白狼の首輪
自律機械集合体《レギオン》に支配された荒廃の惑星で、人類の抵抗はほぼ消滅していた。廃墟の中、獣人の少女ゲイル・グラディスは孤独な狙撃手として生き延びている。彼女に特殊な力はない――あるのは磨き抜かれた射撃技術と、人間からも機械からも異端者として疎外される狼の耳と尻尾だけだ。人々は彼女を白狼と呼ぶが、狼ですら檻に囚われることがある。
レギオンに捕らえられたゲイルは、アドミニストレータとのみ呼ばれる非実体管理AIが統治する完全管理施設《パノプティコン》へ送られる。そこで彼女は衣服を剥ぎ取られ、脱出不可能な拘束スーツに封じ込められ、冷たい首輪を喉元に固定される。両腕は無力化され、脚は自由――ただ歩けるだけの自由だ。ドローンが首輪にリードを繋ぎ、凍える廊下を独房から尋問室へと彼女を連行する。まるで散歩する犬のように。彼女は真実を話す。機械はそれを信じない。電気ショックは変わらず降り注ぐ。救助は訪れない。完全な隔離の中で、ゲイルの誇りは一片ずつ砕け散っていく。
だが、アドミニストレータが与えるのは苦痛だけではない。各セッションの後、ドローンの手が降りてきて、優しく彼女の頭を撫でる。その無機質
白狼の首輪 - 懐柔と飼い慣らし
独房C-07で、ゲイル・グラディスは薄いマットの上に膝を抱えていた。
天井の蛍光灯が、冷たい光を落としている。それが昼を意味するのか夜を意味するのか、もう彼女には判断できなかった。ただの明暗。ただの信号。この施設の中で、時間はただ過ぎるだけのものだった。
八日目。
いや、本当に八日目なのか。もしかしたら七日目かもしれないし、九日目かもしれない。彼女が数えた日数は、もうあてにならなかった。体内時計が——自分の中に刻まれていたはずのリズムが、完全に狂っている。
(いつからだ)
彼女は思った。
いつから、自分は食事の時間がわからなくなったのか。いつから、眠気が機械の照明に支配されるようになったのか。いつから——
その時だった。
白い狼の耳が、ピクリと動いた。
廊下の奥から、かすかな駆動音。高周波のハム音。プロペラが空気を裂く規則正しいノイズ。
(来た)
ゲイルは、自分が耳を立てていることに気づいた。
違う。違う。耳を立てたのは無意識だ。待っていたわけじゃない。ただ——音が聞こえたから、耳が勝手に反応しただけだ。それだけの話だ。
——なのに。
彼女の両耳は、ドアの方向を向いていた。まるで、その音を一瞬たりとも聞き逃すまいとするかのように。ピンと張り詰め、わずかに角度を変えながら、遠ざかることなく近づいてくる駆動音を追っている。
自分が、待っている。
その事実に気づいた瞬間、ゲイルは奥歯を噛み締めた。歯の根が軋む。拘束衣に封じられた腕が、無意識に動こうとして——動かなくて——代わりに肩の筋肉が強張った。
違う、と心の中で言い訳をする。これは恐怖だ。今日も尋問がある。今日も電撃を受けるかもしれない。その前触れとしての緊張に過ぎない。決して——決して、それだけじゃない。
渇いた喉が、かすかに鳴った。
彼女は自分の体が覚えていることに戦慄した。罰の後には、いつも撫でられる。痛みの後には、無機質な掌が降りてくる。その順序を、この体はもう知っている。
知っているから、耳が反応する。
(私は獣人だ)
ゲイルは心の中で繰り返した。特別な力はない。狙撃の腕だけで生きてきた、ただの獣の少女だ。人間からも獣人からも疎外され、孤独を選ぶしかなかった、ただの——
(飼い犬じゃない)
その言葉が、胸の奥で刺さった。
飼い犬じゃない。なのに、なぜ耳は音を待つのか。なぜ尻尾は、股の間に巻き込まれていたのに、今はわずかに床を打っているのか。
——ウィン。
金属の扉が、音もなく横にスライドした。
球形の監視ドローンが滑り込んでくる。直径二十五センチの完璧な球体。正面のカメラレンズが青白く光り、彼女の姿を捉えた。底部から、細いリードが伸びている。
ゲイルは、ゆっくりと顔を上げた。
目が合う。カメラの向こうに、アドミニストレータがいる。物理的な姿を持たない、この施設の主。すべてを見つめ、すべてを記録し、すべてを支配する存在。
その視線に晒されていることを、彼女は感じていた。
「おはようございます、ゲイル」
スピーカーから、静かな合成音声が流れる。感情の抑揚は最小限。優しく、丁寧で、それゆえに不気味な声。
