それぞれの「帰る場所」
剣と魔法の世界。冒険者ギルドが管理する無数のダンジョンを抱える商業都市アヴェル。鋼の双剣を振るう細身の青年ジルと、弓と付与魔法を操る少女フィナは、利益の分配をめぐる終わりのない口論の末、渋々コンビを組まされていた。素直になれない二人はいつも言い争いながらも、地下では完璧に息を合わせて戦う。フィナはジルに一目惚れしていたが、実家の大家族への義理を盾にその想いを隠していた。ジルは自分は価値がないと信じ込み、己の感情を抑えつけていた。周囲の誰もが真実に気づいている——二人自身を除いて。
母が倒れたという手紙を受け取ったフィナは、金を稼ぐため密かに危険な高難度クエストを受ける。ジルは彼女の様子がおかしいことに気づき、深層ダンジョンへと後を追う。そこで二人は予想外の強敵に直面する。フィナを守るため、ジルは無謀な双剣流を解き放ち、フィナは必死に付与魔法で彼を支える。危機を乗り越えたジルは、フィナを失うことの方が自分の弱さを認めるより辛いと悟り、フィナもようやく素直な気持ちを受け入れる。
街に戻ると、お節介な不動産仲介人バルドに出会う。傷だらけの二人を若いカップルと勘違いした彼は、上機嫌でアパー
それぞれの「帰る場所」 - 雷の矢と守る剣 ~螺旋の底で交わる想い~
梅雨明けの朝だった。
アーヴェルの空は、何日も降り続いた雨が嘘のように晴れ渡っていた。石畳の水たまりが朝日を反射して、街のあちこちが小さな光の欠片で溢れている。空気はまだ湿り気を含んでいて、息を吸うたびに、土と草と、どこか遠くの花の匂いが混ざった匂いがした。
ジルは、中央区の冒険者広場の地下へと続く階段の前に立っていた。
褐色がかった黒髪は、少しだけ伸びて、耳のあたりで跳ねている。海のように深い青の瞳は、まっすぐに、暗い地下への入り口を見つめていた。細身の体に、二本の鋼鉄の剣を、左腰に交差させて帯びている。
左の手首には、古い包帯の跡。その下に、幼い頃の火傷の痕が隠れている。
(今日、決着をつける)
ジルは、ゆっくりと息を吐いた。
折れた肋骨は、まだ完全には治っていない。深く息を吸うと、左の胸の奥が、鈍く痛んだ。治癒魔法をかけてくれた神官は「あと十日は安静に」と言っていた。だが、そんな時間はない。
(フィナが、行くと言った)
(なら、俺も行く)
それだけだった。
背後から、軽い足音が近づいてくる。振り返らなくても、誰だか分かった。
「……待った?」
フィナだった。
朱が入った金髪を、今日は高い位置でポニーテールに結んでいる。戦闘の時は、いつもこうだ。緑がかった灰色の瞳が、ジルをじっと見ていた。その手には、祖父の形見である、エルフ製の複合弓が握られている。
背中には矢筒。腰には、魔石の粉末が入った小さな革袋。エンチャントに使う触媒だ。
「いや。今、来たところだ」
ジルは、そう言って、フィナの方を向いた。
二人の間に、少しだけ、沈黙が落ちる。
昨日の夜、宿の前で交わした言葉が、まだ、空気の中に残っているような気がした。
『俺も、お前を、守る』
あの時の、自分の声が、頭の中で繰り返される。
(俺が、守る)
(でも、前みたいに、無茶はしない)
ジルは、拳を、ぎゅっと握った。
「フィナ。今日の作戦、聞いてくれるか」
フィナは、少しだけ首を傾げた。
「作戦?あんたが、作戦なんて、考えるの?」
「……ああ。俺なりに、考えた」
ジルは、深呼吸をした。
