俺物語!! 〜すれ違いの向こう側〜
朝の満員電車で痴漢から女子高生を救ったのは、身長2メートル・体重120キロの巨体を持つ高校2年生、剛田猛男。ゴリラのような顔立ちゆえに周囲から怖がられ、好きになった女子は3回連続で幼なじみのイケメン・砂川誠に告白されるという、不器用で報われない日々を送っていた。そんな猛男が助けた女子高生・大和凛子から届いた「たけおくん、だよね?」という一通のメッセージ。名前も連絡先も伝えていないはずの彼女は、なぜ猛男を知っているのか——。すれ違う想いと勘違いが織りなす、不器用な男の純情物語。
俺物語!! 〜すれ違いの向こう側〜 - ゴリラ、校舎裏でクッキーを貰う
放課後の集英高校、2年3組の教室。
窓から差し込む四月の陽射しは、もう夕方の色に傾き始めていた。黒板の上に貼られた時間割が、誰かが開けた窓からの風でパタパタと揺れている。掃除当番の生徒たちが箒を手に、だらだらと机を動かしていた。
剛田猛男は、教室の一番後ろの自分の席に座ったまま、教科書をカバンに詰め込んでいた。
身長2メートル、体重120キロ。特注の4Lサイズの紺ブレザーを着ていても、その体は椅子をギシギシと鳴らせている。短く刈り込んだ角刈りに、奥二重の小さな黒い目、ゴリラのような濃い顔立ちと厚い唇。教室の中でも一際異彩を放つ巨体だった。
(今日も、なんとか終わった)
猛男は心の中で小さく息をついた。勉強は苦手だ。授業中、何度もノートに写す手が止まり、窓の外の桜を眺めていた。あの日——電車で大和凛子を助けてから、もう一週間が経つ。
(大和、元気にしてるかな)
ふと、あの栗色の髪が頭に浮かぶ。ぱっちりとした大きな茶色の瞳。涙でぐしゃぐしゃになりながら、何度も頭を下げていた小さな姿。
ドクン。
胸の奥で、何かが脈打った。
(やめろ。オレなんかが、何考えてんだ)
猛男は頭を振った。あの日、彼女からメッセージが届いた。『さっきは助けてくれてありがとうございました。大和凛子です』。それに『たけおくん、だよね?』。
(なんでオレの名前を知ってたんだ? 連絡先も教えてないのに)
結局、猛男はあのメッセージに返信できなかった。スマホを握りしめたまま、一時間も画面を見つめて、それでも「ありがとう」の一言すら打てなかった。
(だって、なんて返せばいいんだよ)
返信を諦めた自分が情けなくて、あの夜は布団の中で何度も寝返りを打った。
「おーい、剛田、帰んねーの?」
クラスメイトの一人が声をかけてきた。猛男はハッとして顔を上げる。
「お、おう。今行く」
立ち上がろうとした、その時だった。
教室の入り口が、ガラリと開いた。
「あの……すみません」
柔らかい、小さな声が教室に響いた。
全員の視線が、一斉に入り口に集まる。
そこに立っていたのは、小泉女学園の制服を着た一人の女子高生だった。肩まで伸びた柔らかな栗色の髪。ふわっとした毛先が、窓からの風に揺れている。ぱっちりとした大きな茶色の瞳は、教室の中をきょろきょろと探していた。
「うわ、誰あの子」「小泉女学園の制服じゃね?」「めっちゃ可愛くない?」
男子たちがざわめき始める。女子たちも、ひそひそと何かを囁いている。
猛男は、その姿を見た瞬間、体が固まった。
(大和——!?)
