キルラキルIF 〜鮮血が燃え尽きなかった世界〜
――鮮血は、死んでいなかった。
本能字学園での決戦から半年。纏流子は輪廻堂高校の教室で、ただ漫然と午後の授業を受けていた。頭の中は、あの黒いセーラー服のことばかり。宇宙空間で燃え尽きた相棒の欠片を探して、流子は週の半分以上を欠席し、各地を飛び回っている。それでも、見つかったのは何一つない。
そんなある日、下駄箱に一通の封筒が置かれていた。差出人は、針目縫。あの決戦で消えたはずの女からだった。
『鮮血を生き返らせたかったら、本能字学園にいらっしゃい。ただし、お前の大切なものを賭ける覚悟で来ること』
封筒を握りつぶし、流子は走り出す。行くしかない。鮮血を取り戻すために。
本能字町に降り立った流子を待っていたのは、かつて廃棄されたはずの極制服をまとった生徒たちと、あの無邪気な笑顔だった。縫の手には、赤く光る鮮血の右目。そして告げられる。鮮血は死んでいない。七つに分かれた欠片を集めれば、縫い合わせてやると。
「せいぜい楽しませてね、流子ちゃん」
校門が開く。数十人の極制服が、一斉に力を解放する。片太刀バサミを構え、流子は笑った。鮮血がいなくても、戦える。鮮血のためなら、なんだって
キルラキルIF 〜鮮血が燃え尽きなかった世界〜 - 鮮血を継ぐ者 ― 喪失の日々と縫の招待状
教室の窓から差し込む午後の日差しが、机の上に広げたノートを白く照らしていた。黒板の前で教師が何かを喋っている。たぶん、現代文だ。教科書のどこかを読んでいる。声は遠く、言葉は一文字も頭に入ってこない。
纏流子はシャープペンを握ったまま、ノートの端っこに小さなセーラー服を描いていた。何度も何度も、同じ形を。前開きの短い上着に、ひらひらしたスカート。襟のあたりに大きな右目がついていて、それがいつもこっちを見ている。
(鮮血……今、どこにいるんだよ)
心の中でそうつぶやいて、流子は描きかけの落書きを指先でなぞった。黒いセーラー服。赤い糸で縁取られた、たった一枚の神衣。あれは服なんかじゃなかった。相棒だった。
「纏。第3段落を読め」
教師の声が急に近くなった。流子は顔を上げる。教壇の上の男が、チョークを握ったままこっちを見ていた。クラスメイトたちの視線が一斉に集まる。何人かが小さく笑った。
「……は? どこ」
「第3段落だ。教科書の」
流子は机の上の教科書を見下ろした。開かれているページすら分からない。隣の席のやつが、ひそひそと教えてくれる。ページ数。行数。
「えーと……『春はあけぼの』」
教室がどっと笑った。教師がため息をつく。
「それは随筆だ。今は小説を読んでいる」
「ちっ……うるせえな。分かってるよ」
流子は舌打ちして、教科書を乱暴に閉じた。笑い声はまだ続いている。後ろの席の男子が「やっぱバカだよな」と囁くのが聞こえた。
(うるせえ。今はそれどころじゃねえんだ)
本当は、授業なんてどうでもよかった。頭の中は鮮血のことでいっぱいだ。半年も経つのに、何一つ見つかっていない。欠片の一つさえ。
輪廻堂高校。ここは本能字町から電車で四十分ほど離れた、ごく普通の公立高校だ。校舎は古く、窓ガラスにはひびが入り、廊下の床はところどころ剥がれている。生徒は八百人ほど。制服はあるが、校則はゆるい。
流子はここに籍を置きながら、週の半分以上を欠席して各地を飛び回っていた。鮮血の欠片を探すために。縫山連峰の廃坑や、糸港市の倉庫街、本能字町の裏通りまで。行ける場所は全部行った。それでも、何も。
放課後のチャイムが鳴った。
流子はノートを閉じて、ギターケースを肩にかけた。中には片太刀バサミが入っている。父の形見。鮮血を失った今、こいつだけが唯一の武器だ。
