血の学園ライフ〜毒親ママと秘密のカレシ〜
母に支配された息子と、彼を溺愛する毒親ママ。毎朝髪を整えられ、弁当を持たされ、連絡帳の予定まで消される日々。自由のない学園生活に息苦しさを感じながらも、母の笑顔を裏切れない静一。そんな彼の日常が、ある日を境に音を立てて崩れ始める——。秘密のカレシとの出会いが、静一の運命を大きく変えていくラブコメディ。
血の学園ライフ〜毒親ママと秘密のカレシ〜 - 消された連絡先と、届かなかった約束
夕食の片付けが終わった頃、長部静一は居間のソファで静子の隣に座っていた。テレビからは天気予報の声が流れている。静子は静一の方を向いて、にこにこと笑っている。
「静一、今週末はどうするの? ママと一緒に、駅前の新しいパン屋さんに行かない?」
静子の声は、いつも通り柔らかくて優しい。
静一は膝の上で、制服の袖口を指でいじっていた。考え込むときの癖だ。
「あの、ママ」
声が少しだけ震えた。
「なあに?」
静子は首をかしげる。肩までの艶やかな黒髪が、さらりと揺れた。
「土曜日、水野さんと映画を見に行く約束をしたんだ」
言った。
やっと言えた。
静一は心臓がどきどきするのを感じながら、静子の顔を見た。
静子は、一瞬だけ箸を持つ手を止めた。
いや、箸はもう持っていなかった。夕食は終わっていたから。
静子の手が、静一の隣でぴたりと止まった。
「……あら、そう」
声は、さっきと同じように柔らかかった。
でも、笑顔が少しだけ、消えた。
静一は、それに気づいて、胸の奥がぎゅっとした。
「映画、何を見るの?」
静子が聞いた。
「えっと、よくわからないんだけど、水野さんが面白そうなのがあるって」
「水野さん、って、あの、昼休みに静一のところに来る子?」
「うん」
静子は、にっこりと笑った。
でも、目は笑っていなかった。
「そう。楽しみね」
それだけ言うと、静子は立ち上がって、台所の方へ歩いていった。
静一は、ソファに座ったまま、静子の背中を見ていた。
(言えた)
(ちゃんと、言えた)
ほっとした。
でも、胸の奥のちくちくした感じは、消えなかった。
静子が、台所から戻ってきた。
手には、静一のスマートフォンを持っていた。
「静一」
静子の声は、さっきより少しだけ低かった。
「なに?」
静一は顔を上げた。
静子は、静一の前に立って、にこにこと笑っている。
「あなた、どうしてママに言わなかったの?」
静一の体が、固まった。
「え……」
「映画の約束、どうしてママに先に言ってくれなかったの?」
静子の声は、静かだった。
怒っているわけではない。
でも、その静かさが、かえって怖かった。
「ご、ごめん。今、言おうと思って……」
「今、じゃないのよ」
静子は、静一の隣に座った。
「ママはね、静一のことを一番に考えているの。だから、静一の予定は、ママがちゃんと知っておかないと、心配で心配で仕方ないのよ」
静子の手が、静一の頭を撫でた。
「ごめん……」
静一は、うつむいた。
「いいのよ。謝らなくて。ママも、静一が隠し事をする子じゃないって、知ってるから」
静子は、静一の手から、スマートフォンを取った。
「ママ?」
「ちょっと、ママに見せてね」
静子は、静一のスマホの画面を開いた。
ロックはかかっていなかった。
静子の指が、画面をすいすいと動く。
「ママ、何してるの?」
静一の声が、少しだけ大きくなった。
「大丈夫よ。ちょっとだけだから」
静子は、連絡先の一覧を開いていた。
「あのね、静一。ママは、あなたのことを心配しているの。この間も、夜遅くまでスマホを見てたでしょ? 体に良くないわ」
「見てないよ」
「見てたわよ。ママ、知ってるの」
静子は、静一の顔を見た。
にこにこ笑っている。
でも、目は笑っていない。
「だから、ママがちゃんと管理してあげる。静一が困らないようにね」
静子の指が、連絡先の一覧をスクロールする。
「水野さん、っていうのね」
静子が、しおりの名前を見つけた。
「ママ、やめて」
静一は、静子の手を止めようとした。
でも、体が動かない。
声も、小さくて、静子に届いていない。
静子の指が、しおりの連絡先を選んで、削除のボタンを押した。
