俺物語!! 〜すれ違いの向こう側〜
朝の満員電車で痴漢から女子高生を救ったのは、身長2メートル・体重120キロの巨体を持つ高校2年生、剛田猛男。ゴリラのような顔立ちゆえに周囲から怖がられ、好きになった女子は3回連続で幼なじみのイケメン・砂川誠に告白されるという、不器用で報われない日々を送っていた。そんな猛男が助けた女子高生・大和凛子から届いた「たけおくん、だよね?」という一通のメッセージ。名前も連絡先も伝えていないはずの彼女は、なぜ猛男を知っているのか——。すれ違う想いと勘違いが織りなす、不器用な男の純情物語。
俺物語!! 〜すれ違いの向こう側〜 - ゴリラ、電車で走る
朝のラッシュ。ミナトサカ駅へ向かう電車は、乗客がぎゅうぎゅうに詰め込まれて、まさに鮨詰め状態だった。
剛田猛男はその中で、一際異彩を放っていた。身長2メートル、体重120キロの巨体。短く刈り込んだ角刈りに、奥二重の小さな黒い目、ゴリラのような濃い顔立ちと厚い唇。集英高校の紺ブレザーは特注の4Lサイズで、それでも肩周りがパツパツに見える。周囲の乗客は皆、この巨大な高校生から少しでも距離を取ろうと、無意識に体を傾けていた。
(またかよ)
猛男は心の中で小さくため息をついた。もう慣れている。電車に乗れば、隣の席は空く。道を歩けば、人は道を譲る。すれ違う子供は泣き出す。それが剛田猛男という男の日常だった。
電車が駅に停車するたびに、さらに人が流れ込んでくる。猛男は吊り革を握っていたが、その手の力が強すぎて、金属の持ち手がギシリと音を立てた。隣に立っていたサラリーマンが、その音にビクッと肩を震わせる。
(悪いな。怖がらせるつもりはないんだ)
心の中で謝りながら、猛男はなるべく小さくなろうと肩をすくめた。だが、2メートルの体が小さくなるわけもない。
その時だった。
猛男の鋭い視力2.0の目が、車両の端にいる一人の女子高生を捉えた。小泉女学園の制服を着ている。肩まで伸びた柔らかな栗色の髪、ふわっとした毛先。ぱっちりとした大きな茶色の瞳。身長は155センチくらいだろうか。小さくて、華奢で、まるで小鳥みたいな子だった。
その子のすぐ後ろに、スーツ姿の男が立っていた。男の手が、不自然に女子高生のスカートのあたりに伸びている。
女子高生は体を小さく震わせ、必死に身をよじって逃れようとしていた。しかし、満員電車の壁に阻まれて、逃げ場がない。彼女の大きな瞳には、今にもこぼれそうな涙がたまっていた。唇を噛みしめ、声を押し殺している。
周囲の乗客は、皆、見て見ぬふりをしていた。目を閉じる者、スマホに視線を落とす者、窓の外を眺める者。誰も、助けようとしない。
猛男の体が、先に動いた。
考えるより先に、巨大な体が車両の端へ向かって走り出していた。
「おい、てめえ!!」
怒鳴り声が車両に響き渡る。猛男は人波をかき分け、突進した。乗客たちが悲鳴を上げ、左右に飛び退く。まるで巨大な獣が群れを割って進むようだった。
痴漢の男が振り返る。その顔が、みるみる青ざめていく。
「な、なに、お前——」
男の言葉が終わる前に、猛男の大きな手が男の腕をガシリと掴んだ。握力は柔道全国大会レベル。男の腕が、ミシミシと音を立てる。
「てめえ、その手、どこに置いてやがる」
猛男の声は低く、地の底から響くようだった。怒りで小さな目が細くなり、厚い唇が引き締まる。ゴリラ顔が、さらに恐ろしい形相になっていた。
「ち、違う!俺は、その、ぶつかっただけで——」
男が言い訳をしようとした瞬間、猛男はもう片方の手で吊り革を掴んだ。いや、正確には、握り潰した。
グシャリ。