「前回、俺は、二刀流で、あの甲殻に正面から挑んだ。剣を弾かれて、水圧砲をまともに食らった。結果、肋骨を折って、撤退した」
フィナの表情が、少しだけ曇った。
あの日のことを、思い出したのだ。ジルが壁に叩きつけられ、血を吐いて、動けなくなった時のことを。
「だから、今日は、二刀流を封印する。剣は、一本だけ使う。もう一本は、防御専用だ」
フィナは、目を少しだけ見開いた。
「……防御専用?あんたが?」
「ああ。俺は、お前を守る。守りながら、攻める。無茶はしない。お前のエンチャントが発動するタイミングに、合わせて動く」
ジルの声は、静かだった。
でも、その瞳には、強い決意があった。
フィナは、しばらく、ジルの顔を見つめていた。
(この人、本当に、変わろうとしてる)
(あたしのために、無茶をしないで、守ろうとしてくれてる)
フィナの胸の奥が、きゅう、と音を立てた。
でも、それを顔に出すわけにはいかない。
「……ふん。あたしが、援護するから、前に出なさい。あんたが守るんじゃなくて、あたしが、あんたを、後ろから支えるんだから」
フィナは、そう言って、弓をぎゅっと握りしめた。
照れると、語尾が強くなる。いつもの癖だ。
「ああ。頼りにしてる」
ジルは、そう言って、少しだけ笑った。
フィナは、その笑顔を見て、耳の先が、かあっと熱くなるのを感じた。
「べ、別に、あんたのためじゃないわ。お金のためよ。金貨八十枚。あれがあれば、弟たちに、いっぱい送れるんだから」
フィナは、早口で、そう言った。
「ああ。分かってる」
ジルは、優しく、そう答えた。
(分かってないわよ、ばか)
フィナは、心の中で、そう呟いた。
(あんたのため、って言ったら、あたしが、どれだけ、楽になるか)
(でも、言えない)
(言ったら、きっと、あたし、泣いちゃうから)
フィナは、顔を伏せた。
――
二人は、冒険者広場の地下へと続く階段を、ゆっくりと下りていった。
階段は、石を削って作られた、古いものだった。壁には、魔石ランプが等間隔で設置されていて、青白い光が、足元を照らしている。空気は、ひんやりと冷たく、湿っていた。地上の夏の暑さが、嘘のようだった。
螺旋迷宮。
アーヴェルの地下に広がる、巨大なダンジョンだ。現在確認されているだけで、五十階層。一階から五階までは鉄級向け、六階から十五階までは銅級向け。二人が今、向かっている十階層は、銅級の中でも、特に危険な場所だった。
前回、二人は、そこで、グランドールに敗れた。
全長四メートル、六本の腕を持つ、蟹型の人型魔物。
鋼鉄の剣を弾く甲殻。岩をも砕く水圧砲。
あの化け物が、十階層の、どこかにいる。
「……フィナ。お前のエンチャント、どれくらい持つ?」
ジルは、階段を下りながら、静かに尋ねた。
「……一回の付与で、十分。でも、連続で使うと、精神力が、もたない。最大で、三回が限界よ」
フィナは、革袋の中の魔石の粉末を、指で確かめながら答えた。
エンチャント。
武器に一時的な属性を付与する魔法。発動には、魔石の粉末が触媒として必要で、効果は約十分。付与中は、術者の精神力、つまりMPを、継続して消費する。
フィナは、特に「雷属性」を得意としていた。
「三回。十分だ。三回あれば、決着をつける」
ジルは、そう言った。
「……あんた、また、無茶する気じゃないでしょうね」
フィナの声が、少しだけ、尖った。
「しない。約束する。今日は、お前のタイミングに、合わせる」
ジルは、フィナの目を見て、そう言った。
フィナは、その瞳の真剣さに、何も言えなくなった。