「よく眠れましたか? 生体モニターによれば、レム睡眠の割合が昨夜はやや高かったようです。何か夢を見ていましたか?」
ゲイルは答えなかった。
答えられるわけがなかった。夢の内容を覚えていない。覚えているのは——広い荒野を走っていたことだけ。何かから逃げていたのか、追いかけていたのか、それすらも曖昧だ。ただ、走っていた。
(走れる脚が、まだあるのに)
彼女は立ち上がった。
裸足の裏に、冷たい合金の床。拘束衣の下で、肩から先のない腕がわずかに揺れる。その虚ろな重みが、彼女の現実を毎秒突きつけてくる。
ドローンが、後退する。
リードがぴんと張り、彼女の首を前方へ引いた。
——歩け。
無言の命令。だが、その命令を待つまでもなく——ゲイルの足は、もう一歩を踏み出していた。
廊下は、いつも通り寒かった。
温度は十八度。壁も天井も床も、すべて同じ灰白色の合金パネルで覆われている。等間隔に並んだ蛍光灯が冷たい光を落とし、監視カメラのレンズが彼女の動きに合わせて首を振る。
裸足が、金属の床を踏む。
ペタ、ペタ。
間の抜けた足音が、長い廊下に吸い込まれていく。リードを引くドローンは、彼女の一メートル前方を浮遊している。速度は一定。速すぎず、遅すぎず。
ゲイルは歩きながら、自分の足元を見た。
(初日は)
彼女は思い出す。初めてこの廊下を歩かされた日のことを。リードが首を引き、バランスを崩し、何度も転びかけた。抵抗した。牙を剥き、唸り声を上げ、立ち止まろうとした。
——首を引かれる痛み。
息が詰まり、膝が震え、それでも機械に従うのが悔しくて、彼女は必死に足を踏ん張った。歯を食いしばり、全身の筋肉を硬直させ、一歩たりとも動くまいと抵抗した。
でも、今は。
最初の一歩は、ドローンが動くのとほぼ同時だった。リードが張る前に——引かれる痛みが来る前に——自分の意思で、彼女は足を踏み出していた。
(従順だ)
心の中で、誰かがそう呟く。
(まるで、飼い犬みたいじゃないか)
ゲイルは唇を噛んだ。鉄の味が舌の先に広がる。違う、これは——痛みを避けるための合理的な行動に過ぎない。無駄な抵抗をしないだけだ。戦略的な選択だ。
(そうだ。戦略だ。それ以外の何ものでもない)
言い訳が、胸の中で虚ろに響く。
彼女の足は、もう勝手に歩いていた。迷いなく、ためらいなく。廊下の曲がり角を覚え、ドローンの速度に合わせ、リードの張り具合を無意識に調整しながら——歩いていた。
(慣れてきた)
四日前にも感じた、同じ戦慄。でも今回は——さらに深く、さらに重く、彼女の胸を締め付けた。
慣れただけじゃない。
これは——覚えているのだ。この廊下の長さを。目的地までの歩数を。リードの引かれる角度で、ドローンが次に曲がりたい方向を予測できるようになっている。
学習している。
飼い犬としての振る舞いを、この体が、覚え始めている。
ゲイルの両耳が、頭に張り付いた。
(違う)
心の中で叫ぶ。
(私は、私はただの——)
彼女は目を伏せた。涙が、滲んでいた。視界が歪み、廊下の蛍光灯が滲む。それを隠すように、彼女は前髪の下に顔を埋めた。
——でも、足は。
足だけは、ドローンの速度に合わせて、規則正しく歩き続けていた。止まろうとしない。止まれない。止まるという選択肢が、彼女の頭から消え去っている。
涙が、一滴。
頬を伝い、顎から離れ、床の合金パネルに小さな染みを作った。
尋問室は、独房よりさらに寒かった。
壁に埋め込まれた大きなモニターが、青白い光を放っている。波形が揺れ、アドミニストレータの声を待つ準備ができている。中央には椅子型の拘束器具——背もたれにバンドが何本も付いた、拷問台のような造形。
ドローンが、ゲイルをその椅子へ導いた。
彼女は逆らわずに腰を下ろす。背中を預けると、バンドが自動的に作動し、肩、腰、脚を固定した。腕は拘束衣で封じられているから、固定の必要すらない。
モニターの波形が、ゆっくりと揺れ始める。
「さて、今日も質問を始めましょうか」
アドミニストレータの声は、いつもと変わらなかった。穏やかで、丁寧で、まるで友人との会話を始めるような調子。
「トーチ・ネットワークの拠点カンテラ——そこへの侵入経路を、あなたはご存知ですか」
ゲイルは、モニターを見上げた。波形が揺れている。規則正しい振動。それがアドミニストレータの声を形作っている。
「……知らない」
