キルラキルIF 〜鮮血が燃え尽きなかった世界〜
――鮮血は、死んでいなかった。
本能字学園での決戦から半年。纏流子は輪廻堂高校の教室で、ただ漫然と午後の授業を受けていた。頭の中は、あの黒いセーラー服のことばかり。宇宙空間で燃え尽きた相棒の欠片を探して、流子は週の半分以上を欠席し、各地を飛び回っている。それでも、見つかったのは何一つない。
そんなある日、下駄箱に一通の封筒が置かれていた。差出人は、針目縫。あの決戦で消えたはずの女からだった。
『鮮血を生き返らせたかったら、本能字学園にいらっしゃい。ただし、お前の大切なものを賭ける覚悟で来ること』
封筒を握りつぶし、流子は走り出す。行くしかない。鮮血を取り戻すために。
本能字町に降り立った流子を待っていたのは、かつて廃棄されたはずの極制服をまとった生徒たちと、あの無邪気な笑顔だった。縫の手には、赤く光る鮮血の右目。そして告げられる。鮮血は死んでいない。七つに分かれた欠片を集めれば、縫い合わせてやると。
「せいぜい楽しませてね、流子ちゃん」
校門が開く。数十人の極制服が、一斉に力を解放する。片太刀バサミを構え、流子は笑った。鮮血がいなくても、戦える。鮮血のためなら、なんだって
キルラキルIF 〜鮮血が燃え尽きなかった世界〜 - 戦維の記憶 ― 暴かれた正体と失われた腕
羅暁の研究棟。本能字学園の裏手に建つ、半年前までは誰も近づこうとしなかった古びた建物だ。コンクリートの壁には黒い煤がこびりつき、窓という窓は板で打ち付けられている。夕暮れの空気が、建物の周りだけやけに冷たく感じられた。
流子はギターケースを背負い直し、錆びた鉄扉の前に立った。手には、縫から渡された地図。三つ目の欠片が、この地下深くにある。
「……ここか」
隣に立つマコが、不安そうに流子の袖を引っ張った。
「流子ちゃん、ここ、すっごく嫌な感じがするよ。入らなきゃダメなの?」
「嫌なら帰れ。私は一人で行く」
流子は鉄扉を押した。ギィ、と耳障りな音を立てて、扉がゆっくりと開く。中から、かび臭い空気が流れ出してきた。
「あたしも行く! 流子ちゃんを一人にしない!」
マコはぎゅっと流子の腕にしがみついた。流子は振り払おうとして、やめた。マコの手が、小刻みに震えていたからだ。
(こいつも、怖いんだ)
「……離れるなよ」
流子は小さく言って、暗い建物の中へ足を踏み入れた。
建物の中は、時間が止まったように静まり返っていた。廊下には古い書類やガラスの破片が散乱し、天井からはむき出しの配線が垂れ下がっている。壁に掛けられたホワイトボードには、赤いペンで何かが書きなぐられた跡が残っていた。
「なにこれ……実験室?」
マコが、廊下の脇に並ぶ部屋を覗き込む。どの部屋にも、同じような光景が広がっていた。倒れた試験管ラック。割れたフラスコ。床にこびりついた黒い染み。
「生命戦維の研究をしてた場所だ。羅暁の、な」
流子は足を止めずに、廊下の奥へ進んだ。壁に取り付けられた古い標識が、薄暗い中でかすかに光っている。『地下研究区画』と書かれていた。
(この先に、あの場所がある)
流子の心臓が、嫌な音を立て始めた。鼓動が速くなる。手のひらに汗が滲む。
「流子ちゃん、大丈夫? 顔、真っ青だよ」
マコが心配そうに覗き込んでくる。流子は無理に笑みを作った。
「平気に決まってんだろ。ほら、行くぞ」
地下へ続く階段を下りる。一歩ごとに、空気が冷たくなっていく。薬品の匂いが濃くなり、やがて、もっと嫌な匂いが混ざり始めた。鉄の匂い。血の匂い。
流子の足が、止まった。
階段の先に、重い鉄の扉が見えた。半開きになっている。その奥から、かすかな赤い光が漏れていた。
「……ここだ」
流子は、震える手で扉を押し開けた。
部屋の中は、異様な空間だった。
壁一面に、ガラスのカプセルが並んでいる。高さ二メートルほどの円筒形のカプセル。中は空っぽのものがほとんどだが、いくつかは緑がかった液体で満たされ、その中に黒い繊維状のものが浮かんでいた。
「なにこれ……なにこれ!?」
