群堂みすずは見ていた
幼い頃からずっと一緒だった幼なじみの智と淳一郎。智の初恋を実らせようと奮闘する親友・みすずだったが、淳一郎が他の女子に告白される現場を目撃してしまう。モヤモヤする胸の奥——その感情の正体に、みすず自身がまだ気づいていない。じれったくて、ほろ苦い、すれ違い青春ストーリー。
群堂みすずは見ていた - 毒舌お節介の私が、あの二人をくっつけるまで
違う、と思った。
頭では分かっている。あの二人の関係が、私の知らないところで勝手に進むはずがないって。なのに、なぜ胸の奥がこんなにざわつくのだろう。
群堂みすずは窓枠に肘をついて、隣の教室をじっと見つめていた。切れ長の深い茶色の瞳が、糸のように細くなる。無意識のうちに首をかしげる癖が出ていることに、自分では気づいていない。
九月に入ったばかりの私立アオバ学園。夏休みが終わって最初の一週間、教室の中はまだどこか浮き足立っていた。窓の外では、残った蝉が最後の力を振り絞るように鳴いている。その声が、余計に暑さを感じさせた。
「……進展ゼロじゃないの」
みすずは唇の端だけで呟いた。声には出していない。心の中だけの毒だ。
視線の先、一年三組の教室。相沢智が久保田淳一郎の肩を勢いよく叩いている。淳一郎が何か言い返して、智が笑った。八重歯がのぞく、太陽みたいな笑顔。淳一郎もつられて笑っている。
その光景は、幼稚園の頃からずっと見てきたものと何も変わらない。何も変わらなすぎて、みすずは頭が痛くなってきた。
「あの二人、今日も仲良しだねえ」
後ろからふわふわした声がして、みすずは振り返った。キャロル・オールストンが、金色の髪を揺らしながら近づいてくる。イギリスからの留学生で、家はお金持ち。性格は見た目通りにふわふわしている。
「仲良しっていうか、あれはもう、ただのじゃれ合いよ」
みすずは窓の外に視線を戻した。黒髪の毛先が、首を振った拍子に少し跳ねる。
「トモちゃん、楽しそうだね」
「そうね。あの鈍感野郎が余計なことさえ言わなければ、もっと楽しいでしょうけど」
キャロルが首をかしげる。何のことか分かっていない顔だ。みすずは説明する気にもなれず、小さくため息をついた。
この街、ミナギハ市は、県庁所在地から電車で四十分ほどの地方都市だ。北に緩やかな丘陵があって、南にはサカミ川が流れている。駅の東側が文教エリアで、西側にはアーケード商店街がある。人口は十八万人くらい。どこにでもあるような、でも少しだけ空気の澄んだ街。
私が通う私立アオバ学園は、その駅東口からアオバ坂という長い上り坂を十二分ほど登った先にある。創立六十年、全校生徒は六百四十人。制服はブレザーで、二学期制。文化祭は十月下旬で、アオバ祭って呼ばれている。
今朝も私はその坂を、九月の残暑に汗をかきながら登ってきた。黒タイツの下の足がじんわり熱い。夏の名残が、肌にまとわりつくようだった。
「みすずちゃん、今日は機嫌が悪い?」
キャロルが心配そうにのぞき込んでくる。みすずは首を振った。
「別に。いつも通りよ」
「そう? ならいいんだけど」
キャロルは納得したのか、にこりと笑った。その無邪気さに、みすずは少しだけ救われる。
――いつも通り。そう、いつも通りなのだ。
みすずはもう一度、隣の教室を見た。智が淳一郎の頭を軽くはたいて、淳一郎が大げさに痛がっている。あの二人の間には、恋愛が入り込む隙間なんて、一ミリもないように見える。
でも、それは違う。みすずだけが知っている。
智の気持ちは、間違いなく恋だ。
みすずはまぶたを閉じた。教室のざわめきが、遠くの波のように聞こえる。エアコンの風が、首筋をかすめて生ぬるい。
――あの日のことを、思い出す。
