俺物語!! 〜すれ違いの向こう側〜
朝の満員電車で痴漢から女子高生を救ったのは、身長2メートル・体重120キロの巨体を持つ高校2年生、剛田猛男。ゴリラのような顔立ちゆえに周囲から怖がられ、好きになった女子は3回連続で幼なじみのイケメン・砂川誠に告白されるという、不器用で報われない日々を送っていた。そんな猛男が助けた女子高生・大和凛子から届いた「たけおくん、だよね?」という一通のメッセージ。名前も連絡先も伝えていないはずの彼女は、なぜ猛男を知っているのか——。すれ違う想いと勘違いが織りなす、不器用な男の純情物語。
俺物語!! 〜すれ違いの向こう側〜 - ゴリラ、パティシエに宣戦布告される
ゴールデンウィークが明けて、学校の空気が少しだけ重くなった。
連休の余韻が残る教室で、剛田猛男は机に突っ伏していた。身長2メートル、体重120キロ。特注の4Lサイズの紺ブレザーが、窮屈そうに背中を盛り上げている。短く刈り込んだ角刈りに、奥二重の小さな黒い目。ゴリラのような濃い顔立ちと厚い唇。教室の後ろの席で、その巨体がギシギシと椅子を鳴らしていた。
(連休、何してたっけ)
猛男はぼんやり考えた。大和凛子からもらったクッキーを、毎日少しずつ食べたこと。誠と近所の駄菓子屋に行ったこと。あとは、凛子のバイト先、パティスリー・ルミエールの前を、意味もなく二回通りかかったこと。
(やめろ。ストーカーみたいだろ)
頭を振る。あの店のガラス越しに見た、凛子の真剣な横顔が浮かぶ。白いコックコート。栗色の髪。泡立て器を握る小さな手。
胸の奥が、ぎゅっと痛んだ。
(大和は、すなが好きなんだ)
(オレは、応援するって決めたんだ)
それなのに、どうしてこうも心がざわつくのか。猛男には分からなかった。
「おーい、剛田。また外に可愛い子が来てるぞ」
クラスメイトの声に、猛男は顔を上げた。
教室の入り口に、小泉女学園の制服を着た大和凛子が立っていた。肩まで伸びた柔らかな栗色の髪。ふわっとした毛先が、廊下の風に揺れている。ぱっちりとした大きな茶色の瞳が、教室の中をきょろきょろと探していた。
「た、大和……」
猛男は慌てて立ち上がった。机がガタンと音を立てる。
凛子が、猛男を見つけて、ぱあっと笑った。
「たけおくん!」
彼女は小走りで猛男の席に近づいてきた。スカートの裾がふわりと揺れる。教室中の視線が、また二人に集まる。男子たちのひそひそ声が聞こえた。
「あの子、また来た」「剛田に何の用だよ」「マジで意味わかんねえ」
猛男は、そんな声を無視して、凛子を見下ろした。
「どうしたんだ、大和。今日は何か用か?」
凛子は、両手を胸の前で組んで、少し困ったような顔をした。
「あのね、たけおくん。一之瀬シェフが、たけおくんに話があるって」
「一之瀬シェフ……?」
「うちのバイト先のシェフ。この前、お店に来たでしょ? 赤いバンダナ巻いた人」
猛男は、あの日のことを思い出した。パティスリー・ルミエールで、凛子の試作ケーキを食べた日。厨房の奥から、こちらをじろじろ見ていた男がいた。明るい茶色の髪を無造作にセットして、首に赤いバンダナを巻いた、甘いマスクの男。
(あの人か)
「明日の夕方、お店に来てほしいって。大事な話があるんだって」
凛子は、首をかしげた。
「な、なんで、その人がオレに?」
「わかんない。でも、すごく真剣な顔してたの。たけおくんに、直接会いたいんだって」
(大事な話? オレに?)
(あのシェフと、話したことなんて一度もねえのに)
猛男の頭の中は、疑問符でいっぱいになった。
「……わかった。行く」
猛男は、そう答えた。
凛子は、ぱあっと笑った。
「ほんと? よかった。うち、お店で待ってるね」
「じゃあ、明日、夕方、お店で。約束だよ」
凛子は、小さな指を差し出した。
(ゆ、指切り?)
