ストライク・ザ・ブラッド 〜第四真祖は恋愛ができない〜
世界最強の吸血鬼なのに、鼻血は止められない。
絃神島に暮らす高校生・暁古城は、三か月前からちょっとした悩みを抱えていた。夜眠れない、昼は眠い、そしてなぜかちょっとした刺激で鼻血が出る。己の体質に振り回されながら、今日も遅刻寸前で学校へ走る。追い打ちをかけるのは、フリルドレス姿の担任・那月ちゃん(二十六歳自称)の容赦ない補習。親友の基樹には「お前、ほんとに気づかないんだな」と謎の呆れ顔をされ、クラスメイトの浅葱はなぜか顔を赤くして視線を逸らす。
そんなある日、古城の隣の空き部屋に、新しい住人が引っ越してきた。黒髪ボブの、彩海学園中等部の制服を着た女の子。廊下でばったり顔を合わせた瞬間、古城の鼻から生温かいものが滴り落ちる。慌てて弁明するも、「いやらしい人!」と平手打ちが飛んできて——。
世界最強の吸血鬼が、恋も日常もままならない。すれ違いだらけのラブコメが、ここに開幕。
ストライク・ザ・ブラッド 〜第四真祖は恋愛ができない〜 - 第四真祖の朝は遅刻と鼻血と謎の物音
「遅刻する! また那月ちゃんに殺される!」
飛び起きた瞬間、額を窓枠にぶつけた。頭の芯まで響く鈍い痛み。暁古城は寝ぼけた目で壁時計を見た。八時十二分。始業まであと十八分。マンションから彩海学園までは全力疾走で十五分。
「終わった……俺の平穏な一日が」
古城は黒のショートヘアを掻きむしりながらベッドから転がり落ちた。濃い茶色の瞳はまだ半分しか開いていない。寝癖が後頭部で跳ねている。彩海学園の制服に着替える時間すら惜しい。白シャツに腕を通し、黒のブレザーを羽織り、赤いネクタイを首に引っ掛けた。
洗面所で顔を洗う。冷たい水が目を覚まさせる。鏡に映る自分の顔を見て、古城は思わずため息をついた。
(三か月前までは、ちゃんと七時に起きてたんだけどな)
三か月前。あの日から、古城の人生はめちゃくちゃだ。
世界最強の吸血鬼、第四真祖。そんなものを継いでしまった。本人にその気はまったくないのに、体は勝手に夜更かしを求める。昼間は眠くて仕方ない。おまけに、わずかな刺激で鼻血が出るようになった。最悪だ。
古城はポケットにティッシュを突っ込む。これがないと一日を生き延びられない。
「平穏に暮らしたいだけなのに」
つぶやきながら部屋を出ようとした瞬間、隣の部屋から音が聞こえた。
ガタン。ガタガタガタ。
何かを引きずるような音。それから、段ボールが床に落ちるような鈍い響き。
「……空き部屋だったよな?」
古城は首をかしげた。このマンションは南学園区の住宅街にある築十年の三階建て。古城の部屋は二階の端っこ。隣の部屋は、ここ三か月ずっと空き室だったはずだ。
ガタン、とまた音がした。
(泥棒? いや、朝っぱらから?)
気にはなった。でも、時間がない。古城は靴を引っ掛けると、マンションの外へ飛び出した。
外に出た瞬間、生ぬるい潮風が顔をなでた。
絃神島。東京から南へ三百三十キロ。太平洋の上に浮かぶ人工の島。面積は約百二十平方キロ。人口は約十八万人。その中で、約一割が魔族として登録されている。人間と魔族が一緒に暮らす、世界でも珍しい場所だ。
魔族特区。そう呼ばれるこの島には、吸血鬼や獣人など、いろんな種族が住んでいる。古城はその頂点に立つ存在。第四真祖。
(まあ、誰にも言ってないけど)
言えるわけがない。妹の凪沙は魔族恐怖症だ。知られたらどうなるか。古城は鼻の頭を無意識に掻いた。
南学園区の朝は、いつも通りに動いていた。通学路には学生服の群れ。パン屋「コトハベーカリー」からは焼きたての匂い。商店街のカフェ「ルミナス」は、まだ開店準備中だった。
古城は人波を縫うように走る。バスケで鍛えた体は、この程度の距離では息も上がらない。
「お兄ちゃん! また遅刻!?」