マコが声を上げる。流子は答えなかった。
部屋の中央に、古い手術台があった。革のベルトが四本、台の四隅に取り付けられている。ベルトは擦り切れ、黒ずんでいた。台の周りには、無数のコードと管が床に散らばっている。
流子は、その手術台を見つめた。
――冷たい台の感触。体に食い込むベルト。天井の無機質なライト。
(いやだ)
――薬品の匂い。誰かの冷たい視線。体に突き刺さる、無数の針。
(やめろ)
――羅暁の顔。あの女が、笑っている。
(やめてくれ)
流子は、こめかみを押さえた。頭の奥が、割れるように痛い。目の前が、ぐにゃりと歪む。
「流子ちゃん!? どうしたの!? ねえ!」
マコの声が、遠くから聞こえる。流子は、その場に膝をついた。呼吸が荒くなる。肺が、うまく動かない。
(思い出したくない。あの日を。あの場所を)
「……私は、ここにいた」
流子の唇から、かすれた声が漏れた。
「流子ちゃん……」
マコが、流子の手を握った。小さな、温かい手。
「大丈夫。大丈夫だよ、流子ちゃん。あたしがいる。あたしが、ずっと一緒にいるから」
マコは、流子の背中を、優しくさすった。何度も、何度も。
「過去は、過去だよ。今の流子ちゃんは、ここにいる。あたしと一緒に、ここにいる。それで、いいんだよ」
マコの声が、少しずつ、流子の耳に届いていく。乱れた呼吸が、ゆっくりと落ち着いていく。
「……悪い、マコ」
流子は、顔を上げた。マコの目を、まっすぐ見る。
「ううん! 謝らなくていいんだよ! あたしは、流子ちゃんのリラックスの素だからね!」
マコは、にぱっと笑った。その笑顔に、流子は少しだけ救われた。
「……行くぞ。欠片は、この奥だ」
流子は立ち上がり、手術台の奥に目を向けた。部屋の最奥に、小さな台座がある。その上に、赤い布切れが置かれていた。かすかに、脈打つように光っている。
鮮血の欠片だ。
流子は、台座に近づいた。手を伸ばす。指先が、欠片に触れる。
――瞬間。
「あはは、よく来たわね、流子ちゃん」
声が、背後から聞こえた。
流子は振り返った。
部屋の入口に、針目縫が立っていた。薄桃色のツインテール。大きな青い瞳。白いワンピース。指抜きグローブをはめた右手を、ひらひらと振っている。
「てめえ……ずっと、つけてやがったな」
流子は、欠片をポケットに押し込み、片太刀バサミを構えた。
「つけてたんじゃないの。待ってたの。あなたが、ここに来るのを。ずっと、ずーっとね」
縫は、ゆっくりと部屋の中へ歩いてきた。ヒールの音が、コツ、コツ、と冷たく響く。
「どう? 懐かしかった? ここは、あなたの生まれた場所よ。あなたが、人間じゃなくなった場所」
流子の体が、強張った。
「……何を言ってやがる」
「とぼけないで。思い出してるんでしょ? その顔。その目。あの日のことを、ちゃんと覚えてる」
縫は、流子の前で立ち止まった。にこにこと笑っている。目は、まったく笑っていない。
「教えてあげる。お前は、人間じゃない。生命戦維でできた、人を殺すための兵器。鬼龍院羅暁が作り出した、ただの道具よ」
「嘘だ!」
流子は叫んだ。
「嘘? じゃあ、その心臓をえぐってみなさいよ。赤い血じゃなくて、真っ黒な戦維が出てくるわ。お前の体は、戦維でできてるんだから」
縫は、流子の胸を、指先でつん、と突いた。
「……やめろ」
流子は、縫の手を払いのけた。指先が、かすかに震える。
「あはは、怖い? 自分の正体を知るのが、そんなに怖い?」
縫は、流子の周りを、くるくると回り始めた。
「それだけじゃないのよ。鬼龍院皐月。あなたの、お姉ちゃん。あの人も、知ってたの。お前が、人間じゃないって。お前が、兵器だって」
流子の呼吸が、止まった。
「……なに、言って」
「皐月は、お前を利用してたの。お前が、戦維を殺すための兵器だから。お前の力を、自分の目的のために使ってた。お前のことを、道具としか見てなかった」
縫の言葉が、鋭い刃のように、流子の心を切り裂いていく。
(皐月が……私を、道具?)
