カルデアのにぎやかな一日
カルデアは、歴史を超えて集まった英霊たちが世界を守るために集う、不思議な場所だ。藤丸立香はある朝、枕がなくなっていることに気づき、食堂が戦場のように変わり果てているのを見て、ロマン博士が「今日は何の予定もない」と陽気に告げるのを聞く。
自由な一日。ついに。
しかし、それは全くの誤解だった。
アルトリア・ペンドラゴンは真剣な表情で現れ、藤丸に「ケーキを守ってほしい」と頼む。エミヤは頼まれもしないのにカルデア全員分の昼食を作り始め、あまりのサーヴァントの多さに材料が足りなくなってしまう。ギルガメッシュは威厳たっぷりに藤丸を自室に呼び出すが、ソファで昼寝をしているだけだった。スカサハは廊下で無許可の訓練を行い、逃げ出そうとする藤丸を徴兵する。そしてジャンヌ・ダルクは善意に満ちた「カルデアスポーツデー」を企画し、藤丸を総合責任者に任命する。
昼食時には、もはや「自由な一日」は完全に消え去っていた。
スポーツデーでは、英霊たちの競争心が完全に暴走する。綱引きは本気の戦いに発展し、ギルガメッシュは「我が物は一切貸さぬ」と言って宝探しの道具を一切貸さない。アルトリアはフェアプレイを宣言し、
カルデアのにぎやかな一日 - 全員集合! 運動会実行委員長、ただいま瀕死中
ケーキ騒動から解放されて、立香はようやく昼を迎えた。
スカサハの訓練に巻き込まれた英霊たちが廊下に転がっていたのを跨ぎながら、昼食でも食べようと食堂に向かう。昨夜は大騒ぎだったと聞いていた。どんな状態か、少し恐ろしい。
ドアを開けた。
エミヤがいた。
白い割烹着を着て、両腕をまくり上げて、厨房の入り口に仁王立ちしている。身長178センチのシルエットが、逆光の厨房を背にして妙に迫力がある。赤みがかった茶色の瞳がこちらを見た。
「来たか」
「えっ。うん、来ました」
「ちょうどいい。手伝え」
「ご飯食べにきただけなんだけど……」
エミヤはすでに振り返っていた。
「全員分作る。材料を確認する」
誰にも頼まれていないのに全員分作る。それがエミヤという男だった。立香はそれをもう知っている。止めても無駄なことも知っている。
冷蔵庫が勢いよく開いた。
沈黙。
「……」
3秒ほど経った。
「何もない」
「あー……昨夜の騒動で」
「棚も空か」
棚も開けた。缶詰が2個。
「2個。カルデア全員分に缶詰2個でどうしろと」
立香はこっそり一歩後退した。これは怒っているやつだ。
エミヤはため息をついた。長い、深いため息だった。それから割烹着の紐を締め直した。
「……地下4階に備蓄倉庫がある」
「知ってる。昨日行った」
「取りに行く。お前も来い」
「え、僕が?」
「一人じゃ持てない。……頼む」
最後の二文字だけ、ほんの少し声が小さくなった。
(頼む、って言えるんだ、この人)
立香は少し意外に思いながら、「わかった」と答えた。
---
廊下を歩き始めて30秒で、二人は止まった。
障害物があった。
廊下のど真ん中に、ゴージャスな金色のソファが鎮座していた。長さ2メートル以上、見たことのない生地、足の部分が獅子の爪を模した彫刻になっている。そのソファの上に、長い金髪を広げて、古代ウルクの王が大の字で昼寝していた。
ギルガメッシュだった。
「……廊下に置くな」
「通れないよ」
二人で迂回しようと右側に寄った瞬間。
「来い、マスター」
目は閉じたまま。
「ええ」
「余の部屋だ」
「今から倉庫に——」
「余の部屋に来い、と言った」
エミヤが立香の肩を叩いた。「行ってこい。材料は俺が先に取ってくる」と小声で言った。その声が、心なしか少し楽しそうだった。
立香はギルガメッシュの部屋に向かうしかなかった。
---
扉を開けた瞬間、立香は一瞬、部屋を間違えたと思った。
3部屋分の広さ。床から天井まで金色の棚。棚の上にはよくわからないコレクション——壺、石板、小さな彫刻、そして……なぜか立香の枕。
(やっぱりここにあった……)
一人でツッコんでいると、部屋の中央のソファ——廊下のより一回り大きい——にギルガメッシュが転がっていた。いつの間にか先に来ていた。
「運動会とやらに余が出る」
「出るんだ」
「ただし、つまらん種目はお断りだ。余にふさわしい特別種目を用意しろ」
「特別種目って、なんですか」
「お前が考えろ。余の威厳が示せるやつだ」
「それ、全部投げてくれてる……」
「余に逆らうな」
それだけ言って、目を閉じた。寝息を立て始めた。
秒で寝た。
立香は部屋を出た。廊下でぐったりしながら、「特別種目……」と宙に向かってつぶやいた。何も思い浮かばなかった。
---
倉庫に向かって廊下を急いだ。
角を曲がった先で足が止まった。
スカサハがいた。
影の国の女王にして武芸の師。深い赤紫の髪を束ね、訓練着のまま廊下の中央に立っている。その周囲に、後輩英霊が4人並んで壁を使った腕立て伏せをしていた。廊下で。
