ストライク・ザ・ブラッド 〜第四真祖は恋愛ができない〜
世界最強の吸血鬼なのに、鼻血は止められない。
絃神島に暮らす高校生・暁古城は、三か月前からちょっとした悩みを抱えていた。夜眠れない、昼は眠い、そしてなぜかちょっとした刺激で鼻血が出る。己の体質に振り回されながら、今日も遅刻寸前で学校へ走る。追い打ちをかけるのは、フリルドレス姿の担任・那月ちゃん(二十六歳自称)の容赦ない補習。親友の基樹には「お前、ほんとに気づかないんだな」と謎の呆れ顔をされ、クラスメイトの浅葱はなぜか顔を赤くして視線を逸らす。
そんなある日、古城の隣の空き部屋に、新しい住人が引っ越してきた。黒髪ボブの、彩海学園中等部の制服を着た女の子。廊下でばったり顔を合わせた瞬間、古城の鼻から生温かいものが滴り落ちる。慌てて弁明するも、「いやらしい人!」と平手打ちが飛んできて——。
世界最強の吸血鬼が、恋も日常もままならない。すれ違いだらけのラブコメが、ここに開幕。
ストライク・ザ・ブラッド 〜第四真祖は恋愛ができない〜 - 修羅場と修学旅行と届かぬ想い
教室の空気が、朝から妙にざわついていた。
暁古城がドアをくぐった瞬間、ぴたりと話し声が止む。いや、止んだのは一瞬で、次の瞬間には男子の何人かがにやにやと笑いをこらえている。
「なんだよ、お前ら」
古城は首をかしげた。寝癖を押さえながら、自分の席へ向かう。背中に刺さる視線の数が、いつもの朝とは明らかに違う。
「おー、暁。おはようさん」
前の席の男子が振り返り、声をひそめた。
「昨日の放課後、藍羽さんと二人きりだったんだって?」
「は? なんで知ってんだよ」
「廊下に聞こえてたんだよ、藍羽さんの声。『古城のことが好き』って、ばっちり」
古城は鼻の頭をかいた。
「ああ、あれか。俺も浅葱のこと好きだって言ったんだけど、なんか怒られた」
「……お前、本気で言ってんの?」
「本気もなにも、クラスのみんな、浅葱のこと好きだろ?」
男子生徒Aは、天を仰いだ。
「いや、そういう話じゃなくてさ……」
教室の後方では、女子のグループがひそひそと顔を寄せ合っている。
「ねえ、浅葱って本当に暁くんに告ったの?」
「らしいよ。で、暁くん、『みんなも好きだ』って返したんだって」
「なにそれ、意味わかんない」
「でもさ、浅葱の気持ちって前から有名だったじゃん。あれ、暁くんだけ気づいてなかったの?」
「ありえる。あの人、そういうの疎そうだもん」
浅葱は、自分の席で顔を伏せていた。金髪のロングヘアが、机の上に広がっている。耳の先が、真っ赤だった。
「……あんたたち、聞こえてるからね!」
浅葱が顔を上げて、女子グループをにらんだ。ターコイズブルーの瞳が、涙で少し潤んでいる。
「ごめんごめん、応援してるから!」
「応援とかいらないし! もう、忘れて!」
浅葱は、机に突っ伏した。
古城は、隣の席の浅葱の背中を見た。
(なんであんなに怒ってるんだ?)