(そんな、はず、ない)
(でも、あの人は、確かに、私を戦わせた)
(鮮血を着せて、戦わせた)
(それは、私の意思だったのか?)
(それとも、あの人の命令だったのか?)
思考が、ぐるぐると回る。頭の中が、真っ白になっていく。
「流子ちゃん! しっかりして! その人の言うこと、聞いちゃダメだよ!」
マコが、流子の腕にしがみついた。だが、マコの声は、もう流子の耳に届いていなかった。
「あはは、いい顔。すごく、いい顔。壊れてく顔。お前の、そういう顔が見たかったの」
縫は、右手を持ち上げた。指先から、白い糸が、するすると伸びてくる。
「さあ、始めましょう。お前が、本当に人間かどうか。確かめてあげる」
縫の指先から、糸が放たれた。
白い糸が、空気を裂いて飛んでくる。流子は、反射的に片太刀バサミを振った。ガキン、と硬い音。糸が、刃に弾かれる。
「おお、防いだ。でも、それだけ?」
縫は、両手から無数の糸を放った。糸が、蜘蛛の巣のように広がり、流子を包み込もうとする。
流子は、片太刀バサミを振り回した。糸を切り、弾き、避ける。だが、動きが鈍い。
(体が、重い)
(力が、入らない)
(くそ……さっきの言葉が、頭から離れない)
「流子ちゃん! 右! 右から来てる!」
マコの叫びに、流子は反応した。右から飛んできた糸を、間一髪でかわす。頬を、糸がかすめた。ぴり、と痛みが走る。血が滲む。
「あらあら、全然ダメね。鮮血なしの、ただの人間。いえ、ただの兵器かしら?」
縫の攻撃が、激しさを増す。糸が、壁を、床を、天井を、切り裂いていく。ガラスのカプセルが割れ、緑色の液体が床に飛び散った。
流子は、防戦一方だった。片太刀バサミで糸を弾くのが精一杯。反撃する余裕が、まったくない。
(だめだ。このままじゃ)
(でも、どうすれば)
(私は、人間じゃないのか)
(私は、兵器なのか)
(私は、何のために戦ってるんだ)
「ほらほら、どうしたの? いつもの、その憎たらしい顔は? もっと怒りなさいよ。もっと、私を殺したいって思わないの?」
縫の言葉が、流子の心を、さらに深くえぐる。
(殺したい)
(殺してやりたい)
(でも、体が動かない)
(私の体は、私のものじゃないのか)
「流子ちゃん!!」
マコの悲鳴が、響いた。
流子が顔を上げると、縫の糸が、マコに向かって一直線に伸びていた。
(マコ!)
流子は、とっさに飛び出した。
マコの前に、体を滑り込ませる。
「させるか……!」
片太刀バサミを、糸に向かって振り下ろす。だが、糸は刃を避けるように、しなやかに軌道を変えた。
そして。
ザンッ。
「え……?」
流子の左腕が、肘の少し上から、切り落とされた。
鮮血が、飛び散る。
赤い血が、壁に、床に、マコの顔に、降りかかる。
「いやあああああ!!!」
マコの絶叫が、部屋中に響き渡った。
流子は、自分の左腕を見た。肘から先が、ない。切断面から、血が、どくどくと噴き出している。
(ああ)
(私の、腕が)
「あはははは! 見て! 見てよ、その血! 真っ赤な血! あはは、お前の血は、まだ赤いのね! でも、その体は、もう人間じゃない。血が赤いだけの、化け物よ!」
縫の笑い声が、遠くに聞こえる。
流子は、膝から崩れ落ちた。視界が、白く霞んでいく。痛みが、全身を駆け巡る。焼けるような、鋭い痛み。
「流子ちゃん! 流子ちゃん! しっかりして! ねえ!」
マコが、流子の体を抱き起こす。涙と血で、ぐちゃぐちゃの顔。
「……マコ、逃げ……」
流子は、残った右手で、マコの肩を押した。
「嫌だ! 嫌だよ! あたし、流子ちゃんを置いて逃げない! 絶対に嫌!」
「……頼むから……逃げて……」
流子は、最後の力で、マコを部屋の入口の方へ突き飛ばした。
そして、意識が、途切れた。
「流子ちゃん! 流子ちゃん! 目を開けて! お願い!」
マコは、倒れた流子にすがりついた。流子の体から、血が流れ続けている。床に、赤い水たまりが広がっていく。
「あはは、死んじゃった? もう、終わっちゃったの? つまんないの」
縫は、倒れた流子を見下ろした。つまらなそうに、唇を尖らせている。
