性別が入れかわる呪いと、それでも君が好きな件
あらすじ:
「触れた花のせいで、俺の周囲の性別が入れかわり始めた!?」
旅の少年フシが、カザミドリの森で見つけた薄桃色の花畑。うっかり花びらに触れたその瞬間から、彼の日常は大きく崩れ始める。花の力はフシを媒介に広がり、次々と周囲の人や動物の性別を入れかえていく。そして翌朝、フシの兄弟分である大柄な少年グーグーが、なぜか可愛らしい女の子の姿に——しかも仮面をつけたまま——変身していた。
「俺、リーンに会いたい!」
女の子になった途端、なぜか普段は言えなかった想いを叫び、意中の令嬢のもとへ走り出すグーグー。止めようとするフシだったが、性別が変わってもグーグーのまっすぐな性格は何ひとつ変わっていなくて……。
呪いを解く鍵は、あの花畑の奥に潜むノッカー。でもその前に、この性別逆転パニックをどうにかしないと!
体は変わっても、好きな気持ちは変わらない。笑って泣ける性別逆転コメディ、開幕!
性別が入れかわる呪いと、それでも君が好きな件 - 第2話 恋の呪い大騒動 ― 女グーグーと男リーン、屋敷を駆け抜ける
朝の光が、酒屋「グーグー亭」の二階の窓から差し込んでいた。
薄い木の壁越しに、市場通りの喧騒が聞こえる。商人たちの呼び声、荷馬車の車輪の音、子供たちの笑い声。タクナハの街は、今日も朝から活気に満ちていた。
グーグーは、自分の両手を見つめていた。
小さかった。
いつも薪を割り、樽を運び、重い鍋を振るっていた自分の手が、まるで別人のものみたいに細くて、白くて、華奢だった。
「……ったく、しょうがねえな」
声も違う。
低くて野太い、いつもの自分の声じゃない。鈴を転がすような、高い、澄んだ声。
グーグーは、壁にかけてある小さな銅鏡を覗き込んだ。
仮面をつけた女の子が、こちらを見ている。
短い黒髪はそのまま。茶色の目もそのまま。でも、輪郭は丸みを帯び、肩幅は狭くなり、首筋は細くなっていた。仮面の下の傷は、触って確かめるまでもなく、まだそこにある。
「……昨日の花か」
フシが昨日、北の花畑から戻ってきて、変な花に触れたと言っていた。そのせいで、野ウサギの性別が変わったとも。
まさか、自分まで。
グーグーは、昨夜のことを思い出していた。
女の体になった自分に気づいたのは、夜中だった。寝返りを打った瞬間、自分の体の軽さに違和感を覚えて、飛び起きた。それから一睡もできずに、朝までずっと、自分の手と足と声を確かめていた。
そして、気づいてしまった。
女の体になった途端、胸の奥が、どうしようもなく熱くなっていることに。
リーンのことが、頭から離れない。
笑った顔。怒った顔。三つ編みの金髪。青い瞳。あの声。あの指先。全部、全部、焼き付くように浮かんでくる。
今までも、好きだった。
でも、この体になってから、その気持ちが何倍にも、何十倍にもなって、胸が張り裂けそうだった。
「……会いてえ」
気づいたら、そう呟いていた。
「会いてえ。リーンに。今すぐ」
グーグーは、立ち上がった。
仮面を手に取り、顔に付ける。紐を後ろで結ぶ。指が震えている。
(俺は、何をしようとしてるんだ)
頭の片隅で、冷静な自分が言う。
(女の体で、リーンに会いに行って、どうするんだ)
(それでも、行かずにいられない)
グーグーは、部屋の扉を開けた。
階段を駆け下りる。
「あら、グーグー、おはよう。今日は早いね」
一階の酒場では、女将のミランダがカウンターを拭いていた。ふくよかな体つきの、気のいい未亡人だ。グーグーがこの酒屋に転がり込んでから、ずっと面倒を見てくれている。
「……おはようございます。ちょっと、出かけてきます」