聞き慣れた声が背後から飛んできた。振り返ると、セーラー服姿の妹が仁王立ちしていた。暁凪沙。古城の一つ下の妹で、彩海学園中等部三年生。雪菜と同じクラスだ。
「凪沙、おはよう。いや、遅刻はしてない。これから間に合わせる」
「してるでしょ! 八時二十分だよ!? お兄ちゃん、また那月先生に怒られるよ!」
凪沙は口うるさい。古城よりよっぽど生活態度がしっかりしている。肩まで伸びた黒髪を揺らしながら、ずんずんと古城に詰め寄ってきた。
「大丈夫だ。那月ちゃんには俺の熱意が伝わる」
「那月ちゃんって呼んだ時点で伝わらないと思うよ」
凪沙が冷たい目で古城を見上げた。
二人で走る。南学園区の住宅街を抜け、彩海学園の正門をくぐったのは八時二十八分。ぎりぎりセーフのはずだった。
教室の前に立っていたのは、フリルつきドレスを着た小さな女性。南宮那月。古城の担任で、二十六歳を自称する国家攻魔官。「空隙の魔女」の異名を持つ、この学園で一番怒らせてはいけない人だ。
「暁。また遅刻か」
那月は小さな体で、古城の進路を完全に塞いだ。背は古城の胸ほどしかない。なのに、その存在感は教室の扉より重い。漆黒のドレスはフリルで飾られ、まるでお人形のような見た目だ。
「いや、那月ちゃん、これはセーフでしょ。八時三十分には間に合ってるし」
「ちゃん付け禁止と言っているだろう。私は二十六歳だ」
那月のこめかみがピクリと動いた。
「それ、ほんとに二十六歳ですよね……?」
「聞こえているぞ。お前は毎朝毎朝、よくもまあ同じ言い訳を並べられるものだ」
那月は扇子を開いて、口元を隠した。目は笑っていない。
「言い訳じゃないですって。今日は隣の部屋から変な音がして、それでつい」
「ほう。隣の部屋の音。それはさぞかし重大な遅刻理由だな」
那月が一歩、古城に近づいた。
「補習は今日も放課後だ。逃げるなよ」
「マジすか。今日こそ帰って掃除しようと思ってたのに」
「お前の部屋の掃除など知ったことか。さっさと教室に入れ」
那月に背中を押されて、古城は教室に転がり込んだ。
教室の中は、すでに朝のざわめきに包まれていた。
「古城、今日も那月ちゃんと朝のデートかよ」
軽い口調で声をかけてきたのは、親友の矢瀬基樹。やわらかい茶色の髪に、いつも寝ぼけたような垂れ目。でも、その目は意外とよく動く。古城の数少ない気の置けない友人だ。
「デートなわけあるか。あれは処刑だ」
古城は自分の席にどさっと座った。窓際の後ろから二番目。浅葱の席は、そこから斜め前。
「まあ、お前が毎朝遅刻するからだろ。何してるんだよ、夜更かしでもしてんのか?」
「夜更かしって言うか……体質的なものだ」
古城は言葉を濁した。まさか、吸血鬼になったので夜が眠れません、とは言えない。
基樹は笑いながら、古城の肩を叩いた。
「それより聞いたか? 今日、転校生が来るらしいぜ。中等部に」
「転校生? この時期に?」
「しかも女の子。黒髪のボブで、めっちゃ可愛いらしい。凪沙のクラスだってよ」
「凪沙のクラス……あいつ、何か言ってたか?」
「さあな。でも、お前の妹だろ。聞いてないのかよ」
古城は首を振った。凪沙はそういう話を古城にあまりしない。というか、古城が聞き出そうとすると怒る。
その時、古城は斜め前の席から視線を感じた。
藍羽浅葱。金髪にターコイズブルーのピアス。派手な見た目のクラスメイトだ。彼女が何か言いたそうに、ちらちらと古城のほうを見ている。
「……おい、浅葱。どうかしたか?」
「え!? な、何でもないわよ! 別に!」
浅葱は顔を真っ赤にして、勢いよく前を向いた。手元のノートを開いて、必死に何かを書き始める。
「何だあいつ。朝から変な奴」
「お前、ほんとに気づかないんだな」
基樹が呆れた顔で古城を見た。
「何に?」
「いや、いい。お前はそのままでいてくれ」
基樹は笑いながら自分の席に戻っていった。
浅葱の背中が、まだ少し赤い。
(何か俺、変なこと言ったか?)