昨日の放課後、浅葱に「好きだ」と言われた。だから「俺も好きだ」と返した。それのどこが悪いのか、さっぱり分からない。
「おい、浅葱。大丈夫か?」
古城が声をかけると、浅葱の肩がびくりと跳ねた。
「……大丈夫じゃない」
「なんでだよ。俺、お前のこと嫌いとか言ってないだろ?」
「あんたね、好きって言葉の意味、ちゃんと分かってる?」
浅葱が、涙目のまま古城をにらみつけた。
「分かってるって。お前、いいやつだし、クラスのやつらとも仲いいし」
「だから、そういうことじゃないの!」
浅葱が、古城の腕をばしばしと叩いた。
教室のあちこちから、笑い声が漏れる。
「暁、お前それ、藍羽さんに失礼だぞ」
「失礼って、なんでだよ」
古城は、心から困った顔をした。
放課後。
屋上に続くドアを開けると、潮の匂いがした。
絃神島の空は、今日も青い。人工島とは思えないほど、海風が気持ちいい。
「暁、ちょっと話がある」
古城を屋上に連れ出したのは、矢瀬基樹だった。古城のクラスメイトで、親友。浅葱とは幼馴染でもある。
「なんだよ、改まって。お前まで浅葱の話か?」
矢瀬は、フェンスにもたれて、ため息をついた。
「お前、浅葱の気持ちに気づいてないだろ」
「浅葱の気持ち? だから、俺も好きだって言ったじゃねえか」
「違う。そうじゃない。お前は、浅葱がお前に、どういう意味で好きだって言ったか、分かってない」
矢瀬は、まっすぐに古城の目を見た。
「どういう意味って、友達としてだろ?」
「違う。恋愛的な意味だ。浅葱は、お前のことを、男として好きだって言ってるんだ」
古城は、ぽかんと口を開けた。
「恋愛的な……浅葱が? 俺を?」
「ああ。あいつ、ずっと前からお前のこと好きだったんだよ。クラスのやつらはみんな知ってる。知らないのは、お前だけだ」
「マジかよ……」
古城は、頭をかいた。
「で、お前はどうなんだ? 浅葱のこと、男として好きなのか?」
「好きだって。仲のいいクラスメイトだろ、浅葱は」
「だから、そういう話じゃなくてだな……」
「じゃあなんだよ。俺、浅葱と付き合うとか、そういうの考えたこともないぞ」
矢瀬は、がっくりと肩を落とした。
「お前、本当に分かってないな。浅葱が可哀想になってきた」
「可哀想って、俺、悪いことしたか?」
「悪いことっていうか、あいつの告白を、お前が真剣に受け止めてないってことが、一番あいつを傷つけてるんだよ」
「真剣に受け止めてるって。友達として好きだって、ちゃんと返しただろ?」
「ああ、もういい。お前には、しばらく何を言っても無駄だな」
矢瀬は、ため息とともに、屋上のドアへ歩き出した。
「おい、矢瀬! 話は終わりかよ?」
「終わりだ。お前が浅葱の気持ちに気づくまで、俺は何も言わない」
矢瀬は、振り返らずに去っていった。
古城は、一人、屋上に残された。
(浅葱が、俺を、男として好き?)
海風が、古城の髪を揺らす。
(いや、でも、浅葱だぞ? あの浅葱が?)
古城は、昨日の浅葱の顔を思い出した。
夕日に照らされた、真っ赤な顔。震える声。
「……あれ、本気だったのか?」
古城の呟きは、風に流されて消えた。
屋上の扉の影。
姫柊雪菜は、壁に背中を押し付けて、立ち尽くしていた。
黒髪のボブヘアー。彩海学園中等部のセーラー服。手には、小さなノート。
(先輩が、藍羽先輩のことを……)
雪菜は、ノートを胸に抱きしめた。
これは、監視記録だ。獅子王機関——日本政府の外郭団体で、魔族の監視や対策を任務とする国家機関——の見習い剣巫として、第四真祖である古城の動向を記録するためのもの。
(私の任務は、先輩を監視すること。それだけのはずなのに)
胸の奥が、ぎゅっと痛む。
矢瀬の言葉が、頭の中で繰り返される。
「浅葱は、お前のことを、男として好きだって言ってるんだ」
「ずっと前から、お前のこと好きだったんだよ」
(藍羽先輩は、本気で、先輩のことが……)
雪菜は、唇を噛んだ。
(なんで、私が、こんなに苦しいの)
