群堂みすずは見ていた
幼い頃からずっと一緒だった幼なじみの智と淳一郎。智の初恋を実らせようと奮闘する親友・みすずだったが、淳一郎が他の女子に告白される現場を目撃してしまう。モヤモヤする胸の奥——その感情の正体に、みすず自身がまだ気づいていない。じれったくて、ほろ苦い、すれ違い青春ストーリー。
群堂みすずは見ていた - やっとかよ、バカップル ―― 見守る私の、最後のわがまま
違う、と思った。
頭では分かっている。今日は、あの二人にとって、十年越しのスタートラインになる日だ。私が、そう仕向けた。全部、私の作戦通りに進んでいる。なのに、なぜ胸の奥がこんなに静かに痛むのだろう。
群堂みすずは、文化祭の喧騒から少し離れた校舎裏の渡り廊下を、早足で歩いていた。十月最終週の空は、どこまでも青く、高く、澄んでいる。アオバ坂の銀杏は、昨日の風でほとんど葉を落とし、金色の絨毯が校門まで続いていた。
(文化祭当日、か)
私立アオバ学園の校舎からは、あちこちの教室で作られた模擬店の呼び込みや、軽音楽部の音合わせ、演劇部の台詞稽古の声が、ごちゃ混ぜになって聞こえてくる。焼きそばのソースの匂いと、甘ったるいクレープの匂いが、十月の澄んだ空気の中に、もやのように漂っていた。
みすずは、手に持った紙袋を抱え直した。中には、昨日の夜、駅前のファミリーマートで買ったミネラルウォーターと、小さなチョコレートが入っている。
(緊張するのは、トモと淳一郎の二人だけで十分よ)
(私は、あくまで、観察者)
そう、心の中で言い聞かせる。でも、指先は、ほんの少しだけ冷たかった。
「みすずー!」
後ろから、よく通る声が飛んできた。
振り返ると、相沢智が、全速力で走ってきていた。明るい茶色のショートヘアが、十月の風に大きく揺れている。琥珀色の大きな瞳が、太陽の光を受けて、きらきらと輝いていた。八重歯が、笑顔と一緒にこぼれている。
「トモ。あんた、何走ってんのよ。転ぶわよ」
みすずは、切れ長の深い茶色の瞳を細めて、智を見た。無意識に、首をかしげる癖が出ている。左目の下の泣きぼくろが、朝の光の中で、小さく影を落とした。
「だって、みすずが遅いから! 私、ずっと待ってたんだぞ!」
智は、みすずの隣に並ぶと、肩で息をしながら、笑った。
「待ってたって、あんた、自分のクラスの準備はいいの?」
「それがさ、朝から大変で……って、それより、みすず! 今日、約束、覚えてるよな!?」
智が、真剣な顔で、みすずの目を覗き込んできた。
「当たり前でしょ。あんたの晴れ舞台、見逃すわけないじゃない」
みすずは、口元に笑みを浮かべて、智の肩をぽんと叩いた。
「よし! じゃあ、後で、体育館だぞ! 絶対、一番前で見てろよ!」
智は、嬉しそうに、みすずの手を握った。その手は、十月の空気に冷えていたけれど、芯から熱いものが伝わってくるようだった。
「はいはい。分かったわよ」
みすずは、智の手を握り返した。
(この手を、離す時が来たんだ)
(……違う。もともと、この手は、私のものじゃない)
智は、みすずの手を離すと、再び走り出した。
「じゃあ、また後でな! 私、着替えに行くから!」
「ええ。頑張りなさいよ」
みすずは、走り去る智の背中に、声をかけた。
智は、振り返らずに、手を大きく振った。その背中が、校舎の中に吸い込まれていく。
みすずは、その姿が見えなくなるまで、じっと見送っていた。
(トモの、晴れ舞台)
(淳一郎が、トモのことを、ちゃんと、女の子として見る日)
みすずは、空を見上げた。
青い空。
雲一つない、青い空。
文化祭の日は、いつも、こんな風に晴れている。
みすずは、小さく息を吐いて、歩き出した。
銀杏の葉が、足元で、かさりと音を立てた。