間違いない。あの電車で助けた、大和凛子だった。
凛子の大きな瞳が、教室の後ろの席に座る猛男を捉えた。その瞬間、彼女の表情がパッと明るくなる。
「たけおくん!」
凛子は弾むような声で名前を呼び、小さな体で教室の中へ駆け込んできた。スカートの裾がふわりと揺れる。
猛男は心臓が跳ねるのを感じた。
(やべえ。大和が、ここに——)
教室中の視線が、猛男と凛子に突き刺さる。男子たちのざわめきが、さらに大きくなった。
「え、剛田の知り合い?」「マジで? あんな可愛い子が?」「ゴリラがどうして」
聞こえよがしの声。だが、そんな声は、今の猛男の耳には入ってこなかった。
凛子が、猛男の席の前に立つ。彼女は両手で小さな紙袋を胸の前に抱えていた。白い袋に、淡いピンクのリボンが結ばれている。
「先日は、本当にありがとうございました」
凛子は、深々と頭を下げた。栗色の髪が、さらりと流れる。
「お、おう……いや、気にすんな」
猛男は、視線をあちこちに泳がせた。自分のゴリラ顔を、こんなに近くで見られるのが恥ずかしい。彼女のまっすぐな瞳を、まともに見られない。
(可愛い。近くで見ると、もっと可愛い)
(やめろ。オレがそんなこと思うなんて、おこがましいだろ)
猛男の心の中で、二つの声がせめぎ合う。
凛子は顔を上げ、にこりと笑った。その笑顔は、教室に差し込む夕陽よりも柔らかくて、温かかった。
「あの、これ……」
凛子は、抱えていた紙袋を、両手で差し出した。
「うち、お菓子作るのが好きで……よかったら、食べてください」
猛男は、一瞬、何を言われたのか分からなかった。
「え……これ、オレに?」
「はい。先日のお礼です」
凛子は、恥ずかしそうに微笑んだ。頬が、ほんのりとピンクに染まっている。
「クッキー、焼いてきました。たけおくんに、どうしても渡したくて」
その言葉に、猛男の胸の奥が、ぎゅっと締め付けられる。
ドクン。ドクン。ドクン。
心臓が、痛いくらいに脈打っている。その鼓動が、体全体に響いている。
(オレに、渡したくて——?)
(なんで。オレなんかに。オレは、ただのゴリラ顔の——)
猛男は、震える手で、紙袋を受け取った。
「あ、ありがとう……」
声が、かすれた。喉が渇いて、うまく言葉が出てこない。
紙袋を持つ手が、震えている。彼女の手作りクッキーが入った袋。それを落とさないように、そっと、両手で包み込むように持った。
「あの、たけおくん」
凛子が、上目遣いで猛男を見つめる。
「うち、たけおくんに、ちゃんとお礼が言いたくて……それで、誠くんに聞いたんです。たけおくんのクラスと、連絡先」
(誠くん——?)
猛男の心臓が、今度は別の意味で跳ねた。
「すなに、聞いたのか?」
「はい。うちの学校の子に、集英高校のことを聞いたら、砂川誠くんって人なら知ってるって教えてもらって。それで、連絡先を調べて、たけおくんのことを聞きました」
凛子は、少し照れくさそうに笑った。
「たけおくんの名前も、誠くんに教えてもらったんです」
(そういうことか)
猛男は、あの日のメッセージの謎が解けて、少しだけ肩の力が抜けた。
(すなが、オレのことを教えたのか。なら、連絡先もすなから——)
そこまで考えて、猛男は再び心臓が跳ねるのを感じた。
(大和は、すなに連絡を取った)
(つまり、大和は、すなと話した)
(大和は、すなのことを——)
教室の男子たちが、まだざわめいている。
「なあ、あの子、小泉女学園の大和凛子って言うんだって」「マジで? あの評判の?」「可愛いよな。でもなんで剛田?」
猛男は、その声を聞きながら、頭の中で何かがぐるぐると回っていた。
(そうだ。オレなんかが、大和と釣り合うわけない)
(大和は、すなに用があって、オレのところに来ただけだ)
(きっと、そうだ。そうに決まってる)
猛男は、自分に言い聞かせるように、心の中で繰り返した。
「たけおくん?」
凛子が、心配そうに猛男の顔を覗き込む。
「お、おう! なんでもねえ!」
猛男は慌てて首を振った。