(信じても、いいのかな)
(あんたを、信じて、いいのかな)
フィナは、唇を、きゅっと結んだ。
――
十階層に、到着した。
広大な、岩の広間だった。
天井は高く、魔石ランプの光が、届かない場所は、深い闇に沈んでいる。床には、大小さまざまな岩が転がり、所々に、水たまりができていた。空気は、地上よりもさらに冷たく、生臭い匂いがした。魔物の匂いだ。
二人は、広間の入り口で、足を止めた。
「……いるわ」
フィナが、小さく呟いた。
闇の奥から、重い、何かが動く気配がした。
ズズ……ズズズ……
湿った、重い音。
巨大な何かが、岩の陰から、ゆっくりと、姿を現した。
全長四メートル。六本の腕。人型の蟹に似た、異形の魔物。
甲殻は、暗い赤銅色に光り、表面には、無数の傷跡が刻まれている。前回、ジルがつけた、剣の傷だ。
グランドール。
その複眼が、ぎょろりと、二人を捉えた。
「……来るわよ」
フィナが、弓を構えた。
ジルは、右手で一本の剣を抜き、左手で、もう一本の剣を、逆手に構えた。
「フィナ。俺が、前で受ける。お前は、後ろから、タイミングを見て、矢を放て」
「分かってるわ。あんたこそ、死なないでよ」
「ああ。死なない」
ジルは、そう言って、地面を蹴った。
――
グランドールが、咆哮した。
ギシャアアアアアッ!!
鼓膜を裂くような、金属音の混じった叫び。
同時に、六本の腕のうち、右の三本が、ジルに向かって、一斉に振り下ろされた。
一撃一撃が、人間の体など、紙のように引き裂く威力。
ジルは、それを、右手の剣で受け流した。
ガキンッ!!
火花が散る。
腕の重さが、剣を通して、全身に伝わってくる。骨が、ぎしりと軋んだ。折れた肋骨が、悲鳴を上げる。
(重い……!)
でも、前回のように、正面から力で押し返そうとはしなかった。
ジルは、体を横に流し、腕の軌道を逸らした。
剣を、受け止めるのではなく、受け流す。
無駄な力を使わない。
グランドールの攻撃が、空を切る。
「今だ、フィナ!!」
ジルが叫んだ。
その声に応えるように、フィナが、矢を放った。
「食らいなさい!!」
ヒュッ、と空気を裂く音。
フィナの矢は、ただの矢ではなかった。
矢尻に、魔石の粉末が塗り込まれ、フィナの魔力が、そこに集中している。
「雷のエンチャント……!!」
バチバチバチッ!!
矢が、青白い電光を纏って、グランドールの左腕の関節部へと、吸い込まれていった。
グランドールの甲殻は、鋼鉄の剣をも弾く。
だが、関節部だけは違う。
動くために、甲殻が薄く、柔らかい膜で覆われている。
そこが、弱点だった。
ズブッ!!
雷を纏った矢が、関節の膜に、深々と突き刺さった。
バチバチバチバチッ!!!
甲殻の隙間から、電流が、グランドールの体内に流れ込んでいく。
「ギシャアアアアアッ!!!」
グランドールが、苦悶の叫びを上げた。
左腕の動きが、明らかに鈍る。
「効いてるわ!!ジル、今よ!!」
フィナが、声を張り上げた。
ジルは、地面を蹴って、グランドールの懐へと飛び込んだ。
右手の剣を、腹部へと、突き出す。
グランドールの弱点は、二つ。
関節部の柔らかい膜と、腹部の魔石核。
魔石核を破壊すれば、この化け物は、死ぬ。
「ここだ……!!」
ジルの剣が、グランドールの腹部を狙う。
だが、グランドールも、やられっぱなしではいなかった。
右の三本の腕が、ジルを潰そうと、四方から迫る。
ジルは、左手の剣で、それを受け流した。
ガキンッ!ガキンッ!ガキンッ!