(私の役目は、もうすぐ、終わる)
その足音は、いつもより、ほんの少しだけ、軽かった。
……
体育館の裏手にある、女子更衣室。
文化祭の出し物の準備に使われているため、今日は、女装男子コンテストの出場者控え室として使われていた。
みすずが扉を開けると、中には、色とりどりのドレスや、カツラ、化粧道具が、所狭しと並べられていた。空気中には、制汗スプレーと、安物の香水の匂いが混ざっている。
「みすず!」
奥から、智の声がした。
みすずが声のした方へ歩いていくと、そこには、ドレスを着た智が、立っていた。
白い、レースのドレス。
肩と腕が、むき出しになっている。スカートの裾は、ふわりと広がっていて、床に触れるか触れないかの長さだった。
明るい茶色のショートヘアは、後ろで小さくまとめられ、白い花の飾りがついている。化粧は薄く、唇には、ほんの少しだけ、桜色のグロスが塗られていた。
琥珀色の大きな瞳が、不安そうに、みすずを見つめている。
みすずは、一瞬、言葉を失った。
(……なに、これ)
(トモ、こんなに、可愛かった?)
心臓が、どくりと音を立てた。
「……な、なあ、みすず。変、じゃないか?」
智は、スカートの裾を、ぎゅっと握りしめた。手の甲にある小さな古傷が、白いドレスに、くっきりと浮かび上がっている。
みすずは、深く息を吸って、笑顔を作った。
「あんた、なかなか似合ってるじゃないの。普段の男勝りなあんたからは、想像もつかないわ」
「うっさい! 俺だって、女の子なんだぞ!」
智は、顔を真っ赤にして、怒鳴った。
「あら、そうだったの? 初耳だわ」
みすずは、わざとらしく、首をかしげた。
「みすず、お前なぁ……!」
智は、拳を握りしめて、みすずに詰め寄ろうとした。でも、ドレスの裾を踏みそうになって、慌てて立ち止まる。
「……ほら、あんた、動くなら、ちゃんと裾を持ちなさいよ。せっかくのドレスが台無しになるわよ」
みすずは、智のスカートの裾を、そっと持ち上げてやった。
「……ありがと」
智は、小さく、お礼を言った。
みすずは、智の顔を見上げた。
(この子は、今、どんな気持ちで、このドレスを着ているんだろう)
(淳一郎に、可愛いって、思われたい)
(女の子として、見てほしい)
(その一心で、こんな、普段なら絶対に着ないような格好をして)
みすずは、智の背中を、ぽんと叩いた。
「大丈夫よ。あんたは、可愛いわ。だから、胸を張って、ステージに上がりなさい」
智は、一瞬、驚いた顔をして、それから、はにかむように笑った。
「……お前、たまには、いいこと言うんだな」
「うるさいわね。私は、いつだっていいことしか言ってないのよ」
みすずは、智の背中を、もう一度、強く押した。
「さあ、行きなさい。あんたの、晴れ舞台よ」
智は、こくりと頷いて、ステージへと続く、暗い通路へ、一歩、踏み出した。
みすずは、その背中を、見送った。
(行け、トモ)
(あんたの想い、ちゃんと、届けなさい)
通路の奥から、司会者の声が、かすかに聞こえてきた。
「エントリーナンバー7番、1年3組、相沢智くんでーす!」
会場から、どっと、笑いと歓声が沸き起こる。
みすずは、静かに、控え室を出た。
……
体育館は、熱気に包まれていた。
女装男子コンテストの会場は、文化祭の目玉イベントの一つらしく、生徒や来場者で、ぎっしりと埋まっている。ステージの上では、スポットライトが、色とりどりのドレスを着た男子生徒たちを、順番に照らし出していた。
みすずは、客席の後ろの方で、壁に寄りかかって、ステージを見ていた。
(淳一郎は、どこにいる)
みすずは、切れ長の瞳を細めて、会場の中を、ゆっくりと見渡した。
(あいつ、ちゃんと来てるの?)