夏休み、八月の半ば。夕方のサカミ川の土手だった。
智に呼び出されたみすずは、てっきり三人で遊ぶのかと思っていた。でも、土手に着いたとき、そこにいたのは智と淳一郎の二人だけ。みすずは少し離れた桜の木の陰に隠れて、二人の様子を見ていた。
夕日が川面に溶けていた。蝉の声が、耳に痛いほど響いていた。
「淳一郎、話があるんだ」
智の声が、いつもより低くて、少し震えていた。
「おう、なんだ?」
淳一郎はいつも通りの調子で、智の顔を見た。
智は拳をぎゅっと握っていた。指の先が白くなっている。長い沈黙のあと、智は一気に言った。
「私、淳一郎のことが好きだ!」
みすずは息を止めた。心臓が、自分のことのように跳ねた。
淳一郎は一瞬きょとんとして、それから満面の笑みを浮かべた。
「おう、俺も親友として好きだぜ!」
――あの瞬間の、智の顔。
みすずは今でもはっきり覚えている。琥珀色の大きな瞳が、一瞬で強張った。笑顔を作ろうとして、失敗した。唇の端が、ひきつるように上がる。あれは笑顔じゃない。諦めの形をした、何か別のものだった。
「……そうだよな。親友だよな」
智はそう言って、淳一郎の胸を軽く叩いた。いつも通りの、じゃれ合いの延長。でも、みすずには分かった。智の指先が、震えていた。
みすずはその場から動けなかった。何か言わなきゃ、と思った。でも、何を言えばいいのか分からない。あの鈍感野郎、と心の中で罵った。それしかできなかった。
――あの日から、私は決めた。
絶対に、この二人をくっつける。
智の初恋を、あんな形で終わらせてたまるか。淳一郎の鈍感さに、智の気持ちを埋もれさせてたまるか。
みすずはゆっくりと目を開けた。
「みすずちゃん、顔こわいよ」
キャロルがおそるおそる言った。みすずは口元をゆるめた。
「大丈夫よ。ちょっと、腹が立っただけ」
「誰に?」
「……鈍感な、誰かによ」
昼休み。
みすずは智と二人で、中庭のベンチに座っていた。小さな花壇の横、四つあるベンチの一番奥。ここが智とみすずの定位置だ。
智は購買で買ったパンを、豪快にかじっている。明るい茶色のショートヘアが、風でふわりと揺れた。身長は百六十八センチ。みすずより十センチも高い。男子空手部に所属していて、学内の不良すら一撃で蹴り飛ばすほどの実力者。
でも、その横顔は、みすずが知る限り誰よりも不器用だ。
「みすず、最近なんか変じゃね?」
智がパンを飲み込んで、みすずの顔をのぞき込んだ。琥珀色の大きな瞳が、まっすぐに向けられる。
「変って、何がよ」
「なんか、ぼーっとしてるっていうか。淳一郎と何かあった?」
みすずは一瞬、言葉に詰まった。まさか、私が淳一郎のことで悩んでるって、智にバレてる? いや、違う。智が心配しているのは、みすずと淳一郎の仲が悪いことだ。
「何もないわよ。いつも通り、あの鈍感野郎にイライラしてるだけ」
「また淳一郎の悪口かよ」
智は苦笑いした。でも、その笑顔の奥に、ほんの少しだけ影が差すのを、みすずは見逃さなかった。
「……あんたこそ、最近どうなのよ。淳一郎と」
智はパンを置いて、空を見上げた。九月の空は、夏と秋の間で、青が少しだけ薄い。
「別に。いつも通りだよ」
「そう」
沈黙が落ちる。花壇の花が、風に揺れた。どこかの教室から、ピアノの音が聞こえる。下手くそな練習曲。それでも、昼休みの空気に溶けていた。
「なあ、みすず」
智が、ぽつりと言った。
「私が好きになったんだから、しょうがないじゃん」
みすずは智を見た。智はまだ空を見ている。その横顔は、笑っているのに、泣きそうだった。
「淳一郎が鈍感なのは、私が一番よく知ってる。あいつ、私のこと、中学まで男だと思ってたんだぜ? 今でもたぶん、半分くらいそう思ってる」