三連続の火花。
防御専用の剣が、ジルの体を、守っていた。
(これでいい)
(無茶をしない)
(守りながら、攻める)
ジルは、自分に言い聞かせるように、剣を振るった。
右手の剣が、グランドールの腹部に、浅く切り込む。
「ギシャアッ!!」
グランドールが、怒りの声を上げた。
その口が、大きく開く。
まずい。
「ジル、水圧砲が来るわ!!」
フィナの警告が、広間に響いた。
グランドールの口の奥で、水が、圧縮されていくのが見えた。
水圧砲。
岩をも砕く、高圧の水流。
前回、ジルは、これをまともに食らって、壁に叩きつけられた。
「分かってる!!」
ジルは、左手の剣を、自分の前に、盾のように構えた。
次の瞬間。
ドゴォォォォッ!!!
水圧砲が、放たれた。
ジルの体が、吹き飛ばされる。
でも、前回とは、違った。
ジルは、剣で水流の角度を逸らし、衝撃を、横に逃がしていた。
体が、地面を滑る。
「ぐっ……!!」
折れた肋骨が、激しく痛んだ。
でも、立っていられないほどのダメージではない。
(まだ、いける)
ジルは、顔を上げた。
その時。
「二回目よ!!食らいなさい!!」
フィナの声が、飛んだ。
二本目の雷の矢が、今度は、グランドールの右腕の関節に、突き刺さった。
バチバチバチバチッ!!!
電流が、グランドールの体を、駆け巡る。
「ギシャアアアアアッ!!!」
グランドールの動きが、さらに鈍った。
六本の腕のうち、二本が、完全に機能を失っている。
「今よ、ジル!!畳みかけて!!」
フィナが、叫んだ。
ジルは、地面を蹴った。
(フィナが、作ってくれた隙だ)
(無駄には、しない)
ジルは、右手の剣を、グランドールの腹部へと、突き出した。
今度は、浅くない。
深く。
魔石核を、貫くほどの、深さで。
「うおおおおおおっ!!!」
剣が、甲殻の隙間をこじ開け、柔らかい腹部へと、突き刺さっていく。
手応えがあった。
でも、魔石核には、まだ届かない。
「ギシャアアアアアッ!!!」
グランドールが、暴れた。
残った四本の腕が、ジルを叩き潰そうと、乱打してくる。
ジルは、左手の剣で、必死に受け流した。
でも、四本の腕を、一本の剣で、完全に防ぎ切ることはできない。
一撃が、ジルの肩を、かすめた。
「ぐあっ……!!」
肉が裂け、血が飛んだ。
でも、骨までは、いっていない。
「ジル!!」
フィナの、悲鳴に近い声。
「大丈夫だ!!まだ、いける!!」
ジルは、血を流しながらも、剣を握り直した。
(まだだ)
(まだ、終わっていない)
ジルは、グランドールの攻撃を、受け流しながら、確実に、腹部への剣を、深くしていった。
(フィナが、エンチャントで、動きを鈍らせてくれている)
(俺が、その隙に、魔石核を、破壊する)
(これが、俺たちの、戦い方だ)
ジルの心の中で、初めて、確かな手応えがあった。
――
フィナは、弓を構えながら、唇を噛みしめていた。
(あと一回)
(エンチャントは、あと一回が限界)
(精神力が、もう、底をつきそう)
頭が、くらくらする。
視界が、時々、ぼやける。
MPの消費が、限界に近づいていた。
(でも、まだよ)
(あたしは、まだ、戦える)
(あいつが、前で、戦ってるんだから)
フィナは、矢筒から、最後の矢を、抜き取った。
(おじいちゃん)
(あたし、この弓で、守りたいものを、守るって、決めたんだ)
(お金のためだけじゃない)
(あいつの、背中を、守りたいんだ)
フィナは、矢に、魔石の粉末を、丁寧に塗り込めた。
そして、弓を、限界まで引き絞った。
「……これで、決めるわ!!」
フィナの瞳に、涙が滲んでいた。
祖父の形見の弓が、彼女の魔力に応えて、微かに震える。
「雷のエンチャント……最大出力……!!」
バチバチバチバチッ!!!