「え? あんた、その声……やっぱり昨日から変だよ。風邪でも引いたのかい?」
「大丈夫です。それより、フシは?」
「フシなら、まだ寝てるよ。昨日遅くまで起きてたからね」
「そうか。じゃあ、行ってきます」
グーグーは、酒屋の扉を押し開けた。
朝の光が、目に刺さる。
市場通りの匂い。パンを焼く匂い、果物の甘い匂い、馬の匂い。全部が、いつも通りなのに、どこか遠くに感じる。
グーグーは、走り出した。
リーン邸へ。
リーンの家は、タクナハでも指折りの裕福な屋敷だ。市場通りから少し外れた、静かな通りに面している。白い壁に、青い屋根。庭には、ユメキキョウの花が植えられている。
グーグーは、その門の前で、立ち止まった。
息が上がっている。心臓が、喉の奥で鳴っている。
(何を言うんだ。俺は)
(好きだって、言うのか。この体で)
(おかしいだろ。女同士で)
でも、足が動かない。
動けない。
リーンに会いたい。会って、この気持ちを、全部ぶつけたい。
グーグーは、門に手をかけた。
「リーン! リーン、いるか!?」
自分の声が、朝の静かな通りに響き渡る。
屋敷の中から、使用人たちの慌てる気配がした。
「な、なんでございますか、朝っぱらから」
中年の使用人が、門の隙間から顔を出す。
「リーンに会わせてくれ。頼む」
「お嬢様は、今、お取り込み中でして……」
「取り込み中?」
「ええ、それが、その……お嬢様のご様子が、昨夜からおかしくて……」
使用人の顔が、青ざめている。
「おかしいって、何がだ?」
「それが、お嬢様が……男の、お姿に……」
グーグーは、固まった。
男。
リーンが、男。
「……は?」
「ですから、お嬢様が、昨夜から、それはもう立派な青年のお姿になられてしまって。旦那様も奥様も、大パニックでして……」
グーグーの頭の中で、何かがぐるぐると回り始めた。
リーンも、呪いを受けた。
あの花の呪いを。
「会わせてくれ。俺は、グーグーだ。リーンの……知り合いだ」
「グーグー、さん? あの、酒屋の? でも、あなた、女の方では……」
「細かいことはいい! 通してくれ!」
グーグーは、門を押し開けた。
女の体になっても、力は衰えていない。使用人がたたらを踏む。
「ちょ、ちょっと! お待ちください!」
グーグーは、庭を駆け抜けた。
白い砂利道。ユメキキョウの花壇。古い井戸。全部、何度も見てきた景色だ。リーンに会うために、この庭に何度忍び込んだか分からない。
屋敷の玄関の前で、立ち止まる。
「リーン!」
叫んだ。
屋敷の中が、しん、と静まり返る。
それから、ゆっくりと、玄関の扉が開いた。
グーグーは、呼吸を忘れた。
立っていたのは、青年だった。
長い金髪が、肩の上で緩やかに波打っている。青い瞳は、まっすぐにグーグーを見つめていた。白いシャツに、濃紺のベスト。細身だが、肩幅は広く、立ち姿は凛々しい。
「……グーグー?」
声も、低くて、澄んでいた。
でも、その目の色も、金髪も、全部リーンのものだった。
「リーン……お前、本当に……」
「ええ、私よ。見ての通り、男になっちゃったの」
リーンは、苦笑いした。
男の顔になっても、その笑い方は、リーンのままだった。
「……お前も、女になったのね」
「あ、ああ。なんか、そうなった」
「ふふ、変なの」
「笑うなよ」
二人は、玄関先で、しばらく見つめ合っていた。
朝の光が、二人の間に降り注ぐ。
グーグーの胸が、痛いくらいに高鳴っている。
(言うんだ。今、言うんだ)
(好きだって。ずっと前から、好きだったって)
グーグーは、口を開いた。
「リーン、俺——」
その時、屋敷の奥から、悲鳴が聞こえた。
「リーン! どこに行ったの! リーン!」