(昨日、私が、あれだけ、来いって言ったのに)
その時、みすずの視線が、客席の、一番前の端っこで、止まった。
久保田淳一郎が、立っていた。
黒髪は短く刈り込まれていて、左眉の上にある小さな切れ傷が、スポットライトの明かりで、うっすらと見える。濃い灰色の瞳は、ステージを、ぼんやりと見つめていた。
(いた)
みすずは、人混みをかき分けて、淳一郎の方へ歩いていった。
「淳一郎」
みすずが声をかけると、淳一郎は、ゆっくりと振り返った。
「みすず。……お前も来てたのか」
「当たり前でしょ。あんたこそ、ちゃんと来たのね。感心だわ」
みすずは、淳一郎の腕を、ぐいっと掴んだ。
「おい、みすず、何すんだよ」
淳一郎が、戸惑ったように、みすずを見た。
「いいから、黙って、こっちに来なさいよ」
みすずは、淳一郎の腕を引っ張って、ステージの最前列まで、無理やり連れていった。
「ちょ、おい、みすず! こんな前で見るのかよ!?」
淳一郎は、焦ったように、周りを見回した。
「当たり前でしょ。あんた、トモの晴れ舞台を、一番後ろから見るつもりだったの? バカじゃないの?」
みすずは、淳一郎を、ステージの真正面に立たせた。
「……いや、でも、ここ、一番前だし、恥ずかしいだろ」
淳一郎は、頭をかいた。
「何言ってんのよ。あんたが恥ずかしがって、どうすんの。……いいから、黙って、ステージを見なさいよ」
みすずは、淳一郎の隣に立って、ステージを見た。
(これで、準備は整った)
(あとは、トモが、出てくるだけ)
みすずの心臓が、少しだけ、早鐘を打ち始めた。
「エントリーナンバー7番、相沢智くん、登場です!」
司会者の声が、会場に響き渡った。
ステージの袖から、智が、ゆっくりと歩いてきた。
白い、レースのドレス。
スポットライトが、智の全身を、柔らかく照らし出す。
会場が、ざわめいた。
「え、あれ、相沢?」
「うそ、めっちゃ可愛くない?」
「マジで? あの智が?」
あちこちから、驚きの声が上がる。
みすずは、淳一郎の横顔を、ちらりと見た。
淳一郎は、ステージの上の智を、じっと見つめていた。
その表情が、一瞬で、固まった。
(……固まった)
(淳一郎が、固まった)
みすずは、淳一郎の顔を、まじまじと見た。
淳一郎の顔が、首のあたりから、じわじわと、赤く染まっていく。
(……赤くなってる)
(淳一郎が、トモを見て、赤くなってる)
みすずの胸の奥で、何かが、小さく、弾けた。
(やっと、か)
(やっと、あんた、トモのことを、女の子として、見たのね)
その瞬間、ステージの上の智と、淳一郎の目が、ばちっと合った。
智は、一瞬、びっくりしたように、目を見開いた。
それから、顔を、真っ赤にした。
「な、なに見てんだよ!」
智は、ステージの上から、淳一郎に向かって、怒鳴った。
会場が、どっと沸いた。
「相沢くん、サービス精神旺盛だねー!」
司会者が、笑いながら、フォローを入れる。
でも、淳一郎は、智から、目を離さなかった。
その口元が、ゆっくりと、開いた。
「……かわいい」
淳一郎の、小さな呟きが、みすずの耳に、はっきりと届いた。
(……今、なんて言った?)
(かわいい?)
(淳一郎が、トモのこと、かわいいって、言った?)
