それぞれの「帰る場所」
剣と魔法の世界。冒険者ギルドが管理する無数のダンジョンを抱える商業都市アヴェル。鋼の双剣を振るう細身の青年ジルと、弓と付与魔法を操る少女フィナは、利益の分配をめぐる終わりのない口論の末、渋々コンビを組まされていた。素直になれない二人はいつも言い争いながらも、地下では完璧に息を合わせて戦う。フィナはジルに一目惚れしていたが、実家の大家族への義理を盾にその想いを隠していた。ジルは自分は価値がないと信じ込み、己の感情を抑えつけていた。周囲の誰もが真実に気づいている——二人自身を除いて。
母が倒れたという手紙を受け取ったフィナは、金を稼ぐため密かに危険な高難度クエストを受ける。ジルは彼女の様子がおかしいことに気づき、深層ダンジョンへと後を追う。そこで二人は予想外の強敵に直面する。フィナを守るため、ジルは無謀な双剣流を解き放ち、フィナは必死に付与魔法で彼を支える。危機を乗り越えたジルは、フィナを失うことの方が自分の弱さを認めるより辛いと悟り、フィナもようやく素直な気持ちを受け入れる。
街に戻ると、お節介な不動産仲介人バルドに出会う。傷だらけの二人を若いカップルと勘違いした彼は、上機嫌でアパー
それぞれの「帰る場所」 - 鋼の剣と弓の乙女 ~不器用な二人の螺旋迷宮~
「あら、今日も二人そろってご出勤?仲がよろしいことで」
朝の鉄路の手――アーヴェル中央区にそびえる石造三階建ての冒険者ギルド本部は、今日も汗と革と安酒の匂いでむせ返っていた。一階の受付ホールには、朝一番の依頼を求めて鉄級から銀級までの冒険者たちがひしめき合っている。壁に掛けられた巨大な掲示板には、羊皮紙に書かれた依頼票が所狭しと貼られ、その前では若い男たちが真剣な顔で品定めをしていた。
「……別に、仲がいいわけじゃないです」
ジルはそう言って、受付カウンターの前で小さく肩をすくめた。海のように深い青の大きな瞳が、困ったように揺れる。褐色がかった黒髪は短く、朝の寝癖なのか数本がぴょこんと跳ねていた。身長は172センチ。質素な革の鎧に木綿のシャツ、腰には鋼鉄の剣を二本、左右に差している。やや細身でしなやかな体つきは、とてもその重い剣を二本も振り回せるようには見えない。だが、このギルドの常連なら誰でも知っている。こいつの細腕が、鋼鉄の剣を二本軽々と振り回す化け物じみた膂力を秘めていることを。
「分け前がいいって言われたから、組んでるだけです」
ジルの背後で、小さな影がぴくりと動いた。
「ちょっと、こっちが言ったんじゃないわよ!」
声の主は、ジルの半歩後ろに控えていた少女だった。朱が入った金髪を肩の下まで伸ばし、今日は戦闘用にポニーテールに結っている。緑がかった灰色の瞳が、むっとしたようにジルの背中をにらみつけた。身長は158センチ。小柄な体に、動きやすさを優先した軽装の革鎧を着け、背中には祖父の形見だというエルフ製の複合弓を負っている。
フィナは腕を組むと、ぷいっと横を向いた。
「あんたが勝手に、分け前は半分でいいとか言い出したんじゃない。私は六対四でいいって言ったのに」
「……でも、お前のほうが強いだろ。エンチャントもできるし。俺なんかより」
「またそれ!『俺なんか』って言うの、やめてくれない?」
フィナの声が少し大きくなる。ギルドのロビーにいた冒険者たちが、ちらちらとこちらを見た。いや、正確には、もうずっと前から見ていた。朝のこのやりとりは、鉄路の手の受付ホールではすっかりおなじみの光景になっている。
「またやってるよ」
「あの二人、いつになったらくっつくんだ?」
「賭けになってるらしいぜ。受付の姉ちゃんが仕切ってるって話だ」
そんなひそひそ声が、柱の陰から聞こえてくる。ジルは気づいていない。フィナも気づいていない。二人はただ、お互いの言い分に夢中だった。