金属とプラスチックが砕ける音。吊り革の持ち手が、猛男の手の中で粉々になった。破片が床に落ちる。
車両内が、しん、と静まり返った。
乗客全員が、唖然として猛男を見つめている。痴漢の男は、ガクガクと膝を震わせ始めた。
「次の駅で、降りてもらう」
猛男は男の腕を掴んだまま、静かに言った。
「は、はい……すみません、すみませんでした……」
男は半泣きで謝罪を繰り返した。猛男の巨体と怪力の前に、抵抗する気力すら失ったようだった。
電車が次の駅に滑り込む。ドアが開くと同時に、男は猛男に腕を引かれ、転がるようにホームへ出ていった。駅員が異変に気づき、駆け寄ってくる。猛男は男を駅員に引き渡すと、再び車内に戻った。
ドアが閉まる。
車内の空気は、まだ張り詰めたままだった。乗客たちはチラチラと猛男を見ている。尊敬なのか、恐怖なのか、どちらともつかない視線。
猛男は、助けた女子高生の方を向いた。
彼女は、涙でぐしゃぐしゃになった顔で、猛男を見上げていた。大きな茶色の瞳から、ぽろぽろと涙がこぼれ落ちる。肩が小刻みに震えている。
「あ、ありがとうございます……ほんとに、ありがとうございます……」
彼女は何度も何度も頭を下げた。栗色の髪が揺れる。声が震えている。
「あの、お名前を……お名前、聞いてもいいですか……?」
彼女が顔を上げる。潤んだ瞳が、まっすぐに猛男を見つめた。
その瞬間、猛男の胸の奥で、何かがドクンと大きく脈打った。
(可愛い)
そう思った。
そして、次の瞬間には、もう逃げ出していた。
「気をつけろよ。次からは、もっと人がいるとこに乗れ」
それだけ言うと、猛男は停車した駅のホームへ飛び降りた。走る。走る。走る。2メートルの巨体が、改札へ向かって全力で駆け抜ける。
(なんで逃げたんだ、オレ)
心の中で自分にツッコミを入れる。
(名前を聞かれたくらいで、なんで逃げるんだよ。ダサすぎるだろ)
でも、逃げずにいられなかった。
あの子の顔を、まっすぐ見られなかった。
自分がゴリラみたいな顔をしていることを、知っている。近くで見たら、きっと怖がらせる。あの子は今、感謝してくれている。でも、この顔をじっくり見たら、きっと引く。そう思ったら、逃げるしかなかった。
改札を抜け、駅前の広場に出る。ミナトサカ駅は、市の中心に位置する交通の要衝だ。駅前には再開発地区「グランフロント・ミナトサカ」が広がり、新しい商業施設やシネコン、スーパーが立ち並んでいる。朝の通勤通学客でごった返す中、猛男は一人、肩で息をしていた。
「……はあ」
深いため息。
駅の東口から徒歩3分の場所には、洋菓子店「パティスリー・ルミエール」の看板が見える。オープン3年目、駅前再開発地区の一角にある人気店だ。ショーケースに常時20種類以上のケーキが並び、イートインスペースも12席ある。
(ケーキ……食いたい気分だ)
朝からケーキはないだろ、と自分でツッコミを入れ、猛男は学校へ向かって歩き出した。
集英高校は、ミナトサカ市の北部丘陵地にある私立高校だ。創立68年、全校生徒約720名。校訓は「誠実・英知」。通学路には桜並木が続き、4月の今は花びらが舞い散っている。
猛男は校門をくぐり、2年3組の教室へ向かった。教室は校舎2階の南向き。朝日が差し込む明るい教室だ。
「おはよ、剛田」
声をかけてきたのは、栗原オサム。アフロヘアの友人だ。
「おう」
「今日もでけえなあ。なんかあった?なんか、いつもより怖い顔してるぞ」
「え、そうか?」
「うん。まあ、いつものことか」
栗原は軽く笑って、自分の席に戻っていった。