「お嬢様! お待ちください! お姿を人前に晒してはなりません!」
リーンは、振り返って、屋敷の奥を見た。
「……お父様とお母様、朝からずっとああなの。私が男になったのが、よほどショックみたいで」
「無理もねえだろ。娘が突然男になったんだから」
「そうね。でも、私、そんなに嫌じゃないのよ」
「え?」
リーンは、グーグーの方に向き直った。
青い瞳が、真剣な光を帯びている。
「グーグー。あなたに、言いたいことがあるの」
「な、なんだよ、改まって」
「聞いてくれる?」
「……おう」
リーンは、深く息を吸った。
それから、ポケットから、小さな指輪を取り出した。
銀の指輪。小さな青い石が、朝日にきらめいている。
グーグーは、その指輪に見覚えがあった。
リーンが、ずっと前から持っていた指輪。
「グーグー。私、あなたのことが好きなの。ずっと、ずっと前から」
グーグーの頭が、真っ白になった。
「……え」
「この指輪、あなたに渡そうと思って、ずっと持っていたの。でも、素直になれなくて、渡せなかった。……今なら、言える。この体になったら、なんだか、すごく大胆になれるのよ」
リーンは、その場に、膝をついた。
土下座だった。
「グーグー! 俺と、結婚してくれ!」
グーグーは、後ずさった。
「は、はあああああ!?」
「お願いだ! 俺は、お前のことが好きなんだ! 女になっても、男になっても、関係ない! お前はお前だ! だから、結婚してくれ!」
「ちょ、ちょっと待て! 待て待て待て! お前、何言ってんだ!? 俺は今、女だぞ! お前は男だ! 見た目、逆じゃねえか!」
「見た目なんて、どうでもいい! 俺は、お前の中身が好きなんだ! 力持ちで、面倒見が良くて、照れ屋で、仮面の下の優しい顔も、全部好きなんだ!」
「や、やめろ! そんな大声で言うな! 恥ずかしいだろ!」
グーグーは、顔が火照るのを感じた。
女の体になったせいか、感情の揺れが、そのまま体に出る。涙が出そうになる。声が震える。心臓が、耳の奥で鳴り続けている。
(嬉しい。すごく、嬉しい)
(でも、今のこの体で、求婚されて、どうすればいいんだ)
「グーグー! 返事を聞かせてくれ!」
リーンが、土下座したまま、顔を上げる。
青い瞳が、涙で潤んでいた。
「……お、お前、泣いてるのか」
「泣いてない! これは、汗だ!」
「汗って、お前……」
グーグーは、どうしていいか分からなくなって、その場から逃げ出した。
「待って! グーグー! 待ちなさいよ!」
リーンが、後を追いかけてくる。
「来るな! 追いかけてくるな!」
「嫌よ! 返事を聞くまで、絶対に追いかけるわ!」
二人は、屋敷の庭を駆け回った。
白い砂利道を蹴散らし、ユメキキョウの花壇を飛び越え、古い井戸の周りをぐるぐると回る。
「お嬢様! お待ちください! お姿が! お姿が!」
使用人たちが、悲鳴を上げながら追いかけてくる。
「リーン! どこへ行くの! 戻ってきなさい!」
屋敷の中からは、リーンの両親の叫び声も聞こえてくる。
大騒ぎだった。
グーグーは、生垣を飛び越えた。
「待ちなさい! グーグー!」
リーンも、生垣を飛び越えてくる。
二人は、市場通りに飛び出した。
「うわっ!」
「なんだなんだ!?」
「女の子と、男の子が、追いかけっこしてるぞ!」
市場通りの人々が、驚いた顔で振り返る。
グーグーは、人混みを縫うように走った。
「どいてくれ! 通してくれ!」
「逃がさないわ! グーグー! 私の気持ちを聞いて!」
「聞いた! 聞いたから! もう分かったから!」
「分かってない! あなた、私の気持ち、全然分かってない!」
「分かってるって! 俺だって、お前のこと——」