受付カウンターの向こうで、栗色の髪をお団子にまとめ、金の簪で留めた女性が、琥珀色の瞳を細めて二人を見ていた。ミレーヌ、23歳。鉄路の手の受付嬢で、ジルとフィナの担当だ。元冒険者で、三年前に左足の怪我で引退してからこの仕事に就いている。面倒見がよく、新人冒険者の相談に乗るのが好きな、ギルドの姉御的存在だった。
「はいはい、そこまで。朝から元気ね、二人とも」
ミレーヌは苦笑しながら、カウンターの上に一枚の羊皮紙を広げた。
「今日の鉄級依頼、ちょうどいいのがあるわよ。螺旋迷宮一階層でのスライム討伐と、ロックバットの魔石回収。報酬は銀貨三十枚。どう?」
「受けます」
ジルは即答した。フィナも、まだ少し膨れっ面のままだったが、小さくうなずく。
ミレーヌは依頼票に羽根ペンを走らせながら、ちらりと二人を見比べた。
「二人で行くのよね?もちろん」
「……別に。たまたま同じ依頼を受けただけです」
「そうよ。たまたまよ。たまたま同じ依頼を、同じ時間に、同じ場所で受けただけ」
「ふふっ、そう。たまたまね」
ミレーヌは含み笑いを漏らすと、依頼票に最後の署名をして、ジルに手渡した。
「はい、これ。気をつけて行ってらっしゃい。一階層は安全だけど、油断は禁物よ。特にロックバットは群れで来るから」
「分かってます。行くぞ、フィナ」
「……分かってるわよ」
フィナはジルの背中を追いかけるように、ギルドの重い木の扉をくぐった。その後ろ姿を、ミレーヌはカウンターに頬杖をついて見送る。
「あの二人、今日もたまたま一緒に潜るのね。たまたま、背中を預け合って」
誰に言うでもなくつぶやいて、ミレーヌは小さく笑った。
――
アーヴェルの街は、朝の光に照らされて活気づいていた。三つの街道が交差するこの交易都市は、人口約四万人。ヴァルドリア王国南東部に位置し、市街地の直下に巨大なダンジョン「螺旋迷宮」の入り口があるという、大陸でも珍しい構造の街だ。石畳の通りには、朝市の露店が軒を連ね、パン屋「小麦の丘」からは焼きたての匂いが漂ってくる。行き交う人々の中には、剣や弓を携えた冒険者たちの姿も多い。
ジルとフィナは、中央区の「冒険者広場」へと足を進めた。広場の中央には、かつて魔潮大災で活躍した冒険者の銅像が立ち、その足元に、地下へと続く大きな石造りの階段がある。螺旋迷宮への入り口だ。
「一階層は鉄級向け。スライムとロックバットだけ。油断しなければ大丈夫だ」
ジルは階段を下りながら、確認するように言った。
「あんた、前回ソロでスライムに囲まれてたじゃない。あれ、油断してたの?」
「……あれは、数が多すぎただけだ」
「ふーん。まあ、今日は私がついてるから安心しなさい」
フィナは胸を張った。その言葉に、ジルは何か言いたそうに口を開きかけたが、結局何も言わずに階段を下り続けた。
螺旋迷宮の入り口は、想像以上に広かった。地下へと続く石造りの階段は、らせん状にぐるぐると続いていて、壁には魔石ランプが等間隔で灯されている。その淡い光が、湿った空気にぼんやりと滲んでいた。空気はひんやりとしていて、地上の朝の暖かさが嘘のように冷たい。
「……相変わらず、ここは変な空気ね」
フィナが小さくつぶやく。螺旋迷宮は、約400年前の魔潮大災で突如出現したダンジョンの一つだ。古代王国の遺構が眠ると言われているが、その全容は未だに解明されていない。現在確認されているだけで50階層。一階層から五階層までは鉄級向け、深くなるほど危険な魔物が棲む。
二人は一階層に到達した。洞窟内は湿度が高く、岩肌からは水滴がしたたり落ちている。遠くで、ぴちゃぴちゃという水音と、何かが這いずるような音が聞こえた。
「……来るぞ」
ジルが両腰の剣に手をかけた瞬間、岩陰から半透明の塊がいくつも飛び出してきた。スライムだ。拳大のものから、子犬ほどの大きさのものまで、ざっと十体はいる。
「行くぞ!」
ジルは二本の鋼鉄の剣を同時に抜き放った。細身の体からは想像もつかない速さで、スライムの群れに突っ込んでいく。右の剣で一体を斬り伏せ、左の剣で横から迫るもう一体を弾き飛ばす。
「はっ!」
