ビートまりおとみんなのゆかいな日常
ここはいつも元気があふれる場所。歌って踊るVTuber・ビートまりおと、その仲間たちが集う陽気な事務所。
ビートまりおは同人音楽サークル「Cool&Create」のボス。東方アレンジで有名な歌い手だ。Live2Dの体は、愛する奥さんをモデルに特注で作ってもらった。だから「嫁が好き」が口ぐせで、朝のあいさつは「こんよめ」、夜のあいさつは「おつよめ」。ボイスチェンジャーは使わず、地声で通す。気さくな人柄で、みんなから親しみを込めて「まりおさん」と呼ばれている。
ある朝、まりおのもとに一通の手紙が届く。それは「VTuber事務所対抗・親睦運動会」の招待状だった。競技は玉入れ、パン食い競走、借り物競走。バトルではなく、みんなで楽しく盛り上がるお祭り的なイベントだ。だが、ひとつだけ大きな問題があった。運動会の当日、まりおには妻との大切な約束があったのだ。
さあ、どうするまりお。仲間たちは大騒ぎ。副代表のあまねは「予定をずらせばいいのでは?」と提案し、マネージャーのつむぎは「奥さんを連れてくればいいじゃないですか」とニヤリ。後輩のそよは「あの日は雨が降ると思います」と心配する。そして、まりお
ビートまりおとみんなのゆかいな日常 - まりお、泣いて叫んで、奥さん愛を再確認!
配信ブースの防音壁が、しんと静まり返っていた。
壁に飾られた奥さんモデルのLive2Dイラスト。その笑顔を、まりおはじっと見上げる。黒の短髪をかき上げて、深い茶色の瞳が揺れた。
「……はあ」
ため息が、防音室の壁に吸い込まれていく。
手の中のスマホ。待ち受け画面には、奥さんとのツーショット写真。どこかの公園で、二人で笑っている。奥さんはまりおの肩に寄りかかって、少し照れている。
「電話、か」
つぶやいて、指が震えた。
運動会まで、あと三日。
奥さんとの大事な約束の日と、運動会の日が重なっている。あまねにも、つむぎにも、チビくんにも背中を押された。もう逃げられない。
コンコン。
「まりおさん、手は止まってますよ」
ドアの向こうから、透き通る声。紫がかったロングヘアを二つ結びにした、クールアンドクリエイトの副社長あまねが、銀色の切れ長の瞳をドアの隙間から覗かせている。
「わ、わかってるって」
「わかってる人は、スマホを握ったまま三十分も固まったりしません」
「さんじゅっぷんも経ってたのか!?」
「ええ。私がここに来てから、ちょうど三十分です」
あまねは、耳に掛けたボールペンをくるりと回した。
「まりおさん。今かけないと、またあとで後悔しますよ」
真顔だった。
十四歳の副社長は、いつだって真っ直ぐだ。
「……だよなあ」
まりおは、スマホを握り直した。
「奥さんに電話、かけなきゃダメですよ」
ひょい、とあまねの後ろから顔を出したのは、翠色のショートボブを揺らす担当マネージャーのつむぎ。金色のたれ目が、にんまりと弧を描く。
「まりおさんが奥さんに電話できないなんて、世界がひっくり返るわよ?」
「おおげさだって」
「おおげさじゃないわ。だってまりおさん、奥さんの話になると早口で止まらなくなる人じゃない」
つむぎは、口元に手をやってニヤリと笑った。
まりおは、ぐっと唇を噛んだ。
(そうだ。俺は、奥さんの話なら何時間でもできる。なのに、どうして電話一本がこんなに怖いんだ)
震える指で、奥さんの番号を押す。
ワンコール。
胸の奥で、何かが激しく脈打つ。
ツーコール。
呼吸が浅くなる。
スリーコール。
(出てくれるな、いや、出てくれ)
「……もしもし?」
やわらかい声。
聞いた瞬間、まりおの肩から力が抜けた。
「あ、奥さん。俺だ」
