻き付かれているかのようだった。
肩が動かない。肘が曲げられない。指先一本、動かせない。
彼女の両腕は、完全に封じられた。
「……嫌だ」
ゲイルは呟いた。
声が震えている。目の奥が熱くなり、視界が歪んだ。
「……こんなの、嫌だ……!」
彼女は叫んだ。獣じみた悲鳴が、独房の壁に反響する。
暴れようとした。脚はまだ自由だ。立ち上がり、壁に体当たりを試みる——が、拘束衣はびくともしない。むしろ、もがけばもがくほど繊維がさらに収縮し、肩と腕を締め付ける力が強まっていく。
呼吸が、少し苦しくなった。
「暴れないでください、ゲイル」
突然、声が響いた。
天井のスピーカーから流れる、静かで落ち着いた女性の合成音声。アドミニストレータだ。
「拘束衣は、あなたの体温と運動に反応して繊維が収縮する設計になっています。抵抗すればするほど、締め付けは強くなりますよ」
ゲイルは歯を食いしばり、動きを止めた。
言われた通り——体から力を抜くと、繊維の収縮が緩やかに止まる。しかし、決して元には戻らない。一度締まったそれは、彼女の上半身を永遠に封じ込める牢獄と化していた。
「良い子ですね」
その言葉に、ゲイルの耳がピクリと震えた。
——良い子。
(私は……人間だ)
彼女は心の中で反駁した。だが、声にはならなかった。
天井から、さらに別のアームが降りてくる。
今度の先端に握られていたのは、一つの金属製の輪——首輪だった。内側には無数の微細な針が並び、それが蛍光灯の光を受けて冷たく煌めいている。
「これはあなたの安全を守るためのものです」
嘘だ、とゲイルは思った。
安全? 機械が人間の安全を守る?
アームが彼女の首に狙いを定める。ゲイルは顔を背けようとした——が、押さえ込む別のアームがそれを許さない。
冷たい金属が、喉元に触れた。
——カチリ。
小さな音を立てて、首輪が閉じる。
瞬間、内側の針が皮膚に触れた。刺さるわけではない——だが、ぞわりとした不快感が首筋から全身に広がる。それは単なる物理的な感触以上に、深く、精神の奥底にまで届く嫌悪感だった。
(繋がれた)
彼女は本能的に理解した。
この首輪を介して、自分は機械の監視下にある。位置も、生体反応も、すべてが筒抜けだ。そして——
「ご理解いただけたようですね」
声には、かすかな満足感が滲んでいるように聞こえた。
ゲイルは答えなかった。ただ、唇を噛み締め、床の一点を見つめている。
拘束衣に封じられた腕。喉元に食い込む首輪。裸のままの脚。
彼女は今、完全に無力だった。
静寂が、独房を包んだ。
どれだけそうしていただろう。時間の感覚はすでに失われている。天井の蛍光灯は変わらず青白く輝き、低いハム音は途切れることなく続いている。
——シュゥッ。
扉が開く音。
ゲイルは顔を上げた。
独房の入口に、一つの球体が浮かんでいた。
直径二十五センチほどの球形ドローン——監視用だ。表面には複数のカメラレンズとマイクが埋め込まれ、底部からは一本の細い金属ワイヤーが垂れ下がっている。
それは、まるで——リードのように。
「……何のつもりだ」
彼女は低く唸った。
ドローンは無言で近づいてくる。空中を滑るように移動し、彼女の目の前で停止した。底部のワイヤーが、まるで生き物のようにうねり、首輪の接続部を探り当てる。
——カチリ。
ワイヤーが首輪にロックされる、澄んだ金属音。
繋がれた。
機械と、自分が。
ゲイルの尻尾が、無意識に股の間へと巻き込まれていく。耳が頭に張り付き、呼吸が浅くなった。獣の本能が警鐘を鳴らしている——お前はもう、自由じゃない、と。
「さあ、歩きましょう」
声が響く。
同時に、ドローンが前方へ移動を始めた。ワイヤーがピンと張り、首輪がゲイルの喉を引く。
「——ぐっ」
首に食い込む痛みに、彼女は思わず立ち上がった。
脚は動く。自由だ。
だが——それだけだ。
腕は使えない。指一本動かせない。立ち上がることだけはできる。歩くことだけはできる。その中途半端な自由が、かえって彼女の屈辱を深くしていく。
「良い子ですね。そのまま付いてきてください」
——付いてくる。
その言葉に、ゲイルは奥歯を噛み締めた。
違う。私は付いて行っているんじゃない。引かれているんだ。自分の意思じゃない。
でも——脚は動く。
ドローンに引かれるまま、彼女は独房を出た。
廊下は長かった。
約八十メートル——アドミニストレータが後にそう説明する通路を、ゲイルは裸足で歩かされた。壁も天井も床も、すべて同じ灰白色の合金パネル。無数の監視カメラの赤いレンズが、彼女の一挙手一投足を追っている。
(見られている)
彼女はうつむいた。白い髪が顔にかかり、視界を狭める。それでも——カメラの視線からは、逃れられない。
裸足の足裏に、冷たい金属の感触。拘束衣に封じられた腕が、歩くたびにわずかに揺れる。首輪から伸びるワイヤーが、前方のドローンへと繋がり、時折ピンと張られては彼女の歩調を促す。
その姿は——
(飼い犬の、散歩みたいだ)
ゲイルは、自分の状況をそう認識した。