「休むな。止まったら50回追加だ」
英霊たちが震えながら続けている。立香は踵を返そうとした。
「そこのマスター」
「……はい」
「逃げるな」
「倉庫に急用が——」
「10分で終わる。並べ」
10分、という言葉は英霊基準の10分だった。
腕立て伏せ50回。腹筋50回。廊下のダッシュ往復10本。
英霊たちと同じメニューを、立香は英霊と同じペースで課された。4本目のダッシュで足がもつれた。6本目で視界がぶれた。8本目のターン後、足が止まった。
止まれなかった。廊下の壁に手をついて、ずるずると崩れた。膝をついた。そのまま、ゆっくりと頬が床に触れた。
冷たい床だった。
「立て」
「……ちょっとだけ待って」
「英霊は待たん。お前も待つな」
「僕、英霊じゃないんだけど……」
「知っている。だから鍛える」
論理が一周した。
立香はなんとか立ち上がった。最後の2本を走った。腕が震えていた。それでも走った。
終わった時、また床に膝をついた。スカサハは涼しい顔で後輩英霊たちに指示を出していた。
---
「みなさん!」
廊下の向こうから聞こえた声は、明るくて澄んでいた。
ジャンヌ・ダルクが小走りで近づいてきた。亜麻色の長い髪が揺れている。青い目が輝いていた。表情は満面の笑顔。善意が服を着て歩いてきたような佇まいだった。
立香は膝をついたまま、見上げた。
「カルデア親善大運動会の実行委員長が決まりました!」
廊下に残っていた英霊が3人、拍手した。
立香は嫌な予感がした。
「藤丸立香さんです!」
「聞いてない」
「マスターならできます。絶対に。みんなが仲良くなれる素敵なイベントを——」
「いや待って、今日休日で——」
「みんな楽しみにしてますよ!」
ジャンヌは両手を合わせて、まっすぐ立香を見た。その目に悪意は一切なかった。本当にゼロ。これが厄介だった。怒れない。
腰の通信端末が震えた。
「——あ、立香くん」
ロマニ・アーキマンの声だった。カルデアの医療主任で、どこかぽわんとした話し方をする男の声だ。通信越しでも、その温度が伝わってくる。
「運動会の件、僕も賛成だよ。せっかくの休日だし、みんな楽しみにしてるみたいでよかった! 立香くん、頼りにしてるね」
通信が切れた。
立香は膝をついたまま、天井を見上げた。
退路が、消えた。
---
訓練場——地下1階のシミュレーションルーム——の隅に、パイプ椅子が一脚あった。
立香はそこに座っていた。
膝の上にメモ用紙の束。手元にペン。英霊たちからもらった競技要望が次々と押し寄せていた。
「玉入れをやれ」
「騎馬戦が正統だ」
「余は観覧席で観る種目が欲しい」
「訓練的要素のない競技には参加しない」
英霊たちは要望だけ言って、全員立ち去った。手伝う気は誰一人なかった。書類を書くのは立香一人だった。
競技案、チーム分け、備品リスト、タイムテーブル。全部立香の字だった。
足がスカサハの訓練でまだじんじんしていた。右腕が筋肉痛だった。昨日からの首の痛みも消えていない。
倉庫への足音が聞こえた。エミヤだった。
食材の入った袋を両手に提げて、訓練場の隅に立っている。書類の山と、その中心でぐったりしている立香を、一瞬で把握した顔をした。
何も言わなかった。ため息をついた。
立香の隣に来て、腕を組んだ。
「……仕方ねぇな」
「うん」
「弁当は作ってやる。それだけだ。感謝はいらない」
そっぽを向いた。でも、その耳が少し赤かった。
「……ありがとう」
エミヤは返事をしなかった。でも立ち去らなかった。
しばらく、二人は黙っていた。訓練場の遠くから、英霊たちの笑い声がかすかに聞こえた。運動会の話をしているらしかった。楽しそうだった。本当に楽しそうだった。
立香はペンを置いた。
書類の山を見た。自分の字で埋まった紙切れを見た。
天井を見た。
(なんで僕がこんな目に……)
口の中でつぶやいた。声にはならなかった。
枕もない。休みもない。体力も、英霊みたいな力も、特別な魔術の才能も何もない。ただ巻き込まれて、振り回されて、ヘトヘトになるだけ。カルデアに来てからずっとそうだ。
——俺って、ここにいる意味あるのかな。
声にならないまま、その言葉が口の中でこぼれた。
今日、初めての本音だった。誰にも言っていない言葉だった。
訓練場の照明が、びりりと小さく震えた。施設のどこかで何かが起きているのかもしれない。明日の運動会に向けて、英霊たちがすでに動き始めているのかもしれない。
どちらにしても、立香の手元の書類は減らない。
エミヤはまだそこにいた。何も言わずに立っていた。Noveliaとは?
Noveliaは、AIでライトノベルや二次創作を「読んで・数タップで作って・キャラクターと会話できる」プラットフォームです。挿絵つきの新作が毎日届き、無料で始められます。