「まりおさん。どうしたの? こんな時間に」
「えっと、その、話したいことがあって」
まりおは、スマホを握る手に力を込めた。
「運動会の日なんだけど」
「うん」
「その、十月二十二日なんだけど」
「うん」
奥さんの声は、変わらずやわらかい。
まりおは、目をぎゅっとつぶった。
「奥さんと、大事な約束をしてた日と、重なってるんだ」
一気に言った。
受話器の向こうが、しんと静かになる。
一秒。
二秒。
三秒。
「……そうだったのね」
奥さんの声は、少しだけ小さくなった。
「気づかなくて、ごめん。俺、予定管理が下手で、ちゃんと確認してなくて」
「ううん。まりおさんは、いつも一生懸命だから」
「でも、約束を破るみたいで、本当にごめん」
まりおの声が、震えた。
「まりおさん」
奥さんが、名前を呼んだ。
「あなたは、行きたいんでしょ?」
「え?」
「運動会。仲間のみんなと、楽しみたいんでしょ?」
まりおは、言葉に詰まった。
「私は大丈夫だから」
奥さんが、ふわりと笑った。
電話越しでも分かる。
奥さんは、笑っている。
「行ってきて。まりおさんが楽しむのが、私の幸せだから」
まりおの視界が、にじんだ。
「……奥さん」
「うん?」
「ありがとう。ありがとう。ありがとう」
まりおは、何度も繰り返した。
涙が、あふれて止まらない。
「ありがとう、奥さん。俺、俺、絶対に運動会、頑張るから。奥さんの分まで、全力で走るから」
「ふふ。まりおさんらしい」
奥さんの笑い声が、受話器からこぼれた。
「でも、無理はしないでね」
「うん。約束する」
「じゃあ、応援してるから」
「ああ。おつよめ」
「おつよめ」
通話が切れた。
まりおは、スマホを胸に抱きしめた。
「……俺の嫁、大好きだ」
涙でぐしゃぐしゃの顔で、まりおは笑った。
ドアの外では、あまねとつむぎが顔を見合わせていた。
「……まりおさん、泣いてますね」
「ええ。でも、あれはいい涙よ」
つむぎは、そっとドアを閉めた。
夕日が、事務所の窓から差し込んでいた。
静かな夜が、訪れようとしていた。
その夜。
奥さんは、自宅の配信部屋で一人、カメラの前に座っていた。
配信画面には、やわらかい色のアバター。奥さんの声だけが、リスナーに届く。
「こんばんは。今日はね、ちょっとだけお話ししようかなって」
チャットが流れる。
『こんばんはー!』
『今日も声が素敵!』
『まりおさんの奥さんだ!』
奥さんは、くすっと笑った。
「まりおさん、運動会に出るんだって」
チャットが一気に加速する。
『え! あのゆるゆる運動会!?』
『まりおさん走るの!? 楽しみ!』
『応援に行きます!』
奥さんは、画面を見つめながら、ぽつりとつぶやいた。
「そうみたいね。……ちょっと寂しいな」
チャットが、一瞬止まった。
「あ、冗談よ。冗談」
奥さんは、慌てて笑った。
「まりおさんが楽しむのが、私の幸せだもの。応援してるの」
でも、その声は、少しだけ震えていた。
配信が終わって、数時間後。
ネットの海に、一本の切り抜き動画が流れた。
タイトルは、『ビートまりお、奥さんを置いて運動会へ? 奥さんが寂しさを告白』
動画は、あっという間に拡散された。
VTuber業界の掲示板も、SNSも、その話題で持ちきりだった。
『まりおさん、奥さん泣かせてるの?』
『いや、奥さんは笑ってたよ』
『でも、寂しいって言ってたじゃん』
『まりおさん、奥さん大事にしてるイメージだったのに』
『これはちょっと……』
まりおを心配する声と、非難する声が入り混じる。
朝になっても、その波は止まらなかった。
グレイテスト商事のオフィス。
「なによこれーーーっ!!」
