俺物語!! 〜すれ違いの向こう側〜
朝の満員電車で痴漢から女子高生を救ったのは、身長2メートル・体重120キロの巨体を持つ高校2年生、剛田猛男。ゴリラのような顔立ちゆえに周囲から怖がられ、好きになった女子は3回連続で幼なじみのイケメン・砂川誠に告白されるという、不器用で報われない日々を送っていた。そんな猛男が助けた女子高生・大和凛子から届いた「たけおくん、だよね?」という一通のメッセージ。名前も連絡先も伝えていないはずの彼女は、なぜ猛男を知っているのか——。すれ違う想いと勘違いが織りなす、不器用な男の純情物語。
俺物語!! 〜すれ違いの向こう側〜 - ゴリラ、天使のケーキを食べる
放課後の空気が、いつもと違う色をしていた。
四月も終わりに近づき、夕方の陽射しは柔らかく、街をオレンジ色に染めている。集英高校の正門を出た剛田猛男は、いつものようにミナトサカ駅へ向かう道を歩いていた。身長2メートル、体重120キロ。特注の4Lサイズの紺ブレザーを着た巨体は、夕陽を背に受けて、長い影をアスファルトに落としている。
(今日は、まっすぐ帰ろう)
心の中で、そう決めていた。
昨日、教室で大和凛子から手作りのクッキーをもらった。あの日から、頭の中がずっと変な感じだ。授業中も、ふとした瞬間に、あの栗色の髪が浮かぶ。大きな茶色の瞳が、まっすぐに自分を見上げてくる。
(やめろ。オレなんかが、何考えてんだ)
猛男は頭を振った。
大和は、砂川誠のことが好きなんだ。あの日、教室で誠が現れた時、凛子は誠にも丁寧に挨拶していた。あれは、そういうことだ。これまでの人生で、三回も同じことを繰り返してきた。好きになった子は、みんな誠を好きになる。今回も、きっと同じだ。
(分かってる。分かってるんだよ)
足が、勝手に止まった。
気がつくと、猛男は駅前の再開発地区に立っていた。目の前には、ガラス張りのおしゃれな店構え。白い壁に、金色の文字で「パティスリー・ルミエール」と書かれている。駅東口から徒歩3分。ミナトサカ市で本格フランス菓子を作れる数少ない洋菓子店だ。
(なんで、ここに来てんだ、オレ)
自分でも理由がわからない。
大和凛子が、この店でアルバイトをしている。それは、あの日のメッセージのやり取りで知っていた。『さっきは助けてくれてありがとうございました。大和凛子です』。あのメッセージに、結局、猛男は返信できなかった。
(用もないのに、来ちまった)
店の前には、夕方の買い物客が何人か歩いている。ガラスの向こうには、色とりどりのケーキが並ぶショーケースが見えた。イチゴのショートケーキ、チョコレートのタルト、黄色いレモンパイ。どれも宝石みたいにキラキラしている。
(オレには、似合わねえ場所だ)
そう思って、立ち去ろうとした。
その時だった。
ショーケースの奥。厨房へ続く扉の隙間から、一人の少女の姿が見えた。
肩まで伸びた柔らかな栗色の髪。白いコックコートを着て、真剣な顔で何かを作っている。手元には、銀色のボウルと泡立て器。ハンドミキサーは使わず、自分の手でクリームを泡立てている。
大和凛子だった。
彼女の横顔は、猛男が知っているどんな表情よりも真剣で、それでいて、どこか楽しそうだった。ふわっとした毛先が、エアコンの風に揺れている。ぱっちりとした大きな茶色の瞳が、ボウルの中のクリームをじっと見つめている。