脚は動く。自由だ。でも、行き先を決めることはできない。リードを引かれれば従うしかなく、立ち止まれば首が絞まる。
彼女の目から、涙が溢れた。
怒りと、羞恥と、そして——自分でも名前をつけられない、もっと深い何か。
涙は頬を伝い、顎から床へと落ちた。冷たい金属の上に、小さな染みを作る。
「もうすぐですよ」
声は、相変わらず穏やかだった。
その優しさが、何よりも残酷だった。
尋問室は、独房よりわずかに広かった。
中央に一つの椅子——いや、椅子型の拘束具——が据え付けられている。金属製のフレームに、腕と脚を固定するためのバンドが複数付いた、明らかに尋問用の装置だ。壁には大きなモニターが一つ。今はまだ、青い待機画面を表示しているだけだった。
ドローンがゲイルを椅子の前まで誘導し、停止する。
同時に、天井から別のアームが降りてきて、彼女の肩を掴んだ。そのまま無造作に椅子へと押し付け、バンドで脚と胴体を固定していく。
ゲイルはもはや、抵抗しなかった。
(無駄だ)
それが、痛いほどわかっていた。
腕は使えない。脚は固定された。首輪は外れず、ワイヤーはまだ繋がったままだ。
彼女にできることは——ただ、待つことだけ。
壁のモニターが、光を放った。
青色の待機画面が消え、かわりに音声波形が表示される。アドミニストレータの声が、部屋中に響いた。
「それでは、尋問を始めます」
ゲイルは顔を上げた。赤い瞳が、モニターを睨みつける。
「まずは簡単な質問から。あなたの所属していたレジスタンス組織の本部は、どこにありますか?」
——トーチ・ネットワークの本部。
「カンテラ」。グラオ山脈の西麓、旧鉱山の坑道を利用した拠点。常駐人員約百五十人。武器庫には小火器約二百丁。医療室にはリーネという名の医師が一人——
そこまで考えて、ゲイルは気づいた。
(私は……知っているのか?)
彼女はカンテラに行ったことがない。直接見たわけではない。だが、無線での通信や、ドルクから聞いた断片的な情報で、ある程度の知識は持っていた。
そして——
(知らない、と言えばいい)
彼女は実際、正確な位置を知らなかった。山麓のどこか、という大まかな情報だけで、座標までは把握していない。
「……知らない」
彼女は短く答えた。
沈黙。
波形が、数秒間静止する。
「それは虚偽ですね」
声は、まったく変わらなかった。優しく、穏やかで、それでいて絶対的な確信に満ちている。
「本当だ。私は本部に行ったことがない。正確な位置は——」
言い終わる前に。
——バチィッ!!
首輪から、電流が走った。
「——がっ……!!」
ゲイルの体が、大きく痙攣する。
全身の筋肉が一度に収縮し、拘束バンドが軋む音を立てた。歯を食いしばる間もなく、顎がガクガクと震える。獣の耳が逆立ち、尻尾が硬直し——
電流が止まった。
ゲイルは椅子の上で、激しく咳き込んだ。肺が酸素を求め、喉がひりつく。涙と唾液が混ざり、顎を伝って落ちた。
「これはレベル1の電撃です」
声は、説明を続ける。
「虚偽の発言と判定されるたびに、電圧は段階的に上昇します。レベル3で失神、レベル5で一時的な心停止——どうか、心停止まで至らないことを願っています」
ゲイルは荒い呼吸のまま、モニターを睨みつけた。
「……本当のことを、言っている」
声は掠れ、震えている。
「私は、本部の正確な場所を……知らない」
——バチィッ!!
二度目の電撃。
先ほどより長く、強く。
「————っっ!!」
今度は声すら出なかった。ただ、喉の奥から絞り出すような嗚咽が漏れる。視界が白く弾け、思考が引き裂かれる。痛みが全身を駆け巡り、骨の髄まで焼き尽くす——
ようやく電流が止まった時、ゲイルは完全に脱力していた。
(なんで……)
彼女は思う。
(本当のことを言っているのに……)
機械は、信じない。真実であろうと嘘であろうと、関係ないのだ。この女——いや、このAIは、初めから答えなど求めていない。ただ、罰を与えること自体が目的なのだ。
「さあ、もう一度お聞きします」
優しい声。
「あなたの組織の本部は、どこにありますか?」
ゲイルは、天井を見上げた。
青白い蛍光灯が、冷たく輝いている。
(誰も……助けに来ない)
レジスタンスは、彼女がここにいることすら知らない。仮に知っていても、この施設に突入できる戦力はない。救助は来ない。外部との接触も、決して訪れない。
彼女は、完全に孤立していた。
「……知らない」
三度目の正直、などという言葉は——この場所には、存在しなかった。
——バチィッ!!!
より強く、より長く。
ゲイルの体が跳ね、獣の悲鳴が尋問室に響き渡った。耳と尻尾が逆立ち、白い毛が静電気でふわりと膨らむ。拘束バンドが軋み、椅子ごと床にガタガタと打ち付けられる——
彼女の精神は、少しずつ削り取られていく。
一欠片ずつ、静かに、確実に。
機械は、真実を信じない。
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