「……そうね」
「だから、私が好きになったのが悪いんだよ。あいつは悪くない」
――違う。あんたも悪くない。悪いのは、あの鈍感野郎よ。
みすずは心の中で叫んだ。でも、口には出せなかった。智の気持ちを否定することになるから。智の不器用な一途さを、みすずは誰よりも知っているから。
「……あんた、ほんとバカね」
みすずは小さく言った。
「なんだよ、ひどくね?」
智が笑った。今度は、ちゃんとした笑顔だった。
「でも、そんなあんたを見てると、こっちが腹立ってくるのよ。もっと怒りなさいよ。殴りなさいよ。あんたなら、あの鈍感野郎の三発くらい、簡単に入れられるでしょ」
「殴って解決するなら、とっくに殴ってるって」
智はパンをまたかじった。みすずはそんな智を見ながら、心の中で思う。
――私が、なんとかするから。
放課後。
みすずは淳一郎を捕まえるために、一年三組の教室へ向かった。廊下には、部活に向かう生徒たちがぞろぞろと歩いている。みすずはその流れに逆らって、教室の入り口に立った。
「久保田くん、ちょっといい?」
教室の窓際で荷物をまとめていた淳一郎が、顔を上げた。黒髪は短めで、朝の寝癖がまだ少し残っている。穏やかな濃い灰色の瞳が、みすずを映した。
「群堂か。なんだ?」
淳一郎はのんびりとした声で答えた。身長は百七十五センチ。智と並ぶと、ちょうどいいくらいの高さだ。普段は物静かで、女子からの人気も高い。実際、廊下を歩く女子が、ちらちらと淳一郎を見ている。
でも、みすずは知っている。こいつの中身は、恋愛に関しては壊滅的に鈍い。
「ちょっと、話があるの。屋上、来なさい」
「屋上は立ち入り禁止だろ」
「鍵の管理が甘いのよ。あんた、知らないの?」
淳一郎は首をかしげた。その仕草が、妙に幼く見える。みすずは心の中で、鈍感野郎、ともう一度だけ毒づいた。
屋上に出ると、風が強かった。九月の風は、まだ熱を含んでいる。フェンスの向こうに、ミナギハの街並みが広がっていた。駅前のロータリー、アーケードの屋根、遠くにサカミ川の水面が光っている。
「で、話ってなんだよ」
淳一郎が、フェンスに背を預けて言った。
「あんた、トモのこと、どう思ってるの?」
みすずは単刀直入に切り出した。淳一郎は少し考えて、真顔で答えた。
「トモは、大事な親友だ」
「……親友」
「ああ。俺にとって、一番大切なやつだ」
みすずはじっと淳一郎を見た。切れ長の瞳が、糸のように細くなる。左目の下の泣きぼくろが、夕日に照らされて濃く見えた。
「あんた、トモのこと、女の子として見たことある?」
淳一郎は、今度は長いこと考え込んだ。眉間にしわが寄る。真剣に悩んでいる。その真剣さが、逆に腹立たしい。
「……わかんねえ」
淳一郎は、ようやくそう答えた。
「わかんねえ、って」
「トモはトモだ。女とか男とか、そういうの考えたことなかった。あいつがスカート履いてても、寒くねえのかな、って思うくらいで」
みすずは絶句した。スカートを見て、寒くないのかと心配する。それが、この男の正直な感想なのだ。悪意はない。本当に、ただの天然だ。
「……あんた、それでよく今まで生きてこれたわね」
「なんでだよ」
淳一郎が、心外そうな顔をする。その表情が、あまりにも純粋で、みすずは怒りと同時に、別の感情が胸の奥でざわつくのを感じた。
――なに、この感覚。
みすずは無視した。気づかないふりをした。今、考えるべきことは、それじゃない。
「いい? あんた、トモのことを、ちゃんと女の子として見なさい。あの子は、あんたが思ってるよりずっと、女の子なんだから」
淳一郎は、みすずの剣幕に押されて、こくりと頷いた。
