性別が入れかわる呪いと、それでも君が好きな件
あらすじ:
「触れた花のせいで、俺の周囲の性別が入れかわり始めた!?」
旅の少年フシが、カザミドリの森で見つけた薄桃色の花畑。うっかり花びらに触れたその瞬間から、彼の日常は大きく崩れ始める。花の力はフシを媒介に広がり、次々と周囲の人や動物の性別を入れかえていく。そして翌朝、フシの兄弟分である大柄な少年グーグーが、なぜか可愛らしい女の子の姿に——しかも仮面をつけたまま——変身していた。
「俺、リーンに会いたい!」
女の子になった途端、なぜか普段は言えなかった想いを叫び、意中の令嬢のもとへ走り出すグーグー。止めようとするフシだったが、性別が変わってもグーグーのまっすぐな性格は何ひとつ変わっていなくて……。
呪いを解く鍵は、あの花畑の奥に潜むノッカー。でもその前に、この性別逆転パニックをどうにかしないと!
体は変わっても、好きな気持ちは変わらない。笑って泣ける性別逆転コメディ、開幕!
性別が入れかわる呪いと、それでも君が好きな件 - 第1話 薄桃色の誘惑 ― 呪いの花と、恋に目覚める仮面
「……なんだ、これ」
フシは足を止めた。
タクナハから北へ三日。カザミドリの森の縁を歩いていたはずだった。木々の切れ目から、突然、視界いっぱいに薄桃色が広がった。
風が吹くたび、花畑全体がふわりと揺れる。甘い匂いが、森の冷たい空気に混ざって流れてくる。
「きれいだ」
思わず口からこぼれた。
銀色のさらさらした髪が風に揺れる。澄んだ金色の瞳が、一面の花を見つめていた。白いシャツに茶色のズボン、肩掛け鞄。細身だがしなやかな体つきの、十六歳くらいの少年——それがフシだった。
左手の甲には、小さな花の痣がある。生まれた時からあるわけじゃない。ずっと昔、何かがこの場所に残した痕だった。
フシは花畑に一歩踏み入れた。
花の高さは腰ほど。ユメキキョウに似ている。でも、何かが違う。ユメキキョウはもっと青みがかった色をしている。これは、もっと柔らかい、血の気の通ったような桃色だ。
(この花、見たことない)
フシはしゃがみ込んで、一輪に顔を近づけた。花びらは五枚。中心に、蜜のような透明な雫が光っている。
指を伸ばす。
花びらに触れた。
瞬間——
ドクン、と。
体の奥で、何かが跳ねた。
「う、あ……っ」
指先から、熱いものが流れ込んでくる。腕を伝い、胸を抜け、足の先まで駆け下りる。心臓が、普段の二倍の速さで打ち始めた。
体の中に、二つの力が渦を巻いている。
一つは、自分がよく知っている力。再生の力。傷を負っても、時間をかければ必ず元に戻る。フシの体に昔から備わっているものだ。
もう一つは、知らない力だった。
温かいのに、どこか背筋が冷える。花の匂いが、体の中からあふれてくるような感覚。
「……何が、起きた」
フシは自分の手を見つめた。
見た目は変わらない。銀髪の少年の姿のまま。左手の花の痣も、いつも通り。
でも、確かに何かが変わっていた。
(この花の……本質が、俺の中に入ってきた?)
フシは花畑を見回した。
一面の薄桃色。風が吹く。花が揺れる。
その奥で、何かが動いた。
「……え」
花畑の端に、野ウサギが一匹いた。灰色の毛並み。耳をぴんと立てて、こちらを見ている。
そのウサギが、突然、体を震わせた。
耳が縮む。体つきが、一回り小さくなる。毛並みの色が、灰色から薄茶色に変わった。
オスからメスへ。
目の前で、ウサギの性別が変わった。
「……なんで」
フシは後ずさった。
(俺が触ったから? 俺がこの花に触れたから、あのウサギが?)