みすずは、淳一郎の顔を見た。
淳一郎は、自分の口から出た言葉に、自分自身が一番驚いているようだった。
「……え、今、俺、何て」
淳一郎は、自分の口を、手で押さえた。
「言ったわよ。あんた、今、はっきりと、かわいいって言ったわよ」
みすずは、淳一郎の背中を、強く押した。
「ほら、今しかないわよ! 行きなさい!」
「え、行くって、どこに……」
淳一郎は、混乱したように、みすずを見た。
「ステージの上に決まってるでしょ! あんた、トモに、言いたいことがあるんじゃないの!?」
みすずは、淳一郎の背中を、思い切り押した。
淳一郎は、よろけながら、ステージへと続く、階段の方へ、足を踏み出した。
「ちょ、おい、みすず! 俺、まだ、何も……」
淳一郎は、振り返って、みすずを見た。
「何も、じゃないわよ。あんた、今、トモのこと、かわいいって思ったんでしょ? それが、答えよ」
みすずは、淳一郎の目を、まっすぐに見た。
「あんたの、その気持ち、トモに、ちゃんと、伝えなさいよ」
淳一郎は、一瞬、みすずの目を、じっと見つめた。
それから、こくりと、頷いた。
淳一郎は、ステージへと続く、階段を、一歩、一歩、上っていった。
会場が、ざわめき始めた。
「え、久保田くん? 何してるの?」
「まさか、ステージに上がるの?」
ステージの上では、智が、淳一郎の姿を見て、固まっていた。
淳一郎は、智の目の前まで歩いていった。
二人の距離は、ほんの数十センチ。
スポットライトが、二人を、真っ白に照らし出していた。
会場中が、固唾を呑んで、二人を見つめている。
みすずは、最前列で、二人の姿を、じっと見つめていた。
(淳一郎)
(あんたなら、できる)
(あんたは、鈍感だけど、ここぞっていう時は、ちゃんと、やる男だって、私は知ってる)
淳一郎は、深く、息を吸った。
それから、智の目を、まっすぐに見て、言った。
「智、俺、お前のこと、好きだ」
その声は、静かで、でも、はっきりと、会場中に、響き渡った。
一瞬、体育館の中が、しん、と静まり返った。
智は、淳一郎の顔を、じっと見つめていた。
琥珀色の大きな瞳が、みるみるうちに、涙でいっぱいになっていく。
「……お前、今、なんて」
智の声が、震えている。
「好きだ。智のことが、好きだ」
淳一郎は、もう一度、はっきりと、言った。
智の目から、涙が、ぽろぽろと、こぼれ落ちた。
「……遅えよ!」
智は、泣きながら、淳一郎に、飛びついた。
「お前、どんだけ、待たせるんだよ! バカ! 鈍感! 大バカ野郎!」
智は、淳一郎の胸に、顔を埋めて、わんわんと、泣き出した。
淳一郎は、一瞬、戸惑ったように、手を彷徨わせた。
それから、おそるおそる、智の背中に、手を回した。
「……わりい」
淳一郎は、小さく、謝った。
「うっさい! 本当に、遅えんだよ!」
智は、淳一郎の胸を、涙で濡らしながら、怒鳴った。
でも、その腕は、淳一郎の背中に、ぎゅっと、しがみついていた。
会場が、どっと、沸いた。
「うおおおおおお!」
「キターーーーー!」
「おめでとーーーーー!」
拍手と、歓声と、口笛が、体育館中に、鳴り響いた。
みすずは、最前列で、二人が抱き合う姿を、じっと見つめていた。
(……やっと、か)
みすずの口元が、ゆっくりと、ほころんだ。
「……やっとかよ、バカップル」
みすずは、小さく、呟いた。
でも、その声は、会場の歓声にかき消されて、誰にも、届かなかった。
みすずの目が、じわりと、熱くなった。
(あれ、なんで)
(なんで、私が、泣いてるのよ)
みすずは、慌てて、目元を、指で拭った。
でも、涙は、止まらなかった。
(バカね、私)
(これは、嬉し涙よ)
(私が、ずっと、望んでたことじゃない)
(トモと、淳一郎が、結ばれること)