その時、教室の入り口から、聞き慣れた声がした。
「猛男、何してんだ。帰んぞ」
その声に、猛男はビクッと肩を震わせた。
入り口に立っていたのは、砂川誠だった。
さらさらの黒髪を前髪だけ軽く流した、爽やかな髪型。切れ長の涼しげな黒い瞳。整った顔立ち。178センチの長身を、集英高校の紺ブレザーがスマートに包んでいる。首からは、いつもの一眼レフカメラを提げていた。
教室中の女子たちが、一斉に誠に視線を向ける。
「きゃ、砂川くんだ」「今日もかっこいい……」
猛男は、その反応を見て、胸の奥がチクリと痛むのを感じた。
(すなは、いつもこうだ。どこにいても、女子の視線を集める)
(オレとは、大違いだ)
誠は、教室の中の様子を見て、一瞬だけ眉を上げた。そして、凛子の姿を見つけると、小さく息を吐いた。
「……大和か」
凛子は、誠に気づくと、ぱっと表情を明るくした。
「すなかわくん、だよね?」
凛子は、誠に向かって、丁寧にお辞儀をした。
「はじめまして。大和凛子です。この前は、色々と教えてくれてありがとうございました」
誠は、軽く手を上げて応えた。
「別に。大したことじゃない」
そのやり取りを見ていた猛男の心の中で、何かがストンと落ちた。
(ほら来た)
(やっぱり、大和はすなのことが——)
凛子の笑顔。誠に向けられた、あの柔らかい表情。丁寧な挨拶。お礼の言葉。
(オレのところに来たのは、すなに会うためだ)
(クッキーは、きっとオレに渡すついでだ)
(本当に渡したいのは、すなに——)
猛男の胸が、ずん、と重くなった。
(分かってた。最初から、分かってたことだ)
(オレが好きになる子は、みんな、すなを好きになる)
(佐藤さんも、田中さんも、鈴木さんも。みんな、そうだった)
(大和も、そうなんだ)
猛男は、紙袋を握る手に、少しだけ力を込めた。
(でも、大和は、オレにクッキーをくれた)
(それだけで、十分だ。オレには、もったいないくらいだ)
誠は、猛男の表情の変化に気づいた。彼は、凛子の視線が、挨拶の間も、話をしている間も、ずっと猛男に向いていることに、とっくに気づいていた。
(大和は、猛男を見てる)
(あの目は、お礼だけの目じゃない)
誠は、心の中でそう確信していた。だが、それを口にすることはできなかった。
(言ったところで、猛男は信じない)
(こいつは、自分が誰かに好かれるなんて、これっぽっちも思ってない)
(それに、俺が何か言えば、余計にややこしくなる)
誠は、何も言わずに、猛男の隣に立った。
猛男は、誠と凛子を交互に見て、それから、ぐっと唇を引き締めた。
(オレが、やるべきことは、一つだ)
(すなの背中を、押してやる)
(親友の幸せを、願うのが、オレの役目だ)
猛男は、紙袋を机の上に置くと、誠の背中を押した。
「すな、大和がお前に用があるんだろ。行ってこい」
誠が、怪訝な顔で猛男を振り返る。
「は? 何言って——」
「いいから。二人で話せよ」
猛男は、誠の背中をさらに押した。2メートルの巨体から繰り出される力。誠の体が、たたらを踏む。
凛子が、困惑した表情で、二人を見つめる。
「え、あの、うち、たけおくんに——」
「大和、こいつで悪いな。でも、こいつ、いいやつだから。話してみてくれ」
猛男は、凛子にそう言うと、誠の肩を掴んで、教室の外へと押し出した。
「おい、猛男、何すんだよ」
誠が抗議の声を上げるが、猛男は聞く耳を持たない。
「頼む。すな。オレのことは気にすんな」
猛男は、誠の耳元で、小さく囁いた。
「大和は、お前のことが好きなんだよ」
誠の動きが、ピタリと止まった。
「……お前、本気で言ってるのか」
「本気だ。オレには分かる。オレが好きになった子は、みんなお前を好きになる。これは、もう決まってるんだ」
猛男の声は、どこか寂しげだった。
「だから、大和のことは、お前が——」
「猛男」
誠は、猛男の言葉を遮った。
「お前、またそれか」
誠の声は、静かだった。だが、その目は、真剣だった。
「俺は、大和に用はない。用があるのは、お前だろ」