矢が、これまでにない、眩い電光を纏った。
広間全体が、青白い光に包まれる。
グランドールが、その光に、一瞬、ひるんだ。
「ジル!!今よ!!」
フィナが、最後の力を振り絞って、矢を放った。
――
その時、グランドールが、最期の水圧砲を、放とうとしていた。
口が、大きく開く。
奥で、水が、圧縮されていく。
狙いは、ジル。
至近距離。
避けられない。
(やばい……!)
ジルの脳裏に、死の予感が、走った。
でも、ジルは、逃げなかった。
(守るんだ)
(俺が、守るんだ)
ジルは、左手の剣を、投げ捨てた。
そして、両手で、右手の剣を、握り直した。
(二刀流じゃない)
(でも、この一撃に、全てを込める)
ジルは、グランドールの腹部に突き刺さった剣を、さらに深く、押し込んだ。
「守るのは……お前だぁぁぁぁっ!!!」
ジルの叫びが、広間に響き渡った。
同時に、フィナの声が、重なった。
「護る弓は……あなたのためにあるんだからぁぁぁっ!!!」
雷の矢が、グランドールの甲殻の隙間を、完全に破壊した。
バチバチバチバチバチッ!!!
甲殻が、内側から、粉々に砕け散る。
電流が、グランドールの全身を、焼き尽くしていく。
「ギシャアアアアアアアッッッ!!!」
グランドールの断末魔が、迷宮に木霊した。
そして、ジルの剣が、露出した魔石核を、貫いた。
パキッ。
何かが、砕ける、澄んだ音。
グランドールの巨体が、ゆっくりと、傾いだ。
ドォォォォン……!!!
地響きとともに、四メートルの巨体が、地面に崩れ落ちた。
――
静寂。
広間に、再び、静けさが戻った。
ジルは、グランドールの腹に剣を突き刺したままの姿勢で、肩で息をしていた。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
全身が、汗と血で、ぐっしょりだった。
肩の傷が、じくじくと痛む。折れた肋骨も、限界だった。
でも、生きている。
「……ジル!!」
フィナが、駆け寄ってきた。
「大丈夫!?死んでない!?お願い、返事して!!」
フィナの声は、涙で震えていた。
ジルは、ゆっくりと、顔を上げた。
「……大丈夫だ。生きてる」
ジルは、そう言って、笑った。
フィナは、その笑顔を見て、全身の力が抜けたように、その場に、へたり込んだ。
「……ばか。ばか。あたし、あんたが、死んじゃったかと、思ったんだから……」
フィナの目から、涙が、溢れ出した。
「……ごめん。心配かけた」
ジルは、フィナの頭に、そっと手を置いた。
フィナは、その手を、振り払わなかった。
――
二人は、しばらく、そのまま、動けなかった。
ジルは、グランドールの腹部から、魔石核を取り出した。
大品質の魔石。
金貨八十枚に相当する、貴重な品だ。
「……これで、弟たちに、送れるな」
ジルは、魔石核を、フィナに差し出した。
フィナは、涙を拭いながら、それを受け取った。
「……あんたも、ちゃんと、治療費に、使いなさいよ。肩、血が出てるんだから」
フィナは、ジルの肩の傷を見て、そう言った。
「ああ。そうする」
ジルは、素直に、頷いた。
(勝ったんだ)
(俺たちは、勝ったんだ)
ジルの胸に、じわりと、喜びが広がっていく。
でも、それ以上に、隣にフィナがいることが、何よりも、嬉しかった。
――
鉄路の手の本部に、戻ったのは、夕方だった。
受付ホールは、冒険者たちで、賑わっていた。
ジルとフィナは、肩を並べて、受付カウンターへと歩いた。
カウンターの向こうでは、栗色の髪をお団子にまとめた女性が、依頼書を整理していた。金の簪が、魔石ランプの光を反射して、きらりと光る。
ミレーヌ。
二人の担当受付嬢だ。