「あなたはまだ早いのよ」
静子は、静一の目をまっすぐ見て、そう言った。
その声は、とても優しかった。
でも、静一の耳には、とても冷たく聞こえた。
静子の指は、止まらなかった。
一人、また一人と、静一の友達の連絡先が、消えていく。
クラスの男子。
部活で仲良くなった先輩。
しおりの友達。
全部、全部、消えていく。
「やめて……ママ、やめてよ」
静一の声は、震えていた。
涙が、出そうだった。
でも、静子は笑っていた。
「大丈夫よ。静一には、ママがいるでしょ?」
静子の指が、最後の一人を消した。
画面が、真っ白になった。
静一の友達の連絡先が、全部、消えた。
「はい、これで終わりよ」
静子は、静一にスマホを返した。
静一は、そのスマホを、ただじっと見つめていた。
何も言えなかった。
何も、できなかった。
静子は、立ち上がって、静一の部屋の方へ歩いていった。
「もう寝なさい。明日も学校よ」
静一は、ソファに座ったまま、動けなかった。
スマホの画面は、真っ白なまま。
しおりの名前も、友達の名前も、何もない。
静一は、ゆっくりと自分の部屋に戻った。
ベッドに倒れ込む。
天井を見つめる。
(何で)
(何で、こんなこと)
静一の頭の中は、ぐちゃぐちゃだった。
静子の笑顔が、何度も何度も浮かんでは消える。
優しい声。
冷たい目。
「あなたはまだ早いのよ」
静子の言葉が、頭の中で繰り返される。
静一は、目を閉じた。
でも、眠れなかった。
土曜日の朝。
静一は、自分の部屋で目を覚ました。
カーテンの隙間から、朝の光が差し込んでいる。
(今日は、映画の日)
静一は、体を起こした。
でも、すぐに思い出した。
スマホは、まだ戻ってきていない。
しおりの連絡先は、消えたままだ。
静一は、着替えを始めた。
でも、手が震えて、ボタンがうまく留められない。
「静一、起きてる?」
ドアの向こうから、静子の声がした。
「うん」
静一は、小さく返事をした。
「今日は、家の手伝いがあるのよね。ママ、静一に手伝ってほしいことがあるの」
静子の声は、弾んでいる。
静一は、ドアを開けた。
静子が、にこにこと立っていた。
「おはよう、静一。今日は、お庭の草むしりを手伝ってね。それから、お買い物にも付き合ってほしいの」
静一は、何も言えなかった。
「映画、どうするの?」
その言葉が、喉まで出かかった。
でも、出なかった。
「さあ、朝ごはんにしましょう」
静子は、静一の手を引いて、階下へ向かった。
静一は、ただ、静子の後ろを歩いた。
朝食の後、静一は庭に出た。
静子が用意した軍手をはめて、草むしりを始める。
土の匂い。
夏の日差しが、じりじりと肌を焼く。
静一は、無心で草を抜いた。
(しおりさん、待ってる)
頭の隅で、その思いがちらつく。
でも、体は動かない。
静子が、時々、窓から静一の様子を見ている。
にこにこ笑って。
静一は、笑い返した。
でも、その笑顔は、自分でもわかるほど、ぎこちなかった。
午後、静一は静子と一緒に、きりゅう銀座へ買い物に出かけた。
駅前の商店街は、土曜日で賑わっていた。
家族連れ。
若いカップル。
楽しそうな笑い声が、あちこちから聞こえる。
静一は、静子の後ろを、うつむいて歩いていた。
桐生ヶ丘シネマの前を通った。
映画館の前には、人が並んでいる。
(あの列の中に、しおりさんがいるのかもしれない)
静一は、顔を上げることができなかった。
「静一、どうしたの? 疲れた?」
静子が振り返って、静一の顔を覗き込んだ。
「ううん、大丈夫」
静一は、笑った。
「そう? じゃあ、パン屋さんに行きましょう」
静子は、静一の手を握った。
静一は、その手を振りほどくことができなかった。
家に帰ってからも、静一は静子の手伝いをした。
夕食の準備。
洗濯物たたみ。
静子は、ずっと静一のそばにいた。
静一は、窓の外を見た。
空が、夕焼け色に染まっている。
(もう、夕方だ)
(映画、終わったかな)
静一は、唇を噛んだ。
ごめん、しおりさん。
声に出さずに、何度も何度も、心の中で謝った。
自分の不甲斐なさに、涙が出そうだった。
でも、泣けなかった。
月曜日の朝。