「え……」
「大和は、お前に会いに来たんだ。お前にクッキーを渡しに来たんだ。それが分からないのか」
誠の言葉に、猛男は一瞬、言葉を失った。
だが、すぐに首を振る。
「そんなわけないだろ。大和は、お前に会いたかったんだ。オレは、そのついでだ。オレなんかが、大和に好かれるわけない」
「お前な……」
誠は、深いため息をついた。
(やっぱり、こうなる)
(猛男は、自分を信じない。誰かに好かれるなんて、微塵も思ってない)
(だから、全部、俺のせいにする。俺が悪いわけじゃないのに)
誠は、猛男の肩から手を離した。
「……分かった。大和と話してくる」
「おう。そうしてくれ」
猛男は、ほっとしたような、それでいて、どこか悲しそうな顔で、誠の背中を見送った。
(これでいい。これが、オレの役目だ)
(オレは、すなの引き立て役。それでいい)
(大和が、すなと幸せになれるなら、それで——)
猛男は、教室に戻り、机の上の紙袋を手に取った。
(でも、このクッキーは、オレがもらった)
(大和が、オレに、くれた)
(それだけで、今日は、いい日だ)
紙袋を、そっと胸に抱く。ほんのりと、甘い香りがした。
教室の窓から、夕陽が差し込む。桜の花びらが、ひらひらと舞っていた。
廊下では、誠と凛子が、向かい合って立っていた。
誠は、腕を組み、凛子をじっと見つめている。
凛子は、少し緊張した面持ちで、誠を見上げていた。
「あの、すなかわくん。うち、たけおくんのことが——」
凛子が、意を決したように口を開いた。
だが、誠は、それを遮るように、短く答えた。
「分かってる」
凛子が、きょとんとした顔で誠を見つめる。
「え……」
「お前が、猛男に会いに来た理由。お前が、猛男にクッキーを渡した理由。全部、分かってる」
誠は、静かに言った。
「だから、俺に気を遣う必要はない」
凛子は、誠の言葉の意味を測りかねて、首を傾げた。
「あの、うち、何を——」
「大和」
誠は、凛子の名前を呼んだ。
「お前が思ってるのと、違うかもしれないぞ」
「……え?」
「猛男は、お前が思ってる以上に、不器用だ。そして、お前が思ってる以上に、自分を信じていない」
誠は、窓の外を見た。夕陽が、校庭をオレンジ色に染めている。
「だから、お前がはっきり伝えないと、猛男には、一生伝わらない」
凛子は、誠の言葉を、真剣な表情で聞いていた。
「うちが、はっきり伝えれば……」
「ああ。そうすれば、猛男にも、きっと伝わる」
誠は、凛子に向き直った。
「お前なら、大丈夫だ」
凛子は、誠の真っ直ぐな瞳を見つめ返した。そして、ゆっくりと、深く頷いた。
「……はい。ありがとうございます」
凛子は、誠に、もう一度お辞儀をした。
「すなかわくんって、たけおくんが言ってた通り、優しい人ですね」
誠は、少し照れたように、視線を逸らした。
「……別に。俺は、ただ、親友の邪魔をしたくないだけだ」
凛子は、くすりと笑った。
「たけおくんと、すなかわくんって、本当に仲良しなんですね」
誠は、何も答えず、小さく肩をすくめた。
(仲良し、か)
(まあ、間違いじゃない)
誠は、心の中で、そう呟いた。
教室に戻った誠は、猛男の席に近づいた。
「猛男」
「お、おう。どうだった? 大和と、話せたか?」
猛男が、期待と不安の入り混じった顔で、誠を見上げる。
誠は、しばらく猛男の顔を見つめてから、口を開いた。
「大和は、お前が思ってるような子じゃない」
「え?」
「だから、お前が勝手に、俺とくっつけようとするな」
誠の声は、少しだけ強かった。
「大和は、お前に会いに来たんだ。お前に、クッキーを渡しに来たんだ。それを、お前が、俺に押し付けてどうする」
猛男は、誠の剣幕に、たじろいだ。
「で、でも、大和は、お前のこと——」
「俺のことを、どう思ってるか知らないが、少なくとも、大和が今日、会いたかったのは、お前だ」
誠は、きっぱりと言い切った。
「それだけは、間違いない」
猛男は、誠の言葉を、うまく飲み込めなかった。
(大和が、オレに会いたかった?)