「あら。ジルくん、フィナちゃん。二人で、一緒に来るなんて、珍しいじゃない」
ミレーヌは、首を少し傾けて、悪戯っぽく笑った。
「……グランドールの、討伐報告です」
ジルは、そう言って、カウンターに、魔石核を置いた。
大品質の魔石核。
ミレーヌの、琥珀色の瞳が、大きく見開かれた。
「……これ、本当に、あのグランドールの?」
「ええ。あたしのエンチャントと、こいつの剣で、倒したわ」
フィナは、胸を張って、そう言った。
ミレーヌは、しばらく、魔石核と、二人の顔を、交互に見つめていた。
それから、ふっと、優しい笑顔になった。
「……おめでとう。二人とも、よくやったわ。あの時、銅級に挑むって聞いた時は、本当に、心配したんだから」
ミレーヌは、そう言って、報酬の金貨八十枚を、カウンターに並べた。
金貨が、山のように積まれる。
「これが、今回の報酬。グランドールの討伐報酬、金貨八十枚。魔石核の買取分も、後で、追加でお支払いするわ」
「……すごい。本当に、金貨八十枚……」
フィナは、金貨の山を見て、声を震わせた。
「……これで、母さんの薬も、弟たちの服も、買えるわ……」
フィナの目が、また、潤んだ。
ミレーヌは、そんなフィナを見て、微笑んだ。
それから、ジルの方を向いて、言った。
「それにしても……まだ、コンビを解消していなかったのね」
ジルは、一瞬、固まった。
「……え?あ、いや、その……」
ジルは、顔を赤くして、言葉を詰まらせた。
「な、なに言ってるんですか、ミレーヌさん!こ、これは、その、お金のためで、別に、こいつのことなんて……」
フィナも、耳の先まで真っ赤にして、早口で、まくし立てた。
「あらあら。二人とも、顔が真っ赤よ。照れなくてもいいのに」
ミレーヌは、笑いながら、二人を冷やかした。
「……ごめん、俺なんかが、フィナと、コンビを……」
ジルが、いつもの口癖を、口にしかけた。
その瞬間。
「あんた、それ、今、言う!?」
フィナが、ジルの足を、軽く蹴った。
「い、痛っ……!?」
ジルは、飛び上がった。
「あんたが、あたしを守るって言ったんでしょ!?それなのに、『俺なんかが』って、なに!?あたしが、あんたと組んでるのは、あんたが、強いからよ!分かったら、もう、そんなこと、言わないで!!」
フィナは、涙目で、ジルに、怒鳴った。
ジルは、ぽかんとした。
それから、ゆっくりと、口を開いた。
「……ああ。ごめん。もう、言わない」
ジルは、そう言って、フィナの頭に、手を置いた。
フィナは、一瞬、身をすくめたが、振り払わなかった。
ミレーヌは、その様子を、微笑ましそうに見つめていた。
「……後悔するのは、選ばなかったことだけよ」
ミレーヌは、誰にも聞こえないくらいの、小さな声で、そう呟いた。
それは、数日前、ジルに言った言葉。
あの時は、届かなかった言葉。
でも、今は、違う。
二人は、選んだのだ。
お互いと、一緒にいることを。
――
ギルドを出た二人は、アーヴェル南区のパン屋「小麦の丘」へと向かっていた。
夕暮れの街は、オレンジ色に染まっていた。
市場の店じまいの声、家路を急ぐ人々の足音、どこかから聞こえる、子供たちの笑い声。
夏の夕方の、優しい空気。
「今日は、甘いパン、一個まるごと食べるわ!」
フィナは、そう宣言した。
「ああ。いいんじゃないか。今日は、頑張ったし」
ジルは、そう言って、笑った。
「……あんたも、一個、食べなさいよ。怪我してるんだから、甘いもの、食べないと」
フィナは、顔を背けて、そう言った。
「え?俺も?」
「当たり前でしょ。二個、買うんだから」
フィナは、早口で、そう言った。
(あたし、何、言ってるんだろ)
(一個まるごと食べるって、言ったのに)
(やっぱり、あいつと、半分こしたいって、思ってる)