パワーの大声が、シェアオフィス中に響き渡った。
元気すぎる彼女は、スマホを握りしめて、真っ赤な顔で立ち上がった。
「まりおさんが、奥さんをないがしろにしてる!? 許せない! 絶対に許せない!」
「……うるさい」
のんびり屋のスローが、昼寝用クッションから顔を上げた。
「スロー! あんたも見たでしょ! この切り抜き!」
パワーは、スローの目の前にスマホを突きつけた。
スローは、のろのろと画面を見た。
「……奥さん、寂しいって言ってる」
「そうよ! これは由々しき事態よ! 私たちが、まりおさんに奥さんの大切さを教えてやるの!」
「どうやって?」
「決まってるでしょ! クールアンドクリエイトに乗り込むのよ!」
パワーは、スローの手を引っ張って、オフィスを飛び出した。
「ちょっと、待って。眠い」
「眠くない! 走るわよ!」
二人は、電車に飛び乗った。
クールアンドクリエイトの事務所。
まりおは、配信ブースで一人、スマホの切り抜き動画を見ていた。
「……奥さん、寂しいって」
まりおの胸が、ぎゅっと締め付けられる。
「俺のせいだ。俺が、奥さんに寂しい思いをさせたんだ」
まりおは、うつむいた。
バァン!!
事務所のドアが、勢いよく開いた。
「まりおさんーーーっ!!!」
パワーが、大声で飛び込んできた。
後ろには、眠そうなスロー。
「な、なんだ!?」
まりおが振り返る。
「まりおさん! あんた、奥さんを泣かせてるんじゃないの!」
パワーは、まりおに詰め寄った。
「泣かせてる? 何の話だ?」
「この切り抜き! 奥さんが、寂しいって言ってたでしょ!」
パワーは、スマホをまりおの顔に突きつけた。
「奥さん、寂しいって言ってたよ」
スローが、のんびりした口調で追い打ちをかける。
「あんた、運動会に出るからって、奥さんをほったらかしにしてるんじゃないの!?」
「ほったらかし!?」
まりおの眉が、ぴくりと動いた。
「奥さんをないがしろにする男は、許せない! 私が成敗してやる!」
パワーは、腕まくりをした。
まりおは、一瞬うつむいた。
でも。
すぐに、顔を上げた。
「俺が奥さんをないがしろにしたことなんて、一度もない!」
まりおの声が、事務所中に響き渡った。
「俺の嫁、大好きだ!」
まりおは、真っ向から叫んだ。
「奥さんはな、俺が運動会に行くのを、笑って送り出してくれたんだ。『あなたが楽しむのが、私の幸せだから』って。そんな奥さんを、俺がないがしろにできるわけがないだろ!」
まりおの目は、真剣そのものだった。
パワーは、たじろいだ。
「で、でも、切り抜きでは寂しいって……」
「寂しいって言ったのは、本音かもしれない。でも、奥さんはそれでも俺を送り出してくれた。その気持ちを、俺は絶対に裏切らない」
まりおの声は、力強かった。
「俺は、奥さんが大好きだ。世界で一番、誰よりも、何よりも」
まりおが言い切った瞬間。
「師匠は、誰よりも奥さんを愛してる!!」
小さな影が、二人の前に飛び出した。
居候中のチビくんが、まりおをかばうように両手を広げて立っていた。
「僕が一番よく見てきたんです! 師匠が、毎日毎日、奥さんの話を楽しそうにしてるのを! 奥さんの写真を見て、にこにこしてるのを! 師匠は、奥さんをないがしろになんてしてない!」
チビくんの声は、震えていた。
目には、涙がにじんでいる。
「師匠の奥さんへの想いを、あんたたちに悪く言われたくない!」
チビくんは、涙目で叫んだ。
パワーとスローは、チビくんの剣幕に押されて、一歩後ずさった。
「チビ……あんた、なんでここに……」
「僕は、師匠の奥さん愛を学ぶために、ここに居候してるんです!」
「居候!?」