(そんなはずない。だって、オレは——)
猛男は、机の上の紙袋を見た。
(でも、大和は、オレにクッキーをくれた)
(それは、事実だ)
猛男は、顔を上げた。
「すな、お前みたいなイケメンが言うと、説得力ありすぎて泣けるわ」
猛男は、自嘲気味に笑った。
「お前は、顔もいいし、頭もいいし、優しい。女子が放っとくわけない。オレとは、全然違う」
「猛男……」
「分かってる。オレは、お前に敵わない。だから、大和のことも、お前に任せるのが一番だって——」
「猛男!」
誠が、声を荒げた。
教室に残っていた生徒たちが、驚いて振り返る。
誠は、滅多に声を荒げない。その誠が、今、はっきりと怒りを露わにしていた。
「お前、それ、本気で言ってるのか」
誠の声は、低く、冷たかった。
「お前は、大和の気持ちを、勝手に決めつけて、勝手に諦めて、勝手に俺に押し付けて。それで、大和が幸せになれると思ってるのか」
猛男は、誠の剣幕に、何も言い返せなかった。
「大和は、お前に会いたくて来たんだ。お前のことを、あれだけ見てたんだ。それをお前は——」
誠は、そこまで言って、はっと口を閉じた。
(まずい。言い過ぎた)
誠は、唇を噛んだ。
(俺が、大和の気持ちを、勝手に暴露するわけにはいかない)
(大和自身が、猛男に伝えるべきだ)
(俺が先に言ってしまったら、意味がない)
誠は、深く息を吐いて、冷静さを取り戻した。
「……悪い。大声出して」
「いや……オレこそ、悪い」
猛男は、うつむいた。
(すなの言う通りだ。オレは、大和の気持ちを、勝手に決めつけてた)
(でも、オレには、どうしても、そうとしか思えないんだ)
(オレみたいなゴリラ顔が、大和みたいな可愛い子に、好かれるわけない)
(それは、今までの経験が、証明してる)
誠は、猛男の肩を、ぽんと叩いた。
「帰るぞ」
「おう……」
二人は、並んで教室を出た。
下校時刻。校門を出ると、夕陽が、二人の長い影を地面に落としていた。
ミナトサカ市の北部、丘陵地に建つ集英高校から、住宅街へと続く緩やかな坂道。桜並木が、風に散る花びらを、道に敷き詰めている。
猛男は、紙袋を大切そうに抱えながら、誠の半歩後ろを歩いていた。
誠は、何も言わず、黙って歩いている。
しばらく、無言の時間が続いた。
(さっきは、すなに怒られた)
(すなが、あんなに声を荒げるなんて、珍しい)
(オレが、悪いんだ。大和の気持ちを、勝手に決めつけて)
猛男は、紙袋をぎゅっと握りしめた。
(でも、オレには、どうしても、自信が持てない)
(オレが、大和に好かれるなんて、ありえない)
(だって、今までの3回、全部そうだった)
(好きになった子は、みんな、すなを好きになった)
(今回も、きっと、そうなる)
(そうなるに決まってる)
猛男は、心の中で、自分に言い聞かせた。
その時、誠が、ぽつりと言った。
「あの子は、お前を見てたぞ」
猛男は、足を止めた。
「……え?」
誠は、振り返らず、前を向いたまま、もう一度言った。
「大和は、ずっと、お前を見てた。俺と話してる時も、お前の方を見てた」
猛男の心臓が、ドクンと跳ねた。
(大和が、オレを——?)