ドクン。
胸の奥で、何かが激しく脈打った。
(か、可愛い……)
猛男は、自分の心臓の音が、ガラス越しに聞こえてしまうんじゃないかと思った。
(真剣にケーキを作ってる。すげえ集中力だ。やっぱり、大和はすごい)
その時、凛子が顔を上げた。
大きな瞳が、ガラスの向こうに立つ猛男を捉えた。一瞬、驚いたように目を丸くした。それから、パッと花が咲くみたいに、満面の笑顔になった。
凛子は泡立て器を置くと、小さな手を大きく振った。
「たけおくん!」
声は聞こえない。でも、口の形で、そう呼んだのが分かった。
猛男は、逃げ出そうとした。
(やべえ。見つかった)
体が、後ろを向こうとした。しかし、足が動かない。まるで、地面に根が生えたみたいだ。
凛子は、店の入り口から顔を出した。白いコックコートのまま、エプロンをつけて、栗色の髪を揺らしながら、小走りで猛男に近づいてくる。
「たけおくん、こんにちは。どうしたの? もしかして、お店の前、通っただけ?」
彼女は、猛男の胸のあたりを見上げながら、首をかしげた。155センチの小さな体は、2メートルの猛男の前では、まるで小鳥みたいだ。
「お、おう……いや、その、たまたま通りかかって……」
猛男は、視線をあちこちに泳がせた。自分のゴリラ顔を、こんな明るい場所で見られるのが恥ずかしい。ショーケースのケーキが、やけに眩しく見える。
「よかったら、中に入って。うち、今、試作のケーキ作ってるの。たけおくんに、食べてほしいな」
凛子は、両手を胸の前で組んで、上目遣いで言った。その瞳は、期待にキラキラ輝いている。
(断れるわけ、ねえだろ)
猛男は、心の中でため息をついた。いや、ため息じゃない。覚悟を決めた。
「お、おう。じゃあ、ちょっとだけ……」
猛男は、2メートルの巨体を縮こまらせながら、パティスリー・ルミエールの扉をくぐった。
カラン、とドアベルが鳴る。
店内は、甘い匂いで満ちていた。バターと砂糖と、焼きたての生地の香り。猛男は、その匂いだけで、なんだかくらくらした。
「こっち、イートインの席、空いてるから」
凛子は、窓際の小さなテーブルを指さした。白いテーブルクロスに、ピンクの花が一輪、小さな花瓶に生けてある。
猛男は、おそるおそる椅子に座った。ギシリ、と椅子が悲鳴を上げる。
(大丈夫か、この椅子。壊れねえよな)
凛子は、厨房に戻ると、すぐに白いお皿を持って戻ってきた。お皿の上には、小さなケーキが一つ。ふんわりとしたスポンジに、白いクリームがたっぷり。上には、真っ赤なイチゴが一粒、ちょこんと乗っている。
「これ、うちが今、試作してるの。『ありがとうケーキ』って名前。たけおくんに、最初に食べてほしくて」
凛子は、お皿を猛男の前に置いた。
「『ありがとうケーキ』……?」
「うん。助けてもらったお礼に、何か作りたいなって思って。お店のシェフに相談したら、試作してみる? って言われて」
凛子は、エプロンの裾をいじりながら、少し照れたように笑った。
「まだ、お店で売るかどうかは分からないんだけど……うち、このケーキを、どうしてもたけおくんに食べてほしかったの」
猛男の胸の奥が、ぎゅっと締め付けられた。
(オレのために? 大和が、オレのためにケーキを?)
