カルデアのにぎやかな一日
カルデアは、歴史を超えて集まった英霊たちが世界を守るために集う、不思議な場所だ。藤丸立香はある朝、枕がなくなっていることに気づき、食堂が戦場のように変わり果てているのを見て、ロマン博士が「今日は何の予定もない」と陽気に告げるのを聞く。
自由な一日。ついに。
しかし、それは全くの誤解だった。
アルトリア・ペンドラゴンは真剣な表情で現れ、藤丸に「ケーキを守ってほしい」と頼む。エミヤは頼まれもしないのにカルデア全員分の昼食を作り始め、あまりのサーヴァントの多さに材料が足りなくなってしまう。ギルガメッシュは威厳たっぷりに藤丸を自室に呼び出すが、ソファで昼寝をしているだけだった。スカサハは廊下で無許可の訓練を行い、逃げ出そうとする藤丸を徴兵する。そしてジャンヌ・ダルクは善意に満ちた「カルデアスポーツデー」を企画し、藤丸を総合責任者に任命する。
昼食時には、もはや「自由な一日」は完全に消え去っていた。
スポーツデーでは、英霊たちの競争心が完全に暴走する。綱引きは本気の戦いに発展し、ギルガメッシュは「我が物は一切貸さぬ」と言って宝探しの道具を一切貸さない。アルトリアはフェアプレイを宣言し、
カルデアのにぎやかな一日 - 地下4階の秘密! 迷子マスターと没になった計画書
食堂の出口まで来て、立香はほっと息をついた。
ケーキを守り切った達成感はまだ体に残っていた。でも脚はしっかりガクガクしていた。ずっと立ちっぱなしで、英霊たちを相手に体を張り続けた結果だ。人間の体というのは正直だと思う。
「お疲れ様でした、マスター」
アルトリアの声が食堂の中から聞こえた。立香は小さく手を振って廊下に出た。
よし。部屋に帰ろう。今度こそ本当に横になろう。そう思いながら廊下の角を曲がったところで——
どたっ。
足元に何かがある。
いや、「何か」じゃない。英霊だ。廊下の床に、大の字になった英霊が一人転がっている。その横にも、うつぶせになった英霊が一人。さらにもう少し先に、壁にもたれて座り込んでいる英霊が一人。
訓練場——地下1階のシミュレーションルームの方向から、今日も低い轟音が聞こえてくる。スカサハの訓練が続いているらしい。その余波でこうなったのは明らかだった。
「……大丈夫ですか」
「問題ない」
転がっている英霊の一人がそう答えた。全然大丈夫そうではない声だった。
立香は進もうとした。が、左から、右から、前から——どの方向にも英霊が転がっているせいで、どこに足を踏み出せばいいかわからない。踏まないように、少しずつ体を横にしながら進む。右に寄って、左に寄って、また右に——
「あれ」
気づいたら、見慣れない廊下に来ていた。
白い壁と青い照明はいつもと同じだ。でも、この廊下には来たことがない。幅が少し狭い気がする。照明の間隔も、心なしか遠い。壁に張り紙もない。静かすぎる。
(どっちから来たんだっけ)
立香はきょろきょろした。左右の廊下がほぼ同じに見える。英霊たちを避けているうちに、完全に方向感覚がずれてしまったらしい。
ため息をついて、とりあえず右に進んでみる。しばらく歩くと、廊下が下り坂になった。傾斜がある。地下に向かっている。
「……あれ?」
引き返そうとしたが、後ろを見ると、どこで曲がったのかもわからなくなっている。どちらに進んでも同じような廊下。非常灯だけが天井に並んで、オレンジの光でぼんやり足元を照らしている。
(まずいな)
ケーキ防衛戦のあとで体力も削られている。脚はまだほんのり笑っている。ここで立ち止まって考えるより、とりあえずどこかの部屋に入って地図代わりに施設の案内板でも探した方が早い。
壁に古びた表示板があった。白いプレートに黒い文字。
——地下4階・資材倉庫C区画——
「地下4階……」
思ったより深いところに来ていた。資材倉庫というのは知っていた。食料や医薬品の備蓄がある場所、と研修で聞いた記憶がある。でも実際に来たことは一度もない。
近くにあった扉を開けようとした。一番手前のやつ。引っ張ったら、びくとも動かない。鍵がかかっている。別の扉を引く。これも開かない。三枚目の扉——これは勢いよく開いた。
薄暗い。
非常灯の明かりだけが、ぼんやりとした赤みを帯びた光で内部を照らしている。
段ボール箱が、壁一面に積み上がっていた。
天井まで届きそうなくらい高く積んである。箱の一つ一つに、白いラベルが貼ってある。立香はそっと一つに近づいて、ラベルを読んだ。
候補者No.12・山川 大
その隣の箱。
候補者No.31・鈴木 明
さらにその隣。
候補者No.07・橋本 優
立香の手が、止まった。
(……ああ)
わかった。これは、48人のマスター候補たちの、私物だ。
カルデアは最初、48人のマスター候補を集めた。立香もその一人だった。でも事故があって——詳しいことはあまり聞いていないけど——47人が活動不能になった。残ったのは立香だけだった。
誰も片付けに来なかったのか、それとも誰かが「いつか返せるかもしれない」と思って残してあるのか。ラベルには候補者の番号と名前だけが書いてある。箱は傷んでいない。ただ、埃をかぶっている。
立香は声を出さずに、ラベルを一つずつ読んでいった。
候補者No.22・田村 春菜。候補者No.44・木村 剛。候補者No.03・井上 咲。