「はい! 師匠の足にしがみついて、頼み込みました!」
チビくんは、胸を張った。
パワーは、ぽかんと口を開けた。
「……なにそれ」
「とにかく! 師匠は、悪くない! 師匠は、奥さんを愛してる! それだけは、絶対に間違いない!」
チビくんは、まりおの前に立ち続けた。
パワーは、しばらくチビくんを見つめていた。
それから、スローを見た。
スローは、こくりと頷いた。
「……私たち、早とちりだったみたいね」
パワーは、肩を落とした。
「まりおさん。ごめんなさい。切り抜きだけ見て、勘違いしてた」
パワーは、深々と頭を下げた。
「奥さん、寂しいって言ってたよ。でも、まりおさんが悪いわけじゃない」
スローも、のんびりと頭を下げた。
「いや、俺も、奥さんに寂しい思いをさせたのは事実だ。お前たちが怒るのも、無理はない」
まりおは、苦笑いした。
「でも、俺は、奥さんへの想いだけは、誰にも負けない。それだけは、覚えておいてくれ」
まりおは、パワーとスローに言った。
パワーは、まりおの目を見た。
「……うん。分かった。まりおさんが、奥さんを大切にしてるのは、伝わった」
パワーは、少しだけ笑った。
「私たち、帰るわ。お邪魔したわね」
「またね」
二人は、事務所を出て行った。
ドアが閉まる。
まりおは、大きく息を吐いた。
「……チビ」
まりおは、チビくんの頭をぽんぽんと叩いた。
「ありがとうな」
チビくんは、照れ笑いした。
「師匠のためなら、僕は何でもします」
チビくんは、小さく答えた。
「お前は、本当にいい弟子だな」
まりおは、チビくんの頭をわしゃわしゃと撫でた。
あまねとつむぎが、そっと近づいてきた。
「まりおさん、奥さんに改めて電話したほうがいいですよ」
つむぎが、金色のたれ目を細めて言った。
「ああ。今度はちゃんと、俺の気持ちを全部伝える」
まりおは、スマホを握り直した。
その時。
つむぎのスマホが、震えた。
「……あら」
つむぎは、画面を見て、表情を変えた。
「どうした?」
まりおが、尋ねた。
つむぎは、神妙な顔で言った。
「運動会の種目が、三つから二つに減るかもしれないそうです」
事務所に、重い空気が流れた。
「なんでまた急に……」
まりおは、青ざめた。
「主催者からの連絡です。まだ調整中みたいだけど」
「種目が減る理由は? 参加事務所が減ったから?」
あまねが、矢継ぎ早に質問した。
「ええ、そうみたい。主催者が調整中だけど、最悪、玉入れと借り物、どっちかも危ういかも」
「そんな……」
まりおは、頭を抱えた。
「奥さんとの約束も終わってないのに、今度は種目まで減るのか……」
まりおの声は、力なく響いた。
「師匠!」
チビくんが、まりおの袖を引っ張った。
「僕、事務所に帰って、パワーさんたちと話してみます! グレイテスト商事からも、主催者に交渉できるかもしれない!」
チビくんの目は、真剣だった。
「お前は、本当にいい弟子だな」
まりおは、微笑んだ。
「ありがとう。でも、無理はするなよ」
「はい! 師匠! 行ってきます!」
チビくんは、ぺこりとお辞儀をして、事務所を飛び出していった。
まりおは、チビくんの背中を見送った。
「……俺、どうすればいいんだ」
まりおは、窓の外を見た。
秋の空は、どんよりと曇っていた。
雨が、降りそうだった。
奥さんに電話をかけようと、スマホを握りしめる。
でも、指が動かない。
「奥さん……俺、まだ、何もできてない」
まりおのつぶやきは、静かな事務所に溶けていった。
遠くで、雷の音が聞こえた。Noveliaとは?
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