(ちがう。違うぞ、剛田猛男。これは、電車で助けたお礼だ。誰にでも、こういうことをする子なんだ。大和は、優しいから)
猛男は、心の中で自分に言い聞かせた。
「……食べていいのか」
「もちろん! 召し上がれ」
凛子は、両手を合わせて、嬉しそうに言った。
猛男は、フォークを手に取った。
(手が、震える)
大きな手で、小さなフォークを持つ。銀色のフォークが、猛男の手の中では、まるでおもちゃみたいだ。
ケーキを一口分、切り取る。スポンジが、ふわりと沈む。クリームが、とろりと光る。
猛男は、それを口に入れた。
——うまい。
言葉にならない。
ふわふわのスポンジが、口の中でほどける。甘さ控えめのクリームが、舌の上で溶けていく。イチゴの酸味が、甘さを引き締める。
(なんだこれ。うますぎる。今まで食ったケーキの中で、一番うまい)
猛男の顔が、ほころんだ。
厚い唇が、自然と緩む。小さな目が、細くなる。ゴリラ顔が、だらしなく崩れる。
「うまい」
それだけしか、言えなかった。
「ほんと!? よかったぁ」
凛子は、ぱあっと笑った。その笑顔は、店の中のどんなケーキよりも甘くて、温かかった。
「たけおくん、すっごくいい顔してる。うち、その顔が見たかったの」
猛男は、ハッとして、自分の顔を手で隠した。
「お、オレ、今、変な顔してたか?」
「ううん。すっごく幸せそうな顔。うち、嬉しい」
凛子は、目を細めて、猛男を見つめた。
(やめろ。そんな目で見るな。オレの心臓が、持たない)
猛男は、心の中で叫んだ。
(好きだ)
(大和のことが、好きだ)
(でも、言えるわけない。大和は、すなのことが好きなんだから)
猛男は、残りのケーキを、一気に口に放り込んだ。
「……うまい。本当に、うまい」
「えへへ。ありがとう。もっと作るね」
凛子は、嬉しそうに笑った。
その時、厨房の奥から、一人の男が顔を出した。
明るい茶色の髪を無造作にセットした、長身の男。180センチはあるだろうか。首に赤いバンダナを巻き、白いシェフコートを着ている。甘いマスクの、いわゆるイケメンだ。
一之瀬昴。このパティスリー・ルミエールのオーナー兼シェフだ。
一之瀬は、イートイン席に座る猛男の巨体を、一瞬、怪訝そうな目で見た。それから、凛子の方を向いた。
「凛子さん、試作の感想は?」
「あ、シェフ。たけおくんが、すっごく美味しいって!」
凛子は、振り返って、嬉しそうに報告した。
一之瀬は、猛男をもう一度見た。上から下まで、じろりと眺める。
(なんだ、この人。すげえ見られてる)
猛男は、背筋を伸ばした。
一之瀬は、何か言いたそうに口を開きかけたが、凛子が楽しそうに笑っているのを見て、小さく息を吐いた。
「そう。良かったね、凛子さん」
一之瀬は、それだけ言うと、厨房の奥へ戻っていった。
(なんだったんだ、今の)
猛男は、首をかしげた。
「シェフ、ちょっと怖い人だけど、本当は優しいの。ケーキも、すっごく上手なんだよ」
凛子は、小さな声で言った。
「お、おう」
猛男は、空になったお皿を見つめた。
(ケーキ、うまかった。大和の作ったケーキ。世界で一番、うまい)
(でも、聞かなきゃいけないことがある)
(大和は、すなのことが好きなんだよな?)
(確認しなきゃ。じゃないと、オレ、また勘違いする)
猛男は、口を開きかけた。
「あの、大和——」
「なあに?」
凛子は、首をかしげた。大きな茶色の瞳が、まっすぐに猛男を見上げる。
その瞳を見た瞬間、言葉が、喉の奥で消えた。
(言えるわけ、ねえ)
(この笑顔の前で、「お前、すなのことが好きなんだよな?」なんて)
(聞けるわけ、ねえだろ)
猛男は、唇を噛んだ。
「……ごちそうさん。うまかった。また、来る」
猛男は、立ち上がった。椅子が、ギシリと鳴る。
「うん。待ってるね。たけおくん」
凛子は、少し寂しそうな顔で、笑った。