心臓が、さっきとは別の理由で速くなる。
フシは慌てて自分の体を確認した。腕、足、胸、顔。どこも変わっていない。銀髪の少年のままだ。
でも、体の中では、二つの力がせめぎ合っている。再生の力と、性別を入れかえる力。まるで、体を二つに引き裂こうとするように。
「……まずい」
花畑の奥から、別の気配がした。
半透明の、触手のようなもの。花の茎に絡みつき、ゆっくりとこちらへ伸びてくる。
ノッカー。
フシの体が、逃げろと叫んでいた。
フシは背を向けて、走り出した。
◆
タクナハの街に戻ったのは、その日の夜遅くだった。
フシは、商業都市タクナハの東の外れにある酒屋「グーグー亭」に転がり込んだ。ここは、四万人以上が暮らす交易の要所で、旅人や商人が行き交う活気のある街だ。市場通りには毎朝市が立ち、武器屋「鉄の爪」や雑貨屋「ポポの店」が軒を連ねている。
フシがこの街に来たのは、何度目かもう覚えていない。気づけば、いつもここに戻ってきていた。
「……疲れた」
フシは酒屋の裏口から入り、いつもの隅の席に座った。
カウンターの向こうから、女将のミランダが顔を出す。四十八歳の未亡人で、ふくよかな体つきと、よく通る声が特徴の気のいい女だ。
「あら、フシ。おかえり。ひどい顔してるよ」
「……ちょっと、変なものを見た」
「変なもの?」
フシは答えず、肩掛け鞄を床に置いた。
(花のことを話すべきか? でも、まだ自分でもよく分かっていない)
「ミランダさん、グーグーは?」
「それがねえ、あの子、今日はまだ起きてこないんだよ。いつもなら朝一番に起きて、薪割りしてるのに」
「寝てるの?」
「そうみたい。まあ、たまにはいいだろ。あの子、働きすぎだから」
ミランダはそう言って、カウンターを布巾で拭いた。
フシは天井を見上げた。
(花の力が、本当に広がるなら……)
嫌な予感がした。
◆
翌朝。
悲鳴で目が覚めた。
「ぎゃああああああああああっ!!」
フシは飛び起きた。
「な、なに!?」
声のした方——グーグーの部屋——へ走る。ドアを開けた。
そこにいたのは。
「だ、誰だお前!?」
知らない女の子だった。
いや、違う。
短い黒髪。茶色の目。身長は……いつもよりずっと低い。百五十センチくらいか。筋肉質だった体は華奢になり、肩幅も狭い。着ている服が、ぶかぶかだ。
そして、顔には。
仮面。
グーグーの仮面。
「……グーグー?」
「フシ!? フシだよな!? 助けてくれ! 俺、体が、体がおかしいんだ!!」
声が、高い。
十七歳の大柄な少年だったはずのグーグー。力持ちで、面倒見が良くて、フシにとって兄弟のような存在。
そのグーグーが、今。
女の子になっていた。
「……嘘だろ」
「嘘じゃない! 朝起きたらこれだ! 鏡見たら知らない女が立ってるんだぞ! 俺、どうすればいいんだ!?」
グーグーは両手で自分の体を触り、叫んだ。
「胸が! 胸がある! 俺の胸筋はどこ行った!? それに、腰が細い! 肩も! 何これ!?」
「……落ち着け」
「落ち着けるか! お前も同じ目に遭ってみろ!」
フシは、自分が昨日触れた花のことを思い出した。
(あの花の呪いが、グーグーにまで……)
「……ごめん、グーグー。多分、俺のせいだ」
フシは昨日の出来事を話した。カザミドリの森の縁で、薄桃色の花畑を見つけたこと。花びらに触れたこと。野ウサギの性別が変わったこと。
グーグーは、黙って聞いていた。
「……そうか」
グーグーは、ゆっくりと息を吐いた。
「お前が無事なら、いい」
「……え」
「お前が何かに巻き込まれて、怪我したとか、そういうんじゃなくて、良かった。体が変わったくらい、大したことじゃない」
グーグーは笑った。仮面の下で、口元がほんの少し動く。
(グーグー……)
フシは胸の奥が、じわりと温かくなるのを感じた。
「でも、一つだけ、困ることがある」
グーグーは立ち上がった。
「……何?」
「リーンに会いたい」
「は?」
「リーンに会ってくる!」
「おい、待てって!」
グーグーは止まらなかった。
女の子の体になったグーグーは、そのまま酒屋の表口から飛び出した。
「ちょっと、あんた、その格好でどこ行くんだい!?」
ミランダがカウンターから叫んだ。
「リーンに会ってくる!」
「リーンって、リーン邸のお嬢さんかい!? あんた、今、自分がどんな格好か分かってるのかい!?」
「分かってる! でも、会いたいんだ!」
グーグーは走り去った。
「……あの子、女になった途端、あんなに積極的になるなんてねえ」
ミランダが呆れたように言った。
フシは、立ち上がった。
「追うよ」
「そうしておやり。あの子、何しでかすか分からないからね」
フシは酒屋を飛び出した。
◆
市場通りを駆け抜ける。
朝の市が立ち始める時間だった。商人たちが店を開け、通りに人が増えていく。
「グーグー!」
フシは人混みの中を走りながら、グーグーの姿を探した。
そして、気づいた。
すれ違う人々の中に、妙な違和感を感じる。
(あれ……?)