「でも、まあ、いいわ。今日は、このくらいで許してあげる。次は、もっと面白いことをしてあげるから。楽しみにしててね、流子ちゃん」
縫は、くるりと背を向けた。
「待って! 待ちなさい! 流子ちゃんを、元に戻して!」
マコは、縫の背中に叫んだ。だが、縫は振り返らない。
「無理よ。斬られた腕は、もう戻らない。あの子は、これから、片腕の化け物として生きていくの。あはは、楽しみだわ」
縫は、笑いながら、部屋を出ていった。
「流子ちゃん……流子ちゃん……」
マコは、流子の体を抱きしめた。血が、マコの服に染み込んでいく。
「お願い、死なないで。あたし、流子ちゃんがいないと、生きていけないよ」
マコは、泣きながら、流子の名前を呼び続けた。
どれくらい、そうしていただろう。
マコは、流子の体を背負い、研究棟を出た。夜の闇が、二人を包み込む。
流子の体は、冷たくなっていた。呼吸は、かすかに、まだ続いている。
「病院……病院に行かなきゃ」
マコは、震える足で、本能字町の通りを歩いた。人通りはない。街灯の明かりが、二人の影を、長く伸ばしている。
「あたしが、もっと強かったら。あたしが、流子ちゃんを守れてたら」
涙が、止まらなかった。
マコは、輪廻堂高校の近くにある、廃病院にたどり着いた。以前、流子が、怪我をした時に使った場所だ。
マコは、流子をベッドに横たえた。そして、ポケットからスマホを取り出した。
「お父さん……助けて……」
マコは、震える指で、父親の番号を押した。
その頃。
輪廻堂市の外れにある、鮮血回収委員会の秘密基地。
蛇崩乃音は、基地の扉を開けた。金髪のツインテールが、夜風に揺れる。首にかけたヘッドホンから、かすかに音楽が漏れていた。
「……あら、誰もいないじゃないの。バカ流子のくせに、また、どこをほっつき歩いてるのかしら」
乃音は、基地の中を見回した。机の上に、地図や資料が散乱している。
「これは……鮮血の欠片の、捜索マップ? それに、羅暁の研究棟の資料。……まさか、あのバカ、一人で行ったの?」
乃音は、資料を手に取った。流子の筆跡で、いくつかの場所に印がつけられている。その中の一つに、赤い丸が描かれていた。羅暁の研究棟。
「……皐月様から、あのバカの監視と支援を命じられてるのよ。勝手に死なれたら、あたしの立場がないじゃない」
乃音は、資料を机に叩きつけた。
「バカ流子のくせに、無茶ばかりしやがって……!」
乃音は、ヘッドホンを外し、基地の外へ出た。夜空を見上げる。月が、雲に隠れていた。
「……皐月様に、報告しないと。あのバカが、何をしてるのか」
乃音は、スマホを取り出した。画面に、ある番号を表示させる。
「……出てください、皐月様」
乃音は、祈るような気持ちで、通話ボタンを押した。
だが、呼び出し音は、いつまでも鳴り続けるだけだった。
「……まだ、繋がらない」
乃音は、スマホを握りしめた。
「でも、あたしは、やるわよ。皐月様が、あのバカを気にかけてるなら。あたしが、代わりに、あのバカを見張ってやる」
乃音は、月の見えない空を見上げ、小さく呟いた。
「だから、死ぬんじゃないわよ。バカ流子」
廃病院の一室。
マコは、ベッドに横たわる流子の手を握り続けていた。流子の左腕は、包帯でぐるぐる巻きにされている。血は、なんとか止まっていた。マコの父親である薔薇蔵が、応急処置を施したのだ。
「流子ちゃん……お願い、目を覚まして……」
マコの目は、泣き腫らして真っ赤になっていた。
「あたし、流子ちゃんに、何もしてあげられなかった。流子ちゃんが、あたしを庇って、腕を失ったのに」
マコは、流子の右手を、両手で包み込んだ。冷たい手。だが、かすかに、脈を打っている。
「でも、あたし、絶対に、流子ちゃんのそばを離れない。流子ちゃんが、目を覚ますまで、ずっと、ここにいる」
マコは、流子の手に、自分の額を押し当てた。
「だから、早く、戻ってきて。流子ちゃん。あたしの、リラックスの素に、なってよ」
窓の外では、夜が、深くなっていった。
流子の意識は、まだ、暗い闇の中に沈んだままだった。Noveliaとは?
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