ジルの二刀流は、無駄の多い大振りな動きだった。一撃一撃が重く、軌道も大きい。だが、その分だけ破壊力はすさまじく、スライムの核を正確に砕いていく。
「もう少し無駄のない動き、できないの?」
フィナは後方で弓を構えながら、悪態をついた。だが、その手は正確に動いている。ジルが斬り漏らしたスライムに、すかさず矢を放つ。エルフ製の複合弓から放たれた矢は、迷いなくスライムの核を射抜いた。
「……助かる」
ジルは息を弾ませながら、残りのスライムを斬り伏せた。二刀流は強力だが、スタミナの消費が激しい。たった十体のスライム相手でも、ジルの呼吸はかなり上がっていた。
「あんた、毎回それでよく生きてこれたわね」
「……お前がいるから、無茶できるんだ」
その言葉に、フィナの手が一瞬止まった。緑がかった灰色の瞳が、大きく見開かれる。
「……な、何言ってるのよ。そんなの、当たり前でしょ」
フィナは顔を背けて、弓を握り直した。耳の先が、ほんのり赤い。
――
その時だった。
洞窟の天井から、無数の羽音が降ってきた。
「ロックバット!」
天井の岩肌に張り付いていた蝙蝠型の魔物の群れが、一斉に飛び立ったのだ。その数、ざっと三十はいる。ロックバットは一匹一匹は弱いが、集団で襲ってくると厄介だ。鋭い牙と爪で、獲物を切り裂く。
「ジル、多すぎる!」
「下がってろ!」
ジルは二本の剣を構え直し、飛来するロックバットを迎え撃った。だが、数が多すぎる。斬っても斬っても、次から次へと襲いかかってくる。ジルの頬を、肩を、ロックバットの爪がかすめていく。
「くそっ……!」
ジルが一瞬、体勢を崩した。その隙に、五匹のロックバットが一斉にジルの背中に迫る。
「させない!」
フィナは矢をつがえ、祖父の形見の弓を引き絞った。その矢尻に、青白い光が宿る。
「雷精よ、その刃に宿れ――エンチャント・ライトニング!」
フィナが放った魔法付与済みの矢が、ジルの二本の剣に命中した。瞬間、鋼鉄の剣が青白い雷を纏い、バチバチと火花を散らす。
「フィナ、これは……!」
「背中は任せたわよ!」
ジルは一瞬だけ、フィナの方を振り返った。そして、小さくうなずく。
「ああ、任せろ!」
ジルは雷を纏った二本の剣を、全身の力で振り回した。青白い光が洞窟内を走り、ロックバットの群れを一匹残らず焼き尽くしていく。雷のエンチャントは、ロックバットの翼膜を瞬時に焼き切り、その動きを止めた。
「はあああっ!」
ジルの最後の一振りが、群れの中心にいた大型のロックバットを真っ二つにした。洞窟内に、雷の残光と、焦げた羽の匂いが立ちこめる。
静寂が戻った。
「……終わったか」
ジルは剣を下ろし、肩で息をした。エンチャントの効果が切れ、剣から青白い光が消えていく。
「当然でしょ。私がついてるんだから」
フィナは息を弾ませながら、それでも得意げに笑った。エンチャントのMP消費で、彼女の顔色は少し青ざめている。それでも、その笑顔は自信に満ちていた。
「……ありがとう、フィナ。お前のおかげで助かった」
ジルが真っ直ぐにフィナを見て言った。
フィナは一瞬、言葉に詰まった。ジルの海のように深い青の瞳が、自分だけを見ている。そのことに、胸の奥がぎゅっと締め付けられる。
「……べ、別に。あんたが死んだら、分け前が減るからよ」
フィナはそう言って、魔石の回収に取りかかった。うつむいた顔が、耳まで赤いのは、洞窟の薄暗さが隠してくれているはずだ。
――
夕暮れのアーヴェル市街。
ギルドで報酬の銀貨三十枚を受け取った二人は、中央区の石畳を並んで歩いていた。市場の露店は片付けられ始め、街には夕餉の匂いが漂い始めている。
フィナは歩きながら、自分の分け前の銀貨を袋から出して数えていた。
「弟妹に送るぶん、少し多めに貰うからね」
「うん」
ジルは短く答えた。
フィナは少し不満げに、ジルの横顔を見上げた。
「……何か言ってよ」
「だって、お前が稼いだんだろ」
ジルはそう言って、肩をすくめた。
「今日のエンチャント、お前がいなかったら死んでた。分け前はお前が多く取って当然だ」