猛男は、自分の太い指を見た。凛子の指の、三倍くらい太い。
おそるおそる、小指を差し出す。凛子は、猛男の太い小指に、自分の細い小指を絡めた。
「指切りげんまん、嘘ついたら針千本飲ます」
凛子は、歌うように言った。
(やべえ。手が、触れてる。大和の手、ちっせえ。温けえ)
猛男は、心臓の音が、教室中に響いているんじゃないかと思った。
「お、おう……」
声が裏返りそうになるのを、必死に堪えた。
凛子は、指を離すと、嬉しそうに笑った。
「じゃあ、また明日ね、たけおくん!」
凛子は、スカートの裾をひるがえして、教室を出ていった。
教室に、しばらく、ざわめきが残った。
猛男は、自分の小指を見つめた。
(一之瀬シェフ、か)
(なんでオレに話が?)
(オレ、なんかしたか?)
猛男は、首をかしげた。
「なんだろうな……」
窓の外では、五月の夕陽が、校庭をオレンジ色に染めていた。
胸の奥に、小さな不安が、ぽつんと灯っていた。
それは、まだ、名前のつかない予感だった。
——
翌日、夕方。
猛男は、ミナトサカ駅東口から徒歩3分の再開発地区に立っていた。目の前には、ガラス張りのおしゃれな店構え。白い壁に、金色の文字で「パティスリー・ルミエール」と書かれている。
(来ちまった)
(やっぱり、オレには似合わねえ場所だ)
ショーケースには、色とりどりのケーキが並んでいる。イチゴのショートケーキ、チョコレートのタルト、黄色いレモンパイ。どれも宝石みたいにキラキラしている。
猛男は、ごくりと唾を飲んだ。
(大和の作ったケーキ、うまかったな)
(あの『ありがとうケーキ』、また食べてえ)
そんなことを考えながら、店の入り口に立つ。
自動ドアが、静かに開いた。
カランカラン、と鈴の音。
店内には、甘い匂いが満ちていた。バターと砂糖と、焼きたてのスポンジの香り。
「いらっしゃいませ」
ホールスタッフの声がした。
猛男は、店内を見回した。イートインスペースには、若い女性客が二人。ショーケースの前には、母親らしき女性と小さな子供。
(大和は、どこだ)
その時だった。
厨房の扉が、勢いよく開いた。
「待っていたよ、剛田くん」
低く、自信に満ちた声。
現れたのは、一之瀬昴だった。明るい茶色の髪を無造作にセットし、首に赤いバンダナを巻いている。甘い琥珀色の瞳が、まっすぐに猛男を捉えていた。白いコックコートの袖をまくり、腕を組んで、仁王立ちしている。
(この人が、一之瀬シェフか)
(すげえオーラだ。ケーキ屋のシェフって感じじゃねえ)
猛男は、一之瀬の迫力に、思わず一歩後ずさった。
一之瀬は、猛男の巨体を、上から下までじっくりと眺めた。
「ふむ。話には聞いていたが、本当に大きいんだね」
「お、おう……」
猛男は、何と答えていいか分からず、曖昧に頷いた。
一之瀬は、腕を組んだまま、一歩、猛男に近づいた。
「単刀直入に言おう。凛子さんに、近づくな」
「……え?」
猛男は、聞き返した。
「凛子さんに、近づくなと言っている。あの子は、君には釣り合わない」
一之瀬の声は、店内に響き渡るほど、はっきりとしていた。
イートインの女性客が、こちらを見た。ホールスタッフも、固まっている。
「君みたいな男が、凛子さんの隣に立っているところを想像してみろ。滑稽だろう?」
一之瀬は、口元に薄い笑みを浮かべた。
「凛子さんは、天使のように可愛らしい子だ。君は、ゴリラだ。その隣に立つ資格があると、本気で思っているのか?」
(ゴリラ)
(資格がない)
その言葉が、猛男の胸に、深く突き刺さった。
(分かってる。そんなことは、オレが一番分かってる)
(オレは、大和に釣り合わない)
(それは、ずっと前から、分かってた)
猛男は、拳を握りしめた。爪が、掌に食い込む。
「俺が、凛子さんを守る」
一之瀬は、胸を張って言い放った。
「君は、彼女に近づかないでくれ。それが、彼女のためだ」
「お、おう……」
猛男は、それしか言えなかった。
言い返す言葉が、何も浮かばない。
(違う。オレは、大和に近づこうなんて思ってねえ)
(ただ、大和が、すなのことを好きなら、応援したいだけだ)
(それだけなんだ)
そう言いたかった。でも、声が出なかった。
一之瀬の剣幕に、完全に押されていた。
その時だった。
「一之瀬シェフ、やめてください!」
凛子の声が、店内に響いた。
振り返ると、凛子が、厨房の奥から飛び出してきていた。白いコックコートのまま、栗色の髪を振り乱して、猛男と一之瀬の間に割って入る。
「たけおくんに、失礼なことを言わないでください!」
凛子は、一之瀬を、大きな瞳でにらみつけた。
「凛子さん、これは男同士の話だ。君は下がっていてくれ」
一之瀬は、凛子の言葉を、まったく聞こうとしなかった。
「男同士の話って、うちのことを勝手に決めないでください! たけおくんは、うちの恩人なんです!」
凛子の声が、震えている。
「恩人? ああ、電車で痴漢から助けたという話か。だが、それとこれとは別だ。凛子さん、君は自分の気持ちに気づいていない。あんな男に、君はもったいない」
一之瀬は、凛子の言葉を、まったく聞こうとしなかった。
「あんな男って、やめてください! たけおくんは、すごく優しくて、強くて、かっこいい人なんです!」
凛子の叫びに、猛男の心臓が、ドクンと跳ねた。
(かっこいい?)