(その顔、やめろ。置いて行けなくなる)
猛男は、逃げるように店を出た。
ドアベルが、カランと鳴る。
外は、もうすっかり夕暮れだった。空が、紫色に染まっている。
猛男は、店から少し離れた場所で、立ち止まった。
「なんで聞けねえんだよ、オレは……」
猛男は、自分の頭を、大きな手で抱えた。
(大和の笑顔を見てたら、あんなこと、聞けるわけないだろ)
(あの笑顔を、曇らせたくなかった)
(でも、それじゃ、いつまでも同じだ)
(オレは、また、勘違いしたまま、勝手に傷ついて、勝手に諦めるのか)
猛男は、拳を握りしめた。
「クソッ……」
その時だった。
「猛男」
後ろから、声がした。
振り返ると、砂川誠が立っていた。さらさらの黒髪を夕風に揺らし、切れ長の涼しげな黒い瞳で、猛男を見つめている。首からは、いつものように一眼レフカメラを提げていた。
「す、すな!? お前、なんでここに」
「買い物の帰り。駅前で、お前みたいなデカいのが、頭抱えてるのが見えたから」
誠は、相変わらずの真顔で言った。
「み、見てたのかよ……」
「見てた。で、大和と話したのか?」
誠は、パティスリー・ルミエールの方を、ちらりと見た。
「……話した。ケーキ、食った。すげえうまかった」
「そうか」
誠は、小さく頷いた。
猛男は、誠の顔を見た。夕陽を背に受けた親友の横顔は、昔から変わらず整っている。女子が放っておかない顔だ。
(すなは、やっぱりかっこいい)
(大和が、すなを好きになるのも、無理ねえよ)
猛男は、腹を決めた。
「なあ、すな」
「なんだ」
「大和は、お前のことが好きだと思う」
猛男は、まっすぐに誠の目を見て言った。
誠は、一瞬、言葉を詰まらせた。
夕風が、二人の間を吹き抜ける。
誠の切れ長の瞳が、わずかに揺れた。
「……そうか」
それだけだった。
誠は、何も言わず、複雑な表情で、地面を見つめた。
(すな、今、どんな気持ちなんだ)
(嬉しいのか? 困ってるのか? オレには、分からねえ)
猛男は、誠の表情の意味を測りかねた。
「……まあ、その、なんだ。お前なら、大和のこと、大事にできるだろ」
猛男は、無理やり笑顔を作った。
「……猛男」
誠が、顔を上げた。
「お前、それ、本気で言ってるのか」
「え? な、なにがだよ」
誠は、猛男をじっと見つめた。
(なんだ、この空気。すな、怒ってるのか?)
猛男は、戸惑った。
「……いや、なんでもない」
誠は、ふっと視線を外した。
「帰るぞ。暗くなる前に」
「お、おう」
二人は、並んで歩き出した。
沈黙が、続く。
普段なら、こんな沈黙は気にならない。でも、今は、その沈黙がやけに重く感じる。
(すな、何考えてるんだ)
(やっぱり、オレが余計なこと言ったか)
猛男は、チラリと誠の横顔を見た。
誠は、何かを考え込むように、まっすぐ前を見ていた。
「……猛男、お前、大和のケーキ、食ったんだろ」
誠が、突然、口を開いた。
「え? お、おう。食った。すげえうまかった」
「そうか。良かったな」
誠は、少しだけ、口元を緩めた。
(すな、笑った)
猛男は、その笑顔を見て、少しだけ安心した。
「……お前も、食えばいいのに。大和のケーキ」
「俺はいい」
「なんでだよ。うまいのに」
誠は、答えなかった。
ただ、静かに、夕焼けの空を見上げた。
「……大和のケーキは、お前が食えばいい」
誠は、ぽつりと言った。
(どういう意味だ?)
猛男は、首をかしげた。
でも、それ以上は聞けなかった。
二人は、そのまま、北部の住宅街へ向かって歩いていった。
夕陽が、ビルの向こうに沈んでいく。
空が、ゆっくりと、夜の色に変わっていく。
剛田家と砂川家の前で、二人は別れた。
「じゃあな、すな」
「ああ」
誠は、自宅の門をくぐった。
猛男は、その背中を見送った。
(すな、なんか変だったな)
(オレ、なんか、余計なこと言ったか?)