グーグーは、言いかけて、口を噤んだ。
(俺だって、お前のことが好きだ)
(でも、この体で、それを言うのは、なんだか違う気がする)
グーグーは、走り続けた。
市場通りの屋台を次々と追い越す。果物屋のリンゴが、カゴから落ちて転がる。魚屋の前では、猫が驚いて逃げていく。パン屋の前では、焼きたてのパンの匂いが、一瞬、鼻をくすぐった。
「おい、あれ、グーグーじゃないか?」
「え? あの仮面の? でも、あれ、女だろ?」
「女になったのか? 何があったんだ?」
酒屋の常連客たちが、ざわざわと噂し始める。
「グーグー! 待ちなさいってば!」
リーンが、すぐ後ろまで迫っていた。
男の体になっても、足の速さは変わらない。いや、むしろ速くなっているかもしれない。
「くそっ、足が速いな!」
「あんたこそ、女の体で、なんでそんなに速いのよ!」
「力は変わらねえんだよ!」
グーグーは、路地に曲がった。
「あっ!」
行き止まりだった。
「……つ、捕まえたわよ」
リーンが、路地の入り口に立ちはだかった。
息を切らしながら、青い瞳でグーグーをじっと見つめている。
「……なあ、リーン。落ち着け。話をしよう」
「ええ、そうしましょう。私の求婚の返事を聞かせて」
「だから、それは、その……」
グーグーは、壁に背中を押し付けた。
女の体は、心臓の音が、やけに大きく響く。
(言ってしまおうか)
(俺も、お前のことが好きだって)
(でも、この体で言うのは、なんだか、ずるい気がする)
グーグーは、仮面の下で、唇を噛んだ。
その時だった。
「二人とも、何やってるの?」
声がして、振り返る。
路地の入り口に、銀髪の少年が立っていた。
フシだった。
澄んだ金色の瞳が、驚いたように二人を見つめている。
「フシ……」
「グーグー、それに……えっと、君は、リーン?」
「ええ、そうよ。見ての通り、男になっちゃったの」
フシは、ぱちぱちと瞬きをした。
「すごいな。本当に性別が変わってる。それに、グーグーも、女の子になってる」
「お前のせいだぞ、これ」
「……ごめん。多分、僕が花に触れたからだ」
フシは、しゅんと肩を落とした。
「謝らなくていいわよ。私、この体、結構気に入ってるの」
「え?」
「だって、この体になったら、グーグーに求婚できたもの」
「求婚!?」
フシは、目を丸くした。
「そうよ。今、ちょうど、返事を待ってるところなの」
リーンは、グーグーの方を向いた。
「グーグー。返事は?」
「……だから、その、なんだ」
グーグーは、フシに助けを求める視線を送った。
フシは、首を傾げた。
「グーグー、君は、リーンのことが好きなんじゃないの?」
「ぶっ! な、なんでお前がそれを!」
「だって、いつもリーンの話ばかりしてるよ。それに、今朝も、すごく嬉しそうにリーン邸に向かって走ってた」
「見てたのかよ!」
「うん。心配で、後を追いかけてきたんだ」
グーグーは、頭を抱えた。
「……もう、ぐちゃぐちゃだ」
「グーグー」
リーンが、一歩、近づいた。
「私、あなたのことが好きよ。女でも男でも、どっちでもいい。あなたがあなたなら、それでいいの」
リーンの声は、真剣だった。
「……俺も」
グーグーは、小さく呟いた。
「え?」
「俺も、お前のことが好きだ。ずっと前から。……でも、今のこの体で言うのは、なんだか、ずるい気がしてた」
グーグーは、仮面の下で、泣きそうになっていた。
「ずるくなんかないわ。あなたの気持ちは、あなたのものよ」
リーンは、グーグーの手を握った。
男の手。でも、温かくて、優しかった。
「……ったく、しょうがねえな」
グーグーは、笑った。