(それが、やっと、叶ったんだから)
みすずは、二人が抱き合う姿を、もう一度だけ、目に焼き付けた。
それから、静かに、その場を離れた。
拍手と歓声が、遠ざかっていく。
みすずは、体育館の裏口から、外に出た。
十月の夜の空気が、火照った頬に、ひんやりと、気持ちよかった。
……
屋上への扉は、今日も、開いていた。
みすずは、階段を上って、屋上に出た。
誰もいない。
文化祭の喧騒が、遠く、祭りの後のような、寂しさを帯びて、聞こえてくる。
空には、星が、たくさん、瞬いていた。
みすずは、フェンスに手をかけて、夜空を見上げた。
(綺麗な星)
(文化祭の夜は、いつも、こんな風に、星が綺麗だ)
みすずは、深く、息を吸った。
十月の夜の空気が、肺の奥まで、染み渡っていく。
「……これで、私の役目も終わりね」
みすずは、夜空に向かって、小さく、呟いた。
その声は、風に溶けて、星の中に、消えていった。
(私の、十年越しの、お節介も、これで、終わり)
(あとは、あの二人が、自分たちで、やっていく)
(私は、もう、いらない)
みすずは、フェンスに、寄りかかった。
冷たい鉄の感触が、背中に、じんわりと、伝わってくる。
(これで、よかったんだ)
(これで、よかったの)
みすずは、自分に、言い聞かせるように、心の中で、繰り返した。
「みすずちゃん」
突然、後ろから、声がした。
みすずは、振り返った。
キャロル・オールストンが、屋上の入り口に、立っていた。
ブロンドのゆるふわロングヘアが、夜風に、ふわりと揺れている。空色の大きな瞳が、星明かりを映して、きらきらと輝いていた。
「みすずちゃん、ここにいたのね」
キャロルは、ふわふわと、みすずの隣に、歩いてきた。
「キャロル……なんで、ここに」
みすずは、慌てて、笑顔を作った。
「みすずちゃん、体育館から、出て行くのが、見えたから。……大丈夫?」
キャロルは、みすずの顔を、じっと見た。
空色の瞳が、みすずの心の奥まで、見透かしているようだった。
(この子は、鋭い)
(私の嘘なんて、きっと、全部、お見通しなんだわ)
みすずは、そう思った。
「大丈夫よ。ちょっと、風に当たりたかっただけ」
みすずは、笑顔を作った。
でも、その笑顔は、うまく作れていなかった。
キャロルは、何も言わずに、みすずの隣に、並んで立った。
二人で、並んで、夜空を見上げる。
風が、二人の髪を、優しく揺らした。
「……みすずちゃん」
キャロルが、小さく、口を開いた。
「なに?」
みすずは、前を向いたまま、答えた。
キャロルは、少しだけ、間を置いてから、言った。
「みすずちゃん、実は、みすずちゃんも、ジュンくんのこと……」
みすずの心臓が、どきりと、跳ねた。
「バカ、違うわよ」
みすずは、キャロルの言葉を、遮った。
「私が、淳一郎のこと? ありえないわよ。あんな鈍感野郎、誰が好きになるのよ」
みすずは、早口で、まくし立てた。
でも、その頬は、夜の暗がりの中でも、はっきりと分かるくらい、赤く染まっていた。
キャロルは、みすずの横顔を、じっと見た。
それから、ふわりと、微笑んだ。
「……そう。ごめんなさい。わたし、変なこと、聞いちゃったわね」
キャロルは、それ以上、何も言わなかった。
ただ、静かに、みすずの隣で、夜空を見上げていた。
みすずは、キャロルの横顔を、ちらりと見た。
(この子は、分かってる)
(私の、嘘も、本音も、全部)
(それなのに、何も、聞かない)
(それが、この子の、優しさだ)
みすずは、小さく、息を吐いた。
「……さあ、教室、戻るわよ」
みすずは、フェンスから、背を離した。
「あのバカップルが、祝勝会やるって、騒いでるんだから」
みすずは、屋上の入り口に向かって、歩き出した。
「みすずちゃん」