猛男は自分の席に座り、窓の外を眺めた。桜の花びらが風に舞っている。
(あの子、大丈夫だったかな)
電車の中の光景が、頭から離れない。震えていた小さな肩。涙でいっぱいの瞳。何度も頭を下げる姿。
(可愛かったなあ)
また、そう思う。
(でも、どうせ)
猛男は首を振った。考えるな。考えるだけ無駄だ。
放課後、猛男は部活には顔を出さず、まっすぐ家に帰った。剛田家はミナトサカ市北部の住宅街にある、少し古い一軒家だ。隣には砂川家の新しい家が建っている。
「ただいま」
「おかえり、猛男。今日は早いのね」
母のゆり子が台所から顔を出した。パーマにピアス、肝っ玉母ちゃんだ。
「ちょっと、すなのとこ行ってくる」
「はいはい。夕飯までには帰ってきなさいよ」
猛男はランドセル——いや、通学鞄を自分の部屋に置くと、窓から隣の家の2階を確認した。砂川誠の部屋の窓は、猛男の部屋の窓と向かい合っている。カーテンが開いている。在宅のサインだ。
猛男は外に出て、砂川家の玄関をくぐった。幼い頃から何千回と通った道。チャイムを鳴らすまでもない。
「すなー」
階段を上がり、誠の部屋のドアを開ける。
砂川誠は、ベッドに寝転がっていた。さらさらの黒髪を前髪だけ軽く流した、爽やかな髪型。切れ長の涼しげな黒い瞳。身長178センチのスラリとした体。集英高校の制服を着崩すことなく、それでいて絵になる男。
「ノックくらいしろ」
誠は手に持っていた本を閉じ、体を起こした。
「悪い。でも、オレだぞ」
「お前だから言ってるんだよ」
誠は小さく笑った。クールな見た目とは裏腹に、猛男に対しては表情を緩める。それが、3歳からの幼なじみの特権だった。
「で、今日はどうした。また何かやらかしたのか」
「なんで分かんだよ」
「顔に書いてある」
誠はベッドの端に座り、長い脚を組んだ。
猛男は床にドカッと座り込み、今朝の出来事を話し始めた。電車で痴漢を見つけたこと。怒鳴りながら突進したこと。吊り革を握り潰したこと。女子高生に名前を聞かれたのに、逃げるように降りたこと。
誠は黙って聞いていた。時々、呆れたように眉を動かす。
「痴漢を捕まえたのか。お前らしいな」
「おう。あれはもう、体が勝手に動いた」
「吊り革を握り潰したのは、さすがにやりすぎだろ」
「だって、力入っちゃったんだよ。怒ってたから」
「まあ、お前が怒るのは、だいたい正しい理由だ。今回は特に」
誠は立ち上がり、机の上のペットボトルを取って水を飲んだ。
猛男は少し迷ってから、口を開いた。
「でもよ、あの子、めっちゃ可愛かったんだよな……」
誠が水を飲む手を止め、振り返る。
「へえ」
「なんだよ、その顔」
「別に。お前が女子を可愛いって言うの、珍しいから」
誠は再びベッドに腰掛け、わずかに笑った。
「お前が助けた女子が、お前を好きになるかもな」
その言葉に、猛男は大げさなほど首を横に振った。
「あるわけねえだろ!」
声が少し大きくなる。
「どうせお前みたいなイケメンが好きに決まってる。今までもそうだったろ」
自嘲気味に笑い飛ばす。心の中では、ちくりと刺すような痛みがあった。でも、それを顔に出すのは、なんか悔しいから、笑う。
誠の表情から、笑みが消えた。
「お前、それ、本気で言ってるのか」
「本気も何も、事実だろ。中学の時、3回連続だぞ。オレが好きになった子、みんなお前に告白してた」
「それは……」
誠が何か言いかけて、やめた。
部屋に沈黙が落ちる。
「まあ、いいんだよ。オレはそういう星の下に生まれたんだ。分かってる」
猛男は立ち上がり、誠の頭を軽くポンと叩いた。
「じゃあな、すな。夕飯までに帰るわ」
「……おう」