「フシ。お前、俺たちのことを、何とかできるか? この呪いとやらを」
「うん。僕が、元に戻すよ。絶対に」
フシは、力強く頷いた。
「ありがとう。フシ」
「ううん。僕のせいで、二人とも大変なことになってる。僕が何とかする」
フシは、二人を見つめた。
「それで、さっきから思ってたんだけど、二人の周りに、変な気配がある」
「変な気配?」
「うん。花畑で感じたのと同じ……ノッカーの気配。すごく薄いけど、君たちの体の中に、残ってる」
グーグーとリーンは、顔を見合わせた。
「ノッカーって、あの触手の化け物か?」
「そう。花に寄生してた奴。その気配が、君たちの中にもある。呪いと一緒に、ノッカーの何かが入り込んでるんだ」
「……それって、まずいんじゃないの?」
「分からない。でも、放っておくのは良くない。早く、花畑に行って、大元の花を調べないと」
フシの金色の瞳が、真剣に光った。
「とりあえず、酒屋に戻ろう。ミランダさんに、花のことを聞いてみたいんだ」
三人は、市場通りを歩いて、酒屋へ向かった。
道すがら、人々の視線が痛かった。
「おい、見ろよ。仮面の女と、金髪の男だ」
「あの男、リーンお嬢様じゃないか?」
「まさか。お嬢様は女だろ」
「でも、あの金髪と青い目は……」
噂話が、さざ波のように広がっていく。
グーグーは、うつむいた。
「……すみません、リーン。俺のせいで、お前まで噂になってる」
「気にしないわ。むしろ、あなたと一緒に噂されるなんて、光栄よ」
「お、お前、男になると、ほんと大胆になるな」
「そう? これが、本当の私なのかもしれないわ」
リーンは、にこりと笑った。
男の顔なのに、その笑顔は、やっぱりリーンだった。
グーグーは、胸がきゅう、と締め付けられるのを感じた。
(やばい。女の体だと、感情が抑えられない)
(リーンの笑顔だけで、泣きそうになる)
グーグーは、仮面の下で、何度も瞬きをした。
酒屋に着くと、ミランダが店の前で待っていた。
「あらあら、大変なことになってるねえ」
ミランダは、三人の姿を見て、大きなため息をついた。
「グーグーは女の子になって、リーンお嬢様は男の子になって。フシ、あんた、何か知ってるんだろ?」
「はい。多分、僕のせいです」
フシは、北の花畑でテンテン草に触れたこと、その花が性別を反転させる呪いを持っていること、呪いが自分を経由して周囲に広がっていることを説明した。
ミランダは、話を聞きながら、何度も頷いた。
「テンテン草……薄桃色の花で、触れた者の性別が入れかわる。ああ、あの花のことね」
「知ってるんですか?」
「ああ。昔、おばあちゃんから聞いたことがあるよ。タクナハの北、カザミドリの森の縁に咲く、呪いの花。触れた者は性別が入れかわり、その呪いは、触れた者から周りへ伝わっていくんだってね」
「元に戻す方法は?」
グーグーが、身を乗り出した。
「あるよ。一つだけ。呪いをかけた大元の花を、獲得者が獲得すれば、呪いは解けるんだと」
「獲得……」
フシは、自分の手を見つめた。
「僕が、あの花を獲得すれば、みんな元に戻れる」
「そういうことだね。でも、待ちな」
ミランダの声が、急に真剣になった。
「その花には、ノッカーが取り憑いてるんだよ。昔、呪いを解こうとして花に近づいた者がいた。でも、ノッカーに襲われて、行方知れずになった。それっきり、誰も花に近づこうとはしなかった」
「ノッカー……」
「あの触手の化け物は、花の呪いを増幅させる。もし、あんたが花を獲得した瞬間に、ノッカーが体内に入り込んだら、呪いが固定されて、みんな元に戻れなくなるかもしれない」
「……それでも、行かなきゃいけない」
フシは、顔を上げた。
金色の瞳が、まっすぐに前を見ている。