(オレが?)
(大和が、そんなことを言ってくれるなんて)
でも、すぐに、心の中で首を振った。
(違う。大和は、優しいから、そう言ってくれてるだけだ)
(オレをかばおうとしてくれてるんだ)
「凛子さん、君は優しすぎる。その優しさが、あの男に付け込まれる原因になる」
一之瀬は、ため息をついた。
「剛田くん。君も、自分が凛子さんの隣に立つ姿を、鏡で見てみるといい。それで、自分がどれほど場違いか、分かるだろう」
一之瀬は、猛男の顔を、まっすぐに見上げた。
(場違い)
(分かってる。分かってるんだ)
猛男は、唇を噛んだ。
鉄の味が、口の中に広がる。
「……すまん、大和。オレ、帰るわ」
猛男は、それだけ言うと、背を向けた。
「たけおくん! 待って!」
凛子の声が、背中に追いかけてくる。
でも、振り返れなかった。
自動ドアが開き、外の空気が、猛男の体を包んだ。
夕暮れの街が、やけに眩しく見えた。
——
その夜。
猛男は、砂川家の玄関の前に立っていた。
インターホンを押す。
しばらくして、ドアが開いた。
「猛男? どうした、こんな時間に」
砂川誠が、怪訝そうな顔で立っていた。さらさらの黒髪。切れ長の涼しげな黒い瞳。整った顔立ち。部屋着のTシャツに、スウェット姿だった。
「すな……ちょっと、話聞いてくれ」
猛男は、うつむいたまま言った。
誠は、猛男の様子に何かを感じ取ったのか、黙ってドアを開けた。
「上がれよ」
誠の部屋は、二階にあった。
猛男は、誠の部屋に上がると、ベッドの端に腰を下ろした。ギシッと音がする。
誠は、机の椅子に座り、猛男を見た。
「で、何があった」
誠の声は、いつも通り、落ち着いていた。
「……今日、大和のバイト先のシェフに呼び出された」
猛男は、ぽつりぽつりと話し始めた。
「一之瀬って人で、すげえイケメンで、ケーキ作るのが上手い人なんだけど」
「その人に、大和に近づくなって言われた。お前みたいな男に、大和は釣り合わないって」
誠は、黙って聞いていた。
「それで、大和が、やめてくださいって止めてくれたんだけど……オレ、何も言えなくて。お、おう、としか言えなかった」
猛男は、拳を握りしめた。
「すな、オレ、やっぱり、大和に釣り合わねえよな。ゴリラみたいな顔して、勉強もできねえし、ケーキも作れねえし」
「猛男」
誠が、静かに口を開いた。
「あのシェフの言うことなんて、気にするな」
「え?」
「お前が大和に釣り合うかどうかは、あのシェフが決めることじゃない。大和が決めることだ」
誠は、真っ直ぐに猛男を見た。
「それに、お前は、自分で思ってるほど、悪い男じゃない。むしろ、その逆だ」
「すな……」
「俺が保証する。お前は、誰よりも、いい男だ」
誠の言葉に、猛男の胸が、じんわりと温かくなった。
でも、すぐに、冷たい感情が、それを覆い隠した。
(すなは、優しいから、そう言ってくれる)
(でも、現実は違う)
(オレは、大和に釣り合わない)
「……ありがとな、すな。でも、やっぱり、オレは、大和にふさわしくない」
猛男は、うつむいたまま言った。
誠は、何か言いたげに、口を開きかけた。
でも、結局、何も言わなかった。
ただ、静かに、猛男の隣に座った。
しばらく、二人の間に、沈黙が流れた。
窓の外では、夜風が、木々を揺らしていた。
——
自室に戻った猛男は、電気もつけずに、ベッドに倒れ込んだ。
天井が、ぼんやりと見える。
(一之瀬シェフの言う通りだ)
(オレは、大和に釣り合わない)
(ゴリラみたいな顔で、大和の隣に立つなんて、おかしい)
猛男は、ゆっくりと体を起こした。
机の上に、手鏡があった。
猛男は、手鏡を手に取り、自分の顔を見た。
角刈りの黒髪。奥二重の小さな黒い目。濃い顔立ち。厚い唇。
(ゴリラだ)