古城は首をかしげた。浅葱とは一年の最初から同じクラスで、結構話す仲だ。金髪でピアスで、見た目は派手だけど、中身は意外と真面目で。それに、すごく食べる。この前も購買のパンを五個平らげていた。
(まあ、いいか)
古城は授業の準備を始めた。
放課後。
那月の補習を終えた古城は、夕暮れの商店街を歩いていた。空はオレンジ色に染まり、海からの風が少し冷たい。ルミナスの前を通ると、コーヒーの匂いがした。浅葱がよくあのカフェでプログラミングをしているのを、古城は知っている。
(そういえば、浅葱ってプログラマーなんだよな)
天才的だという話だ。「電子の女帝」とか呼ばれているらしい。本人はその呼び名をすごく嫌がっている。前に古城がその話をしたら、本気で怒られた。
マンションに着くと、一階の管理室から老夫婦の大家が出てきた。
「ああ、暁くん。ちょうどよかった。お隣の部屋、新しい住人が入るからね」
「隣の部屋? やっぱり誰か入るんすか」
「今日の朝から引っ越し作業をしてたんだよ。女の子だ。若い、可愛らしい子だったねえ」
「女の子……」
古城は朝の物音を思い出した。ガタガタという音は、引っ越し作業の音だったのか。
(でも、なんでまたこんな古いマンションに)
このマンションは築十年。南学園区の住宅街の中では、まあ普通の物件だ。家賃も手頃。学生が一人で住むには悪くない。
でも、古城には引っかかるものがあった。
三か月前、古城は第四真祖になった。それ以来、周囲の視線が変わった気がする。実際に誰かに見張られているわけではない。でも、何かが近づいてくる気配を感じることがある。
(新しい隣人、か。気を許せる相手じゃないかもな)
古城は階段を上がりながら、鼻の頭を掻いた。
部屋に戻ると、古城はジャージに着替えて夕食の準備を始めた。一人暮らしの夜は長い。テレビをつけて、適当にニュースを見る。
絃神島のローカルニュースは、今日も魔族関連の話題ばかりだ。北研究区の新施設。魔族登録制度の改正。特区警備隊の新しい装備。
「俺も、あっち側の住人なんだよな」
古城は冷蔵庫から卵を取り出した。簡単な炒飯でも作ろう。
その時だった。
ガタン。
隣の部屋から、また物音がした。今度ははっきりと。何かが倒れるような、大きい音。
「……大丈夫か?」
古城はフライパンを置いて、部屋の外に出た。廊下は薄暗い。隣の部屋のドアは閉まっている。
ガタガタガタ。
また音。今度は連続して。
(何か重いものを運んでるのか? それとも……)
古城は隣の部屋のドアの前に立った。インターホンを押すべきか迷う。でも、初対面の隣人にいきなり「うるさいです」と言うのも気が引ける。
その時、階段の方から足音が聞こえた。
誰かが上がってくる。
古城は振り返った。
そこに立っていたのは、黒髪のボブヘアーの女の子だった。
年は十四か十五歳くらい。彩海学園の制服を着ている。中等部のセーラー服。小柄で、華奢な体つき。でも、その目は鋭くて、古城をまっすぐに見ていた。
(この子が、新しい隣人……?)
古城はそう思った瞬間、鼻の奥に違和感を感じた。
つーっ。
生温かい液体が、鼻から垂れる。
「え、ちょ、嘘だろ」
古城は慌てて鼻を押さえた。ポケットのティッシュを探る。でも、遅かった。
鼻血が、古城の指の間から滴り落ちる。
「な、何!?」
女の子の顔色が変わった。
「ち、違う! これはだな、体質で! お前を見て興奮したとかじゃなくて!」
「いやらしい人!」
パァン!
乾いた音が、薄暗い廊下に響いた。
古城の左頬に、鋭い痛みが走る。
「いてえ! 何すんだよ!」
「最低です! 初対面の相手に鼻血を出して、何が体質ですか! この変態!」
女の子は真っ赤な顔で古城を睨みつけると、逃げるように隣の部屋のドアを開けて、バタンと閉めた。
古城は一人、廊下に取り残された。
鼻血はまだ止まらない。頬はひりひりする。
「……何もしてないのに」
古城はティッシュを鼻に詰めながら、その場にしゃがみ込んだ。
(確かに鼻血は出た。それは認める。でも、あれは体質で。女の子を見て興奮したとか、そういうのじゃなくて)
言い訳は、誰にも届かない。
隣の部屋からは、ガサゴソと物音が続いている。
(明日から、この隣人とやっていけるのか……?)
古城は深いため息をついた。
絃神島の夜が、更けていく。
世界最強の吸血鬼、第四真祖。その力を持ちながら、古城は鼻血を止めることすらできない。
(俺の平穏な日常は、いったいどこに行ったんだ)
廊下の窓から、月が見えた。
満月だった。
「……最悪だ」
古城の呟きは、誰にも聞かれることなく、夜の空気に溶けていった。Noveliaとは?
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