静一は、重い足取りで学校へ向かった。
教室に入ると、もう何人かのクラスメイトが来ていた。
静一は、自分の席に座った。
鞄から教科書を出す。
でも、中身が頭に入ってこない。
「長部くん」
声がした。
顔を上げる。
しおりが、静一の机の前に立っていた。
いつもの明るい笑顔は、なかった。
大きな茶色い瞳が、静一を見つめている。
「土曜日、どうして来なかったの?」
しおりの声は、小さくて、震えていた。
「ずっと待ってたんだよ」
静一の胸が、ぎゅっと締め付けられる。
「ごめん、急に用事ができて」
静一は、うつむいたまま、嘘をついた。
「そっか……」
しおりは、少しだけ間を置いてから、続けた。
「でも、連絡くらいしてほしかったな」
しおりの声が、寂しそうに、静一の耳に届いた。
「……ごめん」
静一は、それしか言えなかった。
しおりは、静一の顔をじっと見てから、小さく笑った。
でも、その笑顔は、いつもの笑顔とは違った。
「じゃあ、またね」
しおりは、そう言って、自分の席へ戻っていった。
静一は、しおりの背中を見送った。
(言いたい)
(本当は、スマホを取り上げられたんだ)
(連絡先を、全部消されたんだ)
(行きたかったんだ)
でも、言葉が出てこない。
言えるわけがない。
母のことを、言えるわけがない。
静一は、机の上で、拳をぎゅっと握りしめた。
嘘をついた罪悪感と、母への恐怖が、胸の中でぐちゃぐちゃに混ざり合う。
(このままじゃ、まずい)
初めて、そう思った。
(このままじゃ、だめだ)
放課後。
静一は、帰りの支度をしていた。
教室を出ようとしたとき、廊下で足が止まった。
職員室の前。
静子が、担任の野村先生と話している。
「静一は、家の手伝いがあるので、放課後の活動はできません」
静子の声が、廊下に響く。
にこにこ笑っている。
でも、目は笑っていない。
「ですから、部活には入らせません。よろしくお願いしますね」
野村先生は、穏やかな顔で、うなずいていた。
「長部さんのお母さんは、本当に熱心ですね」
静一は、廊下の影から、その様子をじっと見ていた。
体が、動かない。
声をかけたい。
「やめて」
そう言いたい。
でも、言えない。
静一は、ただ、立ち尽くしていた。
(ぼく、部活に入りたかったのに)
その言葉を、喉の奥に、無理やり飲み込んだ。
静子が、職員室から出てきた。
静一に気づいて、にっこりと笑った。
「あら、静一。帰りましょう」
静一は、うなずいた。
静子の後ろを、静一は歩いた。
校門を出る。
振り返らなかった。
振り返れなかった。
翌日の昼休み。
静一は、自分の席で、弁当箱を開けていた。
食欲は、なかった。
でも、食べないと、静子が心配する。
「長部くん」
また、声がした。
顔を上げると、しおりが立っていた。
今日は、昨日よりは、いつもの明るさに近い顔をしている。
「何かあったの? 最近、元気ないよ」
しおりの大きな瞳が、静一の顔を覗き込む。
「大丈夫」
静一は、笑った。
「本当に? 無理してない?」
しおりは、まだ心配そうだ。
「うん、大丈夫」
静一は、もう一度、大丈夫と言った。
自分でもわかるほど、ぎこちない笑顔だった。
しおりは、少しだけ眉をひそめた。
でも、それ以上は聞かなかった。
「ならいいけど……。何かあったら、いつでも話してね」
しおりは、そう言って、自分の席へ戻っていった。
静一は、しおりの優しさが、嬉しかった。
でも、その優しさに、応えられない。
応えられるわけがない。
静一は、弁当箱を閉じた。
胸の奥が、ぎゅっと締め付けられる。
(しおりさんは、優しい)
(優しいのに、僕は)
(何も、できない)
静一は、窓の外を見た。
夏の空が、青く広がっている。
雲が、ゆっくりと流れていく。
(このままじゃ、まずい)
昨日、初めてそう思った。
でも、どうすればいいのか、わからない。
静一は、制服の袖口を、無意識にいじっていた。
昼休みの終わりを告げるチャイムが、教室に響いた。
静一は、小さく息をついた。
(僕は、どうすればいいんだろう)
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