キャロルが、後ろから、声をかけた。
「本当に、それで、いいの?」
みすずは、足を止めた。
でも、振り返らなかった。
「……いいのよ」
みすずは、前を向いたまま、答えた。
「私は、観察者でいたいの。ずっと、そう決めてきたんだから」
みすずの声は、夜風に乗って、静かに、キャロルの元へ、届いた。
それから、みすずは、階段を下りていった。
その足取りは、少しだけ、前より、軽くなっていた。
……
教室に戻ると、智と淳一郎が、みすずを待っていた。
「みすず!」
みすずが教室に入るなり、智が、飛びついてきた。
「みすず、ありがとう! 私、淳一郎と、付き合えることになった!」
智は、みすずに、ぎゅっと、抱きついた。
みすずは、一瞬、よろけた。
「ちょ、トモ、苦しいわよ。離れなさいよ」
みすずは、智の背中を、ぽんぽんと叩いた。
「だって、嬉しいんだもん! みすずが、背中を押してくれたからだよ!」
智は、みすずから離れると、涙でぐしゃぐしゃになった顔で、笑った。
八重歯が、教室の蛍光灯の下で、きらりと光った。
みすずは、智の顔を見て、ふっと、笑った。
「バカね。あんたたちが、ちゃんとしなさいよ。私は、もう、知らないんだから」
みすずは、智の頭を、ぐしゃぐしゃと、撫でた。
「うっさい! でも、本当に、ありがとうな、みすず」
智は、照れくさそうに、笑った。
その時、淳一郎が、みすずの前に、立った。
「みすず」
淳一郎は、真剣な顔で、みすずを見た。
「なに?」
みすずは、淳一郎を見上げた。
「……お前が、背中を押してくれなかったら、俺、多分、何も言えなかった。ありがとな」
淳一郎は、頭をかいて、照れたように、笑った。
みすずは、淳一郎の顔を、じっと見た。
(また、ありがとな、か)
(あんたは、いつも、私に、ありがとうしか言わない)
でも、今日の、この、ありがとなは、今までの、どんな、ありがとなよりも、温かくて、優しかった。
みすずは、口元に、笑みを浮かべた。
「当たり前でしょ。あんたが、いつまでも、ぐずぐずしてるから、私が、手を貸してあげたのよ。感謝しなさいよ」
みすずは、淳一郎の胸を、軽く、小突いた。
淳一郎は、嬉しそうに、笑った。
「おう、感謝してる」
淳一郎は、智の隣に、戻っていった。
智と淳一郎が、並んで、立っている。
その姿は、とても、自然で、とても、幸せそうだった。
みすずは、二人の姿を、じっと見つめた。
(……本当に、よかった)
(トモの笑顔も、淳一郎の笑顔も、ちゃんと、ここにある)
(私の、十年間は、無駄じゃなかった)
みすずの胸の奥で、何かが、ゆっくりと、溶けていくような気がした。
それは、痛みではなく、温かい、何かだった。
「みすずちゃん」
いつの間にか、キャロルが、みすずの隣に、立っていた。
「キャロル」
みすずは、キャロルを見た。
キャロルは、智と淳一郎の方を、微笑みながら、見つめていた。
「本当に、素敵な、文化祭になったわね」
キャロルが、小さく、呟いた。
「……そうね」
みすずは、智と淳一郎の方を、もう一度、見た。
智が、淳一郎の腕を、嬉しそうに、掴んでいる。
淳一郎は、照れくさそうに、笑っている。
(この光景を、私は、ずっと、見ていたかった)
(そして、これからも、見ていたい)
(観察者として、ずっと、この二人の、一番近くで)
みすずは、静かに、そう、思った。
教室の窓の外では、十月の夜風が、銀杏の木を、優しく揺らしていた。
星が、瞬いていた。
文化祭の夜は、まだ、始まったばかりだった。Noveliaとは?
Noveliaは、AIでライトノベルや二次創作を「読んで・数タップで作って・キャラクターと会話できる」プラットフォームです。挿絵つきの新作が毎日届き、無料で始められます。