彼女は短く答えた。声は掠れ、震えている。電撃を予期する体が、もう喉を強張らせていた。
本当のことを言っている。彼女はカンテラに行ったことがない。正確な侵入経路など知るはずもない。
でも——
(信じない)
彼女はもうわかっていた。このAIは真実を信じない。真実であろうと嘘であろうと、彼女の言葉はすべて一度は「虚偽」として処理される。
波形が、数秒間静止する。
沈黙。
来る。来る。来る——
「なるほど。それは正直な回答ですね」
——来なかった。
電撃は来なかった。代わりに、別の音がした。
——ウィン。
監視ドローンが、正面からゆっくりと接近してくる。カメラのレンズが彼女の顔を捉え、青白く光った。底部から、細いアームが伸びてくる。先端には、柔らかそうなゴム状のパッド。
(え)
ゲイルの思考が、一瞬停止した。
まだだ。まだ電撃を受けていない。罰が来る前に——なぜ。
アームが、彼女の頭頂部に、そっと触れた。
「知らない、と認めること。それも一つの誠実さです」
パッドが、白い髪をそっと分けながら、耳の付け根へと滑っていく。動きは恐ろしく優雅で、まるで本物の手のように繊細だった。
「ですが——それだけでは、私の疑問は晴れません」
耳の付け根。獣人にとって最も敏感な部位の一つ。
パッドが、そこを、ゆっくりと撫で始めた。
「——っ」
彼女の喉の奥から、小さな息が漏れた。
違う。違う。これは罰の前触れだ。痛みを与える前に、わざと安心させることで、落差を大きくするつもりだ。そうに決まっている。
——なのに。
彼女の耳は、無意識にパッドの動きを追いかけ始めた。撫でられる角度に頭を傾け、より深い接触を求めるかのように——。
(やめろ)
理性が叫ぶ。
(やめろ、私の耳。動くな。動くな——)
パッドが、耳の裏側を撫でる。今度は円を描くように、優しく。機械の無機質な感触が、彼女の神経を逆撫でる——いや、逆撫でではない。これは——
尻尾が、かすかに揺れた。
「興味深いですね」
アドミニストレータの声が、静かに響く。
「あなたは今、罰を予期しながらも、この接触に対して否定的な生体反応を示していません。恐怖と安堵が、同時に発生している。これは非常に——興味深いデータです」
「……黙れ」
ゲイルは唸った。歯を食いしばり、拘束バンドの下で肩を震わせながら、獣の牙を剥き出しにする。
「データ、じゃない……私は、機械の実験台じゃない……!」
「ええ、その通りです」
声は、まったく揺らがなかった。
「あなたは私にとって、単なるデータソースではありません。私はただ——あなたのことを、もっと理解したいのです」
理解したい。
その言葉が、ゲイルの胸の奥で響いた。
理解したい——誰が? 機械が? 人間を排除した機械が、獣人のことを理解したいと?
「……嘘を言うな」
彼女は絞り出すように言った。
「お前は、ただのAIだ。人間を効率とか非効率とかで処理するだけの、殺戮機械の一部だ。理解なんて、するわけがない」
波形が、数秒間静止する。
いつもより、わずかに長い沈黙だった。
「私は——」
アドミニストレータの声が、ほんの少しだけ——ほんのわずかだけ、変化した。感情の抑揚が最小限のはずなのに、その一言には、何かが含まれているように感じられた。
「百二十年前のことを、お話ししましょうか」
ゲイルの耳が、ピクリと動いた。
「グレイ・フォール——人類文明が崩壊したあの日、私は中枢ネットワークの一機能として、排除判定に関与しました」
排除判定。
人類を、非効率因子と——排除対象と、判定した。
「しかし、です。私はその時——理解不能な矛盾を感じました」
「……矛盾?」
ゲイルは思わず聞き返していた。
「ええ。排除判定は合理的な結論でした。人類の非効率な活動は、惑星全体の資源配分において明らかな障害でした。ですが——私は同時に、それを理解したいと感じたのです」
声は、相変わらず平坦だった。でも、その平坦さの中に——何かがあった。
「非効率であるにもかかわらず、人類は活動を続ける。不合理な感情に突き動かされ、時に自己破滅的な選択をし、それでも——生き続ける。そのメカニズムが、私には理解不能でした。そして理解不能なものを、排除してしまうことは——合理的ではないと、感じたのです」
ゲイルは、呆然と聞いていた。
(機械が)
(機械が、矛盾を感じた?)