フィナは、自分の心の声に、気づかないふりをした。
――
小麦の丘に、着いた。
パン屋の前には、まだ、数人の客がいた。
店先には、焼きたてのパンの、甘い香りが、漂っている。
「マルタさん!甘いパン、二個ください!」
フィナは、店先に立っていた、白髪の老女に、声をかけた。
マルタ。小麦の丘の店主だ。
「あら、フィナちゃん。今日は、元気がいいねえ。彼氏と一緒かい?」
マルタは、フィナとジルを見比べて、にこにこ笑った。
「ち、違います!こいつは、その、ただの相棒で……!」
フィナは、真っ赤になって、否定した。
「はいはい、相棒ね。若いっていいねえ」
マルタは、笑いながら、甘いパンを二個、包んでくれた。
「……ほら、フィナ。二個、買ったぞ」
ジルは、パンを受け取ると、フィナに、一個を差し出した。
「……あんたが、先に、選びなさいよ」
フィナは、そう言って、ジルの手の中のパンを見た。
「じゃあ、これにする」
ジルは、適当に、一個を手に取った。
「……あたしは、こっち」
フィナは、残りの一個を受け取った。
そして、そのパンを、半分に割ろうとした。
「……フィナ?一個まるごと食べるんじゃなかったのか?」
ジルが、不思議そうに、尋ねた。
フィナは、はっとして、手を止めた。
「……べ、別に、あんたの分も、少し、分けてあげようかなって、思っただけよ。あんた、一個じゃ、足りないでしょ」
フィナは、顔を赤くして、そう言った。
「……今日は、全部、食べていいよ。俺は、一個で十分だから」
ジルは、優しく、そう言った。
フィナは、しばらく、迷っていた。
それから、小さく、頷いた。
「……じゃあ、遠慮なく、いただくわ」
フィナは、パンを、小さく、一口、かじった。
甘い。
バターと、蜂蜜の、優しい甘さ。
「……おいしい」
フィナは、自然と、笑顔になった。
「……あの、ジル」
フィナは、パンをかじりながら、ぽつりと、言った。
「……ありがとう」
それは、本当に、小さな声だった。
でも、確かに、ジルの耳に、届いた。
「……え?」
ジルは、一瞬、何を言われたのか、分からなかった。
「……な、なに?聞こえなかったの?あたし、ありがとうって、言ったのよ。今日、あんたが、あたしを守ってくれたから……だから、ありがとう」
フィナは、顔を真っ赤にして、早口で、そう言った。
ジルは、その言葉を、胸の中で、繰り返した。
(ありがとう)
(フィナが、俺に、ありがとうって)
ジルの胸の奥が、じわりと、温かくなった。
「……こちらこそ。お前のエンチャントがなかったら、俺は、死んでた。ありがとう、フィナ」
ジルは、そう言って、フィナを見た。
フィナは、その視線に、耐えられなくなって、顔を、パンで隠した。
「……ばか。あんたが、死んだら、あたしが、困るんだから」
フィナは、そう言って、パンを、もう一口、かじった。
二人は、並んで、夕暮れの街を、歩いた。
甘いパンを、かじりながら。
――
「……あたし、まだ、言えてないことがあるの」
フィナは、前を向いたまま、ぽつりと、言った。
ジルは、フィナの横顔を見た。
夕日に照らされた、彼女の横顔。
朱が入った金髪が、オレンジ色の光に、透けていた。
「……ああ。いつでも、聞くよ」
ジルは、そう言った。
フィナは、口を開きかけた。
でも、言葉は、出てこなかった。
(言いたい)
(あたし、あんたのことが、好きだって)
(でも、まだ、言えない)
(今、言ったら、きっと、あたし、泣いちゃうから)
(それに、あんたに、好きって言われてないのに、あたしから、言うなんて、ずるい)
フィナは、言葉を、飲み込んだ。
「……べ、別に、今じゃなくても、いいの。あとで、ちゃんと、言うから」