肉屋の主人。昨日までは髭面の大男だったはずだ。今は、髭が消え、体つきが丸みを帯びている。
パン屋の若い娘。いつもは長い髪を結い上げている。今は、髪が短く、肩幅が広い。
通りを歩いていた犬。オスだったはずが、明らかにメスの体つきになっている。
猫も。鳩も。
(呪いが……広がってる)
フシの背筋に、冷たいものが走った。
テンテン草の呪いは、フシに触れた者から、さらに周囲へ広がっていく。
(俺が、みんなを……)
フシは唇を噛んだ。
(まずい。早く、どうにかしないと)
でも、どうやって?
花のことは、何も分かっていない。呪いを解く方法も。
(まずは、グーグーを止めないと)
フシは走った。
リーン邸の方角へ。
タクナハの裕福な家が並ぶ区画。リーンの実家は、その中でも特に大きな屋敷だった。父ロドリックは元交易商で、母セレスティーナは有名な美人。庭には古い井戸がある。
グーグーは、その屋敷の門の前まで来ていた。
「リーン!」
グーグーが叫んだ。
門が開く。
「……誰?」
現れたのは、美しい少女だった。
長い黒髪。白い肌。大きな瞳。
リーン。
タクナハで一番美しいと言われる、リーン邸のお嬢様。
グーグーは、その姿を見た瞬間。
「……リーン」
声が震えた。
「あの、あなたは……?」
リーンは首を傾げた。
「俺だ。グーグーだ」
「……え?」
リーンの目が見開かれた。
「グーグー……? あの、グーグー……?」
「そうだ。俺だ。リーン、俺は、ずっとお前に言いたかったことがあるんだ」
グーグーは一歩、リーンに近づいた。
「お、落ち着いて、グーグー。あなた、その体……どうしたの?」
「花だ。花の呪いで、女になった。でも、そんなこと、どうでもいいんだ」
グーグーは、リーンの両手を握った。
「リーン。俺は、お前のことが好きだ」
「……え?」
「ずっと前から、好きだった。お前と話すたびに、心臓がうるさくて。お前が笑うと、それだけで一日が幸せで。でも、俺は召使いで、お前はお嬢様で。釣り合うわけないって、ずっと言えなかった」
「グーグー……」
「女になった今、分かった。こんな体になっても、お前への気持ちは変わらない。むしろ、前よりはっきり分かる。俺は、お前が好きだ」
グーグーの声は、涙で濡れていた。
「……待って、グーグー。私も、私もあなたに言いたいことがあったの」
リーンも、涙を浮かべていた。
「私も、あなたのことが——」
「グーグー!!」
フシが追いついた。
「フシ!? 邪魔するな! 今、いいところなんだ!」
「いいところじゃない! お前、自分の状態が分かってるのか!? その体、呪いのせいで、普段言えないことを言わされてるだけかもしれないんだぞ!」
「違う! これは呪いのせいじゃない! 俺の本心だ!」
「グーグー……」
リーンが、グーグーの手を握り返した。
「私も、嬉しい。あなたの気持ちが聞けて、嬉しい」
「リーン……」
二人は見つめ合った。
フシは、その光景を前に、動けなかった。
(……これは、呪いのせいなのか? それとも、本当の気持ちなのか?)