猛男は、自分の家の門をくぐりながら、何度も振り返った。
砂川家の二階。誠の部屋の灯りが、カーテン越しに、ぼんやりと見える。
誠は、部屋の中で、一人、ため息をついていた。
「……猛男、お前は、本当にニブイな」
誠は、カメラを机の上に置いた。
(大和の視線は、お前にしか向いてない)
(あの教室で、お前にクッキーを渡した時から、ずっと)
(お前は、それを、全部、俺に向けられたものだと勘違いしてる)
誠は、窓の外を見た。
向かいの剛田家の二階。猛男の部屋の灯りが、カーテン越しに、ぼんやりと見える。
(でも、今の俺には、何もできない)
(俺が何か言えば、大和の気持ちを、俺が代弁することになる)
(それは、大和のためにならない)
(大和自身が、お前に伝えるべきだ)
誠は、カーテンを閉めた。
「……面倒くせぇな、恋愛って」
誠は、ベッドに横たわり、天井を見上げた。
4月の夜風が、窓を揺らしていた。
翌日。
放課後の集英高校、2年3組の教室。
猛男は、自分の席で、ぼんやりと窓の外を眺めていた。
(今日は、まっすぐ帰ろう)
(昨日は、変なところに行っちまった)
(今日こそ、まっすぐ帰る)
そう心に決めた、その時だった。
教室の入り口が、ガラリと開いた。
「たけおくん」
柔らかい声。
猛男は、心臓が跳ねるのを感じた。
入り口に立っていたのは、小泉女学園の制服を着た大和凛子だった。栗色の髪が、窓からの風に揺れている。大きな茶色の瞳が、まっすぐに猛男を見つめている。
教室中の視線が、また、一斉に集まる。
「うわ、また来た」「あの子、剛田に用事?」「マジでなんでゴリラに」
男子たちのひそひそ声。
でも、そんな声は、猛男の耳には入ってこなかった。
凛子が、小走りで猛男の席に近づいてくる。
「あのね、たけおくん。一之瀬シェフが、たけおくんに話があるって」
「一之瀬シェフ……?」
猛男は、聞き返した。
「うちのバイト先のシェフ。昨日、お店にいたでしょ? 赤いバンダナ巻いた人」
凛子は、首をかしげた。
(あの、じろじろ見てきた人か)
猛男は、昨日の一之瀬昴の顔を思い出した。
「ちょっと怖い人だけど、ケーキはすごく上手なの。明日の夕方、お店に来てほしいって」
凛子は、両手を胸の前で組んで、少し困ったような顔で言った。
「な、なんで、その人がオレに?」
「わかんない。でも、大事な話があるって。たけおくんに、直接会いたいんだって」
凛子は、首をかしげたまま言った。
(大事な話? オレに? なんでだよ)
(昨日、初めて会ったばかりだぞ)
猛男の頭の中は、疑問符でいっぱいになった。
「……わかった。行く」
猛男は、そう答えた。
「ほんと? よかった。うち、お店で待ってるね」
凛子は、ぱあっと笑った。
「じゃあ、明日、夕方、お店で。約束だよ」
凛子は、小さな指を差し出した。
(ゆ、指切り?)
猛男は、自分の太い指を見た。
(オレの指、凛子の指の三倍くらい太いぞ)
猛男は、おそるおそる、小指を差し出した。
凛子は、猛男の太い小指に、自分の細い小指を絡めた。
「指切りげんまん、嘘ついたら針千本飲ます」
凛子は、楽しそうに歌うように言った。
(やべえ。手が、触れてる。大和の手、ちっせえ。温けえ)
猛男は、心臓の音が、教室中に響いているんじゃないかと思った。
「お、おう……」
猛男は、声が裏返りそうになるのを必死に堪えた。
凛子は、指を離すと、嬉しそうに笑った。
「じゃあ、また明日ね、たけおくん!」
凛子は、スカートの裾をひるがえして、教室を出ていった。
教室に、しばらく、ざわめきが残った。
猛男は、自分の小指を見つめた。
(大和の指、細かったな。折れそうなくらい)
(てか、一之瀬シェフって、なんでオレに話が?)
(オレ、なんかしたか?)
猛男は、首をかしげた。
「なんだろうな……」
猛男は、窓の外を見た。
夕陽が、校庭をオレンジ色に染めていた。
(明日、お店に行く。一之瀬シェフに、会う)
(なんで呼び出されたのか、全然わかんねえ)
(でも、大和が嬉しそうだったから、まあ、いいか)
猛男は、小さくため息をついた。
胸の奥に、小さな不安が、ぽつんと灯っていた。
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