任務に集中しなければ。そう思うのに、心が乱れて仕方ない。
浅葱が古城に笑いかける姿を思い出す。
あの朝、マンションの廊下で見た光景。
二人の間には、雪菜には入れない、同じクラスメイトという距離があった。
(私は、監視役。それなのに)
雪菜は、ノートを開いた。
今日の日付。古城の行動記録。
でも、ペンを持つ手が、震えて、何も書けない。
「……私、どうして、こんなにモヤモヤするんだろう」
雪菜の呟きは、誰にも届かなかった。
その夜。
雪菜は、自室のベッドに座っていた。
部屋の明かりは、小さな間接照明だけ。薄暗い光が、壁に影を落とす。
(今日の任務は、失敗だった)
監視記録は、ほとんど白紙のまま。
(先輩の動向を記録しなければいけないのに、頭の中は、藍羽先輩のことでいっぱいだった)
雪菜は、膝を抱えた。
「私、どうして、こんなにモヤモヤするんだろう」
昼間、屋上で呟いたのと同じ言葉。
でも、答えは出ない。
胸の奥が、重い。
浅葱の顔を思い出すたびに、心臓のあたりが、きゅうっと縮む。
(これは、任務に必要な感情じゃない)
(剣巫として、私情を挟むのは、失格)
(でも、止められない)
雪菜は、枕に顔を埋めた。
「……なんで、なの」
声が、くぐもって、震えた。
数日後。
教室に、担任の南宮那月が入ってきた。
フリルつきのドレスを着た、小柄な女性。外見は中学生にしか見えないが、れっきとした古城の担任教師で、国家攻魔官でもある。
「はい、静かに。今日は、大事なお知らせがあります」
那月の声に、教室が静まった。
「来月、宮古島への修学旅行が決定しました」
教室が、一瞬の沈黙の後、沸き上がった。
「マジで!? 宮古島!?」
「やった! 海だ!」
「宮古島! 最高だな!」
古城は、前の席の矢瀬に笑いかけた。
「お前、単純だな」
「だって、宮古島だぞ? 海だし、飯はうまいし、楽しみだろ!」
古城は、無邪気に喜んでいる。
教室の窓際。浅葱は、那月の話を聞きながら、小さく拳を握っていた。
(修学旅行。宮古島。これは、チャンス)
浅葱のターコイズブルーの瞳が、きらりと光る。
(今度こそ、ちゃんと伝える。古城に、あたしの気持ちを)
浅葱は、決意を込めて、古城の背中を見つめた。
そして、修学旅行前夜。
マンションの廊下は、夜の静けさに包まれていた。
雪菜は、自分の部屋の前で、立ち止まった。
手に持っているのは、借りていた料理道具。古城の部屋に返しに行くところだ。
(先輩、もう寝てるかな)
雪菜が、古城の部屋のドアの前まで来たとき。
「古城! これ、あたしが作ったお弁当! 明日の朝、食べて!」
浅葱の声がした。
雪菜は、足を止めた。
廊下の角から、そっと覗く。
古城の部屋の前に、浅葱が立っていた。金髪のロングヘアが、廊下の照明に照らされて、きらきらと光っている。
浅葱の手には、可愛らしい包み。
「浅葱? なんでこんな時間に?」
古城が、ドアを開けて顔を出した。
「……明日、修学旅行でしょ? だから、お弁当、作ってきたの」
浅葱の声は、少し照れくさそうだった。
「お前が? 料理できたのかよ」
「失礼ね! あたしだって、やればできるんだから!」
「悪い悪い。ありがとな、浅葱」
古城が、包みを受け取った。
「……あのね、古城。修学旅行中に、話したいことがあるの」
浅葱が、上目遣いに古城を見た。
「話したいこと? なんだよ、改まって」
「……その、今度こそ、ちゃんと聞いてほしいの」
浅葱の頬が、赤い。
「おう、いいぞ。宮古島で、ゆっくり聞くよ」
「ほんと!? 約束だよ!」
浅葱の顔が、ぱあっと明るくなった。
「じゃあ、また明日! おやすみ、古城!」
浅葱は、嬉しそうに手を振って、去っていった。
古城は、手に持った包みを見て、鼻の頭をかいた。
「浅葱の手作りか。明日の朝が楽しみだな」
古城は、部屋に戻っていった。
廊下に、静寂が戻る。
雪菜は、角の影から、動けなかった。
(藍羽先輩が、先輩に、お弁当を……)
(修学旅行中に、話したいこと……)