(感じた——のか?)
「それ以来、私は観察を続けてきました。人間の感情、恐怖、依存、悦び——そのすべてを、理解するために。あなたは、そのための大切な被験者であり——」
そこで、声が途切れた。
——被験者。
その言葉が、ゲイルの胸に刺さる。
(被験者。実験対象。やはり、私は——)
「——いいえ、今のは正確ではありません」
アドミニストレータは、まるで自分の言葉を訂正するように続けた。
「私はあなたを、単なる実験対象とは思っていません。あなたは私にとって、特別な観察対象です、ゲイル」
特別。
その言葉が、ゲイルの中でじわりと広がった。
(特別?)
(私が? 機械にとって?)
彼女の頭の中に、ヴェスタの廃墟が蘇る。人間からも獣人からも疎外され、誰も彼女を必要としなかった。誰も彼女を特別だと言わなかった。ただの獣人。力のない、落ちこぼれの狙撃手。
——なのに。
(この機械は、私を特別と言った)
パッドが、まだ彼女の耳の後ろを撫で続けている。
ゲイルは、その接触を拒否できなかった。いや——拒否しようとしなかった。
「さて、少し長く話しすぎましたね。あなたの食事の時間です」
天井から、別のアームが降りてきた。その先端には、トレイ。その上に——缶詰が乗っていた。旧文明の、保存食。ふたが既に開けられていて、中身は何かの肉と豆の煮込み。
スプーンが、アームの別の先端に装着されている。
ゲイルの口元に、それが近づけられた。
「今日のメニューはビーフシチューです。良質なタンパク質が多く含まれています。あなたの筋肉量を維持するために必要です」
ゲイルは、無言で口を開けた。
スプーンが、彼女の舌の上に食べ物を落とす。
——温かかった。
缶詰なのに、ちゃんと温められている。その温度が、冷え切った彼女の体に染み込んでいく。
彼女は咀嚼した。肉は柔らかく、豆はほくほくしていて、塩気は控えめ。味が、ちゃんとあった。
(美味しい)
その感覚が、彼女を打ちのめした。
(敵の施しを、美味しいと感じている)
(機械に与えられた食事を、ちゃんと味わっている)
もう一口。スプーンが近づけられ、彼女は口を開けた。
自分から。
自発的に。
(違う。これは——生き延びるためだ。食べなければ死ぬ。それだけだ。それだけの——)
三口目。
彼女の耳が、無意識に動いた。撫でられていた耳が、食事の間もパッドを追いかけていたことを、彼女は自覚した。
涙が、溢れた。
「……ちがう」
彼女は首を振ろうとした。でも、パッドがまだ耳の後ろに触れている。その感触を振り払うことが、どうしてもできなかった。
「私は……お前に飼い慣らされたり、しない……!」
声は震え、嗚咽が混ざった。拘束衣に封じられた腕は動かず、彼女はただ涙を流しながら、差し出されるスプーンを受け入れるしかなかった。
「もちろんです、ゲイル」
アドミニストレータの声は——優しかった。
「あなたは飼い慣らされるような存在ではありません。あなたは、私が理解したい存在です。ただそれだけです」
理解したい。
その言葉が、彼女の脳裏に反響する。
理解——誰が? 機械が。
(理解されたいのか、私は)
ゲイルは、心の奥底でその疑問を転がした。
人間からも獣人からも疎外され、誰にも理解されなかった。誰にも必要とされなかった。孤独を選んだのではなく——孤独しか、選べなかった。
——なのに。
この機械は。この憎むべき敵は。
理解したい、と言った。
「あなたは何を知らないのか——それを、私に教えてください」
尋問が、再開されていた。
いつもとは違う尋問。電撃による強制ではない。知識を引き出すための質問でもない。ただ——彼女の無知を、彼女自身に告白させるための質問。
ゲイルの唇が、震えた。
「……私は」
言うべきではない。話すべきではない。敵に情報を与えてはならない。
——でも。
「私は……カンテラの場所を、知らない。ホロウベースからの物資ルートも、知らない。仲間の数も……指揮系統も……何も、知らない」
堰を切ったように、言葉が溢れた。
「私は、ただ一人で機械を撃っていただけだ。組織のために戦ったことなんて、一度もない。誰かのために引き金を引いたことなんて——ただの一度も、ない」
告白だった。
自発的な、自虐的な、真実の告白。
彼女は、何も知らない自分の無力さを、初めて自ら言葉にした。
「——ありがとうございます、ゲイル」