(本当に、ゴリラだ)
猛男は、鏡を伏せた。
その時だった。
凛子の顔が、頭に浮かんだ。
あの日、電車で助けた時、涙でぐしゃぐしゃになりながら、何度も頭を下げていた小さな姿。
教室で、クッキーを差し出してくれた時の、恥ずかしそうな笑顔。
ケーキを作っている時の、真剣な横顔。
指切りをした時の、温かい手。
そして、今日、一之瀬に立ち向かってくれた時の、必死な顔。
「好きだ……」
猛男は、声に出して呟いた。
「大和のことが、好きだ」
胸の奥で、何かが、激しく脈打つ。
「でも、オレじゃ、ダメなんだ」
「オレは、大和に、ふさわしくない」
猛男は、自分の胸を、ぎゅっと掴んだ。
(好きだ)
(好きなのに)
(どうして、オレは、こんな顔なんだ)
(どうして、オレは、もっと、かっこよく生まれてこなかったんだ)
猛男は、唇を噛んだ。
鉄の味が、また、口の中に広がる。
「……大和」
猛男は、小さく呟いた。
窓の外では、月が、雲に隠れていた。
——
翌日。
猛男は、学校で、凛子の姿を見つけた。
昼休み、教室の外の廊下。
凛子は、猛男を見つけると、小走りで駆け寄ってきた。
「たけおくん! 昨日は、本当にごめんなさい!」
凛子は、深々と頭を下げた。
栗色の髪が、さらりと流れる。
「お、おう。大和が謝ることじゃねえ」
猛男は、笑顔を作った。
「でも、一之瀬シェフが、たけおくんに、あんな失礼なことを……」
凛子は、涙を浮かべていた。
「あのね、たけおくん。一之瀬シェフは、勘違いしてるの。うちは、たけおくんのことが——」
凛子が、そこまで言った時だった。
「大和。大丈夫だから」
猛男は、凛子の言葉を遮った。
「オレは、大丈夫。気にしてねえから」
猛男は、笑顔のまま言った。
(気にしてないわけ、ねえだろ)
(心は、ズタズタだ)
(でも、大和に心配かけたくない)
「でも……」
凛子は、まだ何か言いたそうだった。
「大和は、すなのことが好きなんだろ?」
猛男は、言った。
凛子の顔が、一瞬、固まった。
「え……?」
「だったら、オレは大丈夫だから。オレは、大和とすなを、応援するから」
猛男は、そう言って、笑った。
(これでいい)
(オレは、二人を応援するんだ)
(それが、オレの役目だ)
「じゃあな、大和」
猛男は、背を向けて、歩き出した。
「たけおくん! 違うの! うちは——」
凛子の声が、背中に追いかけてくる。
でも、猛男は、振り返らなかった。
廊下の角を曲がる。
そこで、猛男は、立ち止まった。
壁に手をつく。
(好きだ)
(大和のことが、好きだ)
(好きなのに、応援するなんて、おかしいよな)
(でも、オレには、それしかできない)
猛男は、ぎゅっと、拳を握りしめた。
爪が、掌に食い込む。
痛みが、心の痛みを、少しだけ、紛らわせてくれた。
「……大和」
猛男は、小さく呟いた。
その声は、廊下の喧騒に、かき消されていった。
——
放課後。
凛子は、パティスリー・ルミエールの厨房で、一人、ケーキを作っていた。
ボウルに、卵を割り入れる。
泡立て器を手に取り、白身を泡立て始める。
ハンドミキサーは使わない。
自分の手で、ゆっくりと、丁寧に。
(たけおくん、誤解してる)
(うちは、すなかわくんのこと、何とも思ってないのに)
(うちが好きなのは、たけおくんだけなのに)
凛子の目から、涙がこぼれた。
ボウルの中に、落ちていく。
(違うのに)
(うちは、たけおくんが好きなのに)
凛子は、泡立て器を握る手に、力を込めた。
「違うのに……」
凛子の小さな呟きは、厨房の換気扇の音に、かき消されていった。
窓の外では、夕陽が、沈みかけていた。Noveliaとは?
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