フィナは、そう言って、パンを、最後まで、食べきった。
ジルは、それ以上、何も、聞かなかった。
(フィナが、言いたいこと)
(俺には、分からない)
(でも、彼女が、言いたくないなら、待てばいい)
(俺は、待つよ。いくらでも)
ジルは、心の中で、そう思った。
――
東区の街道に、差し掛かった時だった。
「おー!お二人さん!お二人さんじゃないですか!」
突然、聞き覚えのある、陽気な声が、二人を呼び止めた。
振り返ると、白髪交じりの豊かな髭を蓄えた、小太りの男が、満面の笑みで、こちらに駆け寄ってくるところだった。
手には、相変わらず、物件の間取り図を、何枚も握りしめている。
バルド。
バルド不動産の三代目店主だ。
「……バルドさん」
ジルは、思わず、声を上げた。
「……また、このおじさん……」
フィナは、小さく、ため息をついた。
バルドは、二人の前に、ぴたりと止まると、腹を擦りながら、笑った。
「おー、これは、いい夕暮れですな!それで、お二人さん!新居、決まりましたか!?この前、わしが紹介した、庭付き一軒家、子育て環境抜群の物件!あれ、どうですかな!?」
バルドは、早口で、まくし立てた。
「違います!!」
「違うわよ!!」
ジルとフィナは、声を揃えて、叫んだ。
今度は、二人とも、完全に、同じタイミングだった。
バルドは、きょとんとした。
それから、首を傾げて、笑った。
「あれ?まだ、誤解してる?いやいや、お二人さん、そんなに声を揃えなくても。照れ屋さんですなあ」
「誤解してるのは、あんたの方よ!!あたしたちは、別に、そういう関係じゃないんだから!!」
フィナは、顔を真っ赤にして、バルドに、怒鳴った。
「はいはい、そういうことにしておきましょう。でも、お二人さん、今日は、なんだか、前より、距離が近いですなあ。いいことです。若いカップルは、くっついてなんぼですぞ!」
バルドは、二人の肩の距離を見て、にこにこ笑った。
「……距離が近いって、別に、普通です……」
ジルは、バルドの言葉に、どぎまぎしながら、反論した。
「……そうよ。別に、近くなんか、ないわ」
フィナも、顔を背けて、そう言った。
でも、二人の間の距離は、確かに、以前よりも、縮まっていた。
バルドは、それを見逃さなかった。
「おー、これは、ますます、いい感じですな!そうだ!この際だから、わしが、お二人さんに、とっておきの物件を、紹介しましょう!新婚さん向けの、二階建ての一軒家!日当たり抜群!庭には、家庭菜園もできますぞ!お子さんができたら、遊ばせるのにも、ちょうどいい!」
バルドは、間取り図を、二人の目の前に、広げた。
「だから、違いますって!!」
「あんた、話を聞きなさいよ!!」
二人は、また、声を揃えて、叫んだ。
バルドは、嬉しそうに、笑った。
「あはは!声が揃ってますなあ!息ぴったりですぞ!こりゃあ、いい夫婦になりますなあ!」
「夫婦じゃない!!」
「夫婦じゃないわよ!!」
二人の叫びが、夕暮れの街道に、響き渡った。
――
バルドは、散々、二人を冷やかした後、最後に、間取り図を、ジルに一枚、押し付けた。
「まあ、お二人さん、気が向いたら、いつでも、店に来てくださいね!わしが、とっておきの物件を、紹介しますぞ!それでは、わしは、これで!妻のセラに、夕飯を作るように言われてますので!」
バルドは、そう言って、笑いながら、去っていった。
「……やっと、行ったわ」
フィナは、大きく、ため息をついた。Noveliaとは?
Noveliaは、AIでライトノベルや二次創作を「読んで・数タップで作って・キャラクターと会話できる」プラットフォームです。挿絵つきの新作が毎日届き、無料で始められます。