教室を出ようとした時、ポケットのスマホが震えた。画面を見る。マコからのメッセージが何件もたまっていた。
『りゅうこちゃん! 今日も来てないの?』
『お弁当、流子ちゃんの分も買ったのに!』
『生きてる? 返事して!』
『ねえ、今どこ? 心配だよ!』
既読すらつけていなかった。流子は画面をじっと見て、スマホをポケットに押し込んだ。
(悪い、マコ。でも今は……)
返事を打つ気になれなかった。打ったら、心配をかける。でも、打たなければもっと心配させる。分かってる。分かってるけど、指が動かない。
下駄箱の前まで来た。自分の靴箱の蓋を開ける。上履きを放り込んで、外履きを取ろうとした。
その時、白い封筒が目に入った。
上履きの上に、ちょこんと置かれている。無地の封筒。表には何も書かれていない。裏返す。
差出人の名前を見た瞬間、流子の手が止まった。
針目縫。
たった三文字。それだけで、全身の血がざわりと騒いだ。心臓が早鐘を打つ。指先が冷たくなる。
(あいつ……生きてやがったのか)
流子は封筒を乱暴に破った。中から便箋が一枚。丸っこい文字で、こう書かれていた。
『ひさしぶりね、流子ちゃん。元気にしてたかしら? 鮮血を生き返らせたかったら、本能字学園にいらっしゃい。ただし、お前の大切なものを賭ける覚悟で来ること。じゃあ、待ってるわよ』
流子は便箋を握りつぶした。紙の感触が手のひらに食い込む。
「……ふざけんな」
声が低くなった。自分でも分かるくらい、声が震えている。怒りで。それとも、別の感情で。
あいつが生きている。鮮血の欠片を持っている。あの女が、今、本能字学園にいる。
だったら、行くしかない。
迷いなんてなかった。
流子は下駄箱に靴を突っ込むと、校門に向かって走り出した。後ろで誰かが呼ぶ声がした気がしたが、振り返らなかった。
駅までの道を走る。夕暮れの空がオレンジ色に染まっていた。風が生ぬるい。春の終わりの匂いがする。
切符を買って、ホームに駆け上がる。ちょうど電車が滑り込んできた。ドアが開く。流子は空いている席に座って、ギターケースを膝の上に置いた。
電車が動き出す。窓の外を、見慣れた街並みが流れていく。小さな商店街、川沿いの道、団地の群れ。だんだん建物がまばらになって、山が見えてきた。
縫山連峰。本能字町の北側を囲む低い山々だ。あの山の向こうに、本能字学園がある。
流子は窓に額をつけて、目を閉じた。
半年前のことを思い出す。
宇宙空間。真っ暗な空。星が遠くで瞬いていた。
鮮血が燃えていた。
黒いセーラー服が、大気圏の熱で赤く、白く、光りながら崩れていく。あの時、鮮血は何て言ったっけ。
『セーラー服とは、卒業するものだ』
そう言って、笑った。服のくせに。ボロボロになりながら、最後までかっこつけやがって。
「……ばかやろう」
流子は小さくつぶやいた。目を開けると、窓ガラスに自分の顔が映っていた。黒いショートヘアの前髪に、赤いメッシュが一房。深い赤茶色の瞳。特徴的な形の瞳孔が、ガラスの中でじっとこっちを見ている。
八重歯がのぞく口元は、きつく結ばれていた。
(今度こそ、取り戻す。ぜってえに)
拳を握る。爪が手のひらに食い込む。痛みで、気持ちを保つ。
電車は本能字町に近づいていた。
駅に着いた。改札を抜けて、外に出る。
本能字町の空気が、半年ぶりに肺に入ってきた。少し埃っぽい。どこかで工事をしている音がする。街は以前と変わらないようで、でも、何かが違う。
流子は歩きながら周囲を見回した。駅前の商店街には、極制服を着た生徒たちが歩いている。見慣れた光景だ。でも、よく見ると、その制服が微妙に違う。
前より派手だ。生地が厚い。肩や胸のあたりに、赤い糸の刺繍が入っている。
(新型の極制服……?)