(そんなはず——)
猛男は、一瞬、頭が真っ白になった。
だが、すぐに、かぶりを振った。
「あるわけねえだろ! 大和は、お前のこと好きに決まってる。オレなんか、見るわけない」
猛男は、笑い飛ばした。
「お前みたいなイケメンが、隣にいるのに、オレを見るわけない。オレの顔、ゴリラだぞ? 鏡見たことあるか?」
誠は、足を止め、振り返った。
「お前な……」
「はは、まあ、そう落ち込むなよ。オレは、慣れてるから。お前がモテるのは、いいことだ。親友として、誇らしい」
猛男は、誠の肩を、ぽんと叩いた。
「だから、大和のこと、よろしく頼むな」
「……だから、俺じゃなくて、お前だって言ってるだろ」
誠は、呆れたように、ため息をついた。
「まあ、いい。そのうち、分かる」
「何がだよ?」
「分かるときが来る。それまで、お前は、お前のままでいればいい」
誠は、そう言うと、再び歩き出した。
猛男は、誠の背中を見つめながら、首を傾げた。
(すなは、何を言ってるんだ?)
(オレのままで、いればいい?)
(オレは、オレのまま、ゴリラ顔のまま、何も変わらない)
(それで、いいのか?)
猛男は、紙袋に目を落とした。
(大和が、オレにくれたクッキー)
(これ、食べるのが、もったいないな)
(でも、食べないと、悪くなっちゃうし)
(……どうしよう)
猛男は、紙袋を抱え直し、誠の後を追いかけた。
夕陽が、二人の影を、長く長く伸ばしていた。
その夜。
剛田家の自室。
猛男は、机の上に、凛子から貰ったクッキーの袋を置いていた。
白い紙袋に、淡いピンクのリボン。袋の中には、小さな透明の袋に入ったクッキーが、何枚も入っている。星形、ハート形、花形——いろんな形のクッキーが、丁寧に並んでいた。
「うわ……すげえ。全部、形が違う」
猛男は、クッキーを一枚、手に取った。
(大和が、これを、一枚一枚、手で作ったのか)
(すごい。オレには、絶対にできない)
猛男は、クッキーを、口に入れた。
サクッ。
軽い歯ごたえ。そして、バターの香りが、口いっぱいに広がる。ほんのりと甘くて、優しい味。
「うまい……」
思わず、声が漏れた。
(うまい。すごく、うまい)
(大和が、オレのために、作ってくれたクッキー)
(オレのために——)
猛男は、もう一枚、クッキーを手に取った。
ハート形のクッキー。
(ハート、か)
(大和は、この形を、どんな気持ちで作ったんだろう)
(いや、深い意味はない。きっと、可愛いから作っただけだ)
(オレが、勝手に期待するな)
猛男は、ハート形のクッキーを、そっと机の上に戻した。
(この一枚は、食べずに、とっておこう)
(もったいないから)
猛男は、紙袋の中を覗いた。
袋の底に、小さな手書きのメモが入っている。
『たけおくんへ。またお菓子作ります』
丸っこい、可愛らしい字。
猛男は、そのメモを、何度も何度も読み返した。
「たけおくんへ……」
声に出して、呟いた。
胸の奥で、何かが、じわりと熱くなる。
(大和が、オレの名前を、書いてくれた)
(オレのために、クッキーを焼いて、メモまで書いてくれた)
(こんなこと、今まで、一度もなかった)
猛男は、メモを、机の引き出しから出した小さな箱の中に、そっとしまった。
(大切にしよう)
(大和がくれたものは、全部、大切にしよう)
猛男は、窓の外を見た。
向かいの砂川家の二階。誠の部屋の灯りが、カーテン越しに、ぼんやりと見える。
(すなは、今、何をしてるんだろう)
(勉強か? それとも、カメラの手入れか?)