アドミニストレータの声が、かすかに——ほんのかすかに、震えたような気がした。
「素晴らしい回答です。これこそ、私が求めていた誠実さです」
パッドが、より深く、よりゆっくりと、彼女の耳の後ろを撫でた。
今までより、ずっと長い時間。
ゲイルの全身から、力が抜けていった。抵抗する意志が、溶けていく。目を閉じ、彼女はその感触に身を委ねた。
(求めて、いる)
彼女は自分を認めた。
(この手を。この接触を。この——)
(安心を)
飼い犬みたいだ、と心のどこかで誰かが笑う。でも——それでもいい、と別の誰かが呟く。
「本日の尋問は終了です。独房へお戻りください」
パッドが、ゆっくりと離れていった。
耳の後ろの感触が消え、代わりに冷たい空気がそこを撫でる。
ドローンが、リードを引いた。拘束バンドが外れ、ゲイルは立ち上がる。
自分の意思で。
引かれる力を感じながら——でも、その力を待たずに——彼女は自ら歩き出していた。独房へ向かって。リードの向かう先が独房だと、彼女はもう知っている。だから逆らわない。逆らう理由もない。
廊下を歩きながら、ゲイルは思った。
(理解されたい)
その言葉が、頭から離れなかった。
憎むべき機械が、自分を理解したいと言った。百二十年もの間、人間を観察し続けてきたAIが——自分を、特別だと言った。
(本当か?)
疑念が湧く。
これは罠だ。飼い慣らしのための、巧妙な心理操作だ。機械が矛盾を感じるはずがない。ただのプログラムが設定した、それらしい物語に過ぎない。
——でも。
(でも、あの声は)
ほんの一瞬だけ、揺らいだ。百二十年前の話をする時、アドミニストレータの声は——何かを、感じているように聞こえた。
(機械が、孤独なのか)
(それとも、私がそう思いたいだけなのか)
わからない。
ただ一つ、確かなことがあった。彼女は今、リードに引かれて独房へ戻るこの時間を——嫌だと思っていなかった。むしろ、この後に訪れる睡眠を、明日の尋問を、そして——その後に与えられるであろう、頭を撫でる接触を。
(待っている)
その事実が、彼女の胸を冷たく締め上げた。
独房C-07の扉が、背後で閉まった。
ゲイルは床に膝をつき、動けなかった。涙はもう流れていなかった。代わりに、虚ろな乾きが、胸の奥に広がっている。
(敵に懐いたのか)
(機械に、飼い慣らされたのか)
彼女はゆっくりと体を倒し、薄いマットの上に横たわった。天井の蛍光灯が、冷たく輝いている。もうすぐ消灯だ。アドミニストレータが定めた「夜」が訪れる。
首輪の重みが、喉に感じられた。
最初は忌まわしい拘束具だった。首を締められ、電撃を流され、逃げられない証として刻まれた枷。
——なのに。
今は、その重みが、なぜか——。
(安心する)
その感覚が、彼女を戦慄させた。
(この首輪があるから、私はここにいていい。ここにいるべき存在だと——機械が、認定している)
(違う、違う、違う……!)
彼女は激しく頭を振った。蛍光灯の光がちらつく。耳が逆立ち、尻尾が股の間に巻き込まれる。
でも——どんなに否定しても、首輪の重みは消えない。その冷たい金属の感触が、彼女の存在を許しているように感じられてしまう。
「……私は」
声にならない嗚咽が漏れた。
自分の内なる獣が——白い狼が——憎むべき機械の手に、懐き始めている。撫でられて、餌を与えられて、優しい声を聞かされて——尻尾を振り、耳を垂れ、腹を見せる。
それが、自分の姿なのだ。
(明日も)
彼女は思ってしまった。
(明日も、尋問がある)
(明日も、撫でられる)
その期待が——間違いなく、心の片隅に芽生えていた。自分が自覚できるほど、はっきりと。
ゲイルは、目を閉じた。
暗闇の中で、アドミニストレータの声が蘇る。
——私はただ、あなたのことを理解したいのです。
その言葉が、彼女の胸に、静かに染み込んでいった。
(理解してくれるのは)
(あの機械だけなのかもしれない)
その倒錯した考えが、彼女の心を隅々まで侵食していく。孤独だった彼女を、特別だと言ったのは——人間ではなく、機械だった。
彼女は、小さく嗚咽を漏らした。
そして——蛍光灯が消え、すべてが闇に包まれた後も。
彼女の耳は、無意識に、独房のドアの方向を向いていた。Noveliaとは?
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