極制服。生命戦維という特殊な繊維を織り込んだ、着るだけで身体能力が跳ね上がる制服。星の数でランクが決まっていて、三つ星、二つ星、一つ星、無星。かつて本能字学園を支配していた力の象徴だ。
羅暁の野望が砕かれて、極制服は全部廃棄されたはずだった。なのに、また作られている。しかも、前より強そうなやつが。
流子は足を速めた。本能字学園の校門が、坂の上に見えてくる。
大きな門柱。かつては「本能字学園」の文字が掲げられていた。今は、その上に新しい看板がかけられている。
『学園再建委員会』
流子は看板を睨みつけた。
(再建? ふざけやがって。あの学園を、あいつらが好き勝手に作り変えてるってのか)
校門の前まで来た。門は閉じている。その前に、一人の少女が立っていた。
薄桃色のゆるふわツインテール。大きな青い瞳。小柄で、白いワンピースを着ている。まるで人形みたいに整った顔。にこにこと、笑っている。
針目縫。
「ひっさしぶりね、流子ちゃん。元気にしてたかしら?」
声は無邪気で、甘ったるい。昔と何も変わらない。
流子はギターケースを握りしめた。指が震える。頭の奥がカーッと熱くなる。
「てめえ……よくもぬけぬけと」
「あらあら、こわい顔。せっかく招待してあげたのに」
縫は笑ったまま、右手を差し出した。
その手に、布の切れ端が握られていた。
赤い光を宿した、黒い布。
鮮血の右目。
流子の心臓が跳ねた。間違いない。あれは鮮血の一部だ。布の上の大きな目が、弱々しく、でも確かに赤く光っている。
「それを……どこで」
「宇宙よ。あの決戦の後、私が全部拾ってあげたの。感謝してほしいわね」
縫は布の欠片をひらひらと揺らした。右目が、流子を見ている。
「鮮血は死んでないわ。ただ、バラバラになっただけ。全部で七つ。右目、左目、胴体、右脚、左脚、右腕、左腕。これを全部集められたら、私が縫い合わせてあげる」
「……何が狙いだ」
「狙い? そんなの決まってるじゃない。楽しいからよ」
縫は首をかしげた。ツインテールがふわりと揺れる。
「お前が必死になって欠片を探す姿、想像するだけで笑えてきちゃうわ。それにね、皐月お姉さまもきっと見に来るわよ。私がここにいれば、あの人も放っておけないはず」
皐月。その名前を聞いて、流子の胸がちくりと痛んだ。
(姉さん……)
鬼龍院皐月。流子の実の姉。あの決戦の後、行方が分からなくなっている。
「姉さんを巻き込むな」
「あら、もう姉さんって呼んでるのね。仲良しさんじゃない」
縫の笑顔が、ほんの一瞬だけ、冷たいものに変わった。
「でも、お前の大切なものは、お前が守ればいいのよ。賭ける覚悟はできてるんでしょう?」
流子は黙って縫を睨んだ。
(こいつに何を言っても無駄だ。だったら、やるしかない)
「……上等だ。やってやるよ。欠片を全部集めて、鮮血を取り戻す」
「いい返事ね。じゃあ、まずは一つ星の子と遊んでみましょうか」
縫が指を鳴らした。
校門が、ゆっくりと開く。
流子が一歩を踏み出した瞬間、周囲の空気が変わった。
校門の内側に、生徒たちがずらりと並んでいた。全員、新型の極制服を着ている。その数、ざっと見て数十人。
全員が、流子を囲むように動く。
「ようこそ、私の実験場へ」
縫の声が後ろから聞こえた。
「せいぜい楽しませてね、流子ちゃん」
次の瞬間、生徒たちが一斉に極制服の力を解放した。
赤い光が、校庭を包む。制服が変形し、それぞれの生徒の体を覆っていく。腕が太くなり、脚が長くなり、肩に装甲が生える。生命戦維が着用者の身体能力を極限まで引き上げる。
流子はギターケースを地面に叩きつけた。ケースが開き、中から片太刀バサミが飛び出す。巨大な、半分のハサミ。父の形見。
「かかってこいよ……まとめてやってやる!」
流子は叫んで、片太刀バサミを構えた。
(鮮血がいなくても、俺は戦える。一人でも、ぜってえに)
でも、心の奥では分かっていた。
鮮血なしでは、本来の力の半分も出せない。
敵は数十人。一人一人が、極制服で強化されている。
絶体絶命。
それでも、流子は笑った。
八重歯をむき出しにして、獣みたいに。
「やってやるよ……鮮血のためなら、なんだってな!」
片太刀バサミの刃が、夕日を反射して赤く光った。
その頃、輪廻堂高校では。
満艦飾マコは、流子の空っぽの席をじっと見ていた。茶色のボサボサしたショートヘアが、窓から入る風に揺れる。丸くて大きな黒い瞳が、心配そうに潤んでいた。
「流子ちゃん、また休んでる……」
マコはスマホを取り出した。流子とのトーク画面を開く。自分のメッセージが何件も並んでいる。既読は、一つもついていない。
「流子ちゃん、今どこにいるの? 心配だよ!」
マコは新しいメッセージを打った。送信ボタンを押す。画面を見つめる。
既読は、つかない。
「流子ちゃん、何かあったのかな……」
マコはスマホを胸に抱きしめた。小さな体が、かすかに震えている。
流子が何を探しているのか、マコは知っている。鮮血。流子の相棒だった神衣。マコも、あの決戦の日、鮮血が燃え尽きるのを見ていた。
だから、流子が無理をしていることも、分かっている。
「大丈夫だよ、流子ちゃん。私がついてるから」
マコは誰もいない教室で、小さくつぶやいた。
窓の外では、夕日が沈みかけていた。オレンジ色の光が、マコの頬を染める。
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