「僕のせいで、みんなが苦しんでる。だから、僕が何とかする」
「フシ……」
「大丈夫。僕は、死なない。それに、ノッカーだって、何とかなる」
フシは、笑った。
その笑顔は、どこか無垢で、でも、芯の強さがあった。
「……分かった。でも、一人で行くんじゃないよ。俺も行く」
「私も行くわ」
「え? 二人とも、危ないよ」
「当たり前だろ。お前一人で行かせられるか」
「私も、グーグーが行くなら、行くわ。それに、この体、結構動きやすいのよ」
リーンは、腕を組んで、にこりと笑った。
フシは、二人の顔を交互に見て、それから、嬉しそうに笑った。
「……わかった。ありがとう。三人で行こう」
その夜。
酒屋の二階で、フシは一人、窓の外を見ていた。
月が、薄い雲に隠れている。
(明日、花畑に行く)
(ノッカーが、きっと待ってる)
(でも、グーグーとリーンがいる)
フシは、左手の甲の花の痣を見つめた。
小さな花の形。生まれた時からあるわけじゃない、何かの痕。
(この痣が、何かの鍵になる気がする)
その時だった。
窓の外から、羽音が聞こえた。
「鳩?」
一羽の鳩が、窓枠に止まっていた。
足に、小さな紙が結び付けられている。
フシは、紙を外して、広げた。
そこには、走り書きの文字が並んでいた。
『フシへ。守護団のカハクだ。花畑周辺で、ノッカーの異常繁殖を確認。大群が集まっている。至急、連絡がほしい』
フシは、紙を握りしめた。
「ノッカーの、大群……」
背筋に、冷たいものが走った。
その時、階下から、悲鳴が聞こえた。
「きゃああああ! 何これ! 体が、体が変わって——!」
フシは、階段を駆け下りた。
酒場では、常連客の一人が、自分の体を抱えて震えていた。
「お、俺の体が……女に……」
「俺もだ! 声が、声が変だ!」
酒場の中が、パニックに包まれていた。
「フシ! これ、まさか……」
グーグーが、仮面の下で、青ざめている。
「……呪いが、広がってる。僕が街を歩いたから。僕が、みんなに呪いを広げてる」
フシの声が、震えていた。
「フシ、お前のせいじゃない」
「でも、僕が花に触れたから。僕が、この街に戻ってきたから。僕が、呪いを広げたんだ」
フシは、自分の手を見つめた。
この手が、呪いを振りまいている。
触れた人、近くにいた人、みんなの性別を変えていく。
(僕は、疫病神だ)
(僕がいるだけで、みんなが苦しむ)
フシの胸が、ぎゅう、と痛んだ。
でも、それと同時に、別の感情が湧き上がってくる。
(それでも、逃げない)
(僕が、何とかする)
(みんなを、元に戻す)
フシは、顔を上げた。
「グーグー、リーン。今すぐ、花畑に行こう。夜のうちに、出発する」
「今からか?」
「うん。呪いが広がる前に、早く花を獲得しないと。それに、カハクから連絡があった。花畑の周りに、ノッカーの大群が集まってるって」
「ノッカーの大群……」
リーンの顔が、強張った。
「危険だ。でも、行くしかない。行こう、三人で」
グーグーとリーンは、顔を見合わせて、頷いた。
「分かった。行くぜ」
「ええ。私も行くわ」
三人は、夜のタクナハの街を抜け出した。
月明かりが、石畳を青白く照らしている。
街のあちこちから、悲鳴と混乱の声が聞こえてくる。
フシは、北の空を見上げた。
カザミドリの森の方向。
あの花畑の方向。
(待ってろ、テンテン草。僕が、全部元に戻してやる)
フシは、拳を握りしめた。
左手の甲の花の痣が、月明かりの下で、ほんの少し、淡く光っているように見えた。Noveliaとは?
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