猛男は、誠の部屋の灯りを、しばらく見つめていた。
(すなは、オレのことを、親友だと言ってくれる)
(オレも、すなのことは、誰よりも信頼してる)
(でも、時々、思うんだ)
(オレが、すなの顔だったら、大和は、オレを見てくれたのかな)
(いや、そんなこと、考えても仕方ない)
(オレは、オレだ。ゴリラ顔の剛田猛男だ)
(変えられない。変わる必要もない)
(すなが言った通り、オレは、オレのままでいればいい)
猛男は、窓から離れ、ベッドに座った。
心の中で、何かが、叫びそうになる。
(好きだ)
(大和のことが、好きだ)
(会いたい。もっと、大和と話したい)
(でも、オレには、その資格がない)
(大和は、すなのことが好きなんだ)
(だから、オレは、身を引くしかない)
猛男は、ぎゅっと拳を握りしめた。
(それでいい。それで、いいんだ)
(オレの恋は、いつも、そうやって終わってきた)
(今回も、同じ。ただ、それだけだ)
猛男は、天井を見上げた。
(でも、クッキーは、うまかった)
(大和の作ったクッキー。世界で一番、うまいクッキーだった)
(それだけで、十分だ)
猛男は、目を閉じた。
心臓が、まだ、ドクンドクンと脈打っている。
その鼓動が、部屋中に響いているような気がした。
同じ頃、砂川家の自室。
誠は、机の上に、カメラを置いていた。
今日、教室で撮った写真。正確には、教室に入る前に、廊下から、何気なく撮った一枚。
猛男と、凛子が、向かい合って立っている写真。
誠は、その写真を、じっと見つめていた。
凛子の視線が、猛男だけを捉えている。
その大きな茶色の瞳が、まっすぐに、猛男の顔を見上げている。
(大和は、やっぱり、猛男が好きだ)
(この目を見れば、誰にでも分かる)
(猛男以外には)
誠は、写真を、机の上に置いた。
「お前は、いつもそうだな」
誠は、小さく呟いた。
(猛男は、自分が誰かに好かれるなんて、信じない)
(昔から、ずっとそうだ)
(小学校の時も、中学校の時も、好きになった子が、俺に告白するたびに、猛男は笑って、俺の背中を押した)
(そして、自分の気持ちを、押し殺した)
(俺は、それを見ていることしかできなかった)
誠は、カメラを手に取った。
(でも、今回は、違う)
(大和は、他の子たちとは、違う)
(大和は、猛男のことを、ちゃんと見てる)
(猛男の顔を、怖がらない。猛男の力を、かっこいいと言う。猛男の優しさを、ちゃんと知ってる)
(だから、今回は、なんとかしたい)
誠は、カメラのレンズを、指で拭いた。
(でも、俺が動くと、歯車が狂うかもしれない)
(俺が、大和の気持ちを、猛男に伝えてしまったら、大和の気持ちが、台無しになるかもしれない)
(大和自身が、猛男に伝えるべきだ)
(俺の役目は、邪魔をしないこと。それだけだ)
誠は、カメラを、机の上に置いた。
(猛男の幸せを、願ってる)
(誰よりも、願ってる)
(でも、俺は、まだ、その一歩を踏み出せない)
(踏み出したら、何かが変わる。良くも悪くも)
(だから、今は、まだ——)
誠は、窓の外を見た。
向かいの剛田家の二階。猛男の部屋の灯りが、カーテン越しに、ぼんやりと見える。
(猛男、お前は、自分のことを、ゴリラだとか、不細工だとか言うけど)
(お前の良さは、顔じゃない。心だ)
(大和は、それに気づいてる)
(だから、大丈夫だ)
誠は、カーテンを閉めた。
部屋の中が、静かな闇に包まれる。
(あとは、お前たち次第だ)
(俺は、見守ることしかできない)
(それが、俺の役目だから)
誠は、ベッドに横たわり、目を閉じた。
4月の夜風が、窓を揺らしていた。
桜の花びらが、月明かりに照らされて、ひらひらと舞っていた。Noveliaとは?
Noveliaは、AIでライトノベルや二次創作を「読んで・数タップで作って・キャラクターと会話できる」プラットフォームです。挿絵つきの新作が毎日届き、無料で始められます。