「……わかった。考える」
「ちゃんと考えなさいよ。あんたのその頭で」
みすずは言い放って、屋上を後にした。風が、黒いスカートの裾を揺らす。
――なんで、私がこんなに必死なのよ。
答えは分かっている。智のためだ。智の初恋を、実らせるためだ。
でも、淳一郎の「わかんねえ」という声が、耳に残って離れなかった。
夜。
みすずは家に帰ってから、宿題を片付けて、気づけば布団の上でスマホをいじっていた。母はリビングでテレビを見ている。家の中は静かだった。
小腹が空いた。みすずはスマホを置いて、財布と家の鍵を手に取った。
「ちょっと、コンビニ行ってくる」
「あら、気をつけてね」
母の声を背に、みすずは家を出た。
夜の空気は、昼間の熱を残しながらも、少しだけ涼しい。アオバ坂の途中にある群堂家から、駅東口のファミリーマートまでは、歩いて十分ほど。街灯の下を、一人で歩く。
――淳一郎のやつ、ちゃんと考えてるかしら。
みすずは空を見上げた。星が、うっすらと見える。明日も晴れそうだ。
コンビニに着いて、夜食になりそうなものを見繕う。おにぎりと、チョコレート。それから、新発売のプリン。カゴに入れて、レジへ向かおうとしたときだった。
店の外、駐車場の隅で、人影が見えた。
みすずは何気なく、ガラス越しにその人影を見た。
――淳一郎。
黒い髪、長い影。間違いない。淳一郎が、誰かと向き合っている。相手は、小柄な女の子だった。
みすずは動けなくなった。手に持ったカゴが、かすかに震える。
女の子の声は、ガラス越しでも聞こえた。
「久保田先輩のこと、好きです!」
――小川。
みすずは思い出した。一年の後輩で、おとなしそうな子。図書室でよく見かける。淳一郎と同じ中学だったはずだ。
淳一郎が、何か言っている。でも、その声は聞こえない。みすずは、その場から動けなかった。目が、二人の姿に釘付けになる。
淳一郎の口が動く。小川の顔が、少しうつむいた。淳一郎が、頭を下げた。
――断ったんだ。
みすずは、ほっとしている自分に気づいて、ぞっとした。
なんで、私がほっとしてるの。
淳一郎が誰に告白されようと、私には関係ない。むしろ、智のためには、淳一郎が他の子と付き合うのは困る。だから、断ってくれて良かった。それだけだ。
そうだ。それだけのはずだ。
みすずは、逃げるようにコンビニを出た。レジにも寄らず、カゴを戻すこともせず、ただ足を動かした。
家に帰る道すがら、心臓がうるさかった。
――なんで、私がこんなに気にしてるのよ。
答えは出ない。
布団に潜り込んで、目を閉じる。淳一郎が小川に頭を下げていた光景が、まぶたの裏に焼きついて離れない。
――あの鈍感野郎が、誰かに告白されてる。
それだけのことが、なぜこんなに胸をざわつかせるのか。
みすずは枕に顔を押し付けた。
「……知らないわよ」
声に出して、呟く。
「私の役目は、トモとあいつをくっつけること。それだけよ」
そう言い聞かせても、胸の奥のざわつきは消えなかった。
――違う、と思った。
頭では分かっている。私は、智と淳一郎をくっつけるために動いている。それなのに、なぜ、淳一郎が誰かに告白されている姿を見て、こんなに動揺しているのだろう。
みすずは目を開けた。天井が、暗闇の中にぼんやりと浮かんでいる。
「……なんでよ」
その声は、誰にも届かず、静かな部屋に溶けていった。
窓の外で、虫の声が聞こえる。夏の終わりの、か細い声。
みすずは、答えの出ない問いを抱えたまま、ゆっくりと目を閉じた。Noveliaとは?
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