フシには分からなかった。
でも、一つだけ分かることがある。
(この呪いを、早く解かないと。みんなの体を、元に戻さないと)
フシは、二人の後ろ姿を見つめながら、そう決意した。
◆
夕方。
フシは、グーグー亭の裏口に座り込んでいた。
空が、薄桃色に染まっている。
(あの花畑の色と、同じだ)
フシは、自分の左手の甲を見た。花の痣。
(この痣も、何かの花の形をしている)
昔、何かがこの場所に残した痕。フシは、その正体をまだ知らない。
でも、今日の出来事で、少しだけ分かった気がした。
(俺は、色んなものを「獲得」してきた。石も、コケも、オオカミも。そして、あの花も)
フシは、空を見上げた。
(あの花の力を、俺は獲得してしまった。性別を入れかえる力。そして、呪いを広げる力)
(この力を、どうにかしないと。みんなを、元に戻さないと)
グーグーの顔を思い浮かべた。
女の子になっても、グーグーはグーグーだった。仮面の下の傷も、リーンへの想いも、何も変わっていなかった。
(……でも)
フシは、少しだけ笑った。
(グーグーが、自分の気持ちを言えて、良かった)
リーンの顔を思い浮かべた。
(リーンも、嬉しそうだった)
呪いのせいかもしれない。でも、あの瞬間、二人は確かに通じ合っていた。
(……俺も、いつか、あんな風に)
フシは、自分の胸に手を当てた。
ドキドキと、心臓が鳴っている。
(なんだろう、この感じ)
フシには、まだ名前の分からない感情だった。
でも、悪くない気分だった。
「フシ」
声がした。
振り返ると、グーグーが立っていた。女の子の体のまま。仮面をつけて。
「……戻ったのか」
「ああ。リーンと、いっぱい話した」
グーグーは、フシの隣に座った。
「なあ、フシ」
「何?」
「この体、いつまで続くんだ?」
「……分からない。でも、必ず元に戻す」
「そうか」
グーグーは、空を見上げた。
「でも、まあ、悪くないな」
「何が?」
「女の体も、悪くない。リーンと、もっと近くにいられる気がする」
「……お前、本当にポジティブだな」
「だって、落ち込んでても仕方ないだろ。それに、お前が何とかしてくれるって、信じてるから」
グーグーは、フシの肩を軽く叩いた。
女の子の手なのに、その力は、やっぱりグーグーのものだった。
「……俺、頑張るよ」
「おう」
夕焼けが、二人を包んでいた。
フシは、心の中で誓った。
(この呪いを、絶対に解く。みんなの体を、元に戻す。そして、みんなで笑い合うんだ)
その時、風が吹いた。
甘い匂い。
薄桃色の花の匂い。
フシは、風の来た方角を見た。
北。
カザミドリの森。
(あの花畑……)
フシは、立ち上がった。
「グーグー。俺、もう一度、あの花畑に行く」
「今からか?」
「ああ。何か分かるかもしれない。それに……」
フシは、北の空を見つめた。
「あの花の奥に、何かいた。ノッカーの気配がしたんだ」
「ノッカー……あの、触手の化け物か」
「多分。あいつが、あの花に寄生してる。呪いを解くには、あいつをどうにかしないといけないかもしれない」
「危険だ。一人で行くな。俺も行く」
「ダメだ。お前は、その体のままだ。それに、リーンも心配する」
「でも……」
「大丈夫。俺は、死なない」
フシは、笑った。
「俺は、何にでもなれる。あの花のことも、ノッカーのことも、きっと何とかできる」
「……フシ」
「グーグー。俺が戻るまで、リーンを守ってやれよ。女の体でも、お前は力持ちだろ?」
「……当たり前だ。任せろ」
グーグーは、胸を張った。
フシは、肩掛け鞄を背負い直した。
「行ってくる」
「ああ。気をつけろよ」
フシは、北へ向かって歩き出した。
薄桃色の空の下。
風が、甘い花の匂いを運んでくる。
(この匂いの先に、答えがある)
フシは、そう信じて、歩き続けた。
左手の甲の花の痣が、夕日に照らされて、ほんの少し、光ったような気がした。Noveliaとは?
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