誠の返事は短かった。
猛男が部屋を出ていく。ドアが閉まる音。
誠は一人、ベッドに寝転がり、天井を見つめた。
(お前が好きになった女子が、みんなオレを好きになる。それは、お前が思ってるのとは、たぶん違う理由だ)
誠は目を閉じた。
(でも、今はまだ、言わない)
剛田家に戻った猛男は、風呂に入った。
浴室の鏡に、自分の顔が映る。湯気で少し曇った鏡。手で拭うと、そこには、ゴリラのような顔があった。短い角刈り。濃い顔立ち。厚い唇。小さな目。
「やっぱゴリラだよな……」
呟く。
幼い頃の記憶が、湯気の中から浮かんでくる。
幼稚園の頃。鬼ごっこをすれば、いつも鬼役。理由は「ゴリラ怪獣」が似合うから。
小学校の修学旅行。グループ写真を撮る時、隣の子が「やだ、剛田くんと一緒に写りたくない」と言った。先生が気を遣って、猛男を端に立たせた。
中学1年。初めて好きになった女子。名前は佐藤さん。優しくて、笑顔が可愛い子だった。勇気を出して話しかけた。彼女は笑ってくれた。でも、卒業式の日、彼女が告白したのは誠だった。
中学2年。2回目に好きになった女子。今度こそ、と思った。でも、彼女も誠にラブレターを渡していた。
中学3年。3回目。もう期待しないと決めていたのに、やっぱり好きになってしまった。結果は同じ。彼女が好きになったのは、誠だった。
(3回連続。全部、すな)
猛男は鏡の中の自分を見つめた。
(すなが悪いわけじゃない。すなは、いいやつだ。顔もいい。頭もいい。優しい。そりゃ、みんなすなを好きになるよ)
(オレは、この顔だ。2メートルのゴリラ。近くにいると怖い。笑うと余計怖い。力は強いけど、それだけだ)
湯船に浸かり、天井を見上げる。
「オレは、そういう星の下なんだよ」
自分に言い聞かせるように、もう一度呟いた。
風呂から上がり、部屋に戻る。髪をタオルで拭きながら、ベッドに座った。
その時、机の上のスマホが震えた。
知らない番号から、メッセージが届いている。
「なんだ?」
猛男はスマホを手に取り、画面を開いた。
『さっきは助けてくれてありがとうございました。大和凛子です』
心臓が、ドクンと鳴った。
「え……」
画面をスクロールする。メッセージは続いていた。
『たけおくん、だよね?』
猛男の手が、止まった。
(なんで、オレの名前を知ってるんだ?)
(連絡先も教えてない。名前も言ってない。なのに、なんで)
心臓が、ドクン、ドクンと脈打つ。その鼓動が、スマホを握る手に伝わってくる。
(やべえ。心臓の音が、うるさい)
猛男はスマホを両手で握りしめ、画面を見つめたまま動けなくなった。
『大和凛子』
送り主の名前。
(大和……凛子)
今日、電車で助けた、あの子。
栗色の髪。大きな茶色の瞳。震えていた小さな肩。何度も頭を下げていた、あの子。
(あの子が、なんでオレの名前を)
頭が真っ白になる。
返信しなければ。でも、何と返せばいい?
「え、なんで知ってんだ……?」
声に出して呟く。
スマホの画面が、じわりと明るく光っている。
メッセージの最後の一文が、猛男の目に焼き付いて離れない。
『たけおくん、だよね?』
(たけおくん)
(オレのことを、たけおくん、って)
胸の奥で、何かが熱くなる。
ドクン。ドクン。ドクン。
心臓の音が、部屋中に響いているような気がした。
猛男は、返信ボタンを押せないまま、長い時間、ただ画面を見つめていた。
窓の外では、4月の夜風が、桜の花びらを散らしていた。Noveliaとは?
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