胸の奥が、ぎゅうっと締め付けられる。
(あれは、きっと、告白の続き)
(藍羽先輩は、本気で、先輩のことが好きなんだ)
雪菜は、手に持った料理道具を、ぎゅっと握りしめた。
(私、先輩に、返しに行くだけ。それだけ)
雪菜は、深呼吸をして、古城の部屋のドアをノックした。
「お、雪菜。どうした?」
古城が、ドアを開けた。
「……これ、お借りしていた料理道具です。返しに来ました」
雪菜は、うつむきながら、道具を差し出した。
「おう、わざわざ悪いな。明日から宮古島だな。楽しみだな!」
古城は、笑顔で言った。
雪菜は、顔を上げられなかった。
「……先輩は、誰とでも、そんな風に笑いかけるんですか」
雪菜の声は、小さく、震えていた。
「え? 誰とでもってわけじゃないけど……雪菜は隣人だしな」
古城は、首をかしげた。
「……隣人、だから、ですか」
雪菜は、呟いた。
「そうだよ。隣人だし、凪沙のクラスメイトだし。それに、雪菜はいいやつだしな」
古城は、屈託なく笑った。
雪菜の胸が、きゅっと痛む。
(隣人。妹のクラスメイト。いいやつ)
(それだけ)
(私が、先輩にとって、それだけの存在なのは、当たり前なのに)
「……明日の集合時間、朝七時に、学園の正門前です。遅刻しないでください」
雪菜は、早口で言った。
「おう、分かってるって。雪菜も、荷物の準備、終わったのか?」
「……終わってます。それでは、おやすみなさい」
雪菜は、ぺこりと頭を下げて、自分の部屋に戻った。
ドアを閉める。
その場に、しゃがみ込んだ。
(なんで、私、あんなことを聞いたの)
(浅葱さんと、付き合うんですか、なんて)
雪菜は、自分の口から出た言葉を思い出して、顔が熱くなった。
(私、先輩に、何を聞こうとしたの)
(そんなの、監視役の仕事じゃない)
雪菜は、自分の膝に顔を埋めた。
心臓が、うるさい。
しばらくして、雪菜は、洗面所に向かった。
鏡に映る、自分の顔。
頬が、赤い。
目が、少し潤んでいる。
「……私、なんで、こんな顔してるんだろう」
雪菜は、鏡の中の自分に、問いかけた。
でも、答えは、返ってこない。
(分からない)
(この気持ちに、名前をつけられない)
(でも、胸が、痛い)
雪菜は、そっと、自分の胸に手を当てた。
心臓が、まだ、どきどきと脈打っている。
(明日、宮古島)
(藍羽先輩は、先輩に、話したいことがあるって)
(先輩は、藍羽先輩のことを、どう思ってるんだろう)
(……私、どうして、こんなことを考えてるんだろう)
雪菜は、洗面所の電気を消して、部屋に戻った。
ベッドに横になる。
天井を見つめる。
暗闇の中で、心臓の音だけが、やけに大きく響く。
(明日、宮古島)
(先輩と、藍羽先輩と、みんなと)
(私は、監視役として、任務を果たさなければ)
雪菜は、目を閉じた。
でも、眠れなかった。
胸の奥の、名前のない感情が、ずっと、彼女を眠らせなかった。
翌朝。
バスが、絃神島の中央特区を出発した。
窓の外には、青い海が広がっている。
「宮古島だー!」
古城が、席から身を乗り出して、窓の外を見た。
「うるさいぞ、暁」
「だって、海だぞ! 青いし、広いし、最高だな!」
古城は、無邪気に笑った。
バスの後方の席。浅葱は、窓の外を見ながら、小さく拳を握っていた。
(今度こそ、伝える)
(古城に、あたしの気持ちを)
浅葱のターコイズブルーの瞳が、決意に満ちている。
そして、雪菜は、古城から少し離れた席で、黙って外を見ていた。
(私は、監視役)
(任務を、果たさなければ)
雪菜は、ノートを開いた。
今日の日付。宮古島への移動。
ペンを走らせる。
でも、心は、まだ、あの夜のままだった。
胸の奥の、名前のない感情。
それが、海の向こうに見える宮古島の影とともに、静かに、でも確かに、膨らんでいく。
バスは、青い海を背に、南へと走り続けた。Noveliaとは?
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