(なんか……寂しいな)
カルデアに来て、英霊たちと毎日ドタバタしている間、この倉庫のことを一度も考えたことがなかった。ここにこういうものがあることを、知ろうともしなかった。
特別に悲しいわけじゃない。でも、少しだけ胸が重い。立香は段ボール箱から手を離して、後ろ向きに一歩引いた。
「……まあ」
口の中でつぶやいてから、出口を探した。来た方向と反対の壁に沿って歩いていくと、棚が並んでいる一角に出た。
そこに、一冊のファイルが落ちていた。
棚の端っこ、隙間から滑り落ちたような位置にある。表紙は黄ばんでいて、埃がびっしりついている。
手書きの文字が読めた。
——カルデア親善大運動会・プログラム案(没)——
「……没」
立香はファイルを拾い上げた。過去にも運動会を計画した人がいたのか。手にとってパラパラとめくってみる。
種目一覧のページが出てきた。玉入れ、リレー、棒倒し、借り物競走——今の廊下の張り紙に書いてあったものとほぼ同じだ。
そして最後のページに、赤字で大きく書かれた一文。
——中止理由:英霊の戦闘力が通常競技の安全基準を超えており、施設への重大な被害リスクあり。審議の結果、実施を見送りとする——
立香はページを閉じなかった。もう一度読んだ。
「……重大な被害リスク」
ゆっくりもう一回ページをめくる。種目欄の余白に、鉛筆でメモが追記されていた。
——玉入れ:玉が貫通速度を超え、施設壁面に40か所の穴が空いた(試験実施時)——
立香の顔が一段階引いた。
——棒倒し:棒が宝具と見なされ、試合開始と同時に消滅——
二段階目。
——借り物競走:借りるものとして「英霊の私物」が指定された結果、全員が全力で拒否。競技が成立しなかった——
立香は三秒間、そのメモを見つめた。
(……今のカルデアの英霊たち、絶対その候補よりさらにヤバい)
過去に試みた人たちも、同じ壁にぶつかって諦めた。それが今、廊下の張り紙に「近日開催」と書いてある。
ファイルをそっと棚に戻した。同じ場所に同じ角度で置いた。誰かがまたここに来た時、ちゃんと見つかるように。
出口はすぐに見つかった。さっき入ってきた扉とは別の扉だったけど、廊下に出られた。
今度は慎重に、壁の表示板を確認しながら歩いた。地下3階。地下2階。地下1階——訓練場の方向からまたドォンという音が響いてきて、立香は少し早足で階段を上った。
地上1階に出た瞬間、声が聞こえた。
たくさんの声だ。食堂の前の廊下に、英霊たちが集まっている。さっき転がっていた面々とは別の、元気そうな英霊たちが十騎以上、廊下に立って話し込んでいる。
中心にいるのは——金髪が廊下の照明を弾いて光っている——アルトリアだ。
「騎士として、運動会には正々堂々と勝ちに行きますわ。フェアな勝負を望む者は来い!」
「面白い! 余も参加しよう」
「訓練の成果を試す機会ですわね」
「参加だ参加!」
英霊たちがそれぞれ口々に言っている。全員、目が輝いている。楽しそうだ。本当に楽しそうだ。あの没プログラムのメモに書いてあった「玉が壁に刺さった」とか「棒が消滅した」とか、そういう危機感が欠片もない顔をしている。
(逃げよう)
立香は即座に踵を返した。
一歩踏み出した。
そこで視線を感じた。
振り返ってしまった。
アルトリアと目が合った。
金色の髪が揺れて、澄んだ青い瞳がまっすぐこちらを向いた。アルトリアの表情が、珍しく——本当に珍しく——柔らかくなった。騎士王がにっこりしている。それ自体がもう普通じゃない光景だ。
「マスター!」
肩に手がかかった。強い。英霊の手なので当然強い。逃げ場はない。
「貴方も出るのですよね? 正々堂々と、フェアに戦いましょう!」
「あ、えっと——今日って休みで——」
「おお、マスターも出るのか!」
「それは楽しみだ!」
周りの英霊たちがわっと盛り上がった。否定しようとしたのに、言い終わる前に盛り上がられてしまった。タイミングを完全に失った。
アルトリアの手は立香の肩からまだ離れていない。
「……わかりました」
力なく、立香は頷いた。
脅されたわけでも、言い負かされたわけでもない。ただ、アルトリアの笑顔と周りの熱気が合わさった結果、断るための言葉がどこかに消えてしまった。誰のせいでもない。でも確実に、逃げられなかった。
廊下の奥から、またドォンという音が一発。訓練場の方向から。
(今日って……本当に休めるのかな)
立香は心の中でそっとつぶやいた。朝、部屋で目が覚めた時と同じ言葉だった。
外は相変わらず吹雪だろう。北極圏の雪山の話だ、今日だって明日だって変わらない。でも廊下の中は、英霊たちの声で満ちている。
アルトリアはすでに他の英霊たちに向き直って、運動会の競技について何か熱っぽく話し始めていた。「正々堂々でしょう」という言葉が聞こえてきた。口癖だ。
立香はその輪の端っこに立ちながら、あの倉庫の段ボール箱のことを少し考えた。47人の名前が書かれたラベルのこと。誰も片付けていないこと。
(まあ、なんとかなるよ)
声には出さなかった。でも、そう思った。Noveliaとは?
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