フィナはそれ以上、何も言えなくなった。銀貨を握りしめた手に、じわりと汗が滲む。
(この人、いつもそう。自分のこと、いつも後回しにして)
フィナの故郷、ノーラ村はアーヴェルから南西へ約40キロの貧しい農村だ。両親と弟妹5人の7人家族。母が倒れてからは、長女のフィナが仕送りを担っている。冒険者になったのも、そのためだった。
(だから、私はもっと稼がなきゃいけない。この人に、甘えてばかりもいられない)
フィナは銀貨を袋に戻し、顔を上げた。
「ねえ、あそこ!」
フィナが指さした先には、南区のパン屋「小麦の丘」があった。老夫婦のマルタとジョナサンが営む小さな店で、朝は冒険者で行列ができる人気店だ。今は夕方で、店先にはまだいくつかのパンが並んでいる。
「甘いパン、一個だけ買わない?半分こしよ」
「……ああ、いいよ」
二人は銅貨五枚を出し合って、甘いパンを一つ買った。まだほんのり温かい。
パンを半分に割って、フィナが大きい方の半分をジルに差し出す。
「はい、あんたのほうが体使うでしょ」
「……いや、お前が食べろよ。甘いもの好きだろ」
「いいから。こういう時くらい、素直に受け取りなさいよ」
フィナは半ば強引に、ジルの手にパンを押し付けた。ジルは少し困ったような顔をして、それから小さく笑った。
「……ありがとう」
二人は夕暮れの街角で、甘いパンをかじった。しっとりとした生地と、優しい甘さが口の中に広がる。
「おいしい……」
フィナは目を細めて、幸せそうにパンを頬張った。その横顔を、ジルはちらりと見る。
(こいつ、こんな顔で笑うんだな)
ジルはすぐに視線を逸らした。胸の奥が、甘いパンとは別のもので満たされていくのを感じて、それが少し怖かった。
「……じゃあ、また明日。ギルドで」
「うん。また明日」
二人は中央区の交差点で別れた。フィナは宿屋「銀の匙」へ、ジルも同じ宿屋へ。部屋は違う。
――
夜。
フィナは宿屋の一室で、窓辺に座っていた。月明かりが、部屋の中に青白く差し込んでいる。
手には、今日の報酬の銀貨。数えて、弟妹に送る分を分けて、自分の生活費を分けて。
「……足りるかな」
フィナは小さくつぶやいた。母の薬代、弟妹の服、冬の薪代。頭の中で計算を始めると、気が遠くなる。
(でも、やるしかない。私がやらなきゃ)
フィナは銀貨を机の上に置き、深く息を吐いた。
その時、ふと、昼間の光景が蘇った。
ロックバットの群れに囲まれたジルの背中。雷を纏った二本の剣。洞窟内を走る青白い光。
(あの背中、意外と広かったな)
フィナは自分の左胸に手を当てた。
鼓動が、普段より速くなっている。
「……なんで、こんなにドキドキするのよ」
フィナは顔を赤らめ、布団を頭からかぶった。
(違う。これは、戦闘の後の高揚が残ってるだけ。そうに決まってる)
心の中で言い訳を並べながら、フィナは目を閉じた。
――
同じ頃。
ジルは宿屋の別の部屋で、天井を見つめていた。
(俺なんかが、彼女に守ってもらってばかりだな)
今日の戦闘を思い返す。スライムに囲まれて、ロックバットに押されて。最後はフィナのエンチャントがなければ、確実に死んでいた。
(二刀流なんて、結局ただの無茶だ。誰かを守れる強さなんかじゃない)
ジルは左の手首に巻かれた古い包帯の跡に触れた。幼い頃の火傷の痕。あの日から、自分は何も変わっていない。
(フィナは、強い。俺なんかより、ずっと)
でも、それなのに。
(なんであいつは、俺と組んでるんだろう)
ジルには分からなかった。分け前の取り分の話で、半ば強引に組まされた。それだけの関係のはずだ。
なのに、今日の別れ際の、甘いパンを頬張るフィナの笑顔が、頭から離れない。
「……寝よう」
ジルは目を閉じた。
だが、眠れない夜は、まだ始まったばかりだった。
互いの想いを自覚できない不器用な二人の物語が、静かに動き出す。Noveliaとは?
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